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にし・たかヲのサッカー日誌
1999-2000/vol.06



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「お願い」という名の宣伝。

考えて楽しい! 知って納得!
誰かに解かせたくなる算数・数学の本』(秋山 仁・幻冬舎文庫・税抜571円)
……というタイトルの本を店頭で見かけたら、迷わず1冊手にとり、そそくさとレジへ持ってゆき、黙って言われたとおりの代金を払ってください。べつに2冊でもいいです。それがどうしてもイヤだというのなら、平積みの棚から本書を1冊抜き出して、隣の本の上に置いてから立ち去りましょう。ひとつ、よろしく。人助けだと思って。
Readers' Mail No.078(7/16)

似てる人シリーズ

by オタフクニシ

●チリのサモラーノと武田鉄矢(の髪のかきあげ方)。
●ペルーのソラーノとターミネーター2で起爆装置持ったまま絶命するエンジニア。
 んじゃなかったら、
●ソラーノとインディージョーンズ魔宮の伝説で心臓をもぎとられて檻みたいのに入れられて火の中に突っ込まれちゃう人。

 暇ですみません。あとエルナンデスが誰かに似てるんだけどなー。思い出したらまた投稿します。

投稿大募集!

 本誌『愛と幻想のフットボール(FLF)』では、読者の皆様からの投稿を募集しております。原則としてテーマは問いません。h_okada@kt.rim.or.jpまで、どしどしお送りください。このページに関するご意見やご感想など、投稿以外のメールもお待ちしています。なお投稿の際は、通常のメールと区別するため、文末にお名前かペンネームをカッコに入れて記入するよう、お願いします。いただいた投稿は、いったんこの日誌内で紹介し、その後、こちらの投稿欄にまとめて掲載いたします。
8月4日(水)10:30 a.m.
 こんなの、どうでもいいじゃねーか、ちくしょう。……愚妻によれば、一昨日の晩、俺はこういう寝言を吐いたそうである。しかも、とても明瞭な口調で。いったい、どんな悪夢を見ていたのか、たいへん気になる。でも、俺が「どうでもいい」と言いそうなことは何かと考えてみたら、あんまりたくさんありすぎてバカバカしくなった。自分の原稿に悪態をついている夢でなかったのならよいが。ま、どうでもいいや。

 どうでもいい内容かどうかは別にして、昨夜、某飲料会社トップのビジネス論を脱稿。なんだか、最初から最後まで同じようなことばかり書いていた気がする。ビジネス書って、いつもそうだな。ともあれ、仕事の話を仕事で書くのは辛い。「約束や締め切りを守れ」とか、どんな顔して書けってゆーんだよ。

8月3日(火)16:20 p.m.
 心の名曲喫茶FLF、本日のBGMはマーラーの交響曲第5番。この第4楽章は泣ける。原稿書きでへろへろになっているときなんかに聴くと、なんちゅうかこう、背筋がぞくぞくぅぅぅっとして、肩凝りが抜けていく感じ。こんなに豊かで切ない音楽がほかにあるだろうか。「たれぱんだ」ごときで癒された気になっている中年サラリーマンには、これでも喰らえ!と言いたい気分。癒されたいなら真剣に癒されろ。ってゆーか、癒される必要もないのに癒されたがるな。どっちにしても、意味がよくわからんが。……と思ってCDの解説文を読んだら、マーラーの中でも5番はもっとも人気があり、とりわけ第4楽章は映画『ベニスに死す』でも使われた名曲であるらしい。嗚呼。俺ってば通俗的。たれぱんだを嗤えない。

 ペトラッキが移籍するノッティンガムはプレミアリーグじゃなくてイングランドの1部であるようだ。お詫びして訂正します。ディナモ・キエフだマイアミ・フュージョンだと賑やかに情報が飛び交っていたスーケルは、アネルカを失ったアーセナルが獲得したとかしないとか。よかったじゃん。でも、アーセナルはオランダ期待の新星ファン・ニステルローイ(PSV)にも目をつけてるらしいから、相変わらず出番に恵まれないかも。カヌ君も調子いいみたいだし。

