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シュレディンガーの猫
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第十七回

火星の話

― 2003年9月 ―

 「火星が現生人類史上最大の大接近」――なぁんて話、騒いでいるのは天文ファンだけかと思ったら、最接近の前後にはマスコミも大きく採り上げるようになっていた。火星の話を報道している余裕がある程度には平和なのだろうから、その程度にはよいことなんだろう、きっと。

 惑星のなかでこんなふうに「大接近」が話題になるのは火星だけである。そのなかで火星のばあいだけが話題になるのはなぜかというと、火星は接近しているときとそうでないときとで見えかたが大きく違うからだ。

 望遠鏡も双眼鏡も使わないで見ることのできる惑星は、彗星は除くとして、水星(同じ「すいせい」でも「彗星」とは完全に別の星ですよ〜ん)、金星、火星、木星、土星の五つだ。もっとも、人間の目は、空のいちばん暗いところでなら6等星まで見えることになっていて、天王星は5.7等星なので、ぎりぎり見える範囲内ということになる(星の等級は数字が大きくなるほど暗い)。ただ、天王星は、たとえ見えたとしても、たくさん見える暗い星のなかにまぎれてしまってまず見分けがつかないので、天王星は「望遠鏡も双眼鏡も使わないで見える惑星」には入れない。もちろん私も望遠鏡も双眼鏡も使わないで天王星を見たことはない。じつは望遠鏡や双眼鏡でも見たことがない。

 その惑星どうしが互いにいちばん「接近」するのは、太陽から見て同じ方向に惑星が並んだばあいで、これはどの惑星でも同じだ。

 ところが、水星と金星は、地球の内側を回っているので、地球にいちばん近づいたときにいちばん明るくはならない。地球にいちばん近づいたときには、太陽に照らされていない面を地球のほうに向けることになるからだ。しかも、水星や金星が地球にいちばん近づくのは、太陽から見て水星や金星と地球とが同じ方向に見えるときだから、それを地球から見れば水星や金星は太陽と同じ方向に見えることになる。これでは、たとえ水星や金星が明るくても、その一億倍以上の明るさのある太陽の光にかき消されてしまう。水星や金星がいちばん明るく見えるのは、地球から見て水星や金星が太陽からいちばん遠ざかって見える(「最大離角」の)時期の前後である。

 水星や金星と違って、火星・木星・土星など地球の外側を回っている惑星は、地球にいちばん近づいたときにいちばん明るくなる。太陽から見て地球とその惑星が一直線に並んだときだ。これは、地球上から見れば、その惑星が深夜12時に空のいちばん高いところに来るときにあたる。今回の火星最接近の日も火星は深夜12時に空のいちばん高いところに来ていた……はずだ。私のところからは曇っていて見えなかったけれど。

 そのとき、外側の惑星は、太陽にいちばんよく照らされている面を地球のほうに向けている。いわば「満月」と同じ状態だ。しかも地球に近いからよけいに明るく見える。

 しかし、その火星・木星・土星のなかで、木星と土星はもともと遠いところを回っているので、地球に近づいても遠ざかっても、あまり明るさが変わらない。詳しく見れば、それでも、地球からの距離に応じて明るさが2倍前後(等級にして木星は1等級ほど、土星は0.7等級ほど)は変わっている。けれども、木星も土星も、地球から遠くて暗い時期は太陽をはさんで反対側に行ってしまった時期にあたるので、地球から見た方向が太陽と同じ向きになる。つまり、暗い時期には木星や土星は昼間の空に出ているわけで、望遠鏡で昼の空を眺めるということをやらない限り見えない。逆に言うと、木星と土星は夜の空に見えるときにはだいたい明るいわけだ。

