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シュレディンガーの猫
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第六回

大邱(テグ)地下鉄事件について思うこと

― 2003年2月 ―

 韓国の大邱(テグ)(たいきゅう)の地下鉄放火による大惨事での死者は200人前後に達しそうだという。事件の大きさと恐ろしさを改めて痛感する。月並みな言いかたではあるが、犠牲者のご冥福と、被害者の一日も早いご快復をお祈りする。

 この地下鉄放火大火災について、私がメディアの報道であまり接しなかったように思うことをいくつか書いてみたい。もっとも、いつものことで、私が「報道されていない」と思っていても、単に私が見逃しているだけ可能性もある。しかも、この事件のあと、私はしばらく北京に行っていた。だから、日本での報道で私が接していないものはたくさんあると思う。そのことはまずお断りしておきたい。


空気のコントロールはだいじょうぶか?

 まず、この大火災が広がった原因としての「風」について、あまり言及がないように思う。

 火が燃えるには空気(酸素)が必要である。したがって、空気を大量に送りこむと火は盛んに燃える。逆に、火を燃やしたいときには、火が燃えているところに風を送ってやればいい。

 むかし、(かまど)でご飯を作っていたころには「火吹き竹」というのがあった。竈の(たきぎ)の火が弱いとき、竹で息を吹きこんでやるのである。うまくいけばそれで火勢は強まる。もちろん、薪が湿っていたり、薪の積みかたが悪かったりしたらだめだけれど。

 私は生まれたときからガスコンロがあったから、火吹き竹とは無縁の世代である。それでも、子どものころ、どこかの観光地の茶店でこの火吹き竹が実用されているのを一度だけ見たことがある。あと、ウナギや焼き鳥を焼くときにうちわで風を送るのも同じ原理である。竈はなくなり、七輪も使わなくなった現在の子どもたちは、「風を送ると火の勢いが強くなる」というようなことを肌身で知っているだろうかと老人は少し不安になったりもする。余計なお世話だったらいいが。

 で、地下鉄の車輌は狭いトンネルを走っている。地下鉄の車輌は、トンネルのなかを大きく(ふさ)ぎながら、時速数十キロ、一秒に10メートルの単位の速さ(時速36キロで一秒に10メートル、時速72キロで20メートル)で、空気を圧迫しながら走っているわけだ。

 地上を走っているのだったら、電車の車輌で圧された空気は電車の左右に逃げる。けれども地下鉄ではその逃げ場が少ない(もちろん地下鉄の地上区間は除く)。複線の地下鉄ならば反対側の線路の上に風は逃げるが、逃げ切れなかった空気はどんどんとトンネル内の前方の空気を圧迫していく。地下鉄の車輌は、電車の前へ前へと風を送りながら一秒に10メートル単位という速さで進んでいるわけである。

 地下鉄の駅に通じる通路で、電車が近づいてきたときや、逆に電車が出て行ったあとに、強い風が吹くことがある。ホームにいたらあまり感じないし、最近の東京の地下鉄では対策がなされているのかあんまり悩まされたおぼえがないが、以前は、電車が近づくと改札やホームに下りる通路ですさまじい風に遭遇するような地下鉄の駅が東京にもあった。

 電車が近づくときに駅に風が吹くのは、地下鉄の車輌が圧した空気が、駅のホームから地上に通じる通路を通って外に出て行くために起こる現象だ。発車したあとに風が吹くのは、電車が走っていった後ろの空気が足りなくなって空気の圧力が下がり、こんどはそこに地上の空気が流れこむためである。

 今回の大邱地下鉄事件では、車輌で火災が起こっている駅へ反対側の線路の電車が入ってきたという。この反対側の線路の電車は、わざわざトンネル内の空気を駅の火災現場に送りこむ働きをした。この反対側の線路の電車の運転士が車輌のドアを閉めて逃げたために、この電車で犠牲者が多く出た。それ以前に、この電車が火災現場の手前で停車していれば、空気が大量に送りこまれることもなく、最初の火災自体がそれほど拡大せずにすんだ可能性もあると私は思う。

 もちろん、人間も空気を呼吸しているわけだから、単純に空気を止めればいいというものでもない。空気を止めれば火災の拡大は止まるが、人間も生きられなくなってしまう。また、空気の流れを弱くすれば、もし火災で有毒ガスが発生していたばあい、その有毒ガスが火災現場に溜まることになってしまう。

 こうやって考えてみると、地下鉄で火災が発生したときには、空気の流れをどうコントロールするかということがけっこう重要だということに思いいたる。その火災現場へと電車を走らせつづけて空気を送りこめば火の勢いは盛んになる。しかし、空気の流れを抑えすぎれば、こんどは乗客・乗員・駅員などの生命を危険にさらすことになる。

 事件後、日本の各都市の地下鉄で「もし同じような事件が起きたら」という想定でいろんな点検が行われているようだ。これは日本だけでもないようで、中国の新聞にも同じような地下鉄点検の記事が載っていた。でも、このような点検のなかで、空気の流れについての検証は十分なんだろうか? それが、この事件のニュースに接しながら考えたことの一つである。



「不燃素材」だけでは安心できない

 もう一つは、「地下鉄の車輌が不燃素材だからだいじょうぶ」という発想への疑問である。

 今回の大邱地下鉄事件では、どうやら、地下鉄の車輌自体に燃える材料が多く使われていたことが被害を大きくしたらしい。では、逆に考えて、車輌自体に燃える素材が使われていなければ、火は燃え広がらなかったのだろうか?