8月2日(月)15:30 p.m.
 すったもんだの挙げ句、どうやらアネルカはレアルに持っていかれたようである。ごね得、というやつか。そんなにロンドンで暮らすのがイヤなのかなー。俺は好きだけどなー。それより、なんだか気の毒なことになっているのはペトラッキさんなのであった。初めて2シーズン連続でセリエAに残れると思った矢先に、プレミアリーグに売り飛ばされるとは。中田を売り損なったお陰でワリを食ったということらしいが、なんとも皮肉な話ではある。負けるなペトラッキ。はばたけペトラッキ。

8月1日(日)13:50 p.m.
 吉祥寺のラオックスで、スカパーのチューナー&アンテナを購入。取り付け工事は木曜日に来て貰うことに。「わたしがサッカー好きになってなかったら、けっこうモメただろうね」と愚妻に言われ、こっくりと頷く。毎月バカにならないコストを払った上に、テレビをほとんどサッカーに占拠されてしまうのだから、サッカー嫌いの女房だったら離婚モノかも。夫婦共通の趣味だと思えばそう高い支出でもない、と無理やり自分を納得させる。あとは愚息が物心つくまでに、「テレビはサッカーのためにある」と洗脳しておかなければ。帰りに本屋に寄り、スカパーの番組ガイドを買う。見ると、ラグビーもけっこう充実しているようだ。南アフリカ×オーストラリアとか、生中継しちゃうんだぜ。ラグビーのことなんかサッカー以上に知らないけど、おもしろそー。それはともかく、スカパーの番組ガイドは編集力がディレクよりも低い。料金体系も複雑で難解である。どちらも、パーフェクTVとスカイTVの2系統があることが主因だと思われる。料金自体も、なんとなくディレクのほうが割安な感じだと思った。

7月31日(土)8:50 a.m.
 七の月も今日でおしまい。コンクリートの塊とか首都高の標識とか雨とかいろんなものが降ってきたが、恐怖の大王は降ってこなかった。そういえば高校時代、「1999年の8月1日に生きてたら、会おうぜ」と友達と約束している奴がいたが、その待ち合わせ場所は「吉祥寺駅東口のマクドナルド」だったような気がする。世界は滅びなかったが、東口のマクドナルドは何年も前にベッカーズという店になっているのであった。諸行無常の響きあり。

7月30日(金)7:50 a.m.
「地上波とBSの放送権は未定」ということは、スカパーは「CSの」放送権を独占したということなのか? ようわからんなー。視聴者を動揺させるのもいい加減にしてもらいたいもんだ。ほんとにめんどくさい。あと1ヶ月で開幕だというのに、何をやっておるのだ。とにかく、そろそろプレミアリーグも始まることだし、スカパーと契約してしまえ。

 都立城東が甲子園出場。都立OBとしては、ちょっと嬉しかったりする。しかし、あれから19年もたつのかー。「都立国立」という字面を見て、「トリツなのかコクリツなのかハッキリせい」という声が地方で聞かれたことを思い出す。俺はちょうどあの年に高校へ進学したのだが、五分五分で国高へ入る可能性もあったので、かなり悔しかった。秋に国高の文化祭を見に行ったら、あちこちで箕島戦のビデオを流していて、えらく羨ましかったものだ。ともあれ、夏本番である。