 さて、火星である。火星も地球の外側を回っているので、地球にいちばん近づいたときに明るくなる。しかも、火星は、木星や土星と較べると地球にずっと近い。地球にいちばん近づいたときでも、木星は6億キロ以上、土星だと12億キロぐらい離れているが、火星は今回の接近で5576万キロまで近づいた。一方で、いちばん離れるときには4億キロ近くまで離れる。火星は、地球に近いぶん、地球からの距離の差が大きく変わり、それだけに、明るさも、望遠鏡で見たときに見える大きさも変わる。つまり、火星は「接近」のときには特別に大きく明るく見える星なのだ。

 火星のばあい、さらに、その接近に「大接近」と「中接近」・「小接近」とがある。地球と火星が接近したときでも、今回のように近づくばあいと、いちばん接近したときでも1億キロ以上離れているばあい、そしてその中間がある。今回のように近づくのが「大接近」、いちばん近づいたときでも1億キロ前後も離れているときは「小接近」である。その中間を「中接近」と呼んだりもする。「大接近」のときには今回のように明るくなるのに対して、「小接近」では、明るくはなるけれど、今回と較べるといちばん明るいときでも等級にして1等級ほど暗い(1等級違うと明るさ自体は半分以下になる)。

 その「大接近」と「中小接近」の違いは地球と火星の軌道のかたちから生まれる。

 惑星が太陽のまわりを回っている軌道は、正確にいうと円ではなくて楕円である。じつは、重力にとらえられているものは何であっても楕円軌道を描いて飛ぶ。惑星でも彗星はもちろん、地上から投げ上げたボールでも同じだ。ところで、学校の物理では、空気抵抗がないと考えれば、投げたボールは「放物線」を描くと習うはずだ。これは厳密に言えばまちがいである。地上から投げたボールは、ほんとうは地球の中心のまわりを細長い楕円を描いて回るはずなのだ。ただ、不都合なことに、途中に地面があるので、地面にぶつかって止まってしまう。そして、その地面にぶつからない部分だけ取り出せば、楕円も放物線に近く見えるというだけのことである。だから、地面にぶつからないところまで地上から高く高くほうり投げてやった物体は、地面にもぶつからず、ちゃんと地球の中心のまわりを楕円軌道を描いて回り続けてくれる。それが人工衛星だ。

 同じように、地球も火星も、ほかの惑星も、太陽のまわりを楕円軌道を描いて回っている。彗星などはそれが極端になった例で、どれも細長い楕円を描いて回っている。その回転の中心、つまり太陽の位置は、楕円の長いほうの端に偏るようになっている。

 なんで太陽のまわりを回る天体の軌道が楕円になり、その回転の中心、つまり太陽の位置が端のほうに偏るのか。それを考えるためには、惑星は太陽の引力に引かれて「落ちてきている」と考えればいい。惑星は太陽の引力に引かれて太陽の方向に落ちてくる。太陽に近づくほど勢いがついて速い速度で落ちていく。まっすぐ落ちていけば太陽にぶつかって終わりだ。ところが、惑星や彗星では、その落ちる方向が太陽からずれている。というより、落ちる方向がずれていない天体はとっくに太陽に落ちてしまっていて、その落ちる方向がずれている天体がいま惑星や彗星として残っていると考えればいい。ずれているので、太陽にぶつからないで、勢いで太陽の横を通り過ぎて太陽の向こうに行ってしまう。太陽の向こう側では、落ちてきたのとは反対側にすごい引力で引っぱられる。引力は太陽に近づくと急速に強くなるから、遠いところから落ちてきたときよりもはるかに強い力で引っぱられる。ところが、それでまた勢いがつきすぎて太陽の横を反対側にすり抜けてしまう。そのときの勢いでまた来たほうの宇宙にほうり投げられてしまう。太陽から遠いところまで飛ぶとその勢いがなくなるのでまた太陽に向かって落ち始める。けれどもその方向が太陽から少しずれているので、また太陽の横をすり抜けて向こうに行ってしまい、また太陽の向こう側で太陽に引っぱられた勢いでもと来た方向に投げ上げられてしまう。その落ちていく方向のずれは、何度も太陽のほうに落ちて、また投げ上げられて……を繰り返しているうちになくならないのかというと、なくならない。宇宙は真空なので、方向のズレを直すような抵抗力がどこからも働かないからだ。だから、太陽のまわりを回る天体は、太陽の引力で太陽のほうに落ちたり、太陽の向こう側で反対向きに引力を受けて勢いで投げ上げられたりを繰り返しながら、方向のズレがいつまでも直らないので、太陽にはいつまで経ってもぶつからない。それで、太陽の引力に引かれている天体は、太陽が一方の端に近いところにあるような楕円を描いていつまでも運動しつづけるわけだ。

