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江戸川駄筆のサッカー日誌
2000-2001/第23節

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5月25日(金)10:45 a.m.

 やった。2年前につくった本の文庫化が決まって、たいへんゴキゲンである。棚からボタ餅。時間も労力もかなり費やし、なかなか良い仕事ができたと思っていたにもかかわらず初版で討ち死にしていた本なので、とても嬉しい。親本が初版止まりなのに文庫化してくれるってのも珍しい話かもしれんが。それだけ世の中、文庫の「タマ」が不足してるってことかも。

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 ゆうべは、アタランタ×レッジーナ(セリエ第31節)を最後の10分間だけ見た。1-1の後半ロスタイム(50分)に、ナッピの演技賞でアタランタがPKを得たが、これをタイービが止めて原さんも感動!のドローである。蹴ったのはナッピ自身だったのだが、これはイカンね。ああいう芝居で審判を騙してPKを得た場合、倒れた本人はどこかに後ろめたさを感じているから、コースが甘くなるのである。倒れたのがインザーギ兄弟(つまり、人でなし)なら話は別だが、一般的には他の奴が蹴ったほうがよいと思う。

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 PKといえば、きのうの日誌に間違いがあった。バイエルンが同点に追いついた後半のPKはカルボーニのハンド(ありゃヤンカーのプッシングだと思うが)によるもので、エフェンベルクが倒されたのは前半(ショルが失敗したやつ)である。朦朧とした状態で見ていたので、記憶がごちゃごちゃになっていた。結果論だけど、前半のやつはエフェンベルクが自分で蹴ったほうがよかったのではないだろうか。あれは「芝居」ではなく、バランスを取るためにバイエルンにPKを与えるチャンスを待っている主審の心理を見抜いた上で「企画」として貰いにいったPKであるし、まんまとPKを得た本人はしくじっても文句を言われる筋合いはないから「ダメモト」で楽に蹴ることができる。一方のショルは「せっかくエフェンベルク様がゲットしてくれたんだから慎重に決めねば」と固くなるのである。少なくとも、俺だったら固くなるね。ま、俺の場合はどんな状況だろうと固くなるわけだが。GKがいなくても外すような気がする。


似てる人シリーズ

#153 アタランタのナッピと『ツインピークス』のボブ。



5月24日(木)10:55 a.m.

 広島弁はむずかしいのう。昨日、タイトルバーに「すまんが、ひとり3冊ずつ買ってくれんかのう」と書いたのだが、なんか違うような気がして、G先輩ご推奨の広島弁コンバータ「バーチャル達川くん2000」で調べてみたら、「こぉてくれんかの」が正解だった。おもしろいなぁ、バーチャル達川くん。方言って基本的にそうなんだろうと思うけど、中でも広島弁はとりわけフレンドリーな印象がある。

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 バイエルン×バレンシア(CLファイナル)をライブ観戦。解説が金田さんなので、TBSで。その前に見たプレミアの試合(スパーズ×マンU)も金田さんが解説していたのだが、W杯予選におけるオランダの苦境の話になったときに、「えっ、アイルランドが1位なの!?」と驚いていたので、こっちが驚いた。しばらく他の惑星にでも行ってリゾートしていたのかと思うぐらい、なんも知らんな、あの人は。しかし、最新情報なんかなんも知らなくても、その場で誰よりも楽しい話ができるのがカネやんの真骨頂であろう。シロートが何でも知ってる情報化時代だからこそ、情報量で勝負するタイプの解説者や評論家は存在価値が薄れるのかもしれない。

 試合は、開始3分にメンディエータのPKでバレンシアが先制。「スミ1」である。ショルのPK失敗にも助けられて前半は0-1でしのいだものの、後半早々、明らかにPKをもらいに行ったエフェンベルクをアングロマが注文どおりに倒してしまい、同点。その後は退屈な膠着状態が続き、睡魔に襲われる。そして後半20分、セガレが目を覚ましてリビングにのそのそ入ってきた。こうなると、観戦続行は許されない。「みんなで寝る」と言ってきかないし、こっちも眠気に耐えられない状態だったので、寝た。

 8時に起床して、続きをビデオ観戦。こちらはWOWOW。朝飯食ったり着替えたりでまともに見られなかったが、ぐずぐずした攻防をくり返しつつ延長戦、さらにPK戦へ。リバプールとアラベスのUEFAカップ決勝があまりにも凄まじい戦いだったせいもあって、CL決勝がこれではいささか物足りない感もあったが、まあ決勝なんて普通はこんなもんだろうし、最後にカーンとカニサレスのGK対決になるというのは、あんがい正しい決着のつけ方であるような気もした。7人目(だったかな)のペジェグリーノ(だったかな)をカーンが止めて、バイエルン優勝。自国リーグを連覇、CLでもユナイテッドとマドリーを連破した上での結果だけに、たいへん価値のある優勝と言えよう。3年連続欧州戦準優勝のクーペルは、来季どこでシルバーコレクター返上を目指すのだろうか。……え、バルセロナ? ふうん。CL、出られるんでしょうか。

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 CLの前に見たトッテナム×マンチェスターU(プレミア最終節)は、3-1でスパーズの勝ち。完全無欠の消化試合とはいえ、3連敗でシーズン終了ってのはまずいんじゃないのかユナイテッド。ベッカムも今度はモヒカン刈りにしたらしいし、かなりたるんでるよな。ダラけた気分のまま来季を迎え、勇退が決まっている監督は求心力を失ってチームはバラバラ、さらには新加入のファン・ニステルローイの起用法をめぐって内紛が起こり、ぼやぼやしてるうちにCLは1次リーグ敗退、逆上したファーガソンは顔を真っ赤にしてガムくちゃくちゃ噛みながら退団(おまけにサーの称号も剥奪)……というシナリオどおりに行くとは思わないけれど、来季のプレミアはかなり面白くなりそうな気がしてきたわい。



5月23日(水)15:10 p.m.

 とりあえずネスタは契約を延長したらしいのでひと安心だが、ネドベドはいろいろな噂が飛び交っていて落ち着かない。今日は「クラニョッティが契約延長を明言」という説がある一方で「ユーベ入り濃厚?」の噂も目にしたが、いちばんショックだったのは、本人が「CL決勝でプレイしたいから」という理由でユナイテッド入りを希望している、という説である。いや〜ん。ウソだと信じたい。ラツィオでCLファイナルを戦ってこそのネドベドじゃないか。だいたい、バティストゥータもそうだったが、「優勝したいから優勝できるチームに移籍する」なんてのは実にカッコ悪いと俺は思う。それに、勇退後の処遇をめぐってファーガソンがヘソ曲げてるらしいから、来季のユナイテッドはそんなに強くないと思うんだけどね。希望的観測だけど。あと、ラツィオはクフォー獲得に動いているようだ。フロントに本誌読者がいるに違いない。

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 元自衛官は文民じゃないから大臣になっちゃダメ、と言われた防衛庁長官が、「軍国主義者のように言われて心外。私は戦後の民主教育を受けているから、ちゃんとした人格を持っている」みたいなことを言ったらしい。戦前の教育を受けた人々は、あの中谷って人を名誉毀損か何かで訴えたほうがいいと思う。

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 愚妻が妹からツーカーの携帯電話をもらった。抽選か何かで当たったのだが、義妹はすでに携帯を持っているので、くれたのである(携帯を持っている、ってヘンな言葉ですね)。で、妻が名義変更をしにツーカーの店に行ったら、「名義変更をすると手数料が800円かかるけど、新規に契約すれば1円で済みます」と言われて、結局、当たった携帯は解約して新規に契約したという。なんだか、わけがわからない。新規に契約するならツーカーじゃなくたっていいわけだもんな。どうやら損をしたわけではないようだし、俺も妻も何を基準に携帯を選べばいいのか皆目わからない情報弱者なので、「面倒臭いからツーカーにした」という妻の判断は妥当なものだと思うのだが、どうも腑に落ちない。どうして新規契約でかからない手数料が名義変更にはかかるんだろう。そして、解約された電話機本体はどうなってしまうのか。世の中フクザツすぎる。



5月22日(火)12:30 p.m.

