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江戸川駄筆のサッカー日誌
1999-2000/vol.30

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Readers' Mail No.093(3/14)

似てる人シリーズ

by ジョウナラミチル

 誰も投稿しないけど、ひょっとして既知の常識の定説?

●バリャドリッドの城彰二と高橋尚子。

投稿大募集!

 本誌『愛と幻想のフットボール(FLF)』では、読者の皆様からの投稿を募集しております。原則としてテーマは問いません。h_okada@kt.rim.or.jpまで、どしどしお送りください。このページに関するご意見やご感想など、投稿以外のメールもお待ちしています。
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3月21日(火)17:30 p.m.
 昨夜は、まずエバートン×ニューカッスル(プレミア第29節)を観戦。0-2でニューカッスルの勝ち。このあたりのカードが、プレミアの醍醐味かもしれない。がちゃがちゃとぶつかり合い、全員が思いっきり走って思いっきり蹴る。リーグ全体の中ではそんなに注目されるカードではないけれど、客席はぎっしり満員、大歓声。あの声援がなけりゃ、選手もあんなに一生懸命走るはずないわけで、あらためてスポーツってのは競技場全体で作るもんだなぁと思わされた。そろそろ俺もテレビから離れて、札幌のゲームを見に行かなければ。なんだか開幕から調子いいみたいだし。

 引き続き、デポルティボの正念場、バルセロナ×ラ・コルーニャ(リーガ第29節)を後半から見た。ここで勝ち点1をもぎ取れれば優勝も見えてくるところだったのだが、前半で早くも2-0の劣勢。ハイライトで見たリバウドのシュート、ありゃ反則じゃないのか。シューズにバネでも仕込んであるんじゃないかと思うような勢いだった。ソンゴー、吹っ飛ばされてたもんなー。後半早々、フラビオ・コンセイソンのラッキーなゴールが決まったが、ラ・コルーニャはそこまで。また途中から居眠りしてしまったのだが、目が覚めたときには2人も退場になっていた。おいおい、バルサ戦の負けはある程度織り込み済みの話(1勝1敗なら十分だろ)なんであって、次が大事なんじゃないのか? ま、壊れるときは徹底的に壊れるチームではあるのだが。

3月20日(月)
 おっと吃驚、ベッカムが丸坊主に。監督とモメたことと何か関係あるのか? そういやキーンが坊主になったのも警察沙汰を起こした後だったと記憶しているが、「頭を丸める=謝罪・反省」という文化は英国にもあるんだろうかね。もっとも新聞報道によれば、世間で前のヘアスタイルが流行りすぎてウンザリしたってことだが。ま、どーでもいーや、そんなこと。レスター×マンチェスターU(プレミア第29節)は、そのベッカムのFKもあって、0-2でユナイテッド。レスターに移籍したコリモアという選手はエヂムンド級の天才問題児だと聞いていたので楽しみにしていたのだが、天才的な動きも問題行動も見られなくてつまらなかった。

 昨夜はさらに、ユベントス×トリノ(セリエA第26節)を中心に、ローマやミランの動向も横目で睨みながらセリエをライブ観戦。トリノ・ダービーは、3-2でユーベが勝った。「ユベントスが調子を落とすならここ」と思っていたのだが、やっぱ負けねーなー。スコアは派手だが、オウンゴール2発とPK3発で、まともなゴールは一つもなし。ひょっとして、今季のユーベが相手にPKを与えたのはこのゲームが初めて? コッリーナさん、イタリア国内に渦巻く審判批判を意識してたのかしら。ユーベが着実に勝ち点を伸ばしたのに対して、ローマとミランは虚脱状態かと思うほどのふがいなさ。それぞれレッジーナに0-2、ベネツィアに0-1と「寒風負け」を喰らっておった。これでベネツィアは、インテル、ラツィオ、ミランを食ったわけか。コッパでもベスト4まで行ったわけで、強いんだか弱いんだかよくわからんチームである。

似てる人シリーズ

 #97 ユベントスのジダンとエイトマン。

3月19日(日)
 昨夜は、フィオレンティーナ×カリアリ(セリエA第26節)を観戦。フィオはいまごろになって、企画倒れに終わったはずの3トップ(バティ、ミヤトビッチ、キエーザ)がお目見えしていた。戦艦フィオレンティーナの復活。未練がましいな。でも、戦艦大和も復活して宇宙戦艦ヤマトになったんだっけ。あれ、違うのか? ほとんど見たことないからわかんないや。バティとミヤトビッチのゴールで2-0と勝利を収めたものの、どうなんでしょうか。なんとなく3トップになると、せっかく調子を上げてきたルイコスタが死んでしまうような気がしてならない。

