| #04 | TOP | BACKNUMBER | FUKAGAWA | B.I.P. | 旧GUEST BOOK | #06 |










1. Man Over
2. Tennessee Saturday Night
3. Dress Me Up, Dress Me Down
4. Mornin' Dove
5. Honey Honey Bee
6. Always The Same, Always The Best
7. Hold To God's Unchanging Hand
8. Mistakes
9. Candy Coated Valentine
10. Marie Laveaux
11. No Saint, No Prize
12. Solitude

平成十九年三月六日(火)午前十時四十五分
BGM : Robinella & The CC String Band

▽私は還暦まであと17年。この4月でフリーになって17年だから、ちょうど折り返したところ。長いような短いような。▽べつに折り返してはいない。スタートとゴールに関係がなさすぎ。▽そんなことより、早く原稿のほうを折り返せっちゅう話だ。▽ロビネラさんはソロアルバム(Solace for the Lonely)も良かったが、これも良い(こっちのほうがデビュー盤だけど)。ジャケットを見て期待したとおりの音が聞こえてくる、すばらしい作品。日本での知名度がどうなのか知らないが、ノラ・ジョーンズがこれほど売れているときに、もしロビネラが売れていないのだとしたら、その理由が全然わからない。もっとも、そんなルーツ系女性シンガーソングライターは他にいくらでもいるわけですが。▽べつにノラ・ジョーンズが悪いとはいってない。▽でも3枚のノラ・ジョーンズと1枚のロビネラのどちらかを選べと言われたら、私ならロビネラを選ぶ。▽いったい誰がそんな選択を迫るというのだ。▽愚妻の熱がなかなか下がらない。やっぱりインフルエンザだったのだろうか。▽だれも晩飯を作れない(愚妻には元気がないし私には時間がないしセガレには能力がない)ので、きのうは出前の寿司。家族が不調のときに食べる寿司って、あんまりうまくないな。まあ、何を食ったってうまくないわけだが。







1. Are You Alright ?
2. Mama You Sweet
3. Learning How to Live
4. Fancy Funeral
5. Unsuffer Me
6. Everything Has Changed
7. Come On
8. Where Is My Love ?
9. Rescue
10. What If
11. Wrap My Head Around That
12. Words
13. West

平成十九年三月五日(月)午前九時二十分
BGM : West / Lucinda Williams

▽土曜の晩から、こんどは愚妻が発熱でダウン。▽したがって日曜は原稿を持ち帰って家で過ごす。▽久しぶりに自分で洗濯物を畳んだ。▽どうやらインフルエンザではない模様。ここ2週間ほど膨大な量のテープ起こしを猛烈な速度でこなしてくれていたから、疲れが溜まっていたのかもしれない。▽夜、妻子が寝てから原稿を書いていたら、頭痛がしてきた。ちょっと悪寒もする。▽来たよ来たよ。▽ためしに体温計をわきにはさんでみたら、36度8分あった。悪夢の序曲。▽こりゃ絶対アカンわいと絶望しつつ、しかしいちおう悪あがきだけはしておこうと、ひと粒だけ残っていた市販の風邪薬をプラシーボ効果を期待して飲み、邪気退散! エロイムエッサイム! テクマクマヤコン! ラミパスラミパスルルルルル! などといろいろな呪文を唱えながら寝る。▽恐怖でなかなか寝つけなかった。▽けさ起きたら頭痛がない。▽体温は35度8分。▽奇跡が起きた……のか?▽聴いているのは、ルシンダ・ウィリアムス渾身の新作。傑作だとおもう。渋さ知りすぎ。







1. Up!
2. I'm Gonna Getcha Good!
3. She's Not Just A Pretty Face
4. Juanita
5. Forever And For Always
6. Ain't No Particular Way
7. It Only Hurts When I'm Breathing
8. Nah!
9. That Good!
10. C'est La Vie
11. I'm Jealous
12. Ka-Ching!
13. Thank You Baby !
14. Waiter! Bring Me Water !
15. What A Way To Wanna Be!
16. I Ain't Goin' Down
17. I'm Not In The Mood
18. In My Car
19. When You Kiss Me

平成十九年三月三日(土)午後五時四十五分
BGM : Up ! / Shania Twain

 先日の日誌に「セガレの学校で70〜80人がインフルエンザに罹って云々」と書いた(すでに削除した)が、あれは私の勘違い。じっさいは、「セガレを診てくれた医者のところに、この1週間で70〜80人ぐらいインフルエンザの子供が来ている」という話だった。なにゆえこのような誤解が生じたかというと、愚妻がそれを「先生」から聞いた話として私に伝えたからである。日本語はむずかしい。その前後に学級閉鎖の話などもしていたので「先生」は教員のことだと思ってしまったわけだった。だいたい、私には医者のことを先生と呼ぶ習慣がない。兄が医者だからだろうか。関係ないがセガレの担任は「小林先生」なので、ときどき愚妻との話が混乱する。一瞬、わしズムの話をしているのかと思ってしまうのだった。ともあれ、セガレはタミフルの威力ですっかり回復。きょうも元気いっぱいの様子でピアノに向かい、ぶんちゃっちゃぶんちゃっちゃとスケーターズワルツの練習をしていた。

 木曜と金曜はひたすら月刊PLAYBOY銀座特集の原稿書き。インタビュー記事5本と対談記事1本、計10ページ(いや12ページだったかな)、400字詰め原稿用紙換算およそ35枚。2日ありゃ楽勝だろうとヨユーをかまし、水曜までは月プレを脇に置いて先に幻冬舎の仕事を進めていたのだったが、いざやってみたらキツかった。あきれはてるほど頭が回らず、脈絡がつながってくれない。おそるべき遅筆ぶり。編集部が徹夜態勢で待っているのは承知していたので、猛烈に焦った。昔はこんなことなかったのになぁ。つくづく老いを感じる。失われたのは思考力だろうか、集中力だろうか、それともその両方だろうか。あと、気力と体力だよな。鈍感力はあんまり関係なさそうだ。金曜の夕方には終わるだろうと思っていたのだが、結局、すべて書き上げたのは日付かわって土曜日の午前4時。送稿から間もなく、編集部Tさんから「お疲れさまでした〜」との電話をもらう。待たせて申し訳なかったが、そういう時間帯に労いの声をかけてもらうと妙な共闘意識が芽生えて感激する。みんなで団結してがんばるのだ! ともあれ、やっと山をひとつ越えた。エベレストに挑む前に高尾山を越えたぐらいの話ではあるけれど、なんであれ越えたことに意味がある。







