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江戸川駄筆のサッカー日誌
2000-2001/第20節

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3月13日(火)11:00 p.m.
BGM/ ICE "We're In The Mood"

 ゆうべ、帰宅してフロ入ってビール飲んでメシ食ってサッカー観戦モードに入っていたところに、仕事の電話が来た。女性誌編集者時代の上司で、現在は編プロ社長兼某男性誌編集長のSさんである。ちなみに「極楽」に俺がつけたルビを書き換えたデスクというのが、この方だ。「明日できることは今日しない」というお気楽人生哲学を部下の俺に注入してくれたSさんが、憔悴した声で夜の9時に電話してくるぐらいだから、よほどの緊急事態に違いない、と直感した。聞くと、タイアップ記事の原稿がクライアントにボツにされて明日までに書き直さなければいけないのだが、それを書いた女性ライターが体調を崩して倒れてしまったので、「悪いが江戸川、何とかしてくれ」ということである。大変だなぁ、Sさんも。それにしても最近、こういう尻拭いワークばかりだ。俺は水漏れ110番か。いや、ありがたいことです。

 相手は結婚式の立会人もお願いした恩人だし、あんまり気の毒なので快く引き受けた。……のだが、送られてきたファックスを見てちょっと後悔。ボツ原稿だけで、他には何の資料もないのである。しかもボツ原稿は大半が(データ原稿としても)使いモノにならない。要するに「つくれ」ということである。つくれって言われても。商品のニュースリリースもないなんて殺生な話じゃありませんか。そもそも「今日頼まれた原稿を今日書く」という雑誌では当たり前のテンポに馴染んでいない上に、「クライアントのいる仕事」を殊の外ニガテにしていることもあって、しばし思考停止。「うー」とか「ぐー」とか唸りながら夜中の2時過ぎまでかかって何とかデッチ上げたものの、化粧を落としたらのっぺらぼう、みたいな内容ゼロの原稿である。恥ずかしくて読み返す気にもならない。しかし、「こんなんでいいと思ってるのかおまえは」という天使の声は、「タイアップ記事なんて雰囲気だけありゃいいのさ」という悪魔の囁きにかき消されたのであった。もう眠かったし。メールで「えいやっ」とばかりに送稿して、とっとと寝た。あとはSさんがクライアントをうまいこと誤魔化してくれるのを祈るばかりである。

*

 そんなわけで、昨夜はサッカー観戦なし。そうでなくても、ラツィオ敗戦で観戦モチベーションが低下しているのだが。上を見れば首位ローマとは11ポイント差、下を見れば5位(CL圏外)アタランタとは10ポイント差という、めちゃめちゃ中途半端なポジションである。今後の目標は、予備予選なしの2位、なのか。やれやれ。ま、こうなったからには結果を気にせず、破壊的なアイキョー・サッカーを見せてもらいたい。



3月12日(月)16:30 p.m.
BGM/ Eddie Gomez "Power Play"

 最近読んだ本。

●呉智英・宮崎哲弥『放談の王国』(時事通信社)
 たぶん俺がバカだからだろうと思うが、宮崎哲弥は何が言いたいのかいつもよく判らない。何かと言うと「私は仏教徒だから」っていうのはどうもなぁ、とも思う。なのに、本が出ると何となく買ってしまう不思議な吸引力を持った人だ。呉智英は俺のようなバカにも何が言いたいのかいつもよくわかる。でも今回は宮崎への遠慮があるのか、キレ味が鈍い。そもそも、この対談自体が何を目指して企画されたのかがよく判らなかった。要するに「知識人の愚痴」なのかなぁ、と思ったりしたけど。まぁ、つまりは俺のような教養コンプレックスの持ち主を相手にした商売なのであろう。実際、こうして買って読んでるんだから、商売として正しい。いいカモである。「社会部の事件報道は基本的に娯楽でしかない」という宮崎の指摘には共感。朝日新聞が、かつて永山則夫の実名と顔写真を報道しておきながら、酒鬼薔薇事件ではフォーカスを非難したことの矛盾をあげつらう文脈の中での発言である。俺も以前から、未成年か成人かに関わらず、犯罪者の氏名や顔写真を公開する理由は、「大衆の下世話な好奇心を満たすため」以外にないと思っていた。もっと判らないのは、被害者の実名を報道することの意味である。自分が被害者になったとき、絶対に実名報道して欲しくないと思うのは俺だけだろうか。

●岸田秀『官僚病の起源』(新書館)
 精神分析の手法で国家の「病」を読み解く手法は、たぶん専門家から「安易」という批判を受けているんじゃないかと想像する。でも、話としては面白い。精神分析が幼少時の「忘れたい記憶」に注目するのと同様、岸田は日本という国家の成立時に抑圧された記憶に注目する。岸田の推測によれば、日本はもともと百済の植民地で、大和朝廷も百済の派出機関にすぎなかった。それが白村江の戦いで唐・新羅連合軍に惨敗した後に「日本」をつくった。つまり日本人の起源は国外にあるわけで、その屈辱を覆い隠すために天孫降臨の神話がでっち上げられ、日本人としてのアイデンティティが築かれた。その自己欺瞞を正当化するために、この国は昔から朝鮮半島への出兵をくり返しているのだ、という話である。アメリカが原爆投下を謝罪しないのも、シラクが核実験を強行したのも、いずれも「国家成立時における自己欺瞞の正当化」という文脈で読み解けるらしい。たいへん判りやすくて、面白い。でも、判りやすくて面白い話は信用できないから、あんまり鵜呑みにしないほうがいいんだろう。でも、面白い。でも。

●斎藤貴男『機会不平等』(文芸春秋)
 悪平等を廃して健全な競争原理を導入するのは、基本的に良いことだと思っていた。しかし筆者によれば、その背後には、優生学や社会ダーウィニズムにつながる危険な思想が隠れているらしい。結果の平等どころか、機会の平等さえ蔑ろにされつつあるのだという。遺伝子によって、人間があらかじめエリートとシモジモに分別されるような世の中になったら、えらいこっちゃ。やや思い込みが強すぎるような印象で、決めつけやレッテル貼りが先行しているきらいはあるものの、考えさせる本である。「効率」だけを重視する考え方や、「持てる者の論理」には、よくよく気をつけないといけない。



