闇の中の翼たち
ブラインドサッカー日本代表の苦闘
(岡田仁志/幻冬舎/1500円+税)







キャプテン翼勝利学
(深川峻太郎/集英社インターナショナル)




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 5月31日 月曜日  (平成22年/2010年)
 YBO第2回公演
 BGM : Live at BBC / Isotope

 金曜日(5/28)は、出版関係者で作る素人楽団イエロー・バロック・オーケストラ(YBO)の第2回公演2010@ルーテル市ヶ谷ホールで、5曲を演奏。演目は、ヴィヴァルディ「四季」より「春」、パーセル「シャコンヌ」(リコーダー四重奏)、ヴィヴァルディ「2つのチェロのための協奏曲」、テレマン「リコーダー協奏曲ハ長調」、バッハ「ヴァイオリン協奏曲第2番」。いっぱい失敗したが、客席で聴いたセガレによれば「どっちにしろ、父さんが何やってるのかよくわかんなかった」とのこと。友人にも「おまえ地味すぎ」と言われた。ヴァイオリンやヴィオラと同じパートを一緒に演奏したら、リコーダーの音量なんてそんなものであろう。じっさい、愚妻がICレコーダーで録ったブートレグ音源を聴いても、自分のミスはほとんどわからない。いいんだか悪いんだか。

 バンド全体の演奏については、やっぱ走りますね。本番まで全員で合奏したのが(リハを含めて)2回だけということではテンポ感が共有できないのも無理はないけれど、16分音符の速いフレーズは慌てて突っ込むし、休符をちゃんと休めていない感じ。凄腕のソリストの個人技のおかげで惨敗を免れているあたり、GK川島のビッグセーブがなければボコボコにされていたであろう昨夜のイングランド戦に似ている。もっとアンサンブルを磨き上げるような練習がしたいものです。無論、「まともに吹けるようになってから言え」って話だが。がんばって練習しま〜す。来年の第3回公演は6月10日の予定。

 ところで演奏とは関係ないが、セガレに「父さんみたいな人ばっかりだった」と言われた。男性陣の見た目のテイスト(とくにヒゲの感じ)が似ているらしい。言われてみればそうだよな。まあ、そんな業界ではある。

(12:40)







 5月26日 水曜日  (平成22年/2010年)
 ビジネス書の10割は編集されている
 BGM : The Outro / Bonzo Dog Doo-Dah Band

 吉田典史氏の記事に対する批判を、水口和彦という人のブログに見つけて「おお」と思ったのだが、反論のポイントが私とはまるで違った。「ゴーストが書いているビジネス書は9割もない」というのがその主旨。吉田氏の〈自分で書いていないのに、著者と言い切ることは詐欺なのか、それとも詐欺ではないのだろうか。私は、いまなお答えることができない〉に対しては〈私も同じことを思います。自分で書いていないなら「著者」ではないですよね〉と書いている。

 私はビジネス書の何割をライターが書いているかなんて知らないし、興味もない。そんなこと、どうだっていいと思う。だから昨日もそこには触れなかった。そもそも吉田氏が提起した論点は「ゴースト率は何割か」ではない。吉田氏は明言を慎重に避けているが、要はビジネス書の読者に対して「ライターが書いているかどうかを見極めよ。そして、自分で書かない著者を信じるな」というメッセージを投げかけている。実際、記事の読者の中には、「9割」という(根拠薄弱な)数字に衝撃を受け、そういう本の作り方に疑問や不満を感じた人も少なくないようだ。しかし昨日書いたとおりライターは編集業務の一端を担っているのであり、そしてビジネス書の10割は編集されている。ただそれだけのことである。何かそこに問題でも?

