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にし・たかヲのサッカー日誌
1999-2000/vol.25



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2月8日(火)10:15 a.m.
 またまた電話セールスの話。くどいな俺も。
 日本語特有の婉曲な「NO」が外交なんかの場で嫌われるのは無理もないと思うけれど、少なくとも日本人同士のコミュニケーションにおいては一種の伝統的美風として残しておいてもいいんじゃないかと俺は思うのである。たとえば「結構です」「いいです」は詐欺まがい商法に対する禁句と言われているが、これも婉曲だが立派な日本語なんであって、その曖昧さにつけ込んで文字通りに「YES」と解釈するほうが断じて悪い。そういう輩がいる以上、防衛策として「きっぱり断れ」とアドバイスするのはかまわないが、「だから日本語は曖昧でダメなんだ」と決めつける人があるとすれば、これは少々、乱暴すぎる。

 電話セールスに対して「いま仕事で忙しいので」というのも、もちろん婉曲な「NO」である。「後でかけ直してくれ」なんていうつもりは毛頭ない。あんまりきっぱり断るのも悪いと思うから、気を遣ってやるわけだ。なのに、そこで「じゃあ、何時頃ならお時間をいただけますか」なんて訊くたわけ者がいるから、こっちも遠回しに断るのが面倒になって、「必要ないです」とか「関係ありません」とか木で鼻を括ったような冷たい断り方をしてしまうわけなのであった。これはお互いにとって、精神衛生上たいへんよろしくない。

 訪問販売の場合は、「いま出かけるところなので」という常套句もある。そこで「では、いつお帰りで?」なんて訊かれたんじゃ、二の句が継げない。「アンタにだけは教えたくない」とでも言いたくなるところだ。そういえば読売新聞の勧誘員と大喧嘩になったときも、やんわりと「いま出がけで忙しいんで」(ホントに予定があった)と言った俺に対して、向こうが「でも、パジャマ着てるじゃないですか」などとぬかしやがったのが罵倒合戦のきっかけだった。だからこれから顔洗って着替えようと思ってんじゃねーか、休みじゃなくても昼までパジャマ着てる人間だって世の中にはいるんだ、このバカ野郎。と、言ってしまった俺である。バカ野郎は余計ですね。いやはやお恥ずかしい。バカに面と向かってバカと言ってはいけません。このごろ運転中に前のクルマに向かって「あ、バカ、ウィンカーぐらい出せよ」などと毒づくたびに、後部座席のセガレに「とーたん、おこんないでよー」と窘められるのであった。反省。

 ともあれ、こうして婉曲な物言いが日本語から駆逐されていくのはいかがなものか。極端な話(ほんとうに飛躍した想像なんだが)、婉曲で曖昧な物言いが必要以上に嫌われ(あるいは前記のような事情で使いにくくなり)、正確で厳密な物言いばかりがありがたがられるようになると、いずれ世の中に六法全書や各種取扱説明書や官僚の作文みたいな「間違っていないことだけが取り柄」の悪文が蔓延することになりはしないかと、俺は危惧するのである。そういう精密機械の設計図のような味気ない言語空間に美を感じる人もいるんだろうけど、俺はそんなの御免だね。そして、行間が見えにくく、そうであるが故に曖昧さを拒絶しがちな電子テキストもまた、そんな流れを加速するような気がするのであった。このところ俺が一人でぶつくさ言っていた2つの問題(電話セールスに感じる不愉快さと電子テキストから生じるストレス)は、そんなところでつながっていたのかもしれない。要は、日本語の問題なのだ。

 ところで、「木で鼻を括ったような」の使い方って、さっきので正しいんだろうか。自信がない。木で鼻を括る? どんな由来があるのか知らないが、考えてみるとかなり異常で難解な比喩である。そもそも、木で自分の鼻を括るのか相手の鼻を括るのかが判らない。それとも本来は「木で花を括る」なんだろうか。余計に判らんな。こんなけったいな表現が慣用句として定着しているあたりが日本語の底力なのだ!と息巻いたところで、使い方に自信がないんじゃ説得力ないけども。誰か教えてください。そういえば物事を冷たく断るときの副詞には、「けんもほろろに」ってのもあったな。なんじゃそりゃ。……と思って調べてみたら、「けん」も「ほろろ」もキジの鳴き声であるらしい。ほほー、キジは2種類の鳴き方をするのか。それで? キジは木で鼻を括ったように鳴くのか?