3月11日(日)

 愚妻の友人Cさん宅を一家で訪問。Rさん、Pさんも一緒。愚妻を含めて(俺とセガレ以外は)全員が美大卒(そして大酒飲み)である。結婚前まで、俺の周囲には一人もいなかったタイプの女性たちだ。たまに彼女たちのお喋りを聞くのはとても楽しい。「手に職」の自信とたくましさが横溢している一方で、「私たちは働く女なのよ」的な気負いがまったく感じられないのが心地よいのである。

*

 帰宅後、ボローニャ×ラツィオ(セリエ第22節)をライブ観戦。躓くとしたらここ、とは思っていた。勝っても勝ってもローマ&ユーベとの差が1ミリも縮まらず、いい加減ウンザリしてくる時期である。そこへもってきて気の抜けたCLの消化試合を戦った後に、難敵相手のアウエー戦。しかもネスタ不在。おまけにゲームが始まると、何をやったか知らないが前半にコウトが一発レッドを食らい、ネドベドが負傷退場。シメオネの姿は最初から見えず、ガッツのある奴が一人もいない。ファバッリがCマークつけてるようじゃあかんわ。目立つのは、すっかり錆び付いたミハイロの情けなさばかりであった。もう、彼にプレイスキックを蹴らせちゃダメだ。あと、ベーロンも要らないかも。無理めの難しいパスばかり狙う身勝手なプレイは、もうやめてほしい。むしろ彼のいないときの攻撃のほうが俺は好きだ。欲しけりゃ、ユナイテッドだろうがどこだろうが、くれてやるわ。あー。スコアなんか書きたくない。これでローマとの差は11ポイント。先に負けちゃダメじゃないか。



3月10日(土)

 Jリーグ開幕。どこで売ってるのかわからず、近所で買えるかどうか調べるのも面倒なので、totoは購入せず。最初の首都ダービー、FC東京×東京ヴェルディ1969(J1第1節)は呂比須のVゴールで2-1。ヴェルディ三浦の先制FKは、GKがかなりみっともなかった。あの距離で頭上を抜かれるってどういうことだろう。

 柏レイソル×清水エスパルス(J1第1節)は2-1で柏。北嶋の決勝ゴールはなかなかのものであった。ところで清水の市川って、要するに伸び悩んでるんですか。クロスの精度低すぎ。でもワンタッチで機敏にスペースを狙っていく清水のサッカーはけっこう好きだ。

 セレッソ大阪×コンサドーレ札幌(J1第1節)1-2で札幌の勝ち。やった。やるじゃないか播戸。延長突入直前の感動的な決勝ゴールであった。今後も堅実かつ誠実な北海道らしい戦い方(意味不明)で勝ち点を積み重ねてほしい。

 久しぶりにJリーグをまとめて見て感じたのは、「決定機における鈍重さ」であった。当然ダイレクトでシュートを撃つだろうと思う場面で、いったんトラップしてルックアップしたり、余計な切り返しを試みてチャンスを逃すシーンが多いのである。たぶん、自分がボールを受けるまでシュートのイメージを持っていないんだろうと思う。ボールが来てから、「さて、どうしようか」と考えているようにしか見えない。あと、サッカーにおける「自由」が一瞬のものでしかないことを理解してないんじゃないかとも思った。



3月9日(金)15:05 p.m.
BGM/ Weather Report "Heavy Weather"

 脱稿した本の著者Y教授へ挨拶しに、早稲田へ。早めに着いたので、春休みに入って閑散としている文学部キャンパスをうろうろする。学内の掲示板には、学生の「新聞会」やら「早稲田祭実行委員会」やらに対する警告文のようなものが何枚も貼られていた。事情はよく知らないが、学生会館が警察の家宅捜索を受けたりして、例によってゴタゴタしているらしい。キャンパスの片隅には、「戸山カフェテリア」なるものが出現していた。カフェテリア? あのイモ臭いガキどもが、「じゃ、3限が終わったらカフェテリアで待ってるから」とか言ってるわけか。後ろから跳び蹴り食らわしたくなるな。……などとオヤジな感慨を抱きつつ、Y教授のオフィスへ。原稿を書いた後に著者と会うのは気詰まりなのだが、とりあえず「よく勉強したね」とお褒めのお言葉をいただいてホッと胸を撫で下ろす。Y教授とは6年ぶりの面会だった。なにしろ今回は「代打」だったので、原稿を書く前には一度も会っていないのである。そういえば、あれは9年ぐらい前だったか、Y教授(当時は助教授)と最初にした仕事も、「先発」のライターが途中で降板したために俺にお鉢が回ってきたんだった。どうもあの先生とは妙な縁がある。

*

 一昨日、家族3人で葛西臨海公園へ行ってきた。初めて単独走行でレインボーブリッジを渡った。免許を取ったばかりの頃、後輩Nの運転するミニを目を血走らせながら追いかけて渡ったことを思い出す。あとで「江戸川さん、もうちょっとスピード出せません?」と言われて、「出せない」と胸を張って答えたものだ。さすがに今はそこそこスピードを出せるようになったが、相変わらずてのひらは汗でびっしょり。高速に乗るたびに、つくづく運転が自分に向いていないことを再確認させられる。葛西臨海公園には、シュモクザメがいた。掃除機の先みたいな頭部を持つ異形のサメである。これは品川にもサンシャインにもいないので、セガレは喜んでいた。水族館に行くと、どうしてもダーウィニズムが信じられなくなる。突然変異はいいとしても、適者生存ってのがなー。あんな頭のどこがどう「適者」なのだ。あんなに目が左右に飛び出ていて、どんないいことがあるのだ。むしろ邪魔だとしか思えない。うねうねと泳いでいるシュモクザメを眺めていると、彼らが「ふつうのサメに戻りた〜い!」と言っているような気がするのである。

*

 ガラタサライ×ミラン(CL2次リーグ第5節)を読書しながら横目で観戦。いまのミランに、敵地トルコで勝ち点を取れるだけのポテンシャルがあるはずもなく、2-0でガラタサライの勝ち。一方のラ・コルーニャは、なんと0-3からパリSGを逆転したらしい。すげー。見てーなー。WOWOW3のほうでは生中継してたんでしょ? 素材があるんなら、アナログのほうでも再放送しろよー。……という要望がたぶんサッカーファンから殺到してるだろうけど。見せろ。



