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◇喘ぐ北海道
BGM : Both Sides Now / Joni MItchell



 で、どちらが「腹日本」でどちらが「背日本」かという問題(きのうの日誌を見よ)だが、これはやはり「顔日本」であるところの北海道をどう見るかで決まると思ったのである。そこで改めて我が生まれ故郷を眺めてみた。ふつうは知床半島をサイの角のように見立てて「右向き」と直観的に解釈(解釈なのかそれは)するわけだが、しばらく見ていると、そこに「別の顔」が見えてくる。稚内を「ピノキオ並みに長い鼻の先端」に見立てると、石狩湾(小樽のあたり)が「上を向いて喘いでいる口」になるのだった。ああ、本当にどうでもいいことを書いているな、私はいま。しかし、右上のジョニ・ミッチェルさんにも軽蔑されそうなその圧倒的なバカバカしさにめげることなく、再び日本列島全体に目を転じてみるとアラ不思議、なにしろ北海道が苦しげに喘いでいるものだから、本土がまさに腹筋運動をしている姿が浮かび上がってくるではありませんか。したがって「腹日本」は日本海側に決定! その場合、能登半島がナニに相当するのか気になるところだが、あまり考えすぎると「喘ぎ」の意味が変わりかねないので考えないように。

記・平成十九年九月三十日(日)







◇沖縄の本土腹筋運動
BGM : Barricades & Brickwalls / Kasey Chambers



 表題は、ここ数日間に私が犯したタイプミスの中でも最大の傑作である。笑ったなぁ。深夜にひとりで大爆笑だ。むしろ日本列島は有史以前から背筋を鍛えてきたようにも見えるが、まあ、どっちが背でどっちが腹かは主観的な問題。背に腹はかえられるかも。この場合の「かえる」はどの字なのか考えるのが面倒臭い。ところで「裏日本」に怒る人は「背日本」にも怒るのだろうか。しかし「腹日本」も大して嬉しくないよな。「肩日本」や「尻日本」よりはマシだけどな。そういえば四国は形がちょっと骨盤っぽいような気がしてきた。あと、「人事を尽くして店名を待つ」というのもあったっけ。来ねえよ、そんなもん。来たら来たで迷惑だし。しかもそれが「スナック来夢来人」とかだったら最悪。人事を尽くしてそれかよ! それにしてもアレだ、この日誌にしろ仕事の原稿にしろ、書いている分量のわりには誤字脱字が少ないほうだと自負しているのだが、さすがにこれだけ働いていると歩留まりも悪くなる。「さすがにこれだけ」って言ったって、誰も見てないんだから意味わからんだろうけどな。いいよべつに。わかってくれとは言わないよ。わかってくれとは言わないが、そんなに俺が悪いのか。うー、わんわん! 吠えてみた。

 吠えてみてもひとり。

記・平成十九年九月二十九日(土)







◇眼精ヒーロー
BGM : Over En By / Kari Bremnes



 疲労
 疲労になるとき
 あぁ……はぁ……
 それは今
 疲労
 締め切られた夜に
 おまえは離れはしない

 9月が終わろうとしているなか、ロスタイムには追いつけるよう、何とか1トライ差にしておこうと懸命の戦いを繰り広げている私だが、テレビではロスタイムのトライが放送されなかったらしい。日本テレビの「お詫び」はこんな感じ。


9月25日深夜 ラグビーW杯 カナダ×日本戦での中継不体裁について

昨夜のラグビー カナダ対日本戦において以下の事態が発生しました。
約10分遅れの録画放送でお送りいたしていましたが、後半のロスタイムが多く、最後のプレイと思われた場面が長いビデオ判定となりそのままVTRで放送を続けると、その後の日本のトライ(10対12)が放送されないという事態となりました。

その後、日本のコンバージョンから生放送に切り替えました。

その直後にトライシーンを再生しようと試みましたがトライシーンを流すことができず、CMとなりました。

最後のCMとの10秒の間に日本の後半のトライを再生し、実況で終えたのですが、視聴者の皆様に対しては失礼な放送となってしまいました。

大変申し訳ありませんでした。


 時津風親方の「お騒がせして申し訳ない」もトンチンカンとドンカンが激しくスパークしているが、こいつらもこいつらだよなぁ。言うに事欠いて「失礼な放送」だよ。なんだそれは。おまえらはふだん視聴者への礼儀としてトライシーンを放送しているのか。どういう仕事だ。それにしても「不体裁」とはまた馴染みの薄い言葉を見つけて引っ張り出してきたものである。ほう、その手がありましたか。はいはい、不手際でも失敗でもなく、不体裁なのね。ちょっとカッコ悪かっただけなのね。詫びる言葉の選択はきわめて杜撰なのに、こっちは選びに選び抜いている。どうせなら「不細工」ぐらいにしたほうが愛嬌があっていいと思うけどね。上記の文章もまた輪をかけて不細工で読むに耐えない。ヘッタクソな作文だよなぁ!と、あけすけに罵倒することに何の躊躇いもない。これって、現場の担当者が慌てて部長あたりに提出した社内の報告書にちょっとだけ手を入れたもののようにも読めるのだが、穿ちすぎだろうか。世間様に出す文書がこんな体裁でよいと思ってる人たちなんだから、そりゃあ、作る番組だって不体裁になるわさ。まあ、その試合の視聴者じゃなかった人間にそこまで言われたくはないと思うけどな。何様だって、だからお疲れ様だよ。機嫌が悪いんだよおれは。

