闇の中の翼たち
ブラインドサッカー日本代表の苦闘
(岡田仁志/幻冬舎/1500円+税)







キャプテン翼勝利学
(深川峻太郎/集英社インターナショナル)

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 3月30日 火曜日  (平成22年/2010年)
 とりあえずメモだけ
 BGM : Just Like You / Keb' Mo'

■いまリライトしている「困った原稿」は、もともと堅苦しい役人作文しか書けない人が無理して「一般向け」にやさしく書いたら見事に失敗しました〜、というよくあるパターン。「できないことをやらされている人」の仕事は痛々しい。僕らの総理大臣もまた同じ。

■「路上でキスは人生で一度もない!」とか妙な威張り方をしていた中井ハマグリ国家公安委員長は、私と出身高校が同じであるらしい。まあ、どうでもいいけども。母校に誇りを持っていないので恥ずかしくもない。

■「今月中じゃなきゃならないとは、別に法的に決まっているわけでない」という首相の発言ほど、遅筆のライターを勇気づけるものがあるだろうか。法律さえ守れば総理大臣が務まるなら、ライターはもっと務まるはず。

■五輪で見なかったキム・ヨナのSPを世界選手権で初めて見た。いまどき「007のテーマ」というセンスを疑う発言が世間で聞かれないのが不思議でならない。いまだに「ルパン3世のテーマ」とかやってるブラバンみたいだ。

■やっと確定申告を完了。売上げは前年比30%ダウン! どうりでカネがないわけだ。

■あ、こういうのをイマドキはツイッターとかでやるのか?

(12:05)







 3月25日 木曜日  (平成22年/2010年)
 さらばランドセル
 BGM : Live & Mo' / Keb' Mo'

 本日は午前中、久我山小学校の卒業式に出席。セガレの出で立ちは、紺のブレザーにワイシャツ&ネクタイ、グレーのスラックス。朝、ネクタイ装着を手伝ってやったが、初めて身につけるのはそれだけではない。数日前に家で試着した際、ズボンのベルトは左右どちらから差し入れるのか、という恐るべき質問を受けた。コイツ、今までベルトっつうモンをしたことがなかったのか!と驚いたのだったが、考えてみると、私が初めてベルトを着用したのは野球のユニフォームだったかもしれん。サッカー少年はベルトに縁がないのである。しかし着付けを終えてしげしげ眺めると、初めてのわりには違和感がなく、いつの間にかこんな服装が似合う顔つき&体つきになっていたのね、と思う。いやはや立派立派。かあさん、よくぞここまで育てました。

 式は、国歌斉唱で起立しない教員もおらず(うつむいて口を動かさない日教組はいたが)、粛々と進行。ガクガクブルブルと震えるほど体育館が冷えていたことと、挨拶する人たちが誰ひとりとしてジョークを口にしなかったことと(どうしてみんなああいう場で列席者を和ませようとしないんだろう)、校長が祝辞の中で二度にわたって(しかもまったく同じパターンの)ミスを犯したときに場内がザワついたことを除けば、たいへん良い卒業式だった。どういうミスだったかは、説明するとものすごく長くなって面倒なので割愛。式を終えて帰宅するやいなや、卒業生(セガレ)が「いやー、校長には嗤った」と苦笑するような挨拶で締めくくってどうする。セガレが2年生か3年生のときに転任してきたのだが、最初から最後まで、ひとつも感心することを言わない校長だった。

 ともあれ、これで小学校はおしまい。6年間なんて早いものではあるが、セガレが入学した平成16年(2004年)はまだ小泉純一郎が総理大臣だったことを思うと、ずいぶん長く在籍していたように感じなくもない。それにしても、6年間で首相が5人だよ。なんとも慌ただしい時代の小学生ではあった。お疲れお疲れ。

(16:00)