 おそらく水口氏はご自身でビジネス書を執筆しておられるので、「ライターを使う著者ばかりじゃない」と言いたかったのだろう。吉田説を迷惑だと思う気持ちはわからなくもない。だが、吉田氏の「9割説」を「デマ」と決めつけるわりに、水口氏が反論のために掲げる根拠もデタラメだ。こちらの追加記述を見ると、「一般的な原稿料の相場」で計算すると外注コストがかかりすぎるので、少部数のビジネス書でライターを使う余裕などないはずだ、としている。あのな。「400字あたり5000円で換算すれば1冊まるまるで135万円。400字あたり3000円と安めに見積もっても81万円」って、そんなにもらってねえんだよコンチクショー。初版数千部のビジネス書でも、ライターを使って作るケースはいくらでもある。それが事実。なんでよく調べもしないで勝手にそういうこと書くかなぁ。自分で書こうがライターに書かせようが、こんなふうに知ったかぶりでウソを書くビジネス書の著者を信用するな、と私は言いたい。

(10:30)







 5月25日 火曜日  (平成22年/2010年)
 日本選手権およびゴーストライター論
 BGM : Highway Rider / Brad Mehldau

 週末は2日間でほぼ4日分の活動をした気分。10時から麹町でリコーダー隊の練習、13時から要町で全体練習、18時20分に東京駅を発ち、22時に堺東駅前でブラインドサッカー関係者の集まりに乱入、23時に堺駅前のホテルにチェックイン。翌朝8時半に湊駅前のホテルでT.Wings選手団と合流してバスで堺市立サッカーナショナルトレーニングセンターへ。15時すぎまで観戦して16時40分に新大阪を出発。20時すぎに千駄木。練習に合流したときは、前日に同じ人たちに会ったような気がしなかった。中2日ぐらいの感覚。そしてヘトヘト。

 しかし、やや無理して大阪まで行った甲斐はあった。闇翼の取材でお世話になった松本さんや井上ノブさんに久しぶりに会えたのが嬉しい。2人とも、大阪入りしてから急にインタビューをお願いしたのに快く時間を割いて、あの本に欠かせない貴重な話を聞かせてくれた。大阪は日本のブラインドサッカー発祥の地である。関西人らしい根性とユーモアが、この競技の起動エネルギーになったことを忘れてはいけない。

 大会2日目の試合でもっとも印象に残ったのは、やはり準決勝のアヴァンツァーレ対たまハッサーズである。ただし、残念なことも多かったがゆえの印象深さ。まずアヴァの落合が転倒の際に味方のキックをアゴに食らって担架で退場。首から下が痺れて動かなくなり、一瞬「車いす生活」が脳裏をよぎったらしい。次の試合には出場していたが大丈夫だろうか。さらに、ハッサーズの黒田がバックチャージで一発レッド。自陣から敵陣へ蹴り出したボールを自ら猛烈なスピードで追いかけ、その走り自体は感動的だったのだが、ボールを止めようとスライディングしたところに敵DFがいた。もちろん故意のラフプレイではないが、あの場面はDFに「ボイ」発声の義務はなく、無闇なスライディングはやはり危ない(対人プレイでのスライディングはルールで禁じられてもいる)。隣で見ていた風祭監督も「あれはアカンわ」とのこと。

 そんなこんなで、前半の途中から両軍とも代表の主力を欠いたゲームになってしまったのだった。怪我も退場もサッカーの真剣勝負にはつきものとはいえ、ファンとしては、ベストメンバーで雌雄を決するところを見たかったです。初日3試合で7ゴール(!)の黒田を欠いたハッサーズが田中を中心に懸命の守備を見せていたが、終了間際にアヴァのエース田村の強烈なシュートが密集の中で誰かに当たってコースを変え、ループ気味にゴールイン。気持ちでねじ込んだすばらしい決勝ゴールだった。

 終了後、もうひとつの準決勝に目を転じると、スコアは0-0。T.Wingsが順当に勝ち上がるだろうと予想していたので「?」と思ってフィールドを見ると、エース加藤の姿がない。聞けば、肩を脱臼して負傷退場したとのこと。やれやれ、あっちもこっちもどうなってんだ。そのままスコアレスドロー、PK戦を制したビヴァンツァーレが勝ち上がり、決勝はつくばの紅白戦的なものになったのだった。