記・平成十九年九月二十八日(金)







◇ライターズ・ハイ
BGM : Courage / Paula Cole



「てめぇ、自分を何様だと思ってんだ!」
「お疲れ様です」

 お疲れの敬称は「様」や「さん」である。「お疲れ氏」とか「お疲れ殿」とか「お疲れ君」とは、あんまり言わない。「お疲れちゃん」は、業界によっては言うかもしれない。あと、「お疲れ嬢」って、ちょっと色っぽい。

 聴いているCDはべつにジャケ買いではない。ポーラ・コールは、数年前から好きでよく聴いている。6月に出た久々の新作。とてもよい。よよいのよい。何だっけよよいのよいって。まあよい。ところでこのジャケット、右を上にして見ると、とたんに異星人のように見えるから不思議。鼻そっちかよ!みたいな。

 そっちだったらどうしよう。どうしようもないが。

 ポーラ・コール。ローラ・ニーロ。ヤーノ・マーキ。なぜ4音節の名前に弱いのだろう。ヤーノ・マーキはいません。矢野真紀だ。きょうニューシングル「窓」が発売されたはずだが、まだ買っていない。ちなみに、ニーノ・ロータは好きでも嫌いでもない。たまに、ニニ・ロッソとどっちがどっちだか怪しくなることはある。コーヤ・ドーフも、そんなには興味なし。

 あっ、野球拳か!

 お疲れちゃ〜ん。


記・平成十九年九月二十六日(水)







◇王様の耳はこんな耳
BGM : The Essential Nina Simone



 次々と仕事を断っている。辛いし申し訳ないが仕方ない。ほんと、もう、無理っす。どうか勘弁してほしいっす。ただでさえグッチャグチャなところに、例によって「わしズム」も始まっているのだ。どうすんだよコレ。胃が痛い。半日だけ入院したい。しかし救いは、さっきラオックスから、修理に出したMacBookが戻ってきたと連絡があったことだ。明日からの神戸出張(ブラインドサッカー日本代表の合宿取材)にギリギリ間に合ってくれた。出張は3日の予定を2日に短縮したが、これで新幹線の往復6時間プラス夜の数時間を原稿書きに使える。アップルえらい。よく頑張った。落としても壊れないMacを作ってくれれば、もっとえらいけど。

 ニーナ・シモンの歌う名曲「He's Got the Whole World in His Hands」は、聴かずには死ねない名演。背筋を伸ばして顎を引き、姿勢を正した状態でハラハラと落涙するのが、この曲の正しい感動の仕方。もし私が小さな国の王様になったら、国歌には断固としてこれを採用したい。あと、「王様は締切無視してもいい法」も制定する。ほかにもしたいことはあるが、とりあえずその2つがマニフェストの柱。王様に選挙公約は不要かもしれんが。

 ああそうだよ、思いついたことは何でも書くんだよ。

 ところでニーナ・シモンの「Plain Gold Ring」は、「Ring」が「リンゴ」に聞こえることもあって、美空ひばりの「リンゴ追分」にとてもよく似ている。

記・平成十九年九月二十一日(金)







◇健康で文化的な最低限度のミクシィ
BGM : It's Like This / Ricky Lee Jones



 ん? モウリーニョがチェルシー退団? まさか全身衰弱ではあるまいが、自ら職を辞することで局面を打開だか転換だかするとでもいう話なのか? と思ったらそういうことではなく、どうやら実質的にはクビってことらしい。よく知りませんが。しばらく見ないあいだに、チェルシーもいろいろすったもんだしていたわけなのかー。ふーん。まあ、モウリーニョはおもろい人だったが、とくに未練はない。次はジャンフランコ先生がいいと思う。ダメならアブラモビッチ監督でもいいや。どっちにしろ試合観るヒマないけど。

「春太郎さんですよね?」「岡田さんですね」「一緒にブラジル行った深川さんですか?」「深川さんじゃないですか!」と、まあ、いろんな言われ方でメッセージがじゃんじゃん届くミクシィな1日である。なるほど、こういう世界なのであったか。今さらこんなことを書くのもアレだが、つまりこの「足あと」ってやつがこのシステムのキモなのだな。動けば動くほど関係性が増殖する仕組みである。いわば「コミュニケーションのネズミ講」か。正体不明の足あとを辿っていった先に、10年ぐらい会っていない業界の大先輩がいたときは茫然とした。お久しぶりの読者の方々からメッセージを頂戴したのは嬉しかったが、「健康で文化的な最低限度の生活」という検索キーワードで発見される人間って、ちょっとどうかと思うよな。

 ちなみに、ミクシィで日記を書く予定は今のところありません。

記・平成十九年九月二十日(木)







