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  東京アフガン人難民申請者収容メディア報道
  2001年10月3日〜10月18日

  
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<更新情報> 
 
 2001.10.20  
  ○10月15日 「今こそアフガニスタン難民に難民認定を!」東京行動の報道を収録! 
  ○10月17日 大阪でまたハザラ人難民申請者に強制退去命令、強制収容所に収容!  

10月3日 16:18(時事通信社)
 

アフガン人ら13人収容=イスラム過激派とは無関係−東京入管 

  東京入国管理局は3日、東京都内などに不法滞在し、自動車解体業などの仕事をしていたとして、入管難民法違反(不法入国、不法滞在)の疑いでアフガニスタン人11人とパキスタン人2人を強制収容した。イスラム過激派グループとは無関係という。 

 

10月4日02:55(毎日新聞社)
 

<入管法違反>拘束者は12人 うちアフガン人は9人 

 首都圏のアフガニスタン人らが拘束された事件で、東京入国管理局は3日、アフガニスタン人9人、パキスタン人3人の計12人を出入国管理法違反容疑で強制収容したことを明らかにした。昨年2月から今年8月、写真を張り替えるなどした偽造旅券で成田空港から不法入国したり横浜港や大阪港から船で密航するなどした疑い。[10月4日2時55分更新]

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10月3日20:53(朝日新聞社)
 

千葉県警は3日、旅券を持たずに入国しようとしたとして自称アフガニスタン人の クァーバン・アリ容疑者(31)を出入国管理及び難民認定法違反(不法入国)の疑 いで逮捕したと発表した。一方、東京入国管理局は同日、偽造パスポートや密航に よって日本に入国したとして、千葉県内や東京都内に住んでいた自称アフガニスタン 人8人と自称パキスタン人4人を収容した。 
 調べでは、アリ容疑者は9月14日夕、パキスタンからマレーシア経由で成田空港 に到着。旅券を持たずに入国しようとした疑い。「自分はイスラム教シーア派で、タ リバーンが嫌いで逃げ出した。日本で難民申請をしようと思い、旅券を旅客機のトイ レに捨てた」と話しているという。 
 東京入管に収容されたのは全員が男性で、昨年12月以降に来日した。千葉県内4カ所に9人、都内に3人が住み、建設現場や自動車工場などで働いていた。 
 同入管は臨検、捜索などして押収物を調べているが、警視庁はタリバーン政権やテ ロ組織とのつながりはないとみている。(20:53) 
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10月4日 (日本経済新聞)※共同通信配信記事
 
不法入国のアフガン人ら11人摘発・東京入管  

 東京入国管理局は3日、入管難民法違反(不法入国、不法残留)の疑いで、東京都 と千葉県でアフガニスタン人やパキスタン人と名乗る男性計11人(自称18-41歳)を 摘発、収容した。 
 東京入管は米中枢同時テロやイスラム過激派などとの関連はないとしており、強制 退去の手続きを進める。一緒に同行を求めた外国人男性2人は、在留資格の変更申請 中だったため収容を見送った。 
 自動車解体工場で外国人が不法就労しているという情報があり、東京入管は千葉県 警と合同で同日朝、千葉県内の解体業者の作業員宿舎や東京都内の民間アパートな ど、計7カ所を捜索。男性らを発見し任意同行を求めた。 
 11人のうち8人はアフガニスタン人と名乗り、昨年2月ごろから今年9月にかけて偽造旅券で成田空港から入国したり、貨物船に隠れて入国したりしたと話しているという。残る3人はパキスタン人と名乗っており、数年前に正規旅券で入国し不法残留するなどしていたとみられる。〔共同〕 