3月18日(土)
 ラ・コルーニャ×バレンシア(リーガ第28節)は2-0でデポルティボの勝ち。どフリーのフランがヘッドで先制ゴールを決め、フラビオ・コンセイソンのミドルシュートで追加点を奪い、まったく危なげないゲーム展開であった。1局おきに7巡目リーチをかけて場を制圧していたような印象。なんで俺はラ・コルーニャの試合を麻雀に喩えたくなるんだろうか。まぁ、この試合に関してはバレンシアのモチベーションが低すぎた。ここまであからさまに「だってCLがあるんだもーん」という態度が見て取れるケースも珍しいんじゃないだろうか。

3月17日(金)12:50 p.m.
 昨夜は、日本×ベルギー(シドニー五輪予選)を観戦。生まれて初めて、ホッケーの試合をまともに見た。なんとも腰に悪そうな競技である。あの中腰の姿勢で、あの広いフィールドを走るというのが、どうもアンバランスに見えて仕方がない。あと、スティックという道具を使う競技ならではの独特の技巧、みたいなものが今一つ見えないのが残念。実際はいろいろ「テク」があるんだろうけど、なにしろフィールドが広いからそこまでテレビに映らないのである。ともあれ試合は1-3で負けていた日本が終盤に追いつくという、なかなか劇的な展開であった。ベルギーのGKが大当たりで苦しめられたが、えらいぞニッポン。前半の途中、イエローカードで「5分以上の退場」を喰らい、その間に取られた1点がもったいなかった。退場時間は審判の裁量に委ねられているということだが、それって問題あるよなー。まるでベルギーが1点入れるまで待ってたみたいじゃん。サッカーにあんなルールがあったら、えらい騒ぎになるぞ、きっと。審判への買収工作で札束が乱れ飛び、不利な判定を受けたチームのファンは審判を殺しに行く違いない。どういうカルチャーに基づくものなのか知らないが、退場時間はちゃんとルールで決めたほうがいいんじゃないだろうか。

 チェルシー×レスター(FAカップ5回戦)は2-1でチェルシーの勝ち。なんつったって、ジョージ・ウエアである。移籍は大正解だったようで、1ゴール1アシストの大活躍だった。移籍が大失敗に終わろうとしている相棒のサットンと好対照であるな。サットン、相変わらずぜんぜんダメ。そろそろフィットしてくるんじゃないかと期待していたのだが、あかんわ。綴りがSUTTONなので、我が家では(っていうか俺だけだが)彼のことを「すっとん」(アクセントは「と」に)と呼ぶことにした。1点目は、右サイドからペトレスクがファーサイドへ展開したボールをウエアがヘッドで落とし、ポジェが豪快なシザースで叩き込んだもの。それまでは例によって「クロスバーに当てさせたら天下一品」のポジェだったのだが、久しぶりにゴールを見せてくれた。その調子、その調子。でもラツィオ戦はおとなしくしててほしい。2点目は、速攻からすっとんがドリブルで持ち込み、右からセンタリング。これを巧みなポジショニングでDFをかわしたウエアがループ気味にゲットしたのであった。すっとんも貢献したわけだが、途中で相手DFを倒したプレイはファウルを取られて当然の乱暴なもの。なんで審判が流したのか理解できない。あの暴力癖が直らない限り、すっとんに未来はないな。ともあれ、これでチェルシーは準々決勝進出……かと思ったら、次はまだ6回戦なんだとか。いったい何回戦まであるんだFAカップ。

 マンチェスターU×フィオレンティーナ(CL2次リーグ第5節)をビデオ観戦。バティストゥータの先制ゴールに驚嘆した。漲るパワー。あの距離からでも、コースさえ見えれば本気で撃つ。この「本気」の度合いが、そこらのストライカーと違うところなんじゃないだろうか。並みの選手にとって「とりあえずシュートすることが大事」という程度のチャンスが、バティにとっては絶好の「決定機」なのだ。しかしフィオは、先制するのがちと早すぎたか。あの時間帯(16分)にリードしちゃうと、「前半を0-1でしのげば」という展開にはしにくい。結局コールとキーンにしてやられて、前半のうちに逆転されてしまった。睡魔に負けて後半は見ていないが、ヨークに追加点を決められて3-1で終わったらしい。これでユナイテッドはベスト8進出。気がつけば、昨季のベストメンバーが揃っている。手強い。フィオのほうはバレンシアと2差の3位である。大丈夫なのかイタリア勢。UEFAカップに続いてCLでも全滅、なんて事態も現実味を帯びてきたぞ。

