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シュレディンガーの猫
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第十九回

京都議定書の危機

― 2003年10月 ―

 温室効果ガス排出量削減の計画を定めた京都議定書の批准について、ロシアの姿勢が消極的になっているらしい。アメリカ合衆国が批准しないと決めている現状では、ロシアが批准しなければ京都議定書は発効しない。ロシアが京都議定書発効の鍵を握っているわけである。

 地球温暖化の原因になると考えられているガスが「温室効果ガス」である。そのなかでとくに削減が問題になっているのが二酸化炭素である。京都議定書は、その温室効果ガスの削減を目指して、1997年12月に京都で開かれた温暖化防止国際会議で定められた。2008〜2012年に、先進国の温室効果ガス排出量を、全体として、1990年の排出量の少なくとも5パーセント減の水準まで削減するというのがその内容である。

 ただし、批准手続をすませた国が55か国以上あり、しかも、批准した先進国の二酸化炭素の排出量の割合が先進国全体の55パーセントに達していなければ、この目標を達成する義務は生じない。京都議定書が「発効する」とは、この義務が生じて温室効果ガス削減の行動計画が実行に移されることをいう。

 批准手続をすませた国の数は100か国を超えているので、「55か国以上」という基準は達成した。しかし、最大の二酸化炭素排出量を占めるアメリカにつづいて、ロシアも京都議定書が定めたプロセスから離脱すると、批准した先進国の二酸化炭素排出量の合計が55パーセントに達しない。したがって京都議定書は発効しないことになる。

 報道で見るかぎり、ロシアは、8月上旬には「今年(2003年)の秋に政府が批准を決定し、2004年年頭までに議会が批准する」という見通しを示していた。ところが、9月になると、政府の批准決定が11月、議会による批准が2004年に入ってからになるという見通しを示し始めた。9月29日に「世界気候変動会議」がモスクワで開かれる直前には、ロシア政府は批准日程の見通しを述べること自体を拒絶するようになった。この「世界気候変動会議」でもロシアのプーチン大統領は批准の具体的な日程を示さなかった。この時点では、ロシア政府は「予期せぬことが起こらないかぎりロシアは批准する」という見解を示していたが、これを書いている現在では「国益を考慮する」という発言のほうが目立つようになった。このまま発言の変化がつづくと、ロシアもアメリカにつづいて議定書から離脱し、議定書が定めた行動計画自体が崩壊することになるかも知れない。いずれにしても2004年の早い時期の発効はまずあり得ず、発効するとしても2004年の秋以降ということになる。

 こう書くとロシアの変節ぶりが目立つわけだが、一方でロシアの立場表明は一貫している。ロシアは排出権取引で利益を得ることを「国益」と考えている。それで利益が上がるようならば批准への手続を開始し、利益があまり得られそうになければ批准に消極的な姿勢を示すというのがロシアの一貫した立場だ。

 京都議定書は二酸化炭素の排出権取引という制度を定めている。目標達成のために二酸化炭素の排出量を削減してもまだ余裕のある国が、その余裕のない国に、排出量枠をカネで売るというものだ。ロシアはその排出量に余裕がある。そこで余裕のない国に「二酸化炭素排出権」を売って利益を上げることに関心を持っているわけである。ロシアが京都議定書の批准に消極的になっているのは、「京都議定書を発効させたければ、排出権取引の制度をロシアに有利に変更せよ」というメッセージなのである。

 ロシアが批准を拒否して京都議定書が発効しなければロシアは国際的な非難を浴びるだろう。しかし、まず議定書の発効を危うくしたのはアメリカなのだから、ロシアにだけ非難が集中することはない。アメリカのほうがより強く非難されるのが筋というものである。しかも、アメリカが議定書の枠組から離脱したあと、ロシアは議定書発効のために一定の努力をしたというかたちも整っている。だから、ロシアは、ロシアの要求に対して妥協しなかったEU(ヨーロッパ連合)や日本が、議定書の発効よりも硬直した原則論を優先して議定書の枠組を破壊したと非難することだろう。いまロシアはおそらくそこまで計算している。

