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江戸川駄筆のサッカー日誌
2000-2001/第1節

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『都並流 勝つためのサッカー』(都並敏史・講談社・本体1500円)……というタイトルの本を店頭で見かけたら、迷わず1冊手にとり、そそくさとレジへ持ってゆき、黙って言われたとおりの代金を払ってください。べつに2冊でもいいです。それがどうしてもイヤだというのなら、平積みの棚から本書を1冊抜き出して、隣の本の上に置いてから立ち去りましょう。ひとつ、よろしく。
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7月24日(月)12:40 p.m.
 12日ぶりにパソコンを触った。うまくキーが打てない。
 というわけで、世間は夏休みを迎えたが、俺はすでに夏休みを終え、今日から仕事なのである。暑い。宮古島より暑いかも。っていうか、東京は「暑い」じゃなくて「熱い」だね。「暑い」は「涼しい」の反対だが、「熱い」は「冷たい」の反対だ。暑さや涼しさが、この街にはほとんどない。

*

 宮古島はドイツ首相の来島を控えて盛り上がっていた。なぜドイツ首相が来るかといえば、ドイツ文化村というものがあるからである。なぜドイツ文化村というものがあるかといえば、その昔、ドイツの難破船を島民が助けてあげたからであるらしい。そのドイツ文化村で、俺はドイツのビールを飲んだ。ドイツのサッカーはまずかったがビールはうまかった。2002年も、日本に来たガイジンが「うまかった」と思えるものが一つでもあればいいんだけど。もちろん、それがサッカーなら言うことはない。

 宮古島は海が美しかった。干潮になると、そのへんの岩場でエンゼルフィッシュが泳いでいたりするから驚く。ああ熱帯魚ってほんとに海にいるんだなどと感心。シャコもたくさんいた。食い物が泳いでいるのを見るのは奇妙な気分である。シュノーケリングなるものも初めてやってみた。アジやらクマノミやらと一緒に泳いで、素朴に感動した。海中を眺めながら航行する遊覧船からは、ウミガメも見ることができた。おおカメだカメだカメが泳いでおるとガキのようにはしゃぐ。なんとも夏休みである。

 宮古島にはバーリ贔屓でおなじみのサッカー解説者K田さんも来ていた。なんと同じホテルに泊まっていて、プールサイドでおくつろぎになっていたのである。思わず「いつもスカパー、楽しみにしています」と話しかけたら、「そりゃ、どうも」と言ってくれた。ついでに都並さんの本のことを話したら、「ああ、それ週刊ポストに広告が出てましたよ。へえ〜、あれを書いたんですかぁ」とテレビと同じ口調で言ってくれて嬉しかった。プールサイドでは、立花隆の『21世紀 知の挑戦』をお読みになっていた。かっこいい、と思った。ビーチボールがあったのでセガレに蹴り方を教えてもらおうかとも思ったのだが、さすがに遠慮しておいた。

*

 昨夜はイタリア×チェコ(U-21欧州選手権決勝)を観戦。EURO2000の前に行われた大会で、五輪予選を兼ねていたやつである。ピルロのPK&FKで、イタリアの2-1。セリエが外国人に席巻されて若手育成が疑問視されているイタリアだが、ピルロ、バローニオ、ガットゥーゾ、ザネッティ、ココという中盤の顔ぶれを見ると、やっぱ強いやね。GKはアッビアーティだし。この大会、ほかにも何試合か見たが、スペインも強そうだ。2トップがホセ・マリとアングロ、その下にシャビやらガブリやらがいるってんだから、侮れません。五輪で日本と同組になる(んだったよね)スロバキアは、この大会が地元開催だったから出場権ゲットできた、ぐらいのもんじゃないだろうか。アトランタにおけるハンガリーぐらいの相手だと思ってよさそうだ。

 数日前には、アルゼンチン×エクアドル(W杯南米予選第5節)を観戦。クレスポ、ピオホ、ベーロン、シメオネ、センシーニと、アルゼンチンは半分ラツィオである。しかも全員センターライン。新加入の2トップは、何の違和感もなくチームに溶け込めそうだ。試合のほうは、クレスポとピオホのゴールで、アルゼンチンの2-0。たぶん、いまのアルゼンチンは世界一強い。フランスと戦わせてみたい。