◇ねぇねぇミクシィって知ってるぅ?
BGM : Adios Nonino / Astor Piazzolla



 先日、高校時代の同級生たちと集まって飲んだときに「ミクシィのことがワカラナイ」という話をしたら、一人の女の子(ってもう彼女も四十三かよ)が招待状なるものを送ってくれたので、ついに潜入を果たした。正面玄関から堂々と入ってるんだから潜入ってことはないが、気持ちのどこかに微かな敵意というか反感というか嫌悪感というかソレッテドーナノ的な懐疑というか(なにしろワカラナイのだから根拠薄弱な偏見だが)を抱きながら入っているのだから、まあ潜入だろう。いわば酒を飲むためではなく酔っ払いの生態を観察するために酒場をうろつくようなものだろうか。じつに悪趣味である。しかし、事前に入会希望者の思想傾向(トモダチ増やしたい主義者かどうか、とか)をチェックするような質問が発せられるわけでもなく、こういう悪趣味な人間も黙って入れてくれるのだから、少なくとも日本相撲協会の記者クラブよりは開かれているということかもしれない。私はいったいミクシィを何だと思っていたのか。

 で、まだちょっとイジっただけなのでミクシィが何なのかは不明であるが、簡単なプロフィールを掲載しただけなのに見知らぬ人から「マイミクになってくれ」的な例のアレが届いたので、かなりグッときた。なるほど、面妖な世界である。昔は顔も知らない相手と結婚するのが当たり前だった(かどうかは知らないが、まあ、珍しくはなかった)こともあるわけなので、そういうモンといえばそういうモンなのかもしれないが、でもプロフィールだけでなぁ。「好きな言葉」の欄に「健康で文化的な最低限度の生活」とか思いつきでテキトーなことを書いたのがツボだったのだろうか。よくわかりません。自分のことも相手のことも。

 そんなわけで、やはり私には無縁の空間のようだと思ったものの、うろうろしていたらブラインドサッカーの選手たちが公開している日記やコミュニティが存在することが判明し、これは私にとってきわめて貴重な情報源であるので、ありがとうミクシィという話である。もっとも、招待状不要のオープンなものであればもっと早い段階でアクセスできたはずなので、やっぱりソレッテドーナノなのだった。

 数日前にふと思い立ってFirefox2をダウンロードしてみたら、旧バージョンよりも飛躍的に使い勝手がよくなっていたので、なんだか知らないがまともに表示されないページが多いなどどうにもこうにも使い勝手が悪くなる一方のネットスケープを見限った。あれはたしか1995年の晩秋の頃、ネットスケープ・ナビゲーター2.0で首相官邸の写真を30分かけて表示していただいて以来(時間がかかったのはブラウザーのせいではないが)12年間、どうもお世話になりました。

記・平成十九年九月十九日(水)







◇常識レジームからの脱却
BGM : Night Passage / Weather Report



 祥伝社のサンノミヤ君に頼まれた書籍原稿を書いているところに祥伝社のサンノミヤ君から電話が来れば、ふつうは進捗状況の確認(という名の圧力)だと思うわけだが、さにあらず新規の書籍の発注だったのだから驚く。サンノミヤ君の仕事はいま書いているものが今年3冊目で、したがって私がここ数ヶ月てんてこ舞いなのはおもにサンノミヤ君のおかげなのだが、自分のせいで私が年内は手一杯になっていることを承知しながら、新たに年内に執筆する仕事を依頼してくるのだから、じつに人使いの荒い男だ。しかし私はなぜか人使いの荒い編集者に弱いところがあるようで、その筆頭である千駄ヶ谷のシギーの仕事も「え〜、そんなん無理だよ〜」と言いつつ引き受けてしまうのが常なのだが、今回も「常識的には無理」とか言いながら最終的には「何とかする」と言わされていたのだった。マゾなのかもしれない。これで、進行中の企画は(執筆時期未定のものも含めて)8タイトル9冊だ。常識的には無理なものを、どうやって何とかするつもりなんだろう私は。

 とはいえ、答えは簡単である。常識で無理なら、非常識な方法を使うしかない。しかし、ひとくちに非常識な方法といっても、そこにはいろいろな選択肢がある。たとえば「眠らない」「それが無理なら、眠りながら書く」「右手でメロディを書きながら左手でベースラインを書いたというジョー・ザヴィヌルさんに倣って、右手と左手で別の原稿を同時に書く」「それが無理なら、下半身に書かせてみる」「自分と同じ(上半身の)能力を持ったバイトを雇う」「それが見つからなければ、分身の術で自分が2人になる」「うまくいったら3人に増やす」「本の刊行時期は私が決める、と主張する」「それが却下されたら、本のページ数を半分にするよう交渉する」「それも受け入れられなければ、辞任して慶応病院に入院する」等だ。どれがいいだろうか。とりあえず、著者の意向で取材がペンディングになっているシギーの企画が年内に動き出さないように祈ることから始めよう。

記・平成十九年九月十四日(金)







◇衆参ねじれレジームからの脱走
BGM : 8 : 30 / Weather Report



 月曜日にテレビでどんよりした鬱フェイスを見たときには「こりゃ、2〜3日中に自殺してもあんまり驚かないな」と思ったりしたのだが、その人が水曜日に「辞任する」と言ったら驚くのだから不思議だ。まさか、そんなに中途半端な逃げ方があるとは思ってませんでした。中途半端な行動でこれほど人を驚かせられる人間というのも、ある意味で稀有な存在ではある。「極端に中途半端な人」って、意味わかんなくて可笑しい。「インポの強姦魔」みたいだ。無理やり押し倒しておきながら、「やっぱりダメだ……」とか呟いてパンツはき直すの。被害者をポカンとさせてどうするというのか。ま、完遂するよりはマシですけども。比喩が不適切だったら謝る。ごめん。そういえば、去年いじめ自殺が続発したとき、多くの識者たちが子供たちに向かって「死なないで逃げろ!」というメッセージを盛んに発信していたが、あの子、それを素直に聞き入れたのかもな。おまえが戦後レジームじゃん。