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10月6日 毎日新聞 大阪朝刊
 
アフガニスタン人らの強制収容は「難民を不当拘束」 
 大阪のカトリック団体が非難  

 日本に難民認定申請しているアフガニスタン人らが東京入国管理局に入管法違反容 疑で強制収容されたことに対し、近畿地方に 住むアフガン難民を支援するカトリック大阪大司教区国際協力委員会は5日、入管の 措置を「不当拘束」として非難する声明を出した。 
 強制収容された1人の代理人を務める弁護士によると、アフガンでタリバンが迫害 している少数民族、ハザラ人が8人おり、全員が難民認定申請している。入管当局は 「偽造旅券まで行使しているおり、違反の程度は重大」としているが、支援者らは「 国を実効支配するタリバンから逃れるのに、どうやって正規のルートに乗ることがで きるのか」と反論している。 
 日本政府は5日、アフガンからの難民救援などどを想定してテロ対策支援法案を国 会に提出したが、声明は「日本政府は『難民支援』の美句を口にしながら、戦争から 逃れて庇護(ひご)を求める人々に門戸を閉ざす政策をかたくなに守ろうとしている 」と指摘。「今回の措置はすべて適法かもしれないが、そのすべてが人道に反してい る」として、「少なくとも難民であることを主張している人たちを即時放免し、速や かに必要な庇護を提供することを求める」としている。同委員会はこの問題について 15日に東京で市民集会を開く。 【山成孝治】 

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10月6日 毎日新聞 東京朝刊
 

難民申請のアフガン人収容で、東京入管に抗議声明−カトリック大阪  

 日本に難民認定申請しているアフガニスタン人らが東京入国管理局に入管法違反容疑で強制収容されたことに対し、近畿地方に 住むアフガン難民を支援するカトリック大阪大司教区国際協力委員会は5日、入管の 措置を「不当拘束」として非難する声明を出した。強制収容された1人の代理人を務 める弁護士によると、アフガンでタリバンが迫害している少数民族、ハザラ人が8人 おり、全員が難民認定申請している。入管当局は「偽造旅券まで行使しており、違反 の程度は重大」としているが、支援者らは「どうやって正規のルートに乗ることがで きるのか」と反論している。 

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10月9日 共同通信
 

収容の9人は難民申請中  弁護士が仮放免請求  

 偽造旅券で入国したなどとして三日、東京入国管理局に入管難民法違反の疑いで収 容されたアフガニスタン人九人が、いずれもタリバン政権に迫害されている少数民族 の出身で、法務省に難民認定を申請中だったことが九日、面会した弁護士らの調査で 分かった。 
 弁護士側は「難民申請者を拘束するのは異例で、難民条約に反する疑いが強い」と して同日、全員の仮放免を請求。 
 法務省側は「他人名義の旅券を使うなどし入国した悪質なケースは取り締まるのが 当然」とした上で「一般論として、難民認定と入管難民法違反の捜査は並行して行わ れ、結論が出る前に強制送還することはない」と説明している。 
 面会した大貫憲介弁護士らによると、九人は十―四十代の男性ばかりで、少数民族 のハザラ人八人、タジク人が一人。内戦を逃れ、今年六月以降に船や飛行機で入国し 東京や千葉、埼玉に住んでいたという。 
 九人は、家族をタリバンに殺されたり、捕らえられたりしたとして難民申請していた。 
 大貫弁護士ら二十五人は十日、九人の難民認定を求める弁護団を結成する。大貫弁 護士は「小泉首相はアフガン難民支援を表明しているのに、国内のアフガン人を迫害 するのは矛盾している」と話している。 