3月8日(木)16:55 p.m.
BGM/ Korngold "Concerto.Op.35" played by Heifetz

 ラツィオはアンデルレヒトを2-1で下したらしい。ふうん。ま、負けるよりはいいけどね。控え組に実戦感覚を取り戻させる効果ぐらいはあったのかもしれないし。カストロマンは出場しなかったようだ。温存されるなんて、かっこいいじゃないか。

*

 ラージョ・バジェカーノ×ボルドー(UEFAカップ4回戦第1戦)を見る。4-1でラージョ。このクラスでも8強に残っちゃうんだから、やっぱスペインリーグの底力なんでしょうかねぇ。それに引き替えイタリア勢はぜんぜんダメ。引き続き見たパルマ×PSVアイントホーフェン(UEFAカップ4回戦第2戦)は0-2からパルマが逆転して3-2としたものの、agg.4-4、アウエーゴールの差でPSVが勝ち上がり。さらに後半だけ見たインテル×アラベス(UEFAカップ4回戦第2戦)は、アラベス・ホームの第1戦を3-3と引き分けたインテルが圧倒的に有利だったはずなのに、闘志なき戦いに終始して0-2。先制ゴールはジョルディ・クライフだ。彼が「男」になったシーンを初めて見た。客席は燃え始めるし(抽象的にではなく物理的に)、椅子は投げ込まれてゴールネットに引っかかってるしで、ロスタイムの途中で試合が終わらされていた。あんなひどい試合した後で、よくもまあローマと接戦を演じられたもんだと妙に感心。心を入れ替えて出直したってことなんだろうか。レコバも頭丸めてたしな。

 欧州戦線におけるイタリア勢の不振についてはいろいろな原因が言われているけれど、俺が思うに、彼らが欧州で勝てないのは、まず辛そうにプレイしすぎるからではないか。よく言われることだが、やはりカルチョとフットボールは「文体」が違いすぎるような気がするのである。たぶん、ドストエフスキーと夏目漱石ぐらいの違いがあると思う。それが好きでやってんならしょうがないけど、彼らの横顔はあまりにも憂鬱だ。一方でイタリア代表がそこそこ結果を出しているのは、ナショナルチームの試合はどこも「辛さ」を背負っているからだろう。荷物を背負ってサッカーやらせたら、やっぱイタリアの強さは図抜けているに違いない。そして、代表がそこそこの結果を出しているかぎり、イタリアのサッカーは変わらないだろうと思うのであった。で、たぶん、それでいいのである。果たして、文体を変えてまで欧州で勝つ必要があるだろうか。

*

 アーセナル×スポルティング・モスクワ(CL2次リーグ第5節)は1-0でアーセナル。シーマンは真っ白だった。彼に上下とも真っ白のジャージを着せるのは頼むからやめてほしい。見てて腹が立つぐらい似合わない。なんちゅうか、悪魔が看護婦の白衣を着てるみたいな感じ。じゃあ何が似合うのかと言われても、似合うものがないから困るんだけどね。いったい、シーマンに何を着せれば「ふつう」に見えるのだろう。もしかしたらアイヌの民族衣装とか剣道着なんか似合うかもしれないが、それが「ふつう」かっていうとそうでもないしなぁ。とにかく、白だけはダメだ。白は禁止。ヘディングによるアンリの決勝ゴールは、ニカウさんもびっくりのハイジャンプであった。あんだけのタレント揃えておいて、最後の頼みは「身体能力」ってのもどうかと思う。



3月7日(水)

 バーリ×フィオレンティーナ(セリエ第21節)を観戦。ルイ・コスタが得意のドリブルシュート(パス出すような顔しながら横に流れてやおら撃つ)を決めてフィオが先制したが、直後に来季のローマ入りが確定したカッサーノが同点ゴール。後半にもバーリが勝ち越しゴールを決めて2-1であった。あきまへんな、フィオは。なんとなく、こうして関西弁で溜め息をつくのが似合う感じになっている。こうなると泥沼から抜け出すのは容易じゃない。ゴールこそなかったものの、バーリは相変わらずポッジがいいっすね。降格が確実視されているけれど、タレント豊富な前線の顔ぶれを見ていると、まだわからんような気がする。

*

 ミラン×パルマ(セリエ第21節)は2-2のドロー。アモローゾの同点ゴールはどっからどう見てもオフサイドだと思うんだけど、どーして認められたんだろうか。もっとヘンなのは、その判定に抗議するミランの選手が一人もいなかったこと。もう抗議する意欲もないってことか? 「あー、やっぱりな。俺たちって、こうだよな」という諦念が見て取れた。トップ目のラス前に親ッパネ打ち込んで逆転されることの多い俺は、こういう諦念に敏感である。こうなると泥沼から抜け出すのは容易じゃない。ところでパルマのトリージって、CKの際にゴール前で相手選手に密着マークするとき、どうしていつもニタニタ笑ってるんだろう。相手の腰や肩にからめた腕も妙に艶めかしくてキモチ悪いです。放っておくとそのうちキスの一つもしかねないから注意したほうがいいと思う。



3月6日(火)15:15 p.m.
BGM/ Billy Joel "Greatest Hits Vol.2"

 このあいだ、幼稚園の入園前に提出する「家族状況調査票」なるものを記入した。ああいうのは書くスペースがセリエ並みに狭いので、言いたいことを短く書くのがニガテな俺はたいへん困る。いちばん困ったのが「宗教」という欄だ。高さ1.5センチ、幅15センチのスペースで答えられるようなモンダイではない。本来なら、