 ジョー・ザヴィヌルさんが故郷のウィーンでお亡くなりになったとのこと。高校時代に初めてウェザー・リポートを聴いたときは、それまでイメージしていた音楽宇宙の広さが、バン!と一挙に何十倍も膨張したような衝撃を感じたものだ。思わずのけぞるエアバッグ体験。そういう感覚は、あれが最初で最後だったような気がする。ご冥福をお祈りします。

記・平成十九年九月十三日(木)







◇まさしと真紀と一筋の縄
BGM : Mad Hatter / Chick Corea



 たぶん先週の話だと思うのだが、「ミュージックフェア21」に矢野真紀が出演していたらしい。知らなかった。痛恨だ。矢野真紀の隣でさだまさしがバイオリンを弾いている風景なんて、もう二度と見られないかもしれないのに。それにしても、矢野真紀のアルバムで二人が共演していることはもちろん知っていたものの、こうして見るとなんだかシュールな風景ではある。出会うはずのなかった二者が出会った、という意味でシュール。どっちがミシンでどっちがコウモリ傘かは知らない。ともかく、さだまさし体験と矢野真紀体験は、私のなかでまったく別の引き出しに入っている。完全に個人的なモンダイだし、どういうことなのかうまく説明できないが、同じ日本人シンガー・ソングライターでありながら、全然つながっていないのだ。それはそれ、これはこれとして別々に大事にしたい、という感じでしょうかしら。ちょっと違うか。よくわかりません。なんつーか、そうそう、ほら、たとえば仕事上の友人と学生時代の友人(あるいは実の両親と義理の両親、などでもいいが)とでは、その前で見せる自分の人格のあり方が微妙に違うから、同じ場所に両方が揃うとどう振る舞っていいかわからなくてうろたえる、ということが誰にでもあるだろう。ないのか。私だけか。ともかく、それに似ているかもしれない。

 夏のあいだに、ずいぶん体重が増えてしまった。暑すぎて徒歩通勤ができなかった(やると痩せる前に死ぬ)し、ブラジルでは肉も食い過ぎた。日本でも食い過ぎているが。このところ朝起きたときに体がだるいのは、きっと太ったせいだ。奇妙なことに、デブは寝ると疲れるのである。だからといって寝ないともっと疲れるので、デブもなかなか一筋縄ではいかない。関係ないけど、「一筋縄」はいつだって否定形で使われる。「これは一筋縄でいけるよね」とは言ったことも聞いたこともない。できることなら原稿を書き始める前に口にしてみたい言葉だ。話をデブに戻す。せっかく2002年から数年間で17キロも落としたのに、そこからまた7キロも戻ってしまった。いつまでもデブじゃないと思うなよ。などと言っている場合ではないし、そんなタイトルの新書は売れないので、ひさびさに真剣に減量作戦を展開するつもり。昼飯を抜き、ビールをやめ、たくさん歩く。これが基本だ。基本であり、全部でもある。しかし、昼抜きダイエットは絶対に仕事と両立しないのが最大の難点。どうしたものか。「空腹で頭の回転が停止する午後3時までに全力で書きまくる」が正解だが、そんなことができるなら普段から苦労しないんだよ。減量もまた一筋縄ではいかない。一筋縄でいく減量法は、たいがいウソである。

記・平成十九年九月十一日(火)







◇仁川だよ!
BGM : A. R. C. / Chick Corea Trio



 またまた、きのうの日誌の訂正。いや、まだ10日の25時すぎなので「きょうの日誌」というべきか。さっきブラインドサッカー協会の理事にメールで教わって愕然としたのだが、選手団が仁川に宿泊するのはアウェイの洗礼でも何でもなく、試合会場が仁川だからなのだった。なので、長距離移動とかありません。早とちりもいい加減にしろよ俺!という話です。どうもごめんなさい。

 もちろん、ホテルが仁川と聞いたときにその可能性がまったく頭に浮かばなかったわけではないのだが、ソウルのオリンピック公園にはブラインドサッカー専用の競技場がある(センターラインが少し盛り上がっていて足で確認できるという工夫まで施されているらしい)と聞いており、過去3回の大会もそこで開催されているので、今回も絶対にそこでやるはずだと思ってしまったのだ。だって、ふつう、そこでやるだろ。しかも仁川の会場は体育館だというのだから、なおさら納得がいかない。前にも書いたが、体育館は音が反響して聞こえにくいので、ブラインドサッカーは原則として屋外でプレイするというルールになっているのだ。あえて仁川の体育館で開催する理由がさっぱりわからない。

 しかしまあ、それにはそれなりの事情があるのであろう。ちゃんと確認もしないで、「韓国の陰謀」を臭わせるといういかにもサッカーファンにありがちな類型的思考に陥ってしまった自分が恥ずかしい。体育館は音響に慣れれば慣れるほど選手の動きがよくなることはサンパウロの大会を見ても明らかなので、その会場で直前合宿を張れるホームチームに有利なセッティングだと思わないでもないが、こんな私にそれを批判する資格は、たぶんない。