 3月24日 水曜日  (平成22年/2010年)
 ニュースばかり眺めている
 BGM : Anabelas / Bubu

 ふたたび開星高の野々村監督をめぐる産経ニュースを見ておどろいた。び、美術の先生だったのか……。「美術教師の切腹」って、「日教組組合員の君が代」「体育教師のデモ行進」ぐらいの違和感があるのだが、それは偏見ですか。それにしても、あのネクタイで「山陰のピカソ」だよ。まあ、どうでもいいけどさ。ほかに画家の名前を知らんのかおまえらは。ともあれ、どうやら愛嬌のある人物ではあるようだ。いずれホトボリが醒めた頃に、「ボヤキのノムさん」ならぬ「絵描きのノノムさん」とか呼ばれてワイドショーの人気者になるかもしれん。

 一方、普天間基地移転問題でまさしく鳩山家に「末代までの恥」をかかせそうな由起夫サンは、ぼちぼち恒例の政権放り出しも近いような気がするものの、最後に逆上して「辺野古を米国領にして、現行案のままで県外どころか国外移転実現!」というウルトラE難度の離れ業を繰り出すんじゃないかと心配だ。そっちを移転してどうする。誰か早く辞めさせてください。なんにしろ、総理がクビを差し出さなければ、もう落とし前はつかないんでしょ? せめて「辞任カード」を適切に使うことで、少しは政治センスがあったことを見せてほしい――と、ご先祖様たちは思ってるんじゃなかろうか。

(15:35)







 3月23日 火曜日  (平成22年/2010年)
 そういう話は内輪だけにしておきましょう
 BGM : Slow Down / Keb' Mo'

 産経ニュースで、不適切発言に関して日本高野連に謝罪し、甲子園球場を後にする開星高の野々村直通監督の写真を見てフイた。ふつう、人に謝りに行く大人が、こんな柄のネクタイをするものだろうか。そもそも全国大会にこんなカッコで行くような指導者には、私だったら子供を預けたくありません。なるほど、こういうのを文字どおり「ガラが悪い」というわけだな、と、妙に納得。國保クンがあれだけ批判されたなら、この人も「県代表としての自覚に欠ける」と島根県民から叩かれるべきだろう。しかも選手を指導する側だからね、この人は。まあ、きっと選手たちにとっては、親分肌で男気のある、いい監督さんなんだろうとは思いますけども。

 ともあれ、このファッションセンスを見ただけで、彼が日頃どんな世間で暮らしているのかはおおむね想像がつく。その狭い世間に向けた謝罪の言葉が、「21世紀枠に負けたのは末代までの恥」なる発言だろう。内輪(負けたら承知しないぞと圧力をかける地元の皆さん)に向けた敗戦コメントとしてはかなりイケてる(ああいう柄のネクタイを好むタイプの人たちに「あの野郎、どうやら事の重大さはわかってるようだな」と思ってもらえる)のだろうが、それを全国の皆さんに向けて口走ってしまったのが、この人の愚かなところではあった。もっとも、内輪ウケだけ考えてうっかり「県外移設」とか言っちゃった総理大臣も似たようなもんか。あんなに無分別な八方美人を首相にするような国で、高校野球の監督だけに多くを求めてもしょうがない。

 考えてみれば、ブログやらミクシィやらメーリングリストやらの言説を見ても、内と外、公と私の区別がついていない人はたくさんいる。ミクシィのニュース関連日記が典型だが、「どうせ仲間内(マイミク)しか読まないから」と決めてかかっておかしなことを書くと、知らないところで大勢の人に「こいつバカだなぁ」と軽蔑されているから、気をつけたほうがいい。先日も、何かを検索していた拍子に「偏差値50を切る私立でも、公立中学に行かせるよりマシですよね」とかいう意味のことを書いてるお父さんのブログに行き当たり、「こいつバカだなぁ」と思いました。きっと、周囲に私立崇拝者しかいないような「世間」で生きてるんだろうなぁ。同じことをテレビカメラの前で言えるならともかく、その覚悟がないならやめときなさいよ、そんなご意見開陳は。万人がアクセス可能な場所で何かを書くのは、新聞記者の前で喋っているのと同じことだと心得るべし。メーリングリストはやや事情が異なるものの、数百人規模になれば公的な性質を帯びる。こちらも、読み手がみんな「仲間」だと思ったら大間違いですぜ。