*

 昨夜は、バルセロナ×アラベス(リーガ第23節)を観戦。アウエーの1stマッチをセルジのお間抜けプレイで落としているだけに、バルサとしては負けられない試合である。しかし、負けた。前半16分のナン・リベラのゴールを守ったアラベスが、0-1でバルサに連勝。フィーゴ不在のバルサはぜんぜん攻めに迫力がなく、勝つ気あんのかと言いたくなるふがいない戦いぶりであった。見てて欠伸が止まらなかったぞ。

 ウィンブルドン×エバートン(プレミア第24節)は0-3でエバートンの勝ち。キャンベルというストライカーが2ゴール1アシストの大活躍であった。っていうか、ウィンブルドンの守備がお粗末すぎたな、これは。なんで続けて同じところから簡単にクロス入れさせるかなぁ。ま、お粗末な守備が実はプレミアの面白さを支えて(?)いたりするのかもしれないけど。

 さて今日は香港選抜とのゲームである。選手選考のためのテストならテストでもいい。いつまでテストしてんだと愚痴りたくもなるけれど、まあ、トルシエの気が済むまで試せばよかろう。そもそも南米選手権というビッグイベントさえ誰も「本番」扱いしてなかったんだから、こんな大会で結果を求めるつもりもないんである。しかしテストだとはいえ、選手たちが、監督に「試されている」という思いを頭から振り払わない限り、またメキシコ戦と同じような責任転嫁パスが繰り返されるに違いない。ピッチという名の試験場は、誰かに「試される場」ではなく、おのれ自身を「試す場」なのだという覚悟を持たねばならぬ。他人の評価を気にして臆病風に吹かれてるようじゃ、減点主義の弊害で無責任体質になっている事なかれ主義の役人とおんなじである。そんなもん、スポーツの試合で見たくない。

2月7日(月)11:55 a.m.
 仕事で元検察関係者にインタビューした折、「被疑者や重要参考人を自殺から守るのは、捜査官にとってイロハのイ」という話を聞いたことがある。とくに挫折を知らない役人や企業幹部などのエリートは、我が身に捜査の手が伸びてきそうだと察知しただけで死にたがるから、早めに逮捕状を取って身柄を拘束するんだそうだ。人間は、自分という証拠を隠滅してでも罪を消したがる厄介な生き物なんである。もちろん、だからといって逮捕状の請求要件を緩和すりゃ無闇に人を捕まえる風潮になっちまうのは間違いないから、塩梅が難しい。新聞の報ずるところによれば、京都の小学生殺し、警察は「被害者の誕生日までに片付けないと批判される」とか「6日は大阪や京都の選挙でマスコミの目が届かないから」という、とてもじゃないが合理的とは思えない理由で、その日に犯人と目される男への事情聴取に踏み切ったんだとか。真偽のほどは判らないし、そう単純な力学だけで警察が動いているとも思いたくないが、さもありなん、という気もする。人間、気持ちが焦ると仕事の優先順位を見失うことが多いものである。

 めちゃ古い試合だが、きのうは午前中から、チェコ×ボスニア・ヘルツェゴビナ(EURO2000予選)を観戦。3-0でチェコの勝ち。ベルガーは代表でもやはり中心選手なのであった。あの運動量、あのスピード、あのシュート力。頼もしいなぁ。そのベルガーにネドベド、ポボルスキーをからめたチェコの中盤はなかなかの迫力。6月の本大会が楽しみである。

 ラツィオ×ユベントス(コッパイタリア準々決勝第2戦)をビデオ観戦。第1戦は3-2でユーベが勝ったが、アウエーで2点取ったラツィオが気分的に有利である。前半は0-0。後半から出場したボクシッチが、スタンコビッチの左からのクロスにヘッドで合わせてラツィオが先制した。誰かも言っていたけど、いまのラツィオでは、ボクシッチを左サイドに開かせるより、中央にどんと構えさせたほうがいいんじゃないだろうか。その後、ユーベがオフサイド&ハンド臭いデルピエーロのゴールで同点に追いつく。PK以外のゴールを見たのは久しぶりのような気がした。これでagg.3-4となったが、勢いに勝るラツィオがCKから勝ち越し。ゴールに向かってぐぐぐっと曲がっていくミハイロのキックにシメオネが飛び込んだものだった。ナイス。agg.4-4、アウエーゴールの差でラツィオがベスト4に勝ち上がったのであった。