3月16日(木)14:30 p.m.
 あー、終わった。いやいやトルシエの話ではなく、仕事が終わったのである。やっと史料の山から解放される。脱稿、とはよく言ったものだなぁ。結局、500枚も書いちまったぜ。しかし、息つくヒマもなく次に取りかからねばならん。それもまた500枚の大作なのであった。ラツィオ並みの過密日程かも。うー。日本史モノが終わって、こんどは心理学モノだ。ひとり文学部状態、である。あたしゃこれでも、文学士。だが次の仕事を始めた瞬間に、前の仕事で仕入れた知識がすべて失われるのが空しい。脳にインプットした知識をコピー&ペーストで原稿にできりゃいいんだけど、容量に限界があるから、カット&ペーストになってしまうのだ。WSDで連載を始めた倉敷アナも、「ライブ中継が2つ続くと、2試合目のときは1試合目の選手名を覚えていない」というような意味のことをお書きになっていたっけ。そういや昔、「編集者=スポンジ論」というのを唱えていた先輩がいたな。吸い込んで吐き出して、また吸い込んで吐き出して、あとには何も残っていないという意味だが、つまるところ、あらゆる仕事はスポンジなのかもしれん。

 昨夜は仕事を終えた開放感に浸りながら、まずラツィオ×マルセイユ(CL2次リーグ第5節)をビデオ観戦。崖っぷちのラツィオだったが、5-1と久々の爆発である。なんとシモーネ君が(PK失敗したくせに)4ゴール。しかし、いくら何でもマルセイユが緩すぎたことを考えれば、シモーネ君は6点、チーム全体で10点ぐらい取れたような気もする。ともあれ、チェルシーがフェイエノールトを下してくれたお陰で、ラツィオは2位浮上。なんとか生き残ってくれぇ。

 さらに、日本×中国(国際親善試合)もビデオで見た。その前に0-0という結果を聞いたときは、「クビだな、クビクビ」と思ったのだが、いざ見てみると、これはなかなかのモノ。「なんだよ、ぜんぜん悪くないじゃん」と感心していたのだが、これはもしかして結果を知った上で見ていたからなのか? 「点を取られない」とわかっていると、実に安心して冷静に見られるものであるなぁ。かっこよかったぞ、ニッポン。ラツィオの中盤より、よっぽど魅力的だった。前半25分に左サイドの名波に通した中田のスルーパスなんか、しびれちゃったね。これでいいんじゃないのか? 名波が右利きなら2-0で勝ってたと思うし。わが代表は、順調にポルトガル化への道を歩んでいると見た。それならそれでよい。夢の「ぜーんぶ中盤」まで、あと一息である。中田、名波、小野、中村、稲本の5人に本山と復活を前提の前園を加えた3-7-0の布陣でどうだ。もしくは前園と小野を1.5列目に置いた3-5-2-0。3-5-2とどう違うのかわからんが。小倉が戻ってくるまで、それでやってみない?

3月15日(水)8:45 a.m.
 きのうは午後からサッカー解説者T氏取材のため東プリへ。6時半に起きて仕事してから行ったんで猛烈に眠かった。もともとインタビューは苦手なんだけど、ボーっとしてるせいでトンチンカンなことを訊いてしまい、申し訳なかった。しかし話は面白く、さすがの話術で大いに楽しませていただく。帰途、ドトールで一服していたら、隣の席で学生風の青年がテーブルにコクヨの原稿用紙を広げて何やら書き物をしていた。おお、原稿用紙。久しぶりに見た。フリーになってすぐワープロで原稿を書くようになったので、もう10年ぐらいマス目を埋める作業をしていない。出版社では200字詰めを使うから、400字詰めとなると大学卒業してから使ってないかも。今から思うと、原稿用紙に鉛筆で書いていたときのほうが集中していたような気がする。会社にいた頃は、120行なら120行の原稿を、一度も消しゴム使わずにぴたりと着地させたりできたもんなー。今は雑誌の原稿でも、必ず行数がはみ出して、後から削除している。無論、削除・挿入が容易にできるからそうなるわけだが、原稿用紙との本質的な違いはそこではないような気もするな。原稿用紙での執筆は「空白を埋める」作業だが、ワープロ・パソコンはどちらかというと文字を「積み重ねていく」感じ。空白を埋めていくほうが残りの行数を空間的に把握できるから、一発で着地しやすいんじゃないだろうか。たまには原稿用紙でも使ってみるか……とも思うが、手書きで本一冊なんて考えただけで気持ち悪くなる。さて、今日もコツコツ積み重ねるか。