 セガレの誕生日である。4歳になった。最近のヒズブームは、「裏返し怪獣」と「ちんちんマン」である。裏返し怪獣というのは、「ガオーッ、なんでも裏返しちゃうぞ!」と見る者を恫喝しながら、そこらにあるモノをひっくり返して歩くというもの。仕事を終えて帰宅したとき、玄関の靴がぜんぶ裏返しになっているのを見て、そういう怪獣がわが家に出現することを知った。何が嬉しくてそんなことするのか判らないが、これはけっこう面白い。ハンカチなどは、けっこう丁寧に裏返してきれいに広げている。几帳面な怪獣だ。ちんちんマンというのは、その名のとおりの「丸出し」である。着替えの最中に、「変身、ちんちんマン!」と叫んでファイティングポーズをキメる。これは見ていてとても恥ずかしい。でも、自分が日誌で何を書いているか考えると、「そんなこと言っちゃダメ」とは言えない父であった。ともあれ、すくすく育っている。

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 編集者への愚痴を書きすぎたせいで、編集者G先輩に冷や汗をかかせてしまった。単なる個人攻撃なので、一般論として読まないでください。ま、俺自身、わが身を振り返ればいろいろあるので、天に唾しているようなところはある。しかしこのページの愚痴は「自分のことは棚に上げる」が基本スタンスなのであった。「自分のことを棚に上げてモノを言う快感」は、なかなかのもの。ともあれ、G先輩もHPにお書きになっていたとおり、いちいち連絡をしなくても「相性でクリア」されるケースは多々ある。編プロ社長S氏なんか、たいがい原稿を受け取ったら受け取りっぱなしだけど、こっちも向こうの期待しているレベルはわかっているから「これでOKが出ないわけがない」とふんぞり返っていられるし、「便りのないのは良い便り」と思うことができるのである。相性というより、信頼感の問題か。こういうコミュニケーションも土居健郎的「甘え」(=言葉にしないで相手に何かを期待すること)の一種なのだろう。で、「甘え合う」というのはかなり高度なスキルを必要とするコミュニケーションだし、それなりに時間をかけて関係性を構築しないと成立しないわけで、初めて仕事をする相手に「いちいち連絡せんでもええやろ」という態度を取られると、やはり許し難いものを感じるのであった。許容範囲を越えた「甘え」に、人は憤る。

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 愚妻が朝日新聞の販売員からチケットをせしめたので、土曜日に東京スタジアムに行って、FC東京×アビスパ福岡(J1)を見た。Jリーグを現場で見るのは初めて。この日誌を書き始めてからは、スタジアムでサッカーを見ること自体が初めてである(それ以前には二度ほど見たことがある)。バックスタンドの1階席。なかなか美しいスタジアムだった。テレビで見るより、グラウンドが狭く感じるのは何故だろう。だから、というべきなのか、しかし、というべきなのかよく判らないが、ゴールがとても小さく見える。あそこにボールを入れるのは大変だ。「決定力」という言葉の重みを実感する。

 試合前に、「本日のボールボーイ」が紹介されていた。都立国立高校の諸君(たぶんサッカー部員)である。おお。なんかローカルで親しみが湧く。でも国高の諸君の中には、ボールがアウトしたときの「動き出し」の遅い奴が一人いた。しっかりしろ。野球部は甲子園にも出たんだから。

 試合は、キックオフ2分後に戸田のゴールで東京が先制。誰が入れたのかわからんが、左サイドからのクロスが絶妙だった。興奮の東京スタジアム。「おわあああああっ!」という歓声に驚いたセガレは、「怖い」と半ベソをかいていた。泣くなよ。しかし、子供を怖がらせるぐらい、観客の反応が良いということである。これはけっこう、意外だった。たまにテレビで見ていると、サポーターがのべつまくなしに歌とか歌ってる印象があったのだが、少なくともバックスタンドはかなりオトナな反応。いい雰囲気である。セガレが「帰りたい」と言うので、前半を終えたところでスタジアムを出る。やはり90分はもたない。

 帰宅してセガレを寝かしつけると、ちょうど東京MXテレビが録画中継で後半を放送し始めた。現場ではテレビカメラの反対側から見ていたので、サイドが前半と同じ。このほうが比較がしやすい。前半は完全にFC東京ペースで、左サイドから再三にわたってチャンスを作っていたのだが、後半は福岡が圧倒。前半はダメダメ感いっぱいだった山下と松原の動きも見違えるほどよくなっていた。1-2で福岡が逆転勝ち。野球もサッカーも「スミ1」は負け試合ってことか。MXテレビの林田さんという女性アナは、なかなか好感が持てる。Iアナの30倍うまい。

 ちなみに、この試合でいちばんヘタクソだったのは、FC東京のサンバ隊である。試合前、外でガチャガチャとパーカッションを叩きながらブラジル人の踊り子を踊らせて盛り上がっていたのだが、これがもう、吐き気を催すほどヘタ。リズム感、ゼロ。奴らはサンバをナメている。いや、それ以前に音楽というものをナメている。あれじゃ、盆踊りだって踊れないぜ。人前で演奏するなら、もうちょっと研究してほしいね。ま、「演奏」だと思ってないんだろうけど。楽器が可哀想。あんな奴らにクイーカーなんか売るな。福岡サポーターの打ち鳴らすバンカラな大太鼓のほうが、全然よかった。オトナなバックスタンドと、コドモなサポーター。日本的サッカー文化の成熟したところと未熟なところの両面を目の当たりにしたって感じでしょうか。

*

 日曜日は、ラツィオ×ウディネーゼ(セリエ第31節)をライブ観戦。前節のナポリ戦は中継ナシで淋しかった。カネの問題か何かでモメているらしく、ナポリの主催試合はいつも見られないのである。ナポリめ。二度もリードを許しながら2-4の逆転勝利という今季屈指の好ゲームだったというのに。ま、ハイライトで見たけどね。それはともかく、今節である。例の騒動でオリンピコを使わせてもらえず、アルテミオ・フランキ(フィレンツェ)での開催だったのでやや不安だったのだが、前半、クレスポの2ゴールで2-0。また、このまま事務的に勝ち点3を受領するような気がして後半は居眠りしていたのだが、フィオーレのPKで1点差になって目が覚めた。スパレッティが率いているとはいえ、さすがにウディネはバーリとは違う。その後もペースを握られて、「ドローで一巻の終わり」も覚悟した。しかし。またまた彼がやってくれたのである。