(16:35)







 3月22日 月曜日  (平成22年/2010年)
 卒団式
 BGM : Mississippi Blues / Sonny Landreth

 土曜日は13時から千駄木で楽団の練習。バッハのヴァイオリン協奏曲第2番とヴィヴァルディの春。5月28日の本番までもうあまり時間はないが、まだ全員での合奏をしていないような気がする。それ以前に、私は私のパートをちゃんと吹けるようになることが大事。

 練習後は高円寺へ行き、馬橋小学校グラウンドで18時半から久我山イレブンの杉並Aリーグ消化試合を観戦。楽器ケースを抱えていたので「岡田さん、ついに鳴り物で応援ですか」と驚かれたが違います。雨で何度も順延になっていた試合で、この日の夜しか時間が取れなかったため、夜間照明設備のあるグラウンドでの開催となった。順延しているあいだに残留が決まったのは本当にラッキー。朝鮮第9戦は1-2で惜敗、卒団前の最終戦となった松庵戦はスコアレスドロー。最後に負けなくてヨカッタ。2勝2敗1分の勝ち点7で全日程を終えた久我山は、Aリーグ3位でフィニッシュ。たいへん立派な成績である。

 明けて日曜日は、久我山イレブンFCの卒団式。午前中は校庭で、全学年いっしょのミニゲーム大会&6年生対コーチ陣の試合。大学生の若いOBも含めたコーチ陣の破壊力は凄まじく、子供相手にそれはちょっとどうかと思うような殺人シュートをビシバシ撃たれ、0-6でボコボコにされたが、じつに愛情のこもった手荒い祝福であった。こういうときヘンに手を抜かないのが、このクラブの素敵なところだ。

 午後は学校の視聴覚教室で式典。会場入りして式次第を見た瞬間、自分の挨拶がいちばん最後だと知って凍りついた。それはつまり、3時間も緊張しっぱなしということである。そんな順番だと知っていたら引き受けなかったよまったく。選手たちがそれぞれ(子供によってはヒックヒックとしゃくり上げながら)読んだ作文はどれもすばらしく、緊張しながらもほろほろと泣けた。完全にリラックスして号泣していたお父さんやお母さんたちが、ちょっと羨ましい。セガレの作文は泣かせどころと笑わせどころがいい塩梅で調合されており、私より先に面白いことを言われて悔しかった。ちくしょう、学校の作文はダメなくせに、こういうのは案外うまいじゃねえか。6年間の軌跡をまとめた50分近い大作ビデオにまたみんなで泣き笑いし、代表(監督さん)の立派としか言いようのない大人の挨拶を拝聴して、私の番。すでにグッタリと疲れていたせいで、マイクの前ではさほど緊張せずに喋ることができた。保護者諸氏には「気持ちを代弁してもらえた」とそこそこ好評だったが、セガレは「長い」とひと言。悪かったな。

 というわけで、あっという間の6年間。なにしろ運動神経の鈍い子なので、いつ嫌気がさしてやめても不思議ではないと思っていたが、良いチームメイトと指導者に恵まれたおかげで、挫けずに続けることができた。最後はそれなりにGKらしい動きを見せるようにもなったし、よく頑張ったと思う。親としても、本当に楽しませてもらった。挨拶の中でも言ったが、このサッカーがなかったら、小学校6年間は本当につまんなかっただろうなぁと思う。本人は、中学でも部活でサッカーを続けるつもりらしい。かなり意外な展開。セガレがサッカーを続けるということは、まだ「GKの親」としての人生が続くということだ。うー。

 卒団式終了後は、高井戸の居酒屋でコーチ陣と親子による50人規模の大宴会。スピーチを終えた解放感も手伝い、速攻でベロベロに。仲間の前で醜態をさらす父親に、「こりゃダメだ」と呆れて溜め息をつくセガレの表情が、ひどく大人びて見えた。

