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1. Caleb Meyer
2. Good Til Now
3. Devil Had a Hold of Me
4. My Morphine
5. One Morning
6. Miner's Refrain
7. Honey Now
8. I'm Not Afraid to Die
9. Rock of Ages
10. Whiskey Girl
11. Winter's Come and Gone

平成十九年五月二日(水)午前十時四十分
BGM : Hell Among The Yearlings / Gillian Welch

 私のベランダで卵を産んだり卵から産まれたりしているハトたちは、正確には「カワラバト」もしくは「ドバト」というらしい。「ドバトはカワラバトの飼養品種が再野生化したもの」だとウィキペディアに書いてあった。さらに調べてみると、カワラバトは「通常2個の固着性の卵を産」み、「育雛をしている最中に次の産卵をすることもあり、時に育雛と抱卵を同時期に行う」そうだ。「育雛」の読み方がわからないが、ともかく、まさに私のベランダで起きていることが書かれている。ウィキペディアの信頼性がますます高まってしまった。

 と、感心している場合ではない。なにしろカワラバトは「ほとんど一年中繁殖すること」ができ、「年間7、8回の繁殖が可能」だというのである。おそるべきことになってきてしまった。ちなみに産卵から孵化までは16〜20日で、育雛期間は35〜40日程度。3連休のあいだに産まれた卵は5月中旬に孵るということだ。そして4月上旬に孵ったユウ子とイチ太郎も、5月中旬に「ヒナ」ではなくなる。たぶん、そこで巣立つということだろう。長男長女が巣立つのとほぼ同時期に、次男次女が孵るわけだ。じつに見事なサイクルである。完璧な計画出産。で、5月下旬に次の卵が産まれ、6月上旬に次男次女が巣立つと同時に孵った三男三女が巣立つ7月中旬には四男四女が孵っている……という終わりなき日常になるのだった。当初はユウ子とイチ太郎を産むための一時的な巣だとばかり思っていたが、これはそういうものではない。「定住」である。まずいよ。ものすごくまずい。どこかでこの連鎖を断ち切らなければ、私の仕事場はやがて「ハト屋敷」となってご近所に眉を顰められる存在になってしまふ。スーパーモーニングの井口リポーターがやって来て「ご主人、なんでこんなになるまで放っといたんですか。ハトが好きなんですか」とか質問されたら、どう答えればいいのだ。

 でも、どこで断ち切ればいいんでしょうか。もちろん、母ハトは頑張れば撃退することができる。卵も、心を鬼にすれば生ゴミにできる。問題はユウ子とイチ太郎だ。飛べないから撃退できないし、生ゴミにもできない。だって、名前までつけてしまったのだ。こいつらだけは巣立つまで見届けさせてほしい。だが、そのときは弟や妹が孵っており、うっかり私が名前をつけているかもしれない。振り出しに戻る、だ。ならば、その卵だけ孵る前に撤去すればいいのだが、そんなことをして大丈夫だろうか。失望した母ハトが家出してしまい、ユウ子とイチ太郎にエサが供給されなくなるようなことにならないだろうか。苦悩は深い。







1. Revelator
2. My First Lover
3. Dear Someone
4. Everything Is Free
5. Elvis Presley Blues
6. I Want To Sing That Rock And Roll
7. April 14th, Part I
8. Ruination Day, Part II
9. Red Clay Halo
10. I Dream A Highway

平成十九年五月一日(火)午前十時四十分
BGM : Time(The Revelator) / Gillian Welch

 資料を受け取ってみると、マンスリーMのリライトは合計6千字程度と意外に分量が少なく、1日半あれば楽勝でやれそうな感じだったので、清水の舞台から飛び降りるぐらいの覚悟で土・日・月と3連休したのだった。休んでやったんだぜコンチクショー。休んで休んで休みまくりだ。ずーっと寝てた。だって、寝ても寝ても眠くなるのだ。緊張の糸が途切れた人間の睡眠欲ってすごいんだな。あんなに昼寝をしても夜中にぐっすり眠れるのはどういうわけだって感じだ。昼夜を合わせて1日平均15時間ぐらいは眠っていたと思う。

 起きていたわずかな時間には、家族と吉祥寺へ焼き肉を食いに行ったり、愚妻と吉祥寺へGパンを買いに行ったり、家族と手巻き寿司を食ったり、愚妻と井の頭通り沿いの東京靴流通センターへスニーカーを買いに行ったり、ずっと前から読みたかったアンドリュー・パーカー『眼の誕生−カンブリア紀大進化の謎を解く』(渡辺政隆・今西康子訳/草思社)をようやく読み始めたり、小林よしのり先生の『遅咲きじじい』第1巻(小学館)を読んで笑ったり、ローマダービーを観たりした。ダービーはあまりトンガったところを見せることなく、ゼロゼロの引き分け。シーズン後半のローマダービーは、ときどきこういう試合になりますな。しかし2試合でトータル3-0の圧勝、ローマにゴールを許さないシーズンというのはそう滅多にあるものではなかろう。上出来。

 3日間も仕事場を留守にしていたので、ユウ子とイチ太郎(ベランダで生まれたハトだ)はもう巣立ってしまったんじゃないかと思っていたが、相変わらずベランダの隅でピーピー鳴いていた。