スカっと爽やか
カストロマン。

 豪快なドリブルで敵をなぎ倒しながらゴール前まで攻め上がったシメオネ先輩から、絶妙のタイミングでラストパスを受け、ローマ戦の同点ゴールと似たような位置・距離からすばらしいグラウンダーのシュート。3-1でラツィオの勝ち。カストロマン、頼もしいなぁ。シメオネも、最近はラストパスの切れ味が凄い。前節のネドベドの勝ち越しゴールも、仇敵のどてっ腹にドスを突き刺すようなシメオネのタテパスが生んだものだった。アトレチコが1部昇格に失敗すれば、来季も彼の姿をラツィオで見られるんだけどな。スペイン2部は今どうなってるんでしょうか。

*

 えみりおさんから、お便りです。


Readers' Mail No.116「Do you feel better now?」(5/18)

 日本代表についてはそんなに難しいことをいっているわけではなくて、スペインリーグってけっこう下位チームがビッグチームに勝ったりするじゃないですか? 日本代表ってスペインの下位チームよりは強くないのかなぁ。スペインがフランスに勝ったからといって、日本にとってスペインがフランスより遥かに強敵っていうわけではないし、そもそも野球国がサッカー国に大敗するのってそんなに大問題ではないと思うのですが。他の野球国、ベネズエラとかもそうですが、ホンジュラスとかプレースキックとか下手くそ。だけど、日本よりはずっと楽しくサッカーやってる、とかって思っただけです。やっぱり難しいですね。

 川口くんってそんなに特殊人物なんですか? キャラクター的にはパリウカっぽいのかなと思ったんですが、あそこまででしゃばりではないのかもしれないけど。いつも健康そうな感じですよね。江戸川さんにカニちゃんのことをレプリカントみたいって言われてから、私までそんなふうに思えてきてしまって...まばたきもしてないですか? 江戸川さんといっしょにしていたら面白いですね。画面に映ってないときにしてるのかも...フィギュアにしたら似合いそうですよね。なんか存在感もちょっと希薄な感じ。カーンはかっこいいですよね。倉敷さんもカーンは大好きなんですよ。カニちゃんしっかりしてね!

 竹を割るような生活は生活でいいのです。本当にそんな生活してたら...ってことで。韓非子とストライカーとの関係はそんなに深い意味があったのですね。と、自分で書いておきながらなんですが、韓非子って何ですか? やっぱり人の名前ではないの?(えみりお)


 フランス×日本戦が、「野球国がサッカー国に大敗した試合」だったのかどうか、俺にはよく判りませんが、少なくとも自国でW杯を開催する以上、「ぼくたち野球国だもんね」なんて言ってる場合じゃないとは思います。とはいえ、あの大敗を大問題視してるわけでもないっすけどね。インテルがミランに0-6で負けることもある。

 会ったことはもちろんないが、やはり川口は特殊人物でしょう。少なくとも俺にはそう見えます。健康かどうかは健康の定義によりますが(なんか森博嗣みたいだな)、少なくともメンタルヘルスに関しては、「川口にとって健康な状態」がふつうの人間にとって健康な状態かどうかは定かでない。

 会ったことはもちろんないが、韓非子は、たぶん人でしょう。少なくとも、五分の魂を持つ一寸のライターではないと思う。



似てる人シリーズ

#152 FC東京の大熊監督とアホの坂田。



5月21日(月)17:20 p.m.

 脱稿した。結局、最終章も20枚で収まらず、全部で290枚も書いてしまった。メールで送って、いちおう編集部に電話をした。驚いたことに、ピン子ちゃんは、いた。電話に出るなり、こっちが「すっかり御無沙汰しておりますが、お元気でいらっしゃいますか」と皮肉を言うヒマも与えず、「ど〜〜〜〜〜〜も、原稿ありがとうございました江戸川さん!」と、きわめて爽やかな口調で言い放ちやがった。ピン子ちゃんは、電話の応対だけはプロ級なのである。俺も最初に電話で仕事を依頼されたときは、「お、こいつ、結構まともじゃん」と思ったものだ。やはり人間を第一印象で判断してはいけない。だいたい、こっちに有無を言わさずに感謝の言葉を大げさに口にしたということは、これまで放っておいたことに後ろめたさを感じている証拠であろう。

 まあ、いいや。嬉しさも中くらいとはいえ、脱稿してしまえば気分も変わる。まだギャラの面で一悶着ある可能性は残っているが、とりあえず気持ちを切り替えて次の仕事のことを考えよう。あと2冊(計750枚)書いたら、楽しい楽しい夏休みだ!

*

 週末にはサッカーもいろいろ見た(東京スタジアムでJリーグも見た)のだが、くたびれたので、今日はこれでおしまい。お便りもいただいているのですが、掲載は(たぶん)明日ということにさせてくださいませ。すんません。



5月18日(金)23:40 p.m.

 あーあ。まだ脱稿してないんだよん。「250枚〜300枚」という指示だったので、ギリギリ250枚で終わらせてやれ、と思っていたのだが、6章立ての5章までで260枚にもなっちまった。えーん、えーん、枚数的にはもう終わってるはずなのにぃ。くっそー。手抜きのできない不器用な私。一瞬、「トボケて5章でジ・エンドにしちまえよ。あいつバカだから、きっと気づかねーぞ」という悪魔の囁きも聞こえたが、まさかそういうわけにもいかん。悪魔って、悪魔だからしょうがないとはいえ、ホントに非道いこと言うよな。いくらご機嫌ナナメでも、俺はバカなんて言わないもんな。

 ともあれ、最後の章を書かねばならんのである。だが、現在22時20分。いくら短くしても、20枚は書かないといけない。1時間に5枚のハイペースで書いても4時間かかる。4時間後というと、2時半だ。わしゃ、今朝は9時半から書きまくっておる。もう疲れた。あんな編集者(内心で俺はその女を「ピン子」と呼んでいる。体型がボウリングのピンそっくりだからだ)のために、そんな無理して仕事する気力が湧くと思うか? いや、湧かない。リバプール×アラベス戦も見たいし。

 だいたい、ピン子と同じ会社で働いているゴンザレスから得た裏情報によると、この本は9月刊行予定のリストに加えられているというじゃないか。著者校が7月末に上がれば間に合うらしい。そんなもん、俺の原稿なんか6月末に上がってりゃ十分じゃねーかよ。それを、なんかえらい急いでるみたいなこと言っていやがったのだ、ピン子は。だから俺も、他の仕事を後回しにして無理やり引き受けたのだ。まあ、最初はもっと早く出すつもりだったのかもしれんが、ふつう、予定が変わったなら変わったと連絡しねえか?

