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シュレディンガーの猫
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第四回

だれもいない海

― 2003年1月 ―

夕暮れの白里海岸(60KB)

 寒さの弛んだ、よく晴れた午後、白里海岸に行って来た。

 何のために行ったかというと、他意はない、青春18きっぷの元を取るためである。

 ここのところ、毎回、発売されるたびに、ジェイアール(旅客鉄道会社)の期間限定の五日間乗り放題(新幹線や特急・急行の指定席などを除く)の切符「青春18きっぷ」を購入している。しかし最近は元が取れたためしがない。昨年の夏など、「青春18きっぷ」を買っていろいろなところに行く予定を立てていたら、急に予定外の長期出張が入ってその予定がぜんぶぶっ飛んでしまった。ほとんど使わないまま、通用期間が終わってしまったように思う。

 「青春18」という名まえについて、ポスターなどではわざわざ「年齢制限はありません」と断っている。でも、やっぱり年齢を重ねるにつれて、この切符の活用はしにくくなるというのが私の実感である。職種にもよるのだろうが、私の感じていることとして言うと、やはり社会人になって経歴が長くなると、自分で自分の予定がなかなか自由に組めなくなるようだ。それに、せっかく予定どおり時間が空いても、「昨日もあんまり寝ていないし、明日も仕事だし」と思うと、行く気になれなくなって「不戦敗」するパターンもある。

 さて、今回、行き先に白里海岸を選んだのには、私の最寄りの駅から乗って往復して、青春18きっぷの一日分2,300円分を超えるには、白里海岸行きのバスの出ている大網あたりまで行かないといけないという事情があった。でもそれだけでもない。白里海岸には一昨年の夏の終わりごろに行ったことがある。その海岸に、季節としては正反対の冬に行ってみたらどんな感じだろうという好奇心があった。海辺に住んでいるひとには失礼だけれど、私には、冬の海、それも冬の海水浴場というのがどんなところなのか、いちど見てみたいという気もちがあったのだ。

 時間が空いたのが昼からだったので、東京駅から千葉に出て外房線に乗り、大網駅に着いたのはもう四時を回ってからだった。東京駅から千葉駅までは、東京から横浜までよりも、また、上野から大宮までよりも時間がかかる。千葉から大網までがまた少しかかる。それはそのはずで、房総半島のつけ根のところを横切っているのである。対岸の横浜あたりから見ているとあまり実感がわかないが、この房総半島というのはけっこう大きい。

 大網駅で電車を降りてまず驚いたのは駅のあたりが明るいことだった。一昨年の夏に来たときには、この駅と駅の周辺がとても暗く見えたものだった。しぜんと、街の雰囲気自体を、私は暗く沈んだ街、よく言えば落ち着いた雰囲気の街だと覚えていたのだ。

 この印象の違いの理由の一つは駅自体の雰囲気が変わったことだろう。前に来たときには、駅のガード下の商店街が、明かりも暗く、店のほとんどが開いていなくて、その印象が暗かった。そのガード下の暗い商店街は、いまは改装されてどの店も店を開いており、明るくてこぎれいな感じだった。お客さんもたくさん来ていて繁盛しているようだ。

 でも、もう一つの理由は、やっぱり季節と時間の違いだと思う。前に来たときには、夏の午前中で、しかも曇りぎみの天気だった。明るいのがあたりまえの季節だった。それだけに、かえって薄曇りの空の下に見た街が暗く見えたのである。

 こんどは冬の夕方だ。駅前の広場の周りは西日をいっぱいに受けていて、駅の出口のところから見ると、その方角の街がぜんぶ西日に照らされていた。もともと夏よりも光の弱い季節である。それで、街全体の印象を明るく感じたのだと思う。

 街は、季節によって、また、時間や日の当たりぐあいによって、ずいぶん印象を変えるものだと感じた。こういうことは、新しく引っ越し先の家を探すときなんかに気をつけないといけないことなんだろう、たぶん。

 白里海岸まで行くバスは一時間に2〜3本といったところだろうか。したがって、電車の時間が合わないとしばらく待たされることになるが、今日はすぐにバスが出た。前回にはかなり長くバスに乗っていたという印象があるのだが、20分程度で着いてしまった。

 着いたときにはちょうど日暮れの時間だった。私は、日暮れの時間に海岸に着けるように、海岸への道を早足ぎみで歩いた。両側には民宿が何軒かある。前に来たときには、民宿の庭で目を洗ったりシャワーを浴びたりしているお客さんがいて、壁にもサーフボードが立てかけてあった。いまはお客さんの姿もなく、サーフボードが並んでいたりもしない。