7月12日(水)11:10 a.m.
 バスコ・ダ・ガマ×フラメンゴ(リオデジャネイロ州選手権最終節)を途中まで見る。最近のセレソンには幻滅させられていたが、やっぱブラジル人はサッカーが上手だ。ゴール前では結局のところ個人技がモノを言うということを再確認。試合はロマーリオのハットトリックもあり、後半20分ぐらいまでにバスコが4-1と勝負を決めていた。ロマーリオ、まだまだバリバリでやれるじゃん。なんで代表に呼ばないんだろう。

 やっと更新ペースが戻ってきたところで何だが、取材や夏期休暇で仕事場にしばらく来ないので、次回の更新は7/24以降になる予定。14日から18日まではメールもチェックできないので、あしからずご了承を。そういえば先日、ある人に「夏休み、どこか行くの?」と訊かれて「ミヤコ島」と答えたら、「何を好き好んで」と言われた。違う違う。三宅島じゃなくて宮古島だってば。ほんじゃ、また。

7月11日(火)13:30 p.m.
 朝から某飲料メーカー(非牛乳系)会長の取材のため都心へ。暑い。こういう日にネクタイ締めなくていいのが、自由業者に与えられた数少ない「自由」なのに。俺の年間ネクタイ着用回数は、たぶんフツーのビジネスマンの年間礼服着用回数よりも少ないと思う。それがこんな日に当たるとは、なんとアンラッキーなんだろうか。ま、すでにTシャツ&短パンに着替えているわけだが。

 昨夜は、エクアドル×ペルー(W杯南米予選第4節)を後半からだらだらと観戦。前半を2-0で折り返したエクアドルだが、何をトチ狂ったのか監督が後半25分頃に選手を3枚とっかえ。唯一「どこへ出しても恥ずかしくない」選手である10番のアギナガ(やっと名前が覚えられた)まで引っ込めてしまい、すぐに1点を返されていた。勝ってるときに動いちゃいかん。なんとか2-1で逃げ切ったものの、ひどい采配だった。全体に退屈なゲームで、倉敷アナ&粕谷編集長の世間話のほうがよっぽど面白い。それもホントの意味の世間話で、倉敷アナは最近、魚屋から魚を盗む「ドロボー猫」が実在することを目撃して感動したとおっしゃっていた。いい話だった。途中出場の種馬カビエデスはまったく見るべきところがなかった。

 協会の人事に関して、藤口光紀強化推進本部員という人が、「釜本さんは公の仕事をするということ。今後もどうなるのか分からんよ」 と発言したという。おいおい、それじゃあ協会の仕事は「公」じゃなくて「私」の仕事だってことなのかい?と一斉に突っ込んでおかないといけないっすよね、こういうのは。もっとも、W杯の開催地だってFIFAのお偉いさん方の私利私欲で決まるようだから、日本だけの問題じゃないんだろうけど。

 2002年のテレビ中継は、スカパーが全試合生中継、NHK&民放が40試合程度ってことになるらしい。とりあえず、無難な着地点だと言ってよかろう。みんなが観戦できる上に、民放のバカ放送を見ずに済むってのは実にありがたい。だけど、解説者が足りるのかどうか心配だ。気の早い話だが、金田さんはどっちで登板するんだろう。スカパーはジャーナリスト系、NHK&民放は元選手系って感じになるのかもしれない。ところでWOWOWは来季、ブンデスリーガを中継するんだとか。セリエ断念の埋め合わせのつもりなんだろうけど、トホホな話である。盛り上がってるのは、「ドイツのことは俺に任せろ」の奥寺さんだけ、かも。