 京都議定書は、地球全体の環境悪化を食い止めるために、先進国が中心となって世界の国ぐにが協力しようというものだった。また少なくとも先進国には具体的な削減目標を定めた。人類が作った諸国が協調しあうことによって、人類を超えた地球の生態系全体の問題を解決しようとする国際的な試みが京都議定書だったと言っていい。そこには1990年代らしい理想主義が現れている。そして、京都議定書の危機は、その1990年代的な国際的理想主義の勢力後退の現れである。


 1990年代は国際社会を理想主義が支配した時代だった。

 それまで内戦が続いていたカンボジアが国際的枠組の支援を受けて国家を再建することに成功した。南アフリカはアパルトヘイトと呼ぶ人種差別体制を廃止した。パレスチナでは、パレスチナ・アラブ人(パレスチナ人)政権とイスラエルとが、イスラエルがパレスチナ人の領土の存在を認めるかわりにパレスチナ人がイスラエルに対する武力攻撃を停止するという「領土と和平の交換」の原則で和平合意に達した。プロテスタントとカトリックのあいだでテロの応酬がつづいていた北アイルランドでも和平への動きが本格化した。

 しかし、1990年代には、社会主義国ユーゴスラヴィアが解体し、それに伴って果てのない悲惨な内戦が続いた。また、ソマリアでは、独裁政権が倒れ、その後にやはり泥沼の内戦が続いた。国連の介入も何の役にも立たなかった。何より、1990年代の初頭にはサッダーム・フセイン政権のイラクによるクウェートの軍事的併合事件があり、それが湾岸戦争に発展した。サッダーム・フセインは敗戦後も政権に居座りつづけ、何度も揺さぶりをかけられながらもその政権はついに崩壊しなかった。アフガニスタンでも内戦がうち続き、その果てに、タリバーン(神学生党)と称する過激イスラム原理主義勢力が国の大部分を制圧した。タリバーンだけではない。通常の「イスラム復興運動」の枠を超え、テロリズムを手段として使う過激なイスラム原理主義運動が中東・アフリカ世界に勢力を拡大しつつあった。また、アフリカのルワンダでは内部で民族対立が発生し、多くの人びとが虐殺された。

 いまから考えると、そんな時代にどうして理想主義が国際社会を支配したのかと疑問に思うこともある。しかし答えは簡単である。冷戦が終わったからだ。

 アメリカ合衆国を中心とする自由民主主義・資本主義諸国と、ソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)を中心とするソ連型社会主義諸国との二大陣営が、地球人類を何度も全滅されられると言われた大量の核兵器を並べて対抗しあったのが冷戦時代であった。1980年代になると、社会主義に共感を持つ左翼的な人びとさえもソ連やソ連圏諸国の体制が正しいとかすばらしいとか言わなくなった。それは、一部の社会主義政党による、または、その社会主義政党の一部幹部による独裁体制に過ぎず、その独裁体制は硬直した官僚制と強権的な秘密警察の監視網によって支えられ、国民を貧困と不自由のなかに放置しているろくでもない体制だと思われるようになっていた。それが世界を二分する陣営の一方のあり方だったのだ。

 1980年代最末期から1990年代初頭にかけて、ソ連圏諸国はつぎつぎにソ連型社会主義を放棄し、ついにソ連が消滅した。中国など一部の国が「社会主義」の体制の下に残ったけれども、もはやそれは「陣営」を形成できるような勢力ではない。独裁と強権と、硬直した官僚制と残虐な秘密警察と、貧困と不自由とが敗北した。世界は全体として自由と民主主義と平和と経済的繁栄に向かって動いている。世界のあちこちで起こっている問題もやがてはこの世界の潮流にしたがって解決されるだろう。イラクのサッダーム・フセインや当時のユーゴスラヴィアのミロシェヴィッチのような独裁者は、国民の支持を失って倒れるだろうし、残った社会主義諸国も、中国の改革開放政策のような政策をとることで自由民主主義の世界に徐々に吸収されていくしか道はあるまいと考えられていた。イラクもアフガニスタンもルワンダもソマリアも北朝鮮も「ごく一部に残った困った例外」にすぎないと位置づけられた。