 ジョウナラミチルさんから、久々の投稿(No.093)をいただきました。あはは。なるほど。城って、走るフォームも女性ランナーっぽいように感じるのは俺だけでしょうか。なんか、いつも小指が立ってるような気がする。今日の中国戦、きっちりゴールを決めりゃかっこいいんですけどねぇ。そういえば昨夜のニュースステーションは「黄金の中盤」をめぐってやたら盛り上がっていた。都並さん、元気だなぁ。

3月14日(火)8:00 a.m.
 すべて目を通しているわけじゃないが、小林信彦が週刊文春の連載に「現代<恥語>ノート」なるものを書いている。今回は、「ぼく的には」や「お馬鹿・お間抜け」といった言葉がやり玉に上げられていた。小林信彦といえば、あの名作『オヨヨ大統領シリーズ』を子供の頃に読破していることもあって、俺的(!)にはけっこう尊敬している。でも今回は、ちょっと首をひねってしまった。

 商売柄、この手のモンダイを指摘する文章は気になるので、目を通すことが多い。たとえば同じ文春で高島某センセイが書いている「お言葉ですが……」とか、呉智英センセイの『言葉につける薬』をはじめとする一連の著作など、「ふむふむ、なるほど」と大いに勉強になる。俺がここでしばしば「愚妻・愚息」という表現を使うのも、この「愚」は妻や息子にかかる形容詞ではなく、謙遜の一人称代名詞「愚」の所有格なのだと高島センセイが書いていたからなのであった。私の「愚かな妻」ではなく、「愚かな私」の妻、ということである。なんて美しい表現なんだ。そう思ったから、使うようにしてみた。いつか「奥さんに失礼じゃないか」と言われたら、「だって高島センセイがこう言ってたんだもーん」と言い返そうと思っていたのだが、誰からも叱られなかったんで、問わず語りに弁解しておきました。異説があるやもしれんが、わしゃそんなことは知らん。少なくとも俺は上記のような意味で使ってるってことで。したがって、語意の重複となる「俺の愚妻」とか「我が愚妻」といった書き方は一度もしていないはずである。

 そんなことはどうでもよろしい。
 この手の知識を得て困るのは、「そりゃ正しくはそうかもしれんけど、そうは言ってもねぇ」と思うケースが少なくないことだ。たとえば呉智英センセイによれば、「プラス・アルファ」は「プラスx」の読み違えから生じたものなんだそうな。なるほど、筆記体のxとαはよく似ている。しかし、じゃあ仕事で書く文章の中で「プラス・エックス」を使えるかというと、そうもいかない。そうかといって間違いだと知ってしまった以上は「プラス・アルファ」も使いたくないから、それに代わる別の表現を探す必要に迫られてしまうのであった。でもねぇ、これがなかなか無いんだよ。困るなぁ。

 小林信彦はたしか先週号で、「生き様」という言葉をあげつらっていたが、これも同様。「生き様」なんて、今までどれだけ使ってきたかわからない。いまさら「死に様という言葉はあるが、生き様なんておかしい」って言われてもなぁ。それに、さんざん使ってきたせいもあるだろうけど、「生き様」ってそんなにヘンな言葉じゃないじゃん、とも思うのであった。