7月10日(月)20:30 p.m.
 すっかり更新が滞っているのである。この1週間、何をしていたのかよく思い出せない。仕事が忙しかったときは、「終わったら、あれもしよう、これもしよう」と思っていたのに、いざヒマになるとただ怠けているだけの状態になるというのは、中学や高校の定期試験のときから変わっていないような気がする。しかしまあ、多忙中に抱いた最大の願望は「怠けた〜い」だったから、それでいいのだ。日々の暮らしには、メリハリってもんが必要なんである。ところでメリハリって、どっちが「メリ」でどっちが「ハリ」なんだろうか。と思って辞書を引くと、<ゆるめることと張ること。とくに音声をゆるめることと張ること。→めりかり>とある。当然、「張ること」が「ハリ」だろうから、「メリ」が「ゆるめること」を意味しているわけだ。んで「めりかり」の項を見ると、<音の高低。笛や尺八などで、ある音律の下がったものを「めり」、上がったものを「かり」と言うことから。「めりはり」ともいう>とある。漢字では「乙甲」と書くらしい。ほほー。もともとは音楽用語だったのであるか。勉強になるなぁ、この日誌は。つまり、テンションの上がった状態が「かり」または「はり」、テンションの低い状態が「めり」ってことだな。怒っている人に「そうカリカリしなさんな」というときの「カリカリ」も、この「かり」なんだろうか。だとしたら、「怒ってばっかりいないで、少しはメリメリしなさい」という言い方があってもよさそうなもんであるが。おいらは最近、メリってまーす。

 各国リーグ戦も欧州選手権も終わってしまったが、サッカーはちらほらと見ている。先週は、コロンビア×アルゼンチン(W杯南米予選第4節)と、ブラジル×ウルグアイ(同)を見た。アルゼンチンが3-1でコロンビアを粉砕して強さを見せつけたのに対して、ブラジルは1-1のドロー。それも85分にPKをもらってようやく追いつくという最低の出来であった。ダリオ・シルバに決められた先制点は、アウダイール得意の「やってもうた」によるもの。彼を使っているかぎり、マイアミの屈辱のようなことはいつ起きても不思議じゃないと思う。もっと堅実で好不調の波のないCB、いないのかね。CBにかぎらず、ブラジルは全体的にタレント不足(!)。「超一流の脇役」ばかりで、主役がいないって感じかな。とにかく、遅い。遅すぎる。月末にはアルゼンチン戦があるはずだが、いまの両者を見るかぎり、「白熱の一戦」になるような気がしない。ちなみにウルグアイのほうは、カリーニという10代のGKが高く評価されているらしい。たしかにこの試合でも、好セーブを連発しておった。いいGKだなーと思って見ていたら、なんとラツィオ入りの噂もあるとか。おいで、おいで。

 そんな話も含めて、人事関係のニュースも激しく飛び交っている。ファンハールは、ライカールトの後を受けてオランダ代表監督に就任。「リバウドとフィーゴのいないバルセロナ」を、どうまとめ上げるか注目である。アズーリはゾフが辞任してトラパットーニが監督になるんだとか。何にせよ、向こうの国は対応が早いよなぁ。オランダもイタリアも、要は「クラブをクビになって暇そうな人」を選んでるわけだけど、それでもこれだけの人材がいるんだから参っちゃうね、どうも。ところでトラップ、代表でも「魅惑の3トップ」でアズーリを戦艦化したりしないんだろうか。それはそれで、また面白いと思うんだけど。ああ、でもイタリアにはルイ・コスタがいないからダメか。

 気になるラツィオの補強は、どうもはっきりしない。来るはずだったオフェルマルスにはバルサが触手を伸ばしているらしいし、フィーゴもホントに来るんだか来ないんだか。左にオフェルマルス、右にフィーゴ、中にピオホ&クレスポという夢のような布陣を思い描いていたのだが、夢で終わるのか。と思っていたら、こんどはゼンデンを獲るとか獲らないとかいう話もあり、なんだかわけがわからない。大事な大事なネドベド君はユナイテッドに持ってかれちゃうのかなぁ。イヤだなぁ。

 2006年のW杯開催国は、大方の予想を覆してドイツに決定。昨今のサッカー界は、あらゆる場面でどんでん返しがトレンドになっておるようだ。ドイツねぇ。どうすんだ。あと6年で強化できんのか。2002年の予選をユース年代で戦うぐらいのことをしないと、間に合わないんとちゃいまっか。でも、いずれ監督になることが内定しているダウムってのは、何かやらかしそうなエキセントリックなキャラクターではある。

