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江戸川駄筆のサッカー日誌
2000-2001/第9節

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10月5日(木)12:20 p.m.
BGM/Kazumi Watanabe "The Spice Of Life"

 昨夜は、新刊本の完成を記念して、著者、編集者、版元社長らと茅場町で天麩羅。穴子の天麩羅入り茶漬けが絶品。その後、また銀座のクラブへ。前回はコロンビア人とフィンランド人だったが、今回隣に座ったホステスはイングランド人であった。ベッカムをどう思うか訊いたら、「グッド・プレイヤー。バット、たまにバッド・アティテュードなのはダメね」とのことだった。彼女はハートリープールという小さな町の出身で、地元には3部と4部を行ったり来たりしている「ぜんぜんよわい」クラブがあるらしい。サッカーを見ていると、どの国の人とも、とりあえず話のきっかけには事欠かない。たぶん、相手がエストニア人でも大丈夫だと思う。俺の稚拙な英単語(英会話と呼べる代物ではない)さえ理解してくれれば。

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 帰宅後、ウディネーゼ×ブレシア(セリエA第1節)を観戦。激しい降雨は、監督のマッツォーネがペルージャから持ってきたものか。あのユーベ戦の続きを見ているような悪コンディションだった。バッジョの機転(セットプレイで好アシスト)などもあって2-2までウディネーゼを追いつめたブレシアだったが、終わってみれば4-2。そのバッジョが出ていたはずのJOMOカップは、前回同様、見逃してしまった。



10月4日(水)12:15 p.m.
BGM/Terumasa Hino "Bruestruck"

 リッピ解任。監督というのは、敗戦を選手のせいにした時点で「負け」である。「俺の言うことを何もやらず、選手が勝手にやっていた」っていうのは、まったくその通りなんだろうけど、勝手にやられちゃうおまえが悪い。そのインテルには、ロベカルが復帰する可能性が出てきたらしい。ますますワヤなことになりそうである。ところで、昨季のセリエA最優秀選手がどうしてトッティなんですか。日本代表ネットワークで見たんだけど、これ、誤報じゃないのかね。べつに優勝チームから選べとは言わないが、CL出場権も取れなかったチームのキャプテンが「最優秀」とはこれいかに。新しい「アズーリの顔」として売り込みたい、という政治的配慮でもあるんだろうか。実に不愉快。

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 パルマ×フィオレンティーナ(セリエA第1節)を観戦。いきなりのビッグ7対決だが、ゼーマンは「今季はビッグ6だ」と暗にフィオをコケにする発言をしたらしい。このおっさん、どうしてそういう余計なこと言うんだろうか。そんなこと言って、何か得することあんのか? おもしろいから、いいけど。それはともかく、バティの抜けたフィオは、すったもんだの挙げ句に残留を決めたルイ・コスタに「腹をくくった感じ」が見て取れて、決して侮れない。ミヤトビッチもキエーザも残っているし、おまけに成長株のヌーノ・ゴメスまで加わったんだから、少なくともナポリの監督にバカにされる筋合いはなかろう。お互いに丁寧なパス回しの目立った試合は、2-2のドロー。内容的にはパルマの負けゲームだったと思うが、後半ロスタイムにアモローゾのPKで辛くも追いついた。ラツィオから移籍の猿知恵コンセイソンは、アモローゾの先制点をアシスト。セットプレイでシュートを撃たせてもらったりして、ラツィオ時代よりチーム内での地位が上がった感じであった。がんばってほしい。

 ミラン×ビチェンツァ(セリエA第1節)は2-0でミラン。ビアホフのヘッドによる先制点は、その場に立ったまま少しお辞儀をしただけの、例によって味も素っ気もないゴールであった。得点の瞬間にこれほど「華」を感じさせない選手が、他にいるだろうか。某ストライカー・コンテストで、顔も知らないのにシンプルな名前が気に入って指名したルカ・トニは、意外にも身長193センチの大木系FWだった。つい、「総身に知恵が」という言葉を思い出してしまうタイプの体格である。巨体のわりに顔つきがやさしいので、草食恐竜のような印象も。恐竜ルカトニザウルス。しかし小兵のカロンとの組み合わせは悪くない。コンビネーションが練られてくれば、けっこう活躍するかも。


●(たぶん性格も)似てる人シリーズ

#123 フィオのヌーノ・ゴメスとインザーギ兄弟。





10月3日(火)13:15 p.m.
BGM/The Red Garland Trio "Groovy"

