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1.DESAFIO |
2005.06.01.Wed. 13: 55 p.m. BGM : 松岡直也 & WESING "MAJORCA"
![]() 酒の力を借りて女を口説く男と、音楽の力を借りて原稿を書くライターは、どちらがより人としてダメだろうか。
![]() きのうは午後から、わしズムの取材1本目。いよいよ始まったわけだが、さらに追い打ちをかけるように、祥伝社S氏から今月中に執筆する本のコンテも届いた。愚妻に起こしてもらった最終回のテープ速記を送ったのはきのうの朝なのに、その10時間後にはコンテが出来ているのだから、仕事が早い。狙っていたスペースに、ワンタッチでスルーパスを出してもらったような快感がある。ボールを持ちすぎない編集者は、ライターにとって実にありがたい。私のほうも、なるべく球離れを早くするよう努力しなければいけないが、けっこうプレスがキツくてねぇ。と、「メリ」が終わって「ハリ」に突入した途端に弱音を吐いてみたわけであるが、まあ、体調さえ崩さなければ何とかなるだろう。……あ、そういえば、おたふく風邪の予防接種がまだじゃないか。
しかし考えてみると、日本脳炎の予防接種みたいな副作用がないとも限らないのだった。いまの私は、何をしても裏目に出そうな気がしてならないのである。なので、こんなページを見つけて読んでみた。すると、流行性耳下腺炎(おたふく風邪)は「ワクチン接種後10数%の罹患者がある」とのこと。シュート10本あたり1点以上も入るんじゃ、ちょっとセーブ率が低いよなー。キャロルよりはマシかもしれんが、この場合、レーマン並みに止めてくんないとダメだろ。しかも、接種者から他人に感染することも稀にあるらしい。てめえの健康のために他人を病気にしてどうするというのだ。自衛のためなら他国を侵略しても構わないというのかおまえは。それより何より、「現在の日本のワクチンは副作用が強く奨められない」って書いてあるじゃないか! ネットに書いてあることを額面どおりに受け取ってはイカンけども、わりと信用できそうな雰囲気のサイトだしなぁ。いずれにしろ、安易に接種しないほうがいいような様子である。あとで、知り合いの医者にメールで相談してみよう。知り合いの医者って、兄ですけどもね。どこぞの太った兄弟よりは仲がいいので、親切にアドバイスしてくれるに違いない。
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1.日々のすきま |
2005.05.31.Tue. 11: 40 a.m. BGM : 矢野真紀 "いい風"
しかし。そこには三振もないがホームランもないのだった。「シングルヒットになりそうなホームラン」という言い方は比喩として相当にひねくれているが、そういう曲がない。いや、べつにシングルヒットしそうな曲なんかなくてもいいのだが、耳に引っかかって何度も噛みしめたくなるような曲が見当たらないのが寂しい。本人プロデュースなのに、矢野真紀らしさが足りない。彼女にしか作り出せない妙な存在感とリアリティを併せ持った人間や世界が登場しない。要するに、「フツーにイイカンジの曲」ばかりなのである。 そうなった原因のひとつは、たぶん、複数のソングライターが参加していることだろう。私は矢野真紀に自作自演の「シンガー/ソングライター」であってほしいと思っているが、今回、「作詞・作曲/矢野真紀」は3曲だけ。それ以外の7曲は、広沢タダシ、朝井泰生、山口美央子、谷口崇、田中直樹、小渕健太郎、中村修司といった人々が作詞や作曲に関わっている。ギタリストとして彼女のツアー等に参加している中村修司以外、それが何者たちなのか私は知らない。どうやらJ−POP界の「売れっ子」も含まれているらしい。いずれにしろ、彼らの個性を束ねてひとつの作品に仕上げようとした結果、最大公約数的な無難なセンにまとまってしまった、というような印象。その意味では、やはり複数のソングライターを起用して「今風な曲」を並べ、「第二の今井美樹」とか「第二の杏里」とかを狙っていたとしか思えないデビューアルバムと似ている。その路線から彼女と彼女の才能を救い出し、全曲本人の作詞作曲による名盤『そばのかす』を作らせたのが亀田誠治プロデューサーだったわけだが……。どうも、所属事務所が「喝采」というレーベルを立ち上げて以降の矢野真紀は不自由そうに感じられて仕方がない。