 黒田が出場停止、加藤が病院送りのため、3位決定戦のハッサーズ対T.Wingsも両者エース不在。とても残念。田中と葭原のゴールで1-1、PK戦でハッサーズが3位。決勝戦は最後まで見られなかったが、2-0でアヴァが優勝したとのこと。

 それ以外の試合では、順位決定戦の大阪ダイバンズ対兵庫サムライスターズが面白かった。関西勢同士なのでお互いにやり慣れており、よく噛み合った好勝負。スコアレスドローだったが、一進一退の攻防に興奮させられた。初日のT.Wings戦で決勝ゴールを決め、この兵庫戦でも獅子奮迅の働きを見せていたダイバンズの山口が大会MVPとのこと。粋なセレクションだと思う。

 Buisiness Media 誠なるサイトに、「吉田典史の時事日想:約9割のビジネス書は、ゴーストライターが書いている」という記事がある。掲載時にYahoo!ニュースからリンクされたので、読んだ人は多いはずだ。なので、それなりに影響力はあるだろう。そういう記事に、自分の仕事を誤解されかねない記述があれば、黙ってはいられない。そこに書かれていることは、吉田氏の経験としては事実なのかもしれないが、ゴースト歴20年(手がけた本およそ140冊)の私が「はあ?」と首をひねる部分がいくつもある。自分の狭い知見を、あたかも出版界全体がそうであるかのように書かれるのは迷惑だ。以下、吉田氏の文章を引用しながら私の考えを述べる。悪いが長くなります。


 実は私もその1人なのだが、そもそもこの「ゴーストライター」の定義はあいまいである。何をもって「ゴーストライターが書いている」と言うのか、その基準がないのだ。だから、編集者によって表現の仕方が違う。「ゴースト」と言うこともあるし、漠然と「ライターが書く」と言う場合もある。
 べつに、ゴーストライターの定義は曖昧ではない。著者以外の人間が原稿を作成すれば、それがゴーストライターである。微妙なのは担当編集者が原稿を書くケースだが、これも広義のゴーストライターと言ってよかろう。そういうケースもあるからこそ、ライターは「編集者の代わりに仕事をする」と言えるわけだが、それについてはまた後で触れる。編集者が「ゴースト」と言ったり「ライター」と言ったりするのは、定義が曖昧だからでも基準がないからでもなく、単に同じことを別の言葉で言っているにすぎない。同じ野球チームのことを「巨人」と言ったり「ジャイアンツ」と言ったりするのに、定義とか関係ないでしょ?


ゴーストライターの仕事の進め方を簡単に紹介しよう。まず、出版社の編集者から私のもとにこういった連絡が入る。通常、メールが多い。

「○○社の社長を著者にして、○○というテーマの本を今年の夏に出すことになりました。つきましては、口述をお願いできないものでしょうか?」


 編集者から「口述」を頼まれたことなんか、少なくとも私は一度もない。頼まれるのは口述の「取材」と原稿の「執筆」である。口述をするのは著者であって、ライターはそれを聞く側。吉田氏は、10時間ほどの取材を録音して1冊の本に仕上げていく一連の作業を「口述」と呼んでいるが、そんな言葉遣いをする習慣は私や私の周辺には一切ない。口述取材のことも、ふつうは「取材」もしくは「インタビュー」という。


著者が本の構成案(1章から最終章までを通常、ライターが考え、書く)にそって話すのだが、その流れはAからBに行くかと思いきや、なぜかDに飛び、そのままFに流れてしまうこともある。つまり、BもCもEもない。そのままでは1つのストーリーにならないので、文章にはできない。そこでライターがBもCもEについて聞き返す。
 私の知るかぎり、口述時の構成案は、編集者が考えることのほうが多い。もしくは著者と編集者が相談してレジュメを作り、私はそれができてから参加するケースが大半(口述終了後、執筆前の最終構成案を私が考えることはある)。本の企画立案者は著者か編集者のどちらかだから、「これをどんな本にするか」という作業に私はほとんど関わらない。相談されれば答えるが、建物の設計図を書くのは建築士の仕事であって、大工はそれを形にするのが仕事。