 さらに昨夜は、トリノ×ラツィオ(セリエA第20節)をライブ観戦。前日にユーベがウディネと引き分けているだけに、ここはきっちり勝っておきたいところである。2トップはサラス&シモーネ、中盤はネドベド、シメオネ、センシーニ、スタンコビッチ。何だか知らんが、1日にネドベドの姿を3試合で見ている。ネドベドに次ぐネドベド。ネドベドだらけ。極端になで肩な男である。肩胛骨あんのか。そんなことはどうでもよろしい。試合は開始8分にCKからセンシーニがヘッドで今季初ゴール。あっさりセットプレイで先制するのが、ラツィオの勝ちパターンである。安心安心。前半は0-1。後半は、まず55分に、シモーネ君がもらったPKをミハイロが決めて0-2。さらに安心。続いてスタンコビッチのクロスに途中出場のラバネッリがどんぴしゃのヘディング・シュートを決めて0-3。またまた安心。しかし80分、セットプレイのポジション取りの際にミハイロがフェランテに肘打ちを喰らわせて退場である。バカバカ。次のパルマ戦、出られないじゃんか。ここでフェランテがPKを決めて1-3。トリノは前節のベネチア戦のことがあるだけに、すごーく不安。さらにガランテのゴールで2-3。めちゃめちゃ不安。だがしかし、ラツィオはロスタイムにサラスが決め、結果だけ見れば2-4の圧勝であった。ここでユーベを抜き返したのは大きいけど、次節からはパルマ、ミラン、ウディネと難敵が続く。思えば去年も、出場停止続出のユーベ戦を落としたのが痛かった。ミハイロの出場停止が1試合で済むことを祈るばかりである。

2月6日(日)
 自分で電話をかけるというだけで人柄の良さが讃えられる総理大臣がいるようであるが、あれ、電話を受けたほうはけっこう狼狽するに違いない。偉い人から直接電話をもらうと、ふつうの人間は一瞬パニックに陥るものだ。仕事柄、わりと著名人に会う機会の多い俺だが、連絡事項は編集者や秘書やマネージャーを通じてやりとりするケースが大半だから、電話で話すことは滅多にない。ところが昨日、仕事で関わっている某大物芸能人の大先生から電話がかかってきて、すっげー驚いた。いきなり「こんにちは」っておっしゃるもんだから、また電話セールスかと思って危うく邪険な対応をするところだったぜ。資料を郵送しただけのことでお礼の電話をいただくとは。いやはや。汗かいた。取材で会うときは緊張しないけど、電話はココロの準備ができてないから困る。よく秘書にかけさせて後から出てくるお偉いさんがいて、人によっては嫌味な感じがしないでもないのだが、あれはあれで相手に身構える時間を与えるという効用もあるんだなぁ、と思いました。

 さて香港のゲームである。
 エルナンデスやブランコがいないとはいえ、相手はコパアメリカ3位の強豪である。W杯で勝ったり負けたりしている常連国である。勝ち点1で南米から帰ってきた国が負けたって、一度だけ出たW杯で3敗した国が太刀打ちできなくたって、そりゃそうだろの世界なんである。……なんて具合にあえて傍観すれば腹も立たんわけであるが、しかし、そうはいってもなぁ。日本×メキシコ(カールスバーグ杯1回戦)は、10人になった相手に先制されて、そのまま0-1。うう。たりらりらんな試合である。練習がたりらりらん、集中力がたりらりらん、責任感がたりらりらん、意気地がたりらりらん。「行けっ、勝負ぢゃ!」と叫べば必ずボールは後ろに下げられ、「何さらしとんじゃワレ、前にいかんか前に!」と叫ぶと、さらにボールは最終ラインまでゆったりと回されるのであった。たりらりらん。パスという名の責任転嫁。もっと頑張れよー。ちゃんと練習しとけよー。勝てとは言わん。せめて戦え。せやけど稲本はんはようやってはったように見えたで。