1. Mihalis
2. There's No Way Out Of Here
3. Cry From The Street
4. So Far Away
5. Short And Sweet
6. Raise My Rent
7. No Way
8. It's Deafinitely
9. I Can't Breathe Anymore

平成十九年三月一日(木)午前十一時五十分
BGM : David Gilmour / David Gilmour

▽セガレがインフルエンザ。▽キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━!!!!▽タミフルを飲んで寝ているセガレを愚妻が監視しているという、実に今日的な状況。▽きのう帰宅したときは、簡単に飛び出せないよう、ドアの内側からチェーンがかかっていて入れなかった。▽子育てって、ときどきスリリングだ。▽ようやく昨日の午前中でデータ整理に踏ん切りがつき、幻冬舎の本を書き始める。▽よっこらしょ。▽書籍原稿を書くのは久しぶり。ブエノスアイレスへの出発前夜(厳密には当日の朝)に大和書房の仕事を片づけて以来だから、3ヶ月ぶりか。▽なのに今から立て続けに2冊。スケジュールに濃淡ありすぎ。▽次の本の担当者Sさん(祥伝社)から別件で電話が来たので、「いやはや何とも、まあ、えらいことになっとりますわ」と正直に窮状を訴える。▽「4月初旬」だった締め切りを「4月中旬」にしてもらった。▽「中旬」の解釈は言わぬが花。▽あ。そういや集英社文庫のIさんが、4月下旬までに何かしろって言ってたような気がする。▽……。▽4月はブラインドサッカーの代表選考会や強化合宿もあるのだった。▽つまりGWまで休日は一切ないということですか。▽売れっ子は辛いぜベイベ。▽冗談である。▽仕事量増加に伴って単価が上がる人のことを売れっ子という。▽仕事量だけが売り物ですという人たち(したがって代わりはいくらでもいる人たち)のことは何と呼ぶんですか柳沢大臣。▽夜、小学館S君から電話。わしズムで私のコラムを担当してくれていたN嬢が産休中なので、次号は選手交替とのこと。無事に女児をご出産なさったそうで、めでたしめでたし。▽S君から、前号のコラムが読者にとても好評だと聞き、にまにまする。▽にまにま。▽そんなS君との幸福感にあふれる電話を終えるやいなや、同編集部Tさんから電話。Tさんって、いつも電話の声に切迫感が漂っている。かねてより3つ頼まれていた対談記事が、さらにひとつ増えるとのこと。▽にまにましているばやいではない。▽無論、インフルエンザに感染しているばやいでもない。▽そのばやいは、とてもやばい。







1.Estadium Nacional
2.Waterfront Weirdos
3.Songsmith
4.Virtual Reality
5.No Time For Words
6.Storms And Mutiny
7.Under The Wire

平成十九年二月二十八日(水)午前九時四十五分
BGM : Impending Ascension / Magellan

▽もう、呑気に画集を繰っているばやいではない。▽「差し迫った昇天」と題されたこのマジェランというバンドのCDを、いつどうやって入手したのか、記憶があやふや。なにしろマジェランのことを何ひとつ知らない。▽調べてみたところ、ジャンル的には「アメリカンプログレハードメタル」といったようなことらしい。人はいろんなことをいう。「酒池肉林阿鼻叫喚」のルビみたいだ。▽あるいは「大三元字一色四暗刻単騎」か。▽要するに、にぎやか。▽聴いてみたところ、「やかましいイエス」といったおもむき。▽悪くない。▽きのうは日中を単行本のデータ整理に費やしたのち、夕方5時から銀座8丁目の高級クラブでチーママのインタビュー。▽思い出に残るレベルのたいへんな美人。▽しかもフレンドリー。▽その取材テープを、いま、愚妻が起こしてくれている。▽いつもより楽しそう&積極的に喋っている夫のことを何と思うか、いささか不安。▽差し迫った締め切りは、もっと不安。▽仕事だ仕事。







1. 白と黒
2. イントロダクション〜ラ・クンパルシータ
3. ドン・フアン
4. 11時55分
5. 場末のメロディー
6. わが両親の家
7. ブエノスアイレスのヒロコ
8. 青春の夢
9. グリセル
10. ロカ・ボエミア
11. 帰郷
12. マルガよ、永遠に
13. ロマンティックでセンティメンタルな僕
14. アディオス・ノニーノ

平成十九年二月二十七日(火)午前九時五十五分
BGM : Gran Encuentro / Osvaldo Requena (p) + Fernando Suarez Paz (vn)

 アルゼンチンタンゴ界のベテランによる初のデュオアルバム、であるらしい。聴いていると、ときおりゾクゾクぅ〜っと脳天から爪先まで快感が突き抜けていく。タイトル(すばらしい体験)に偽りなし。

 きのうは現代世界美術全集の第5巻「ロダン/ブールデル」をぱらぱらと一望。ロダンは、一見ゴールを決めた人のようにも見える「放蕩息子」がおもしろい。どうしたって、題名をダブルミーニングで読んでしまう。なぜ全裸なのだ。これも含めて、彫刻作品を眺めていると、えーと、その、なんと申しましょうか、いわゆるひとつの「局部」を彫っているときの彫刻家はどんな表情をしているのだろうかという、およそどうでもいいことが気になったりする。ニタニタするのもヘンだけど、あんまり真剣な目をするのもヘン。