<たいへん難しい質問です。そもそも宗教とは何でしょう。たとえば小室直樹先生によれば……(中略)……そんなわけですから、私たちは特定の宗教団体には属していないものの、父母ともにそれぞれの「家」には葬儀の際にお世話になる宗教がありますし、たとえそうでなくとも、「無宗教です」「無神論者です」などと無邪気に答えられるものではありません。果たして私たち人間は宗教なしに生きられるものなのでしょうか。……(中略)……そういう意味では、私たちも山本七平氏の言う「日本教」の教徒だと言えるのかもしれませんが、だとするとG幼稚園も「キリスト教系」ではなく「日本教キリスト派系」の幼稚園ということになってしまいますし、これもひどく誤解を招きやすい物言いでしょう。したがって、ここでは「とくにお伝えしておくべき宗教はありません」とお答えしておくのが無難であり、もっとも誠実なお答えかと思います。>
という長い文章になるわけだが、米粒に般若心経を書くようなスキルは持ち合わせていないので、最後の「とくにお伝えしておくべき宗教はありません」だけ書いた。誤解されそうで心配である。

 なんてことをブツブツ言いながら書いていたら、「仕事の原稿じゃないんだから、テキトーに書いとけばいいのよ」と愚妻に叱られた。ちぇっ。自分だって、「自宅までの略図」を書くのに、道路地図をトレースして縮小コピーしたり、写真貼るのに両面テープやピンセット使ったりして、デザイナー根性丸出しにしてるくせに。版下作ってんじゃないんだから、そんなにきっちりセンター合わせなくていいっつーの。G夫婦は、書類ひとつ作るにも大騒ぎなのであった。

 職業意識とは関係ないのだが、「体質」の欄に、

( )正常
(○)特異体質(父親の遺伝で眉毛がつながりがち)
 と書いてもいいかと妻におうかがいを立てたら、「絶対だめ」と却下された。書きたかったなぁ。眉毛がつながるのはけっこう特異な体質だと思うし、「正常」に○つけるだけじゃ、なんかつまんないじゃんか。諦めきれずに「どーしてもだめ?」と訊いたら、「なに考えてんのよ」と呆れられた。うーむ。ま、いわばジャウミーニャやデ・ラ・ペーニャみたいなものである。他人と同じようにプレイしたくないのだ。

 やっぱり、親がこんな性格だから、セガレも集団行動がニガテなのかなぁ。先日の1日入園では、ひとりだけ母親から離れられず、妻はえらい苦労したらしい。なんでも、フレンドリーな先輩園児たちが「こんにちは〜〜〜!」と怒濤のごとく攻め込んできたのを見て、すっかり脅えてしまったんだとか。脅えるほうがふつうだと俺は思うけどね。もともと、児童館の3歳児教室みたいなところへ行っても、一度として「ディズニー体操」に参加しようとしなかったような男だから、しょうがない。両親そろってフリーランスじゃ、集団にほいほい溶け込めるような子になるわけがないのである。ま、4月から辛いとは思うが、揉まれてきなさい。同調圧力と戦って、それを要領よくかわす術を身につけなさい。「誰とでも仲良くしなさい」なんて、自分にもできないことを父は言わないからさ。無理やり投げ込まれた集団内の軋轢を通して、嫌いな相手ともタテマエの関係性を結べるマナーと技術を覚えれば、それでよろしい。

*

 マジョルカ×ラ・コルーニャ(リーガ第25節)を観戦。せっかくマドリーがドローで勝ち点を落としたのに、2-1でデポルの負け。勝てば2ポイント差に迫れるところだっただけに、悔やまれる。しかし、マジョルカにあれだけすばらしいサッカーをされたんじゃ仕方ない。いいチームだなぁ。クーペル時代も惚れ惚れするようなカウンターを見せるグッドチームだったが、いまのマジョルカは中盤ですっきり鮮やかにボールをつなぐチームに変身している。とくにイバガサがいい。

 ところで解説の予言者Kは、例によって予習してるとしか思えない話しぶりであった。2-0から2-1になった後半35分ぐらいの段階で、「まだ足元でパスを受けているようじゃ同点にできるとは思えない」とか、「マジョルカの監督はこういう場面での戦い方を心得ているからしっかり守るだろう」なんて、生中継だったら言えるか? はっきり「マジョルカが逃げ切る」と言ったわけじゃないが、完全にそういうニュアンス。だけどデポルって、マドリー相手でも0-2から追いついたチームなんだぜ。そうじゃなくたって、サッカーの1点差なんて、どこでどうなるかわからんだろ。まぁ、予習のことはいいや。予習してるって証拠はないし、初見でズバズバ予言を的中させてるんなら、その観察力は見上げたもんだよ。でもね、サッカー中継ってのは、あんたの指導者としての力量を誇示する場所じゃないんだよね。視聴者を楽しませる仕事なの。そこんとこ、勘違いしないで欲しいなぁ。あんたが「予言」するたびに、こっちは「ああ、どうせそうなるんでしょ」ってシラけるわけ。それは、とってもつまんないことなわけ。入らないと知っていても、惜しいシュートには「おー」とか「ういっ」とか言ってほしいわけです。そういう芝居ができないなら、せめて決定機には黙れよ。

*

 ローマ×インテル(セリエ第21節)は3-2でローマ。バティもカフーもエメルソンも不在だったので何とかなるんじゃないかと思っていたのだが、残念である。インテルの前線にロナウドがいるのかと思ったら、よく見るとスキンヘッドにしたレコバだった。「不真面目で腹黒い僧侶みたいだな」と思っていたら、八塚アナは「一休さん」になぞらえていた。負けたとはいえ、いずれもレコバとのコンビで決めたビエリの2ゴールは見事。2点目の突進は、フェラーリのエンジン積んだ戦車みたいだった。



3月5日(月)14:55 p.m.
BGM/ Stan Getz & Joao Gilberto "GETZ/GILBERTO"

脱稿したぞこの野郎。

……と、全世界に向かって叫びたい気分である。あー。脱稿って、いい言葉だなぁ。もしかしたら、世界一好きな言葉かも。気持ちいいから、もう一回書いちゃお。しかもウナギ文で。

ぼくは脱稿だ。

 うー。この解放感。この達成感。遊びてー。弾けてー。麻雀打って酒がばがば飲んでジュリアン熱唱して、ついでにFKとCKとPK10本ずつ思いっ切り蹴りてー。死にたいのかおまえは。