 しかし、ピン子ちゃんにそんなことを求めても無駄なのである。彼女には「連絡」という習慣がない。いや、習慣ではなくて「技術」がないのかもしれない。なにしろ、このぶんだと、「執筆開始から脱稿まで、一度も担当編集者の声を電話で聞かないまま終わる」という史上空前の仕事になりそうなのだ。どうか空前かつ絶後でもありますように。フツーさぁ、何かかんか電話で話すよねぇ。もう書き始めてから3週間も経つんだし。原稿は章ごとに送ってるんだし。「原稿ありがとうございました」とか「調子はどうですか」とか「がんばってください」とか「生きてる?」とか「早く書かねえとしばくぞこの腐れライターめ」とか、なんかあるだろ。コミュニケーションってやつが。しかも俺のほうは原稿を送るたびに編集部に電話を入れているのだ。だが、オール不在。居留守か?と疑いたくなるぐらい、不在。「原稿を送ったのでご確認くださるようお伝えください」と伝言を頼んでも、折り返しの電話はなし。メールも、序章送稿から1週間後に来た「何ら問題ないかと存じます」の1通だけ。それ以降の章は、ちゃんと受信したかどうかもわからない。来週になって「2章が文字バケしてました」なんて言われたら、俺は暴れるね。ぜったい、暴れる。椅子とか机とか金魚鉢とか投げる。

 ゴンザレスに、「人は人のことを、こんなにも放っておけるものだろうか。それとも俺のことを人と思ってないのだろうか」とメールで愚痴を垂れたら、「五分の魂を持つ一寸のライター、ぐらいにしか思ってないんだろうね」という返事が来た。俺は虫か。「人でなし」と言われたほうがマシである。

 とにかく、もう、やーめたっと。ふん、ばかばかしい。残りは月曜日でいいや、月曜日で。いや、火曜日になろうと水曜日になろうと、いっさい催促されないだろう。俺はすでに、ピン子という編集者の実在さえ疑い始めているぐらいだ。そんな人間は、はじめから居なかったのではないか。こんな仕事、はじめから発注されていなかったのではないか。すべては俺の幻だったのではないか。嗚呼、なんてイヤな幻なんだろう。

*

 しかし、信用ならない若手編集者の仕事でご機嫌ナナメになる一方で、信頼する若手編集者H君からご機嫌な企画の提案もあって救われている。どんな企画かはナイショだけどね。ぐふふふ。もしこの企画が実現したら、

全国20人の本誌読者に
大きな波紋を呼ぶ衝撃の一冊

になるのは間違いない、とだけ言っておこう。あなたはその本を買わずにはいられない。それは断言できる。安心したまえ、H君。20冊は売れるから。



5月8日(火)14:40 p.m.

 世の中には二種類の編集者がいる。良い編集者と、書き手の立場に対する想像力がない編集者だ。想像力ったって、そんな大層な話をしてるわけじゃない。原稿を受け取ったら、「ライターさんは早くOKをもらいたいだろうなぁ」と思う程度のことだ。客から五千円札を受け取ったコンビニの店員が「お客さんはお釣りが欲しいだろうなぁ」と思うのと大差ない。

 今朝になって、やっと1週間前に送った原稿にメールでOKをもらった。たぶん昨夜遅くに発信したのだろうが、発信の日付は「58年11月14日」というデタラメなものだった。43年前からの手紙。仮に「昭和」だとしても18年前ですぜ。なるほど、ドタキャンが多いのも頷ける。約束の意味がわかっていないわけでも、俺をナメているわけでもなく、単に時間の感覚が常軌を逸しているだけなのだろう。それとも、内蔵カレンダーの修正ができないぐらいパソコンの扱いに不慣れなのか。不慣れだから、メールを送受信するのに1週間かかってしまうのか。

 ともあれ、さんざん待たせた挙げ句、「何ら問題ないかと存じます」という、いかにも優先順位が低そうな簡潔な文面だった。なんだか、ハンコ握りしめた小役人に言われてるみたいだ。俺の原稿は、許認可申請用の書類か? ま、問題ないならいいけどさ。そもそも今回は著者から直々に頼まれた仕事で、本質的には編集者に雇われているわけじゃないから、こっちも黙って事務的につきあうことにしよう。若手編集者に教育的指導をしてやる義理はない(そんな授業料はギャラにも含まれていない)。だいたい、役人にクレームつけても徒労感が残るだけだしな。

 しかし、まあ、要するに俺が相手に期待をかけすぎていたってことか。世の中には、原稿の感想を聞くに値する編集者とそうでない編集者の二種類がいるのだ。最近、前者とばかり仕事をしていたので、うっかりしていた。向こうも、「1日か2日までに序章を送れ」と言ったのは、原稿の内容を見たかったからではなく、単に執筆ペースを管理したかっただけなのかもしれない。原稿が届いていればOK、内容は二の次。その内容にしても、彼女にとっては「問題のある原稿」と「問題のない原稿」の二種類しかないのである。分量が適正で、そこそこ正確な日本語で書かれていさえすれば、「問題のない原稿」に分類してくれるんだと思う。つまり別の言い方をすれば、出版社の編集部員には、「編集者」と「管理人」の二種類がいるってことだ。管理人なら管理人らしく(役人なら役人らしく)、パソコンの日付ぐらい正確にしたほうがいいと思うけど。



5月7日(月)11:30 a.m.

ラツィオ、2位浮上!  という見出しを掲げるメディアは、ニッポン広しといえども本誌だけかもしれない。ふつうは、「中田、ローマを救う!」でしょうね。ふん。

 ユベントス×ローマ(セリエ第29節)は、中田の1ゴール1アシスト(っていうのかな、ああいうのも)もあって、2-2のドロー。今朝、ビデオで最後のほうを5分ぐらい見ただけなのだが、情けないなぁ、ユーベ。どうやら前半6分までに2-0としたのに、最後の10分で2点失ったらしい。勝て勝て勝て勝てホームやぞ。ローマダービーと展開もスコアもそっくりだ。ローマにそういう立ち直り方をさせちゃダメじゃないか。っていうかさー、なんでよりによってこの節から外国人枠撤廃なんだよ。シーズン途中、しかも優勝争いの直接対決だぜ。そんなときにルール変更だなんて。二死満塁、カウント2-2の状況で、いきなり「今から四球じゃなくて三球、三振じゃなくて四振、おまけに4アウトでチェンジにします」っていうようなもんじゃねーか。そんなデタラメな話があるか。「フェア」を求める法律をアンフェアに運用してどうする。シーズン丸ごと無効にするぞこの野郎。

 まあ、いいや。なんたってラツィオ2位浮上だ。差も5ポイントまで縮まった。ラツィオ全勝、ローマ1分1敗で並ぶわけだな。ぐふふふふふ。苦しめ苦しめ。最終節までのたうち回るのぢゃ。トッティに代えて中田投入という「踏み絵」を踏んだカペッロは、かなり心理的に追いつめられていると見た。一方のゾフは、失うものないもんね。同ポイントでラツィオとローマのプレーオフ、の目も出てきたぞい。見てえ。

*

 お便りです。


Readers' Mail No.115「トルシエ・ハポンの扇」(5/7)

 パスカルでちょっと思い出したこと。

 これは以前に中田が話していたことなんですが、トルシエはフラット3好きの几帳面な性格からかテーブル上の雑誌類を常に扇状に並べておかなければ気がすまない奇癖の持ち主なんだそう。フランス人では珍しくないんでしょうかね。トルシエ・ハポンってパンセで批判されていることを相当してきていないですか?