 ともかくそんなわけで、出張先はソウルではなく、完全に仁川である。もう遅いが、「地球の歩き方」は「ソウル」ではなく「韓国」を買うべきだった。入国から出国まで、仁川オンリー。日本に来た外国人が成田周辺だけで1週間過ごして帰るのと同じようなもので、旅行としてどうなんだそれはと思わないでもないが、まあ、仕事なんだからしょうがない。さいわいなことに、選手団と同じホテルの予約も取れた。ブエノスアイレスもサンパウロもホテルが別だったので難儀だったが、今回は楽だ。具体的な状況が見えてきたせいで、わくわくしてきた。でも、それは来月の話。それまでに片づけるべき仕事がどれだけあると思ってんだ俺。

記・平成十九年九月十一日(火)







◇仁川かよ!
BGM : Mellow Gold / Beck


※以下の記述には大きな勘違いが含まれているので、たいへんお手数ですが、必ず翌日(上)の日誌も読んでください。たのむ。



 まずは、きのうの日誌の訂正。ブラインドサッカーのアジア選手権は、10月21日ではなく、22日開幕が正解である。選手団(と私)の出国が21日だ。ちなみに帰国は27日です。なので各社編集者の皆様におかれましては、10月下旬は取材とか打ち合わせとかほとんどできないと思ってね。

 で、その出張における宿泊先なのだが、過去3回の韓国遠征で日本選手団が利用したというホテルを予約したのに、今回は違うことがさっき判明した。韓国側が用意した宿泊先は、国際空港のある仁川。インチョン、と読む。私の本名と筆名を混ぜ合わせたような地名なので親近感が湧かなくもないが、ソウルの試合会場まで遠いじゃん。夢村土城のホテルからなら徒歩5分だが、仁川〜ソウルは電車でもバスでも1時間以上かかるらしい。試合は毎日あるから、この移動は選手たちにとってかなりの負担だ。過去3回のホテルも韓国側が用意したのに、なんで今回はそうなのか。ひょっとして、これが例の「アウェイの洗礼」ってやつなのだろうか。なにしろ日本はサンパウロで強豪スペインに勝ったので、最大のライバルである韓国が危機感を募らせているであろうことは想像に難くない。日本チームの関係者も「韓国は何をしてくるかわからない」と言っていた。たとえば、ブラインドサッカーのボールには「ブラジルボール」「韓国ボール」「ベトナムボール」など重さやサイズや鈴の鳴り方が微妙に異なるいくつかの種類があり、IBSAの公式戦では基本的にブラジルボールがオフィシャルボールとして使用されるのだが、今回はホームの韓国が自国ボールの使用を主張する可能性があるという。そのため日本代表としては、どちらにも対応できるよう練習しておかなければいけない。そういうことも含めて、油断も隙もないのである。審判団がどういう構成になるのか聞いていないが、それも不安要素のひとつだろう。男子ハンドボールの五輪予選みたいなことにならないともかぎらない。あっちは韓国もひどい目に遭ったみたいですが。

 ともあれ私としては、試合会場の近くでもいいといえばいいのだが、やはり選手団の近くにいないと取材にならないので、また予約作業に追われてばたばたしている。同じホテルに空きがあればいいのだが、どうなることやら。しかし仁川と夢村土城の往復では、ますますソウル中心部に足を運ぶのが難しくなりそうだ。仁川にも、旨いモンあんのかなぁ。港町だから魚が旨いのかなぁ。

記・平成十九年九月十日(月)







◇夢の村、土の城
BGM : Late For The Sky / Jackson Brown

※以下の記述には大きな勘違いが含まれているので、たいへんお手数ですが、必ず翌々日(2つ上)の日誌も読んでください。たのむ。




 アジア選手権の日程が正式に決まった。10月22日から26日まで、韓国はソウルで開催。あ、アジア選手権って、ブラインドサッカーの話だよ念のため。そこで優勝(中国が優勝した場合は準優勝)すると、来年の北京パラリンピックに出場できるのだ。もちろん取材に行くので、さっそく試合会場のあるオリンピック公園に近いホテルをネットで予約。地下鉄だと、「夢村土城」という駅が最寄りである。わかるけど読めない。「砂城」よりは長持ちしそうではあるものの、ひどく儚げな駅名だ。「夏草や」で始まる芭蕉(だったよな)の句を思い出したりする。どうやら百済初期に存在した都の跡であるらしい。そこをメイン会場にしてソウル五輪が開催されたのは、1988年のことである。ベン・ジョンソンの失格から、もう20年になんのかよ! ちなみに鈴木大地の金メダルと小林孝至の金メダル紛失騒動もこの五輪でした。覚えてますか、小林孝至。ほら、あの、レスリングの人だ。驚いたことにオフィシャルサイトもある。ヨットスクールはやっていないので勘違いしないように。あと、ムネオハウスも作ってません。そんなことはともかく、夢村土城は1駅先にロッテワールドで有名な蚕室があるとはいえソウルの中心部からは離れており(漢江で隔てられている)、またぞろ主要な観光スポットを見ないで帰ってくることになりそうな予感。去年からあちこちに出かけている(地球2周分も移動している)のに、全然あちこちに行っている気がしない。せめて今回は、南米ではまるでありつけなかった「旨いモン」をたくさん食いたいものである。最近、リコーダー仲間に感化されてすっかり辛いモン好きになっているので楽しみ。