7月29日(木)16:50 p.m.
 セリエA中継関連の続報。どうやらスカパーでは「毎節5試合を生中継、残り4試合も録画で放送、全試合を放送することになった。再放送も随時行われる予定。また、同局では5試合同時生中継に備えて衛星回線を5回線確保、スタジオも5試合同時中継に対応できるよう準備を進めている」らしい。おいおい、まじで5試合同時に中継するつもりかよ。まあ、「全試合中継」はナイスだけど、ナマでどれを見るべきか迷っちゃうし、つい誘惑に負けて「ザッピング地獄」に陥ることは目に見えているのであった。ともあれ、本誌読者の皆様の中にも、CS導入をご決断される方々が増えそうでありますな。俺はもちろん導入するつもりだが、ディレクのほうはどうしよう。今季もスペインリーグの半分(レアル中心)がディレクのオリジナル・チャンネルでの放送だとすると、解約する気にもなかなかならない。しかし、テレビ自体のキャパにも限度ってもんがあるしなー。前面にあるゲーム用の端子(「ビデオ3」ってやつ)にスカパーをつなぐのか? 見苦しいし、セガレがプラグを抜いちまいそうだ。あー、困った困った。

10:30 a.m.
 あらら。どうやらWOWOW、完全にしてやられたようである。ディレク・ユーザーの俺にとっても、最悪の事態になってしまったらしい。以下、スポニチのウェブより引用。

≪スカパー、中田&名波を全試合生放送≫
 スカイパーフェクTVが今季のセリエAの放映権を独占で獲得したことが28日、明らかになった。 期間は3シーズンで放映権料は破格の20億円。 同局ではペルージャ戦とベネチア戦を含めて毎節5試合生中継することも決定、ペルージャのMF中田英寿とベネチアのMF名波浩の試合は全試合生中継される。

 いやはや、参ったねどうも。詳細は不明だけど、どうせオリジナル・チャンネル使って、CATVでは見られないようにするんだろうなー。こうなったら、もうJ-COM東京なんかに用はない。ディレクとスカパー同時加入で、空から電波を拾いまくるしかないぜベイベ。WOWOWは解約か? ああ、チャンピオンズ・リーグはまだわからないのか。でもWOWOWのデコーダをどかさないと、スカパーのチューナーは置けないかも。やれやれ。それにしても、「毎節5試合生中継」って、どーゆーふーにするわけ? 同時刻に放送されたんじゃ、録画の心配とかしなきゃなんないじゃんか。ってゆーか、たぶん(同じプラットホーム内で)裏番組の録画なんてできないと思うぞ。まあ、どうせ何度も再放送するんだろうけどさ。まったく、頭の痛いことである。

8:40 a.m.
 あー。書いても書いても原稿が進まねー。暑いー。眠てー。仕事したくねー。遊びてー。キーボードなんか見たくねー。ビール飲みてー。怠けてー。麻雀やりてー。シュート打ちてー。うががー。

 昨夜、トゥーロン・ユースサッカー・フェスティバル決勝アルゼンチン×コロンビア(U-21)というものを見た。南米の人はみんなサッカーが上手だと思いました。ガキの作文か。100分(40分ハーフ+10分ハーフの延長)終わっても1-1のまま決着がつかず、PK戦に。アルゼンチンの6人目(GK)が失敗してコロンビアの勝ち。1本も止められず、自らも外したアルゼンチンのキーパーが気の毒だった。ともあれ、すげー痛そうな試合だったな。めちゃ本気の削り合い。みんなほんとうに痛そうにのたうち回っていた。共に10番を背負ったアルゼンチンのモンテネグロとコロンビアのモンターノ(16歳!)という選手が目を引いた。