 さて日本代表に目を移すと、どうやら釜本センセーが政務次官だか何だかになってサッカーから手を引くことにしたらしい。サッカーにとっては結構な話だけど、国にとってそれがいいことなのか?という気がしないでもない。ま、いまの内閣はそう長く続かないようだからどうでもいいんだろうけど、そうなるとこんどはサッカーのほうが心配だ。なんか、アジア杯が終わった頃になって、またしゃしゃり出て来そうな気がする。それに、釜本が辞めたとしたって、問題は後任を誰がやるかだ。「あのへんの連中」がまとめて辞めないかぎり、何の解決にもならん。

似てる人シリーズ

#112 ブラジルのルシェンブルゴ監督とケーシー高峰。
#113 マドリーのGKカシージャスの髪形と柳沢慎吾の髪形。
#114 テニス解説の坂井さんと松本サリン事件で犯人扱いされて非道い目にあった河野さん。
#115 テニス解説の福井さんと松崎しげる。
#116 テニス解説の福井さんとサッカー解説の金田さん。(妻)
#117 八塚浩アナと『水戸黄門』のうっかり八兵衛。

7月4日(火)12:15 p.m.
 選挙期間中のこと。某候補者の運動員がかけてきた電話を、「電話による選挙運動はすべてお断りしていますので」と退けて、はたと気づいた。なんだ、簡単じゃないか。電話セールスもこれで撃退すればいいのだ。そう思って、次の機会にやってみた。相手はエアコンのクリーニング会社だった。
業者「エアコンのお掃除が今ならたいへんお安くなってまして……(以下、長い長い能書き)」
おれ「すいませんが、電話のセールスはすべてお断りしていますので」
業者「電話じゃないんですけど」
おれ「はあ???」
業者「……ツーツーツー……」
 あー、そうかそうか。「電話のセールス」の「の」が余計だったのね。日本語は難しい。でもさー、さんざんエアコンの話を聞かされた後なんだから、電話を売ろうとしてるわけじゃないことぐらい、俺だってわかるっちゅうの。バカにしてんのか。ま、向こうも自分の勘違いに気づいて慌てて切っちゃったんだろうけど。

 電話のセールスといえば、「電話による電話のセールス」も相変わらず鬱陶しい。このあいだもNTTナンタラカンタラから電話が来て、毎月2000円だか3000円だか以上長距離通話をするなら20%だか30%だか安くなるとか何とか言ってきた。そんなもん、いちいち連絡しなくたって勝手に割り引いてくれりゃいいと思うのだが、そうもいかないらしく、登録を確認したいとか何とか言いやがる。意味がわからないので断った。意味がわからないまま、他人の言いなりになるのは我慢ならないからである。俺、損したんだろうか。ま、どのみち長距離通話なんかほとんどしないからどーでもいいけど。

 それにしても、都合が悪くなると話の途中でもブチッと電話を切りやがる手合いが多くて不愉快だ。NTTナンタラカンタラの奴も、そうだった。「早く切ってほしい」と思っているのに、向こうから切られると腹が立つという、なんともアンビバレントな話である。

7月3日(月)17:30 p.m.
 フランス×イタリア(欧州選手権決勝)をライブ観戦。セリエ版JOMOカップのようなメンバーで行われた決戦は、「ロスタイム」と「PK」がキーワード(?)のケレン味に満ちた大会のファイナルにふさわしい、ビッグどんでん返しではあった。辛いなぁ、イタリア。どこかで2点目が取れていればねぇ。最後の最後で「ビエリ不在」が嘆かれた感じである。いや、それよりも「ファンタジスタ不在」が問題なのか。バッジョやゾラ級の魔術師が一人いれば……。しかし1点はもぎ取ったのである。それも実に華麗な得点だった。欲張ってはいけない。それで十分、がイタリアの哲学なのだ。美学と言ってもいい。「2点取られても3点取って勝てばいい」がオランダやスペインの美学なら、「2-0で勝つより1-0で勝ったほうがかっこいい」という美学があってもいいのである。そして、このゲームを1-0で逃げ切ることができれば、それは誰が見ても「美しい勝利」として語り継がれるはずだったのだ。それなのに。ああ、それなのに。この結果を受けて、サッカー論壇(そんなもんあんのか)は、「これが守備的サッカーの限界なのさ」的な流れになってしまうのだろうか。それって、なんか違うような気がする。イタリア国内でゾフがどう評価されるのかも気になるところだが、やたら点の入るザルのような大会が少しでも引き締まったのは、イタリアのお陰だ。そういう大会だからこそ、「アズーリ優勝」のほうが納得のいく着地点だったように俺は思うのである。

