闇の中の翼たち
ブラインドサッカー日本代表の苦闘
(岡田仁志/幻冬舎/1500円+税)







キャプテン翼勝利学
(深川峻太郎/集英社インターナショナル)

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 2月27日 土曜日  (平成22年/2010年)
 情熱の条件と戦場カメラマン
 BGM : Children's Blues / Arti E Mestieri

 3日間で睡眠10時間的な状況だったので日誌も書けずにいたが、きのうの夕刻、ずっと難渋していた書籍原稿をようやく脱稿。結局、最後まで集中できなかったような気がしなくもない。というか、この本を作ることに対する「情熱」ってやつを持てなかった。いくら書くのが仕事とはいえ、情熱ゼロで200ページも書くのはさすがに苦行でしかない。ゴーストライターが与えられた企画に情熱を持つためには、「書いてて面白い」「この本が持つ社会的意義に賛同するので力になりたい」「売れそう」「この編集者にホメられたい」「この著者の信頼を得たい」などの要素のうち一個か二個でもあればいいんですけどね。それがひとつもない仕事は、本当はもう断ったほうがいいんだろうなぁ。でも、家計にそんなゆとりはナッシング。ともあれ、くたびれた。次は連続対談企画の突貫工事。30ページの対談原稿を来月10日までに9本。上記の条件を5つほど満たしているのでメンタル面はアゲアゲだが、フィジカルは完全にダウナー。

 ゆうべテレビで深夜番組(千原ジュニアが司会してるやつ)を見ていたら、戦場カメラマンの渡部陽一さんがお笑いタレントに混じって出演していたのでビックリ仰天した。しかも「帰ってきた渡部陽一」とか言われており、どうやら準レギュラーみたいな存在のようだ。渡部さんとは『わしズム』の仕事で何度もご一緒したことがあり、独特の語り口がたいへん印象的だったのだが、その天然キャラが何かの拍子にツボったのだろう。番組ではすでに「着ボイス」が作られ、大量にダウンロードされる人気者になっているようだ。『わしズム』終刊後は会う機会がなく、どうしているのかと思っていたが、こんなことになっていたとは。人生、いろいろである。

(16:00)







 2月23日 火曜日  (平成22年/2010年)
 頭を振ると耳からストレスがこぼれそうな感じ
 BGM : Attahk / Magma

 火曜日なのに二日酔い。ゆうべ、何年かぶりで会ったPHP新書の人と渋谷の焼鳥屋で飲んだら、飲み過ぎた。このところ、飲むと必ず飲み過ぎる。まるで、すごくたくさんイヤなことがある人みたいだ。イヤなことがある人みたいに酒を飲むのはイヤだなぁ。ああイヤだイヤだ。酒でも飲まなきゃやってられない。

(15:25)







 2月19日 金曜日  (平成22年/2010年)
 とりあえず生きてはいるということで
 BGM : Mascalero / ZZ Top

 今週最初(で最後)の更新になってしまった。メールの返信などが滞っていてあちらこちらに不義理をしているが、原稿が遅れてえらいことになっているのに加えて、とある連続対談企画の取材が進行しており、月曜は金融庁、水曜と木曜は衆院議員会館、今日も夕刻に総務省と、霞ヶ関&永田町界隈をうろうろしているのである。安倍元首相にもお目にかかった。いわゆる「名刺ジャンケン」における最強カードを手に入れたわけだが、そういえば名刺ジャンケンっていまだかつて一度もやったことがない。ちなみに議員会館の安倍元首相の部屋は、左隣が前原国交相、右隣が田中美絵子議員、その右隣が小沢幹事長という、なんとも息苦しそうなポジショニングでした。そうこうしているうちに、今週いっぱいのはずだった締切が月末まで延びた。文庫書き下ろしの企画が、なんだか知らないが今になって「単行本で出す」ということになり、刊行が少し後ろにズレたという。もともと3月刊行の予定が私のせいで4月に延びたわけだが、あのとき申し訳ない気持ちになって損をしたような気がしなくもない。とはいえ対談企画もASAPで着手せねばならず、SAPIOの4ページもあるので、延びた締切にあわせてのんびりはしていられず、やたら気忙しい今日この頃。以上、近況報告おしまい。