 前に、「〆切前になると原稿生産量が5倍になる」と書いたが、そのときはちょっと大げさに書いたつもりだった。しかし今回、最初の1章と2章は15日、最後の9章と10章は3日で書いている。かっきり5倍にペースアップしていたので、われながら呆れた。ま、最初の2章で15日ってのは、いくら何でもスローペースすぎるけどな。でも、最初から〆切前のペースで書くと、たぶん窒息死するのである。マラソン走者は、最後のトラック勝負になったとき、何倍までペースアップできるんだろうか。

*

 とりあえず一段落したとはいえ、引き続き次の仕事に取りかからなければならん。こんどのテーマは、「性科学」である。平たく言うと、らぶ&ちぇっくちゅの世界、ですね。久しぶりだなぁ、「親に言えない仕事」をするのは。女性誌編集者時代は、そんな記事ばかり作っていた時期があった。なにしろ昔は、ゴミ置き場に『週刊プレイボーイ』と一緒にヒモでしばられて捨てられていた(つまり女性誌なのに男も読んでいた)ような雑誌だ。編集部内では日常的に「おーい、次のセックス担当者は誰だ〜?」なんて大声が飛び交っていたんだから、考えてみると恐ろしい職場である。担当って。しかもうら若き女性がそれに応えて、「あ、セックスはアタシですぅ」なんてハキハキと言ってるんだぞ。セックスはアタシ。めくるめく官能の世界だ。めくるめく官能の世界に、「セクハラ」なんて言葉は通用しない。ま、そういう概念自体が当時はまだなかったと思うけど。

 そういえば当時は、自分の編集した記事が、週刊文春の「淑女の雑誌から」に転載されることが一つのステイタスになっていたっけ。文春を開くやいなや、「おしっ、載ったぞ」とガッツポーズをキメている先輩(G先輩ではありません。念のため)もいた。俺の担当ページで初めて「淑女の雑誌から」に「採用」されたのは、入社してすぐ任された(押しつけられた)「読者体験手記」である。堂々8ページの売りモノ企画。頭のおかしい読者の送ってきたエッチな原稿(およそ80通)を朝から晩まで読みまくりながら、くらくらと目眩を起こしそうになったことも、今となってはいい思い出である。

 もちろん選考委員なんていないから、「最優秀賞」(賞金は5万円だったかな)とか「佳作」とか決めるのも担当者の役目だ。上司には「文章の上手い下手ではなく、下手でもいいからホントっぽくてナマナマしいやつを選びなさい」と指示されたが、そう言われてもなぁ。だって、下手なのは読んでて本当にアタマが痛くなるぐらい下手なんだもん。大学出たての新米編集者には、少々、荷が重かったっす。最終的に残った2編のうち、「どっちを最優秀にしようか」と猛烈に悩みながら、ふと自分が抱えている苦悩の耐えられない無意味さに気づいてますます苦悩が深まる(こんなバカバカしいことで悩んでる俺って何)、という蟻地獄のような業務であった。

 中には「58歳・主婦」のめくるめくアバンチュール体験談もあった。文章はものすごく下手クソだったが、原稿用紙にしたためられた万年筆の文字はものすごく達筆だった。躍動感あふれる美しい文字で、原稿用紙のマス目いっぱいに、力強く「アソコ」とか書いてあった。そら、くらくらもするわな。とってもナマナマしかったけど、とっても気持ちが悪かったので(だって、その主婦は俺の母親より4つも年上だったのだ)、選外にせざるを得なかった。親に大学まで行かせてもらって、いったい何をやってたんでしょうか。あ、ここには「体験手記」を送ってこないように。

 しかし、最初は「58歳・主婦」にくらくらしていた俺も、半年もするとすっかり免疫力を身につけていた。なにしろ、あのころ自分で企画したページの中で最大のヒット作は、

匿名SEX座談会・おばあちゃんの「夜這い」体験!

という4ページの記事なのである。なんて下品な企画なんだろう。中身は若いときの「ほのぼの思い出話」だとはいえ、座談会に出席してくれたおばあちゃんたちの写真、顔がわからないように目をスミで消したり、トリミングして鼻から上を隠したりしてるんだぜ。グロテスクだなぁ。援交体験を告白してる女子高生みたいだ。ちなみに、その記事を書いてくれたライター氏は、いまや推理小説作家として大活躍。人生、いろいろである。その筆力のおかげもあって、この記事が読者アンケートで1位になったときは、たいそう嬉しかった。鼻高々。企画も下品なら、読者も下品である。ま、なにしろ力いっぱい「アソコ」だからな。夜這いぐらい、なんてこたない。

 あまりに好評だったので、「おばあちゃん座談会シリーズ」はそれを含めて3本作らせてもらった。2回目が「おばあちゃんの初体験」、最後は「おばあちゃんの極楽体験」だったな。2回目は「相手はその直後に戦争に行ってしまい、二度と帰ってこなかった」なんていうウルウル話もあったが、3回目は最終回らしく、見るからに企画が行き詰まっている。おばあちゃんなら何でもいいのか。2回でやめときゃよかったですね。人間、引き際が肝心である。3回目の入稿前、タイトル案を上司のデスクに見せるとき、年寄りに「極楽」はまずいだろうと思った俺は、その二文字に「エクスタシー」とルビを振った。だが、それを見たデスクは「うーん……これじゃ弱いな」と呟くと、俺の書いた「エクスタシー」を赤ペンで消し、その横に慣れた手つきで「オルガスムス」と書き込んだのだった。ほんとうに下品だ。

*

 古い友人である井戸川駄仏という男から、初めてメールが来た。やっとパソコンを買って、インターネット・デビューを果たしたようだ。彼は俺と同様、フリーライターである。ただし単行本ではなく、何やら怪しげな雑誌で怪しげな原稿を書いているらしい。どんな雑誌なのか本人が教えてくれないので、読んだことはない。名前が俺と似ているのは偶然ではなく、俺が今の筆名に変えるとき、第2案として考えていたものを、譲ってやったのである。ただ、彼がそれを仕事で使っているかどうかは定かでない。もしかしたら、今回のメールで初めて使ったのかもしれない。