 さて、「ぼく的」「お馬鹿」である。さすがに仕事の原稿では使ったことがないけれど、俺はこの日誌でどちらも使ったことがある。俺的にはオーケー、お馬鹿な話、といった具合に。んなことを覚えているというのは、それを書くときに一種の「覚悟」が必要だからだ。あえて「使う」と決めて、使う。そのとき一瞬の躊躇があるから、記憶に残っているのである。つまり「これは<恥語>かもしれぬ」という思いが、心の片隅にあるんだろう。だから、これらの言葉が俺の血肉になっているわけではない。血肉になっていない言葉をあえて使うことに、独りよがりの面白さを感じていたりするわけだ。そういうスタンスで<恥語>を口にすることは、誰にとってもごく日常的なことではあるまいか。これを一概に否定してはいけない、と俺は思う。それも日本語、これも日本語である。新しい気分やニュアンスの中には、新しい言葉でしか伝えられないことだってあるだろう。古い表現で間に合うことだとしても、より生き生きと伝えられるのはやはり新しい言葉だったりするんである。

 思うに小林信彦は、「ぼく的」「お馬鹿」といった言葉そのものを嫌悪しているというよりは、それを口にする者の態度が気に入らないのではなかろうか。たしかに会議の席で若僧が「ぼく的にはこう思いますけど」なんて発言すりゃ、「何様のつもりだ」と腹も立つ。でもそれは「ぼく的」という言葉が悪いのではなく、TPOを弁えずにそれを使うことが悪いのである。それを一括りに<恥語>ノートなどという教条的な形で一括りに切り捨てるのは、いかがなものか。誰もが「なにやら高級感を漂わせたつもり」で「ぼく的」を口にしているわけではないでしょ。たまたま目にしたケースを一般化して語るのは無責任というものである。単に、「テレビで見たあの男はコッケイだった」と罵ればよろしい。それを一般化して<恥語>ノートという枠組みの中におさめた時点で、それは一つの「マニュアル」と化す恐れがある。

 いわゆる「語尾上げ」もそうで、一部の識者たちが「これはダメ!」と言い出すと、何事もオール・オア・ナッシングで考えてしまう傾向の強いわれわれ日本人は、一斉に言葉狩りを始めようとする。語尾上げ?で喋る人たち?というのは、日本語の?美しさを?破壊するけしからん輩?だと糾弾?したがるのだ。しかし語尾上げが?腹立たしく?聞こえる?のも、そこに「身の程に合わない尊大さ」?が感じられたりする?ときだけではないだろうか。ま、これだけ続けりゃ誰だって鬱陶しいだろうが、要するに、基本的には相手によりけり。たとえば取材で偉い先生のお話を拝聴してるときなんか、語尾上げはぜんぜん気にならない。むしろ「理解してますか?」という好意を感じて、気持ちよく「はあはあ、なるほど」と頷ける。言葉は言葉だけで価値や意味を持つものではないということだろう。

 無論、何事にも限度ってもんはある。あまりにも無自覚に<恥語>を撒き散らされると、いっぺん首締めたろか、と思わないでもない。最初は冴えた物言いだったものが、どこかで限度を越えることによって汚らわしい言葉に堕することもある。一時の「〜みたいな」がそうだった。小林も「カレシ」についてそんなようなことを言っている。ここでもモンダイなのは言葉自体ではなく、それを使う者の態度でありセンスなのだ。それをわかっていながら<恥語>というレッテルを貼るのはいかん。

 そもそも、ある言葉を認めるか認めないかというのは個人の美意識のモンダイだから、その美意識の表明として、不愉快な物言いを「不愉快だ!」と罵るのも別にかまわない。俺だって、そういうことを言いたくなることはある。たとえば「ら抜き言葉」でいえば、「見れる」「食べれる」などは許容できる(自分でも口にすることはある)が、プロ野球解説者が口にする「投げれる」は我慢ならない。「すごいカワイイ」も、かつては「すごく、だろ」といちいち思っていたが、最近は自分でも「すげー興奮した」なんて言っちゃうな。あと、俺は略語を作るのがわりと好きだが、好きなだけに、美しくない略語を見聞きすると許し難い気持ちになる。「花金」(古い)や「ドタキャン」は許せるが、「パソコン」や「ファミコン」は、いまさら抵抗しても無駄だから使ってはいるものの、ほんとうは嫌いだ。すでに死語と化したようだが、「スーファミ」にいたってはあまりのセンスのなさに反吐が出そうになった。この好き嫌いの判断基準を説明するのは甚だ骨が折れる(というか自分でもよくわからない)ので割愛するが、いずれにせよ、その価値観を人に押しつけるつもりはない。単に、「俺はファミコンと言いたくない人間なのだ!」というだけのことである。ついでに言えば、こんな汚らしい言葉を一発でカタカナに変換するくせに、<ら抜き表現>にいちいち文句つけてくるATOKはほんとうに不愉快だ。