 執筆する本の資料を整理し、構成を考える。実はここが、全作業中もっとも集中力を要求されるところかもしれない。でも、もっとも集中しにくいところだったりもするから難儀だ。夕刻、またネクタイをして銀座へ。月プレが来月号で銀座特集を組むので、銀座ばかり行っている。おかげで、ようやく銀座の「通り」がどういう仕組みになっているのかわかってきた。みゆき通りはタテ(南北)で並木通りはヨコ(東西)とか、そんなレベルの話。東京で40年も暮らしていることが、自分でも信じられない。バカなのかもしれない。電通通り(これはヨコ)の高級クラブでママにインタビュー。わが子ではない人に「パパ」と呼ばれる男はわりかしバカっぽいが、わが子ではない人に「ママ」と呼ばれる女は偉大な感じがするのが不思議。取材後、編集部K君とマグロを食ってから10時半に帰宅。







1. Los Jovenes De Ayer
2. Cuanto Tiemop Mas Llevara
3. Cancion De Alicia En El Pais
4. Luna De Marzo
5. Mientras Miro Las Nuevas Olas
6. Desarma Y Sangra
7. Tema De Nayla
8. Encuentro Con El Diablo






スポルティーバ4月号

平成十九年二月二十六日(月)午前十時五十分
BGM : Bicicleta / Seru Giran

◇金曜日
・現代世界美術全集の第4巻「ルノワール」を眺める。ルノワールは女ばっかり描いている。私が「いいな」と思うような女はひとりもいない。
・仕事をする。捗ったかどうかは内緒。
・一家でシルク・ド・ソレイユの『ドラリオン』を鑑賞。すばらしく楽しいステージ。

◇土曜日
・笛でフィガロの結婚序曲とトルコ行進曲をさらう。
・ブラインドサッカーの記事を掲載してもらった月刊「スポルティーバ」(集英社)が発売された。表紙は野茂英雄。
・東京カナデルの練習に行く。仕事は滞るが担当編集者もいっしょなので少しも心苦しくない。少しも心苦しくない。少しも心苦しくない。
・四谷でとても辛い火鍋を食う。東京カナデルは辛いものばかり食うのだ。

◇日曜日
・おうちで仕事の資料を読む。
・資料を読む。
・資料を読む。
ポルト×チェルシー(CL)を見る。頭の骨を折ったはずのGKチェフが出場していたので驚いた。ヘッドギアの形状がちょっとイヤ。ドログバのヘアスタイルが「迷路みたい」(セガレ)になっていたので笑う。1-1の引き分け。
・資料を読む。







1. Seru Giran
2. Voy a Mil
3. Cosmigonon
4. Separata
5. Seminare
6. Autos, Jets, Aviones, Barcos
7. Eiti Leda
8. Mendigo en el Anden

平成十九年二月二十三日(金)午後十二時三十五分
BGM : Seru Giran / Seru Giran

 まったく今日的な意義ってやつが見当たらない日課だが、勢いがついてしまったのでしょうがない。昨日は第3巻「セザンヌ」である。何のことだかわからない人は21日の日誌から順番に読みなさい。ポール・セザンヌは、1839年に南仏プロヴァンスで生まれた。世の中の画家はたいがいフランス人だということかもしれないし、そうではないかもしれない。翌1840年にセザンヌは1歳になっている。当たり前だ。なんでそんな当たり前のことが年表にわざわざ書かれているのか、さっぱり理解できない。1840年の「セザンヌ」欄は、<1歳>とだけ書いてあるのだ。「美術」欄にはロダンとモネが生まれたこと、「一般」欄には阿片戦争が始まったことなどが書いてあるので、それを示しておきたかったのかもしれない。おれはとっくに知ってるけどね。1883年にマルクスとワグナーと神が死んだことだって知ってる。ともかく、まあ、年表作成者の心理はいろいろ複雑だってことだ。

 1840年に1歳になったセザンヌは、1906年10月に戸外での制作中に嵐に打たれて人事不省に陥り、一時回復に向かったものの一週間後に67歳で死んだ。「雷」ではなく「嵐」に打たれるというのがちょっとよくわからない気もするが、壮絶な死である。ちなみに「人事不省」は「じんじふしょう」ではなく「じんじふせい」と読む。さっきATOKに叱られて初めて知った。意味は「人事の失敗を反省しない経営者」のことではなく、「意識不明」のことです。だったら「意識不明」と書けばよさそうなものだが、なにしろ私が見ている『現代世界美術全集』(集英社)は1971年が初版だ。当時は「人事不省」のほうが「意識不明」より一般的だったのだろう。知らないけど。あるいは、使った資料が「意識不明」になっていたので、盗用がバレないよう言い換えたのかもしれない。ちょっぴり今日的な話題にしてみました。

 セザンヌの絵を見て誰もが抱く疑問は、「この人はほんとうに絵が上手なのか?」である。そんなことない? おれだけ? たとえば、この「ショッケの肖像」(1879〜82年、カンヴァス、油彩、46×38p、オハイオ コロンバス・アート・ギャラリー蔵)という作品はどうだ。左脚がおかしくないかそれ。頭と肩幅の比率など、全体のバランスもなんだか失敗してる感じ。「扇子を持つ婦人、セザンヌ夫人」(1879〜82年、カンヴァス、油彩、81×65p、チューリッヒ ビュルレ・コレクション)も微妙だ。どうして言い直しているのかが不明な題名も気になる(どんな編集者だって「扇子を持つセザンヌ夫人」と直したくなるだろう)が、それはともかく、夫にこれ描いてもらったとき、嬉しかっただろうかセザンヌ夫人は。もしかしたらセザンヌはソファが描きたかったのであって、奥さんの顔はどうでもよかったんじゃないかとさえ思える。この絵の中で一番きれいなのは、夫人の顔でもなければ、彼女の着ている洋服や持っている扇子でもない。座っているソファの色だ。