![]() きのうは雨の中、表参道〜神保町〜神楽坂というルートで編集部ツアー。知人の紹介で初めて訪れた表参道のC出版では、全105冊の「書いたもの一覧表」を見せた後、女性の取締役に「経歴書や履歴書はお持ちですか?」と訊かれ、そんなことは15年間で初めての経験だったので、しばし放心した。どうやら、ほんとうに「面接」だったようだ。まあ、私もそんな雰囲気を感じたから作品リストを用意して行ったわけで、それ以上にわかりやすいライターとしての「経歴書」はないと思うんですけどね。「こちらでは、そういうモノが必要なんですか?」と訊いたら、「そういうわけではありませんが」ということだったが、いろんな出版社があるものだと勉強になりました。 その後、例によって例のごとく「とくにお好きな分野はありますか?」「ありません。何が得意かと訊かれれば、原稿を書くことです、とお答えします」というやり取り。神楽坂の編プロでも、似たような会話をした。いつものことだが、どうも仕事に対する自分のスタンスをうまく説明できなくて困る。そこで帰宅後、改めて「一体おれは何が好きなんだ?」と自問自答してみたのだが、たぶん、私は言葉を紡いだり弄んだりすること自体が好きなのであって、したがって扱う素材(ジャンル)は何だっていいのだ。あえて「好きなタイプの仕事」を挙げるなら、「言葉のアヤ」みたいなものを工夫する余地の多い仕事、ということになるだろうか。で、そういうスペースがもっとも多いのが、当たり前だが署名コラム等の自前の原稿である。だから、それがいちばん楽しい。「ゴースト仕事と違って自分の言いたいことを言える」から楽しいというより、「ゴースト仕事と違って制約なしに書きたい書き方で書ける」から楽しいのである。あまり大きな声では言えないが、おれ、そんなに「言いたいこと」があるわけじゃないしな。手段が目的化しているという意味で、私は「文章フェチ」なのかもしれない。なんだよ変態かよ。
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サッカーのほうは、ここ数日、イタリアとスペインの残留争いを観戦していた。ウエストブロムウィッチに続いてフィオレンティーナとマジョルカも残留を決め、欧州の弱小クラブが「お守り」代わりに日本人を一人ずつ雇いたくなりそうな今日この頃である。なるほど、キリンカップの連敗でとうとうジーコジャパンのバカヅキも途切れたかと思っていたが、プレイヤーが所属クラブでツキを維持していたわけですね。ならば、まだイケる。大久保も呼べ大久保も。お守り三つあれば、グループ2位ぐらいには残留できるはずだ。
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1. Dangerous Dave |
2005.05.27.Fri. 12: 40 p.m. BGM : SPIROGYRA "OLD BOOT WINE"
物事がわさわさ動き始めるときというのは連鎖反応が起こるものなのか、きのうは、これまで縁の無かったC出版の編集者から電話。いつも無償で私の営業活動をしてくださっているフリー編集者Kさんが、ライターを探していたC出版のお知り合いに推薦してくれたのである。いきなり仕事を発注されたわけではなく、とりあえず顔合わせということで、来週、面談をすることになった。「これまでに書いたものを何冊か持ってきてください」とのことで、面談というより「面接」みたいな感じ。20代の頃は、初めての編集者と会うときに自分の手がけた本を持っていくことが多かったが、この頃そういうことをしていなかったので新鮮な気分だ。 ただ、ゴーストで書いた本を人に見せるときは、いつも「これで私の何がわかるんだろうか」という不安を抱くのも正直なところ。ゴーストライターには、著者の言いたいことを咀嚼して呑み込む理解力と、それを効果的に伝達する構成力が求められると私は思っているが、それらの資質は完成した本を見ただけではわからない。