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第三十一回

「イスラーム」についての雑感

― 2004年6月 ―

 「イスラーム」研究家諸氏によれば、「イスラーム」は「イスラーム」であって「イスラム教」と言ってはいけないのだそうである。同じく「イスラム教徒」と言ってはいけなくて、「ムスリム」と言わなければならないらしい。「ムスリム」っていわゆる「イスラム教徒」のうちの男性のことだと思うんだけど、女性は入れなくていいのだろうか?

 たしかに「名を正す」ことはたいせつだと思う。日本語以外で表現されるものごとを日本語に置き換えるときには、なるたけもとと異なる印象を与えることばは使わないほうがいい。だから「回教」という呼びかたは使わないほうがいいというところまでは理解できる。この「回教」とか「回回(フイフイ)教」とかいう呼びかたは、中国で「回民」と呼ばれていた人たち(現在のウィグル人や回族に相当する)の宗教という由来だからだ。イスラム教は中国の一部の人びとだけが信じているものではない。

 だが、「イスラーム」で神聖な神のことばとされているアラビア語では「ラー」と長く伸ばすのと「ラ」と短く切るのとでは意味が違うから「イスラム」はまちがいだとか、「イスラーム」は単なる宗教ではなく生活や社会全体について言われることばだから「イスラム教」はまちがいだとか、したがって「イスラム教徒」もまちがいだとか言われると、「イスラーム」を信仰していない者としては「そんなたいしたことなの?」とどうしても言いたくなる。

 たしかに信者の人たちや「ムスリム」や「ムスリマトン」(女性の「イスラム教徒」の人たちをこういうらしい)の人たちにはものすごくたいせつなことなのだろう。それは理解できる。その人たちと話をするときには「イスラーム」とか「ムスリム、ムスリマトン」という言いかたが正しいということはわきまえておくべきだと思う。また、マスコミで多く使われている「イスラム教」・「イスラム教徒」という言いかたにかえて「イスラーム」や「ムスリム」という言いかたが耳になじんできたならば、むりに「イスラム教」・「イスラム教徒」にこだわる必要はない。

 けれども、一方で、長音と短音で意味の違う言語はアラビア語以外にも存在する。たとえば古代ギリシア語やラテン語もそうだ。だから、「イスラーム」という言いかたに固執するのなら、古代ギリシア語やラテン語の長音と短音の区別も尊重して、たとえばアリストテレスは正確に「アリストテーレース」と呼ぶべきだ。「イスラム」はダメで「イスラーム」でなければならないと言うひとが「アリストテレスの科学は中世にはヨーロッパよりもむしろイスラーム世界で伝えられ研究されてきた」などという表現をするなら、それはおかしい。

 「アリストテーレース」を一般に「アリストテレス」と表記するように(もちろん古典ギリシア語・ラテン語についても長音と短音を厳格に区別して書くひともいる)、日本語では長音と短音の区別のある外国語の単語を長音・短音を区別せずに短く表記するのが一般的になっている。少なくとも従来はそうだった。「イスラーム」を「イスラム」と表記するのも、その従来の慣行に照らせばとくに不当ということにはならないと思う。

 また、「イスラーム」は宗教の分野にかぎらず、生活全般、社会のあり方全般にかかわるものだから、「イスラム」は不当だという言いかたもおかしいと思う。「生活全般や社会全般から切り離された宗教という分野」が成立したのは近代になってからだからだ。それまでは、仏教でも神道でも、ユダヤ教でもキリスト教でも、生活全般や社会のあり方全般にかかわるものだった。「近代」と呼ばれる時代になって「宗教」というのは生活や社会の一分野に過ぎないという考えかたが成り立ってきただけの話である。だから、生活や社会の全般にかかわるのだから「イスラム教」はダメで「イスラーム」と呼ばなければならないというのなら、同じように「ユダヤ教」も「キリスト教」も「仏教」もダメだということになる。

 「イスラームについての日本社会の理解が決定的に不足しているから、なんとかして理解を深めてほしい」という「イスラーム」専門家の方がたの意志は強く伝わってくる。「イスラームのほんらいの姿」を伝えたいという熱情が「イスラム教」や「イスラム教徒」はまちがいと言い切ることにつながっているのだろうと拝察する。

 だが、こういう言いかたは、ご本人にその意図がなくても、「イスラーム」への理解の間口を狭めてしまうのではないかと危惧する。「イスラム教はほんとうはイスラームと言わなければいけないのか! これは奥が深くておもしろそうだ」と思ってくれるひともいるだろうけど、かえって「えっ? イスラム教って言ってはだめなの? なんかそのイスラームとかいうのはめんどくさくて難しそうだなぁ」と思われる率のほうが高いのではないだろうか?