 その後はコーチ陣と親父連中の二次会にも参加したため、本日は体調グダグダ。しかし前回書いた「困った原稿」の突貫リライトを正式に発注されたので、働かねばならぬ。来月10日までに一冊。下手したら「今月中に」と言われるんじゃないかと覚悟していたので、激務というほどではない。まあ、フツーに仕事がある状態。短い失業期間であった。

(11:55)







 3月19日 金曜日  (平成22年/2010年)
 レンピッカ展
 BGM : Otono Porteno & Adios Nonino / Astor Piazzolla

 3年半ほど前、ブエノスアイレスのCDショップで、アストール・ピアソラの編集盤を2枚、ジャケ買いした。展覧会のポスターを見て、それがタマラ・ド・レンピッカという女性画家の絵だと知る。ほほー。なんだ、有名な絵だったのか。

 というわけで、きのう愚妻とふたりで渋谷に行き、美しき挑発『レンピッカ展 - 本能に生きた伝説の画家 -』を観賞した。きのうはレンピッカの命日だったが、それは単なる偶然。たいへん見応えのある、良い展覧会だった。右上のジャケットは最高傑作の呼び声の高い「緑の服の女」だが、実物とは向きが逆。デザインの都合で逆版にしたのだろうか。左向きのままでも、文字の位置を逆にすれば済むような気もするが。よくわからない。晩年のレンピッカは周囲の求めに応じて自作の複製をたくさん作ったらしいので、その中に「逆バージョン」があった可能性もある。残念ながら、緑の服を脱いだほう(下のジャケット)は会場に見当たらなかった。その組み合わせが面白くて買ったんだけどね。えへへ。

 ブエノスアイレスの薄暗いホテルの部屋で、買ったばかりのCDをMacBookに差し込んで聴いた夜のことを、昨日のことのように思い出す。ブラインドサッカーの取材を始めたばかりで、何をどうするつもりなのか自分でもわからないまま、とりあえずアルゼンチンまで行ってしまい、ひどく不安な心持ちだった。「とりあえずアルゼンチン」ってなぁ。遠すぎるだろそれ。あんなことが、今後の自分に、もう一度できるような気がしない。

 ちょいと何人かの編集者に「ヒマだぞオイ」という意味のことをもっと丁寧に書いた営業メールを出したところ、さっそくPHP方面から、来月あたりに取材の始まる企画が舞い込んだ。それとは別に「困った原稿」が一本あり、突貫リライトが発生する可能性もあるらしい。まだ結論は出ていないが、場合によっては5月刊行もあり得るそうで、来週はいきなり激務になるかも。

(13:20)







 3月17日 水曜日  (平成22年/2010年)
 ねばねばの春
 BGM : 吉松隆 プレイアデス舞曲集 / 田部京子

 ヒマである。失業中といっても細かい仕事はなくもなく、一昨日は30分で終わる短い原稿、昨日はSAPIOの連載コラムを書いた(ヒマなときにかぎって3時間であっさり書き上がるのだから皮肉だ)が、今日は(たぶん明日も明後日も)な〜〜〜〜〜んにも書くものがない。こんな状態って、いつ以来だろうか。ここ1年ほど、ずっと「遅れてすみません、遅れてすみません」とペコペコしながらいろんな人たちに追いかけられていたような気がするが、ふと立ち止まって振り向くと、後ろに誰もいない。やれやれ。来月でライター稼業も20周年を迎えるわけで、これは「ちょっと休め」という神様の思し召しかもしれん、とも思う。ならば、もうじき春休みでもあるし、温泉にでもつかってノンビリしようかという気分にもなるのだが、カネがないのでそうもいかない。消費マインドは氷点下。おまけにセガレはすでに中学生用の塾に行き始めた。もう中だよもう中。算数が数学になったし、英語とかも勉強してんだよ。なので親父は働かねば。ねばねば。しかし、ねばねば言ったところで仕事がないんじゃ働けないので、たまには自分で企画でも考えてみようかしらね。ぼんやりと。