 おやおや。M氏、挙げ句の果てに長女まで生まれておったか。手紙を書き直すにしても、「ご愁傷様」と「誕生おめでとう」を一つの文面に練り込むのは、かなり厄介な作業である。たぶん、「文例集」的なマニュアルを見ても、そんなケースは載ってないだろうし。あー、めんどくさい。香典と出産祝いを出したつもりで、諦めることにするか。なんかもう、関わりたくないって感じだ。こんなことなら、文庫化に気づかなけりゃよかった。

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 アタランタ×ラツィオ(セリエA第1節)をビデオ観戦。俺にとっては、これこそがセリエ開幕戦である。ペルッツィとクレスポが故障中のため、ラツィオのスタメンはピオホを除いて昨季の顔ぶれだった。キックオフからわずか3分後、ミハイロ仮面のFKが驚異のカーブを描いてゴールイン。顔面に触れないよう、遠慮がちに抱きつくベーロンの姿が印象的だった。仲間に気を遣わせるような状態でサッカーしていいんでしょうか。幸先の良い滑り出しで楽勝かと思われたが、40分過ぎにパンカロの頭によるクリアが驚異のコースに飛んで同点オウンゴール。これ以外にも、このゲームではパンカロがらしくないミスを連発しておった。頼むよ。意外に、あんたがこのチームのキモだったりするんだから。さらに後半早々にもカウンターを決められて2-1。開幕が昇格チーム相手のアウエー戦というのは、実に難儀である。やりづらい。モチベーション最高のアタランタは、とくに古巣へ復帰のガンツが元気いっぱいだった。25分頃、ネドベドが強引に持ち込んで放ったシュートのこぼれ球を、途中出場のシモーネ君がごっつぁんゲットして何とか引き分けたものの、辛いなぁ。ま、この試合はアタランタの出来映えをほめるべきだと思うけど。なかなかスピード感のある爽やかなサッカーで、とくに右サイドからの攻撃には見るべきものがあったように思う。この調子でほかの強豪も食ってくれれば許す。

 レッジーナ×インテル(セリエA第1節)は1-2でレッジーナ。インテルは、案の定、としか言いようがない。レコバ、ハカン・シュクル、ロビー・キーンの3(2.5?)トップという国際色だけは豊かな布陣だが、思ったとおりコンビネーションってものがまるでナシ。レコバのゴールで先制したものの、ずるずると逆転負けしていた。頼みのビエリは11月以降に復帰が延びたという話もあり、前途多難である。早めにインテルと当たるチームが、リーグ戦を優位に進めることになるのかも。



10月2日(月)12:00 p.m.
BGM/Bill Evans & Jim Hall "Undercurrent"

 きのうは朝から、ナポリ×ユベントス(セリエA第1節)をビデオ観戦。どうでもいいが、ゼーマンは禁煙中だとか。41分にステローネのゴールでナポリが先制し、大いに盛り上がる。しかし後半に入ると、67分コバチェビッチ、75分デル・ピエーロのゴールでユーベが逆転。デルピ、今季はいきなり流れの中での得点である。いわゆる「デル・ピエーロ・ゾーン」からゴール右隅に蹴り込んだものであった。

 夕刻より、O一家、Y夫妻、K先輩を招いて鉄板焼。五輪閉会式を横目で見ながら、せっせと肉を焼く。なんだか印象の薄い五輪だったというのがみんなの共通認識のようで、その原因はサッカー、が結論。「五輪=サッカー」という図式になっていたため、アメリカに負けた時点で見るほうも燃え尽きてしまったということである。ブラジル人はどうだったんだろうか。

 子連れのO一家が帰った後、Y夫妻、K先輩と共にアーセナル×マンチェスターU(プレミア第8節)をライブ観戦。代表の同僚バルテズの弱点(前に出過ぎたときの頭上)を見透かしたようにループを放ったアンリのファインゴールを守りきって、アーセナルが1-0で勝った。ユナイテッドが1-0で負ける試合って、かなり珍しいと思う。CLでPSVに惨敗した後遺症か。ユナイテッド・ファンのY夫妻は、深夜2時、がっくりと肩を落として帰途についたのであった。