 それはそうだ。それまではソ連という巨大な存在があったのだ。ソ連の前にはそれらの「困った」国や地域はどう見ても小粒に過ぎない。その小粒が世界に散らばっていても、世界の大勢を動かすことはできない。そう思われて当然の時代が1990年代だった。

 この時代の自由民主主義・資本主義諸国には何より余裕があった。これまで、自分たちの前に自分たちの生存を脅かす大きな「敵」として存在してきたソ連・東欧圏が、突如として無害な「生まれたばかりの自由民主主義国・資本主義国」に生まれ変わったのだ。ロシアや東欧の諸国に対して、アメリカや日本やイギリスやEU(1993年の途中まではEC=ヨーロッパ共同体)諸国は自由民主主義・資本主義の「大先輩」として余裕を持って接することができるようになった。

 それに、1980年代は国内の財政赤字と対外的な貿易収支の赤字(「双子の赤字」)に悩まされつづけたアメリカの経済は、1990年代に入って復活を遂げた。1990年代を通じて、アメリカの経済は景気後退が原理的に起こらない「ニューエコノミー」の時代に入ったと喧伝されていた。日本は対照的に1990年代に入って「バブル崩壊」の不況に覆われていたが、社会の雰囲気は明るかった。不況は一時的な「調整」の時期に過ぎず、日本経済はやがてもとのように復活するとほとんどの人が信じていた。いや、「復活」しなければならないような打撃を受けているという認識自体がなかった。景気拡大期だという認識もあったぐらいである。バブル崩壊で派手に落っこち、そこからもとに戻る過程を「景気拡大」に見誤ったのだ。

 自由民主主義・資本主義の先進国は冷戦の勝利に酔っていた。その勝利は自由民主主義や資本主義の優れた理想がもたらしたものだと思われた。だから、先進国の人びとは、これからの世界も西側(冷戦時代のアメリカ側)の先進国の理念が引っぱっていくと信じて疑わなかった。西側先進国の理念が世界をリードすれば何でもできるような思いこみも生まれていた。阪神タイガースのリーグ優勝決定後に道頓堀につぎつぎに跳びこんだ人びとをつつんでいたのと同じ祝勝気分がこのときの西側先進国を覆っていたのだ。

 「地球を救う」というような表現も1990年代に入ったころからよく使われるようになったと思う。もちろん、地球は、その表層のわずかな空間に生息している人類などという存在に救ってもらわなければならないほどの弱い惑星ではない。月や火星ぐらいの天体がぶつかってきても地球は全部は壊れないだろう。まして大気の温度が何度か上がったくらいでは地球はびくともしない。過去にまるごと凍りついたこともあれば平均気温が50度に跳ね上がったこともある惑星なのだ。環境保護といわれている運動の目的は、むしろその地球の変動から人類自身の文明生活を守ることにある。それを「地球を救う」と表現することに私はその冷戦の「祝勝気分」の表れを見る。人類は冷戦を克服した。だから、その人類は地球という惑星をまるごと救うこともできるのだという気分の高揚である。

 京都議定書はその「祝勝気分」の高揚のなかから生まれてきた。


 その京都議定書に定められた温暖化防止の枠組にはいくつか問題がある。

 まず、いくつかある温暖化ガスのなかで、二酸化炭素に規制が集中していることである。温暖化ガスのなかには、メタンのように、二酸化炭素よりはるかに強い温暖化効果(地球大気を温暖化させる効果)を持つものがある。しかし二酸化炭素以外のガスには二酸化炭素ほどの強い規制がかけられていない。

 次に、二酸化炭素の排出が現在の地球温暖化をもたらしていることが「かなり確からしい」という程度にしか実証されていないことである。少なくとも京都議定書が議決された段階ではまだ現在ほど詳細で緻密な実証はなされていなかった。

 大気中の二酸化炭素の量が過去の地球の気候を大まかに決めてきたことは確かだと言ってよいと思う。また、現在の二酸化炭素の大量排出が地球の気候に影響を与えるのも確かだ。