原材料(主に口述の速記録)と完成品を見比べて初めて、その過程でライターがどれだけの理解力と構成力を発揮したかがわかるのである。仕上がりは同じ恐竜の骨格標本でも、部品が過不足なく用意されているプラモデルを設計図どおりに組み立てるのと、発掘したバラバラな骨を(一体分そろっているかどうかもわからない状態で)組み立てるのとでは、まるで難度が違うのと同じこと。要するに、その本でライターがどんな役割を果たしたかがわかるのは、一緒にその本を作った編集者と著者だけということだ。完成品だけ見た人にわかるのは、せいぜい「ふつうに文章が書ける」ということぐらいですね。それで雇うかどうか決めるのは、「ふつうにストライクが投げられる」というだけでピッチャーとプロ契約を結ぶのと変わらないような気もする。
もっとも、渡した作品を読んでから意見なり感想なりを言ってくれた編集者はほとんどいない(一人もいなかったかもしれない)ので、中身を吟味して力量を見極めたいというより、要はふだんの仕事ぶりを大雑把に把握して安心したいということなのだろうから、実際はそんなに深く考える必要はないのである。私のほうも、初対面の編集者に「ふだんどんなお仕事を?」と訊かれると、うまく説明できなくて困ることが多い(関わった著者の名前さえスラスラ出てこない)ので、現物を持っていったほうが話が早い。もっと話が早いのは、過去に手がけた本のリストを履歴書代わりに持っていくことだ。なので、昨夜それを整理してプリントアウトしてみた。すでに刊行されたものだけで、105冊。15年もやっていればそれぐらいにはなるので、世間的には多くも少なくもない数だと思うが、来し方を振り返ってゲンナリするには十分な量である。ところが愚妻に見せたら、「ほんとに書くのが好きなのね」と言われた。わりと意外なリアクションで、本人は「これ以外にできることがない」と消去法で選んだ仕事だという意識でいたのだが、言われてみれば、そういうことなんだろうと思う。このところ寝つきの悪い夜が多いのは、きっと、いちばん好きなことを十分にやっていないからなのだ。わしズムと単行本が重なる来月が、楽しみで仕方がない。楽しみで仕方がない。楽しみで仕方がない。
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1. Alba Mediterranea |
2005.05.26.Thu. 15: 50 p.m. BGM : ARTI & MESTIERI "ESTRAZIONI"
ところが、のっけからこっちの期待を裏切る展開。キックオフから2分も経たないうちにミランが先制し、「ゼロゼロでPK戦」という私(というか全世界)が思い描いていたゲームプランは木っ端微塵に吹き飛んだのだった。何度も練習したとしか思えない必殺セットプレイを、相手がまだ「えーと、それがスタムで、これがクレスポね。……ふーん、こんなやつチェルシーにいたっけ?」などとマーキングの学習に励んでいる立ち上がり早々に仕掛けたピルロとマルディーニの作戦勝ちか。CL最速ゴール記録だそうで、これまでの記録保持者はバレンシア時代のメンディエータだという。脚光を浴びて良かったね、ガイスカ君。キミは欧州2位の偉大なフットボーラーなのだね。 というわけで、「ほら見ろ、退屈な試合になったじゃないか」とは言えなくなってしまったのであるが、その後、チェルシーがミランに貸してやっているクレスポ(元ラツィオ)の連続ゴールで3-0。ほーら見ろ、リヴァプールなんか勝ち残りやがるから、一方的な試合になっちゃったじゃないか! リーグ5位のチームが分際もわきまえずに無理するから、こういうことになるんじゃないか! プレミアのツラ汚しじゃないか! ……などと口汚く罵りながら観戦していた私を、いったい誰が責められよう。いや、責められるか。責められるよな。ごめんなさい。だけど、私も謝るから、ミランも謝れ。おまえら何さらしとんねん。いい加減、その油断グセを直したらどうだ。っていうかラツィオ戦でもたまには油断してくださいという話にもなるわけだが、後半、ジェラード、スミチェル、シャビ・アロンソ(PK)であっという間に3-3である。