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10月10日 朝日新聞 東京朝刊
 

在日アフガン人の収容・送還やめて 難民認定求め弁護団を結成  

 東京、横浜の弁護士ら二十数人が「アフガニスタン難民弁護団」を結成した。10 日夜に最初の弁護団会議を東京都内で開く。難民申請中のアフガニスタン人男性9人 が3日、千葉県内などで出入国管理及び難民認定法違反(不法入国など)の疑いで東 京入国管理局に収容されたことを受けた。「タリバーン政権に迫害されたとして、全 員が難民認定を求めている。収容や退去強制は不当だ」として仮放免を求めている。 
 9人は全員がタリバーンと対立する、ハザラ人などの少数民族。 
 アフガニスタン人は「内戦状態が続く祖国を逃れてきた」として難民申請しても、 なかなか認められないのが現状という。弁護団は、米英による今回の軍事行動で、強 制送還されると生命に危険が及ぶ恐れが高まったと主張。在日アフガン人を難民とし て受け入れる必要があるうえ、難民条約上も不法入国や不法滞在について追及できな いはずだと訴えている。 
 仮に難民と認めなくても、送還は人道に反するので、特別に在留を認めるべきだと している。 
 弁護団によると、9人は今年になってから日本に入国し、8月ごろにそれぞれ初め ての難民申請をした=表。大半が偽造パスポートか密航で入国したとみられる。 
 9人のうち少なくとも5人が、難民申請後に入管当局から「タリバーン政権につい てどう思うか」「オサマ・ビンラディン氏について知っていることはないか」などと 事情聴取を受けた。 
 弁護団は、当局は申請中であることを知りながら身柄を拘束したと批判。「ここ数 年は申請中に収容されることはなかった。把握した情報を摘発目的に流用した可能性 もある」と言っている。 

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2001年10月11日 朝日新聞 大阪朝刊
 

「願い平和だけ」難民認定待つ 関西在住のアフガン人 【大阪】 

 「カブールに残してきた家族が心配だが、祈ることしかできない」。タリバーンの迫害から逃れ、関西で暮らすアフガニスタン人6人が10日夜、支援団体の「カトリック大阪大司教区国際協力委員会」(大阪市中央区)の事務所に集まった。15日に予定している法務省への難民認定の要請についての打ち合わせが目的だったが、米軍の空爆を受けている母国で暮らす家族や知人の安否を気遣う声が次々と聞かれた。 

 今回集まったのは大阪市のホダダッドさん(41)、ユノス・タヒリさん(29)ら6人。いずれもイスラム原理主義勢力タリバーンに迫害された少数民族のハザラ族やケゼルバシュ族の人たちだ。身を守るため家族と離れ、いずれも98〜99年に日本へ渡ってきた。 

 タヒリさんは96年にタリバーンに4カ月監禁、拷問された。イランに脱出し、その後、99年3月に日本に来た。空爆が始まって以降はカブールに残した妻や7歳の長男と連絡が取れず、心配で毎晩眠れないという。「25年以上も戦争状態が続いているのに、また新たな戦争だ。平和だけを望んでいるのに」と声を落とした。 

ナシル・アフマドさん(20)はタリバーンの虐殺事件から逃れるとき、家族と生き別れた。「会いたいが、どこにいるかも分からない。母国が平和になってほしいのに何もできない」と話した。

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2001年10月12日 毎日新聞
 

難民認定申請のアフガン人男性、アハマドさんに「在留特別許可」−法務省 奈良 

 アフガニスタンの元反タリバン勢力ゲリラで、日本政府に難民認定を申請していた県内在住のアフガン人男性、アブドル・アハマドさん(27)に、法務省が今月5日、「在留特別許可」を出していたことが分かった。アハマドさんは毎年期間延長の手続きをすれば、日本に住むことができる。 
 シーア派のハザラ人のアハマドさんは91年ごろから、スンニ派のパシュトゥン人主体のタリバンに対抗する勢力に参加。96年にパキスタンに脱出し、98年に日本へ。 
 同年8月、アフガン北部の反タリバン勢力の都市が制圧され、「帰国すれば迫害される恐れがある」として大阪入管に難民申請したが、99年6月に不認定となり、異議を申し立てていた。 
 一方、アハマドさんのいとこで、同時に難民申請したアブドル・バセルさん(26)=県内在住=は難民不認定処分の取り消しなどを求めて訴訟中。 
 支援している「外国人労働者・奈良保証人バンク」の山本直子事務局長は、アハマドさんの「在留特別許可」について「難民として認められるべきだが、早く安定した在留をという願いから許可を受け入れた」としたうえで、「現在、アフガニスタンは戦争状態。バセルさんには帰るところがない。一刻も早く難民と認めてほしい」と訴えている。 【服部正法】