 家並みのあいだを抜けて、防波堤のように海岸との間を仕切る道路の盛り土の下をくぐると、海岸である。波のとどろく音が押し寄せてくる。さすがに外洋である。太平洋である。湾や内海(うちうみ)のように優しくはない。私の立っている場所から波打ち際までのあいだには、大部分は店を閉じている海の家や浜茶屋が並んでいて、距離があるのだけれども、波が崩れて寄せてくる音がその家並みを超えて寄せてくるのだ。それも絶え間なく。

 浜辺にはほとんど人がいなかった。犬の散歩をしている女の人がいて、犬が私に寄ってきたけれども、私が手を出すと跳びのいてそのまま行ってしまった。犬が小さい足で全力で走ると、乾いた砂地には、用心深く歩く人間よりも深くて大きい足跡が残るものだと初めて知った。日が暮れるまでの、夕日の光の残っているあいだに、私はデジタルカメラで写真を撮った。このページのトップの写真がそのときの写真だ。

 この海岸はどこまでもまっすぐだ。浜辺に立てば見通しを遮るものが何も見えない。遠くのビルが遠くかすかにシルエットになって見えたり、灯り始めたネオンサインがやはり遠くに見えたりするだけだ。こういう景観は私は東京以西の太平洋沿岸では見た覚えがない。「海は広い」ということばを超えている。この浜辺に立つと、この海はアメリカ大陸までつながっていると言われて、それが大げさでもなんでもなく、すんなり納得できる。

 そのうちに犬の散歩の人もいなくなってしまい、浜は私一人になってしまった。寂しくはなかった。一人でいることが気楽で、気安く感じた。やっぱり前に夏の終わりの昼ごろに来たときのほうが寂しかった。そのときには、浜の店も開いていたし、海水浴客もいたし、学校行事か何かで来ているらしい子どもたちもいた。でも浜の広さに較べるとやはり人が少ない気がした。なんとなく「夏が終わったんだな」という感慨があって、寂しく感じたものである。いまは、最初からそんなに人がいないだろうと思って来ているから、広い浜辺に私一人でも「まあそんなものだろう」という気分になる。海水浴場のある海がいちばん寂しく感じられるのは、夏が過ぎたすぐ後ではないだろうかと思う。

 さっきの街の印象も同じで、人間の「感じ」は、どういう情景を期待しているかで大きく変わるものだと思った。

 日暮れの光が弱まるにつれて、東の空に淡く白く見えていた月が急に輝きを増してきた。西の空がまだあかいのに、海には月の光が映り、それが波にたゆたい始める。ひとつ空に灯っているだけだと冷たく孤高に思索的にさえ見える月の光が、波に映えてゆらめくと、豊かで暖かくて物語りでも語っているような優しくていたずらなものに感じられてくる。

 その月の下をつぎつぎに飛行機の影が横切っていく。そうだった。去年の夏、行くはずではなかった海外出張が終わってようやく帰ってきたとき、成田に着く直前に窓から下を見ると、長くまっすぐつづく海岸線に白く波が打ち寄せているのが見えた。人がいるかどうかははっきりしないのに、波頭の崩れるのの白いのはなぜか印象に残った。そのとき、ああやっと帰ってきたんだなと思った。それがこの海岸だったのである。ここは成田に着く飛行機が高度を下げつつ通り過ぎる通り道に当たっているらしい。

 そのまま浜辺で待っていれば、空はすっかり暗くなり、月の影が太平洋の波に揺れるロマンチックな夜景が広がることになったのだろう。でも、帰りの時間が気になったので、私は浜辺を離れた。

 この町は夜になると街灯の照らしているところを除いてほんとうに暗くなる。それがたぶんあたりまえなのだ。晩ご飯に魚を焼いているらしい香りが、どこかの家の台所から流れてくる。こういう場面も、集合住宅の並ぶ東京の街中ではなかなか出会わなくなった。懐かしいと思わないわけではなかったが、べつに喪失感があるわけではない。そういう暮らしをしている人たちのなかに、東京の街中の生活に慣れた私が一人でいることが、べつだん寂しいと思いもしなかった。

 大網駅に帰るバスを待っていた私に、向かいの店から出てきた男の人が「こんばんは」と挨拶の声を掛けていったので、私もとまどいながらそれに返事をした。

 その人は、私の詰まり気味の返事をきいてくれただろうか。


―― おわり ――




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