2003年1月2日設置
最終更新日:2005年4月5日

雑記帳は随時更新

 


人間は選択、闘争、不断の転化である。果てしない移民である。
自身の内部における移民であり、腐土と神との間を遷移する。
人間とは、自身の魂の中の移民である。

アリー・シャリーアティー(イランのイスラーム思想家。1933-77)



 

果てしない移民たちのためのホームページ


Room 1

「国家による憎悪犯罪:
日本のアフガン少数民族難民申請者問題 2000年〜2002年」 >>

Attention:2003年以降の日本の難民問題に関する情報は
「難民受け入れのあり方を考えるネットワーク」ホームページをご覧下さい

Room 2

イラン人ゲイ難民・シェイダさんの難民認定を求めるページ

「シェイダさん在留権裁判:イラン人権問題スペシャリストと考える6日間」>>
「シェイダさん在留権裁判:第1審結審・判決キャンペーンに向けて」>>

東京地裁 第1審判決特集
 不当判決:シェイダさんの在留権認められず

東京高裁 第2審判決特集 再び不当判決 焦点は第3国出国へ

2005年3月30日、シェイダさん第3国に出国
〜喪失感とともにある勝利:闘いは続く〜

(参考:カナダの再定住制度詳細)

シェイダさんを救え!ニュースアップデイト バックナンバーを読む>>
NEW: 第1号〜最新号までを収録しました!!

Room 3
From the Administrator
 ★ 
administrator's essays

 

アーカイヴ
第1審判決

シェイダさん在留権裁判 第1審判決全文>>

(資料)第1審判決のスケジュール案内
2004年2月25日(水)午後1時15分〜
東京地方裁判所606号法廷にて!!>>

NEWS!!2月13日、法務省に共同声明を提出し、
シェイダさんの難民認定を求める申し入れをしてきました!!

700人近くの方が共同声明に賛同してくれました!!
本当にありがとうございました!!(2004年2月15日)>>

NEW(必ず読んでください!)
いつ、どこにいても、愛する人に花を贈ることができる未来を
 〜シェイダさん最終意見陳述全文〜>>

 

ここには、今のところ、移民・難民問題に関係する
ウェブサイトが収められています。

一つは、ターリバーン政権下のアフガニスタンから逃れてきた
少数民族ハザラ人の難民たちが、2001年9月11日のテロリズムののち、
難民申請をしていたにもかかわらず強制収容と退去強制にさらされているという話。
この事件は、戦後日本が培ってきたレイシズムが、
グローバリゼーションの中で炸裂した、難民たちに対する国家テロといえます。
この事件に関するホームページに、
私は「国家による憎悪犯罪」というタイトルをつけました。

もう一つは、イランから逃れてきた同性愛者難民、シェイダさんのお話。
シェイダさんは2000年4月に入管法違反で逮捕され、難民申請をした上、
すでに3年半以上にわたって在留権を求める闘いを行ってきました。
しかし2004年2月25日、東京地方裁判所は、シェイダさんに対して
恥ずべき不当判決を宣告しました。
高等裁判所も、2005年1月20日、地裁判断を追認する判決を出しました。
シェイダさんは、同年3月30日、この国に見切りをつけ、
ある欧米先進国への第3国出国を実現しました。
「難民鎖国」。
日本はいつまでこの不名誉な政策を続けるのか。
この国で、難民は、そして難民条約は
司法を含む、あらゆる権力によって裏切られ続けているのです。

難民たちは戦火や迫害を逃れ安住の地を求めて日本まで旅をしてきました。
この国を「難民鎖国」から解き放とうと試みる私たちも、
確固たる足場を持たずに模索し続ける、「歴史の中の移民」という点で同じです。

このホームページは、すべての「魂の移民」たちのための場所です。

(ホームページ管理人 稲場 雅紀)

 


そして突然、彼が目の前に見いだしたのは、彼女ではなかった…… 共和国の、
あらゆる場所で彼が見いだした数限りない人々の顔という顔だった。
食う、さもなくば食われる。他人を餌にして太る、さもなくば他人が肥える餌になる。
なぜ?いったいなぜ?彼の中にある何ものかが弾けた…… 心の内奥で、
彼は、彼女の立場、そして彼女が語った酷薄な論理を受け入れられなかった。
あれか?、これか?あれか、これか。喰う者と喰われる者で作られるこの獣の世界では、
お前は喰う者となるか、さもなければ犠牲者にとどまるか、どちらかだ。
しかし、喰う側になるための犬歯と鉤爪を得ることができるのは、ほんのわずかな者たちだけだ。
ならば、彼女が発した残酷な真実へのオルタナティブは、どこにあるのか?
 「違う」彼は言葉をつぶやく自分の姿を見いだした。「別の道がある。他の道があるべきだ」
それは、そのときだった……今まで彼が訪れた全ての場所の光景をその視覚の中に見いだした、その瞬間だった……
探し求めていた力を、かれは今はっきりと見いだした:事物を変革し、新しい秩序の基礎を作り上げるための力を。
 「この世界に?」彼女は、半分軽蔑したように、聞いた。
 「私たちはこの世界で生きていかなければならないのか?これが、唯一の世界なのか?
だとしたら、私たちはもう一つの世界を、新しい大地を、作らなければ。」
彼は一気に言った……キリンディニから、中央、そして西部地方で彼が場を共にし、共に働いた、
数限りない人間の顔、顔、顔を思い浮かべながら。

グギ・ワ・ジオンゴ「血の花弁」 1977年