 いまは惑星や彗星の軌道が楕円になる理由を太陽の引力で説明した。だが、科学の歴史をさかのぼると、惑星の軌道が楕円になることが先にケプラーが見つけていて、それをどう説明すればいいかを考えていたニュートンが「重力」つまり万有引力という考えかたを見出したのだ。

 ところで、地球や金星の軌道はほぼ円に近い楕円である。太陽から距離がほとんど変わらない。これでも太陽に向かって落ちて、また投げ上げられてという動きをつづけていると考えていいのだろうか。

 そのとおりで、地球も金星も太陽に引かれて落ち、落ちた勢いが余って太陽の向こう側に行き、そこでまた反対向きに引っぱられるのでもと来たほうに投げ上げられ、その勢いがなくなってまた太陽に向かって落ちる……という動きを繰り返している。地球のばあい、1月ごろに太陽にいちばん近いところまで落ちていて、そこから勢いでもと来たほうに投げ上げられ、7月ごろに太陽からいちばん遠いところまで行き、そこで勢いがなくなってまた太陽に向かって落ちていく。ただ、地球のばあい、太陽に落ちていくときの横へのズレが非常に大きいので、楕円が大きく膨らんで円に近い軌道になったのだ。金星も同じである(この説明は、太陽系の起源からの説明としてはあまり正確ではないが、詳しい説明はここでは省略する)

 さて、火星である。火星の軌道も円に近い楕円ではあるのだが、地球や金星に較べるとちょっと細長い。火星も、太陽に向かって落ちて太陽の向こう側に回りこんだところでいちばん太陽に近づき、そこからもと来たほうに投げ上げられて太陽からいちばん遠いところまで行って勢いを失い、また太陽に近いところへ落ちていく。太陽から見て地球と火星の方向が一致したとき、その場所が太陽にいちばん近いところ(これを近日点(きんじつてん)という)のあたりだったら「大接近」になり、その場所が太陽からいちばん遠いところ(これを遠日点(えんじつてん)という)のあたりだったら「小接近」になるわけだ。

 といっても、火星と地球が太陽から見て同じ方向に重なるのは2年と1か月と20日ぐらいに一度である。火星と地球は、隣どうしの軌道を同じような速さで回っているので、いちど地球が内側から火星を抜くと、次に周回遅れになった火星に追いつくまでかえって時間がかかるのだ。木星や土星は太陽から遠いぶん動きが遅いので地球が太陽のまわりを一回りと少しだけ回れば追いついてしまうし、水星は地球より速いので、地球をすぐに追い抜いてしまう。金星は、地球と火星のばあいと同じように隣どうしで、速さがあまり変わらないので、なかなか太陽から見て同じ方向に重ならない。それでも、1年7か月と5日ぐらいの周期で金星が周回遅れの地球を追い抜く。だから、金星が地球を追い抜く周期は地球が火星を追い抜くのよりも半年と半月ぐらい短いわけで、地球といちばん「接近」を起こす機会が少ない惑星は火星ということになる。

 それほど機会が少ないので、「大接近」といっても、ほんとうに火星の近日点のすぐそばで接近が起こる機会はなかなか訪れない。ところが、今回はまさにその近日点のすぐそばで接近が起こったのだ。それで今回のような歴史的な「大接近」になったのである。

