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![]() 二人羽織じゃねえからな。
IN THROUGH THE OUT DOOR 〜定額給付金編〜
※伝説(笑)の連載「story inspired by IN THROUGH THE OUT DOOR」オリジナル編はこちら。
きのう届いた「SAPIO」1/28号を見ると、自分の文章に誤植がある。慌てて編集部に送った原稿を見直したら、そもそも私が間違って書いていた。それも「美しい日本語は亡びるのか」という特集内のコラムなのだからみっともない。後ろから四行目の「これこそ後生に」は「これこそ後世に」の誤りです。サゲのひとことを噛んでしまった落語家のような気分である。嗚呼。前半にも「後世」が出てくるのに、なんでここで「後生」と変換したんだろうか。わからん。後世者、いや校正者を責めるつもりは毛頭ない。ゲラで文章の手直しにばかり熱中し、誤字脱字のチェックに無頓着だった私と、ATOKがいけない。同じ特集内に、うっかりミスは自分も頻繁にやるから責めない、という呉智英先生の文章が掲載されているのが、せめてもの救いである。
呉智英先生(面識はないがどういうわけかこのお方と小室直樹先生は「先生」と呼びたくなる)の著書からは言葉の誤用や本義などについて多くを学ばせてもらったので、同じ特集で(囲み記事とはいえ)書かせてもらえたのは光栄というか実に面映ゆいことなのだが、先生、相変わらず「すべからく」を誤用する知識人を叩きまくっていておもしろかった。「すべからく」の誤用だけでこんなにたくさん発見できてしまう、その読書量に圧倒される。ともあれ、いずれ国語辞典も諦めてしまい、誤用から転じた意味として「すべて」を記載するようになるのかもしれんが、すべからくそうすべし、とは私には思えない。せめてこの日誌の読者だけでも誤用しなくなることが、私から先生への勝手なご恩返しだ。「すべからく」は「すべて」ではありません。「すべからく」の否定形は「すべからず」だという今回の先生の説明が、一番わかりやすい。
20年前の今日、テレビのニュースでそれを知った私は、とりあえず、当時勤務していた『微笑』編集部に出勤した。「とりあえず」というのは、とくに出社する必要がなかったからだ。すでに差し替え用の記事は完成しており、印刷所に任せておけばよい状態になっていたので、編集者にはやることがない。しかし家にいてもやることがないのは同じだし、入社2年目の私は雑誌全体の入稿状況をチェックする進行係という役目も担っていたので、なんとなく編集部にいたほうがいいんじゃないかと思ったのだ。 編集部には、雑誌部長と編集長と編集長代理がいた。いつもニタニタと気持ちの悪い笑みを浮かべているので嫌いだった編集長に「えへへ〜、何しに来たんですか〜」と言われた。どう答えたのか覚えていない。結局やることは何もなく、軍艦や戦闘機のモノクロ映像を垂れ流すテレビをぼんやりと眺めた。昼は、編集長代理が取ってくれたカツ丼を食べた。編集部詰めのカメラマンに「皇居に写真撮りに行くけど、一緒にどう?」と誘われたが、断った。どうして行かなかったのかよくわからない。あの日のあの場所を見ておけばよかったと、今になって思う。 夕方まで、私は編集部で何をしていたのだろう。夜、ほかの部署の先輩社員に誘われて麻雀をやったような気がするのだが、記憶違いだろうか。その後の一億総自粛状況を考えると、あの日の夜に雀荘が営業していたとは考えにくい。でも、やったような気がする。そんな昭和最後の日だった。それが昭和最後の日だという意識は、たぶん私にはなかったと思う。要するに、何も考えていない24歳だった。
![]() 今日はやけに冷える。
![]() 去年の正月に始めた体重公開ダイエットは結局マイナス3キロという微々たる成果しか上がらず、いい加減バカバカしい(そして恥ずかしい)のでもうやめようと思っていたのだが、奇特な読者から「ちょっと楽しみにしていたのに」という意味のよくわからないメールを頂戴したこともあって、やっぱり続けることにした。去年、一時はマイナス8キロまで頑張ったにもかかわらず5キロ戻ったのは、目標を「夏休みまでにマイナス10キロ」にしたのがいけない。それが達成できなかったので面倒臭くなったのだ。なので今年は「毎月マイナス1キロ」を目標にしよう。「SAPIO」のコラム1本あたり500グラム痩せればいいってことだな。計算の意味がよくわからない。