 口直しができますように、と祈りながらリバプール×リーズ(プレミア第24節)をライブ観戦。オーウェン離脱の穴埋め補強がまだできていないリバプールだったが、この試合は両サイドを固めるベルガー&スミチェルのチェコ代表コンビがキレていた。香港に連れてかれなくて良かったね。3-1で2位リーズを撃破である。胸のすくようなベルガーの勝ち越しゴールに感動。ほんと、いい選手である。これでリバプールは勝ち点で3位のアーセナルに並んだ。よし。ついでにいうと、チェルシーも5位に浮上したらしい。よしよし。

2月5日(土)9:50 a.m.
 エメルソンのローマ遺跡、いやローマ移籍が立ち消えになったとの噂。ほほー。つまり、「中田がおるから、いらん」ってことなんだろうか。関係ないが、そういえば、あのグレン・ホドルがサウサンプトンの監督として現場に復帰するらしい。差別発言とか暴露本とかが原因でクビになったはずだが、意外に英国人もそういうところは節操がないのかも。加茂さんの復帰なんかとはぜんぜん意味が違うと思うのだが。

 インテル×ミラン(コッパイタリア準々決勝第2戦)を観戦。第1戦は2-3でアウエーのインテルが勝ったんだとか。日替わり定食のようなインテルの2トップだが、この試合のスタメンはバッジョ&レコバであった。「誰が見てんねん」のコッパとはいえ、さすがにダービーとなると白熱した雰囲気。なかなかの好勝負だった。先制したのはミラン。ボバンの洒脱なラストパスをシェフチェンコが冷静にループで決めた華麗なゴールである。腰に爆弾を抱えるボバンがフル出場できりゃ、ミランはセリエでもっと勝ち点を伸ばせてるに違いない。さて、逆転へ向けてさらに得点を重ねたいミランだったが、先制の直後に手痛い失点。左サイドからセードルフが根性で折り返したボールを体ごと飛び込んだバッジョが押し込んで同点である。レコバの折り返しを押し込んだベローナ戦のゴールと似たようなパターン。このまま1-1で終わり、agg.4-3でインテルがベスト4入りを決めたのであった。バッジョもすごいが、インテルはセードルフがいい。マドリーで失ったモチベーションを完全に取り戻した印象である。

2月4日(金)10:50 a.m.
 しつこいのを承知で、またメールがらみの愚痴。メーリングリストなるものに俺も成り行きで名を連ねてしまったのだが、これがまた厄介な代物である。所定のアドレスに送信したメールが参加者全員に配信される仕組みになっておるわけで、使いようによってはたいへん便利な通信手段ではあるのだが、いちばん腹立たしいのは、特定の個人宛てに出すべきメールをいちいち全員に送りつけるバカが多いことだ。もう、これは俺、はっきり「バカ」っていっちゃうね。
 そのリストは某団体のOB・OGを対象にしたもので、上は50代から下は大学生まで100人もの参加者がいる。したがって、お互いに顔も名前も知らん奴が大半なのに、たとえば新加入者の自己紹介文が配信されたりすると、「うわー、○○さん、久しぶり! 元気だったぁ?」なんぞというリプライを書いて寄越すのだ。バカどもが。俺はおまえのことなんか知らん。歓迎の気持ちを表明するのはかまわんが、100人に読ませるなら100人に読ませるような書き方をしなさい。パーティのスピーチと同じである。マイクの前で個人的な世間話なんかせんだろ、ふつう。もっとひどいバカになると、「××さん、あのときの写真、ぼく持ってないんで送ってください」なんていう超個人的な用件を100人に読ませている。宇宙規模のたわけ者である。恥を知れ恥を。
 要するに公私の境界線がぐちゃぐちゃになっているわけで、もしかすると「電車内で化粧」と根は同じなのかもしれんな。……って文句いうぐらいなら脱退すりゃいいわけだが、いろいろしがらみもあるし、「辞めさせてもらいます」というメールを主催者に送るのもなんか感じ悪いような気がするんで、放置してるんだけど。目くじら立てて「迷惑だ!」と糾弾するほどのことではない。しかし気持ちがざわついて、その無神経さにイライラが募る。無論これも自戒を込めて言っているのであるが、メーリングリストに限らず、ネット上にはそんな種類のストレスが横溢しているような気がする今日この頃なのであった。