 地球の大気にはもともと大量の二酸化炭素が含まれていた。植物や、その植物に先駆けて現れた藍色細菌(シアノバクテリア)が、十億年以上かかって地球上の二酸化炭素から炭素を取りこみ、残った酸素を大気中に放出することで地球大気の成分を変えてきた。酸素は植物が生育していく過程で生まれたいわば廃棄物なのである。おかげで、地球は酸素の多いヤバい大気を持つ惑星になってしまった。何がヤバいって、現在の地球の大気は、酸素の割合がもう少しだけ増えただけで植物が自然発火してしまうような構成比率になっているのだ。大気中の酸素比率が高すぎるのである。そのヤバい大気に適応して生まれてきたのがいまの生態系を構成している生物たちの大部分である。私たちもその一種だ。要するに、この藍色細菌とか植物とかが地球史上最大の地球環境破壊をやり、その環境破壊で排出された汚染物質で満たされた環境に適応して生まれた生物が私たちなのである。なお、二酸化炭素がたくさん含まれていた何十億年も前の地球が、二酸化炭素の温暖化効果でめちゃくちゃに暑くならなかったのは、太陽の熱がいまよりずっと弱かったからだと説明されている(「暗い太陽」仮説)

 石炭は、植物が大気中の二酸化炭素から取りこんだ炭素が化石になって残ったものだ。また、石油は、その植物を食べた動物性プランクトンの死骸が海底に溜まってやがて地層に封じこめられ、プランクトンの体脂肪分が凝集したものである(体脂肪を蓄えることもときには後世の役に立つ!)。それを人類は百年や二百年というごく短い期間に二酸化炭素に戻してしまった。太陽の熱が強くなっている段階で、大気の状態を太陽の熱が現在ほど強くなかった時期と同じに戻しているのだ。これで地球が温暖化しなかったらそのほうがおかしい。

 しかし、地球大気の温度は二酸化炭素の量だけで決まるのではない。他の惑星の重力の影響で地球の軌道が少しだけずれただけで地球の気候は変わる。太陽からの距離が変わるからだ。二酸化炭素以外の温暖化ガスもある。さらに二酸化炭素は火山からも大量に放出される。なにしろ人類の活動で気候が変わるかも知れないというのは地球史上初めてのできごとだ。動物が植物を食い荒らしたことはあっても、地下から大規模に炭素資源を掘り出してそれを燃やした動物なんかこれまでいなかった。だからその影響の正確な推計が難しい。

 そのような状況で、あえて人類の活動による二酸化炭素の排出による温暖化効果を重く見て対策を行おうとしたのが京都議定書の取り決めである。現在進行中の温暖化との因果関係はまだ百パーセント確かではないが、その可能性は高いし、どちらにしても二酸化炭素を排出すればいつかは地球は温暖化する。だから早いめに対策しておこうというわけだ。言ってみれば予防のための対応である。この「予防のための対応」という性格が京都議定書の大きな特徴だけれども、これが同時に京都議定書の枠組の第三の問題点にもなっている。

 火山の噴火にしても水害にしても地震にしても予防がたいせつなのはもちろんだ。「環境ホルモン」など、健康に被害を及ぼす可能性のある汚染物質についても同じである。現在は可能性に過ぎなくても、被害が現実のものになったら取り返しがつかない。そのためには、何であっても人類の現在の文明生活に悪い影響を及ぼしそうなものについてはあらかじめ対策をとっておくことが必要だ。人道上も必要なことだし、経済的にも、被害が現実化してから手を打つより未然に予防策をとっておいたほうが費用がかさまずにすむ。京都議定書が地球の生態系全体にかかわる問題について予防のための対応をとったことは画期的なことだ。

 けれども、この世のなかに、私たちの生活に「悪い影響を及ぼしそうなこと」はいくらでもある。予防策をとれば被害が現実になったときほどの大きな費用はかからなくてすむが、しかし予防のためにも手間や時間やカネはかけなければならない。しかも、その手間や時間やカネは、もし万一、将来に悪い予測が現実化したときに、その悪いできごとの影響をやわらげることに使われる。いますぐは何の役にも立たないし、しかも百パーセント役に立つわけでもない。つまり予防のためにかける費用は何の儲けにもならない「持ち出し」になってしまうのだ。これが予防対応の難しいところである。

 とくに、二酸化炭素の排出を規制するとなると、現在の産業社会に与える影響はけっして小さくない。現在の社会はエネルギー源の大きな部分を石油に頼っている。石油を燃やせば二酸化炭素が出る。二酸化炭素を減らそうとすれば石油を燃やす量を減らすしかない。