(9:15)







 2月13日 土曜日  (平成22年/2010年)
 これが日本だ私の国だ
 BGM : Nap / Marek Napiorkowski

 そういや近頃は電車の中であんまり腰パン高校生を見かけないような気もして、ひょっとすると、もう田舎の高校生しかやってない周回遅れのファッションなんじゃないかと思わないでもないわけだが、いずれにしろ、あの恰好で外を歩ける感覚はもちろん理解できないものの、いちいち抗議のメールやら電話やらする人たちのこともよくわからない。暇なんだろうな、と思う。そりゃあ、あんな奴だっているでしょうよ。日本選手団に着崩し野郎が一人しかいなかったのは、むしろ上出来ではないのか。スノボのハーフパイプ選手団が何人いるのか知らないが、決して悪い歩留まりではない。全員アレでぞろぞろ歩いてたらと思うとゾッとする。学校の教師さえ「注意すると信頼関係を損なう」などとワケのわからないことをぬかす世の中であることを思えば、よくぞ規律を(おおむね)守らせた!と指導者をホメてあげたいぐらいのものだ。

 だいたい、「国の代表としての自覚が足りない」と仰いますけどね、何の具体的な見通しもないのにオバマに向かって無邪気に「トラスト・ミー」と口走ったり、ママから1日平均50万円ものお小遣いもらっておきながら「知らなかったもーん」とかホザいたりしてるオハナバタケ星人を国家の代表に選んじゃった人たちにンなこと言われたくねえよウッセーな、と、私が国母クンだったら言い返す。たしかに五輪選手団には税金も投入されているんでしょうけど、総理大臣が脱税しても辞めない(それどころかいまだに内閣支持率が30%以上もある)国で、その程度のことで「税金返せ!」って言われてもよ。まあ、どいつもこいつも、という話。

 きのう「SAPIO」の連載担当ナカザワ君から連絡があり、3月前半のコラムは特集に合わせたスペシャル版にしたいので、4ページ書いてくれとのこと。晩飯のとき家族にそれを伝えると、「どんな特集?」と訊くので、「どんどんバカになる日本人、みたいな感じ」と答えたら、妻子が嬉しそうに「やったじゃん!」と口を揃えた。「父さんの腕の見せ所だね!」(セガレ)とか「最近、なんかバカいたかなあ」(愚妻)とか、おまえらナニ盛り上がってんだよ。ヘンな家族になってしまったものである。「25日が締切だから、それまでにバカたくさん見つけといてくれ」と頼む私も私だけど。あんがい家内制手工業なコラム。

(13:30)







 2月10日 水曜日  (平成22年/2010年)
 まったくもってどうでもいい話ですが
 BGM : Udu Wudu / Magma

 ネット検索で自分と同姓同名の人を探すのが流行っているらしい。というか、誰でも一度はやることだろう。私の場合、筆名の「深川峻太郎」は他に見当たらないが、前にも書いたとおり、シュンの字がニンベンの「深川俊太郎」というお医者さんは存在するので、表記は間違えないようにお願いね。こちらのシュンはヤマヘンです。本名の「岡田仁志」のほうは、これも前に書いたとおり、アマゾンで検索しただけでも他に2人いる。くどいようだが、電子マネーや言葉を失った母は私と関係ありません。グーグルなどで検索すると、こんな顔のジュニアスタイリストもいるようだ。なんか鬱陶しい。なんですか「ジュニアスタイリスト」って。

 広がる「同姓同名」ネットワーク 偉人を自分とだぶらせ/別の人生疑似体験という産経新聞の記事によると、同姓同名探しを15年も続けている田中宏和さんという人がいて、同じ名の投手がプロ野球のドラフト会議で指名されたときに、「名前が同じだけで他人の人生を疑似体験できると分かった」と語っているのだが、意味がよくわからない。どう考えても、疑似体験はできません。それは疑似体験ではなく、「錯覚」という。