「圧制とは、自分の次元をこえて全体的に支配しようとする欲するところに成り立 つ。・・・他の道によらなければ得られないものを、ある一つの道によって得ようとする 欲することである。人は、異なった価値に対して、それぞれ異なったつとめを果たす。・・・」(332)

 とここまでは以前に思っていたことですが、改めて読んでみたら(第5章の辺り)こんな言葉が...

「・・・快適さには愛のつとめを、力には恐れのつとめを、学問には信頼のつとめを。人はこれらのつとめを果たさなければならず、それを拒むのは不正で、他のものを要求するのも不正である。」(332)
「・・・われわれが見る正義や不正などで、地帯が変わるにつれてその性質が変わらないようなものは、何もない。緯度の三度のちがいが、すべての法律をくつがえし、子午線一つが心理を決定する。・・・川一つで仕切られる滑稽な正義よ。ピレネー山脈のこちら側での真理が、あちら側では誤謬である。」(294)

 と、単なるこじつけなんですが、妙にはまっている感じがしたので紹介してみました。

 監督がどうとか、システムがどうとかではなくハポネス達に欠けているものってなんなのでしょうね。やっぱり江戸川さんの言う通り川口くん的なもの? 彼は本当に素晴らしかったですね。ゴンサレスのおぞましい指輪キッス炸裂をよくぞ封じてくれたわ。なんかゴンサレスってシュート決めそこなったあとカメラ目線でこっち見てない?

 そんなことはさておき、アルゼンチン戦のボリビアみたいな戦い方なんてどうでしょう。マリオさんもいっていたような相手を尊敬するというよりは苛めるみたいな..。MASS対COREならゲリラ戦。別にきたないファウルをたくさんすればいいということではないんですけど。ビジャレアルがバルサにやっていたみたいなグアルディオラを深い位置で襲撃して、すばやくボールを奪ってゴール前にはもう二人くらいつめているみたいな局所的な速攻性がハポンにはあまりないような気がするんです。金子さんはムニョス監督がお約束として徹底させてるみたいなこと言っていましたが...でもあの人達って元々そういう人達って感じですよね。あの人達とはボール強奪者:城の元相棒ビクトル、シュート打った人:パレルモ、ゴールゲッター:ホルヘ・ロペス、だったと思う。倉敷さんがいうにはビクトルは「兎が切り株にぶつかってくるのを待つ」タイプなんですって。 ハポネスにはそれが欠けているのでは? 切り株にぶつかる兎については、倉敷さんはおそらく相手のミスを見逃さない、抜け目ないという意味で使ったと思うんですけど、調べてみたところ「同じ方法にこだわって進歩を知らない」という意味でした。

”韓非子”より
「戦国時代の宋の農夫が走ってきた兎が切り株にぶつかって死んだのを捕り、以後仕事もしないで切り株を見張っていた。二匹めは現れず、畑の収穫も出来なかった」

 これではだめですね。個人的な希望を言わせてもらえば西澤くん、放送枠を獲得するならビジャレアルにしてほしかったわ。ビジャレアルの話もっと聞きたいですか? 多分誰も聞きたくないですね。やめておきます。

 ついでに、二種類の人間についても。
 クエンティン・タランティーノの

「世の中には二種類の人間がいる。Elvis peopleと Beatles people。Elvis peopleがBeatlesを、Beatles peopleがElvisを好むこともある。だが、その二つを等しく好む者はいない。」

 というのがパルプフィクションのオリジナル脚本にはあって私はお気に入りなんですが、残念ながら映画ではカットされています。エルヴィスな人々もビートルズを好きになり得る。でもどちらかを選べといわれたら、愛情はイコールではない。ということですが、最初からアンチどちらかででもう一方のファンなら悩むことはないですが、日本人は両方好きな人って多いような気が...ちなみに千葉真一ことソニー千葉(逆?)ファンでも知られるタランティーノ自身はエルヴィスな人です。アメリカの学校ではクラスのグループを好きな音楽で分けることもあるそう。

 その他の二種類の人間ではスチャダラパーの『後者-THE LATTER-』などもなかなかの 力作ではないかと思います。

竹を割ったような性格 竹を割るような生活
みんなが認める人 みんなを認める人
若くしてしてもう実業家 いい年こいてまだ浪費家
根気のある人 婚期逃す人
得する人 お徳な人 etc...

 あまり文章にすると面白くないかもしれないけど、曲を聴くと結構おかしいですよ。私は失礼な人から明らかに後者だねと言われたことがあります。少なくとも竹は割っていないと思う。婚期?...うーん。みなさんは前者ですか?後者ですか?(えみりお)


 えみりおさん、ありがとうございました。パンセの話は難しくてよくわかりません。韓非子のほうは、ストライカーはそれでよいのだと思います。「どうせ兎なんか来ないから地道に畑でも耕そう」なんていう人生観の持ち主(つまり世間並みの幸福を欲しがる人)は、ストライカーなんかやっちゃいけません(兎が来ても鍬や鍬を手放さないウナギ君は言語道断。「ウサギサワ」に変身すべし)。同じ方法にこだわって、ダメならのたれ死ぬ。そういう「覚悟」のことを、倉敷さんはおっしゃっていたのではないでしょうか。

「竹を割るような生活」は原文ママですが、「性格」が正解かな? 俺はどの前者後者にも当てはまらないと自分では思う。強いて言えば「いい年こいてまだ浪費家」かもしれないが、浪費するほどカネないしな(涙)。あ、浪費したからカネないのか。ともあれ、世の中には、「人間二分法のどちらかに当てはまる人間と、どちらにも当てはまらない人間の二種類がいる」ってことかもしれません。「この文章はウソです」というのと同じような矛盾命題ですが。

 あと、念のため申し上げておくと、俺は「日本代表に川口(というオカルトや野性)が必要だ」と言っているのであって、「日本の選手たちに川口的なオカルトや野性が必要だ」とは言っていないのです。川口みたいになれる日本人が他にいるとは思いません(みんな川口みたいになっちゃったら、サッカーにならん)。いや、地球上に川口のような人間が他にいるとは思えない。だからこそ彼はW杯でも「売り物」になるのであります。



5月6日(日)

 ラツィオ×バーリ(セリエ第29節)をライブ観戦。ベーロンのミドル2発で前半2-0。そのままダラダラ時が流れて2-0のままおしまい。粛々と所定の手続きをこなしたような感じで、きわめて事務的にラツィオが勝ち点3を受領した。バーリ様あてに領収書を発行したくなるような試合でしたね。毎度ありがとうございました。



5月5日(土)

 いろいろな意味で「金」ウィークもたけなわの今日この頃だが、俺の休みは今日だけである。朝から家族3人で向ヶ丘遊園へ行き、仮面ライダーアギト・ショウ(午前の部)をライブ観戦。司会のお姉さんが盛んに「自分の席に座ったまま応援してください」と言っていたから、「鑑賞」や「観劇」ではなく「観戦」が正しいのだと思う。例によって、セガレは一度も「がんばれ!」と言わなかったけどね。すぐ近くにいた男の子は、煽動されなくても自発的に「がんばれアギト!」と絶叫していた。席がないので通路の階段に腰掛けて見ていたら、どこからともなく登場したアギトが俺のすぐ隣を通ったので吃驚。ちょっと嬉しかった。お相撲さんみたいに、肩でもぺたぺた叩いてやればよかった。それにしても、「こどもの日」「遊園地」「仮面ライダー」という通俗3点セットの、この絵に描いたようなわかりやすさはどうだ。どうだって言われても。子供のいる人生は、往々にして定食化する。もっとも、べつに不味くはない。



5月4日(金)11:15 a.m.

