深川峻太郎の江戸川春太郎日誌 05-06 season #16 |
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平成十八年二月二十八日(火) 午後八時三十五分 BGM : SONGLINES / THE DEREK TRUCKS BAND
![]() 単行本は六章中の三章まで、わしズムは五本中の三本まで終了。でも明日は三月。確定申告のことは考えないことにする。
![]() セガレは学校を1日休んだだけでインフルエンザから回復。愚妻も私も今のところ無事。子供から1週間遅れて発症する親もいるらしいから油断はできない。でも、この場合、何が「油断」なのかよくわからない。
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先週リリースされたばかりのデレック・トラックス・バンドの新譜はとてもとてもすばらしい。ひょっとしたら今世紀最初の10年(00年代っていうんですか)を代表する1枚として歴史に刻まれるのではないか。なんて言ってみたくなるぐらい「名盤のオーラ」を感じる。ジャコ・パストリアス『ワード・オブ・マウス』以来の強いオーラ(当社比)かも。「新譜」に手を出すこと自体が極端に少ないのでアテにならん話ですが。
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平成十八年二月二十五日(土) 午後一時四十五分 BGM : 火の玉ボーイ / 鈴木慶一とムーンライダース
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平成十八年二月二十四日(金) 午後二時五分 BGM : One Step Ahead / Vince Converse
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平成十八年二月二十一日(火) 午後十二時二十分 BGM : Crystal Planet / Joe Satriani
![]() と、ジョー・サトリアーニのメタリックだがどこか温もりのある美しいギターの音色に時折ウットリしつつ、昼は仕事場で単行本、夜は自宅で雑誌の原稿を書きまくる日々である。単行本のゴーストでは護憲派になりきって世界平和や個人の尊重などを語り、一方の雑誌原稿では「靖国」だの「英霊」だの「共同体が個人を育む」だのといった言葉が飛び交っているわけで、まあ、なんともダイナミックといえばダイナミックなのだが、書いていてもとくに矛盾や違和は感じない。どちらも、詰まるところ同じことを言っているような気さえしてくる。やはり、もはや今の日本には「右」と「左」の対立なんか存在しないのだろう。存在するのは、「本気で未来や他人のことを心配している人」と「目先の損得や自分のことしか本気で心配できない人」の対立だけなのかもしれない、と思ったり。すいません、よくわかりません。よくわからないが、どんな内容であれ、尊敬できる人々の発言に力を貸せるというのは幸せなこと。しかし、それにしても忙しい。
![]() 忙しいが、ゆうべはフィオレンティーナ×ラツィオ(セリエ第26節)を一家総出でビデオ観戦。BGMは、先日渋谷のサッカーショップで買ったラツィオの応援歌CDである。
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フェネルバフチェのCDとこれの2枚だけが寂しく売れ残っていたので、「おれが買わんで誰が買う」とブツブツ言いながら買ってきたのだ。セガレはすっかり気に入ったようで、「♪フォルツァ・ラツィオ〜」などと一緒に歌いながら踊っていた。明るい子供なのである。これが功を奏したのか、ベラーミ(ベーラミではないそうです)とロッキのいずれも根性の座ったビューティフルなゴールで1-2の勝利。終了と同時に家族3人で「いぇい」と言いながらハイタッチを交わせる試合はうれしい。「突撃ぃ〜!」「退却ぅ〜!」「突撃ぃ〜!」「退却ぅ〜!」がくり返される、すばらしく扇情的なゲームだった。いまのラツィオは世界一スリリングなチームかも。見ていて楽しいサッカーをやっている。サッカーは見ていて楽しいことが大事。次節もがんばれ。
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平成十八年二月十七日(金) 午後一時