 そもそも15年もそんなことしてるのが人生の損失じゃないかとも思うわけだが、さらに田中さんは、「今は無理して『オンリーワン』になろうとする風潮があるが、それは人を追い込む。同じ名前でも人はこれだけ違う。同姓同名を探すと、生きているだけで十分オンリーワンだということが認識できるんです」とも語っており、これもわかったようなわからないような話。名前が同じだろうが違っていようが自分と他人が違うのは当たり前のコンコンチキだし、だいたい前提がおかしい。今あるのは「無理してオンリーワンになろうとする風潮」ではなく、「無理してナンバーワンになろうとせずに楽してオンリーワンを気取る風潮」でしょうが。

 たぶん、この記事を書いた道丸摩耶記者は、自分が珍しい名前なもんだから「よくある名前の人」に同情しすぎて過剰な理解を示してしまったのだろう。でも同姓同名の他人なんて、有名だろうが無名だろうが、なんとなく気持ち悪いだけじゃね? 自分をアイデンティファイするのに、いちばん手っ取り早くて確実なアイテムなんだから。私なんか、サッカー代表監督や外務大臣が同じ苗字というだけで不愉快だ。私は子供の頃に渾名で呼ばれたことが一度もないのだが、ジョホールバル以降、たまに私を「岡ちゃん」と呼びたがる人がいて、とてもイヤです。

 さらにどうでもいい話をしておくと、「岡田」で検索した場合、グーグルでは「岡田彰布 - Wikipedia」、ヤフーでは「岡田かつやホームページ」がトップである。ちょっと意外な感じ。「鈴木」「佐藤」「田中」「渡辺」などの検索も、たまに意外な人が上位進出してて面白い。あと、画像検索だとまったく結果が違うので、人間(というか男)のくだらなさ加減がよくわかる。あ、いや、そんなことで暇つぶしをしている場合ではなかった。仕事に戻ろう。

(10:55)







 2月8日 月曜日  (平成22年/2010年)
 何であれ何かが売れていれば救いはある
 BGM : eyja / 原田知世

 数日前の新聞広告で、幻冬舎の「巻くだけダイエット」が140万部(!)に達したことを知った。ありがたいことである。いや、私はこの本に何の関係もしていないので一銭も儲かってはいないが、自分の本が幻冬舎に与えている損失がこちらでカバーされていると思えば、少しは気が楽になるのだった。売れない物書きは、「巻くだけで痩せるワケないやんか!」などとイチャモンをつけてはいけない。こういう本をたくさん買ってくれる皆さんがいるおかげで、売れない本も出してもらえるのである。誰が出版界を支えてくれてると思ってんだおまえら、という話だ。嗚呼、ありがたや、ありがたや。したがって、業界全体を考えるならば、すべての売れない物書きは、勝間和代さんあたりにも感謝せねばいかん。せねばいかん。せねばいかん。ああそうなのさ、感謝せねばいかんのさ。

 原田知世が意外に(といっては失礼だが)グッドなシンガーだと知ったのは、7〜8年前のことだっただろうか。友人が「騙されたと思って聴いてみな」的なノリで貸してくれた『I could be free』というアルバムが、とても良くてビックリした覚えがある。とはいえ全アルバムをオトナ買いしたりはしなかったのだが、この『eyja』はあちこちで良い評判を見聞きするので買ってみた。うーん。ぜんぜん悪くないのだが、しがみつかない女たちをターゲットにしていると思しき空気感で、コチョコチョと男心をくすぐってくれちゃう魅力に欠けるのが、ちょっぴり残念。まあ、もはやそういう年齢ではないということかもしれない。いや、私も原田知世も。

 勝間さんは、原田知世とか聴くだろうか。

(13:20)