 ローマ戦でサポーターが人種差別をしたことで、ラツィオに処分が下されたとか。ホームでの主催試合を1つ中立地で行え、ってことらしい。クラブにはサポーターの管理責任があるってことなんだろうけど、その人種差別野郎がラツィアーレだということを証明する手だてってあるんでしょうか。心の中の問題だからねぇ。ロマニスタが送り込んだ秘密工作員という可能性はないのか。トッティの写真で踏み絵でもさせてみてほしい。ま、小室直樹大先生によれば、真のキリスト教徒はイエス様の絵なんか平気で踏める(むしろ踏んだほうが偶像崇拝禁止の教義に適っている)らしいけど。ASローマが偶像崇拝を禁じているかどうかは知りません。あなたには、どうしても踏めない絵や写真がありますか。

 俺はどうだろう。ネスタの写真は……罪を逃れるためなら躊躇なく踏める。シメオネだろうがネドベドだろうが、踏まなきゃ死刑だというなら、本人の顔だって踏んじゃうね。仕返しに殴られたって、殺されることはなかろう。だいたい、シメオネ様に殴ってもらうなんて、一生の思い出になるし。シメオネはアントニオ猪木か。できればゲンコツより肘打ちのほうがいいな。すごく痛そうだな。鼻血出ちゃうかな。「シメオネ様の肘打ちで鼻血」なんて、孫子の代まで自慢できるぞ。でもウンコロの写真は、違う意味で踏めない。だって、うんこだから。うんこは踏みたくない。

 こんなことばっかり書いてると、ほんとに訴えられちゃうかなー。人種差別より非道いかも。っていうか、ガキのいじめと同レベルですね。パンカロ・ファンのみなさん、ごめんなさい。可愛さ余って憎さ百倍、ってことでご勘弁を。

*

 リーズ×バレンシア(CL準決勝第1戦)をビデオ観戦。期待を裏切らぬキビキビした好取組であった。マドリー×バイエルンが横綱同士の四つ相撲なら、こちらは往年の麒麟児×富士桜戦といったところでしょうか。どすこいどすこい。巡業中止でじり貧っす。どすこい。ゴールがなかったのが不思議なぐらいの熱戦であった。今季は見応えのあるスコアレスドローが多いような気がする。どうでもいけど、カニサレスって、まばたきしない人なんですか。なんかレプリカントっぽい。何度もアップになってたけど、少なくとも俺は一度も彼のまばたきを見なかった。俺と同時にまばたきしてたのかな。



5月3日(木)12:00 a.m.

 レアル・マドリー×バイエルン(CL準決勝第1戦)をビデオ観戦。後半10分、カウンターのカウンターからエウベルの変なシュートが妙な具合に決まり、バイエルンがこれを守り倒して0-1。少し前まで圧倒的な無敵感を漂わせていたマドリーだが、もしかするとチーム状態がピークを過ぎてしまったのかもしれない。俺、カーンというGKのことが、かなり好きになってきた。狼少年ヨシカツ君は、W杯本番までずっとカーンの背後で見学してるといいかも。ともあれ、バイエルンの守備はすばらしかった。何がすばらしいって、アリバイ作りのために立ってるだけのウンコロのような奴が1人もいないのがすばらしい。クフォー、ラツィオにくれないかな。彼とネスタが組んだら、世界一俊敏なDFラインが出来上がると思う。

*

 自分のやっている仕事が、どうやら担当編集者にとっては優先順位の低いものであるようだと感じたとき、ライターのモチベーションはかなり低下する。むろん、いろいろな仕事を同時進行でこなしていれば優先順位の低いものもあって当然だが、それを下請け業者に悟られてしまってはイカンのではないか。

 たとえば、前日に待ち合わせの段取りを決めたにもかかわらず、その待ち合わせに「本人が別の用事で来られなくなったので代わりに来ました」と上司が現れれば、「ああ、もっと大事な仕事があるわけね」と思うのが自然だろう。

 たとえば、前日に打ち合わせの時間を決めたにもかかわらず、当日の朝になって「別の打ち合わせが入ったので、1時間後ろにずらしてもらえますか」と連絡が来れば、「ああ、そっちのほうが大事なわけね」と思っても無理はない。

 たとえば、「序章の原稿は1日か2日にください」と言われ、そのとおり1日の朝(実際には30日の晩)には送稿していたにもかかわらず、3日朝になっても何の音沙汰もなければ、「ああ、もっと大事な仕事で忙しくて、俺の原稿なんか読んでる暇ないわけね」と思いたくもなる。なにしろ原稿の感想どころか、原稿が届いたという連絡さえないのだ。すでに序章と同じ調子で次章以降も書き進めてるけど、これでいいのか? いいんだな? もし連休明けの7日になってダメ出しなんかされたら、たぶん殺意を抱くぞ俺は。

 どれも些細なことと言えば些細なことかもしれないけれど、最初に抱いた不信感というのは、ちょっとしたことで増幅するものである。約束した時間が変更されるのはよくあることだが、「前日の決定が当日に覆される」が二度も(しかも大した謝罪もなく)続くと、やはり愉快ではない。原稿にいたっては、こっちは連休を返上して(つまり家族に借りを作るという精神的コストを支払って)間に合わせているわけだから、とても不愉快だ。

 これまでのことを総合して考えれば、その編集者はこの仕事を二の次三の次に考えている(つまりやる気がない)か、「約束」の意味がわかっていないか、俺のことをナメているかのいずれかであろう。上司のおっさんは、「(担当編集者は)若いけど仕事はすごくできる」と言ってたけどね。ま、上司には従順なんでしょう、きっと。

 そんなわけでモチベーションは最低なのだが、それでも次の仕事が詰まっているから、こうして祝日にも出勤している。こんな仕事はさっさと片付けて、早く信頼する編集者たちと愉快に仕事をしたい。



5月2日(水)13:50 p.m.

 仕事の原稿で、歴史上の人物が残した「世の中には二種類の人間がいる。それは○○と××だ」というレトリックの例をいくつか列挙したいと思ったのだが、思いつかなかったので、ヤフーに行って「二種類」「人間」のWキーワードで検索してみたら、驚くほどたくさん(6000件以上!)ヒットした。大半は歴史上の人物ではなく、名も無き人々によるアフォリズムだ。リザルト画面に表示された引用文の中から、ごく一部を紹介しよう(カッコ内は江戸川の感想)。

●朝の痛勤電車(原文ママ)の中には少なくとも二種類の人間がいる。椅子に座っているやつと立っているやつだ。(そうだね。でも「やつ」呼ばわりはないんじゃないか)

●人には二種類の人間が存在します。♪踊る阿保に見る阿保、同じ阿保なら踊らにゃ損損 。(うちのATOKは、阿呆と変換する)

●世の中には二種類の人間がおりまして、それは梅派と桜派に分類することができます。(し、知らなかった。俺、どっちなんだろう。梅干し食えないから桜派?)