記・平成十九年九月九日(日)







◇神様仏様アーロン様
BGM : Revival / Gillian Welch



 ようやく、アーロンチェア(8/17の日誌参照)に体が馴染んできた。いや、アーロンチェアの言いたいことがわかってきた、と言ったほうがいいだろうか。当初はショールームにおける短時間の試座では気づかなかった違和感がいくつかあったものの、もう大丈夫。たぶんアーロンチェアは、「自分に椅子を合わせる」のではなく「椅子に自分を合わせる」というか、「椅子が座り方を指導する」というか、そういう、ある意味で傲慢な椅子なのだ。リーダーシップのある椅子、と言ってもよい。したがって私のように性格の素直な(権威に対して従順な)人間には向いているが、「オレにはオレの座り方がある」と主張する頑固な人(そういう人に会ったことはないが)にはあんまりお勧めできないかもしれない。まあ、十数万円も出して買えば「失敗した」とは思いたくないので、無意識のうちに「アーロン様は正しい」と思い込みがちなのが人間心理というもので、だから購入者の評価は決して客観的なものではないと思ったほうがいいだろうし、私自身、もっと安くて良い椅子があるに違いないと思わんでもないわけだが、労働環境が大いに向上したことは間違いないので良しとする。

 アーロンチェア最大の弱点である「肘掛けのベタベタ感」も、アットマークインテリア製の専用アームカバーを装着することで解消。アーロンチェアは(座面などの設定にもよるが少なくとも私の場合)肘掛けの使用頻度が高いので、これはありがたい。百均の便座カバーで代用している人がいることを知って、一瞬「ナイスアイデア!」とも思ったのだが、そういう「すてきな奥さん」系の節約生活術は人間のタマシイを貧しくさせるのでちっともすてきじゃないのだし、便所グッズなんか着せたらアーロン神の怒りを買うような気もしたので、やめておいた。こうなるともはや信仰の領域だが、信ずる者は救われる、と、信ずることにしよう。

記・平成十九年九月八日(土)







◇あと365日
BGM : World Without Tears / Lucinda Williams



 来年の今日、北京パラリンピックが開幕する。予断を許さないタイプの開催国ではあるが、たぶん、開幕するはず。するといいな。前号のSAPIO(北京五輪をボイコットせよ)など読むと、「取材に行って大丈夫かいな」と不安を感じないでもないが、逆に面白いといえば面白い。五輪はどっちでもいいが、パラはボイコットしないでください。なにしろサンパウロの大会でスペインと互角以上に戦えることを証明したブラインドサッカー日本代表は、つまり銅メダルも狙えるということなのだ。ただし、出場権を得なければ話にならない。アジア選手権は来月21日から韓国で開催される予定。1年後、私が北京からこの日誌を更新し、日本の活躍と開催国の惨状を書き連ねていますように。

 遅ればせながら、福岡伸一先生の『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)を読んだ。端的にいって、傑作。福岡先生にはたしか3年ほど前に雑誌の対談取材でお目にかかったことがあり(もちろん私と対談したわけではない)、その説明能力の高さに感服した記憶があるが、これほど見事な文章をお書きになるとは。すでに多くの識者があちこちで絶賛しているので、いまさら私ごときがプッシュしてもさして意味はないのだが、この文章には何か「ミラクル」なものを感じる。新書といういささか窮屈な容れ物のなかで、これだけ多岐に渡る素材を各所にちりばめながら、すべての要点を過不足なく読み手に伝え、しかもそれを一本の糸でつないで有機的にまとめ上げた手際は、ちょっと真似ができそうにない。余談かと思われたエピソード(たとえば野口英世の話とか)が、どれもストーリーを織り上げるのに欠かせない伏線や布石として機能しているのだ。著者自身、「神のお導き」のようなものを感じながら、そこに「書く喜び」を見出して震える場面が幾度となくあったのではないか、と、勝手に想像する。すべて設計図どおりに計算尽くで書いたとは思いたくない。そうだとしたら、書籍の執筆に携わる人間のひとりとして口惜しすぎる。生物は部品を組み合わせただけのプラモデルのようなものではなく、常に流れのなかで変化し続ける「動的平衡」こそが生命の本質だというのが本書の主旨なのだが、それについて語る文章もまた、そこで定義されている「生命らしさ」を存分に持ち合わせているのが、この本のすばらしいところだと思いました。

 と言いながら、私は今日も、著者の用意した部品を、編集者の描いた設計図にしたがって、せっせとプラモデルのように組み立てるのだった。ちょっと虚しい。

記・平成十九年九月六日(木)