 また、口述作業時のレジュメは、ふつう「1章から最終章まで」きっちりと構成したようなものではない。質問項目をランダムに個条書きしただけのものもある。だから話の順番がメチャクチャなのは当然。口述作業は実質的に「内容に関する打ち合わせ」も兼ねているので、むしろ脱線したほうが面白くなることが多い。構成もへったくれもなく、かぎりなく「雑談」や「よもやま話」に近い話に終始することもよくある。それに脈絡をつけて原稿にするのがライターの腕。


 ところが著者の大多数は自分で本を書いたことがないので、どう答えていいのか分からないのだ。頭の中に文章の仕上がりのイメージがないから、また脈絡がない話になっていく。特にベンチャーや中小企業の経営者に、こうした傾向が目立つ。こういう著者は「忙しくて時間がない。だから、(自分の話が)飛んでしまう」と話す。しかし、それは嘘ではないだろうか。素直に「本の作りが分からないから、どう話していいのかも分からない」と答えるべきだろう。
 口述に脈絡がないのは当然だから、なんでライターと著者がこんな議論をしなきゃいけないのか私にはさっぱりわからない。本の作り方を知っている編集者とライターが、話すべきことを話すように誘導すればいいだけの話。口述時にわからなければ、原稿で「まあ、こういうことだろう」と勝手に脈絡をつけてしまえばよい。著者の話を聞いて、その背後に隠れている脈絡を読み取るセンスもライターには必要だ。書いた原稿に誤解などがあれば著者が直すから、何の問題もない。ところで、「忙しくて時間がないから話が飛ぶ」って意味不明。脈絡がわかるようにリライトしてほしい。

 数年前、私はライターを志す20代の人たちにこのような裏話をしたら、こんなことを尋ねられた。

「そこまでひどいと、その本は詐欺みたい。ライターが書いている以上、その人の名前で本を出すべきで、その著者は情報提供者ではないですか? せめて、本の裏に『ライター 〇〇〇〇 情報提供 〇〇〇〇』としないと、詐欺になる……」

 私は答えようがなかった。主要出版社S(前述のSとは違う会社)の役員にこの話をすると、「そのとおり!」と苦笑いをしていた。私はさすがに「詐欺」とは認めたくないが、問題の多い仕事ではあると実感する。


 このライター志望者のような声は、私もしばしば聞く。そこには、「本当は岡田さんが書いてるのに名前が出ないなんてひどい」という私への同情が込められていることが多いが、それは見当違いの反応。そこに書かれている思想や意見は私のものではないので、私が好き好んで書いたと思われるのは困る。しかも対立する論者のゴーストを両方で引き受けることもあるから、立場上、「編集協力」のクレジットさえ断ることがある。あとがきで謝辞を頂戴すれば嬉しいが、それ以外に名前が出ていいことなんかひとつもない。

 で、これがいちばんの問題なのだが、ゴーストで本を出すことは詐欺でも何でもないと私は思っている。ツイッターでも書いが、たとえば『罪と罰』が口述筆記で書かれたのが事実だとして、ドストエフスキーを単なる「情報提供者」とすべきだと考える者はまずいないだろう。サグラダ・ファミリアがガウディの作品であって建設作業員の作品ではないのと同様、『罪と罰』を「書いた」のはあくまでもドストエフスキーである。もちろん、ドストエフスキーの口述はビジネス書の著者のように「順番メチャクチャ」ではないだろうが、それでも口述速記そのままで本になったとは思えない。本人が後で手を加えるか、編集者が整理するかして、最終原稿を作ったはずである。程度の差こそあれ、「順番メチャクチャ」な口述を文章化するのも、それと本質的には変わらない。