 みんなが帰った後、ラ・コルーニャ×バルセロナ(リーガ第4節)を後半からライブ観戦。前半は0-0。バルサはリバウドがなぜか不在だったが、ルイス・エンリケが復活していた。ルイス・エンリケが出ていると、なんだか嬉しい。ラ・コルーニャのほうは、いつの間にかセザール・サンパイオが加入していた。知らなかった。試合は、ラ・コルーニャが先制。ドナトのFKがクライファートの爪先に当たってコースを変えてゴールインしたのである。バルサのほうは、そのクライファートが雑なシュートに終始してゴールなし。ラ・コルーニャは新加入のディエゴ・トリスタンもゴールを決めて、2-0で勝った。これも知らなかったが、トリスタンはマジョルカ時代から好感を持っていたので、デポルティボ入りは歓迎である。得点王も狙える逸材だと思うのだが、どうだろうか。



10月1日(日)

 セリエA開幕戦は、バーリ×ベローナ(セリエA第1節)という地味なカード。のっけから、「残留争い」を感じさせる苦渋に満ちた雰囲気が漂っていた。1-1のドロー。よく点が入ったほうだと思う。一方、その後に後半から見たリーズ×トッテナム(プレミア第8節)は4-3というザル試合。セリエ、プレミア両リーグの差異をまざまざと見せつけられたような感じである。



9月30日(土)

 カメルーン×スペイン(五輪サッカー決勝)は120分で2-2、PK戦5-3でカメルーンの勝ち。やりたい放題に暴れ倒して、金メダルを強奪していったような印象である。クウェートやアメリカに苦戦しながら、ブラジル、チリという南米勢をなぎ倒してしまったあたりが、なんとも豪快。チリ戦は見ていないが、最終ラインがハーフウェイラインを追い越してしまいそうだったブラジル戦のヤケクソ9人サッカーはかなり見応えがあった。しかしエムボマ、セリエが開幕してるときに金メダルなんか獲ってる場合なのか。



9月29日(金)12:30 p.m.
BGM/Yellow Magic Orchestra "TECHNODON"

 オペラ座の怪人か、はたまたジェイソンか。顔面骨折のミハイロ仮面に、どちらを連想した人が多かっただろうか。アーセナル×ラツィオ(CL1次リーグ第3節)をビデオ観戦。ともにベルカンプ→リュンベルクのゴールでアーセナルの2-0。あらま、ラツィオ負けちゃったよ。ダメじゃないか。しかしまあ、このゲームにかぎってはアーセナルの出来が良すぎた。まるで、「ここ一発」に合わせて1ヶ月ぐらい合宿してたような感じ。CLに懸けるベンゲルの意欲の表れか。ラツィオの不安は、やはり右サイドであろう。スタンコビッチのバックアップにロンバルドだけでは、ちと役者不足である。コンセイソンの抜けた穴は意外に大きいのかも。オフェルマルスかフィーゴ、どっちか一人でもゲットしてほしかった。

 ノルウェー×アメリカ(五輪女子サッカー決勝)を後半から見る。すげー好勝負だった。1-1から、マイアミの奇跡を思わせるノルウェーの勝ち越しゴール、ロスタイムにはドーハの悲劇を思わせるアメリカの同点ゴール、そして延長に入って、ジョホールバルを思わせるノルウェーのゴールデンゴール。ただしハンドだったけど。ハンドって、ああいうのも「故意」じゃなければ許されるんですか。故意じゃなくたって、結果的に「絶好のトラップ」になったんだから、反則じゃないのかね。ノルウェーに肩入れしてたから、別にいいけど。

 船越ゴルゴル以外に印象に残る実況が少なかった五輪だが、きのうの新体操は笑えた。団体の棍棒における刈屋アナ(だったかな)の、「さあ、ここで、日本しかやらないという、あの4本投げが成功するか!」ってやつ。藪から棒に「あの4本投げ」って言われてもなぁ。柔道の技みたいだ。しかし、この短いコメントだけで、「新体操において棍棒の4本投げは(たぶん)体操の鉄棒におけるコバチと同じぐらいリスキーで難度の高い技らしい」ということと、「日本は列強さえトライしない独自のスーパーな技を持っているらしい」ということがたちどころに判ったのだから、すばらしい実況と言ってよかろう。ドキドキしちゃったよ。でも、ちょっとだけ、「バカバカしいから他の国はやらないのか?」などと思ってしまった。「日本しかできない」ならともかく、「日本しかやらない」には、そういう自虐的なニュアンスがある。「日本ってば、ほんとに4本、投げてやんの」みたいな。ともあれ、初めて見る「4本投げ」は「4本投げ」としか言いようのない技だった。成功して良かった。どうせなら決勝では5本投げか6本投げにチャレンジしてほしい。



9月28日(木)14:00 p.m.
BGM/Herbie Hancock "Speak Like A Child"