 3羽いるように見えるのは、以前、ハトよけになるんじゃないかと思って試しに古い鏡を置いてみたからだ。ぜんぜん効果ありませんでした。それはともかく、いつもと様子が違ったのは、お母さんも隅でじっとしていたことだ。最近、もう子供を温めてやる必要がなくなったのか、お母さんはエサをやるときだけ飛来して与え終わるとすぐに飛び去っていたのだが、きょうはキョトンとした顔でうずくまっている。お母さんがいるのに、ユウ子とイチ太郎はエサを求めない。不思議だ。しかし、お母さんがエサを探しに飛び去ったときに、その理由が判明した。そこにはこんなモノがあったのだ。


 まじかよ〜。完全に想定外の展開である。2羽の子供が巣立つ前にまた産卵しやがるなんて思ってもみなかった。なに考えてんだ一体。あのな、ユウ子とイチ太郎はな、まだ飛べもしないんだぞ。お母さんの口に嘴を突っ込んでエサもらってんだぞ。そいつらの世話しながら、おまえ、卵あっためられんのかよ。ぽんぽんぽんぽん産んでんじゃないよ。おまえらに少子化対策たのんでないっつうんだよ。あー。こりゃあハトが増えるわけだよな。まいった。まいりました。あいつらが巣立ったらベランダを掃除しようと思っていたのに、またそこから始めるわけ? そんで、そいつらが巣立ちそうになったら、また産むわけ? いつまで続くんだよハトの産卵って。







1. Shine A Little Love
2. Confusion
3. Need Her Love
4. The Diary Of Horace Wimp
5. Last Train To London
6. Midnight Blue
7. On The Run
8. Wishing
9. Don't Bring Me Down
10. On The Run
11. Second Time Around
12. Little Town Flirt

平成十九年四月二十七日(金)午後七時五分
BGM : Discovery / Electric Light Orchestra

 10分前に、渡辺淳一先生のPLAYBOYインタビュー(1万字)を書き上げたばかりである。ようやくこれで大型連休に突入だ! いやっほーう!……ということになるはずだったのだが、きのう某編プロのマッキー社長(サラリーマン時代の上司なのだ)から青息吐息の感じで電話が来て、お願いだからマンスリーMのリライト(10ページ)を引き受けてくれと言われ、一瞬のうちに脳内で天使と悪魔が壮絶なバトルを繰り広げたのであるが、結局は例によって働き盛りのヤケクソで引き受けてしまったのだった。「断れ!」と「引き受けろ!」のどっちが天使でどっちが悪魔だったのかは、よくわかりません。「引き受けろ!」が悪魔だったらヤだな。締切は5月2日だ。やれやれだよまったく。どうせ28〜30日はセガレがサッカーの練習で家にいないから、仕事しても家族に文句を言われることはなかろうと思うが、だからこそ、どこにも出かけずに家でぐだぐだ休みたかったんだよう。あーん、休みたいよう、休みたいよう、ぼくは休みたいんだってばよう。ちくしょう、こうなったら、そのリライトの原稿料は思いっきり無駄遣いしてやる。まずは靴だ。おととい、銀座ワシントン靴店で最後まで迷った靴があるのだ。イタリア人がデザインしているがスペインの職人に作らせているのでメイド・イン・スペインと書いてあるという、なんでそんなことしてるのか意味のよくわからない靴だ。あれを買ってやる。あとは何だ。あ、「メガネをもうひとつ作る」もかなり無駄遣いだよな。「半年前に機種変したばかりのケータイをまた機種変する」「先月行った美容院にまた行く」「PASMOを限度額ギリギリまでチャージする」なども相当に無駄だ。うーむ。貧しいのは家計だろうか、発想だろうか、その両方だろうか。







ディスク:1
1. Chasing The Rainbow
2. Indian Summer
3. One Chance
4. Golden
5. Always Love
6. Ride On
7. Love & Leaving
8. Look At Me Now
9. This Time
10. Work To Do
11. All I Think About Is You
12. Walk In The Woods

ディスク:2
1. Ventura Highway
2. Don't Cross The River
3. Daisy Jane
4. I Need You
5. Tin Man
6. Muskrat Love
7. Woman Tonight
8. Only In Your Heart
9. Lonely People
10. Sandman
11. Sister Golden Hair
12. A Horse With No Name

平成十九年四月二十六日(木)午後一時四十五分
BGM : Here & Now / America

 アメリカってまだあったのか! 新曲編とヒット曲編(ライブ)からなる2枚組の最新作(今年1月発売)である。まだディスク1(新曲編)の途中までしか聴いていないが、その時点でも思わず「なつかしいなオイ」と言いたくなるような音、声、メロディの数々。いいっすよ、これ。どの曲もどういうわけか「ヴェンチュラ・ハイウェイ」を想起する瞬間があったりするのだが、それはたぶん良いこと。

 きのうは午後2時より、集英社インターからゴーストを頼まれた単行本の口述取材。久々の理系企画だったので、なかなか話についていけず、著者がホワイトボードに書く数式を眺めながらときどき放心した。でも、話を理解して「わかった!」と内心で叫ぶときの快感は、こういう仕事のほうがはるかにでかい。とはいえ、それを文章で読者が理解できるように説明するのは大変なこと。