 それに、ビジネス書を含む実用書は『罪と罰』と違って文芸作品ではない。著者の文章そのものを味わいたくて手に取る読者は滅多にいないだろう。著者の発信するメッセージが正しく表現されていれば、それでいい。重要なのは、「誰が原稿を作成したか」ではなく「誰がその文責を負うか」だ。たとえば不祥事を起こした企業が社長名で謝罪文を発表することがあるが、その原稿はおそらく社内でいろんな人が寄ってたかって(会議まで開いて)作成したものだろう。しかし最終的に「これでOK」と判子を押した社長が、その文面に責任を負うのである。ゴーストライターが書いた原稿も同じことで、口述どおりに書いた内容に事実誤認や名誉毀損があれば、著者が責任を負ってくれないと困る。「著者」とは「原稿を書く人」のことではない。「その著作物を責任を持って発表する人」のことである。著者の「著」は「あらわす」と読む。


 仮にベンチャーや中小企業の経営者、コンサルタントなどの著者が締め切りを守っても編集者は安心しない。彼らが書く文章は、ライターが書くところの「商業用日本語」とは程遠いからだ。商業用日本語とは、私が20代のころ、上司から教わったものである。新聞や雑誌、ビジネス書などの文章は1回読むと、その意味がおおむねすんなりと分かるように書かれている。それこそ、商業用日本語なのである。
 少なくとも私は「商業用日本語」なるものの存在を知らないし、したがって誰かに教わったこともない。つまりライターがみんな「商業用日本語」を意識して書いているわけではない。失礼ながら吉田氏の文章は論旨不明瞭な部分(ゴーストライターの定義云々のところ等)もあり、1回読んでその意味がすんなりとわかるものではなかったので、教わらないほうがいいかもしれない。私が著者なら、吉田氏にはライターを頼みたくない。


本のいちばん裏のところ(奥付)に「編集協力 ○○○○」とか「編集(執筆) ○○○○」などと書いてあることがあるが、それらにも注目してほしい。その人たちが、ゴーストライターである可能性が高いからだ。

 ビジネス書を読むときに、このような裏側を知ると、これまでとは違った印象を持つのではないだろうか。最後に聞きたい。自分で書いていないのに、著者と言い切ることは詐欺なのか、それとも詐欺ではないのだろうか。私は、いまなお答えることができない。


 おそらく吉田氏は「編集協力」という扱い方に不満があるのだと察するが、私はこれがこの仕事の本質を的確に言い表していると考える。先述したとおり、原稿は担当編集者がまとめることもある。全面的には書かなくとも、著者の原稿を編集者が多少なりとも修正・改変するのは当然だろう。その編集作業を見咎めて「詐欺だ」と言う人はいない。そしてライターは、その編集作業を請け負っている。まさに、編集者に協力しているのである。実際、執筆にあたって私が書き方について指示を受ける相手は、著者ではなく編集者だ。そして、ドストエフスキーの口述速記に赤を入れる作業も、2時間の雑談を200ページの文章に再構成するのも、「喋ったものを整理してまとめる」という点では何も変わらない。したがって、ビジネス書の著者が「自分で書いてないのに著者と言い切る」のは、ドストエフスキーが詐欺師ではないのと同じように、詐欺ではないのである。そう思うことができず、「いまなお答えることができない」などとナイーブに悩んでいるなら、そんな仕事は断って、自分の著作活動に専念すればいいと思う。

※Twitterの補足もあわせてお読みいただければ幸い。

(13:40)







 5月19日 水曜日  (平成22年/2010年)
 どうなることやら
 BGM : 地獄からの使者 / Kiss

 ゆうべ「カラマーゾフの兄弟」(原卓也訳)序盤のドミートリイの独白部分を読んでいたら、頭の中でハードロックががんがん鳴ってる感じがしたので試しにキッスを引っ張り出してみたのだが、ぜんぜん違う。どうもコレじゃなかったようだ。キッスって、先入観よりもはるかに好青年な感じだよな。ドミートリイ君は、もっと邪悪なロック。