 でも、セザンヌはおもしろいよ。どの絵にも愛嬌がある。画集をめくっていて、いきなり「セザンヌの肖像」(1879〜82年、カンヴァス、油彩、64.8×50.8p、ベルン美術館蔵)が出てきたときは、なぜかゲラゲラ笑ってしまった。リンク先の写真では表情のニュアンスがうまく伝わらないのが残念だが、この場合、こちらとしては「なんだよ、おい、そんな目でおれを見るなよ」と、うろたえてみせるのが、正しい反応だと思う。なんでそんなに機嫌が悪いのだ。イヤなら描かなきゃいいじゃないか自分の顔なんて。で、さらにページをめくると、次に「画家の息子ポールの肖像」(1885年、カンヴァス、油彩、65×54p、ワシントン ナショナル・ギャラリー蔵)が出てくるのだから笑いが止まらない。妻、本人、息子の3枚を並べてみると、セザンヌ家のことが心配になってくる。みんな口元が不満そうだ。

 ひとしきり笑ったあと、原稿を2本。山崎・白州の蒸留所でつくられる100万樽の中から厳選されたモルト原酒を樽ごと販売するサントリーの「オーナーズカスク」と、ヨネックスのSLEルール適合ドライバー「サイバースター ナノブイ」シリーズの第2弾「ニューナノブイ」の紹介記事。この場合、ドライバーはネジ回しではなく、ゴルフの道具だ。男性アベレージゴルファーのヘッドスピード(ボールの手前10pのところで計測する速度)は女子プロゴルファーとほぼ同じだが、女子プロはインパクトの瞬間までヘッドが加速を続けるので男性アベレージゴルファーよりも飛距離が出る、ということを知る。ふうん。およそどうでもいい知識である。かつて、インパクトの瞬間ヘッドは回転したものだが、最近はどうなのだろうか。

 夕刻、PIPER RECORDSに注文していたSeru GiranのCDが宅配便で3枚届く。スペイン語の翻訳サイトに「Seru Giran」と入れたら、「Seruは回転します」という意味だそうだ。ヘッドはともかくSeruは回転するのです。Seruの意味は不明だが、Seru Giranはチャーリー・ガルシアが在籍していたアルゼンチンのプログレバンドである。いま聴いているのは、そのファーストアルバム。全体的に音が薄く、とびきり演奏能力が高いというわけでもなく、とくに何がどうということもないのだが、メロディがきれいなので気に入っている。愛嬌もある。仕事を終えて6時に帰宅すると、版元に注文していた『盲人の歴史』(谷合侑/明石書店)が届いていた。聴くもの読むものが、どんどん増える。書くものは、書いても書いても減らない。

 夕食後、一家そろってレアル・マドリー×バイエルン・ミュンヘン(CL)をビデオ観戦。私はサッカーにあまり明るくないのでよく知らないのだが、このところマドリーはあまり調子がよくないらしく、セガレは愚痴ばかりこぼしていた。ラウールの先制ゴールが決まっても、画面のカペッロを見て「もっと嬉しそうにしろよ」と文句を言っていたぐらいだから、相当なものだ。前半は3-1。後半は前夜の深酒が効いていたのか人事不省に陥ってしまったので見ていないが、3-2でマドリーが勝った模様。しかし今朝、新聞で「レアル先勝」の見出しを見たセガレは、「そんなに喜ぶような試合じゃないだろ」と吐き捨てていたらしい。サッカーファンって大変だ。







1. And the Mouse Police Never Sleeps
2. Acres Wild
3. No Lullaby
4. Moths
5. Journeyman
6. Rover
7. One Brown Mouse
8. Heavy Horses
9. Weathercock

平成十九年二月二十二日(木)午後一時
BGM : Heavy Horses / Jethro Tull

 一昨日のモネに続いて、昨日は第1巻「マネ」を眺める。スーケルとシュケルは同一人物だが、モネとマネは別人なのだ! エドゥアール・マネは1832年にパリで生まれた。この年、ヨーロッパ各地でコレラが蔓延して大変だったらしい。年表には「大変だった」とは書いてないが、大変だったと思う。あと、ポーランドはロシア帝国の一部と宣言された。誰が宣言したのかは書いていない。で、いろいろとあった末に、1882年にリューマチで歩行困難になってしまったマネは翌年4月に寝たきりとなり、エソとなっていた左足を切断、4月30日に51歳で死んだ。だったら切断しなくてもよかったんじゃないかとも思うが、詳しい事情はわかりません。切断したから死んだのかな。まあいいや。よくないです。奇しくも、同じ年にマルクスとワグナーが死んでいる。すごいな1883年。さらにニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』もこの年に発表されているので、ネ申もマルクスやワグナーといっしょに死んだんだと思う。いっしょには死んでないか。

 マネの絵はとても好きだ。モネは見ているとざわざわしてくるが、マネはほくほくしてくる。ところで、マネに「ハムのある静物」(1880年、カンヴァス、油彩、32×42p、グラスゴー美術館蔵)という意味のよくわからない作品があるのだが、この邦題は日本語としておかしくないですか。絵は「邦題」って言わないのかもしれないが、とにかくハムも静物なんだから「ハムという静物」もしくは「ハムのあるテーブル」だと思う。というか、原題は「JAMBON」なんだから「ハム」でいいじゃねえか。「静物」とか気取ってんじゃねぇよ。俺も、そんなことでいちいち怒ってんじゃねぇよ。それにしても、このハムをそんなに描きたいと思う画家の情熱は謎だ。そして、この絵をパソコンの壁紙にする人も気持ちも。

 などと言いながら、きのうも着替えのため4時にいったん帰宅。セガレが「最近よく着替えに来るね」というので、「<来る>じゃなくて<帰ってくる>とか<戻ってくる>とか言いなさい」とたしなめる。誰の家だと思っているのだ。夕方、スーツ姿で家を出るのは、ちょっとホストか何かになったような気分。6時から銀座7丁目の文壇バーで対談の取材。早く着いてしまったので福家書店に立ち寄り、『下流志向』(内田樹/講談社)、『つっこみ力』(パオロ・マッツァリーノ/ちくま新書)、『カラヤンとフルトヴェングラー』(中川右介/幻冬舎新書)などの売れ筋をいくつか仕入れる。いつ読むつもりだおまえは。対談終了後、そのまま2人の作家および4人の編集者(および何人もの女の子)と深夜まで酒宴。銀座で飲む作家の情熱も、わりかし謎である。道を知らないくせに、迷って行き止まりに突き当たってバックするまでそれを白状しないタクシーの運転手に「あのな」と説教しながら、3時に帰宅。最近のタクシーは、寝たらアウトだ。