 しかし勝ったのは、申し訳ないが大会の主役だったとは思えないフランスだった。そんなことないのか。ふつうに見ればフランスが主役だったのか。よくわからない。でも、EURO2000が「フランスの大会」だったとは、どうしても思えないのである。ここはあえて、イタリアとポルトガルの大会だったと言いたい。見る者にパッションを感じさせたのは、この両国だ。反発を覚悟で暴言を吐けば、この大会でフランスは何もしていない。ただ勝っただけだ。もちろん、ただ勝つことにも大きな価値があるし、それが自分の好きなチームなら何も文句はない。嫌いなチームが「ただ勝っただけ」だと猛烈に腹立たしいという、ただそれだけのことである。

 それにしても、どうして俺はフランスが好きになれないんだろう。いまだに「おフランス(死語)」のいけすかないイメージに縛られているからかもしれない。プラティニ時代の「悲劇」を知らないからかもしれない。いや、それを知っている人々にとっても、今回の優勝でフランスは「悲劇のヒーロー」から「常勝の仇役」(つまり、かつてのドイツのポジション)に変身したんじゃないだろうか。ラウールのPK失敗に救われ、ザビエルのハンドに救われ、「みんな大好き」のスペインとポルトガルを下したフランス。オランダとの真剣勝負を回避して優勝したフランス。みんなイタリアで稼いでるくせに恩を徒で返すような真似をしたフランス。「個人主義」とか言いながらすぐ群衆になりたがるフランス。そんなフランスが、わしゃ好かん。むちゃむちゃ偏見だが、好かんもんは好かん。

似てる人シリーズEURO編、一挙公開!

#106 ポルトガルのジョルジュ・コスタと井上順。
#107 ポルトガルのヴィトール・バイアーと近藤等則。
#108 ルーマニアの監督と中尾彬。
#109 スロベニアの監督と嶋田久作。
#110 イタリアのザンブロッタと地下鉄サリン事件の林泰男被告。
#111 イタリアのアルベルティーニと自民党の田中真紀子。

※#111は「Y夫妻」からも同様の投稿がありました。

6月28日(水)13:00 p.m.
 復活したと思ったら、また間があいてしまった。仕事にカタがついて、パソコンの前に座らなくなったというのもあるのだが、しばらくサボっているあいだに何だか勢いが止まってしまったような気がする。要するに、書くのが面倒臭いのである。いかに今まで惰性で続けてきたかということがよくわかった。しばらく仕事がヒマなので、また更新が滞ることが多くなりますが、あしからず。次の更新も、たぶん週明けになろうかと思います。

*

 センキョには行った。我が家は住民票が仕事場のほうになっているので、自宅から投票所まではかなり遠い。なので、昼過ぎに吉祥寺まで買い物に出かけて、その帰りに寄ろうと思っていたのだが、うっかりハガキを家に置いていってしまったので、一度は「ま、いっか」と思った。でも、夕方に帰宅すると何だか気分が落ち着かない。んで、「やっぱ行こう」と改めてクルマで出かけ、投票所の近くに違法駐車をして参政権を行使したのである。権利のために法律を犯しちゃいけません。ごめんなさい。しかし何なんだろう、この気分は。一度は「ま、いっか」と思ったぐらいだから、ぜんぜん熱心な有権者ではない。これまで、「なぜそういう選択をしたのか」と問われて責任ある答え方のできるような投票行動をしたこともない。今回もそうだった。投票することで「参政した」という手応えを感じたこともない。今回もそうだった。選挙権を行使しなくたって、納税さえしていれば政治に文句を言う資格はあるんじゃないかと思ったりすることもある。国会の勢力図を変えることだけが「国を変える」ことなのか?という疑問も常に持っている。しかし、それでも、投票にはたいがい行くのであった。要するに、単なるアリバイ作りでしかないような気がする。無責任である。