 午前中、来春セガレを入れる予定のG幼稚園の入園説明会なるものに行ってきた。いよいよ俺も「父兄」と呼ばれる立場になるわけである。いよいよ、ってほどのことでもないが、子を持つと、何かと「おまえはオトナなんだぞ」と自覚させられる場面が多くなって、いささかうろたえるのであった。G幼稚園は女性園長もカンジが良く、教室や園庭(こういうコトバがあるのも最近知った)も広々としていて、なかなかの好印象。ただし自宅よりも俺の仕事場のほうが圧倒的に近い(徒歩3分程度)んで、俺が送り迎えすることが多くなりそうである。なんだか妻の思うツボにはまっているような気がしなくもない。

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 文庫化に関するM氏への手紙(9/26の日誌参照)は、あれからちょこちょこ手直しをしていて、今日あたり投函しようと思っていた。ところが朝刊を見たら、そのM氏の母堂の訃報が載っているではないか。知らずに投函しなくてよかった。しかし不謹慎な言い方だが、なんとも間が悪いとしか言いようがない。当面はそんな話に関わっている余裕もないだろうから、喪が明けるのを待って(いつ明けるのかよく知らないが)、お悔やみの言葉を書き加えてから出そうと思うのだが、正直なところ、なんだか面倒臭くなってきた。いいのか悪いのかわからんが、こういう不満や憤りが、俺はあまり長続きしない。自分の主張が通ったときに得られる報酬が、それほど大した金額にならないこともあるけれど。俺としては、ライターの地位と役割を正当に評価してもらうことが重要なので、金額の問題ではないのだが、それにしても、あんまり長く引きずってさらに時間的・精神的コストを支払うのは割が合わないような気がする。ぐずぐずとイヤな気分を引きずって暮らすより、「ま、いっか」で済ましてしまったほうが、総合的に見れば得なのかも。

 まるで次元の違う話ではあるが、柔道の篠原の気持ちが少しわかるような気がする。「弱いから負けた」という彼のコメントと、「力量が低いから報酬がもらえなかった」という俺の建前は、どこか似ているのである。認められるかどうかわからん(というか、まず認められない)抗議に労力を使うより、そうやって己を納得させて「次」に気持ちを切り替えたほうが、自分のため。いかにも日本人的な「お人好し」なのかもしれないけれど、それをこの国では「潔さ」と言ったりする。だからアメリカ的な訴訟社会にはたぶんなりにくい。一方、「誤審」(かどうか素人の俺にはようわからんが)で金メダルを手に入れたフランス人選手は、抗議した山下監督に対して不快感を表明したらしい。逆の立場だったらもっと激しく抗議するに違いないのだが、そうやって己の正当性を主張するのが、彼の国では真っ当な倫理なのだろう。そういえばM氏も、若かりし日の留学先はフランスだったような気がする。やれやれ。ますます面倒臭くなってきた。不満を飲み込んで自分の中で解決する「潔さ」と、不満を堂々と表明する「自己主張」。最後に笑うのはどっちなんだろうか。



9月27日(水)16:15 p.m.
BGM/U-sen B-25ch "Fusion"

 昨夜は、「南北線開通記念」と称して、G舎のS氏と麻布十番で韓国料理を食う。旨かった。麻布十番に行ったのはものすごく久しぶり。地下鉄開通で、あの落ち着いた街並みもやがて俗化していくんだろうか。べつに俺には何の関係もないけれど、ああいう「陸の孤島」が都心にも少しぐらいあっていいんじゃないかと思う。空間的なメリハリ、とでもいおうか。

 タクシーで帰宅して気づいたこと。五輪開催中は、運ちゃんとの会話が長持ちする。ソフト、野球、サッカーについて当たり障りのない通俗的な会話(「やっぱ野球もオールプロにしないとねぇ」とか「ソフトは金を取らせてやりたかったねぇ」とか「いまごろブラジルは大変だろうねぇ」とか、そういうやつ)を交わしているうちに、あっという間に家に着いた。思えば最近、こういう「当たり障りのない会話のための会話」をする機会があまりないので、なんだか新鮮だった。

*

 帰宅後、スペイン×アメリカ(五輪サッカー準決勝)を観戦。諸事情あってアメリカに肩入れしていたが、3-1でスペインの勝ち。どうせ勝つならガブリに得点してほしかったのだが、どうして彼、スタメンで使われないんだろう。チリ×カメルーン戦は途中まで見て寝てしまった。