 そんなわけで、不愉快な言葉というのはたしかにある。しかし、一定の権威を持ったエライ人が、多くの人が目にするメディアの中で、「これは恥語!」と決めつけるのはまずい。個人の好き嫌いを世の中に押しつける恐れがあるからだ。とりわけ俺が権威に弱い人間だからそう感じるのかもしれないけれど、エライ人がそれを押しつけた瞬間、言葉は窒息する。だから、安易にレッテルを貼るのはやめたほうがいい。腹立ちまぎれに「ダメ」の烙印を押したりせず、なるべく言葉を解放してやったほうが、日本語は豊かになるんじゃないだろうか。「ぼく的」なんて、なかなか大した「発明」(むしろ「発見」というべきか)じゃないの。日本語の持つフレキシビリティってもんが感じられる。

 だいたい『オヨヨ大統領』なんてタイトルからして、そういう言葉の解放区から飛び出してきたモンなんじゃないのか? それに、意地悪な見方をすれば、<恥語>なんていう造語を得意げに書いていること自体が恥ずかしい、などと揚げ足を取ることだってできなくはないのである。これもまた、限度を越えることで<恥語>と化す可能性を秘めているわけだ。もちろん俺は、<恥語>こそ<恥語>だ、などと言いたいわけではない。そういう造語を是とする作家が不用意に新しい言葉に噛みついていると、自己矛盾に陥る恐れがあるんじゃないかと懸念しているのである。

 そういえば、これは高島センセイだったと思うが、「立ち上げる」に異議申し立てがなされたこともあった。「立ち上がる」は自動詞だから、「立ち上げる」は気持ち悪い、という話である。まぁ、気持ち悪く感じる人がいてもいいとは思うけれど、新規事業やパソコンを「立ち上げる」というのは、なかなか秀逸な表現だと俺は思うのだがどうだろうか。こういう表現が生まれてくることこそ、時代の中で言葉が生きている証拠なのである。

*
 A・ビルバオ×バルセロナ(リーガ第28節)は、0-4でバルサ。バスクでのアウエー戦でこの大勝とは。コクーが2発、あとはクライファートとフィーゴ。圧巻は4点目である。0-3となった時点で余裕しゃくしゃくになったバルサは、なぜかリバウドがボランチの位置へ。「これ、いっぺんやってみたかったんだよね」とでも言いたげに、GKから受けたボールをCBのフランク・デブールに返したりなんかしてるのを見て、「なーに遊んでんだかなー」と思っていたのだが、いやはや、それでもきちんと仕事してみせるところが凄い。自陣手前から、右サイドを駆け上がったクライファートにフランクばりの超ロングパス。これがきっちりクライファートの足元に届き、折り返されたボールをフィーゴが簡単にゲット。パス2本でダメ押し点を決めてしまったのであった。「ユーティリティなのはオランダ人だけじゃないんだぜ」ってところでしょうか。2006年のセレソンでは、「リバウドのボランチ」が見られるかも。

 俺は寝てしまって見ていないのだが、ゆうべ一人で見ていた愚妻によれば、ミラン×ベローナ(セリエA第25節)は3-3のドローだったらしい。リードしていたミランがロスタイムに同点にされ、ザッケローニは試合後「終わった」と呟いたんだとか。今朝起きたら、テーブルの上にそういうメモが置いてあった(俺は妻子が起きる前に出勤しているのだ)。どんな連絡事項なんだか。もっとも俺も出かける前に新聞のテレビ欄に印をつけ、「録画予約済み」とか書いておくことがあるのだが。嗚呼、サッカーがつなぐ夫婦の絆。

「ベネチアがセリエBに降格した場合、MF名波浩は来季のセリエA昇格が有力となっているビチェンツァに移籍する可能性があるらしい」との噂。なんだか『噂の真相』の欄外情報みたいになってきたな。名波はともかくとして、ビチェンツァかぁ。いや、べつに好きでも嫌いでもないんだけど、中継がとっても見にくいんですよね、あそこは。あの柱、取り外せないんでしょうか。ま、そんなにビチェンツァのホームゲームを見ることもないとは思うが。