 ていうか、確定申告をせねば。ねばねば。遅れてすみません。

 以下は業務連絡。今週末に大阪でブラインドサッカーの代表合宿があり、先日のプライムカップにも行けなかったので顔を出したいのはヤマヤマなのですが、土曜は楽団の練習、日曜はセガレの卒団式がある(どういうわけか指名を受け保護者代表として挨拶せねばならん)ので、残念ながらお邪魔できませぬ。良い練習になりますよう、陰ながらお祈り申し上げまする。

(11:20)







 3月15日 月曜日  (平成22年/2010年)
 校庭で起きた奇跡
 BGM : Voice / Capability Brown

 昨日(14日)は、久我山小学校グラウンドで「きらめきリーグ」を観戦。近隣の10チームほどが集まって行うトーナメント大会である。セガレの所属する久我山イレブンFCは、今週の土曜日(20日)に杉並Aリーグを2試合残しているが(3戦を終えて2勝1敗の勝ち点6)、こちらはライバルチームが見事な星の潰し合いをしてくれたおかげで、すでに残留(6チーム中の4位以上)が決定。超ラッキーとしか言いようのない展開で、Aリーグのまま後輩にバトンタッチできることになった。したがって20日の2試合は消化試合となり、翌21日には卒団式が予定されているので、この「きらめきリーグ」が小学校生活最後の真剣勝負である。小学生のサッカーには大小取り混ぜてさまざまな大会があるのだが、セガレたちの学年はまだひとつもタイトルがない。一度ぐらい「優勝」させてやりたいというのが、保護者を含めた関係者全員の願いだった。

 で、前日(13日)の1次リーグ(5チーム)を2位で通過した久我山は、この日の準決勝で高井戸東と対戦。前半を0-2の劣勢で折り返す。先制点はFKがゴールポストに当たって内側に跳ね返ったもの。2点目は、強いシュートをGKのセガレがフィスティングで弾いたものの、こぼれ球を押し込まれたものだった。嗚呼。

 しかし後半、前半はセンターバックだった長身選手(172センチぐらいあるらしい)をセンターフォワードにコンバートするという大胆な采配が功を奏し、久我山攻撃陣がぐいぐいと敵守備陣を押し込み始める。高井戸東DFがゴール前でたまらずファウルを犯し、PKで1-2。さらに、長身フォワードが豪快な中央突破で敵守備陣をズタズタに引き裂き、力感あふれるシュートを叩き込んで、あっという間に同点に追いついたのだった。狂喜乱舞する久我山の保護者たち。いや、もう、魂が震えました。

 そして、後半もなかばを過ぎたころ。敵のシュートをキャッチしたセガレが、高々とパントキックを蹴り上げる。長身フォワードを活かすには、敵ゴール前にどんどん放り込むのが得策だ。だが、このキックはちょっと距離がありすぎた。敵陣のペナルティエリアまで飛んでしまい、フォワードは追いつけない。ワンバウンドでGKの手に収まるように思えた。ところが。







 入ったよオイ。







 何がどこにって、ボールがゴールにだ。私は一瞬、何が起きたのかわからなかった。いや、久我山が試合を逆転したことはわかりましたよ。でも、それが「誰のゴール」かということには考えが及ばなかった。しかし、ボールがぽよよ〜んと相手GKの頭を越えてゴール左に飛び込むのを見届け、視線を久我山陣内へ転じると、セガレがチームメイトに抱きつかれてバンザイしてるじゃありませんか。