「真のサポーターはスタンドではなくフィールドにいる」がかねてからの私の持論だが、ヘッドで1点目を決めたジェラードが応援席を煽り立て、シュンとしていたファンを勇気づけたシーンは、まさにそれを裏付けるものだった。ちくしょう、うっかり感動しちゃったじゃないか。すんげえ面白い試合になっちまったじゃないか。 でも、同点になった途端に、双方とも本来のゲームプランを思い出したらしい。60分間で6点というゴールラッシュがウソのように、それ以降の60分間は「やっぱ決勝はこうでなくちゃ」と言わんばかりのゼロゼロでPK戦突入。竜頭蛇尾、というやつである。追いついたあと、リヴァプールには一気に逆転まで攻めきってほしかった。PK戦は、GKデュデクの下品な「くねくねダンス」に幻惑されたミランがミスを重ねて、リヴァプールの優勝。デュデク気持ち悪い。小学生が考えそうな作戦で、欧州チャンプを決める場にふさわしい行為には見えなかった。しかしまあ、これでバークレー・イングリッシュ・プレミアリーグこそが欧州最高のリーグであることが証明されたわけだ。欧州最高のリーグを制したチームが実質的な欧州ナンバーワンであることは言うまでもない。チェルシーがリーグ戦でリヴァプールに2勝していることまでは、私に言わせないでほしい。
![]() 話は前後するが、ゆうべはラツィオ×フィオレンティーナ(セリエ第37節)をようやくビデオ観戦。1-1のドロー。その結果は事前に知っていたが、それでも、ザウリの神の手ディフェンスを含めてハラハラ(そしてイライラ)させられる試合だった。あれは神の手っていうか、まあ、要するに、手だけどね。とても強烈なシュートだったので、ザウリが手を骨折していないか心配だ。試合中に治療するわけにいかない(だってハンドがバレる)から、その場合は手当が遅れて症状が悪化する可能性がある。そんなことを心配している場合ではない。ラツィオったら、まだ残留が決まっていないらしい。うー。最終節で残留を決めたら、感激したファンがフィールドになだれ込んで選手を裸にひんむいたりするんだろうか。もちろん降格のほうが悲しいに決まっているが、それはそれでとても悲しい光景。
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アルティ・エ・メスティエリは、PFMと並び称せられる(こともある)イタリアのプログレバンドである。私はまだ、代表作として有名な『ティルト』と今月リリースされたこの新譜しか聴いたことがないが、凄まじくスリリングなフュージョン色の強い演奏を繰り広げながら、どこかロマンティックな香りというか、切なさというか、哀愁というか、人間と人生の間にあるザラザラした接触面の手ざわりというか、そんなような情緒を漂わせる素敵な音楽だ。そんなような情緒を感じるのは私だけかもしれないとも思うが、とにかく、まあ、カッコイイよアルティとメスティエリ。「アルティ」と「メスティエリ」が何なのかは知りません。たぶん人名ではないと思う。メンバーの中では、「超絶ドラミング」のフリオ・キリコがいちばん有名らしい。たしかに、素人耳にも「手足が何本あるんだろう」的な物凄いことをやっているように聞こえる。で、このスゴい人たちが6月に日本でライブをやるわけだが、これは「結成30年にして奇跡の初来日!」だそうだ。何がどう「奇跡」なのかは、よくわからない。「現代の科学技術ではアルティ・エ・メスティエリの来日は不可能」とでも思われていたのだろうか。あるいは、こんなバンドの公演が日本でビジネスになること自体が「奇跡」だって意味? ともあれ、そのビジネスを成立させる物好きのひとりとして、クラブチッタ川崎でどんなミラクルが起きるのかを楽しみに待つことにしよう。
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1.二重人格 |
2005.05.25.Wed. 14: 55 p.m. BGM : 美狂乱 "美狂乱"