 アヤックス×PSV(オランダリーグ第17節)を見る。ファン・ニステルローイのハットトリックで、PSVの勝ち(1-3)。ビッグクラブから引く手あまたで、やたらホメちぎった紹介記事なんかもしばしば目にするファン・ニステルローイだが、いままで俺はそれほど冴えたプレイを見たことがなく、ただ得点数が多いだけのごっつぁん野郎なんじゃないかという印象さえ抱いていた。しかし、この試合の2ゴール目は高評価もなるほどと思わせる華麗さである。背後に2人のDFを背負った状態でクサビを受けると、切れ味鋭く振り向いて2人の邪魔者を置き去りにし、さらに脇から体を寄せてきた2人のDFをドリブルでかわしてシュート。こういう個人技に加えてポジショニングの良さ&スピードを兼ね備えている(しかも若い)んだから、そりゃオファーが殺到するのも当たり前だわな。アヤックスのほうは、例によってぜんぜんダメだった。みんな「定位置」にべたっと立ってるだけで、パス出したら出しっぱなし。昔のサッカーゲーム(盤上のプレイヤーをレバーでくるくる操作するやつ)見てるみたいだ。それでもリーグ戦で上位につけているのが不思議だが。

2月3日(木)9:40 a.m.
 おお。ジャンルカ・ビアリが選手登録とな。CLのマルセイユ戦、監督としてはベンチ入り停止だが選手としては出場可能なんだとか。ヘンなの。ほんまかいな。なんにしろ、思い切ったことをするもんである。ほんとにプレイするつもりだとしたら、大した勇気。ヤケクソ、でなければよいのだが。

 CSのサッカー関連チャンネルがまたぞろゴタゴタしている。まず、スカパーのSky sportsがスカイTVからパーフェクTVになった。いちいち切り替えなくてよくなったのは便利(スカパーはリモコンを操作するたびに旧式のブラウザー並みに時間がかかるのだ)なのだが、だったらパーフェクTV専用の古くて安いチューナー&アンテナでも間に合うわけで、なんだか詐欺にあったような気がしなくもない。さらに、ディレクが3月いっぱいでJ-SPORTSとの契約を解除するんだとか。俺としては、裏録できるメリットがなくなってしまうわけだ。なんでそうなるのかと訝っていたら、どうやらSky sportsとJ-SPORTSが統合されて「J スカイスポーツ」という新チャンネルになるらしい。なるほど。それが全ての伏線であったか。ますます窮地に追い込まれるディレクTV。視聴不能の方々への同情もあって、どうもスカパーのやり口はいちいち気にくわない。少しは共存共栄の精神ってやつを持ち合わせてもいいのではないか。

 昨夜観戦したペルージャ×ミラン(セリエA第19節)は0-3でミラン。前半はペルージャが大健闘で0-0だったものの、後半25分から32分の7分間でシェフチェンコがハットトリックである。あらあら。ちゃんと捕まえとけよペルージャ守備陣。……あ、ラツィオも奴にハット喰らったんだっけ。しょんぼり。

 ユベントス×カリアリ(セリエA第19節)を前半だけ見る。開始1分にインザーギのゴールでユーベ先制。ナイス。このぶんじゃユーベの楽勝かと思われたが、いまのカリアリはつおい。14分、さっさとセットプレイで同点にしちまった。後半は見なかったが、そのままドローに持ち込んだというんだから大したもの。コッパでローマに連勝し、ラツィオ、ユーベとの連戦で勝ち点2をもぎ取ったのは立派である。急に失点が減ったのはどうしてなんだろう。インテルとのコッパ準決勝も、ひょっとするとひょっとするかも。