◇動体視力と根性
BGM : Miles Away / Gina Villalobos



 当事者が真剣に語れば語るほど、申し訳ないが外野席で見ている者が笑ってしまう問題というものがあって、いまならビデ倫と警察の対立がそうである。規制を緩めたビデ倫が警察の強制捜査を受けたという話だが、まず「ビデ倫」という略称がいけないと思う。どこか学生ノリで、まっとうなオトナがやってるように見えないのだ。「よしりん」と同じイントネーションで「ビデりん」と発音してみると、ますますコドモっぽい。「映倫」には厳めしさがあるのに「ビデ倫」はふざけているように感じるのが不思議だ。「川淵会長」は真面目そうだが「川淵キャプテン」は不真面目そうに見えるのと同じだろうか、違うだろうか。しかし、その語感とは裏腹に、ビデ倫の審査員は大半が60代以上なんだそうで、審査中にコーフンして心臓発作とか起こしゃしないかと心配になったりもするわけだが、問題はそういうことではないらしい。それについて別の審査機関の幹部が、「動体視力が落ちる高齢者では、細かなチェックは難しい」と語っていて笑った。いまのアダルトビデオは、一体どんなことになっているのですか。そんなに速いのか。そこでは卓球並みのラリーが展開されているのか。カッコンカッコンカッコンカッコン……しゃー! みたいな? だからこういう本が売れるのかもしれないが、そんなに速かったら、見るほうはイロイロと困るんじゃないのかしらね。どうして単に「視力の落ちる高齢者」ではなく、「動体視力の落ちる高齢者」と言わなければいけないのかが謎である。ひょっとして、「胴体視力」の変換ミス?

 ところで仕事のほうはどうなっているかというと、小学館と祥伝社の単行本を2冊同時に進めている昨今だ。小学館のほうは当初8月末が締め切りだったのだが、編集部の都合で進行が1ヶ月後ろにズレ込み、そう言われたら、あの猛暑のなかで必死こいて8月中に上げられるわけがないのが人情というものなので、半分ぐらい積み残したまま9月に突入してしまったという次第である。祥伝社のほうも「9月末厳守」と言われているので、小学館のほうが片づくのを待ってはいられない。資本的には小学館のほうが祥伝社よりも優位にあるわけだが、そんなこと私には関係がないし、古巣の祥伝社には育ててもらった恩義もある。いや、恩義があろうとなかろうと締め切りは守らなきゃいけないんですが。

 なので、小学館をいったん脇に置いて、月曜日から祥伝社に着手した。が、例によって例の如く、書き出しで難渋している。いちおう世間的には「プロ」ということになっている私だが、単行本の書き出し時に関しては完全にシロートさんレベルだ。もし編集者が脇でその愚図な仕事ぶりを見ていたら、「こんなライターには絶対に仕事を頼みたくない」と思うに違いない。だって、2日間で1ページしか書いてないんだもーん。毎度のことながら、絶望的な気分である。しかも、書いている本のテーマが「いかに仕事の効率を上げるか」なのだから、ますます絶望的だ。そんな本を、私が書いていいわけがないじゃないか。

 しかし、この絶望に歯を食いしばって耐えるのがプロというものであろう。耐え忍んでさえいれば、文章はいつか向こうからやって来る。それを信じられるかどうかが、この仕事を続けられるかどうかの分岐点だ。「どうすればそんなに文章を書けるようになるんですか」などと質問してくるシロートさんは、それを小手先の技術でどうにかできると思っているからいけない。書けないのは技術がないからではなく、根性がないからだ。われながら無茶苦茶な言い草だとは思うが、意外に正しいことを言っているような気もしてきたぞ。なにごとも根性だ根性。動体視力と同様、歳を取ると根性のレベルも低下するような気がしないでもないけれど、今、それは考えないことにする。

記・平成十九年九月五日(水)







◇お化けは死なない
BGM : We Are One / Kelly Sweet



「ロックスター、やはり短命=売れて5年間の死亡率、一般人の3倍−欧米調査」という報道を見た瞬間、直観的に「不愉快な研究だな」と感じたのはどうしてだろうか。たぶん私には、個々の才能と人格のあり方を重んじるべき人間たち(つまりその「質」について語られるべき人々)を統計的に処理して(つまり「量」的に扱って)その人生をパーセンテージで表現し、したり顔で分析した上で「音楽業界が改善に取り組むよう提言している」というリバプール・ジョン・ムーアズ大の研究者たちのことが、ひどく無礼で不遜(おまけに退屈)な人間に思えてしまったのだ。リバプールめ。芸術家は労働者ではない。一般人とは違って当たり前である。本人は死んでも音楽は生き続けるからすごいんじゃないか。そんなことを調べてる暇があるなら、売れないフリーライターの5年生存率を調査して出版業界に改善を求めてくれたほうが世のため人のため私のためだ。だいたい、音楽業界が改善に取り組むべきは、音楽そのもの以外にない。自動車とか家電とかを大量生産してるんじゃないんだから、そこに「安全性」なんか求めるのは野暮というものである。楳図かずお大先生の邸宅に「周囲の景観との調和」を求めるのと同じぐらい、野暮。

 夏休みの自由研究でそれをテーマにした本を作ったことからもわかるとおり、セガレはいま、妖怪に夢中なのである。ここ数ヶ月、「ゲゲゲの鬼太郎」や各種の図鑑などを貪り読み、「ネズミ男や猫娘は水木さんが作った妖怪だから、本当はいないんだよ」などと言っている。どの妖怪も本当はいないけどね。ちなみにサンタさんも本当はいません。