 たしかに被害の拡大はある程度まで防げただろう。けれども絶対に安全だとは言えない。

 一つの問題点として、今回の事件は、ガソリンか何かの「よく燃える液体」をぶちまけて火をつけたということがある。こんなことをされれば、車輌が燃えない素材でできていても、少なくともガソリンがまき散らされた部分は燃えることになる。このことはテレビのニュースや新聞記事でも取り上げていた。

 私には、もう一つ問題があるように思える。

 地下鉄には客が乗っているのだ。その客が、全員、不燃性の衣服を着ているということはあんまり考えられないと思う。だから乗客が着ている服に火がつくことは十分にありうる。しかも、乗客は紙製品を大量に持っているかも知れない。混乱のなかで書類がばらけて紙が散らばり、それに火がついたりしたら、地下鉄の車輌が燃えない素材でできていても、やっぱり火は燃え広がる危険がある。

 車輌や駅の設備が金属でできているからだいじょうぶだという言いかたにも私は疑問を感じる。金属でも塗料が燃えることはあるが、この点はだいじょうぶなんだろうと思う。だが、もし火が燃え広がってしまったばあいには、金属はすぐに熱くなるという欠点を持つ。人間が素手で触れられなくなってしまうかも知れないのだ。素手で触れられなければ、たとえば閉まっている扉を開けることも難しくなる。

 地下鉄の車輌が燃えても、そこに人が一人もいなければ、それは車輌と鉄道設備との損失だけで終わる。それが大事件・大事故になるのは人がそこにいるからだ。しかも、そういう非常事態に遭遇すれば、極度に興奮して、通常では考えられない行動をとる人も出てくるだろう。また、電車に乗っている人は、放火犯でなくても、燃える服を着て、燃える書類をいっぱい持っているかも知れない。

 そういうことを考えると、電車の不燃性や駅の施設だけを点検しただけで「ここの地下鉄は安全です」と言い切ることはできないと思う。もし火が燃え広がってしまったときにどうするかとか、パニックに陥っているかも知れない乗客をどう落ち着かせて避難させるかとか、そういうことまで検証しなければ、「安全」とは言えないのではないだろうか。



東京の大深度地下鉄

 東京の地下鉄には地下の深いところを走っているものがある。最近に造られた南北線とか大江戸線とかにはとくにその傾向が強い。こういう深い地下鉄の駅には、出口は複数あるし、改札に出るまでの通路も広い部分が造られていて、安全には配慮されているんだなということはよくわかる。長大なエスカレーターが並ぶ部分は、それだけ天井も高いわけで、有毒ガスの充満を遅らせるにはこのほうが効果的だろう。

 しかしそれでもだいじょうぶかと思うことがある。地下深い駅の駅で、もしエスカレーターが停まってしまったばあい、あれを昇るのは相当に体力が必要だ。長大なエスカレーターでは、動いているエスカレーターを歩いて上がるだけでも、徹夜明けなどで疲れているときには息が切れることがある。たしかに私の運動不足が悪いんだけど、私ぐらいの運動不足の人はほかにもいそうである。それに、私より足腰の弱い人も地下鉄を利用している。

 また、案内板に「改札はこちら」などと行き先がちゃんと書いてあっても迷うことがある。大事件・事故の際に、その駅を普段は使わない人が大量に駅構内にあふれたばあいに、その人たちを迷わないように誘導できるだろうか。

 この機会にそういう部分まで検証していただきたいと言っても、それは贅沢な希望ではないと私は思う。



利用する側も心構えが必要だと思う

 今回の事件は、「どこかで見た事件」を次々に思い起こさせた。ガソリンによる放火の恐ろしさは弘前の武富士事件などいくつかの強盗事件の記憶を新たにさせた。そして、何より、地下鉄での犯罪による大量被害という点では地下鉄サリン事件を思い出す(今回の報道でこの事件への言及があまりないのが私には不思議である)。あの事件でも、亡くなった地下鉄の職員が生命の危険を覚悟で毒物を外に持ち出すなどの対処をしなかったら、犠牲者はもっと増えていた可能性があった。

 大事件や大事故をなるだけ減らすことはできても、それを完全になくしてしまうのは難しい。犯罪者やテロリストが最初から大量破壊を意図して事件を起こしたばあいにはなおさらだ。鉄道でもバスでも娯楽施設でも雑居ビルの店舗でも、その施設を管理するべき人たちにきっちりと管理するように要求するのは、利用者の当然の権利だと思う。しかし、同時に、そこを利用する以上、利用する私たちの側も、そこでは不慮の事態がいつでも起こりうるのだということを意識していなければならないだろう。

 「文明の利器」に囲まれた私たちの生活では、それがけっこう難しいんじゃないかと感じるのだけれど。


―― おわり ――