7月28日(水)8:40 a.m.
 どうするどうなる放映権。セリエAもチャンピオンズ・リーグも「WOWOW危うし」との噂を耳にしたが、ほんとのところ、どうなんですか。ディレクが頑張ってくれればいいけど、スカパが関わってくるとややこしい。我が家では「自宅でJ-COM東京に加入してSKY sports(プレミアリーグ)を見る」という計画が進行していたのであるが、セリエAやCLが「スカパのオリジナル・チャンネルで!」なんてことになると、もうどうしていいかわからない。めんどくせーなー。「選択肢が増えるのは消費者のメリット」だなんて、ウソだと思うね、俺は。このあいだもNTTから「基本料金200円増やすと3分10円が5分10円に」みたいなご案内があったが、どっちが得か考えるのはめちゃめちゃ面倒だ。その月によって違うだろうし、どっちみち大した差じゃないからどうでもいいのに、「どうなさいますか」と決断を迫られると、とても困る。自由と責任は表裏一体だから、規制緩和で自由化されれば消費者に自己責任が求められるのは当然だとわかっちゃいるが、ふつうの人は、電話代やテレビ代や銀行の利率なんかのメリットとデメリットをいちいち計算して選んでるヒマなんか物理的にも精神的にもないんである。損得勘定ばかりしなきゃなんない生活が、「豊か」なのか? だいたい、CSのプラットホームが2つも必要だとはぜんぜん思えない。まったく毛色が違うならともかく、「ほとんど同じでちょっと違う」程度なら、視聴者にとっては1つあれば十分じゃん。ともあれ、こうなったら「とりあえず何でも視聴可能な状態にしてしまえ」とヤケを起こしそうな気分なのであった。

7月27日(火)8:40 a.m.
 昨夜はMSLオールスターゲームなんか見てしまった。途中から見たんで、どこでやってるのかわからなかったが、あれはたぶん野球場だと思う。女性が主審を務めていた。ざっと見たところ、俺が知っていたのはバルデラマ、ゼンガ、ララスぐらいだったかな。でも、3人とも所属チームさえ知らない。ララスは出たり入ったりしていた。自由の国アメリカ。倉敷アナも「なーんかユルいゲームですよねー」と溜め息まじりにコメントしていたとおり、なんちゅうか、とにかく点がたくさん入るだけの試合。4-6で、バルデラマのいないほうのチームの勝ちである。細かいパスはよく回るけど、ぜんぶ足元ばっかりで、スピード感ってものがまるでなかった。唯一の見せ場は、バルデラマが個人技で決めたゴールぐらいか。

7月26日(月)9:55 a.m.
 あらあら。ナカタ君、またやっちゃったみたいである。大嫌いなメディアが喜ぶだけなのにねぇ。いいから黙ってなさいってば。いろいろあるんだろうけど。でもニッカンには暴言騒動のことが一行も書かれていなかった。結局、報知との私闘ということなんだろか。どうでもいいけど(報知が報じた「発言内容」が正しいとして)、彼、ちょっとボキャブラリーが貧困すぎないか? 大スターなんだから、どうせなら、もっと気の利いたかっちょいい罵詈雑言(子供たちが真似したくなるような奴)を吐いてもらいたい。プレイはワールドクラスだとしても、「うざってえんだ、バーカ! おめえら日本人は、帰れ、アホ! 」は世界のナカタの言葉としては貧しすぎる。イタリア語や英語やフランス語を身につけるのも大事だろうけど、豊かな日本語を身につけるのはもっと大事だ。好むと好まざるとに関わらず、彼はもはや「日本人の代表」なのだからして。日本を背負うということは、日本語を背負うということでもあるんである。せっかく芥川賞作家や売れっ子ジャーナリストとトモダチなんだから、そういう部分でご指導を賜ればいいのに。村上龍直伝の罵詈雑言なんて、きっとカッコいいぞ。それにしても、「メール」で見られるあのなよなよした文体と暴言のあいだには、ものすごいギャップがあるよなー。でも、人間なんてそんなもんか。

7月25日(日)7:20 a.m.
 おいおい槙原、なんであんたが球宴に。誰が選ばれたのかぜんぜん知らずに見たんで、ちょっとびっくり。もしかして、上位チームの抑えを休ませまいとする権藤のいやがらせか? 手術したがってる佐々木を出したぐらいだから、そんなこたないか。しかし槙原ねぇ。ふーん。まあ、いいけど。ともあれ、何となく見てしまうオールスターゲームではある。「べつに興味はないけど一応見ておくってもんかな」と思わせてしまうあたり、紅白歌合戦みたいなものか。