 4時半に取材を終えたあとは、銀座をブラブラ。夜に飲む約束があったからだが、それが8時からだったので、ぽっかり空いた時間をどうしていいかわからずに、また放心した。こういうときの時間の使い方が、私はほんとうに下手だ。何のアイデアも浮かばない。ひとりで喫茶店に入るのも、なんとなく気詰まりである。なので、ただただ歩く。でも「銀ブラ」って、すこしも楽しくない。履いていた靴がいまいち足に合っておらず、歩いているうちに痛くてたまらなくなってきたので、銀座ワシントン靴店に入る。とても礼儀正しく親切な年配の男性店員の意見を聞きながら、何足も試し履き。放心するほどぽっかり空いてしまった時間は、「靴を買う」に使うのに適しているということがわかった。最終的に銀座ワシントン靴店オリジナルの革靴を選び、その場で履き替え、古いほうの靴を箱に詰めてもらう。新しい靴は、すばらしい履き心地。最近、よく靴を買うようになった。以前は靴なんて茶と黒が一足ずつあれば事足りると思っていたが、今はいろんな靴を履きたい。どういう心境の変化なのかは、われながら謎。でも、靴を買う時間の多い生活は、たぶん良い生活。

 8時に銀座日航ホテル前で月プレ編集部T田さんと落ち合い、軽くメシを食ってから、写真家の飯田安国さんと合流してクラブ「エル」へ。前号で藤田宜永さんと石田衣良さんの対談をやった店で、銀座特集の打ち上げをやろうということである。私は本名が「岡田」で、3人(対談した2人の作家も含めたら5人)とも「田」がつくことに気づいたので、店の女の子に名前を言わず、「みんな名字に田がつきます。それぞれナニ田でしょうか」という問題を出してしばし盛り上がった。こうして書いてみると、気絶しそうなほどクダラナイ話題である。コドモかおれたちは。でも、まあ、藤田宜永センセーも「銀座のクラブは大人の保育園」とおっしゃっていたから、それはそういうものなのであろう。ちなみに女の子が最初に口にした名字は「山田」でした。ほんとうにどうでもいい話。







1. Margaret vs. Pauline
2. Star Witness
3. Hold On, Hold On
4. A Widow's Toast
5. That Teenage Feeling
6. Fox Confessor Brings the Flood
7. John Saw That Number
8. Dirty Knife
9. Lion's Jaws
10. Maybe Sparrow
11. At Last
12. The Needle Has Landed

平成十九年四月二十五日(水)午前十一時二十五分
BGM : Fox Confessor Brings The Flood / Neko Case

 木曜から完徹で金曜(20日)の午後に祥伝社新書を脱稿。16日がいちおうの締切だったので遅れたことを詫びたが、担当S宮さんは「想定内です」とのこと。無論、それが彼の想定内であることは私の想定内なのだし、ほんとうは週明けの23日まで想定内だったに違いないと私は想定しているわけだが、まあ、そんなふうにして帳尻は合ってゆくのだった。

 土日は取材のため一泊で西明石に出張。今年夏にサンパウロで開催される国際大会へ向けたブラインドサッカーの日本代表選考会が実施されたのである。この世界では、オーディション形式で代表を選ぶのだ。所属クラブの推薦を受けて神戸視力障害センターに集まったのは、フィールドプレーヤー16名、GK6名。ここからFP10名前後、GK3名前後を選んで何回か合宿を行い、大会本番までにFP8名、GK2名に絞り込む予定だという。最初のドリブル練習を見た時点でもう荷物をまとめてもいいのではないかと思える選手が2人ぐらいいるあたりが、この競技の選手層がまだまだ薄いことを物語っているわけだが、私が初めて見た選手のなかにも、光るものを持った人は幾人かいた。しかし、やはり世界選手権を経験してきたアルゼンチン組の向上ぶりには目を見張るものがある。とりわけ大阪ダイバンズの落合選手はブラジル流のS字ドリブルをマスターすべく猛練習に励んだようで、驚くほど上達していた。高校生になった鳥居選手も、持ち前のキープ力に磨きがかかっている。田中(智)選手は、ジダンばりのルーレットを披露していた。あの体の動きを、見ないで身につけるのだから大変な努力である。選考結果はまだ発表されていないが、少なくとも10月のパラリンピック予選までは彼らが中心となっていくに違いない。

 初日の選考会を終えたあと、(晴眼者のGKを含む)数名の選手たちと居酒屋で食事を共にさせてもらった。目の見えない人の皿に食べ物を取ってあげるときは、「マグロの刺身、3時の位置に置いたからね」という言い方をするのが「業界の常識」だということを学ぶ。なるほど。また、晴眼者が「こっそり唐辛子を大量にかける」「こっそり飲み物に塩を入れる」といったイタズラが日常的に行われていることも学んだ。見ようによってはとんでもない虐待行為だが、無論これは、信頼し合った仲間同士だからできることである。ブラインドサッカーは健常者と障害者がチームを組む競技なので、その現場ではいわゆるひとつの「ノーマライゼーション」ってやつがとても自然な形で成立しているような気がする。

 食事の後、新幹線の線路際に建つ駅前の安ホテル(もうちょっとマシなホテルで合宿させてあげたいものだ)に戻り、窓の下を凄まじい勢いで通過するのぞみの爆音を聞きながら、深夜1時までかかって週刊ダイヤモンドの商品紹介記事を書き、7時に起きて2日目の選考会を取材し、夕方6時に帰京。体はくたくただが、いい気分転換になった。ブラインドサッカーの取材を始めて以来、たまにこうして東京を離れられるようになったのは、精神衛生上とてもよいこと。