 2月5日 金曜日  (平成22年/2010年)
 現代狂言
 BGM : Aha Shake Heartbreak / Kings of Leon

 ゆうべは一家三人、東池袋のあうるすぽっと(豊島区立舞台芸術交流センター)で、南原清隆さん&野村万蔵さん主宰の『現代狂言IV〜狂言とコントが結婚したら』を観賞。まだ認知度は高くないが、南原さんは2006年からこの野心的なプロジェクトを続けている。これまでの経緯や企画意図などは、南原さんの近著『僕の「日本人の笑い」再発見 狂言でござる 〜ボケとツッコミには600年の歴史があった』(祥伝社)に詳しい。私は仕事のからみで過去3回の公演を資料DVDで見る機会に恵まれたのだが、これがたいへん面白かったので、今回は初めてライブに足を運んだのである。第1部はプロの狂言師による(前回からは南原さんも加わった)古典、第2部ではその古典のストーリーを現代風にもどいてお笑い芸人が演じ、第3部は新作の現代狂言、というのが基本構成。念のため説明しておくと、「もどく」(=他のものに似せて作る。他と同じように振る舞う。まねる。)という動詞の名詞形が「もどき」ですね。今回は第1部が「附子(ぶす)」、第2部が「チョコレート」、第3部が「コンカツ」であった。

 古典の「附子」は、「毒だから食うな」と言われた砂糖を主人の留守中に食ってしまった家来が、主人が大事にしている掛け軸や茶碗を破壊して「そのお詫びに死のうと思って食べてしまいました」と言い訳するという、とても有名なお話。それを第2部では、江戸時代のキリスト教会で神父が隠しているチョコレートを若い信徒と農民が食ってしまう……という設定にしていた。今回は「外国人が狂言をやる」がひとつの見所だったのだが、これは企画として正解。神父役のセイン・カミュが英語の台詞を狂言風に喋ってみせると、それだけで可笑しい。

 第3部は、『現代狂言』では初めて女性が参加したのだが、さとう珠緒という女優のことを私は見直した。「ぷん、ぷん」だけのフシギちゃんではなかったんですね。芝居がこの舞台にうまくハマっているし、バレエの経験でもあるのか、身のこなしがたいへん美しかった。『現代狂言』は、すり足をはじめとする狂言特有の所作を含めた「身体動作の美しさ&面白さ」も重要なポイントなのである。全体に、コントと狂言の融合具合が過去3回よりも自然になり、「現代狂言」という新ジャンルが成熟しつつあることを強く感じました。あー面白かった。

(13:25)







 2月4日 木曜日  (平成22年/2010年)
 買った記憶のある人とない人
 BGM : Youth & Young Manhood / Kings of Leon

 キングス・オブ・レオンというバンドがグラミー賞で何やら受賞したと知り、流行には鈍感なのになんか聞いたことのあるバンド名だよなと思ってCDラックを探したら、あった。しかも「Youth & Young Manhood」と「Aha Shake Heartbreak」の2枚組ボックスだ。なんで持ってるのか全然わからない。というか、聴いた記憶がない。いつ、どこで、どうして買ったのだ私は。まあいいや。悪くないねコレ。味のあるペラペラ感。

 一方、いつ、どこで、どうして買ったのかをちゃんと書いてあるのが、「闇翼」について書かれた「サッカーを読む(フットボール書評)」というメールマガジンだ。商業メディアの書評ではないが、きのうの日誌を見た仙台在住のカメラマン増田さんが教えてくれた。ありがたいことである。メルマガ筆者はアジア選手権の試合会場でお買い求めになったようで、販売してくれた大会スタッフにも感謝しなければいけません。

 こういうのを読むと、やはり本は書き手ではなく読み手が完成させるんだな、と思う。無論その完成形はひとつではなく、読み手の数だけあるわけだが、そのひとつひとつが書き手にとっては愛おしい。自分では筆力不足で伝えきれなかったように思っていたことが、実はそこはかとなく伝わっているように感じられるところもあったりして、つくづく「書く」は難しくて面白くて不思議な営みだ。はるか遠く、思いがけない方角からこだまが返ってくる喜び。意外に、近くからはあんまり返ってこないんだけどね。