 しかし、それだけならば、現生人類の歴史が1万年としても、そのあいだに何度でもこれぐらいの「大接近」の機会はありそうだ。2年1か月20日ごとに接近しているのだから、1万年のあいだには4700回近く接近しているのである。今回と同じように近日点に近い「大接近」があってもおかしくない。今回の「大接近」でも火星の近日点そのもので起きたわけではない。楕円のうえにランダムに4700の点を打っていけば、そのいくつかは今回よりも近日点に近いところに行きそうだ。ところが、実際には、今回ほどの「大接近」は5万7千年ぶりで(もっと長く見る試算もあるらしい)、いまの人類にとってはじめてだという。

 なぜそうなるか。じつは、火星の軌道の楕円の「細長さ」が少しずつ変化しているからだ。火星の楕円が細長くなると近日点は太陽に近くなり、火星の楕円の細長さが減って円に近づくと近日点は太陽から遠くなる。

 ところで、さっき、私は、惑星の軌道の楕円の細長さは変わらないと書いた。惑星の軌道が楕円になるのは、惑星が太陽に落ちるときにまっすぐ落ちないで横にずれて落ちるからだと説明し、宇宙は真空なのでそのズレを正す抵抗力がどこにもなく、したがってそのズレは直らないと書いた。そのズレが楕円の細長さを決めている。だから、火星の軌道の楕円の細長さは変わらないはずである。それと、いまの「火星の軌道の楕円の細長さが変化するから、今回の大接近が特別の大接近になった」という話は矛盾するのではないだろうか。

 じつは、楕円の細長さは変わらないという説明は、「宇宙にその惑星と太陽の二つの天体しかなければ」という条件つきでの説明なのだ。宇宙に火星と太陽しかなければ、たしかに火星の軌道の細長さはいつまで経っても変わらない。けれども、宇宙にはもちろん火星と太陽以外にも天体がある。遠い星々や、彗星のように軽くて引力の弱い天体は除くとしても、隣には地球もあるし、ちょっと遠いけど地球の318倍の引力を持つ巨大な木星もある。それが勝手な方向から火星を引っぱる。その力は太陽と較べればずっと弱いから、火星が地球のほうに落ちてきたり木星に落ちていったりすることはなく、火星はやはり太陽に引っぱられて落ちてまた勢いで投げ上げられて……をつづけて楕円軌道を回っている。けれども、地球や木星などの弱い引力でも、長い時間をかければ、火星の軌道の楕円の細長さをわずかながら引き伸ばしたり縮めたりしてしまう(この惑星どうしの作用を摂動(せつどう)と呼ぶ)。

 8万年ほど昔には火星の軌道は現在より細長く、したがってそのころの「大接近」は私たちの見た(または曇っていて見えなかった)「大接近」よりも近く、そのときの火星も明るかったはずだ。だが、そのころから火星の軌道は摂動のせいでごくわずかながら円に近くなってしまい、3万年ちょっと前ごろにいちばん円に近づいたらしい。ところが、まただんだんと細長さが復活してきて、今回、ついに歴史的な「大接近」になったしだいである。今回と同じような大接近は次回は23世紀初頭の2208年、23世紀後半の2287年に今回の接近を超える。5万7千年空いた次は200年ちょっとしか空かず、次は80年ぐらいしか空かない。火星の軌道がどんどん細長くなっていくからだ。そして、2万6千年ほど経った280世紀(その時代にキリスト教紀元がまだ有効かどうかは知らないけど)前後には8万年ほど昔と同じぐらい明るい「大接近」が見えるという計算になっている。

 つまり、今回の「大接近」は、2年1か月20日ごとに地球が火星に接近するという周期と、その接近する点が火星の近日点に特別に近いということと、火星の軌道の楕円の細長さが何万年の単位で細長くなってきていてその近日点が地球に近づいてきたという、いくつかの周期が重なり合って、現生人類史上初の大接近となったわけである。