 月曜日は朝イチで商品紹介記事を1本やっつけ、11時半から集英社インターナショナルで月プレの編集長&K谷嬢と打ち合わせ。さらに同社書籍出版部のマコトさんと文庫の加筆修正に関する打ち合わせも済ませて仕事場に戻り、幻冬舎の追加原稿を仕上げる。一ヶ月前にいったん終了していた仕事なので、なかなか勘が戻らず、夜半までかかってしまった。先週の金曜日に書き上げた原稿さえ、すでに内容が覚束なくなっており、たとえば第3章のテーマが何だったか等いくら考えても思い出せないぐらいだから、1ヶ月前の原稿の「続き」を書くのはかなり難儀だ。ともかく書き上げて編集部に送稿したのち、深夜2時まで翌日の取材のための資料読み。何が言いたいかというと、要するに忙しいということです。

 きのうの火曜日は、午前中に資料読みとインタビュー用のメモ作成を終え、午後から渋谷へ。渡辺淳一先生のインタビューである。月プレで連載していた『鈍感力』が現時点で60万部という大ヒットとなったので、PLAYBOYインタビューにご登場いただくことになったわけだ。昨年から渡辺先生とは妙にご縁がある。祇園特集、『愛ルケ』の著者インタビュー、香山リカさんとの対談に続いて、取材させていただくのは4度目。渋谷の街中で撮影をしていたら、あっという間に、目をキラキラさせたおばさんたちの人だかりができていた。人気あるんだなぁ。っていうか、ああいうことでもないと、渋谷にあんなに大勢のおばさんが歩いていることに気づかないかもしれない。意外にいるのだ。おばさん。インタビューのほうは、2時間の予定が諸事情で1時間になってしまい、いささか慌ただしいものになってしまった。でも、まあ、何とかなるだろう。締切も内容も帳尻を合わせるのが私の主な仕事。世間ではそれを「結果オーライ」と呼んだりもするわけだが。

 ベランダ・ベイビーズは、みるみる大きく育っている。もはや「ベイビー」というより、中学生か高校生ぐらいの感じ。もう体の色合いは完全にハトそのものだし、いつ飛んでも不思議ではないぐらいのサイズなので、まだお母さんから口移しでエサをもらっているのを見ると、「いつまでも甘えてんじゃねえぞコラ」と小言のひとつも言いたくなるのだった。とくに練習している様子も見られないのだが、ちゃんと飛べるようになるんだろうか、あいつら。飛ぶどころか、歩いている姿も見たことがないぞ。早く自立してほしい。頼むから、ニートだけは勘弁してください。







1. Suitcase in my Hand
2. Cat and Mouse
3. Strike !
4. J. Edgar
5. Footprints in the Snow
6. Sundown Town
7. Green Dog
8. The Dying Truck Driver
9. Christmas in Southgate
10. Hank Williams
11. Red Cat Till I Die
12. Three Chords and the Truth
13. My Name is Buddy
14. One Cat, One Vote, One Beer
15. Cardboard Avenue
16. Farm Girl
17. There's a Bright Side Somewhere

平成十九年四月十九日(木)午前一時三十分
BGM : My Name Is Buddy / Ry Cooder

 昨日から今日(厳密には一昨日から昨日)にかけて、各編集部から素敵な誕生日プレゼントが宅配便で続々と届いた。幻冬舎からは仕事の資料、月プレ編集部からは仕事の資料、集英社インターナショナル出版部からは仕事の資料、そして祥伝社からは仕事の資料だ。ライターとして多くの編集者からとても愛されていることがわかり、あまりの有り難さに涙が出そうだった。すぐ止まったけどな。泣いてる暇なんかないっつうんだよ。ドサクサにまぎれて、連休までに片づける仕事が増えてやがるし。ただでさえ減らなくて弱ってんのに、増やしてどうすんだよ。24日に取材するPLAYBOYインタビューを27日に上げろというのだから、渡る世間は鬼ばかりである。まあ、イヤなら引き受けなきゃいいという話だが、なにしろ働き盛りだから断らないのだった。向こうが鬼なら、こっちだって仕事の鬼になってやろうじゃないか。うおー。たぶん、「働き盛り」って「ヤケクソ」の別名なんだと思う。

 それにしても、自分の誕生日に国内外の痛ましい銃撃事件が相次いで報じられるのは、あまり気持ちのいいものではなかった。誕生日じゃなくたって、気持ちがいいわけはありませんけども。ちなみに私の誕生日は、自由民権運動の主導者であった板垣退助の誕生日でもある。「板垣死すとも自由は死せず」という言葉が有名なので暗殺されたと思っている人も多いが、そのとき板垣は遊説中に襲われたものの一命を取り留めている。ウィキペディアによると、ほんとうは「痛くてたまらねぇ。医者をよんでくれ」としか言ってないという説もあるらしい。ともかく、まあ、そういう人が生まれた日だったということ。

 そして私は腰が痛くてたまらねぇ。さらに、腰をかばっていたせいか背中までピキッとやってしまった。土曜朝の新幹線に乗るまでにあと60枚書かねばならんのだが、崩壊寸前である。ところで私の肉体を崩壊寸前に追い込む一因となった「わしズム」夏号は、すでに発売されている模様。先日、編集部の打ち上げに招いてもらい、ワインをがぶがぶ飲んで二日酔いになったせいでますますその後の仕事が遅れたわけだが、小林編集長は本の出来映えにとても満足されているご様子であった。ぜひご一読を。