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平成十八年二月十六日(木) 午後四時五分 BGM : Down And Out Blues / Sonny Boy Williamson
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きのうの午後、仕事場で単行本の原稿を額に汗して書いていたら、シギーから「いま四谷にいる?」という謎の携帯メールが届いた。「部屋にこもってアンタの会社の仕事しとるわい」という意味の返信をもっと丁寧な口調で書いて送ったのだが、そのまた返信によれば、どうやら四谷の街角で私によく似た人を見かけたらしい。「声かけなくてよかった」というぐらいだから、よほど似ていたのだろう。なんだか気持ちが悪いが、ひょっとしたら逃避パワーがレッドゾーンに達して「すぽん!」と幽体離脱してしまったのかもしれない、とも思う。だったら幽体のほうに原稿を書かせて、私が仕事場から離脱したかった。でも頑張る。
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平成十八年二月十五日(水) 午前十一時十分 BGM : Jukebox Sparrows / Shannon McNally
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平成十八年二月九日(木) 午後六時二十分 BGM : North American Ghost Music / Shannon McNally Live
![]() 7時20分起床。朝日新聞朝刊1面には、約10年ぶりに全面改訂される次期学習指導要領に関する記事。キーワードは、「ゆとり」から「言葉の力」になるんだとか。「生きる力」よりは具体的だとはいえ、よくもまあ、ここまで恥も外聞もなく世間の声に右往左往してコンセプトをころころ変えられるものだと感心しきり。原案を作成した文部科学省の担当者たちは、藤原センセーの本でも回し読みしていたんでしょうか。そういえば『祖国とは国語』(新潮文庫)の帯には、「ああ、この人に文部科学大臣になってもらいたい」という斎藤孝センセーのお言葉が書かれていたっけ。そんでもって、「言葉の力」を育てるためには「古典の音読・暗記」という話である。ベストセラーの尻を追いかける軽佻浮薄な自分たちの「言葉」にこそ「力」がないということに、どうして気づかないのかと思う。自虐的指導要領。ちょうど、「言葉の力」の足りない教育現場の体たらくについて次号の『わしズム』に書こうと準備を進めていたところなので、腕が鳴る。
![]() 8時20分、業務開始。書き出しは決まったものの先に進めず、ウンウン唸って難渋していた単行本の冒頭部分、いくら押してもビクともしなかった巨岩がゴロリと転がり出したかのように、ようやく動き出した。いつもながら、ちょっとホッとする瞬間である。こういう商売をしていると、ときどき人から「わたしは文章を書くのが苦手で」と相談ともボヤキともつかないことを言われることがあるが、そういう人って、岩が動き出すまで待てない(動くと信じることができない)だけなのかもしれないな、と思ったりする。
![]() 13時、髪をカットしに美容院へ。ヤマちゃんの奥さんのお姉さんのお店。12月に画期的な短髪にしたばかりだが、それ以上に短くなった。ヤマちゃんの奥さんのお姉さんは、ヤマちゃんやヤマちゃんの奥さんに、私の髪を「もっと短くしたほうがいい」と言われたらしい。どうやら私の髪型は私の自決権が及ばないものになったようだ。髪型は自分より他人が目にすることが多いからそれは別にいいのだが、私の髪型について私の知らないところで話し合われているのはこそばゆい。まあ、私は私でヤマちゃんの奥さんのお姉さんと「ヤマちゃんとは何者か」についてヤマちゃんのいないところで話し合っていたわけだが。容易に結論の出ない、難しい問題。カット終了後、東大教養学部の裏にある「山手ラーメン」で名物「ゆきラーメン」を食って仕事場に戻る。
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サッカージャーナリストの富樫洋一さんがカイロでお亡くなりになったことを知って茫然。『サッカーズ』でコラムを書かせてもらっていた頃、編集部で一度だけお目にかかったことがある。ご自身の事務所が吉祥寺にあり、私の仕事場近くにある中華料理店で昼食を取られることがよくあるとおっしゃっていた。「いずれ、ぜひ一度ご一緒に」と言っていたのだが……。「ジャンルカ・トト・富樫」と書かれたユニークな名刺は、私の名刺コレクションの中でも重要な位置を占めるものになっている。間接的にではありますが、連載中は編集作業を通して大変お世話になりました。ご冥福をお祈りいたします。