井戸川だぶ通信001

 みなさま、はじめまして。井戸川駄仏と申します。いつも江戸川のクダラナイ日誌におつきあいいただき、彼の師匠筋にあたる者として感謝の気持ちでいっぱいです。いずれ、もっと面白いサイトを作ってやろうと思っているのですが、なにしろパソコンを買ったばかりで、やっとメールを送れるようになった状態なので、いつになったら自前のホームページを作れるかわかりません。そこで今回は、弟子のサイトに特別出演しようと思った次第です。何を書こうか迷ったのですが、私も江戸川に負けず劣らず電話セールスが嫌いなので、最新の「電話セールス戦記」を書いてみることにしました。

 プルルルルル、プルルルルル。
駄仏「はい、井戸川です」
外人「ハロー」
駄仏「はあ?」
外人「あー、ドーモ、お忙しいところ、スミマセーン」
駄仏「はい、たいへん忙しいデース」
外人「今日は、英会話の教室をご紹介しようと思って、お電話シマシタ」
駄仏「あなたは、なぜ、ワタクシに英会話を教えたいのデースカァ?」
外人「日本人は英語ができなくて、困っているからデース」
駄仏「なんだと、コラ。なんで知ってんのか知らないが、たしかに俺は英語がぜんぜんできねぇよ。だけど、困ってなんかいないぞ。日本で暮らしてんのに、なんで英語ができないと困るんだよ。勝手にそんなこと決めつけるんじゃねーぞ、この覇権主義者。おまえら白人は15世紀からちっとも変わってないんだな。こちとら、英語はできないけど、日本語で文章書くんだったら、そんじょそこらの奴らには負けねぇんだ。ちっとも困ってなんかいねぇや。大きなお世話だ。おととい来やがれ」
外人「(声を荒げて)そっちこそ、大きなお世話デース」
駄仏「ぬ、ぬわんで(なんで)、てめぇに大きなお世話なんて言われなきゃなんねぇんだよ、おい。ワケのわかんねーこと言ってると、しまいにゃ鎖国するぞこの野郎。そっちが自分の都合で電話してきたんじゃねーか、このうすらトンカチ。大きなお世話はこっちのセリフで、そっちのセリフじゃねーや」
外人「なんでだよ。そっちだって失礼じゃないか」
駄仏「失礼だからって、大きなお世話なんて言われる筋合いはないんだよ。ははーん、さてはおまえ、大きなお世話の意味がわかってないんだな。シャラップとかファックユーとかと同じような意味だと思ってんだろ」
外人「…………」
駄仏「ぐふふ、図星だな。おっと、すまんすまん。また図星だなんて難しい日本語使っちゃったよ。でもな、この国で商売したいなら、日本語ちゃんと勉強してから始めろってんだ。俺は親切なニッポン人だから、1つ教えといてやろう。この国で日本人に電話かけるときは、最初にもしもしって言うんだ。いいか、もしもしだ。ハローじゃない。忘れるなよ。いつまでもハローなんて気取ったことぬかしてやがると、いつかウヨクっていうおっかない人たちに殺されるぞ」
外人「…………」
駄仏「ほら、殺されたくなかったら、俺がレッスンつけてやるから、同じように発音してみろ。アクセントは最初のだ。いいか、行くぞ。しもし。はい、どうぞ」
外人「…………」
駄仏「……ん〜、声が小さくて聞こえませんねー。では、もう一度。しもし。はい、どうぞ」
外人「あなたバカだから、言ってることわかりませーん」
駄仏「だから、それは俺がバカだからじゃないの。あんたが日本語知らないからなの。せっかく日本語教えてやってんのに、失礼な外人だな。よし、わかった。もしもしはもういいから、そっちの電話番号と名前を教えなさい」
外人「ど、どーしてデスカ」
駄仏「なんだよ。なんか教えられない理由でもあんのか? ヤバイ商売でもしてんのか? おまえ、英会話の生徒集めてんだろ? だったら電話で受け付けだってしてんだろ? もし俺の気が変わって、あとで連絡したくなったらどーすんだよ。客ひとり逃がしてもいいのかよ」
外人「い、いいよ、わかったよ。お、教えてやるよ」
駄仏「なんだ、あんがい素直なんだな。じゃ、プリーズ」
外人「32××−××24」
駄仏「オーケー。で、あんたの名前は?」
外人「……タ、タカハシ」
駄仏「タカハシ?」
外人「タカハシ」
駄仏「ほー。こりゃ驚いた。おまえ、タカハシっつうんだ。タカハシのくせにハローなんて言ってんじゃねーぞ。タカハシはもしもしだ。タナカもヨシダもみーんなもしもしだ。これは日本の電話通信法で決まってることだから、よく覚えておくんだな。ところでおまえ、タカハシって漢字で書ける?」
外人「…………」
駄仏「だはは。たいへんだぞー、日本語覚えるのは。おまえら、26文字しか知らないんだもんな。日本語にはね、ひらがなっていうのだけで50あるのね。カタカナも同じだけあって、それ以外に漢字っていうのが山ほどあるんだよ。まぁ、書けなくてもいいけど、ある程度は読めないとねー。いや、この国で暮らすんだったら、の話だけどさ。それがイヤなら、国に帰ったほうがいいかも。ナニ人だか知らないけど」
外人「…………」
駄仏「それでタカハシ君、下のお名前は? あ、日本では名前に上と下があるんだけどね。君たちの言い方だと、下の名前はファーストネームのこと。ギブンネームともいうんだっけ? どっちでもいいけど、親がつけた名前はなんつーの?」
外人「×××」
駄仏「は? 何だって?」
外人「×××」
駄仏「何言ってんのかわかんねーよ。おまえ、発音悪いんじゃないのか? いっぺん駅前留学でもしたほうがいいかもな。親切なネイティブの先生が大勢いるらしいぞ。まあ、いいや、タカハシで。それで、会社の名前は?」
外人「か、会社は……カブシキガイシャ」
駄仏「株式会社、なんだ? 続けたまえ。ゴー・アヘッド」
外人「は?」
駄仏「だから会社の名前だよ。なんつー株式会社なんだ」
外人「だから、カブシキガイシャ」
駄仏「人をバカにするのもいい加減にしろ。株式会社なのは、よーくわかった。有限会社でも社団法人でもなく、株式会社なんでしょ? で、その、会社の名前は何なんだって私は訊いている。アナタ、ニホンゴ、ワカリマースカァ?」
外人「その会社の名前がカブシキガイシャなんだってば!」
駄仏「え? つまり何か? 会社の名前が、カブシキガイシャっていうのか?」
外人「さっきからそう言ってマース」
駄仏「うぷぷ。おいおいマジかよ。ウソだろ? おまえの働いている会社は、株式会社カブシキガイシャなの?」
外人「そ、そうだよ!」
駄仏「ぶわっはっはっはっは(爆笑)。いいねーいいねー。気に入った。その場合、カッコ株は前につくの? それとも後ろ? 笑わせるなー。この野郎、タカハシ、おまえ俺をおちょくってるんじゃないだろうな。おもしれぇじゃねーか、カブシキガイシャ。で、そのカブシキガイシャはどこにあんだ?」
外人「あなたバカだから、わからないよ!」
駄仏「いいじゃん、教えてよ。カブシキガイシャの場所」
外人「もう、いいデース。大きなお世話デース」
駄仏「ん〜、まだちょっと使い方が違うけど、惜しいところまで来ましたねミスター・タカハシ。今のケースでは、私が、笑わせるなー、と言ったときに、大きなお世話だ、と言い返せば、たいへんグッドでした」
外人「大きなお世話デース!」
駄仏「おっ、いいよいいよ。その調子。そんなことより、どこにあるんだよー、カブシキガイシャ。社長はなんて名前なの? ひょっとして、ダイトリー・シャチョウスキーとかそういう感じ? うひょひょひょひょひょ。教えてくれたっていいじゃんかー。ねぇ、タカハシ君ってばぁ」
外人「ふぁ、ふぁっきゅーめ〜ん!」ガチャッ。ツーツーツー。