3月13日(月)9:00 a.m.
 昨夜はまたユーベとローマを並行観戦。先週に引き続き、ザッピング絶好調である。得点シーンを逃さない、ザッピング天国。もっとも、それだけ両チームの得点力が低いってことかもしれんが。ピアチェンツァ×ユベントス(セリエA第25節)はピッポの2ゴールで0-2。前半は0-0で、ダビッツを累積警告で欠くユーベの動きが重く、ピアチェンツァにも可能性を感じさせるムードだったのだが。その前半終了間際、「ローマはどないやねん」と思ってカリアリ×ローマ(セリエA第25節)に切り替えると、こちらもダルな雰囲気。しばらく見ていたら、CKからエムボマのヘッドでカリアリが先制したのであった。後半は再びユーベ戦。ピアチェンツァの奮闘で「スコアレスもあるか」と思われた。でも、やっぱユーベはそう甘くないやね。68分、デル・ピエーロのFKが直接ゴールイン……したかに見えたが、寸前でインザーギが触っていた。デルピのキックは微妙に枠を外れているようにも見えたから「横取り」ではないんだろうけど、確執が噂される2人だけに、なんか心配になる。ヘンにポジションが重なることも多く、やっぱ噂は本当なのかも、と思ったりした。ユーベにとって、唯一の懸念材料かもしれん。ユーベが先制したところでローマに切り替えると、相変わらずダルい。なんだか胸騒ぎがしてすぐにユーベに戻ると、74分にインザーギの2点目が決まったのであった。左サイドで粘ったデルピのセンタリングをごっつぁんゴール。デル・ピエーロ、すっかりピッポのアシスタントであるな。どうもキレが戻らないのは、故障で戦列を離れているあいだに上半身を鍛えすぎたためなんじゃないだろうか。あんまり筋肉をつけすぎると、しなやかな動きができなくなるという話をどこかで聞いたことがある。カズもそういう面があるんだってね。さてローマのほうは、いつ見ても1-0のまま。とくに惜しいチャンスもないまま(といったってトータル15分ぐらいしか見ていないが)ローマは完封負けであった。いま、「かんぷう」と打ったら「寒風」と変換された。それでもいいか、と思うほどローマは寒い。CL出場権さえ危うい状況になってきた。

3月12日(日)13:30 p.m.
 出勤前にラツィオ×インテル(セリエA第25節)という大一番を見てきたもんで、仕事を始める前に早くもくたくたである。朝からステーキ食ったようなもんだな。オリンピコのスタンドには、なぜかリーズのマフラーを掲げるラツィアーレの姿が。宿敵ローマにUEFAカップで恥をかかせてくれたリーズを讃えているわけだ。敵の敵は味方。彼らにとっては、UEFAカップも「カルチョ」の一部でしかないということであろう。この心性だけは、永遠に日本人が持てないものかもしれん。
 さてラツィオはサラスの1トップ。その下にベーロンを置き、左にネドベド、右にスタンコビッチ、中にシメオネとセンシーニという布陣であった。ベーロンの自由度が大きくなったせいか、序盤から「これは」と思わせる活発な攻撃を展開。シメオネも実に効いている。WSDでクライフ様に「ラツィオは良いぞ」とお誉めいただいたのも頷ける感じであった。しかし。FWが一枚足りないせいなのか、やはり詰めが甘い。ペルッツィの好セーブにも阻まれて、ゲームは支配しているのにイヤな感じばかり漂う。そういう予感だけは的中するもので、19分、好調レコバにあっさりカウンターを決められてしまったのであった。はぁー。
 だが40分、後方からのロングパスを追って抜け出そうとしたサラスをコルドバが倒して一発レッド。風はラツィオに吹き始めた……はずだったのだが、後半も守りを固めたインテルを崩せない。シメオネに代えてラバネッリを投入しても、やっぱりダメ。そして79分、ラツィオ・ファンを地獄に突き落とすゴールが決まった。セードルフがエリア左から出したパスをディ・ビアッジョが豪快にゲットして0-2。何やってんだかなぁ。ふにゃふにゃ。しかしまあ、少ないチャンスをことごとくモノにするインテルもさすがである。この2本以外、ろくにシュート撃ってないんじゃないだろうか。
 ともあれ、試合時間は残りわずか10分。
「ったくラツィオって肝心なときに勝てないよなー。なんか曙みたい」
「だからあたしは前からそう言ってるじゃないの」
 などと愚妻と言い合っていたのだが、81分、途中出場のシモーネ君がやってくれた。スタンコビッチのシュートがバーを叩き、跳ね返ったところをごっつあんゴール。うおしっ。まだ行ける。さらに87分、ゴール前のどさくさからこぼれてきたボールをパンカロが渾身のシュート。ゴール前に詰めていたシモーネ君が「どうぞ」とばかりにてのひらでコースを指し示していたのが印象的だった。これが決まって、ついにラツィオが同点に追いついたのである。思えば前半のインテル戦もロスタイムに同点ゴールを決めたのはパンカロだった。パンカロえらい! うおおおお。がるっ、がるるるるっ。吠える父を見て、セガレのだぴ太郎(仮名)も「ぱんかろ? ぱんかろ?」と大はしゃぎであった。
 ひょっとして逆転すんじゃないかと期待は高まったのだが、さすがにそこまで甘くはなく、2-2のドロー。すげー興奮したのだが、終わってみると溜め息が出る。2点差を追いついたのはえらいけど、10人の相手に追加点を許したのはいただけない。負けなかったのはいいが、やはり勝たねばならぬ試合だった。なぜか情緒不安定だったミハイロがプレイスキックに精彩を欠いていたのが痛い。あんだけコーナーがあったのに1つもモノにできないとは。あーあ。これでユーベとの勝ち点差は3。今夜ユーベがピアチェンツァに勝てば6である。きつい。ユーベ、間違って引き分けたりしないかなぁ。セルタ・ショックの後遺症でチームがばらばら……なんてこたないんだろうな、あの連中にかぎって。

