[特集ワイド1]9人のアフガン人…「難民」とは? Aさんは訴える
◇9人のアフガニスタン人が巻き起こした
「難民」とはどんな人のことなのだろう。9人のアフガニスタン人がいま、日本で議論を巻き起こしている。難民認定申請中に不法入国・残留容疑で東京入国管理局に収容され、法務省は「就労目的の不法入国者で、迫害の供述に信ぴょう性がない」と、難民とは認めない決定を出した。彼らは「難民」なのか、そうではないのか。そのうちの1人、Aさんの訴えを聞いた。【磯崎由美】
◇少数民族として迫害
私は少数民族、ハザラ人の多い町ダレートルクマン(カブール北部)に生まれました。92年にナジブラ政権が崩壊して内戦が激化し、マザリシャリフに逃げました。兵士からの寄付の強要を断った父は1週間拘束され、金を出して釈放されました。
96年にカブールを制圧したタリバン(スンニ派)は、シーア派のハザラ人の虐殺を強め、特に若い男を殺しました。父は「お前が殺されるのを見たくない」と言い、私は父の友人を頼り、アラブ首長国連邦(UAE)の会社に勤めました。ここでは日本に滞在して自動車の部品を購入し、UAEに戻ってそれを売る仕事をしました。しかし、経営不振で今春、解雇されました。
今年3月、やむなく家族の住むカブールに戻りましたが、多くのハザラ人がハザラ人というだけで逮捕されたり、殺されたりしていました。海外に逃げなければと思い、旅券の更新に役所に行くと、警察署で住民票を取るよう言われました。しかし、警察で4人のタリバンに「ハザラ人はイスラム教徒ではない」と言われ、素手や銃などで殴られました。血のついた毛布があるコンテナの中に放り込まれ、革ベルトなどで毎日殴られました。タリバンは「ハザラ人を殺すのは善行だ」と言っていました。父が8000ドルを払い、20日後に解放されましたが、あと10日いたら死んでいたかもしれません。
◇人々が優しかった日本へ
私は家族にも会えぬまま、痛む体でペシャワルに逃れました。パキスタンでもハザラ人は警官から暴行を受けて金を取られており、私も5、6回金を取られました。平和で人々が優しかった日本に逃げようと思い、知人の紹介でブローカーに金を払い、韓国まで飛行機で行き、船で日本に着きました。
かつてはマスード派(北部同盟)もハザラ人を虐殺しました。タリバン政権が崩壊しても、長年の戦争でできた憎しみは容易に消えません。せめてアフガニスタンが安全になるまでの間、ここで在留資格を下さい。今あの国に帰れないことは、みんなテレビを見ていれば、分かることではないでしょうか。
◇法務省と対立
法務省入国管理局は「タリバンが反タリバンを攻撃対象としている事実は確認できるが、一般のシーア派イスラム教徒やハザラ人を迫害の対象としていることは認められない」と主張。Aさんの不認定理由について(1)タリバンがカブールを制圧した後も数回帰国しているが、迫害を受けていない(2)家族はアフガニスタンに住んでいる(3)金を払って拘束を解いてもらっており、難民条約の「人種や宗教を理由にした迫害」にはあたらない(4)今回の入国後も日本で商売している――と発表した。
これに対し、Aさんは(1)タリバンのカブール制圧後、今春までアフガンに帰国したことは一度もなく、そんな供述をした覚えはない(2)父とは空爆前に一度電話で話したが、今はどこにいるかも不明(3)拘束されても保釈金が払えない人は殺されている(4)日本は難民申請者への生活支援がなく、仕事もせず生きていくことはできない――と反論し、真っ向から対立している。
◇口座所持で疑い
9人はいずれもアフガン少数民族で、今年3〜8月に不法入国(1人は超過滞在)し、難民認定を申請した。10月3日に東京入管が収容したが、Aさんを含む5人は東京地裁から収容の執行停止が認められ、拘束を解かれた。