1. I Burn For You
2. Don't Speak
3. Insatiable
4. Cherry Tree
5. Secret
6. The Wind
7. Moon Dance
8. A Thousand Years
9. Until you sleep
10. Only Water
11. All The Virtues

平成十九年二月二十一日(水)午前十時五十分
BGM : Secret / Anna Maria Jopek

 本日も淡々と前日の行動の記録。

 出勤後、コーヒー用の湯を沸かしながら、きまぐれに書棚の画集に手を伸ばす。愚妻の嫁入り道具であるところの『現代世界美術全集』(集英社)第2巻「モネ」である。モネ。クロード・オスカール・モネ。たぶんそうだろうと思っていたが、あんのじょう、フランス人だ。年表によれば、生まれたのは1840年。同じ年に、ロダンとルドンが生まれている。ロダンとルドン。冗談みたいな組み合わせだ。ちなみにジダンやラドンは生まれていない。ラドンは怪獣です。この年には、阿片戦争も始まった。ロダーン! ルドーン! アヘーン! 何を盛り上がっているのか自分でもよくわからない。モネは82歳で両眼とも白内障にかかり、翌年に片方だけ手術していくらか視力を取り戻したものの、やがて完全に失明してしまい、その数日後に86歳で死んだ。1926年、カフカの『城』が出版された年だ。カフカは1924年に死に、『審判』が1925年に出版されている。その翌年に、『城』。どういうわけか、年表の終盤は「一般」の欄にカフカのことばかり書いてある。誰も読んでないと思って、自分の勝手な思い入れで書いてないか年表作成者。しかし、そう考えると、「年表をつくる」にも人となりが滲み出てしまうということなのだな。同世代の人間が、自分史年表の「一般」欄に何を書くか、ちょっと興味深い。私の場合、生まれた年はどうしたって「東京オリンピック開催」になってしまうのがつまらない。年表のことばかり書いているが、もちろん絵も見た。モネの絵が好きかどうかというと、あんまり好きじゃないです。眺めていると、ざわざわしてくる。とくに「旗で飾られたモントルギューユ街」(1878年、カンヴァス、油彩、62×33p、ルーアン美術館蔵)という絵がダメだ。15秒と見ていられない。ざわざわ。

 思いがけず画集のことをたくさん書いてしまった。ぜんぜん淡々と記録していない。画集を閉じ、コーヒーを飲んで、日誌を書き、これから書く本の資料を読む。サンマーク出版Sさんから電話。先週仕上げた原稿にOKをもらい、遅れてすみませんでしたと謝る。知らない会社の知らない女から電話。マンションを紹介するというので、要りませんと断る。まだ何か喋っているので、いま俺の言ったことが聞こえなかったのかと問うと、すみません失礼しますと言って電話を切った。質問の答えになっていない。スポルティーバのNさんから振込先を教えてくれとのメール。持ち込んだ企画で原稿料をもらえるのって、なんだか不思議な気がする。返事を書き、ついでに取材相手への掲載誌送本も依頼。目が見えないので読めないが、「友達に読んでもらう」と言っていた。音読するとどんな感じになるのか、例によって気になる。

 午後4時にいったん帰宅し、夜の取材に備えてスーツに着替える。リコーダーの発表会用に買ったので着ないともったいないし、ある編集者に「ライターだってネクタイしたほうがいいよ」と忠告されたので、なるべく着ることにしたのだ。私自身、たとえばジャケットにタートルネックみたいな「いかにもフリーライター」的な出で立ちにいささか飽きていたような気もする。私も新鮮だがセガレも新鮮だったようで、このあいだは「父さん、なんで紳士服なんか着てるの!?」と驚かれた。子供っておかしい。

 5時半に渋谷エクセルホテル東急5階のラウンジへ。集英社文庫Iさんと打ち合わせ。7年前にゴーストした本を文庫化するにあたって、加筆修正作業を依頼されたのだ。このところ、そういう仕事が続いている。サンマークのほうは10年前の本で、読み返したときは「マルチメディア」「インタラクティブ」といった言葉に「古っ!」と唸ったものだ。7年前のほうは、ぱらぱらと眺めたら「EQ」という字面が見えて笑った。流行ったよな、EQ。記憶力の悪い私が「ダニエル・ゴールドマン」という名前をたちどころに思い出すのだから、それだけ頻繁にいろいろな著者が取り上げていたということだろう。

 7時から同じホテルで口述取材の予定だったのだが、著者が遅れて7時半になるとのメールが届いたのでぽっかりと時間が空き、ついフラフラと、絶対に手ぶらで出てこられないことを知りながらタワーレコードへ。廉価盤の王者ブリリアント・クラシックスの箱モノを2セット買う。ヘンデル集とバルトーク集。各5枚組、計4000円弱。つまり1枚400円弱。何かが堕落しているような気がしてならない価格。

 結局、口述取材がスタートしたのは8時すぎ。11時半まで3時間半、疲れを知らない著者の話に耳を傾ける。疲れを知っている人は著者になれないというのが、ゴーストライターを17年やってきた私の感想。とりあえずこの本の口述作業はこれでおしまい。テープを愚妻に起こしてもらい、それから2週間ぐらいで原稿をまとめなければいけない。で、それをまとめ終えた頃に、わしズムの対談ラッシュが始まる。さらに新書がもう1冊。そちらは4月上旬が〆切。いつ確定申告をしろというのか。

 淡々と、ではなく、長々と、になってしまった。







1. Dedication
2. Kickback
3. Overground
4. My Somebody's Comming
5. Caugth in a Momnet
6. Superball
7. Bring It On
8. Dedication to You
9. You and I
10. Morning Song
11. Turquoise Warrior Spirits