 石油にかわる決定的な代替エネルギーがあれば話は違ってくるが、それもない。原子力は放射性物質の管理に莫大な費用がかかるし、ウランだって限りある資源であることにかわりはない。水力・風力は地形の制約を受ける。

 太陽の光の余りまくっている赤道近くの地方で太陽光発電をして海水を電気分解し、水素を作り出して世界各地に配給し、その水素を使って燃料電池でエネルギーを得るなどというのはいかにも環境に負荷をかけなさそうだ。しかし、いまの石油エネルギーの消費分をそうやってすべて水素に置き換えてだいじょうぶかどうか。そんなに大量に海水の水素化と燃料電池による水素の消費を進めれば、大気中の酸素比率が高まるし(現在の地球大気の酸素比率は植物が自然発火する一歩手前なのだ!)、燃料電池からは水や水蒸気が排出されるから、地球上の水蒸気の分布も大きくかわる。空気中の水蒸気が世界の気候を動かしているわけだから、いまの石油エネルギーがぜんぶ水素と燃料電池に代替されてしまえば、それはそれで二酸化炭素排出量の増加に劣らず地球環境に影響を与えそうだ。

 だから、石油に全面的に代替できる害の少ないエネルギーがすぐには開発できない以上、二酸化炭素の排出を規制することは産業の発展を抑えることになる。

 もっとも、環境に関係する規制が産業にとっていつもマイナスに働くとは限らない。規制を乗り越えるために新しい技術の開発が進めば、技術革新が達成され、産業の競争力が向上することだってある。環境規制に対応できる技術を使えば燃料や電気や水を節約できることが多いから、その技術を使った製品の値段が十分に下がれば消費者にも歓迎されるだろう。

 だが、新技術の開発にとっては研究開発に手間と時間とカネを使えることが必須の条件である。そこで支払った費用は、その技術が実用化されて儲けにつながるまでは返ってこない。しかも研究開発に着手したからといって必ず成功するものでもない。予防のばあいと同じで、環境規制に対応した技術の開発も余裕がなければ着手することができない。しかも、研究開発というのは、特定の企業の問題ではなく、一つの国のなかや国を超えた世界全体の科学的な知識水準や技術が向上することによって進むものである。すぐには役に立たない無数の発見や発明のなかのごく一部が決定的な新技術の開発につながっていく。研究開発とはもともとむだの多い事業なのだ。環境対応の新技術を発展させるには、そのむだを、国や社会全体、さらには国際社会全体で引き受ける必要がある。

 資本主義の市場原理が支配する世界で、目前の利益を犠牲にして二酸化炭素排出を抑え、科学技術の発展に資本を使って画期的な環境対応技術を生み出し、実用化に持っていくだけの余裕を持つのはたいへんなことだ。しかもその投資分に見合った利益が個々の国や企業に返ってくるわけではない。国や企業の単位で考えれば、そんな余裕があればもっと切迫したほかの事業に手間や時間やおカネを投入したいと考えるのがあたりまえだろう。

 このことは京都議定書の第四の問題点とも関係する。京都議定書の枠組では、費用を負担する者と利益をいちばん受ける者とが同じでないのだ。

 京都議定書では費用の負担は先進国に偏っている。二酸化炭素の排出規制は先進国に厳しく決められている。二酸化炭素排出量削減が義務として定められているのは先進国だけである。しかし、地球が温暖化して困るのはどちらかというと開発途上国(後進国)のほうだろう。太平洋の島嶼(とうしょ)国などは地球が温暖化して海水面が上昇すれば国土の広い範囲が水没する危険に直面するという話をきいたことがある。そうでなくても、地球が温暖化することで気候が変わり、自然災害が発生したとき、その国に住んでいる人の生活が打撃を受けやすいのはやはり開発途上国のほうだ。先進国は損害を防ぎ止めるための仕組みをいくつも持っている。開発途上国にはその仕組みが乏しい。