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2001年10月13日 中日新聞(夕刊)
 

外に支援 内では強制送還? 難民申請アフガン人拘束 市民団体 『異例、国際原則反する』 

 二十年にも及ぶ内戦を逃れ、祖国を離れてきたアフガニスタン人が、日本でも難民認定という厚い壁に阻まれている。三日には、難民認定を申請中だった九人が、偽造旅券で入国したなどとして東京入国管理局に身柄を拘束され、入管難民法違反の疑いで取り調べを受けている。難民申請中の身柄拘束は極めて異例。支援団体は「国際的原則に反する」と反発を強めている。 
 身柄拘束された九人は全員男性で、今年六月から八月にかけて来日し、千葉県などで暮らしていた。民族としてはハザラ人が大半。アフガン国内で、タリバンから迫害を受けた人も含まれている。いずれも日本で難民認定を申請しており、結果待ちの状態。 
 民間非営利団体(NPO)「難民支援協会」(東京・新宿区)によると、難民申請中に身柄を拘束されたのは一九九七年以降は記録がなく、極めて異例。昨年の難民認定者数も二十二人と年々増加傾向だっただけに、同協会事務局長の筒井志保さんは「大変残念で驚いた」と肩を落とす。 
 筒井さんは「申請中の身柄拘束は、日本も加入する難民条約違反。特定の国籍を狙った取り締まりも適正さを欠く。なぜこの時期に拘束したのか。テロ事件の情報収集が目的と疑われても仕方がない」と批判する。 
 身柄拘束されたアフガン人に対する支援の輪も広がり始めた。東京、横浜の弁護士約二十人が「アフガニスタン難民弁護団」を結成。九人の仮放免を申請するとともに、十日に初会合を開き、法的対応などを協議した。 
 弁護団の一人は「難民支援を言いながら、一方で国内で助けを求めるアフガン人を強制送還しようとするのは一貫性がない」と話している。

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2001年10月16日 中日新聞
 

アフガン人4人が難民認定求め訴え タリバン逃れ来日 『帰れば殺される』 

 「祖国に帰れば殺される。もう銃声は聞きたくない」。タリバン政権の迫害から逃れてきたとして、日本で難民認定を申請したのに認められなかったアフガニスタン人四人が十五日、難民として認めるよう法務省に申し入れた。 
 四人は、一九九八(平成十)年から九九年に来日し、大阪市や千葉県などに住んでいる二十九−五十歳の男性。全員がハザラ人などの少数民族出身で、来日後に難民申請したが認められなかった。二人は異議申し立て中で、ほかの二人は不認定処分の取り消しを求める訴訟を大阪地裁に起こしている。 
 申し入れは、四人の早期の難民認定のほか、難民申請中にもかかわらず、今月三日に入管難民法違反容疑で東京入国管理局に一斉収容されたアフガニスタン人九人の放免なども求めた。 
 四人は申し入れ後、支援者らと東京・霞が関の司法記者クラブで記者会見。大阪市に住むホダダットさん(41)は「兄二人がタリバンに捕まった。わたしも帰れば必ず殺される。わたしたちと家族を助けてください」と涙を浮かべて訴えた。 
 別の男性(50)は「ハザラ人は二十五年前からタリバンと戦ってきた。祖国ではわたしの逮捕状が出ていて帰れない」と語った。 
 東京入管に収容された九人は収容処分の取り消しを求める訴訟を十九日にも起こす予定という。

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2001年10月16日 毎日新聞(大阪)
 