(13:30)







 2月3日 水曜日  (平成22年/2010年)
 最近どっかで「闇翼」の書評見た人いる?
 BGM : The Soul Sessions / Joss Stone

 さっき某社の編集者(今やってる仕事とは無関係)と電話で雑談中、「このあいだ新聞に御著書の書評が出てましたよね。あれは朝日だったか読売だったか……」と言われた。ここ1ヶ月以内の話らしいが、私は知りません。書評欄だったと言うから、ヨミウリ・ジュニア・プレスの記事のことじゃないだろうしなあ。何だろう。知人が関わった記事でもないかぎり、書評を掲載した新聞や雑誌はいちいち著者に連絡などしてくれないのである。なので、見逃しているものもあるかもしれない。書名が出ただけのやつも含めて、見つけたものは左の表紙写真の下にズラズラ書いてあるが、それ以外の書評等を見つけた人は、「どうせ知ってるだろうから」と遠慮することなく、教えてくださいませ。書評はすべて読みたいのだ。あとで図書館でも行って、各紙をバサバサひっくり返してみようかな。おそるべき停滞を見せている仕事からの逃避も兼ねて。

(15:40)







 2月2日 火曜日  (平成22年/2010年)
 無駄な催促はやめましょうキャンペーン実施中
 BGM : Sound Source / Lost World Band

 仕事は遅々として進まない。いつも思うのだが、仕事というやつは、なにゆえこうも遅々として進まないのであろうか。こんなに遅々として進まない仕事を、よくもまあ、20年も続けてきたものである。心の底から自分を褒めてやりたい。えらいぞ私! 強いぞ私! これまでに抱えてきたストレスの総量のことを考えると、自分がまだ生きていることが不思議なくらいだ。もしかしたら、オレって不死身なんじゃね? と、くだらんことを言って遊んでいる場合ではない。今日は担当編集者から「原稿のほうはいかがでしょうか?」とメールで圧力がかかったのだった。

 私は鍋じゃないので、圧力をかけても調理時間が短縮されることはない(むしろ機嫌を損ねてブログを書き始めたりするので逆効果になることが多い)のだが、それにしても「いかがでしょうか」は難儀な質問だ。論理的には「原稿は私によって書かれていますけど何か?」とでも答えればいいのだろうが、そういうことじゃないもんな。私の取り扱い方を熟知している編集者は決してこういう催促じみたメールを寄越さないのだが、世間の編集者は大半がこういうことをする(それが仕事だと思っている)わけで、一体どんな返事を期待しているのかが謎である。ひょっとして、「快調に進んでまーす! イェーイ!」的な返事が来るとでも思ってるのだろうか。

 それで安心してぐっすり眠れるならそう言ってあげてもいいけれど、快調に進んでないと思ってるからこそ心配になって「いかがでしょうか?」と訊きたくなるのだから、そんな返事を期待しているとしたらアホである。奇跡は起こりません。だったら、「いかが」もへったくれもないじゃん。遅々として進んでないのはわかってるんだから、訊くまでもないじゃん。いつ上がるのかを言わせたいのかもしれんけど、そんなの「締切までに仕上げます」って答えるに決まってんじゃん。どっちにしても、意味ないじゃん。と、こういう具合に不機嫌になるから、私に原稿を催促しても何もいいことはないのである。また開き直ってしまった。

 昨日から聴いているのは、ロシアのプログレ系インストゥルメンタルロック。21世紀も10年目を迎えたというのに、現役バリバリのバンドを相変わらず「プログレ」と呼ぶのも妙な感じではあるが、まあ、ほかに何と言えばいいのかもようわからん。昨日のアルバムは「ロスト・ワールド」名義で、今日のは「ロスト・ワールド・バンド」名義だが、メンバーの入れ替わりはあるものの基本的には同じグループである。前者はドラムが打ち込みだったが、後者はドラマーが加入したので、「バンド」になったのかもしれない。ヴァイオリンとフルートを前面に押し立てて、あるときは凶暴に、あるときはエレガントに、あるときは爽快に、多彩なサウンドを超絶技巧で聴かせてくれる。とてもカッコイイ。しかしこのグループ、ヴァイオリンとギターとベースを同じ人が一人三役でこなしているのだが、ライブは一体どうするのだろうか。