*

 EURO2000準決勝は、ポルトガル×フランス、オランダ×イタリアに。さすがに、やっと本気を出したオランダは強く美しかった。しかし、スロベニアに3点、スペインに4点も取られたユーゴから6点取ったからといって、あまりはしゃぐ気にもなれないのである。「ほーら、やっぱ俺たち強いじゃん」という慢心も怖い。うっかりイタリアに先制を許して苦戦、というシナリオを思い描いていまうのは俺だけではあるまい。何しろ相手が守りを固めると、スコットランドさえ崩せない連中なのだ。ともあれ、イタリアとオランダの戦いは、サッカー哲学の戦いであるとも言えよう。俺はどっちも好きだから、杉山茂樹みたいにオランダが「正義」だとは思わないけれど。ポルトガル×フランスのほうは、若干ポルトガルに分があるような気がする。フランス守備陣はバルテズに助けられている部分が大きいように見えるし、スペイン戦でかなり消耗したに違いないセンターラインの疲労も気になるところである。

6月23日(木)17:50 p.m.
 えー、たいへん長らくお待たせをいたしました。江戸川、やっとこさ復活です。がおー。吠えなくてよろしい。え、べつに待ってなかったですか。そうですか。いや〜、大変だった。何がって仕事が。猛烈な〆切プレッシャーを感じながら根詰めてやってたもんで、しまいにゃ頭ハゲちゃうんじゃないかと心配になったぐらいだ。原稿書きながら、無意識のうちに生え際に手をやったりしてたもんな。薄くなってきたら、エチェベリアみたいに髪の毛伸ばすのはみっともないから、いっそのことジダンやロンバルドみたいに潔いハゲに私はなりたい。

〜EURO2000〜

 とは言いながら、欧州選手権は一応、見ていた。ぜんぜん見てないのは、ドイツ×ルーマニア、イタリア×ベルギー、トルコ×スウェーデン、イタリア×スウェーデン、トルコ×ベルギー、ユーゴ×ノルウェー、スロベニア×ノルウェーぐらいだろうか。なんだよ、けっこう見てんじゃん。やっぱ、ほら、「4年に一度」とか思うとさ、見ずにはいられないわけさ。もうグループリーグも終わってしまったんで、今更いちいち感想を書く気にもならないのであるが、なんちゅうかこう、乱暴な大会になっておるな。ま、具体的にはポルトガル×イングランドとかユーゴ×スロベニアとかスペイン×ユーゴとかルーマニア×イングランドとかのことを言っているわけだが、全体的に見ても、ちょっとゴール多すぎ。殴り合いは面白いけれど、いまひとつ緊迫感に欠けると思うのは俺だけではあるまい。派手な逆転劇や同点劇って、滅多にないからコーフンするわけだし。スペイン×ユーゴなんて、本来ならめちゃめちゃドラマチックな試合だったはずなのに、「そういうこともあらぁな」と不感症になっていたような気がする。たぶん、強豪国の連中ほど、各国リーグ戦が終わった段階で神経が疲れ切っちゃってるんだろうなぁ。どこかに「守るの面倒臭い」という気持ちがあるから、派手な殴り合いが多くなるんじゃなかろうか。早い話、ヤケクソ。その象徴がユーゴなのである。なんとも出鱈目な戦いぶりだ。7点も取って勝ち点4も出鱈目だし、3試合連続で退場者を出しても決トナ進出してしまうというのも出鱈目な話だと思う。それはそれで味わい深いともいえるが。しかしまあ、このまま乱暴な調子で続くとも思いにくい。決トナに入ったとたんに0-0、1-1でPK戦突入、が多くなりそうな気もする。ともあれ、ここまでの中で俺にとって最大のトピックは、なんつっても猿知恵コンセイソンのハットトリックなのであった。わけあって、彼がゴールを決めると俺が得をする仕組みになっているのである。がはは。