 ところで俺、前にも少し書いたような気がするが、NHKの山本アナが好かん。上手いアナウンサーであることは認めるが、好かん。「人を試すような質問」をする人間が、嫌いだからである。彼が解説者に投げかける質問には、「あなたは専門家なんだから素人が思いつかないような素晴らしい答えを聞かせてくれますよね」という無言のプレッシャーを感じるのだ。自分が解説者だったら、ものすごくイヤだろうと思う。いちいち「ん〜〜〜〜〜〜」と長考してしまう木村和司も木村和司だが、そういうことで視聴者をハラハラさせないでほしい。「答えられるのか木村和司!」ということばかり気になってしまって、ゲームに集中できなくなるのは俺だけですか。

 それに、例の「船越ゴルゴル騒動」のとき、ネットの掲示板では「中継の主役はアナウンサーではなく選手だ!」という意見が飛び交っていて、その一方で「BSは<山本で>ぜんぶやる!にしてくれ」という発言もあったけど、俺から見れば、「自分を主役に」という意識が強いという点で、船越も山本もそう変わらないという気もする。むろん、山本アナの仕事ぶりは船越ほど愚かでも破廉恥でもない(比較すること自体が失礼である)が、表現が控えめな分、余計に「これが山本の実況だぜ」という自意識がイヤらしく滲み出てくるような気がして、鼻持ちならない印象を受けるのである。あと5年ぐらいして少し「枯れ」てくると、いいカンジになるかもしれない。今回の五輪サッカーに関しては、TBS清水&カネやんコンビが、いちばんいい仕事をしていると俺は思う。



9月26日(火)16:00 p.m.
BGM/Baseball sounds of Japan vs Cuba on Sydney 2000

 いやはや、久しぶりの更新になってしまいましたが、みなさまお元気ですか。元気なわけないですね。日本、負けちゃましたからね。ナカタジャパンさんの投稿も、すっかり間抜けなタイミングの掲載になってしまって、申し訳ありません。今日は準決勝ですが、会社、抜け出せませんね。抜け出してもいいですけど。ソフトボールの決勝は何時からでしたっけ。

 それにしても、アメリカ戦である。負けちゃダメじゃないか。例によってスポーツ紙は中田のPK外しをショッキングな出来事として大々的に取り上げているわけだが、そのお陰で、89分に相手にPKを与えた酒井のプレイが見逃されていないか。テレビのニュースなどはほとんど見ていないけれど、少なくとも新聞では、「3点目を取れなかったこと」と「PK戦で負けたこと」ばかりがクローズアップされて、「終了間際に同点にされてしまったこと」への批評が見当たらないのである。俺としては一言、なんであんなところで倒すんだ馬鹿者、と言いたい。あそこへ酒井が走らなければならない状況を作ったDF陣の責任もあるんだろうけど、アメリカの決定力を考えれば、あそこまで角度のないところにボールが流れりゃ、放っておいてもシュートはサイドネットに突き刺さったはずなのだ。完全無欠の結果論であるが、あー、もったいない。あと、これはいろんなところで言われているけれど、例によってトルシエの采配である。勝負をしろ勝負を。ジョホールバルで岡ちゃんがカズを引っ込めたように、中田を引っ込めて本山投入、という選択肢はなかったのか。2002年に向けて国際試合の経験が必要なのは、選手よりもむしろトルシエなんじゃないですか。

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 五輪のどさくさに紛れて、巨人が優勝したらしい。ふーん。昨シーズンまでは愛するジャイアンツの優勝を願っていた俺であったが、今季はなぜかまったく無関心。たぶん、プロ野球を15分以上観戦したことはなかったと思う。工藤やメイの投球も、合わせて10球も見ていない。松井のホームランをライブで目撃したのも、たった1度だけだった。優勝の瞬間は、セガレと風呂に入っていた。むかし補強に関して書いたことと矛盾するようで恥ずかしいのだが、今年優勝したのは読売と長嶋であって、ジャイアンツは優勝していないような気がする。ところで、試合後の表彰式を見て思ったんだけど、プロ野球って監督にペナントが授与されるんですね。昔は当たり前に思っていたが、今はなんだか違和感がある。

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 先週、書店にぶらりと立ち寄った際、創刊したばかりの某社文庫の中に、政治学者M氏の著書を見つけた。手にとって最初のページを開いてみると、それは俺が5年前にゴーストで書いた本を文庫化したものだった。それも、版元であるS出版局の倒産によってギャラの一部を取りっぱぐれた仕事である。モトを取るために、「どっかで文庫にしてくんないかしら」と思っていたのであるが、今回の文庫化はまったく俺に知らされていなかった。「やられた」と思った。俺はS出版局と契約書を交わしておらず、したがって文庫化に際して法的な権利を主張できる立場にないからである。