アフガニスタン人4人が難民認定の申し入れ 「妻子を日本に呼びたい」 

 タリバン政権下に迫害され、日本に逃げてきたアフガニスタン難民4人と支援者が15日、法務省入国管理局を訪ね、早期に難民認定するよう申し入れした。その後開かれた集会には在日アフガン人や支援者約100人が集まり、「テロ事件以前は国際的にほとんど関心を持たれなかった。今こそ国内の『忘れられた難民』に手を差し伸べてほしい」とアピールした。 
 「私の願いは家族に会いたい。それだけです」。2年半も難民認定を待つ大阪市生野区、塗装工、ユノス・タヒリさん(29)は記者会見で、たどたどしい日本語で訴えた。 
 少数民族のケゼルバシュ族。反タリバンの政党員だった。96年、タリバンに3カ月監禁され、すきを見て脱出し、99年3月、貨物船で山口県下関市に上陸。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に相談し、翌月、難民申請したが不認定となり、異議を申し出ている。 
 カブールの妻と7歳の長男とは連絡が取れないが、在留資格がなく捜しに行けない。数年前、イラン在住の兄の電話で、自宅がタリバンの攻撃を受け、長男の右腕が動かなくなったと聞いた。連日の空爆に不安を募らせる。「難民認定されれば、兄のいるイランに渡り妻子の所在を探り、日本に呼び寄せたい」 
 法務省の認定した昨年の難民は申請216人に対し22人で、アフガン人は32人の申請中3人。認定基準は明らかでなく、この日も入管は「答えられない」とタヒリさんらの不認定理由を説明しなかったという。支援するカトリック大阪大司教区国際協力委員会の村田稔代表は集会で「政府は難民支援を掲げるなら、国内の難民申請者の願いを一日も早くかなえてほしい」と力を込めた。 【村元展也】

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2001年10月16日 読売新聞
 

帰ればタリバンに殺される 難民申請の在日アフガン人、早期認定を政府へ要請 

 日本政府への難民申請が不認定とされ、異議申し立てや不認定取り消し訴訟を起こしている在日アフガニスタン人が十五日、法務省に対して早期の難民認定をするよう申し入れをし、七人が記者会見した。いずれも同国を実効支配するタリバン政権による迫害から逃れてきたハザラ族などで、「祖国に帰ると殺される」と訴えている。 

 千葉県在住のグラム・フセインさん(48)はタリバンの反対勢力に献金をしていたため、迫害され、殺されそうになった。兄と息子は虐殺されたという。一九九九年七月に来日し、十月に難民申請をしたが、認定されなかった。現在は、再申請をするとともに訴訟を起こしている。「タリバンはテロリストだ。私たちを助けて欲しい」と話した。 
 ユノス・タヒリさん(29)は、タリバンによる四か月の監禁から脱出してきた経緯などを説明。「数多くの命が失われることは、人の心に傷を残す」と訴えた。

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2001年10月17日 毎日新聞(大阪)
 

オピニオン「言」 提案あり! テロ事件と日本の役割 宇田有三さん 

◇宇田有三・フォトジャーナリスト 

 米国の同時多発テロ事件で、米英は軍事報復に踏み切り、日本政府は自衛隊派遣を決めた。しかし、テロの背景にある貧困や人権抑圧を放置したままでは何も解決しない。今、日本に求められることは、アフガニスタン難民の早期認定と国内受け入れだ。抑圧された人々の痛みを考えなければならない。 