 さて、その火星は、西洋占星術では、血、暴力、戦争なんかを表現するとされてきた。その星が接近して来るというのは、21世紀初頭の「テロリズム 対 対テロ戦争」のご時世にはぴったりのような気もする。

 たしかに、西洋占星術の火星の性格づけは、ある点ではあたっている。火星の象徴する金属は鉄で、実際、火星が赤く見えるのは表面の土の鉄分が錆びて赤さびになっているからだ。つまりあれは鉄の色なのである。占星術では、戦争をするときに使う兵器の素材としての鉄を火星に当てはめたわけだが、いちおう一致はする。

 しかし、どうだろう。惑星の象徴する金属は、他は、太陽は金、月は銀、水星は水銀、金星は銅――金星は金銭を象徴するのでその素材である――、木星は錫、土星は鉛である。占星術は天動説を基礎にしているので太陽と月も惑星扱いになるのだ。しかし、太陽に金があるわけではない。地球に金がある以上、同じ素材からできた太陽にもあるのだろうけど、水素やヘリウムと較べればずっと少量だろうし、採掘することもできない。まして太陽のあの色は黄金が輝いている色ではない。高温の水素の色である。月の銀、水星の水銀……にしても同じだ。火星の「鉄」はまぐれ当たりに近い。

 それに、今回に近い歴史的な「大接近」は、前回は1924年に起こった。1924年「大接近」は今回を超えないが、それでも紀元後になって最大の「大接近」である。この「大接近」の時期は、世界史的動乱だった第一次世界大戦とロシア革命がいちおう落ち着いた時期にあたる。ヨーロッパでは、第一次大戦の賠償問題がこじれて、フランスが西ドイツのルール地方を占領するという事件が前年に起こっているが、これも1924年には収拾の方向に向かっている。その前は1845年で、東アジアのアヘン戦争と、フランスの二月革命に端を発する西・中央ヨーロッパの1848年大革命のちょうどあいだの時期だ。アヘン戦争の時期も1848年革命の時期も火星は接近したとしても「中接近」である。そのまた前は1766年で、北アメリカのイギリス植民地が独立への動きを示しているが、まだ戦争にはなっていないし、ヨーロッパではすこし前に七年戦争が終わっている。

 日本で火星接近と戦争のかかわりでよく引かれるのは1877年の「大接近」である。この年は西南戦争があり、西郷隆盛が政府軍に追いつめられて自殺した。ところが、政権レベルでは逆賊と位置づけられていた西郷も民衆的人気はあったらしい。それで、「大接近」で明るく見える火星が西郷隆盛の星(西郷星)、その近くに見えていた土星が西郷の参謀桐野利秋の星と言われたことが伝えられていて、それを描いた錦絵も残されているようだ。

 けれども、この年はたしかに「大接近」の周期にはあたっているのだけれど、今回や1924年、1845年、1766年のような歴史的大接近ではない。火星の「大接近」と地球上の戦争は何の関係もないと見ていいようだ。

 だから、地球上で戦争が起こり、死者がたくさん出ていることを火星に因縁づけるのは、地球人の身勝手である。

 占星術以外で火星と戦争のかかわりを連想させるものといえば、もう一つ、H.G.ウェルズの小説『宇宙戦争』がある。火星の大接近の年、火星と地球との距離が近づくことを利用して、タコみたいな姿をした火星人がイギリスに攻めてくる。そして、イギリス社会を潰滅させ、地上最強のイギリス軍を撃破して、イギリスを拠点に地球を征服しようとするという話だ。

 私はSFについては詳しくないのだけれど、異星人の地球侵略というストーリーを現実味を持たせて描いた作品はこれが最初ではないだろうか。子どものころ、この小説を紹介した本を読んだ私にとって、そこに載っていたタコ型宇宙人のイラストのインパクトは相当なものだった。ほんとうに怖くて気色わるかったのを覚えている(もひとついうと、「宇宙人」が地球人攻撃にビーム兵器を使うのもこの小説が最初だろう。ということは、ウェルズの『宇宙戦争』がなければ、『デ・ジ・キャラット』シリーズの「目からビーム!」もなかったのである!……なんてことはどうでもいいか。ブロッコリーもタカラに吸収されちゃったしなぁ)