1. Riot
2. Speak Like a Child
3. First Trip
4. Toys
5. Goodbye to Childhood
6. Sorcerer





本日のユウ子(たぶん奥)とイチ太郎

平成十九年四月十七日(火)午前十時三十五分
BGM : Speak Like A Child / Herbie Hancock

 ベランダ・ベイビーズ(前回の日誌参照)は順調に育っているようである。お母さんも育児放棄することなく、ときどき姿を見せている。親鳥は卵が孵ったあともヒナを抱きかかえてあっためるのだということがわかった。その場合、ヒナは親鳥の体にすっぽり包まれてしまうので、外からは姿が見えなくなる。ということは、孵る直前に一気に巨大化したのではなく、私が気づくより前に孵っていたのかもしれない。昨日あたりはユウ子のほうが雨の中で寒さにぶるぶると震えており、大丈夫かよオイ、お母さん、早く戻ってきて抱っこしてやれよ、まさかどっかでパチンコとかやってんじゃないだろうなコンチクショウ、などと義憤に駆られたものだが、どうやら凍死することはなかったようだ。なにを心配しておるのだ私は。しかし、そこで死なれると本当に困るのである。

 今朝は、初めてピーピー鳴く声が聞こえた。見ると、お母さんがエサをやっている。これも初めて見たが、あたかも「スピーク・ライク・ア・チャイルド」のジャケットのような実に心暖まる風景……というようなものでは決してない。ユウ子とイチ太郎の2羽が先を争うようにして、同時に母親の口の中に嘴を突っ込んでいる。もんのすげえ腹減ってる感じ。押し倒さんばかりの凄まじい勢いだ。お母さん、のけぞるのけぞる。それは「エサをもらう」というような生易しいものではない。ほとんど「襲いかかっている」ようにしか見えないのだった。育ててくれている母親への感謝とか愛情とか、そんなものは微塵も感じられない。ひたすら生きるために「食い物寄越せこの野郎」というムードで、かなり殺伐としたグロテスクな光景である。与えるエサがなくなると、お母さんはまたエサを探すのか、どこかへ飛び立っていった。子育てはたいへんだ。でも、まあ、3年生ぐらいになればお母さんの代わりに買い物にも行ってくれるようになるから、それまで挫けずに頑張ってもらいたい。

 本日でめでたく満43歳になった。ハトじゃなくて私がだ。だが腰が痛い。2月後半からの取材&締切ラッシュのなか、ここまで風邪もひかずにやってきたのは奇跡に近いし、丈夫な体に生んでくれたお母さんには感謝するしかないが、そろそろ限界なのかもしれんような気がしてきた。連休まであとわずか、祥伝社の残り80枚と今週末の神戸出張と幻冬舎の追加原稿と集英社文庫の加筆修正作業が終わるまで何とか持ってほしいのだが。うへえ、まだそんなにあんのかよ。それにしても、昨年夏あたりからのこの狂ったような忙しさは一体なんなのだろうか。連休はひと息つけそうな雲行きだが、その後も年内に6冊ぐらい詰まっている。その間に2度の海外出張と3度のわしズム月間があるかと思うと、気を失いそうだ。これは事によると、例の「働き盛り」ってやつなのではあるまいか。たぶん男は43歳になるとそういう生物学的段階を迎えるのだ。ならば、こうして「忙し自慢」をしていられるうちが花である。「盛り」はどうせいつか過ぎ去る。ま、ほんとうの勝負はそれからなんでしょうけども。だが、そんなことより痛いのは腰だよ。何とかしてくれよ。







1. Still Believing
2. Bright Blue Rose
3. Golden Mile
4. Babes in the Wood
5. Thorn Upon the Rose
6. Brand New Star
7. Prayer for Love
8. Adam at the Window
9. Dimming of the Day
10. Might as Well Be a Slave
11. Just Around the Corner
12. Urge for Going





ユウ子(左)とイチ太郎

平成十九年四月十二日(木)午前九時三十五分
BGM : Babes In The Wood / Mary Black

 生まれた。いや「孵った」というべきなのだろうか。私のベランダで、母ハトが、ふたつの卵を見事に孵しやがったのである。けさ仕事場に来てみたら、2羽のヒナがぷるぷると体を震わせていた。卵の存在に気づいたのは3月31日だから、だいたい10日から2週間ぐらいで孵るということか。そんなこと知ってどうなるというものでもないが、そういうことである。

 で、ヒナたちだが、思っていたほど可愛くない。10年前にセガレが生まれたとき、自分でも驚くほど嬉しくてヘラヘラと笑いが止まらなかったので、もう少し感動があるんじゃないかと思っていたのだが、けっきょく可愛いのは自分の子だけだということなんだな。

 きのう生まれたのだとすれば、私の73歳になる父と同じ誕生日ということになる。父の名前はユウイチなので、「ユウ子」&「イチ太郎」と名付けることにした。オスだかメスだか知らんけど。

 しかし、ちゃんと孵るもんなんだなぁ。しかも卵は3センチ程度の大きさだったのに、生まれたヒナは体長7センチぐらいありそうだ。体積にして卵の4倍か5倍ぐらいになっているような印象。どうやって入っていたのか不思議である。ひょっとして、孵る直前にムクムク〜っと一気に巨大化してバリバリ〜ンと殻を破るんだろうか。なるほど、「椋鳩十(むくはとじゅう)」の名はそこから来ているのかもしれない。そんなわけはない。リンクを貼ったウィキペディアのページに「しばしば鳩椋十と間違って書かれる」とあって笑った。

 ところで、大仕事を終えたばかりの母ハトの姿が見当たらない。エサを探しに出かけているのだろうか。それならいいのだが、ふと「赤ちゃんポスト」という言葉が脳裏を過ぎる。やめてよね〜。