「え? うちの子? うちの子のゴールなの?」

 間抜けな声で周囲に聞くと、みんな大笑いしながらウンウンと頷いている。それはそうだ。セガレがパントを蹴ってから入るまで、誰もボールに触っていない。わーお。こんなことってあるだろうか。1年生で久我山イレブンに入団して以来、セガレは一度もゴールを決めていないのである。5年生でGK固定になるまではフィールドプレーヤーもやっていたが、公式戦はもちろん、練習試合でもチーム内の紅白戦でもミニゲームでもすべてノーゴール。正GKになった時点で、わが子のゴールシーンは諦めていた。それが、卒団を間近に控えた最後の大会の、ファイナル進出を決める試合で、逆転ゴールだよ。









 大ヒーロー。







 試合はそのまま3-2で久我山の勝利。笑いが止まらなかった。頭上を越された相手GKやその親御さんには気の毒だが、セガレとその両親はこれまで何度も同じ目に遭っている。今回ばかりは悪いが笑わせてくれ。あははー。入った入った。あははー。

 これで運を使い果たしたのか、決勝の高井戸三小戦は残念ながら0-1で惜敗。しかし最後まで闘争心を漲らせて戦う久我山の姿は立派だったし、タッチライン際で保護者たちが悶絶する惜しいシュートもあった。タイムアップ直前のコーナーキックでは、GKのセガレも敵ゴール前へ。その攻撃が跳ね返されたところでホイッスル。いい燃え尽き方だったと思う。運動会では(速い子が風邪引いたおかげで)最初で最後の1等賞も取れたし、ゴールも決められたしで、いろんな奇跡に恵まれた小学校最後の1年間だった。神様ありがとう。

(17:55)







 3月12日 金曜日  (平成22年/2010年)
 失業なう
 BGM : Storm Front / Billy Joel

 昨日(木曜日)の明け方に、飛鳥新社の対談原稿9本をまとめ終えた。途中で何度か死ぬかと思った。生きてるけどね。うん。生きてる生きてる。で、生きている以上は働かねばならず、次は何を書くかというと、これが何も決まっていないのだった。4月に書いて参院選前に出す予定だった政治評論本は、著者が「やっぱり参院選が終わってからにしよう」と翻意して、先送りになった。ほかにも、春ごろにやりそうだが日程が流動的な企画がいくつかあったのだが、どれもこれもそのまま流動してしまって、取材さえ始まらない。書籍の仕事はなかなかスケジュールがフィックスしないのが難儀なところなのである。

 6月に執筆する予定だった仕事も、昨日になって私の手を離れた。先週その1回目の口述取材があったのだが、どうも著者(脳関係の老医師)が何を言っているのか理解できず、コミュニケーションが成り立たない。いくらこちらの知りたいことを質問しても「それをこれから話そうとしている」みたいな反応しかしてくれないので、「こりゃトンデモ系だなぁ。厄介なことになったなぁ」と思っていたのだが、著者は著者で「このライターは人の話を理解せずに自分を出そうとしている」と思ったらしい。昨日、担当編集者に資料を送りつけ、「ライターがこの理論をきちんと理解してそのとおりに書かなければ、いい本ができない。自分を出さずに書いてくれないと、いろいろ難しいことが起こるかもしれない」といったことを申し渡したらしい。要は遠回し(というかほぼダイレクト)にチェンジを求めているわけで、こちらとしても願ったり叶ったりの展開である。いったん引き受けた以上は編集者に対する義理や責任があるので自分から降板はできないが、著者が気に入らないならしょうがない。なので編集者には「ほかにライターがいるなら交代したほうが関係者全員のためになると思う」と伝え、退散することにした。

 口述内容の何が理解できず、私がそれを理解するためにどんな質問をしたのかを具体的に書くと著者が特定されるので書かないが、たぶん私の「質問」が向こうには「反論」や「批判」に聞こえたのだろう。一般的に、トンデモ系の人たちはまともな学者に相手にされず、おかしなことを言っても批判さえ受けずに放置されている。しかも周囲が「先生の理論はすごい!」とチヤホヤするので、ちょっと疑問を呈されただけで不機嫌になってしまうのである。「私の言葉には一つ一つ意味があるんだからちゃんと最後まで聞きなさい」的なことも言っていた。学者というより、むしろ宗教家(それも信者を前にした教祖)の態度である。その一つ一つの意味がいちいちわかんないから質問してるんだけどね。まあ、そういう人はたまにいるので、しょうがない。