平成十九年二月二十日(火)午前十時五十分
BGM : The Sometimes Almost Never Was / Stevie Salas

 きのうの月曜日は、日誌を書いたあと吉祥寺の銀行へ。某出版社に数十万円を振り込む。出版社からお金を振り込まれるようになって20年になるが、私から出版社に振り込むのは初めてのこと。ある本の初版印税を資金繰りの都合で予定より1ヶ月早く支払ってもらったのだが、経理のミスで翌月にも同額が振り込まれたのだ。つまり二重払い。私のほうが気づいて返金を申し出た。ものすごく立派な正直じいさんだ。なかなかできることではない。実際、なかなか電話できなかった。知らんぷりして黙ってたら、一体どうなったんだろうか。嗚呼。

 すがすがしさとモヤモヤした気分を半々に抱えながら銀行を出て、パルコの本屋へ。 『神聖喜劇』第6巻(大西巨人・のぞゑのぶひさ・岩田和博/幻冬舎)を買う。長編劇画の完結編。なんとも、まあ、たいへんな企画ではある。こういうのを労作というのであろうなぁ。原作の小説は読んでないから、その劇画化がどれだけたいへんなことなのか私にはよくわからないけれど、想像するに、きっと『姑獲鳥の夏』の映画化より何倍もたいへんであるに違いない。そして、映画『姑獲鳥の夏』より何倍も作り手の誠実さを感じる作品だった。その比較に何の意味があるのかわからないが、みなさんお疲れさまでした。いや、笛仲間たちが制作に関わっているもので。

 仕事場に戻って、これから執筆する本の資料読み……をとりあえず後回しにして、買ったばかりの『神聖喜劇』を読む。どっちにしろ幻冬舎のために時間を使うんだからよかろう、というのは、単なる屁理屈。模擬死刑という上官の理不尽な虐待から同僚を救うべく東堂と冬木が立ち上がる場面にグッときて、やっぱり私もせめて正直に暮らそう、と思った。なんであれ、間違いを知らんぷりして黙っているのは最低のこと。子供みたいな感想で恥ずかしい。

 夜、本を読むのに疲れて、久しぶりに10時からテレビのニュース番組を見た。相変わらず、あのキャスターのシマリのない発言にはイライラさせられる。そんな子供みたいな感想を口にしていて恥ずかしくないのか! 子供みたいな感想は、もっと恥ずかしそうに言いなさい! あと、例によって、隣にいる朝日新聞の人と話が噛み合っていない。朝日新聞の人はいつも遠い目をしていて、人の話を聞いていないように見える。キャスターも、まるで壁に向かって喋っているかのようだ。ああいう人たちの対談記事は、構成を担当したくない。『神聖喜劇』でも読んで、厳密な対話というものの難しさを学んでみたらどうかと思う。







1. 愛のロケット
2. アイ・クッド・ビー・フリー
3. 君は君のもの
4. 雨音を聴きながら
5. ロマンス
6. ラヴ
7. サークル・オブ・フレンズ
8. アー・ユー・ハッピー?
9. パレード
10. ヴァカンス
11. ネイヴィー・ブルー
12. 燃える太陽を抱いて
13. ラクに行こう

平成十九年二月十九日(月)午前十一時二十五分
BGM : I Could Be Free / 原田知世

 土曜日は完全休養。午前中、愚妻は茶話会(なんだか知らないがたまにそういう母親たちの集会があるのだ)とやらで学校に行ったので、セガレと2人で朝めしを食いに駅前のドトールへ。セガレは「ここのオレンジジュースはうすい」とブツブツ言っていた。家に戻って久しぶりに将棋。以前ちょっとだけ覚えたはずの戦法を親子ともにすっかり忘れていたが、でたらめに指しても将棋はおもしろい。午後、セガレはサッカーボールを持って近所の公園へ。愚妻と私は茶の間でマーラーの交響曲を聴いているうちに、そろって熟睡。ごめんねマーラー。3時半頃にセガレが帰宅し、晩めしの食材を買いに3人で出かける。セガレが「あっ! そういえば昼ごはん食べてないぞ!」と抗議するので、駅前のルパへ。ドトールと比較しても圧倒的にまずいパン屋だが、1日に2度もドトールに行くわけにもいかない。久我山って、ほんとうにろくな食い物屋がない。晩めしは鍋。日本人に生まれた幸福を噛みしめる。セガレも私も食い過ぎた。お互いの腹を撫でて「すげー」と言い合う。すげー。ところで、いままで世間の常識にしたがってよく考えずに入れていたが、このたび愚妻とのあいだで「鍋に豆腐は必要ないかもしれない」との見解で一致。鍋の豆腐って、ほかの食材と食感が合わないような気がする。夜、セガレが寝てから、WOWOWで録画してあった映画『大停電の夜』を鑑賞。原田知世が出ていた。

 きのうの日曜日は、午前中にセガレと将棋を指して遊び、午後から仕事場へ。愚妻にクルマを運転してもらい、自宅のレイアウト変更で不要になった小さな本箱とカセットデッキとチューナーを運び入れる。家で不要になったモノは、仕事場に追い出されることが多い。私自身がそれにならないよう気をつけなければいけない。運び入れたモノたちをセッティングしたついでに、久しぶりに仕事場を掃除。掃除はきもちがいい。愚妻にテープを起こしてもらった口述速記をプリントアウトし、読み始める。「書く」は「読む」から始まるのだ。そして読者の「読む」は私の「書く」から始まるのだ。どうしてこの口述のプリントアウトをそのまま出版してはいけないのだ。と、いつも思う。5時半に帰宅。晩めしはキンキの煮付け。愚妻のつくる煮付けは究極の薄味だが、とても美味しい。夜、セガレが寝てから、WOWOWで録画してあった映画『姑獲鳥の夏』を鑑賞。原田知世が出ていた。映画は驚くべきつまらなさ。褒めるところが1秒も見つからない。どうやら『魍魎の匣』も映画化されるようだが、絶対に見ないぞ、と心に誓う。