1. Henrietta
2. Flathead
3. Whistle For The Choir
4. Chelsea Dagger
5. Gutterati?, The
6. For The Girl
7. Doginabag
8. Creepin Up The Backstairs
9. Vince The Lovable Stoner
10. Everybody Knows You Cried Last Night
11. Baby Fratelli
12. Got Ma Nuts From A Hippy

平成十九年四月十日(火)午後十二時五十五分
BGM : Costello Music / The Fratellis

 まだ、あっためている。ベランダでハトが卵を、だ。いつ見ても、じっとうずくまったまま、目をまん丸に見開いて、なかば放心したような表情で卵を抱いている。ものすごくケナゲな感じ。むかし、子供を「卵で生みたい」といった女優がいたが、卵で生むのがどんだけ忍耐のいることかも少しは考えてみたほうがいいと思う。だって、生まれるまでその場から動けないんだぜ。生物の繁殖戦略として間違っているような気がしなくもない。手間かかりすぎ。ともあれ、ちゃんと生まれてほしいよ。ちゃんと生まれて、ちゃんと育って、ちゃんと巣立って、そして二度と戻ってこないでくれ。

 仕事場の集合住宅のどこかの部屋できのうから改装工事が始まりやがり、朝っぱらからやかましくてかなわない。建物中に轟き渡る音量で、ドガガガガ、ドガガガガ、と、ドリルか何かを使っていやがる。お互いさまだから文句もいえないが、仕事にならん。対抗上、やかましい音楽ばかりかけているが、やかましい音楽はやかましくて仕事にならん。やかましいぞフラテリス。

 といいつつ、私も仕事場のリフォームをしたくてたまらないのだった。まず何より井の頭通りの騒音を遮断するためにサッシを防音仕様にしたいし、煙草のヤニで黄色くなった壁紙も張り替えたい。できることなら部屋の仕切りを取っ払って、ちまちました2DKを広々としたワンルームにしてしまいたいとも思う。使わない風呂場を潰して物置にでもすれば、「増殖する本とCDを一体どうするのか問題」も解決するだろう。全体のイメージは、そうだなぁ、やっぱしアレだよな、吉祥寺のJohn Henry's Studyみたいな感じがいいよな。あれは書斎の理想型のひとつだもんな。いやはや、リフォームは楽しそうである。そんな楽しいことをやってる奴に仕事の邪魔をされているかと思うと、ますます腹が立つ。

 レアルとバルサがチャンピオンズリーグで敗退したために妻子の観戦モチベーションが激減し、家庭内でも欧州サッカーのことが話題にのぼらなくなって久しい昨今だが、どうやら世間ではラツィオとチェルシーがどちらも8連勝をしているらしい。合わせて16連勝だ。合わせてもしょうがないが、まあ、私にとってはそういうことである。全部ちゃんと見ていたら、この日誌も毎週わっしょいわっしょいとお祭り騒ぎで大変なことになっていたであろう。それにしても、チェルシーの連勝は驚くほどのことではないとして、ラツィオの8連勝っていったいぜんたいどういうことだ。誰が活躍しているのかもさっぱりわからない。わかっているのは、それがマッシモ・オッドではないということだけだ。何にせよ、ここ数年でもっとも重要なシーズンを見逃しているような気がしてならない。順位もいつの間にかローマと7ポイント差の3位まで上がっているではないか。えらいことである。チェルシーもユナイテッドと3ポイント差? 合わせて10ポイント差だ。ますます合わせてもしょうがないことになっているが、がんばって1ポイントずつ詰めていってもらいたい。私もがんばって1行ずつ埋めていく。







1. Glasgow Star
2. Town Without Pity
3. Medicine
4. Rebel Angel
5. Semi Precious
6. Lazy Heart
7. I Loved a Lad
8. Butterfly Jar
9. Candyfloss
10. Darkhouse

平成十九年四月六日(金)午後十時四十分
BGM : Candyfloss And Medicine / Eddi Reader

 きのうの始業式の後、セガレのクラスで、新しい担任の教師から奇妙な宿題が出された。家に帰ったら、母親に、ある「クイズ」を出しましょう、というのだ。どんな「クイズ」かというと、「ボクたちワタシたちの新しい担任の先生は誰でしょう?」というものだという。これの何が奇妙かって、まず第一に、それを「クイズ」と呼ぶことが奇妙である。学校側が勝手に決める担任なんか、どんなに知恵を絞ったところで確信を持って正解できるわけがない。担任どころか、クラスの数さえ2つなのか3つなのか始業式当日までわからないのだ。こんなものは「クイズ」ではなく、単なる当てずっぽうの「予想」である。

 しかしまあ、それはいいとしよう。もっと奇妙なのは、その先である。保護者にそんな予想をさせて、一体どうするのか。驚いたことに、担任の教師はきょうの作文の時間に、その「クイズ」をめぐる親子の会話の様子を生徒に書かせたんだという。保護者のほうはそんな「仕掛け」になっているとはつゆほども知らずに、単なる日常会話のつもりで子供と話をしていたにもかかわらず、だ。

 これが事実だとしたら、由々しき問題である。もし私がきのうの時点でそういう宿題が出されていることを知っていたら、セガレには「作文は0点でかまわないから白紙で提出しろ」と命じたことだろう。