 だから別に腹も立たないし、きわめて精神衛生に良くない仕事から解放されてせいせいしているのだが、ひとつだけ頭に来たのは、私が「自分」を出そうとしたと思われたことだ。おまえなんかのトンデモ本のために自分を出すなんて、そんなモッタイナイことができるかバカ野郎。自分のことは自分のフィールドで出すわい。だいたい、こっちはもう20年もゴーストライターやってんだよ。自分の好き嫌いや賛否は脇に置いて、著者の言いたいことを読者がわかるようにうまいこと書いてきたから、それだけ続いてんだよ。おまえの理論をそのまま書いても意味わかんないから、理解してやろうと思って質問してんじゃねえか。

 まあ、そうは言っても別のライターが手がけた某社新書はベストセラーになっているので、意味わかんなくても「いやぁ、そうだったんですね! 目からウロコが落ちました!」とか何とかテキトーに話を合わせてうまくやりゃよかったわけだが、「この人はトンデモ系だ」と気づいたのが口述の後半になってからだったので、ちょっと遅かった。しょせん、お金には(ついでに言えば賞金にも)縁のない人生ということか。

 というわけなので、いきなりヒマになっちゃいました。「岡田はいつも忙しいから」と発注を控えているそこのアナタ、今なら急な突貫リライトでも何でも引き受けるから、遠慮しないで連絡してね。とりあえず一杯やりましょう、も歓迎。

(13:50)







 3月6日 土曜日  (平成22年/2010年)
 ベスト4止まり
 BGM : River of Dreams / Billy Joel

 昨日(5日)の午後、第20回ミズノスポーツライター賞が発表された。1月末に拙著が最終選考の4本に残ったと聞き、それだけで嬉しく、光栄に思っていたものの、やはり表彰台を逃したのは悔しい。2本用意されていた優秀賞が1本になったのは、「3位は該当者なし」という意味だろう。つまり「4位タイ」だが、上村愛子さんと違って「入賞」ですらない。ブラインドサッカーの選手諸君のためにも獲って賞金を山分けにしたかったのだが、力不足だった。すまん。

 しかし、宇都宮徹壱さんのような実力者が金メダルを獲るレベルのレースに参加できただけでも(誰と争っているのか知ったのは昨日のことだが)得難い経験ではある。少なくとも、自分のシュートが(GKには止められたものの)枠をとらえてはいたのだ、と確信することはできた。これほど有り難いフィードバックはない。これ以上を求めるのは欲張りというものだ。事前審査でベスト4まで残してくれた名も知らぬ審査員(新聞記者などが多いと聞く)の方々に、心の底から感謝いたします。ちくしょう、いい夢を見させてもらったぜベイビー。

 さて、仕事仕事。

(16:40)







 3月4日 木曜日  (平成22年/2010年)
 合格発表
 BGM : Live / PSP

 千葉在住の姪が、心底から入りたがっていた県立高校に合格した。入試当日は理科が思ったほどできなかったらしく、帰宅するなり「一生分の涙を流したんじゃないか」とお母さんが呆れるほど悔し泣きしたそうだ。三番目の末っ子なのだが、すんごい負けず嫌いの女の子なのである。そういうところ、叔父さんにはぜんぜん似てませんね。しかしまあ、出来が悪くて泣くほど頑張って勉強したなら、そりゃあ受かるわな。ともあれ、めでたい。ちなみに私も明日の午後、とある「合格発表」が予定されている。姪が作ってくれた良い運気に乗れればいいのだが。うー。

(12:20)







 3月3日 水曜日  (平成22年/2010年)
 せっかく来てくれたのに申し訳ないが
 BGM : Real Illusions: Reflections / Steve Vai

 眠い疲れた腰が痛い。以上。

(18:50)