 種馬カビエデスはセルタへ移籍するとか。リビアと乱闘を演じたりなんかして騒がしいペルージャだけど、ラバネッリ獲得はどうなりましたかね。そういえばラツィオはセンシーニまで獲得したらしい。どーゆーふーに使うんだ。急速に高まるアルゼンチン濃度。おまけにクラウディオ・ロペスをアトレチコと「共同購入」したという話も聞いた。どういうこと? 宝クジじゃないんだから、いっしょに買うなよ。最初の2年はアトレチコ、後の3年はラツィオって話らしいけど、来る前に怪我しちゃったらどうするんだろうか。なんだかデタラメな話である。

7月24日(土)18:00 p.m.(加筆修正)
 昨日だったか一昨日だったか忘れたが、日の丸・君が代法案が衆院を通過したとか。あんまり熱心に報道や議論を見ているわけではないけれど、例によって「法制化することの是非」と「日の丸・君が代の是非」という2つの議論が混乱しているようで、溜め息が出る。「法制化はするが強要はしない」とか、どういうことなのか俺には理解できない。強制力のない法律なんて、それだけで矛盾した存在なんじゃないのか?

 あと、国旗や国歌の話が必ず「教育現場」との関わりで論じられるのがよくわからん。卒業式や入学式で君が代を歌うとか歌わないとかいうことが、そんなに重要なことなんだろうか。そこで歌おうが歌うまいが、子供たちは相撲の千秋楽やサッカーの国際試合やプロ野球の開幕戦で君が代が歌われるのを聴くわけだろ。「君が代を歌うな」という教師の言葉と、心を込めて君が代を歌うカズや中山(や松崎しげる)の姿と、子供にとってどっちが説得力があるか考えてみたほうがいい。卒業式の日の丸・君が代に反対するなら、そういう日の丸・君が代にも徹底的に抵抗しなきゃいかんのじゃないだろうか。教育は、べつに学校の中だけで行われているわけじゃないんだから。

 実際、俺は学校の卒業式や入学式で自分が君が代を歌ったかどうか、あるいは日の丸が掲げられていたかどうかなんてまったく記憶がないし、どっちにしてもそれが何か教育的な意味や効果を持っていたとは少しも思えない(もっと言えば、「学校」や「教師」から何か大切なことを学んだという記憶もない。人生に必要なことはたいがい「友達」から学んだ)。「歌いたくない歌を無理に歌わせられるのは苦痛」みたいな声も聞くけれど、そんなことを言い始めたら音楽の授業なんか成立しないじゃん。ぜんぜん楽しくない「峠の我が家」とか「大地讃頌(サンショウって、こんな字でいいんだっけか)」とかを歌わせられるのだって、相当な苦痛だぜ。世の中にはもっと切実な苦痛(飢餓とか戦争とか虐待とか)を受けている子供たちもいるんだから、嫌いな歌を歌うことぐらい我慢したらどうか、と言いたい。

 そもそも儀式なんて形式的なものだし、内心では「めんどくせー」と思いながらもその形式に折り合いをつけて、表面的であれ一応は従順に黙って参加することに意味があるのだ。そこで何を歌うとか歌わないとか、そんなことはどうでもよろしい。結婚式もそうだが、儀式ってのは「内容」をあーだこーだと考え始めると余計に面倒なことになる(俺はつい拘って人前式なんかにしちまい、本当に面倒だった)。何であれ「滞りなく済ませた」という事実が大切なんであって、内容なんか二の次なのである。

 だいたいわれわれ日本人というのは、子供が生まれればお宮参りで神主にお祓いをしてもらい、結婚式では牧師だか神父だかに永遠の愛を誓い、葬式には坊主を呼ぶという具合に、儀式の「内容」に関してはめっぽうふしだらな国民なのだ。卒業式で君が代を拒絶する教師や親が、親戚の結婚式で「私はクリスチャンではないから」と賛美歌を歌うことを拒否するなら首尾一貫しているが、たぶんそんな奴は滅多にいない。結婚式をふしだらにやるのなら、卒業式をふしだらにやったって一向に構わないじゃんか。イヤなことはあっても、しょせん形式的な儀式なんだから、我慢して最後までつきあえ。すぐ終わるから。そもそも学校ってもん自体が、生徒にとっては「イヤだけど我慢して最後までつきあう」もんなのだ。それを何年間も生徒に強いている教師が、半日もかからない儀式を我慢しないとは何事か。ともかく、そういうことも含めて、現場の教師たちが、とにかく学校から日の丸・君が代を放逐しさえすれば事足れりと考えているのなら実にくだらないし、それだけで教育者としての役割を果たしたつもりになっているなら、思い上がりも甚だしいと俺は思うのである。