 担任の教師が、どういう意図で生徒たちにこの課題を与えたのかは知らない。べつに他意はなく、新学期のちょっとした面白イベントのつもりだったのかもしれない。しかし教師の意図がどこにあったにせよ、新しい担任に対する保護者の反応を知るために、子供を「スパイ」にして情報収集(および密告)をさせているのではないかと勘繰られても仕方のない、非常識な宿題であることは間違いないだろう。「A先生? B先生? え、C先生でもないの? 他に誰かいたかしら。……げ、まさかD先生じゃないでしょうね? やだ、そうなの? んもうサイアク〜」みたいなことを保護者が言ってないかどうかチェックしてるんじゃないのかそれは。

 じっさい、そんな台詞を漏らしてそのまま我が子に書かれてしまった母親もいるのではないかと思う。そこまで露骨な言葉は口にしていなくとも、「お母さんはちょっと困ったような顔をしていました」ぐらいのことを書く子は少なからずいるだろう。作文としては、単純に会話を再現するよりも、そのほうが優れている。そうでなくとも、母親が最初にどの教師の名前を挙げたかということだけで、何らかのニュアンスは滲み出てしまうものだ。そういう予想を求められた場合、たいがいの人は最初に「希望的観測」を口にするのではないだろうか。

 しかも作文は翌日に教室で書かれて、すぐに教師のもとへ提出されている。つまり保護者には内容をチェックするチャンスも与えられていないということだ。「取材」を受けたという自覚もなく、もちろん「ゲラ」のチェックもないままに、プライベートなコメントが「実名」と共に家庭の外に漏れてしまう。ひどい人権侵害である。こんな「宿題」が許されていたのでは、もう子供の前で本音を語ることができない。事あるごとにセガレの聞いているところで学校や教師の悪口ばかり言って「こんなこと家の外では言っちゃダメだよ」などとホザいている私のような保護者にとっては、たいへんな恐怖である。放っておけば、子供たちが「思想警察」と化すまでそう時間はかからないだろう。あさっての日曜日に「どの人に投票したの?」と子供に質問されて、うっかり「トヤマさん」などと答えようものなら、それ以降、学校でどんな扱い方をされるかわかったもんじゃない。

 無論、メディア・リテラシー教育の観点からも大いに問題である。こんな教育を受けていたら、うちの子が家業を継いでまっとうなフリーライターになることができないじゃないか。なのでセガレには、父親の仕事を引き合いに出しながら、それが物書きにとっていかに間違った取材手法であるかをすぐに話して聞かせた。子供が物書きになろうがなるまいが関係なく、猫も杓子もバカもアホウもブログという凶器を手に入れられる現在、「世の中には書いていいことと悪いことがある」ということを教えるのは学校においても家庭においても教育の一大テーマであろう。だいたい、いまどきは子供でも「コジンジョーホー」という言葉を知っているというのに、学校はいったい何を考えているのだろうか。いっそのこと、その担任教師の実名をここに書いて「あなたは生徒にこういうことをさせてるんですよ」と思い知らせてあげたいぐらいである。まあ、書きゃしませんけどね。

 ともあれ、小学生の子供を持つ世の親御さん方には、こういう教師もいるということを警告しておく。子供に奇妙な「クイズ」を出されて答えるときには、「これオフレコだよ」と釘を刺す習慣をつけたほうがいいかもしれない。







1. My Funny Valentine
2. My Funny Valentine
3. I Hear a Rhapsody
4. Dream Gypsy
5. Stairway to the Stars
6. I'm Getting Sentimental over You
7. Romain
8. Romain
9. Skating in Central Park
10. Darn That Dream

平成十九年四月五日(木)午後十時十五分
BGM : Undercurrent / Bill Evans & Jim Hall

 セガレの小学校はきょうから新学期。4年生になった。自分が4年生のときに何を考えてどんな行動をしていたのか、さっぱり思い出せない。というか、4年生をやったことがあるような気がしない。べつに私のことはどうでもいいです。セガレの担任はベテランの男性教師。これまで幼稚園時代も含めて「先生」といえば女だったが、男になってセガレのたたずまいなどには何か変化があるだろうか、どうだろうか。同級生がひとり転出してしまったため、また大人数の2クラス体制に戻る可能性が高いと思われていたのだが、入れ替わりに双子が転入してきたおかげで少人数の3クラスが維持されたようだ。セガレによれば、転校生は「インドネシア生まれで日本育ち」の双子であるらしい。「インドネシアで生まれた」のか「インドネシア人から生まれた」のかなど、詳しいことはセガレの取材が甘すぎてよくわからない。同級生にはお父さんがギリシャ人の子やお母さんがブラジル人の子などもいて、なんとも国際色豊かな現代のニッポンではある。私は「愛国心」なるものを学校で教える必要があるのかどうかよくわからない(いまの学校でそれを教えたところで何か意味のあるものが身につくとは思えない)し、そんな暇があるなら国語の授業時間を増やしてほしいと思ったりもしているが、ある意味、「祖国」というものについて考えさせるには昔よりも良い環境になっているのかもしれない。