 さっそく教えられた番号にかけて、ホントに「はい、カブシキガイシャです」と出るかどうか確かめたのですが、いくら鳴らしても誰も出ませんでした。タカハシめ。(井戸川駄仏)


 昔からそうなのだが、図々しい男である。勝手に「井戸川だぶ通信」なんてベタな連載タイトルつけないでほしい。しかも「001」って、最低100回、最高999回まで続けるつもりか。それに、俺は彼の弟子なんかじゃない。師匠が弟子から筆名もらってどーすんだ。こういう虚言癖は治したほうがいいと、いつも口うるさく言っているのだが、いっこうに治る気配がないどころか、ますますひどくなっている。この会話自体、どこまで真実だかわかったもんじゃない。しかしまぁ、実際に外人から電話はあったんだろう。こんな話をゼロからでっち上げられるほどの想像力は持ち合わせていないはずだ。たぶん、「タカハシと名乗る外人から英会話教室の売り込みがあり、会社の名前を尋ねるとカブシキガイシャだと答えた」というだけの話なんだと思う。話を針小棒大にふくらましているところを見ると、奴はブラック・ジャーナリズム系の雑誌の仕事でもしているのかもしれない。ただ、ウソの多い文章ではあるものの、「おまえら白人は」というくだりは、実際にそう言った可能性が高いと思われる。昔から、なんの根拠もなしに人のことを決めつける傾向が強いのだ、井戸川は。英語訛りの日本語を聞くと、相手が白人としか思えなくなってしまうのである。要するに、頭が悪い。もっと悪いのは口である。よかれと思って電話してきた人に向かって、こんな無礼な口をきいてはいけないと思う。

*

 こんなことばかり書いているとZ・J氏に怒られるので、更新休止中に見たサッカーのことも簡単に書いておこう。新しい順になってます。

ウディネーゼ 0-2 ユベントス(セリエ第21節)
 前半はザンブ、後半はピッポのゴール。いずれもお膳立てしたのはデルピで、かなりいい感じになってきたように見える。ピッポのゴールは、デルピのクロスをギリギリで押し込んだもの。ほっとけばそのまま入ったようにも見えた。盗っ人ピッポさんの喜ぶ顔が目に浮かぶ。

レアル・マドリー 2-2 バルセロナ(リーガ第25節)
 頭文字Rの両エースが2ゴールずつ奪い合う好勝負。あのマドリーが後半はへろへろになって追いつかれるという醜態をさらすのだから、やはりスペシャルなカードである。牙を剥いたリバウドの迫力を久しぶりに堪能。終了間際の「幻のゴール」が悔やまれる。あんなオフサイドはない。バルサとしては、最高の勝利を最低のジャッジで奪われたという感じである。

ブレシア 0-1 ラツィオ(セリエ第21節)
 前節のドタバタ劇から一転、渋い勝利である。南米ロサンゼルス州(略称SALAS)のゴールを守って辛うじて勝ったものの、判定なら赤旗3本でブレシア。ブレシアに常識的なツキとホームアドバンテージがあれば、完敗していたと思う。なぜかラツィオ寄りのジャッジが多くて後味はよろしくないが、味なんかどうだろうと勝ち点3は勝ち点3だからいいんである。ちなみに今回も決勝点をアシストしたのはカストロマン。ゴール前で相手のミスにつけ込む目ざとさ、ルーズボールへの寄せの速さ、球際の強さには感心する。ドサクサに紛れたゴールの多いラツィオにはうってつけの人材だったかも。

ベルギー 10-1 サンマリノ(W杯欧州予選)
 10-0から終了間際にFKで1点返したサンマリノのガッツに拍手。

ダービー 1-0 アストン・ヴィラ(プレミア第28節)
 たしかPK一発の試合だったと思うが、もはやよく覚えていない。

ユベントス 3-0 ミラン(セリエ第20節)
 決定力に翳りが見えてきたかと思えたピッポだったが、「ジダンに渡してなるものか」とばかりに倒れたまま右足で押し込む執念のゴールを見せてくれた。後ろからジダンが詰めてこなかったら、シュートできなかったかも。そういう意味ではジダンのゴールともいえる。ま、ジダン本人もそのあとゴール決めたようだが。

ラ・コルーニャ 2-2 レアル・マドリー(リーガ第24節)
 0-2から追いついたデポルが、土俵際で踏ん張った。お見事お見事。ディエゴ・トリスタン投入がズバリ的中。あの局面で、あのシュートをノーステップで決めちゃうなんて、もしかしたら彼って、天才かも。