再びシギーにメールを送り、定休日だったことを伝えたら、「ならば新宿東口のディスクユニオン・プログレ館へ行くべし」との返信が来たので、言われるままに新宿へ。そういうものもあるのだ世の中には。ちなみに「プログレ館」は「プログレやかた」と読みたくなる気持ちもわからないではないが、残念ながら「プログレかん」と読みます。事前に地図をチェックしていなかったので、前にシギーから教わった場所を思い出しながら「多分あのへんだろう」とテキトーに見当をつけて向かったものの、方向音痴の私がそれでたどり着けるはずもなく、ふと気づいたときにはディスクユニオン・クラシック館の前に立っていた。方向音痴なのではなく、音楽音痴なのかもしれない。しょうがないのでまたシギーにメールで場所を問い合わせたのだが、いま考えると、多忙な編集者の手を煩わせる前に、クラシック館に入って店員に「プログレ館はどこですか」と訊くべきだったような気もする。 信じられないことに、やっとのことで発見したプログレ館は営業していた。銀行のケースもあるので、「こっちも閉まってんのかよ〜」を半ば覚悟していたのだが、同じ日に休みを取るほどプログレ業界もバカじゃないということだ。逆にいうと、同じ日に店を閉めやがる銀行業界は……いや、やめておこう。私は銀行が父親に払う給料で大きくしてもらったんだった。 ディスクユニオン・プログレッシヴロック館は、初めて足を踏み入れた人間を緊張させる空間だった。だって、なにしろプログレ館には「プログレがぎっしり」なのだ。ぜんぶプログレッシヴなのだ。これほど落ち着かない空間がほかにあるだろうか。プログレのCD、プログレのアナログ盤、プログレのBGM、きっとプログレ好きであるに違いない店員、絶対にプログレ好きであるはずのプログレな風体の客。得体の知れない禍々しさを感じて、ちょっと逃げ出したい気分になった私は、プログレに対して何か偏見でも持っているのかもしれない。 外国のレストランで意味のわからないメニューを眺めているときのようなヘンな汗を脇の下にかきながら、隅から隅までプログレッシヴな棚を物色。目当てにしていたブラジルのバンドの名前を思い出すことができず、「南米コーナー」の前でさらに冷や汗をかいた。頭文字が「T」だということしか思い出せない。「Tで始まるブラジルのバンドありますか」なんて、プログレッシヴな店員に訊けない。今ならそれが「テンプス・フュージット」だと楽勝で思い出せるのだが、きのうは最後まで思い出せなかった。次に行ったときも、思い出せる自信がない。 取材に行く時間も迫っていたので、とりあえず目についたものを4枚購入。来月の中旬に初来日公演を控えているアルティ・エ・メスティエリ、先月『ストレンジ・デイズ』誌で特集されたばかりの(フュージョンじゃないほうの)スパイロジャイラ、日本の美狂乱、ポップなキャラヴァンという、初心者丸出しの観光客的ラインナップになってしまった。フィレンツェのレストランで、カルパッチョとカルボナーラとミラノ風カツレツをオーダーするようなオノボリさん感覚である。でも、「一万円札を握りしめてプログレ専門店へ行く」は結構エキサイティングなツアーかも。 その後、18時から神谷町で、来月ゴーストする単行本の口述取材最終回。私の発熱&水疱瘡のために延び延びになっていたもので、すっかり迷惑をかけてしまったが、28歳の著者もまだ水疱瘡をやっていないとのことで、下手なタイミングで会ってうつさなかったのが不幸中の幸いである。夜の口述は喋る側も聴く側も疲れているのでテンションが下がりがちなものだが、きのうは意外とノリの良い取材になり、使えるネタをたくさん引き出せたので良かった。あとは、それを私がどれだけ膨らませられるかが勝負。
![]() ピーター・バラカン×萩原健太×中山康樹の各氏による座談会記事を構成させてもらった『月刊PLAYBOY』7月号が編集部から届いた。日本版創刊30周年記念号である。創刊された1975年といえば私は小学校5年生で、それ以前に『月プレ』が存在しなかったというのは、ちょっと意外な気もする。もっと古い雑誌のような気がしていたが、それはつまり、私が自分で思っている以上に古い人間だということか。それにしても、特別付録「創刊号ミニチュア復刻版」はうまい企画だなぁ。復刻紙ジャケCDみたいな感覚ですね。記念すべき第1回PLAYBOYインタビューが、映画スターでもミュージシャンでも作家でもアスリートでもなく、平塚八兵衛さん(3億円事件で有名な警視庁の刑事)だったというのがシブい。この伝統と格式あるインタビューページを、いずれ一度はライターとして担当してみたいものです。