 しかしこの筋書きは寓話である。当時のイギリスは、いまのアメリカ合衆国と同じように世界のなかで「一人勝ち」をつづけている国家だった。そのイギリスを上回る機械力を持ち、その機械力で強大な軍事力を築いて攻めてくるとしたら、それは異星人しか考えられない。イギリスが世界各国に対してやっている「一人勝ち」を、もしイギリスが火星人からやられたら、イギリスは、イギリス人はどうする?――という寓話であり、こう言ってよければ穏健社会主義者ウェルズがイギリスの読者層に求めた思考実験だったのである。

 ちなみに、あのタコ型火星人は、タコではなく、頭脳と指先だけになってしまった人間である。つまり、生活が便利になると、体を動かさなくてよくなるので、身体は全般に退化してしまう。他の動物の血をそのまま取りこむことをシステム化すれば、食事の手間も省くことができる(免疫はどうする免疫は……ということは考慮されていない)。しかし、頭脳と、その頭脳の働きを表現するための指だけは残り、それどころか肥大していくだろう。そうして、その進化の果てには、人間は、頭脳と、指先と、あとは他の動物から血を吸い込むための口と、脳に感覚を伝えるための目や耳とだけが残った動物になってしまうだろう。それがあのウェルズの「タコ」型火星人なのだ。

 一日中、パソコンの前に座って、指以外はあんまり動かさないでこんな文章を書いている身としては、そのウェルズの想像力に慄然とする。たしかに、ウェルズの時代と較べると、私たちは生活のなかで頭脳と指に依存する割合を高めている。こんな生活を続けているとそのうちタコになってしまうのではないかと考えたりもする。

 というわけで、火星は戦争の星だから接近すると不吉だとかいうよけいなことは考えないで、火星が見える日には火星を見上げてみよう、と私は考えている。たしかに「歴史的大接近」の日は過ぎた。それでも、火星と地球はいま宇宙のなかを並んで走っている状態なので、それほど距離は変わらず、輝きもほとんど変わらない。まして、望遠鏡がなければ見えない星ではない。ほかの星がほとんど見えない東京の空でも、晴れてさえいれば火星ははっきり見える。望遠鏡を使って火星を見るイベントがなくても、晴れていれば火星は見える。そして、その明るい火星の少し南に見えるのが、秋の空には数少ない一等星のフォーマルハウトであること、まず見えないけれど火星のすぐ近くには天王星も見えていることなどを知ったり思い起こしたりすれば、私たちを取り巻く宇宙への興味も高まるんじゃないかと思う。宇宙に興味を持ってどうなる――などという議論は今回はしないことにしよう。ただ、火星の歴史的大接近にせっかく興味を持った人が、それ以外の宇宙のできごとに関心を持たないとすれば、私はとてももったいない気がするのだ。

 少なくともここしばらくの火星の軌道の条件では、火星の大接近は必ず夏休み中の8月に起こる。火星の近日点が、地球が8月のときにある方向に向いているからだ。このことも、日本では、火星の大接近を「お祭り」的にしている理由ではないかと思う。

 最接近をとりあげたNHKのニュースで、男の子が火星を「線香花火みたい」と表現していた。たぶん「珍妙な答え」として採り上げたつもりなのだろうけど、私はいい表現じゃないかと思う。明るくなった火星は、ただ「赤い星」ではなく、たしかに中心に白っぽい輝きを感じさせるのだ。その光は線香花火に似ているも知れない。そして、何より、火星大接近は、夏の盛りを過ぎて夏休みも残り少なくなった、線香花火のよく似合う季節のできごとなのだ。


―― おわり ――


 ※ 今回の「シュレディンガーの猫」の執筆にあたっては、

を参照しました。