●『希望の国のエクソダス』には二種類の人間しか登場しない。「有能な人間」と「無能な人間」だ。(ま、世の中そういうふうにできている)

●世の中には、物をなくす人となくさない人、その二種類の人間がいる。(命が「物」に含まれるなら一種類だけどね。それより僕と踊りませんか)

●得をしている人間と、損をしている人間と、たしかに二種類の人間がいるはずなのです。(詐欺にでも引っかかった?)

●世の中には二種類の人間しかいない! 良い奴と悪い奴だ。(性格が? 頭が? 要領が? それともキミとの相性が? 主語を明確にしよう)

●SFファンには二種類の人間がいる――SFマガジンを読む人間と読まない人間が。(サッカーファンや卓球ファンにもSFマガジンを読む人間と読まない人間がいると思う。SFマガジンを読むサッカーファンと、SFマガジンを読まない卓球ファンは、どっちが多いだろう)

●黒きコウモリの翼が生えた人間と白き鳥類の生えた人間の二種類しか存在していない。(たぶん、それはどっちも人間じゃない。あと、「鳥類の翼」でしょ? 鳥類は、ふつう、生えない)

●つまり地球上には、鯨を見た人間と、見たことのない人間の二種類しか存在しないのである。(食ったことあるんだけど、それも「見た」に入るの?)

●人間は二種類に分類できる。デパートが好きな人間とデパートが嫌いな人間である。(デパートで働いてる人はどっちかなぁ)

●世の中には待たなくても人が来る人と、待っても誰も来ない人の二種類の人間しかいない。(あなたひょっとして中谷彰宏先生ですか?)

●人間の遺伝子には二種類あって、普通の人間、つまり猿と基本的には同じ遺伝子を持った人間と少し神がかった人間。(…………)

●ライダーには二種類の人間がいる。そう、高速度路(原文ママ)を走る奴と走らない奴だ。(いまの仮面ライダーはアギト、ギルス、G3の三種類です)

●私の周りにも二種類の人間がいる。鍼に行く人と行かない人だ。(そんなに堂々と言い放たれても)

●人間は二種類しかいないのだ。 ファン系と、そしてフェチ系である。そうに決まってる。だって俺がそう決めたし。(この人は「自分ファン」だろうか、「自分フェチ」だろうか)

●人間には二種類おるんよぉ。俺と価値観が近いやつ、価値観が近くないやつ。(なんかヤなことでもあった?)

●エクリン腺とアポクリン腺、人間の汗には二種類あります。普通の汗と、特殊な汗です。(特殊な汗って何だろう。すげー気になる)

●だからさ「ときめきメモリアル」をやる人間とやらない人間の二種類しかいないのさ。(そんな捨て鉢にならんでも)

●そうやって人間を観察できるようになってから、人間に二種類の種族が存在することがわかった。男と女というものだ。(今まで人間をどう観察していたのだ。銭湯や温泉に行ったことはないのか)

●私たちは水戸黄門を見るとき、悪い人間といい人間の二種類がいるような気になっている。(たしかに)

●世界には二種類の人間しかいない。俺を知っている人間と、知らない人間だ。(後半にひと工夫ほしい。「愛とは何かを知らない人間だ」とか)

●この街にいるのは二種類の人間なんだ。何かを欲しがっている人間と、みんな捨ててしまった人間だ。(ハードボイルドやね。志水辰夫が書きそう)

●世の中には二種類の人間しかいないんだって。 魅力的な人間と、そうじゃない人間と。(自己啓発セミナーでも行ってきた?)

●人間には二種類ある。 観光地の壁や柱に自分の名前を彫る人間と、それを見て憤る人間である。(金閣寺を燃やしちゃう人もたまにいる)

●世の中には二種類の人間がいる。「働く人間」と「働かせる人間」だ。(さてはおぬし、転職か独立を考えておるのだな)

●人間は、「スーパー派」 と「コンビニ派」の二種類に大別されます。(それ、すごく大事なこと?)

●人には二種類ある。オーロラを見たことがある人間と、見たことのない人間だ。(これも後半にひと工夫を。「真の感動を知らない人間だ」とか)

●世界には二種類の人間しかいない。 サッカーが好きか、そうでないか。(同上。「サッカーが好きか、人間が嫌いか」とか)

●車両を分けるというのも一案ではありますが、人間を二種類に分けるような印象があって嫌な感じがします。(しょうがねぇだろ、二種類あんだから)

 などなどなどなど、とにかく、みんな人間の分別が大好きなのであった。世の中には、人間を二種類に分類したがる人、という一種類の人間しかいないのかもしれない。あ、最後の人は分類したくないのか。「エクリン腺とアポクリン腺」の人も人間は分類してないですね。ともあれ、これを200本ぐらい収集しただけで、『二種類の人々』という本が作れそうである。『金持ち父さん 貧乏父さん』とか『仕事のできる人 できない人』とか『話を聞かない男 地図の読めない女』(順番逆だったかな)とか『チーズを食べる人 食べない人』とか『わたし作る人 あなた食べる人』とか、出版界は二項対立ブームだし。最後の2つはウソです。

 でも、こうした分類法にしたがって、まず電車の中で立っている人々を踊る阿呆と見る阿呆に分け、立っている踊る阿呆を梅派と桜派に分け、立っている梅派の踊る阿呆をSFマガジンの読者と非読者に分け、SFマガジンを読まない立っている梅派の踊る阿呆をスーパー派とコンビニ派に分け……といった具合に人間を分けていくと、最後は「私」と「私以外」の二種類になるんだろうな、きっと。イン−ディビジュアルとは、よく言ったものである。

 ……って、ちょっと調べようと思っただけなのに、仕事を忘れてハマってしまった。百科事典を引いて関係ない項目を読みふけってしまうのに似ている。しかし、パスカルの「人間には二種類ある。自らを罪人と考える聖人と、自らを聖人と考える罪人と」という言葉を発見できたのは収穫だった。検索は使える。でも仕事の原稿は一行も進んでいない。

*

結論。世の中には二種類の人間がいる。
日誌をたくさん書く人間と、現実から逃避しない人間だ。

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 フィオレンティーナ×ウディネーゼ(セリエ第28節)を観戦。前半、後方からの浮き玉を巧みにボレーで叩き込んだムッツィのゴールでウディネ先制。フィオーレのラストパスはなかなかのものじゃった。それぐらいできりゃ、ベーロンの後釜が務まるかも。しかし後半、「いまセリエでもっとも好調な男」(by 八塚アナ)キエーザの2ゴールでフィオの逆転勝ちであった。すごいなぁ、キエーザ。これで19ゴール、クレスポと並んで2位だ。マジで得点王ゲットしちゃいそう。すげースリムになったし。俺もヤセたい。「試合に出てるとヤセるのね」とは愚妻の弁。俺にどうしろと言うのだ。ウディネのほうは、どうしてこんなことになっちゃったんでしょうか。ずるずる順位を下げて、ふと気づけば、ベンチには誰もが認める降格請負人スパレッティおじさんの姿が。なんで雇うかね。

*

 ローマ関係者が、「ROMA MERDA」の人文字を描いたラツィアーリの固クソ、いや告訴を検討しているとか。あららら、やっぱイタリアでも顰蹙は買うわけなのね。他にも横断幕にいろいろ差別表現があったらしいけど。もしかして全員クビ? 俺も、ウンコロに名誉毀損で訴えられちゃうかなぁ。イヤだなぁ。でも訴えられたら、「怠慢プレイで精神的苦痛を受けた。慰謝料よこせ」って逆提訴してやる。泥沼だ。俺が勝訴したら、「ウンコロ判決」と呼ばれてボスマン判決より有名になるかもしれない。



5月1日(火)17:30 p.m.