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美狂乱は、その名前からハチャメチャ&ドタバタを想像していたのだが全然そういうものではなく、とても繊細かつ几帳面な演奏で好感が持てる。ボーカルの声や歌い方が四人囃子に似ているように聞こえるのは気のせいだろうか。
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1.Radio Song |
2005.05.24.Tue. 13: 15 p.m. BGM : R.E.M. "OUT OF TIME"
![]() 以下、ここ数日の身辺雑記を個条書きで(順不同)。 ●アーセナル×マンチェスターU(FA杯決勝)はPK戦でアーセナル優勝。最後のPKを決めたヴィエラの態度に感服した。あれだけの重圧を受けて決めたにもかかわらず、「オレだオレだオレが決めた」とハシャギ回ることなく、すぐに仲間を呼び寄せて、殊勲者レーマンのところへ駆け寄ったのである。あんなふうに振る舞えるキャプテンが世界に何人いるだろうか。 ●日曜日はセガレの誕生日。8歳になった。その前日の土曜日は、4人の祖父母を招いて宴会。薄切り牛肉のチーズ&にんにく巻(のトマト煮)、あさりのレムラード、緑のクリーム・スパゲティを作る。いずれも好評。とりわけホウレン草ペーストのスパゲティは(フードプロセッサがあれば)簡単で見た目も美しく、うまい。レシピを公開しているTOMATO & BASILさんに感謝。 ●翌日(誕生日当日)はセガレの大好物の手巻き寿司。二日連続で食い過ぎて、腹の調子が悪い。発熱と水疱瘡で連続キャンセルしたギターのレッスンが近々あるので、気をつけなければ。二度あることは三度あるというし。こう言うと必ず「でも、三度目の正直とも言うよね」と言う人がいるが、それはとても鬱陶しいこと。ともあれ、自己管理も含めてミュージシャンの能力である。ステージは原稿の締め切りと違って待ってくれない。 ●この季節に着るジャケットが一着しかなく、取材等で人に会うときにしか着ないとはいうものの、さすがに一着では困るので、買った。今までなら絶対に選ばないカタチの洋服だが、メガネをかけていると似合う気がするから不思議だ。メガネをかけたことで、ほんのちょっと人生が新しくなったような気分。しかし、これを着ているときはメガネを外せないかも。 ●バルセロナ×ビジャレアル(リーガ第37節)は3-3のドロー。得点王を争っているフォルランは縦横無尽に動き回ってチャンスメークをしながら自分で3発、「ボクに決めさせてよ〜ん」とゴール前に張りついていたエトーは不発。この試合のビデオは、子供に「フォワードはGKの前に立っているだけじゃダメ」と教えるときの教材にするといいと思う。 ●子供のサッカーといえば、セガレは日曜日のミニゲームでバースディ・ゴールを2発も決めたらしい。ようやくボールやゴールへの意欲が芽生えてきたのだろうか。その夜はめずらしく「なんかサッカー録画してないの?」とテレビで試合を見たがっていた。もしかするとサッカーそのものに対する「スイッチ」が入ったのかもしれない。たまたま録画してあったのがダルダルなマドリッド・ダービーだったので、途中で3人とも寝てしまったが。 ●寝てしまったので、せっかく生中継していたのにラツィオ戦は未見。結果は知っているが、まあ、見てから書くことにしよう。 ●ヒマな人間は何をするかわからないもので、ゆうべは何を血迷ったかネットで将棋Zというゲームをダウンロードしてやってみた。将棋は駒の並べ方と動かし方を知っているだけで、セオリーも何も皆目わからない私だが、やけに相手が弱く(素人目に見てもヘボとしか思えないのだがどうなんだろうか)、2回に1回は勝てる。勝てると面白いので、何度もやりたくなる。入門書とか買ってしまいそうな勢い。「スイッチ」入ったのか?