法務省は「9人中4人が日本の銀行口座を持ち、累計100万〜1億円の入金がある」と説明した。1億円入金について弁護団は「本人が以前勤めていた会社が、日本での物資の買い付け代金として送金していたことが確認された。本人の資産でも疑惑を持たれるような金でもない」と主張。法務省の木島正芳難民認定室長は「金額の不法性をにおわせたのではなく、命からがら逃げてきたという割には高額と言っただけ。正当な金であったとしても、マイナス材料にこそなれ、難民性を高める理由にはならない」と話している。
◇認定作業に障壁
国際難民法の講義を行っている新垣修・志学館大助教授に話を聞いた。新垣さんは国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)豪州・ニュージーランド・オセアニア地域事務所の元法務官補で、難民認定の実務経験があり、今回弁護団の依頼でAさんを2日がかりで調査し、「難民である」と結論づけた。
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条約が定める難民とは「人種、宗教、国籍などで迫害の恐れがある人」で、「就労目的だから難民でない」という結論にはならない。人間にはさまざまな欲求があり、迫害への恐怖とより良い生活を求める思いが同居していることは少なくない。経済的に豊かな人ほど迫害を受ける場合もある。
認定作業には▽難民が迫害を示す物的証拠をそろえることができない▽迫害のトラウマで記憶を言語化できないことがある▽言語や習慣の違い――など、難民特有の障壁も多い。供述の矛盾や変遷は珍しくない。認定者が行うことは、その場ですべて本人に示し、反論の機会を与え、矛盾や変遷の原因を突きとめることだ。難民はうそをつかざるを得ない環境に置かれることもある。重要なのは、供述が変わる理由をきちんと説明できるかどうかだ。
今回、欧米諸国が採用している準司法的手続きでAさんに面接した。入管で仕事をしている通訳にも依頼したが、何度も主語を間違えたり、Aさんが言っていないことを勝手に想像して発言したりすることもあり、その場で指摘した。供述には一見、矛盾を感じる点もあったが、本人に指摘した結果、すべて合理性があり、供述の中核部分は真実と判断した。
近年、タリバン及びパシュトゥン人のハザラ人への迫害が顕著になっていることは客観的な事実。例えば10人に1人ずつ撃たれたとして、残る9人に迫害の恐怖がないかというと、そうではない。「迫害の恐れ」は「ごくわずかな見込みしかない」という場合以外は認められるという解釈が、英米やカナダ、豪州では受け入れられている。また、迫害状況などの客観的な事実を重視するのが国際的な流れだが、入管は今回、そうした情報をどの程度活用したのか不明だ。
難民問題とは国境を超えたその国の人権感覚が試される、最先端の人権問題。誤った判断で送還すれば生命や自由を侵されるので、カナダやオセアニア諸国のように「疑わしきは申立人の利益に」という姿勢が必要だ。
◆拘束を解かれた残る4人の不認定理由と主張
◇Bさん
・入管 妹の殺害された時期が5月から2月に変遷。98年に拘束された後にも来日したが、その時は難民申請していない
・本人 妹の殺害時期は言い間違え、その場で通訳に訂正を求めた。98年の時はまだアフガンが平和になるかもと思った
◇Cさん
・入管 「ハザラ人というだけで迫害は受けない」「経済的に豊かなのでパキスタンから日本に来た」と就労目的と認めている
・本人 通訳の誤解。パキスタンでもハザラ人は迫害を受けていることは話したはず
◇Dさん
・入管 カラチから横浜に船で来たというが、該当する船がない。親族でタリバンに捕まったのは父だけで本人は迫害されてない
・本人 船はタイで乗り換えたが詳細を聞かれなかったので言い忘れた。迫害されないというなら入管に一緒に帰国してほしい
◇Eさん
・入管 医師というが証拠なし。正規入国なのに不法入国とうそをついており、迫害の供述も「命を狙われている」だけで抽象的
・本人 不法入国の方が難民認定されやすいと当初うそをついたことは謝った。タリバンの拷問を受けたことは話したはず |