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録り溜めていた「LOST」シーズン4をこの4日間で見終えた。とくに得るものもなく、しかし見始めてしまった以上しょうがないので意地と惰性だけで見続けていたドラマである。中学生時代に「ああめんどくせー」と思いながら五木寛之の「青春の門」を読み続けていたときの感覚に近い。どんな話だったか全然覚えてないぞ青春の門。ともかく、やっと終わってせいせいした。島も消えたし。消えてないか。移動したのか。日本列島も移動できたらいろんなことがスッキリ解決するんだろうけどな。しかしドラマのほうはまだ解決していないことがあるらしく、驚いたことに、シーズン5もあるんだそうだ。いや〜ん。もう、いいじゃないか。島に戻ったら、また脱出したくなるに決まってるじゃないか。勘弁してくれよジャック。
日曜日にNHK『天地人』を観た。大河ドラマの初回を観たのは生まれて初めて。どうも私は「巨大スケールでお届けする豪華絢爛な歴史絵巻」的な映画やドラマが和洋問わず苦手(というか食わず嫌い)なので大河ドラマにも触手が伸びなかったのだが、セガレが『篤姫』で歴史物にハマり(最近は佐伯泰英とか読んでいたりする)、今回も観るようなのでいっしょに観たのだった。子役の達者な芝居にすっかりヤラれてうっすら涙するなどかなり楽しんだのではあるが、気になったのは「申し訳ございません」という台詞があったこと。あの時代に「申し訳ございません」って言ったのかなあ。この言い方が定着したのがいつなのかは知らないが、本来は「申し訳」と「ない」は分離しないんでしょ? まあ、話し言葉の時代考証にも限界があるとは思うし、完璧に再現したら何言ってんのかわからなくなるのかもしれないけれど、「正解」が何であるかは別にして演出上の効果を考えるなら、これは「申し訳のうございます」もしくは「申し訳なく存じます」のほうが格調の高さが表現できるのではないか。少なくとも私はそのシーンでかなり鼻白んだ。脚本家(あるいはNHK)があえて「申し訳ございません」を選択した理由を聞いてみたい。
![]() 「あえて」選んだんだよな?
![]() 日比谷公園の年越し派遣村に「本当にまじめに働こうとしている人たちが集まっているのか」と疑問を投げかけた坂本さんとかいう政治家が、「実態をよく把握しないまま発言した」として発言を撤回したという。で、その撤回は、実態をよく把握した上でなされたの? どうなの? ちゃんと把握しようよ。気持ち悪いじゃないか。
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まあ、人のことはともかく、せめて自分は今年こそまじめに働こうと思う。これからゴーストする本の口述速記と編集者の作成した構成案をプリントアウトしただけで仕事をした気になってしまった昨日のことを、心の底から深く反省すべきだ。途中でプリンターのトナーが切れて、説明書を見ながら懸命に交換作業を成功させたぐらいで、達成感なんか得てんじゃねえぞコラ。
■あけましてご苦労様でございます。 ■暮れは29日の晩に仕事が納まり、それ以降は例年どおり、とくに変わりばえはしないがだからこそ安らかな年末年始を過ごしておりました。 ■休みのあいだに見たものでいちばん面白かったのは天津木村の「あると思います」、次に面白かったのはマシンガンズのユニゾン・ツッコミ、いちばんつまらなかったのは家族と一緒に見に行った「地球が静止する日」。こっちの気分が静止するわ。 ■今日からはこれまた例年どおり、時間に追われる1年が始まるわけだ。のっけから各社の日程が錯綜していて、何から手をつけりゃいいのかわからん。 ■とりあえず爪でも切ろう。 ■本日発売の「SAPIO」には、連載コラムを含めて三つの短い文章が載っているはず。合計3000字にも満たないが、なかなか賑やかなスタートではある。 ■本年もよろしくどうぞ。 |