 朝9時半からP社で社会学者H先生の取材。幼稚園のお陰で朝早いのは苦にならなくなったが、混んだ電車(といってもピークは過ぎているわけだが)には馴染めない。たまに電車に乗ると、席に座っている人たちがみんな手に握りしめたケータイを見つめているのがとても異様に感じる。どうしてそんなに朝から連絡することがあるんだろう。昔はそこに本があったのになぁ、これじゃ本が売れないのも無理はないよなぁ、などと思った。ま、そんなに寸暇を惜しんで読むべき本もないんでしょうけどね。

 初対面のH先生に名刺を渡すと、「江戸川さんは、得意分野はあるんですか?」と訊かれた。「編集の学校」のアドバイスに従うなら、ここはスキルではなく趣味を答えなければいけない。そこで、いかにシメオネがラツィオに不可欠な選手であるかということについて語ろうかとも思ったのだが、H先生が興味を示すことは絶対に考えられないので、やめておいた。「よく訊かれるんですけど、それが無いんです。今まで書いたものもジャンルはバラバラですね」と言ったら、「じゃあ、何でもお得意だということですね」と言われたので、「いえ、ぜんぶ不得意だということです」と答えた。謙遜だと思われたようだが、ほんとうのことである。得意分野があったら、ゴーストなんかやってない。



4月30日(月)13:20 p.m.

 眠い。3時20分に起きてローマ×ラツィオ(セリエ第28節)をライブ観戦したからである。終わってからまた寝たけどね。燃えるオリンピコでは、ラツィアーリがゴール裏に、

ROMA
MERDA
 という人文字を作っていた。実況の北川アナによれば、「ちょっと日本語にはしにくい言葉」だとか。そこで愚妻が本棚からイタリア語の辞書を取り出した。彼女はむかしイタリア語を勉強していたことがあったのだ。辞書を開いた妻は、その意味を俺に読み聞かせてくれた。

merda ---- 糞、大便。

 嗚呼。なんて大胆なんだろう。
 こんな言葉を、あんなに大きく。
 しかも最初から最後まで。
 空前絶後の人文字、と言っていいと思う。

 人文字といえば、日本ではPL学園が有名だ。もしPL学園の応援団が、昭和53年夏の決勝戦のとき、甲子園のアルプス席にこんなメッセージを浮かび上がらせていたら、どんな騒ぎになっただろうか。


高知商
うんこ
 最悪である。全員クビだ。全員って誰のことかよくわからないが、とにかく、全員、クビ。うっかりアップで映してしまったNHKのディレクターも含めて、野球界から永久追放。もしかしたら、文部大臣や朝日新聞の社長も更迭されたかもしれない。それぐらいのインパクトとリスクを生じさせる人文字だということだ。ラツィアーリの勇気を讃えたい。これに比べたら、パルマボーイズの「パリュウカミミズ」なんて屁のカッパである。

 さて、試合だ。ローマはモンテーラ、ラツィオはベーロンがいない。ベーロンはアルゼンチン航空のストライキの影響で、ローマ入りが当日の朝になってしまったのだという。なんじゃ、そりゃ。アルゼンチン航空め。おまえらの待遇改善とローマダービーと、どっちが世の中にとってローマダービーだと思っておるのだ。ローマダービーに決まってるぢゃないか。ばかばか。ラツィアーレにハイジャックされないよう、気をつけろよ。ま、クレスポとシメオネとピオホが一緒じゃなくて良かったけどさ。なんでベーロンだけ別行動だったのかしら。仲悪いのかしら。

 なので、中盤はシメオネ、ディノ、バローニオの3人だった。しかしバローニオは明らかに経験不足。俺がブラウン管に向かって命令したとおり、ゾフは後半アタマからバローニオに替えてスタンコビッチを投入していた。ところが、それでバランスが狂ったのか、48分にバティストゥータ、54分にデルベッキオと連続ゴールを浴びて、あっという間に2-0。勝利は絶望的。

頼むから誰かパンカロをピッチから追い払ってくれ

 と、叫ばずにはいられなかった。あいつ、ぜんぜんダメなんだもん。2点とも、あいつのせいだもん。やる気ないんだもん。すごく面倒臭そうに守備するんだもん。ほんとうにアタマに来る。ローマじゃなくて、おまえがmerdaだ。この、うんこタレ。おまえなんかパンカロじゃなくて、ジュゼッペ・ウンコロだ。えんがちょ、だ。

 だがしかし。諦めるのはまだ早い。西田−木戸のバッテリーを擁するPL学園だって、2-0の9回裏に高知商から3点取って優勝したではないか。

 ろくに決定機を作れずにいたラツィオだったが、CKだけはやたら多かった。キッカーは、ドーピング疑惑で出場停止のコウトに代わって久々スタメンのミハイロである。これがジワジワと効いていたに違いない。けっこう質の良い危険なボールを蹴っていたので、ローマ守備陣はゴール前に気持ちが集中していたのだろう。78分、CKのこぼれ球を後ろから走り込んだネドベドがフリーで豪快に決めて2-1だ。そしてそしてロスタイム。またセットプレイのこぼれ球を、途中出場のカストロマンが全身全霊を込めてシュート。これが糞ったれローマのゴールに突き刺さり、2-2のドローに持ち込んだのであった。うおっしゃあああああ。もしかすると、あの「MERDA」の文字は、彼の活躍を暗示していたのかもしれない。

スカっと爽やか
カストロマン。
 シュートの瞬間、カストロマンが「クソ食らえ」と言ったかどうかは定かでない。ともあれ、起きててよかった。

 勝てなかったのは悔しい。逆転優勝には勝利が最低条件、と俺も思っていた。が、この引き分けはやはり大きい、と思いたい。勝ち点差10になるところを、すんでのところで7差に戻したのだ。カストロマンの同点ゴールは、ラツィオはもちろん、ユーベのモチベーション維持にも貢献したに違いない。

*

 そのユーベは、レッチェ相手に1-1のドロー。腸炎とやらでベンチスタートだったピッポがPKをポストに当ててしくじり、終了間際の決定的なチャンスでもシュートを同じところに当てていた。まあ、そういうこともある。その怨念を次節のローマ戦にぶつけるのぢゃ。なんなら、それまでオオカミのところで短期合宿でもしてみるか。



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