2月2日(水)17:40 p.m.
 欧州の中でも、いちばんサッカーが娯楽として成熟しているのはスペインではないか。そう思うのは、テレビ中継の芸の細かさに感心するからである。倉敷&金子コンビもよく指摘することだが、とにかくスペインの映像は(セリエやプレミアと比較しても格段に)メッセージ性が強い。たとえばダニがゴールを決めれば、即座に「あんた、まずいんじゃないの?」とでも言いたげに、スタメン落ちしてベンチで談笑しているクライファートを抜く。レフェリングに問題があるゲームでは、タイムアップ後、「こいつが悪い」と言わんばかりにずっと主審をアップで追い続ける。ハンドやオフサイドなど微妙な判定があれば、あらゆる角度からのリプレイをくどいぐらいに繰り返す。スパイクの紐がほどけているのを見つければ、選手が気づいて結び直すまでフォローする。むろんイタリアやイングランドのテレビも同じようなことをやるけれど、その反応の速さ、執拗さ、アイデアと想像力の豊かさは、スペインが図抜けているように思う(少なくとも、あの「虫眼鏡クローズアップ」はリーガでしか見たことないような気がする)。選手や審判に対して意地悪といえば意地悪だが、その映像だけで十分に批評になっているし、何より視聴者の好奇心を満たしてくれるのである。要するに、サービス満点なのだ。ファンの成熟度が中継の成熟を促すのだとすれば、スペイン人がもっとも広く深くサッカーの味わい方(あるいは消費の仕方)を知っているのだと言えまいか。
 そんな現地映像の「味」を熟知しているからこそ倉敷&金子コンビのリーガ中継は圧倒的に楽しい(その一方、せっかくのオモシロ映像を無駄にしているコメンタリーが実に多い)わけだが、それはともかく、これって、もしかしたら日本におけるプロ野球の成熟の仕方と似ているのかも。スペインの映像を見ていると、俺はしばしばプロ野球中継を思い出すのだ。たとえばリリーフ投手が打ち込まれて逆転されれば、カメラはベンチの奥を覗き込み、勝利投手の権利を失った先発投手の表情を抜く。リプレイのしつこさも、スペインと同じだ。大リーグ中継にもそういう部分はあるんだろうけど(ほとんど見てないので知らない)、たぶん日本ほど細かくはないんじゃなかろうか。そういう、どちらかといえば下世話な情感や機微(あるいはディテール)みたいなものを慈しんでいる点で、プロ野球とリーガは似てる気がするんである。
 そういえば、スペインのファンには「地元クラブ至上主義」みたいな傾向があって、代表チームの活躍には無関心な人も多いんだとか。そんなところも(都市国家の集まり云々という日本と異なる背景はあるにせよ)、日本の伝統的な(?)プロ野球ファンと似ていると言えなくもない。ま、「成熟」と「行き詰まり」は紙一重だったりするのではあるが。

 昨夜は、ベネチア×トリノ(セリエA第19節)を観戦。ぐわぁぁぁんつのPKでベネチアが先制である。ナイス。ベルグのゴールもあって2-0としたベネチアだったが、なんと後半ロスタイムに2点を連取されるというバイエルン的落とし穴に突き落とされ、2-2のドローであった。うーむ。フェランテも「正解」であったか。オーバーヘッドで決めた同点ゴールはすばらしかった。そろそろ残留争いも白熱してきそうな感じである。

 ボローニャ×パルマ(セリエA第19節)は1-0でボローニャ。驚異の回復力で浮上してきたパルマだが、また後半戦のスタートで大ずっこけである。この連敗はめちゃめちゃ痛い。ボゴシアンの離脱が要因か。どうやらインテルからパウロ・ソウザを獲って穴埋めするようだが。

 ダカーポの特集記事を見て、メールの難しさにストレスを感じているのが自分だけじゃないことを知り、とりあえず納得。そうそう、そういうことなのよ。たった一行の「わかりました」というリプライを貰っても、相手の「気分」(ご機嫌な「了解」なのか、不機嫌な「了解」なのか)がぜんぜん伝わってこない。要は、「受け手がこれをどう感じるだろうか」という書き手の想像力の問題なのだ。とりあえず「悪意に取られてしまうかも」という前提で書くぐらいで丁度いいような気もする。たとえばアメリカのような多人種社会では、何はともあれ敵意がないことを相手に示すために、笑顔を作ったり握手をしたり「ファーストネームで呼んでくれ」と言ったりするのが習慣になっているらしいが、そういう日本人には苦手なものがメールには求められるのかもなぁ。あと、メールは手紙と違って喋るように書いていることが多いものだが、書き手が自明のものだと思い込んでいる「口調」や「語気」が、相手にとっても自明のものだとは限らない。だから、冗談が冗談に「聞こえ」なくなってしまうことがある。それがトラブルの元になることが多いんじゃないだろうか。むろん、かくいう俺だって、どこかで思いがけず相手を不愉快にさせていることがあるかもしれない。気をつけよっと。



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