 なんか、我ながら何を言いたいのかよくわからない。たぶん、また的外れなことを言ってるんだろうと思う。とにかく、日の丸・君が代に積極的に「反対」する人々のキモチも、積極的に「賛成」する人々のキモチも、俺にはどうもピンとこないのだ。たかが旗や歌じゃないか、という感覚を持つのは許されないことなんだろうか。

 俺自身は、昔は日教組系教師どもの影響で日の丸・君が代に抵抗感を持っていた時期もあったが、今となっては考えること自体が面倒臭い。ずっとそれが国旗と国歌だと思ってきたんだから、べつに日の丸・君が代でいいじゃん、と思うだけ。君が代の場合、相手がどこの国だろうと(俺の場合、とりあえずサッカーのことを最優先に考えてしまうのである)気後れしないだけの風格みたいなもんがあるし、なんてったって曲が短いのがいい。ブラジル国歌とか、やたら長くてイライラする。だらだら歌ってないで、早く試合を始めろ。

「君」が天皇のことだとか恋人のことだとかいう議論もあるようだけど、歌詞なんて歌う人間自身が勝手に解釈して気持ちを込めればいいんじゃないだろうか。たとえば「いとしのエリー」の「エリー」がどういう女性かなんて、桑田佳祐にさえ決めつける権利はないような気がする。そういう解釈まで法律で決めて押しつけようとしているなら、これほどナンセンスな話はない。大きなお世話である。「君」は「君」だ。いろんな意味がある。それが日本語の豊かさであり、この国の文化そのものなんじゃなかろうか。それを否定したくないという意味では、今回の法制化には反対、と言わざるを得ない。

 とりあえず強制力のない法律なんか作っても意味がないと思うし、強制力のある法律を作るならもっと議論を尽くさないといかんだろうとは思う。もっとも、この国で尽くされる「議論」がどんなものかを考えるとうんざりしちゃうんだけどね。君が代のかわりに「さくらさくら」や「上を向いて歩こう」を国歌に、なんて声もあるようだが、これはどっちも反対だな。なぜなら、サッカーの試合前に歌うにはどちらもカッコ悪すぎるから。「霞か雲か」とか「涙がこぼれないように」とか、まったく気合いが入らん。それに、「さくらさくら」では季節感が濃すぎて、それこそ入学式ならハマるけど、真夏や真冬に歌うのはあほみたいだ。

 だいたい、「上を向いて歩こう」って、負けた後に歌う歌じゃないの? そんなの国歌にするぐらいなら、同じ永六輔作詞でも「見上げてごらん夜の星を」のほうが、よほど感動的で国歌向きだと思うのだがどうだろうか。作曲者のいずみたくが亡くなったとき、追悼番組で混声合唱団をバックに従えた森進一がこの歌を絶唱するのを耳にして以来、俺は「新しい国歌を決めるならこれしかない」と思っているのである。ジャズピアニストの佐山雅弘が演奏しているものを聴いたときも、この曲の美しさは侮れないと思った。まあ、オリンピックなんかで国旗掲揚を伴う場合、日章旗(太陽)を見上げながら「夜の星を」って歌うことになるのが、ちょっと間抜けではあるんだが。いずれにしても、国歌は「思い切り声を張り上げて歌える歌」がいいと思うね。松崎しげるが思い切り歌う「さくらさくら」は聴きたくない。



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