1. Speak to Me/Breathe
2. On the Run
3. Time
4. Great Gig in the Sky
5. Money
6. Us and Them
7. Any Colour You Like
8. Brain Damage
9. Eclipse

平成十九年二月十六日(金)午後六時二十五分
BGM : Dark Side Of The Moon / Pink Floyd

 いや、まあ、なんか、原稿を仕上げてひと息ついたら、どういうわけだか無性に聴きたくなったもんでよ。

 というわけで、ようやく手が動くようになり、昨日が〆切だった原稿を10分前にやっつけたところ。たぶん、帳尻は合っている。心地よい脱力感。

 セガレの小学校では、きょう、恒例のマラソン大会が行われた。2年前、1年生の男子約40名中の最下位になったときは遺伝子を半分供給した人間として心の中で号泣したものだが、「毎年ちょっとずつ順位を上げていこうよ」と励ました結果なのかどうか、去年は後ろから3番目。今年は例年になく自信があったようで、自ら「20位以内」を目標に掲げ、達成したらポケモンカードを買ってもらうとの約束を母親としていたが、それはやっぱ無謀でしたね。愚妻がメールで報告してきたところによると、「30番目ぐらい」だったとのこと。目標には及ばず本人は落ち込んでいるらしいが、後ろに10人もいるのはすごい。わが子ながら尊敬してしまう。悔しさをバネにしてがんばるのは、えらいなぁ。おれ、そんなことしたことあるかなぁ。

 ……げ。一度も無いような気がしてきた。人より劣るものがあったとき、私はいつもそこから逃げてきたのではなかったか。そもそも人に負けたときに「悔しい」と感じる気持ちさえ希薄なような気さえする。リトルリーグの試合で押し出しの四球を与えてサヨナラ負けしたとき、私は悔しかっただろうか? 悔しくなかったような気がする。なんか、マウンドの上で「あー」とか言いながらボーっとしてたような記憶しかない。中学時代、最後の大会で初戦敗退し、一度も試合に勝つことがないままハンドボール部を引退したとき、私は悔しかっただろうか? 「もう明日から練習しなくていいんだな」とホッとしてたような気がする。大学時代、ヤマちゃんにオーラスで逆転の四暗刻単騎をブチ込んだとき私は……いや、もうやめよう。なんということを思い出させるのだ。

 たぶん、5歳以上の息子を持つ世の父親たちにはわかってもらえると思うが、子供を育てていると、何かの拍子に忘れていた少年時代の暗部と向かい合うハメになることがある。これから中学、高校と進むにつれて、ますますそんなことが増えるに違いない。セガレの行動を通して、いちいち思春期の自分がどんなダークサイドを抱えていたかを思い知らされるのだ。ああイヤだイヤだ。そういうときだけは、「女の子のほうが楽だったのに」と思ったりする。







1. Ain't Nothing Wrong With That
2. Deliver Me
3. Diane
4. Angels
5. Jesus Is Just Alight
6. Stronger
7. Thrill Of It
8. Blessed
9. Love Is The Only Way In
10. Thankful 'N Thoughtful
11. Homecoming

平成十九年二月十四日(水)午前十時五十五分
BGM : Colorblind / Robert Randolph & The Family Band

 おそろしくノリの悪い仕事を抱えて立ち往生し、そして、本ばかり読んでいる。いまは書くより読みたいのだ。とはいえ、いわゆる「期末試験前の読書欲」的な例のアレとはちょっと違うような気がする。逃避ではない。逃避欲のほうは、この日誌で十分すぎるほど満たされている。じゃあ何なのかというと、たぶん何かを探しているのだと思うが、何を探しているのかは必ずしも明確ではない。でも、それはとても見つけにくいもの。探すのをやめたとき見つかることもよくある話だが、探さなければ探すのをやめることもできない。うんうん、おれ、いま、いいこと言った。

 しかし本ばかり読んでいる場合ではないのであって、きのう月刊PLAYBOY編集部に打ち合わせに行ったら、事前の連絡では2本(3〜4ページ)だとばかり思っていた特集がらみの仕事が、実は4〜5本(8〜9ページ)もあると知って、目が点になった。「目が点になった」って、久しぶりに使ったような気がする。昔それを人々が「テンメ」などと言った時代があり、私はそれが好きではないので一度も使わなかったはずだけども問題はこの過密日程だよ。なにしろ2本だと思っていた時点で、すでに手に余る感じだったのだ。しかもこの業界には、2月20日に口述取材が終わる新書の原稿(250枚ぐらい)を「3月のアタマまでに書いてね」などと笑顔で命じる編集者もいる。どこにいるかというと、千駄ヶ谷のほうだ。千駄ヶ谷はいつだって笑顔で恐ろしいことを言うから警戒が必要である。さらにゆうべは、わしズム編集部からも春号の戦闘開始を告げるメールが届いた。そうなのだ。わしズムは忘れた頃にやってくるのだ。目が×になった。バツメだ。バツメ漱石。

 これ無理だよねぇ、と、内なる私の呟く声が聞こえる。無理だ、と私も思う。一般的に言って、無理を通すには道理を引っ込めるしかない。それはわかっている。わからないのは、「道理を引っ込めて原稿を書く」がどういうことなのかということだ。文章というやつはおおむね道理を原材料にして作られているので、これは難しい。どうすればよいのか。しかし、やり方がわからないからこそ、そこでは道理が引っ込んでいるとも言える。道理が引っ込んだところにマニュアルなどない。マニュアルで不可能が可能になるなら警察は要らない。いや警察は要るか。要るよな。でも警察は原稿を書いてくれないので、私が書くしかないのだった。結論はいつだって「私が書くしかない」だ。「私が書く」が、道理を引っ込めて無理を通す唯一の手段なのだ。ほんとうのことを言えば別のライターが書いたっていいのだし、それが道理ってもんなのかもしれないが、それを言っちゃあ、おしまいじゃないか。ほんとうのことを言わないのが、無理を通して道理を引っ込めるということだ。だから私はどの編集者に対しても、「帳尻は合わせます」と言っている。「帳尻を合わせる」と「締め切りを守る」は似て非なる言葉だが、ほんとうのことなんか絶対に言うものか。