 私は80年代半ばから90年代前半の延べ3年間、米国東部で黒人やラテンアメリカ中心の社会で生活を続けた。91年の湾岸戦争勃発(ぼっぱつ)時、政権とメディアが繰り返す「大義」の前に、約1週間で「反戦」の声がかき消されたのを目の当たりにした。直接、テロの被害にあった今回は“悪者”ビンラディン氏を捕まえろと、国全体がヒステリックになっている。米国内の黒人や先住民は今、何を思うのか。彼らが報復反対の声をあげていたとしても、主流メディアが彼らの声を取り上げることはほとんどないだろう。 
 93年からは毎年、民族の自治を求めて軍事政権に対し抵抗闘争を続けるビルマ(ミャンマー)の「少数民族」カレンの前線や、東西冷戦の代理戦争の場と化したエルサルバドルのゴミ捨て場などで長期取材。傷つき、貧困にあえぐ子どもや女性たちをファインダー越しに追った。 
 見えてきたのは、日本を含めた欧米大国の「強者」の論理だ。富と豊かさを享受する自分たちの生活が、どのように成り立っているのか。その裏で、どれだけ多くの人々が抑圧されているかを考えようとしない。旧ソ連の軍事侵攻と内戦で200万、300万人の人々が難民となっても、国際社会はほとんどアフガンに関心を向けてこなかった。 
 無差別テロは決して許されない。しかし、マザー・テレサが「愛の反対は無関心」と言ったように、アフガンやパレスチナ問題の渦中にある人々への想像力の欠如が招いた結果。貧困や抑圧に耐え切れなくなった弱者が牙をむき、自分たちの生活に火の粉が降りかかった強者が、軍事報復という形で応えたと考える。 
 日本が出来ることでいえば、自衛隊を派遣し難民支援をするというのは自己満足。まず、タリバン政権の迫害を恐れ日本に逃れたアフガニスタンの少数民族の人々を早期に難民認定し、10万人単位でアフガン難民を受け入れるべきだ。 
さらに、失業対策として若者を募り、アフガン近郊の難民支援や地雷除去活動に当たらせてはどうか。理想論ではなく厳しい現実に向き合わないと、抑圧された人々が直面している不正義を理解出来ない。 
 
 

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2001年10月17日 共同通信
 
爆撃下の本国へ退去命令  難民不認定のアフガン男性 

 アフガニスタンから来日した少数民族ハザラ人男性のアブドゥラさん(25)=大阪市=が難民不認定とされ、異議申し立ても却下、送還先をアフガニスタンとする退去命令により収容されたことが十七日分かった。 
 アブドゥラさんを支援するカトリック大阪大司教区国際協力委員会(大阪市)によると、ハザラ人はタリバンに抵抗する少数民族で、アブドゥラさんは一九九六年に来日し、タリバンの攻勢が激化した九八年に難民認定を申請したが不認定とされ、異議を申し立てていた。 
 同委員会は、今回の退去命令は迫害が予想される国や地域への送還を禁止する「ノンルフールマン原則」に反するとともに、即時送還が不可能としても長期収容となり、国家による人権侵害に当たると強く抗議している。 
 同委員会のメンバーは「米国の攻撃が激化し、迫害が予想される本国に送還するのは、死の危険にさらすことと同じで、強い憤りを感じる。日本はアフガン難民支援の必要性を認めているのに、矛盾だ」と話した。 
 アブドゥラさんは十七日、仮放免が取り消され、西日本入国管理センターに収容された。

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2001年10月18日 毎日新聞(大阪)
 

在日アフガン人を拘束 難民不認定異議を却下 西日本入国管理センターに収容 

 アフガニスタンの少数民族・ハザラ人で、難民認定申請を不認定にされていたアブドゥラさん(25)=大阪市=が17日、異議を却下され、直ちに西日本入国管理センター(大阪府茨木市)に収容された。退去強制令書が出ており、規則通り手続きが進められればアフガンへ強制送還される。支援団体は「帰国すれば極めて危険な状態に置かれるのは確実なのに」と批判している。 

 支援するカトリック大阪大司教区国際協力委員会によると、アブドゥラさんは17日、仮放免の更新手続きのため茨木市の大阪入管茨木分室に出頭、難民不認定の異議却下が伝えられた後、収容された。98年5月に難民申請、昨年2月に不認定となり異議を申し出たが、1年半以上結論が出ないまま、不法残留状態で放置されていた。大阪入管は「個別の事案については答えられない」としている。 【山成孝治】

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→マスコミ報道2(2001.10.19〜)に行く
 



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