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平成十八年二月八日(水) 午後五時三十五分 BGM : Arborescence / Ozric Tentacles
![]() 夕食後、三人でラツィオ×ミラン(セリエ第23節)を観戦。解説は復活の原さん。W杯を実況席で見たいがために今後も4年おきにJの現場を離れるらしい……という噂があるかどうかは知らない。 ラツィオには新加入と思しき見知らぬ選手が数人。右サイドには、セーザルから10番を受け継いだボナンニという人がいた。どうも立ち居振る舞いがボンヤリした感じなので見ていて心配な選手である。しかもファーストネームが「マッシモ」だ。マッシモ・ボナンニ。これはもう、心配するなというほうがどうかしている。だが実のところ、マッシモ2号は1号のような眠たい選手ではない。事実、ペナルティエリアの右側で得たFKでは、見る者が思わず「ウソだろ!」と声を上げて目を覚ますような、凄いプレイを見せてくれた。このビッグチャンスにキッカーを任されたボナンニが短い助走から軽く左足を振り抜くとアラ不思議、ボールはたちまちゴールラインの外へぽてぽてと転がり出ていったのである。とんだズッコケ君を連れて来たものだ。そんなとこでクリアしてどうする。サッカーを見ていて、あれほど目が点になったことはない。ミスキックにも程がある。ある意味スケールの大きい選手なので将来が楽しみだ。右サイドで縦横無尽に爆笑コントを繰り広げる「マッシモーズ」からは今後も目が離せない。そんなことがありながらラツィオと互角に戦ってるミランってどうかと思うが、試合はスコアレスドロー。ピンチも多いがチャンスも多いスリリングなナイスゲームだった。妻子と一緒にラツィオの試合を七転八倒しながら楽しむのは至福の時間。ジェレミとマケレレさんを混ぜ合わせたようなルックスが好感度抜群のムディンガイという中盤の選手は、かなり使えると思った。
![]() 0時就寝、7時半起床、8時20分出勤。とても規則正しい生活。仕事場に隣接したビルで、ドガガガガガガガガ、ドガガガガガガガガという爆音を立てながら改装工事が始まった。うるさくて仕事にならない。そうでなくても、ここでは以前から井の頭通りの騒音に悩まされている。電話をかけた相手に「外から?」と言われることもあるぐらいだ。どんな部屋だそれは。おれの仕事場は電話ボックスか。何か安上がりな防音対策はないものだろうか。
![]() きのう終業間際にようやく書き出しの決まった原稿を少し進めたのち、『週刊ダイヤモンド』の新商品紹介記事600字を40分で片づける。地上デジタル放送のチューナーを内蔵した東芝のノートPC。2月下旬発売。そんなにテレビが見たいか。
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昼飯はコンビニの玉子サンドとハムサンド。うまくもまずくもない。つまり無難な食い物。もさもさ食い、オズリック・テンタクルズのCDを聴きながら、『貝の帆』を1週間分読む。使われなくなった灯台に住む女流写真家が幼少時に父親から性的虐待を受けていたという衝撃の事実が明かされた。ふうん。オズリック・テンタクルズは、英国のプログレ系インストゥルメンタル・バンド。通(もしくは半可通)のあいだでは「オズテン」と略されているようだ。ちょっと美味しそう。シンセがぴゅんぴゅん、ギターがぎゅいんぎゅいんと飛び交う絢爛豪華な曼陀羅ロック。どこか愛嬌を感じさせておもしろい。隣の工事に対抗するにはちょうどよいサウンド。
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平成十八年二月七日(火) 午後三時二十分 BGM : Milestones / Magna Carta
![]() 0時に就寝するまでに、前日から読み始めた『盗作』(飯田譲治・梓河人/講談社)を読了。上下巻にするほどの重量感はない。著者二人の役割分担がどうなっているのか知らないが、たぶん飯田がプロット、梓がテキストということなんだろう。物語を運ぶのに徹したノベライズみたいな文章なので、こちらもひたすらプロットだけを追う読み方になる。だからスラスラ読める。スラスラ読めるのがいいことなのかどうかは知らない。でも自分の文章が「スラスラ読める」と言われると悪い気はしない。読後に欲求不満が残ったが、それはきっと、勝手に「本格ミステリみたいな合理的解決」を期待していた私がいけないのだろうと思う。