 というわけで、Twitterではヒマにまかせて何だかんだと呟いてみている。Twitterを始めてからブログ更新が滞っている人のキモチは、まあ、わからなくもない。世間では字数制限のことばかり言われるが、140字ってあんがい多い。ともあれ、まだツールに使われている状態で、どう使えばいいのかはよくわからないが、とりあえずコラム用のネタ備忘録としては使い勝手がよさそう。備忘録なんて自分のパソコン上で間に合いそうなものだが、日記と同じで、他人に見せるとなると頭の働き方が(したがって書き方も)違ってくるのである。以前ここでやっていた体重公開ダイエットをTwitterで再開した(中断中に3〜4キロほど増えてしまった)ので、カラダの働き方も変わってくれるといいのだが。

(14:00)







 5月18日 火曜日  (平成22年/2010年)
 新宿・銀座・明大前
 BGM : Backatown / Trombone Shorty

 相変わらずヒマである。きのうは新宿ピカデリーで9時50分から、愚妻と『第9地区』を観賞。実は先日も、午前中に渋谷で『オーケストラ!』を見た。定年退職した団塊夫婦みたいな日常である。映画は基本的に「妻が見たいものを一緒に見る」という濡れ落ち葉族(古い)的態度なので、この『第9地区』もほとんど予備知識ナシだったが、面白かった。エイリアン出現時の騒動ではなく、エイリアンの存在が日常化した状況における騒動を描く映画というのは観たことがない。20年前からヨハネスブルク上空にずっと浮かんでいる巨大な宇宙船が妙にリアル。「倦怠感の漂う宇宙船」って、もしかしたら映画史上初なのではあるまいか。SF映画はあんまり観ないからよく知らんが。ちなみに北海道の「第9区」は宇宙人総理の選挙区。なかなか皮肉。

 映画鑑賞後は銀座へ。Buono Buonoで昼飯を済ませてからヤマハ銀座店に足を運んだのは、リコーダーを修理してもらうためである。練習過多のせいで、テナーに小さなヒビが二つほど生じてしまったのだった。いまのところ演奏に支障はないものの、28日の本番までもつかどうか不安なので、応急処置を頼む。修理代は「1センチあたり1000円」とのこと。世の中、いろんな料金体系があるものですね。処置に1週間かかるので、練習用にプラスチックのテナーを購入。1本持っていたはずなのだが、どこを探しても見つからないのでしょうがない。なんでテナーリコーダーなんかなくすんだろうか私は。

 夜は明大前の寿司屋で、フロムワンの岩本編集局長に身の上相談。岩本さんには「ブログを読むかぎり深川さんがお金に困っているようには見受けられない」と言われたが、全然そんなことはありません。自慢じゃないが金はない。8月のイングランド出張(ブラインドサッカー世界選手権)の取材費をどう工面するかが目下の悩みである。もう本を書いちゃったので、取材費を原稿料に変換する場がないのだった。営業活動をせねばいかんが、どうも私は生まれつきビジネスマインドが欠落しているらしく、この20年間ほとんど「売り込み」ってやつをしたことがないので、途方に暮れてしまう。えーと、誰かお金ください。あ、いや、仕事ください。

 で、どういう脈絡だったか今となってはさっぱりわからないわけだが、身の上相談の結論はなぜか「深川さんもツイッターとかやったほうがいいですよ」だったので、帰宅後に酔った勢いで登録してみた。この歳になるとだんだん新しいことが面倒臭くなるもので、たとえばiPhoneとかiPadだとかにもまるで触手が伸びず、ツイッターも「なんか鬱陶しいよな」ぐらいの認識しかなかったのだが、まあ、食わず嫌いはよろしくない(やってみないと批判もできない)のだし、若い人の言うことは聞くものだ。どうせヒマだし。まだ何が何だかわからんが、ここにリンク貼っとけばいいのだろうか。とりあえず、そんな感じ。

 などと言ってるうちに、まだここで公表していないのに、「○○さんがあなたをフォローし始めました」というメールがじゃんじゃん届き始めた。岩本さんが広めてくれたからのようだが、ツイッターおそるべし。

 いま聴いているトロンボーン・ショーティは、ニューオリンズのトロンボーン奏者であるらしい。理屈抜きのカッコ良さ。ボントロ・ファンクとしては、二十数年前にデファンクトを聴いて以来の衝撃。トロンボーン吹いてた若い頃に聴いたら、きっとコピーしたくなったはず。