 それはいいのだが、先日、「父さんの仕事場にある京極さんの百鬼ナントカのシリーズ、持ってきて」と頼まれたときは、ちょっと迷った。「京極さん」とは、もちろん京極夏彦のことだ。さすがに小学4年生には早すぎると思ったのである。サンタさんの実在を信じている奴が京極夏彦って、それどうなのよ。たとえば自分が横溝正史を初めて読んだのが何歳のときだったか思い出せないが、10歳ってこたあないだろう。しかし、「自分には理解できない」ということを理解するのも理解のうちなので、持ち帰って貸してやった。難しい漢字(「筈」とか)の読み方をいちいち訊かれるので面倒だが、意外にもがしがし読んで「京極さん、おもしろい」などと言っている。へんな子だ。どこまでわかってんのかわからんが、おもしろいなら読めばよかろう。しかしシリーズの中には輪姦事件を扱ったものもあり、これはやはりマズイのではないか(というか親子の会話の題材にしたくない)と思って、仕事場に持ち帰った。わが子に与えるものには、つい「安全性」を求めてしまう親心。キケンなものは、親の本棚からこっそり持ち出して読んでください。

記・平成十九年九月四日(火)







◇ヤナギサワ的大臣
BGM : Wildflowers / Tom Petty



 遠藤という大臣が辞任したそうだ。在任期間は8日。セミよりちょっと長生きだが、私はまだ遠藤大臣が動いているところを見たことがないし、喋っているのを聞いたこともないので、ほんとうにそういう大臣が存在したのかどうかも半信半疑である。ふと、トルシエ時代のアジアカップ決勝(対サウジアラビア戦)で途中出場しながら、わずか8分後にはベンチに引っ込んでいたフォワードのことを思い出したりした。あんときゃ面白かったよなぁ、柳沢。なにしろサッカーには交替枠というものがあるので、あれはとんでもない無駄遣いだったわけだが、こうなってくると、内閣にも「途中交替は3人まで」というルールを作ったほうがスリリングで楽しいかもしれない。もう、ドッキドキ。

 それにしても、こんなに農林水産大臣ばかり相次いで困ったことになるのは、どう考えても不自然である。入念に「身体検査」とやらをしたのに、とっくの昔に会計検査院が指摘していた問題が見逃されていたというのも、おかしな話だ。賢明なるわれわれ有権者がそんなバカに政権を与えたはずはないから、これは「わざと」だとしか思えない。つまり陰謀である。あえて農相ポストに世間の耳目を集めさせておいて、その隙にこっそり良からぬことを企んでいるのではないか。そういえば遠藤大臣本人も、農相就任に後ろ向きな発言をしていた。誰が就任しようと、農相がこうなることは最初から織り込み済みだったに違いない。そう考えるのが常識というものだ。というか、そう思いたい。政権担当者には、その程度のインテリジェンスがあるだろうと信じたいじゃないか。お願いだから、何か陰で巨悪が進行していますように。ちなみにトルシエが何を企んでいたのかは、いまもって謎。

記・平成十九年九月三日(月)







◇夏は終わり、機械は壊れる
BGM : Into The Great Wide Open / Tom Petty & The Heartbreakers



 久しぶりにMacが故障。昨年の秋に買ったMacBookである。症状が出るのはおもに起動時で、突如として「ぷち。」と呟いて電源が落ちてしまう。「ぷち。」とかカワイコぶってんじゃねえよこの野郎。そういえば先月ワシントンの空港で酔っ払いながら本格芋焼酎「風」をネット注文したあと、片づけようとした拍子に手を滑らせて床にゴン!と落としたような気がしなくもないのだが、保証期間中なのでそんなことは伝えず黙って修理に出したのはイケナイことだったのかもしれないものの、もしかしたら気のせいかもしれないのだし、そもそも「泥酔状態での使用」は禁じられていない。泥酔状態だった以上は手を滑らせて落とすのも当然の成り行きだから、通常使用の範囲内での故障だと言えよう。購入店の修理受付カウンターでは症状が出なかったが、これはまあ、そういうものだ。人類にとって永遠の謎であり、真理でもある。店の人も「こういうときにかぎって出ないんですよね」と当たり前のような顔をして受けつけていた。それにしても、Macの不調や故障というものは、どうしてこんなに人を不機嫌にさせるのであろうか。サブのマシンなので、仕事にはさほど支障はないのに、たいへん機嫌が悪い。これって、「怒る」や「苛立つ」ではなく、「拗ねる」に近い感情のような気がする。いつも世話を焼いてくれる家来が病気で休んだときのバカ殿の心境? ともあれ、修理には2〜3週間かかる模様。今月下旬に3泊4日の出張があり、そこでまとめて片づけようと思っている原稿があるのだが、それまでに間に合うだろうか。

 そんなこんなで、セガレの夏休みも終わった。ブラジル出張があったせいで、家族旅行ができなかったのが残念だが、妻子は私の出張中に大分の友達のところに遊びに行ったりしていたので、セガレにとっては充実した夏休みだったようだ。大分では川で滝すべりもしたし、キャンプもしたらしい。自由研究は、「世界の妖怪」と題した飛び出す絵本。かなりの大作である。ピラミッドの背後からミイラ男が顔を覗かせるページなど、なかなかの迫力。小学生として過ごす夏休みは、あと2回ですか。子育ての「夏」も、そのあたりまでなのかもしれない。

記・平成十九年九月二日(日)


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