〜CHAIN MAIL〜

 ぜんぜん関係ないが、例の「献血チェーンメール」は俺のところにも届いた。それも別ルートで2通。あまりメールをやりとりする相手が多くない俺でもそうなんだから、きっと10通も20通も受け取った人もいるんだろうと思う。最初は、中学時代の同級生からだった。内容が内容だけに「どうすべぇか」と些か迷ったが、「地獄への道には善意という名の絨毯が敷き詰められている」という格言がふと頭を過ぎり、とりあえず放っておいた。翌日に「問題解決」を告げるメールが来たので二重の意味でホッとしていると、今度は高校のメーリングリストに「解決前」のメールを配信した人がいた。すぐに「こーゆーのはイカン」というお叱りレスを受けていた。「いい人になれる」という「善意の誘惑」に抗うのは、誰にとっても容易なことではない。そもそもインターネット自体が性善説で成り立っている面があるから、なおさらあの手の「善意」は広がりやすいのかもしれない。そこで問題なのは、たぶん、「不特定多数を相手にモノを言うこと」にどれだけリアリティを持てるかということなんだろうと思う。別の言い方をすれば、たとえば献血チェーンメールを転送したときに、それが悪用される可能性や、同じ型の血液を求めている他の人がそれを目にして「俺だって欲しい」と言い出す可能性があることを考えられるかどうかという、想像力の問題でもある。

 もう一つ感じたのは、インターネットには「マクロ」と「ミクロ」の境界線をあやふやにしてしまう力があるということだ。マクロの問題とミクロの問題を分けて判断を下すことが、われわれには少なくない。たとえば臓器移植にしても、マクロの問題としては「反対」の意見を持っている人が、たとえば自分の子どもが他人の臓器を必要とする状態になったときに「反対」を貫けるかというと、これはなかなか一筋縄ではいかないのである。ところがネット上では、ミクロの問題があっという間にマクロ化し、マクロの問題がミクロ化してしまう。いったい、われわれはどこまでを「知人」と認識し、どこまでを「ミクロ」の問題と感じることができるのだろうか。友達のためなら、必要な血液を求めて奔走することに何の躊躇もない。「友達の友達」のためでも、同じだろう。でも、「友達の友達の友達」のために一肌脱げるかといえば、そうもいかないような気がする。それなりの「切実さ」が感じられなければ「ミクロ」の問題だと感じられないし、行動も起こせないものだ。にもかかわらず、インターネットは「友達の友達の友達の友達の友達の友達」も「みんな友達」だ、とマクロの問題をミクロ化してしまうから、たとえばRh-AB型の血液を確保することを「病院の仕事でしょ」とか「医療行政の問題でしょ」などという言い方で済ましてはいけないような心理的圧力をわれわれにかけてくる。もちろん、それで済ましてはいけないのだという言い方もできるだろう。しかし、人間は時間的・空間的な制約の中で暮らしているから、何でもかんでも「当事者」にはなっていられない。たとえば、見ず知らずの他人から「子どもが誘拐されました。身の代金が足りなくて困っています。余裕のある方は下記の口座まで振り込んで下さい」なんてメールが来たら、どうすればいいんだ? もし、それを「関係ねぇや」と無視して、身の代金を払ってもらえなかった子どもが殺されてしまったら、「当事者」の一人として罪の意識を感じなきゃいけないのか?

 またまた話は変わるのだが、以前この日誌で紹介した「スポーツ観戦者の有意義な日々」の横田氏から、3週間ほど前にメールをいただきました。「小学校の校庭を芝生に」という神戸のプロジェクトの広報を手伝っていらっしゃるとのことで、そのホームページに相互リンクを張ってもらいたいとおっしゃるのです。大してお役に立てるとは思いませんが、数少ない本誌読者にも知っていただきたいと思うので、少しでも興味のある方は、「芝生スピリット神戸」にお立ち寄りください。実をいうと俺もまだ詳細に拝見してはいないのですが、単純な話、学校の校庭が芝生になって、週末は地域住民にも開放されたりするのって、かなり素敵なことだと思います。長い目で見れば、サッカーやラグビーの強化・発展にも間違いなくつながるだろうし。何事も「土俵」の充実は大事だと思います。ま、さっきの話でいえば、そのプロジェクトに俺が「当事者」として関われるか、東京で同じように具体的な行動を起こせるかというと、なかなかそうもいかないわけですが、マクロのテーマとしては賛成、ってことで。

 

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