(24:05)







 2月1日 月曜日  (平成22年/2010年)
 背中が痛い
 BGM : Awakening of The Elements / Lost World

 それは土曜日の朝、車のドアを開け、カメラの入った重いリュックを右肩から下ろして後部座席に放り込んだ瞬間のことだ。背中の右側、やや腰に近いあたりに激痛が走り、私は思わず「うぎゃあ」と悲鳴を上げたのだった。捻挫なのか肉離れなのか何なのか知らないが、いつもの寝違えみたいな例のアレである。災いは忘れた頃にやってくるものとはいえ、よりによって楽しい週末のスタート前にやってしまうとは、ものすごくツイてない。運転中は患部が固定されるので移動はできたが、セガレの試合も代表合宿も、姿勢を変えるたびに苦悶の表情を浮かべながらのツラい観戦になってしまいました。

 つくばのホテルでは、寝返りをうつたびに悶絶。ひと晩中、「あー。次はどうやって寝返りを打てばいいのだろうか」と考えていたような次第で、ほとんど眠れなかった。あなたは寝返りの打ち方について本気で悩んだことがありますか。僕はしばしばあります。いまもまだ痛いよ。年々、治るのが遅くなってる気がする。真剣に背筋の強化を考えなければいかん。そんなわけで、代表合宿ではサイドフェンスの設営や撤去を手伝えず、申し訳なかった。

 セガレの所属する久我山イレブンは、杉並最強のシーダーズに0−4で完敗。前半の早い時間帯に、目を疑うようなGKのミスで先制点を許したのが痛かった。そのGKが誰の息子かはあえて言わないが、もし背筋を痛めたその子の父親が見ていたら、「何しとんじゃボケ!」と叫んだ拍子に患部を押さえてのたうち回ったことだろう。「ズッコケる」は、背筋を痛めた者が絶対にしてはいけないことのひとつである。

 背中と心に痛みを感じつつ11時半に和田堀公園を出て、13時半頃につくばのフットサル場に到着。ウォーミングアップ中の選手にフェンスの外から声をかけるなり、「息子さんの試合どうでした?」と訊かれてしまった。こまめにこのブログをチェックしてくれているようで、ありがたいことである。

 ブラインドサッカー日本代表は、8月の世界選手権(イングランド)と12月のアジア・パラゲームス(中国)に向けて、今回の強化合宿からあらためて選手を選び直すことになっている。アジア選手権組はもちろん、07年までの元代表選手を含めたチャレンジ組も数名が加わって、フレッシュな雰囲気だった。久しぶりに関西から参加したアマ(天川)さんによれば、アジア選手権組は2年前より明らかにレベルアップしていて驚いたとのこと。与えられた「宿題」をやるだけではなく、各自が目的を持って練習していることを肌で感じたようだ。風祭監督も、多くの選手が難度の高いトラップ技術に自主的に取り組んでいるのを見て、頼もしく感じていた様子。そうやって選手たちの意識がどんどん高まり、自ら「伸びしろ」を増やしていくのがわかるから、このサッカーはつきあい甲斐がある。次の大会では、去年のアミノバイタルとはひと味もふた味も違う戦いぶりを見せてくれるに違いない。

 4月には今年の代表メンバーが決定するそうだが、全員が2つの国際大会に仕事を休んで出場できるわけではないので、多めに選んで大会前にベンチ入りメンバーを決めることになるだろう。仕事の都合のみならず、選手にとっては遠征費用の負担も重い。まだ費用調達の目処は立っていないようなので、企業の援助や個人の寄附など、ガンガンお願いしますよ。とりあえずは、公式ファンクラブSOCIOへの入会から始めるべし。

(11:55)