 YAHOO!ニュース、Amazon、アサヒ・コムなど、最近になってリニューアルされたサイトがいずれもネットスケープでちゃんと表示されないのはなぜなのだろうか。どこもかしこもビロ〜ンと横に広がってしまい、左右にスクロールしないと読めないので、ひじょうにイライラする。新しく開発されたHTMLか何かがネットスケープに対応していないといったことでもあるのかもしれない。私は基本的にネットスケープの表示が好きなので、先述した3サイトだけSafariで閲覧するという面倒臭いことをやっている。このサイトの表示確認は、あくまでもネットスケープ。それで見ている人は圧倒的少数であることは承知しているが、自分さえ気持ちよければそれでいいのだ、こんなものは。間違いなく、おれがいちばん長い時間このページを眺めてるんだし。昔は「どんなブラウザーで閲覧してもきれいに見える」が正しいウェブデザインのあり方だと思っていたが、だんだん、そんなことはどうでもよくなってきた。最近のネットって、デザインに対する意欲が湧かないメディアになっているような気がする。昔は「KOOL」であることを競うような雰囲気があったものだが、無料掲示板だのブログだのが増殖して以来、投げ込みチラシみたいな小汚いバナー広告がそこらじゅうにベタベタ張られて、じつに醜悪な世界になっている。私自身も無料掲示板を使っていたことはあるし、いまも古いほうは閲覧可能だから人のことはいえないけれど、その汚らしさが厭なこともあって、書き込みを再開する気にならない。カスタマイズにも限界がある。そこらのブログたちも、それなりにカスタマイズしているとはいえ、所詮はお決まりのアイテムを揃えた「制服」みたいなものにすぎない。それを見ていると、どこもかしこも似たような風景になっていく駅前商店街を想起したりもするのだった。そんなブログの上で日本社会の画一化やらファスト風土化やらを嘆いたりしてる人もきっといるんだろうけど、笑止千万である。







1. Momento
2. Bring Back The Love
3. Close To You
4. Os Novos Yorkinos
5. Azul
6. Cacada
7. Night And Day
8. Tranquilo
9. Um Segundo
10. Cade Voce
11. Words

平成十九年四月四日(水)午後九時十五分
BGM : Momento / Bebel Gilberto

 前回の日誌で「追い払った」と書いた母ハトは、それから何時間もしないうちに私のベランダへ舞い戻り、それ以来、ずっと卵をあっため続けている。あれほど非道い仕打ちを受けたにもかかわらず我が子を見捨てず、おそらくは飲まず食わずで(だっていつ見てもそこにいるのだ)卵をあっためている母ハトを、どうして再び追い払えようか。私は鬼ではないのである。いや、鬼だって、こうなったら黙って見守るしかないだろう。ハトのヒナって見たことないから、ちょっと興味あるし。そう簡単に孵るものかどうか知らないけど。しかし、仮に無事に孵ったとして、それから一体どうなるんだ? ヒナが自力で飛び立つまで、何日かかるんだろうか。それまで外敵に襲われたり飢えたりせずに生き残れるのだろうか。お願いだから、そこでお亡くなりになるのだけはやめてほしい。

 千葉に住んでいる姪がこのたび一浪の末に大学生となり、きのう、小金井の祖父母(つまり私の両親)のところに妹を連れて遊びに来たので、われわれ一家も合流して乾杯。父親(つまり私の兄)の影響なのか何なのか医学部を目指していたものの、残念ながらそれは果たせず、私大の理工学部応用生物科とやらに行くことになったそうだ。それこそ「ヒナ」の頃から知っている女の子が大学でバイオテクノロジーを勉強し始めるというのは、なんというか、キョトンとしてしまうような事態ではある。子供は突如として立派になるのだった。今年の秋にはハタチになるというのだからイヤになるよまったく。だって、成人した人間から「叔父さん」と呼ばれる人間って、ほんとうにオジサンみたいじゃないか。ほんとうにオジサンなんだから仕方がないが、ほんとうのオジサンって、もう成長しそうにないじゃないか。ほんとうのオジサンが成長したら、むしろ気持ち悪いぐらいじゃないか。自分がハタチだった頃、ほんとうのオジサンたちは「すでに完成した人間」に見えたものである。嗚呼。これぐらいで完成なのだろうか私は。まあ、そんなに不満はないし、わがポテンシャルから考えればわりと上出来だと思ってはいるけれど、もうちょっとあってもいいよなぁ。

 ゆうべ、初めて都知事選候補者の政見放送を見た。ドクター・中松と石原慎太郎。ドクター・中松はとても面白く、何度か腹を抱えて笑った。人生をすべて「発明」一本で乗り切ろうとする姿勢には清々しささえ感じる。石原慎太郎のほうは、さすがだと思ったことがひとつあった。あれやこれやで都民に心配をかけたことを「申し訳なく思っている」と言ったことだ。べつに謝ったことがさすがなのではなく、「申し訳ございません」という非伝統的な言葉遣いをしなかったことがさすがなのである。もはや「申し訳ございません」は誤用とは呼べないレベルまで浸透しているので、いちいち目くじらを立てようとは思わないけれど、あらゆる不祥事の謝罪会見でいいオトナどもが「申し訳ございません」を連発しているのを見ると、やはり格好悪いよなぁと思うのだった。テレビの影響力というのは実にアテにならないもので、日本語を扱うバラエティ番組で「本来は<申し訳ない>でひとつの単語(したがって丁寧に言うなら<申し訳なく存じます>が正しい)」と教えているのを何度か見たことがあるにもかかわらず、「申し訳ございません」はまったく消えようとしない。納豆はたちまちスーパーの店頭から消えたというのに、こちらは誰も意に介していないのが不思議である。結局、視聴者なんてものは自分にとって都合のいい情報だけを都合よく解釈し、選択的に影響を受けているということなのであろう。関西テレビの検証番組で、アナウンサーが「申し訳ございません」と言っていたかどうかは忘れた。



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