 ところで、そのラツィオの次期監督候補に、なーんとアリーゴ・サッキの名前が取り沙汰されているとか。うーむ。アリーゴ・サッキ。昔のことはよう知らんが、どうなんですか。俺の中では、選手経験がないのに指導者として成り上がってきた元靴屋で去年はアトレチコを途中解任されてサッカーが嫌いになったスキンヘッドのエキセントリックな戦術おたく、というイメージしかないのだが。違うのか。そういえばちょっと前には、「ファン・ハールがラツィオとの交渉があったという報道を否定した」という話もあった。はあ? そんな報道があったのか。いちいち派手な噂が飛び交うクラブである。どうでもいいけど、まず今季のことをちゃんと考えてほしい。

 Jリーグが開幕。きのうは仕事しながらジュビロ磐田×柏レイソル(J1第1節)を見た。90分を終えて0-0。延長前半、北嶋のVゴールでレイソルの勝ち。……あれ、よく見てなかったから、それしか書くことないや。でも俺、レイソルはけっこう好きだ。NHKの山本アナはファンのあいだで評価が高く、俺も良いアナウンサーだとは思うのだが、最近ちょっとハナにつかないでもない。なんちゅうか、日本サッカーに対する責任感というか使命感というか、そんなようなもんが強すぎて、聞いてて肩が凝るのである。それに、なんだかプレイを細かく「解釈」しようとしすぎ。実際、サッカー掲示板なんかを見ていると、「山本さんの実況はとても勉強になる」なんていう人が少なくない。勉強ねぇ。ふーん。そりゃ勉強するのは悪いことじゃないが、どうもそういう雰囲気がサッカーをとっつきにくいものにしているような気がしてならない。「勉強しなきゃわからないもの」という思い込みが、「初心者」を怖じ気づかせているのだ。そんな風潮を助長していないか山本アナ。しかし、サッカーをシンプルな「娯楽」としてお茶の間に届けるのは意外に難しいのかもしれない。

 昨夜は、アーセナル×ラ・コルーニャ(UEFAカップ4回戦第1戦)も見た。なんと5-1でアーセナルの快勝。ベルカンプとオフェルマルスが久々に鮮やかなコンビネーションを見せていた。このまま怪我しないでEURO2000まで好調を維持してもらいたい。カヌのゴールも、例によって摩訶不思議な味わい。単に相手のクリアミスを拾ってGKと1対1になり、それを冷静に決めただけなのだが、見る者をふっと脱力させる奇妙なタイミングでボールを蹴るのである。あのソンゴーが、まるで真空投げを喰らったかのように体を横たえちゃうんだから、魔法としか言いようがない。彼がボールを持つと、時間と空間がぐにゃりと歪むような気がする。ちなみに第2戦はラ・コルーニャが2-1で勝ったようだが、焼け石に水。ま、ええやろ。リーガに集中してミラクルを起こしてもらいたい。

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