 たまたまその編集部にKという知人がいるので、一応、電話をしてみた。「あの親本(文庫の元になった単行本のこと)、実は俺がゴーストしたんだよね」と言うと、Kはものすごく驚いていた。Kはその担当ではなかったが、文庫化にあたってライターの存在が著者・編集者のあいだでどう扱われていたのか確認してくれるよう頼んだ。翌日、Kから、「親本にライターが関わっていたことは認識しているが、そのライターに金銭を支払う法的な義務はない」という著者M氏の見解を伝え聞いた。そんなことはわかっている。しかし納得はいかない。親本で契約書がない(つまりライターに法的な「著作権」がない)ケースでも、文庫化されればライターにも印税が支払われるのが、この業界の「暗黙の了解」だと俺は思っているからである。Kからは、「電話をもらえば、この件について話す用意はある」というM氏からのメッセージも言伝されたが、俺は自分の考えを電話で伝えるのが苦手だし、主張したい内容もシンプルではないので、M氏に手紙を書くことにした。

 まだ投函していないが、その手紙は400字詰め換算28枚という長いものになった。書店で同書の文庫化を知って、自分の仕事が蔑ろにされたような疎外感を味わったこと、親本の「まえがき」(最後に、<本書をまとめるにあたって、江戸川駄筆(原文はもちろん俺の本名)氏に大変お世話になった。記して感謝したい>という一節があった)が今となってはひどく空々しく見えること、版元の倒産で親本の初版印税を受け取り損なったこと、いわゆる「著作権」に関してゴーストライターが曖昧なポジションに置かれていること、法的な「権利」はなくても文庫化によって報酬を受け取る「資格」が認められるケースは少なくないこと、その「資格」が認められるか否かは著者の「気持ち」次第であること、などなど。

 重要なのは、最後の点である。契約書が存在せず、したがって法的には文庫化に伴う報酬を要求できないケースでも、ライターである俺に印税が支払われる場合、それはいかなる根拠によるものなのか。それは、著者(と編集者)の「気持ち」以外にない。法的な裏付けはなくとも、彼らが「これはライターにも印税をもらう資格があるよね」と判断すれば、俺も報われるわけだ。俺の手紙を読んでM氏がどう判断するかはわからないが、もし法的な問題とは関係なく、「ライターに報酬を受け取る資格はない」と言われれば、その程度の評価しか得られなかった自分の力量を反省するまでである。……というのはもちろん建前で、本音では、「ああそうですか、M先生はライターの役割をその程度にしか考えていないんですね」と思い、それを知り合いの業界関係者に愚痴として吹聴することになるであろう。そこに同業者がいれば、「あんな奴とは仕事をしないほうがいい」とアドバイスするに違いない。

 まあ、手紙を投函する前に先走って腹を立てるのもバカみたいなので、それはもういい。俺に連絡せず文庫化を決めた段階で、すでにライターを侮辱しているとも感じられるが、今のところ向こうが言っているのは法的な問題だけである。俺の手紙によって、M氏がライターの役割と地位について考え直してくれることを期待することにしよう。

 それより大事なのは、今後、このような不愉快なことが起きないようにすることである。現在、半分ぐらいは契約書なしの「口約束」で印税率を決めている(信用できる版元にかぎる)が、そういう業界の習慣に流されるのはやめたほうがいいかもしれない。……と、以前から思ってはいるのだが、元来金銭的な交渉事が苦手なこともあって、なんとなく流されているのであった。代理人を雇えるぐらい収入がありゃいいんだけどさ。

 それに、果たしてゴーストライターに本質的な意味での「著作権」があるのかどうか、という問題もある。契約書を交わしていても、ライターの扱いはいろいろだ。ライターを「著作権者」として扱っているものもあれば、「出版物の制作協力」「原稿作成業務委託契約書」などの文言を使っているケースもあるのである。業界内で見解を統一してほしいという思いもあるが、それが自分に利益をもたらすのかどうかもわからない。「ライターに著作権はない」とか「印税を受け取る資格もない」などという統一見解になってしまったら、元も子もないのである。ともあれ、今後は個々の仕事について、契約の明文化や文庫化の際の諸権利について、著者や編集者ときちんと話し合うことにしようと思う。

 

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