マンチェスターU 6-1 アーセナル(プレミア第28節)
 ベッカムが40メートル先のヨークに通したタッチダウンパスに驚嘆。ヨーク、ハットトリック。こんな楽勝ゲームでも、ゴールのたびにいちいち狂喜しているファーガソンのツラを見ていると、そんなに勝ちてえかこのクソオヤジ、と悪態をつきたくなる。サーならサーらしく振る舞わんか。

ラツィオ 5-3 ベローナ(セリエ第20節)
 クレスポ、ハットトリック。得点経過は、1-0、2-0、2-1、3-1、3-2、4-2、4-3、5-3。ちなみに3-1の後はベローナ10人。スリリングすぎる。一般に、「3点取られても4点取って勝つサッカー」は魅力的なものとされているが、ラツィオは世間で愛されていないので、5点取っても「雑」と言われてしまう。しかし、こういうチームなのだ。こういう愛嬌があるから、俺は好きなのだ。6点も取って相手を1点に押さえてしまう、どこかの血も涙もないチームとは、人間性が違うのである。そういう冷酷なチームって、IQは高いけどEQが低いエリート官僚に似ていると思わないか、きみ。ラツィオはアイキューは低いかもしれないが、アイキョーは高いのだ。チェルシーもラ・コルーニャもバルセロナも今季のフィオレンティーナも、俺の好きなチームはおしなべてアイキョーが高い。そしてユナイテッドやマドリーやユーベやローマは、いずれもアイキョーが低いのだ。そーゆーことなのだ。

 ……ん? 『アイキュー人間からアイキョー人間へ』って、ビジネス書的にはけっこうイケるタイトルかも。俺はあんまりゴーストしたくないけどね、そういう本。でも、書けって言われりゃ、著者未定・取材なしで今すぐにでも書ける気がする。著者なんか、後から見つけりゃいいだろう。そのへんの売れない教育学者に声かければ、ほいほい乗ってくるかもしれない。

 プロローグの書き出しは、

<昔から、「男は度胸、女は愛嬌」と言われますが、これからは男も女も社会的成功を収めるためには高いアイキョーが求められる時代です。>
だな。これで決まり。これ以上の紋切り型スタートがあるだろうか。ビジネス書は、まずコンサバティブな紋切り型で読者を安心させるのがセオリーである。さらにプロローグは、こう続く。
<私はいま、「アイキョー」と書きました。決して「アイキュー(IQ)」の間違いではありません。これからは、アイキューよりもアイキョーの時代なのです。IQの対立概念としては、一時、EQという考え方が流行しました。これは「IQとEQを兼ね備えた人間が成功する」というものです。しかし、私の言うアイキョーは、IQとは異質のものであるのはもちろん、EQとも同じではありません。アイキョーとは、その2つの概念を合わせたものに、これから本書で説明するいくつかの要素を加えたものだと考えていただければいいでしょう。IQ+EQ+something=アイキョー、というわけです。(中略)……そんなわけですから、本書を最後までお読みいただければ、あなたも必ず、将来の成功に不可欠な「something」を手にする術を身につけられるはずです。したがって私は、とくにこれから社会に羽ばたいていこうとする若い世代の人々に読んでいただきたいと願って、本書を執筆しました。また、若い人々だけでなく、本書が子どもの教育に頭を悩ます親たちに新しい指針を提示することができたとしたら、筆者にとって望外の喜びです。なお、本書をまとめるに当たって、江戸川駄筆氏にたいへんお世話になりました。氏のご尽力と豪腕がなければ、本書が世に出ることはなかったでしょう。この場をお借りして、深く感謝申し上げます。>
「somethingを身につけられる」ではなく、それを「手にする術を身につける」と逃げているところがミソである。上の文章を膨らませれば、プロローグだけで30枚ぐらいは書けそうだ。あとはダニエル・ゴールマンの『EQ こころの知能指数』を剽窃……いや「参考」にして、IQとEQの説明に全体の半分ぐらいページを費やしてしまえばいい。あとの半分は、土居健郎『甘えの構造』あたりを「参考」にすれば、「something」はテキトーにでっち上げられると思う。んで、巻末に「あなたのアイキョー診断チェックリスト」でも作っておけば、いっちょ上がりである。さぞや立派な「タイトルに偽りのある本」になることだろう。PHPかサンマークあたりがお似合いかな。新書でもいいかも。「本にする原稿」をつくるのは簡単だ。でも「売れる本にする原稿」をつくるのは難しい。……あれ、俺ってば、またサッカーと関係ない話してるな。



似てる人シリーズ

#143 サラスの後ろ姿とちびまる子ちゃんの後ろ姿。
#144 ヴィラのダブリンと『フルハウス』の下から2番目の女の子。
#145 清水の森岡と『百獣戦隊ガオレンジャー』のガオイエロー(変身前)。


お便りをお待ちしております

 本誌『愛と幻想のフットボール(FLF)』では、読者の皆様からのお便りをお待ちしております。原則としてテーマは問いません。ま、そうは言っても、「古代エジプト中王国時代のミイラ製作における脱水技術の今日的意義」なんて研究論文をいきなり送られても困りますが。それから、エッチな体験手記もナシね。そういうのはここじゃなくて然るべきところに送るように。あと、編集人自ら非常識な量の日誌を書いておきながらこんなこと言うのも何ですが、分量も常識的な範囲(江戸川の日誌1ヶ月分に相当したらちょい非常識かも)に押さえた上で、h_okada@kt.rim.or.jpまで、どしどしお送りください。なお掲載を希望するメールは、私信と区別するため、文末にお名前かペンネームをカッコに入れて記入するよう、お願いします。掲載にあたっては、編集人の編集権が及ぶと思われる範囲内で加筆、修正、削除などの編集作業が加えられることがありますので、あらかじめご諒承ください。むろん、原則として届いた原稿はすべて原文に忠実に掲載いたしますし、編集人の主張と相反するからといって却下するようなことは絶対にいたしません。また、お寄せいただいた原稿はできるかぎり迅速に掲載させていただきますが、編集人の都合によっては到着から掲載まで数日かかることもありますのでご容赦ください。掲載した文章の著作権がどこに帰属するのかは、私にはよくわかりません。(江戸川駄筆)



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