![]() 今朝は7時半起床。朝刊に養老センセーのインタビュー記事。口述の『超バカの壁』と書き下ろしの『無思想の発見』は内容に重なりがあるが、前者のほうが売れ行きがいいらしい。単にブランドとパッケージの差だろうという気がするが、ご本人は「他人の脳を通したほうがわかりやすくなる」というような意味のことを語っていた。あらゆる分野の売れっ子著者がこの記事を読んでくれたらいいなぁ、と思うような発言。
![]() 雪なので電車で8時20分に仕事場へ。きょうは忘れずにエアコンとオイルヒーターのタイマーをセットしておいたので、とても暖かい。タイマーってすばらしい。発明者はノーベル賞をちゃんと貰っただろうか。『マンスリー・エム』の追加原稿1本600字を速攻で仕上げ、単行本の口述速記2時間分を読む。これで準備作業はおしまい。あとは書くだけ。
![]() 昼は、下積み時代の中村獅童がバイトしていたことで知られる『かぎや』でチャーシュー麺。すぐ近所なので昔からよく行っているが、中村獅童を見たことがあるのかどうかわからない。べつにどっちでもいい。あっさりした、品のあるラーメン。チャーシュー麺を罪悪感なしに注文できるようになったのが、減量してヨカッタと思うことのひとつ。
![]() 食後、今朝PIPER RECORDSから届いたマグナ・カルタの2枚組CDを聴きながら、『貝の帆』(丸山健二/新潮社)を少し読む。見開き2ページで1日分という日記形式の小説。スラスラ読めない。これを半分読むあいだに、ほかの本を5冊ぐらい読んでいる。そんな読み方。5日分だけ読んで仕事に戻る。はたして私はこの小説が好きなのだろうか、嫌いなのだろうか。それがよくわからない。
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仕事に戻ったものの第1章の書き出しが決まらず、半年ぶりの生みの苦しみ。15時前、「うう」とか「むう」とか呻きながらふらふらとニュースサイトに逃避して驚いた。秋篠宮妃紀子さまがご懐妊。わーお。無論、まだ性別はわからない。わからないが、「神の見えざる手」がマーケットとは別の場所でひらりと振られたのかもしれない。と、言いたくなるようなギリギリのタイミング。下世話な言い方をすると叱られそうだが、皇室全体の「声なき声」を集約した「怒りのご懐妊」という印象である。合理的にしか物事を考えられないロボット工学の専門家や、それを座長に据えて「有識者会議」とは名ばかりの無知集団に仕事をさせた首相は、この神秘的パワーに「畏れ」を抱いて震えるべし。
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平成十八年二月六日(月) 午後五時五分 BGM : Niebo / Anna Maria Jopek
![]() 8時20分、仕事場到着。前日エアコンのタイマーをセットし忘れたんで、ものすごく寒い。冷蔵庫は不要かもしれない。熱い紅茶を淹れたカップで両手を温めつつ、先週取材が終わった口述の速記を読む。単行本を丸ごと一冊書くのはほぼ半年ぶり。ちょっと緊張する。「いつもどうやってたんだっけ?」とやや戸惑ったものの、決まったやり方なんかなかったじゃん、ということをすぐに思い出して安心した。安心している場合なのだろうか。
![]() 4時間分の口述にアンダーラインを引きながら目を通し終わると、11時半。近所のコンビニでいい加減な昼飯を調達し、ATMで現金を引き出して、郵便局へ。3期分の固定資産税・都市計画税を支払う。督促状が届くまで税金を払おうとしないのは、とても悪い癖。せめて原稿は催促される前に送ろうと思う。
![]() 近頃やけに気に入っているポーランドの女性シンガー、アンナ・マリア・ヨペックのCDなど聴きながら、しばしグダグダ。念のため言っておくが、べつにジャケットが気に入ったわけではない。アコースティックなシブめのキラキラ系サウンドやダークで清楚な歌声に似合わないので、むしろやめたほうがいいと思う。なんだ「シブめのキラキラ系」って。アンナ・マリア・ヨペックはパット・メセニー全面協力のアルバムが有名だが、私はこっちのほうが好き。ちなみに左のジャケットは紙製ケースのもので、中のプラケースには平仮名で「てんごく」と書いてある。おー。天国かー。そうなのかー。アンナ・マリア・ヨペックは日本贔屓のポーランド人であるらしい。左の曲名、ポーランド語のサイトからコピペしたので文字化けしているが、面倒臭いのでそのまま。