 京都議定書の枠組には、先進国が開発途上国のために「持ち出し」で二酸化炭素削減を率先して進めるという考えかたが含まれているのだ。

 もちろんそうなっているのには理由がある。先進国がいまのように繁栄しているのは、産業革命以来、大量の石炭や石油を消費して産業を発展させてきたからだ。開発途上国がようやくこれから産業化社会に進もうとしているときに、「これからは地球が温暖化するから石油を使って二酸化炭素を出してはいけません」と先進国から言われれば、それは先進国の身勝手と思われてもしかたがないだろう。


 京都議定書は、先進国がいわば「高貴なる者の義務(ノブレス・オブリージュ)」としてそのような問題点を抱えこみ、自ら率先して解決を目指すことで、将来の地球温暖化の影響を少しでも予防しようという考えかたで定められた。その背景には1990年代の自由民主主義・資本主義の勝利の祝勝気分を引き継いだ国際的な理想主義があった。

 当時は、自分たちの技術水準と資金力をもってすれば、温暖化を防止するための技術の研究開発にかかる費用を十分にまかないきれると先進国が思うだけの自信があった。ここで開発途上国よりも厳しい条件を引き受け、そのあいだに開発途上国が従来と同じ二酸化炭素大量排出型の技術で産業を発展させたとしても、先進国はなお優位に立てる。環境規制に対応した技術開発で産業の効率化を進めるからだ。環境対応をすませた新たな産業で先進国が優位に立ち、二酸化炭素大量排出型の産業で開発途上国がそれに追いついてくれば、こんどはその時点で開発途上国に強い規制を求めればいい。そう考えられる余裕が先進国側にあった。

 だが、京都議定書が議決された直後から、その先進国の自信は根底から揺らぎ始めた。

 京都議定書が定められたのが1997年の末である。そのときすでに東南アジアや韓国で通貨危機が深刻な問題になっていた。しかしそれはアジア地域の国の脆さ・弱さやアジア地域の政治の固有の問題の表れであると解釈されていた。先進国は経済危機を自分たちの問題とは捉えていなかった。ところが、その直後に日本経済の悪化が一挙に表面化し、アメリカ合衆国の景気も息切れの様相を示し始めた。20世紀最末期から21世紀の最初期にかけて先進国の自信は急速に失われていく。

 とりわけ、アメリカが九・一一テロに遭遇したことで、先進国と開発途上国との関係は大きく変化した。ソ連が存在したころには取るに足りない小国に過ぎなかったはずのイラクやイランや北朝鮮をアメリカは正面から戦うべき「悪の枢軸」の国ぐにとして名指しした。どれも開発途上国である。開発途上国は、先進国が「高貴なる者の義務」によって助けてやらなければならない相手というよりは、いつ先進国を脅かすかも知れない大規模テロの温床と見なされるようになってしまった。

 一方で、開発途上国のなかから、産業化を一挙に進めて「世界の工場」となり、二酸化炭素を大量に排出しながら安い価格の工業製品を世界じゅうに売り捌く中国のような国も出てきた。そうなるとますますどうしてそんな国を先進国が割を食ってまで助けてやらなければならないのだという心情が先進国側に出てくる。

 京都議定書が議決された時期が国際的理想主義の通用している最後の時代だった。自由民主主義と資本主義の勝利から来る祝勝気分がきれいに消え去り、それとともに国際的理想主義も消え去り、企業も国も目前の利益を確保することに追われ、しかも目前の利益を確保するために全力を尽くすのがよいこととする倫理観が自由民主主義・資本主義世界に広がった。

 世界自体が大きく変わってしまったのだ。そんな時代に京都議定書の枠組が維持できなくなったとしても当然のことである。ロシアの身勝手とずるさを非難して何が解決するわけでもない。同じようにEUや日本の態度を硬直していると非難してもだ。

 もしロシアがこのまま批准を拒否して京都議定書の枠組から離脱すれば、地球温暖化防止の枠組作りはもういちど最初から出直しということになる。だが、たとえロシアが批准して京都議定書が発効したとしても、京都議定書の枠組を危機に陥れた要素が国際社会から消え去るわけではない。京都議定書の次の地球温暖化防止枠組を決めるのは京都議定書の何倍も難しいに違いない。

 祝勝気分のなかで生まれた理想主義を継承していくことの難しさに現在の国際社会は直面している。


―― おわり ――