(12:30)







 5月13日 木曜日  (平成22年/2010年)
 おめでとうハジ君!
 BGM : 妖精の森 / アイン・ソフ

 8月の世界選手権イングランド大会に出場するブラインドサッカー日本代表のメンバーが発表された。あっちの代表より、よほど「ベスト4」に現実味を感じるチームである。「闇翼」の中でも大活躍のヤンマー(山口)さんが復帰したのも嬉しいが、今回の目玉商品(という表現も微妙ですが)は、なんといっても初選出のハジ(寺西)君だ。もうすぐ二十歳の大学生。私が初めてそのプレイを見たのは、彼がまだ高校生だった07年4月、神戸で行われた代表選考会でのことだった。本に「最初にドリブルやトラップなどの基本プレイを見ただけで、帰り支度を始めていいと思える選手もいた」(113頁)と失礼なことを書いたが、そのひとりがハジ君である。もちろん本人も、代表レベルにはまだまだ遠いことを自覚していただろう。それでも彼は諦めることなく代表に挑戦し続け、選考から漏れても自主練習会などに参加して代表選手をサポートしながら、めきめきと力を伸ばしてきた。

 残念ながら、今のブラインドサッカー界には、こういう若手選手が少ない。そのため、放っておくと代表クラスとその下の選手たちの実力差が開く一方である。ハジ君のような存在は、多くの選手たちに勇気や希望を与えるという意味でも、とても貴重だ。まだ先輩たちに及ばない部分も多々あるので、出場機会もそう多くはないと思うけれど、GKを惑わす意外なタイミングで放たれるシュートは魅力的だし、何より声がデカイのがいい。この競技ではきわめて重要な能力のひとつである。あと、プレイとは関係ないが、独特のユーモアセンスも私は大好きだ。彼を含めた代表チームと一緒に旅をするのが、楽しみでしょうがない。ハジ君を選んでくれた風祭監督と強化部のスタッフに、私からも感謝したい気持ちである。

(12:10)







 5月12日 水曜日  (平成22年/2010年)
 連休・銃・病原菌・鉄・兵士・JGB
 BGM : Let It Rock / Jerry Garcia Band

 ヒマになると(仕事場に来ないので)日誌の更新が滞るのは毎度のこと。30日に小一時間で片付く短い原稿を書いて以来、本日は久々の原稿書き。SAPIOの締切である。なんだか、文章の書き方を思い出せない。自転車の乗り方ほどには身に付いていないのかもしれない。

 連休は、楽団の練習および自宅での個人練習、ブラインドサッカー代表合宿の取材、家族と買い物、セガレの部活見物、読書など。『銃・病原菌・鉄』を読んだが、くどい。同じことが何度も書いてある。構成に問題があるのかもしれない。面白いことは面白いけれど、整理して書けば上下巻にはならないのではないか。文章の書き方を思い出せれば、新書用のリライトさえ可能なような気がする。

 あと、古い本だが、長年つんどくになっていた杉山隆男『兵士に聞け』をいまごろ読む。新潮社刊だが、もともとは週刊ポスト(小学館)の連載である。あとがきによれば、連載時は飯田昌宏さんも担当編集者の一人だったらしい。飯田さんはこのたび、SAPIO編集長からポスト編集長に異動になった。私のコラムは飯田さんの肝いりで始まったものなので、後ろ盾を失ったような心細さがあるが、きっとポストは面白くなるに違いない。がんばってください。

 聴いているのは、ジェリー・ガルシア・バンドのライブ盤。1975年の録音だが、リマスターされた音質のすばらしさは、さすがライノ。ピアノのニッキー・ホプキンスが抜群に格好いい。彼の参加したライブ音源がどれだけ存在するのか知らないが、JGBの、というより「ニッキー・ホプキンスのライブ盤」としてかなり値打ちがあるんじゃなかろうか。

(11:10)