![]() 13時から仕事再開。『マンスリー・エム』の新製品および新店舗情報記事600字×4本。例によって、カタカナ洪水の波間にときどき平仮名と漢字が顔を出す外資系企業のニュースリリースを読んでいると、発狂しそう。来月オープンするラルフローレン表参道店は「ボーザール美術にインスパイアされたインパクトのある外観」だというので、「ボーザール美術」について調べたのだが、よくわからなかった。なので、よくわからないまま原稿にする。よくわかってから書くほどの原稿料はもらっていない。こうして、知識増量のチャンスを自ら手放してきたような気もする。15時半ごろ仕上げて、編集部に送信。
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そうこうしているあいだに、わしズムも動き出した。編集部S氏から、対談取材に関する連絡。来週、名古屋まで行くことになりそう。また忙しくなるが、このところ妙にポジティブな精神状態なので、あまり苦にならない。イケイケって感じ。イケイケな私って、自分でもちょっと不気味だが。そんなふうな月曜日。
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平成十八年二月五日(日) 午後三時三十分 BGM : Geronimo / Shannon McNally
![]() 忙中閑ありで、きのうは久々にセガレのサッカーの練習を見物。以前とは見違えるほど積極的にボールにからみ、パスを出し、シメオネのような闘志で攻守に貢献していた。何より、プレイそのものを楽しんでいるように見えるのがよい。成長ぶりが眩しい、二年生の冬である。今朝は出勤前に将棋を二番。飛車と中央の歩の二枚を落とした私の二連勝。以前とは見違えるほどポカが少なくなった。私がだ。いろいろなことが好調。
![]() というようなどうでもいい私事をここに書いていられるのは、それを読むか否かが読み手の自由に任されているからである。こんなものがメールで手元に届いたら、ただ鬱陶しいだけであろう。だが、こんなものがメールで届く仕組みというものも世の中にはある。メーリングリストというやつだ。私はあれが苦手である。事務的な連絡にはたいへん有効なツールだと思うが、たいがい事務的な連絡だけでは済まず、むしろ「お喋り」のためのメディアになっている。ほんとうに親しい間柄ならそれも悪くないが、たとえば高校のOB会みたいな集団の場合、十歳も二十歳も下の「限りなく赤の他人に近い仲間」もいるわけだ。お互いに顔も知らない人間から「きのうこんなコンサートに行っちゃいました♪」的な「私信」が届くのは、決して愉快なことではない。知るかそんなこと、という話である。おまけに「わーっ、羨ましいですねぇ。わたしも行きたかったよ〜ん(涙)」などという輪をかけてどうでもいい返信まで届くのだからたまらない。「おれのパソコンの中で私語を交わすな私語を!」と声を荒げたくなるのである。仕事のリズムが狂うという点では電話セールスと大差ないから、本当にやめてほしい。
前にも似たようなことを書いた記憶があるが、あんまり邪魔くさいので脱退しようかとも思うものの、それはそれで角が立つし、必要な情報も届かなくなるのも困るから厄介だ。それに、こんな恥知らずな交信が当たり前のように行われているということは、世間の多数派はそういうコミュニケーションにストレスを感じていないということだろう。たぶん、そんなことにいちいちイライラする私のほうがどうかしているのだ。仲間や友達や知り合いといったものが多ければ多いほど人生というものは豊かになる、したがってコミュニケーション量が増えるのはその質がどんなに劣悪だろうと無条件に素晴らしいことだ……とは思わない私のほうがどうかしているのだ。仲間は年齢を重ねるごとに減っていくのが当然で、淘汰されて残っているからこそ、その仲間には得難い価値があるのだと信じている私のほうが、きっとどうかしているのだ。人が一生懸命に「親睦」ってやつを深めようとすればするほど、そこから距離を置きたくなる私のほうが、圧倒的にどうかしているのだ。
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