●というか、そもそもは将棋ゲームではなく、麻雀ゲームを探していたんだった。麻雀やりたい。お金はないけど。いや、お金がなくてもやっていいことになっているわけだが。表向きは。
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1.Another Tribe |
2005.05.20.Fri. 13: 40 p.m. BGM : ROBERT PLANT AND THE STRANGE SENSATION "MIGHTY REARRANGER"
![]() ヒマなので、朝からギターの練習ばかりしている。メトロノームの「ボーナムくん」がお友達。このごろ人に会うと「どれぐらい弾けるようになったのか」と訊かれることが多いのだが、基本的には「弾けない」のだし、「どのぐらい」と言われても説明が難しいので「いや、まあ、まだ全然アレだから」などと言葉を濁している。発表会を睨んで『移民の歌』と『Living Loving Maid』の練習はしており、(座って弾けば)それっぽく楽器を鳴らすことはできるから、田舎のおじいちゃんやおばあちゃんが聴いたら「ギターの弾ける人」と思うかもしれないが、実際はまだ「真似事」の域を出ていない。コードは正確に押さえられていないし、リズムもメロメロだ。それ以前に、まだまだギターを弾くためのフィジカルができていない。左の肘と手首をもっと柔軟にし、小指と薬指のパワーと可動性を高めないと、きちんと弦を押さえられないのだ。とくにハンマリングオンとプリングオフ(ピックを使わず、左手の指で弦を叩いたり引っ掻いたりして音を出す方法)の習得には苦労している。なので今朝も、小一時間かけて筋トレのごときストイックな基礎練。うっすら汗をかくまでやると、ようやく肘や手首がギターに馴染んでくる。もっとも、その頃には指先が痛くなっており、休憩せざるを得ないのが難儀なところだ。しかし、練習すればしただけの「見返り」が得られるのが楽器のいいところ。動かなかった指が動くようになり、弾けなかったフレーズがまがりなりにも弾けるようになると、それだけで幸福な気分になれるのだった。 無理やりこじつけてみると、電車の運転や飛行機の操縦をはじめ、このところ世の中では「プロのテクニック」が全般的にレベルダウンしているような印象があり、もしそうだとすると、それは地道な反復練習が疎かにされているからではないかと思わないでもない。テクノロジーのおかげで、反復練習が不要になった面もあるだろう。よく知らないが、それこそ音楽も、反復練習なしで作り上げられるものが増えているに違いない。テクノロジーが人間のテクニックを劣化させていくのだとしたら、なんだか寒々しい。
![]() 寒々しいといえば、いまさらながら韓流ドラマである。ゆうべテレビをザッピングしているときに、初めて目にした。ほんの3分間ほどだったが、アタマ痛くてそれ以上は見てらんなかった。どれも、あんな感じなのか。一瞬で学芸会レベルとわかる韓国人俳優の芝居はもちろん、日本人の声優も相当ひどい仕事ぶり。まず何よりも、俳優の口の動きと声優のセリフがズレまくっている。そもそも合わせようという気がないか、「練習」なしのぶっつけ本番でやっているとしか思えない。粗製濫造で、きめ細かい仕事をしている余裕がないということ? 三流アニメみたいなセリフ回しも、聞いていて恥ずかしい。