 それにしても目の前の仕事である。この山を越えなければ、月プレにも千駄ヶ谷新書にもわしズムにも取りかかれないわけだが、どうにもこうにも手が動かないのだ。あれは何という症状だったか、ゴルファーが突如としてクラブを振れなくなる状態に陥ることがあるそうだが、それはひょっとするとこんな感じなのだろうか。違うな。日誌ではこんなに手が動いてるもんな。まあいいや。いずれそのうち手は動き、帳尻は合うだろう。いまの私は、手を動かすためのスイッチを本の中に探しているような気もしてきた。「書く」のスイッチは「読む」の中にしかないのかもしれない。と、もっともらしいことを言いながら、2月も半分が終わろうとしている。

 





1. Secret Language of Birds
2. Little Flower Girl
3. Montserrat
4. Postcard Day
5. Water Carrier
6. Set-Aside
7. Better Moon
8. Sanctuary
9. Jasmine Corridor
10. Habanero Reel
11. Panama Freighter
12. Secret Language of Birds, Pt. 2
13. Boris Dancing
14. Circular Breathing
15. Stormont Shuffle

平成十九年二月十二日(月)午後二時二十分
BGM : The Secret Language Of Birds / Ian Anderson

 金曜日は、都内某所で東京カナデルのミーティング。モーツァルト大会の選曲を相談し、メンバーがひとり増え、フィガロの結婚序曲の譜面を渡された。乱舞する16分音符を眺めているだけで気を失いそうになる。なんでこんなに重い課題を背負う人生になっているのかよくわからない。ちょっとしたシャレの気分で始めたつもりだったのだが。

 ミーティング終了後、麻布十番の韓国料理屋でめしを食っていたら、隣のテーブルの20代後半から30代前半ぐらいと思しきカップルが、言い争いを始めた。私たちはあまりそっちを見ないようにしながら、しばし居心地の悪い談笑を続けていたのだが、こういう場合、どうしたって無関心ではいられない。彼らの口調は次第に刺々しさを増してゆく。もはや、周囲の目や耳は気にならなくなっているようだ。

 そして気づいたときには、男が女に襲いかかっていた。女にのしかかるようにして、二発、三発とパンチを見舞う男。床に膝をつき、背中を丸めて悲鳴をあげる女。立ち上がって「やめなさい!」と制止する私たち。すばやく厨房から駆けつけて男を羽交い締めにする店主。もし男が店主にも襲いかかったら私も助太刀せねばならぬと覚悟を決め、しかし非力な自分が素手で何かできるとも思えないので、あたりに何か武器になりそうなものはないかと探したり、「警察を呼ぶのはどの段階だろうか。誰かが出血したときだろうか」などと考えたりもしたが、男はそこで暴れるのをやめて憤然と背中を揺すりながら店を出てゆき、女は「すみませんでした」と周囲に頭を下げつつ、気持ちが落ち着くまでしばらく席で悄然としていた。人が人を殴る現場に居合わせた経験が私にはほとんどないので、かなりの衝撃。映画やドラマで描かれる暴力シーンはどこか熱っぽいが、現実の暴力が発散する空気は、何やらひどく寒々しい。冷たいオーラ。

 その男女が何をモメていたのかはわからないが、たぶん、自己愛を傷つけられた男が女よりも「大きな声」を出して相手を威圧し始めたときから、それはすでに言葉で収拾をつけることができないものになっていたのだと思う。きっと、「大きな声」を出した人間というのは、それによって自ら暴力のスイッチをONにしてしまうのだ。男はたしか、「調子に乗ってんじゃねえぞテメエ」といったような言葉で女を恫喝していた。その瞬間に、少なくとも男の側にとっては、問題が「どちらが悪いか」から「どちらが強いか」にすり替わっていたのかもしれない。あるいは、「善悪」を「強弱」でしか測れない男が暴力をふるうのかもしれない。もしかすると、男には誰にでもそういう側面があるのかもしれない。ここでどこぞの国の大統領を引き合いに出すのはやめておくが、ともあれ、店内暴力だからあの程度で済んだものの、誰も見ていない家庭内暴力がどこまでエスカレートするか想像すると怖いです。最終的には、あれがバラバラまで行き着いたりするんだろうか。それとも、それはまた別の話なのだろうか。うー。

 その前日の木曜の晩にも、こんなことがあった。溜池山王で取材を終えたあと、渋谷で銀座線を降りて改札にパスネットを通したとき、私のすぐ後ろにいた若い男が突如ものすごく大きな声で「ちくしょう! ばかやろう! ずっと喋ってんじゃねえよ!」とか何とかワケノワカラナイコトを怒鳴り始めたのだ。こう書くと誰かとケンカしているように読めるかもしれないが、それが最大ボリュームの「独り言」であることは、その場で聞いていれば不思議と直観的にわかるものだ。尋常ならざる憤怒のエネルギーが放射されている。「無差別」の攻撃性。「マジ殺されんじゃね?」と思って、とても恐ろしかった。

 車内で何か頭に来ることがあったのか、あるいは妄想に突き動かされていたのか、それはわからない。雰囲気的には前者。酔っているふうには見えなかった。男は改札を出ると、閉まっている東急東横店のシャッターを凄まじいパワーでがしゃんと叩き、ちくしょうばかやろうと喚き散らしながら、早足で遠ざかっていった。息を呑んで成り行きを見守っていた人々がホッとしたのも束の間、十数秒後には、またどこか遠くのほうでシャッターをがしゃんと叩く音が。いや〜ん、まだ暴れてはる〜。東京は怖かとこですたい。渋谷駅構内には、苦笑と恐怖がせめぎ合う奇妙な緊張感が漂っていた。私が二夜連続で都内暴力とすれ違ったのは単なる偶然かもしれないけれど、ちょっと前まで凄惨な事件は地方で起こることが多かったのが、去年の暮れあたりからは東京で頻発しているような印象もある。ひょっとして、何か、ちょっと、潮目が変わっていたりするのではないか。

 

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