俳優の芝居が芝居だから、そんなふうにしかやりようがないのかもしれないとも思ったが、まあ、とにかく凄まじい世界であるなぁ。あんなものが商売になっている(大勢の人が面白いと感じている)ということは、つまり、レベルダウンしているのは日本人全般だということですね。あんなドラマに夢中になっている大人に、ガキの学力低下を憂える資格があんのか? なんというか、「売れるなら内容なんかどうでもよろしい」というメディア(出版界も含めてですが)の後押しもあって、世の中がトンデモない「馬鹿スパイラル」に嵌り込んでいるように感じられて仕方がない。
![]() そんなことより、いまはピアノマンだよ。スウェーデン人という説もあったらしいので、我が家では当面「アンデションさん」と呼んでいます。そう呼んでみると、意外にアンデションな顔に見えるから不思議だ。 あれは真保裕一の『奇跡の人』だったか、記憶喪失のとても善良な男が、懸命の努力と周囲の支えによって記憶を取り戻した途端、自分が犯罪者だったことを悟って絶望の淵に叩き込まれるという悲しい小説があったのを思い出したりもするが、それより気になるのは、「ずぶ濡れのスーツ姿で海岸を彷徨」から始まる彼の行動がなんともケレンに満ちていることである。毛布にくるまった写真はやけにポーズが決まっているし、歩いている写真は大事そうに抱えている五線紙が妙にあざとい。弾いてみせたのが『白鳥の湖』とビートルズの『アクロス・ザ・ユニバース』だというのも、ウケ狙いの通俗性を感じる。喋れなくても字ぐらいは書けるだろうに、紙と鉛筆を渡されて絵しか描かないというのも、考えてみるとフザケた話だ。そうやってコミュニケーションを拒絶しておきながら、ピアノは喜々として(かどうか知らないが)長時間にわたって演奏してみせたというのだから、これは、ふつう、「人を馬鹿にしている」と思われても仕方がないのではないか。ほんとうに気の毒な人だったらアレですけども、芝居がかったアイテムが揃いすぎていて気持ち悪いよなぁ。 だいたい、彼が本当に「ピアノマン」なのかどうかもわらない。たしかにピアノの絵は異様にうまいが、一般的にはピアノの絵なんか描けないピアノマンのほうが圧倒的に多いわけだから、演奏を聴きもしないでメディアが「ピアノマン」呼ばわりし、ピアニストとしてのアイデンティティばかり強調するのはどうかと思う。それに、ほんとうに上手いのだとしても、得意なのがピアノだけだとは限らないだろう。試しにレスポールとか渡してみたら、あんがいギターヒーローかもしれないじゃないか。ギンギンに『移民の歌』とか弾き始めるかもしれないじゃないか。私も、記憶を失ったときにギタリストだと思ってもらえるぐらい弾けたらいいなぁ。
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聴いているのは、ロバート・プラントの新作アルバム。さほど期待していなかったせいもあるかもしれないが、プラントの東洋趣味とヘヴィなロック・サウンドが心地よく溶け合わさった、なかなかの快作だと思う。プラントの声は(音域はともかくとして)色気を失っていないし、ときおりジョン・ボーナムのようなスケールの大きさを感じさせるClive Deamerというドラマーがいい。……という具合に、どうしてもツェッペリン前提で聴かれてしまうのが辛いところだと思いますが。まあ、しょうがない。
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