 ほんらいは「イスラーム」であり「ムスリム」(「ムスリム・ムスリマトン」)であるということを紹介し、その理由として、アラビア語では長音と短音の区別が厳格で、しかもそのアラビア語は「ムスリム」にとっては神のことばとして特別のことばなのだと説明していくのなら、それは「イスラム教って何か気になるな」と思っているひとにとって導きになるかも知れない。「だからこの本では、イスラム教・イスラム教徒ではなく、イスラーム・ムスリムという表現を使う」というのもいいと思う。しかし頭ごなしに「これはまちがいである、日本人はこれほどイスラームについて無知だ」などと言われると「無知でけっこう、そんなめんどくさいものなんか知らなくて何のさしつかえもないんだから」などと反発してしまうのが普通ではないか。少なくとも私はそうだった。

 いろいろな分野の専門家には、専門家以外の人たちに自分の専門について語るのをいやがったりめんどうくさがったりするひとが多い。そのなかにあって「イスラーム」専門家の方がたには積極的に自分の専門について語ろうとしておられる方が多いように私は思う。そのことには私はほんとうに敬服している。私がともかくもこの連載の一回分で採り上げることができるくらいに「イスラーム」についての知識を持つことができたのも、これらの「イスラーム」専門家の方がたのご努力の賜物である。

 だがどうもその意欲が空回りしているようにも私は感じるのだ。その一方で「イスラム原理主義者の自爆テロ」というニュースは頻繁に伝えられてくる。それが「イスラム教はテロリストの宗教」というイメージを作り上げてしまう。イラクでの自爆テロ事件など、すべてが「イスラーム」の「過激原理主義者」の仕業かどうかわからないのだけれども、「イスラーム圏でテロが多い」というだけで「イスラム教はテロリストの宗教だ」というイメージができてしまうのだ。1997年、エジプトの観光地ルクソールでイスラム原理主義テロ集団が観光客を襲撃し、多数の日本人が犠牲になった事件の後に、私は「イスラム教は人類にとって汚点だ」という意見を日本人の口から直接に聞いたことがある。

 イスラム教徒は全世界に数十億人いる。その大部分は、テロリズムにも走らずテロ組織にも属さず、テロとは無縁に暮らしている。最近ではイスラム原理主義組織が民衆的支持を集めたりする例も出ているけれど、長いあいだ、イスラム原理主義テロリズム組織はイスラム国家自体で煙たがられ、嫌われ、弾圧されていたのである。

 イスラム原理主義組織が民衆的支持を集めているばあいだって、たとえばパレスチナのハマスなどのばあいは、イスラエルのパレスチナ過激派幹部への攻撃がパレスチナの街や難民キャンプを大々的に破壊し、子どもを含むパレスチナ人を巻きこんでいることに対するパレスチナの人びとの怒りが原理主義組織支持というかたちで表れているだけだ。その本質はパレスチナ人のイスラエル国家に対する抗議なのであって、必ずしもその支持者がイスラム原理主義に共感しているわけではないのではないか。また、他の国でもイスラム原理主義勢力が力を持っているばあいがあるが、これも貧困や経済格差の拡大という問題が背景にあり、「イスラム原理主義」だからという理由で支持されているとはかぎらない。

 だから、私は「イスラム教は過激で危険な宗教だ」とか「イスラム教はテロリストの宗教だ」とかいうことは言えないと思う。けれども、たとえばテレビのニュース番組で流れる「イスラーム」関係のニュースの少なくない部分がテロリズムのニュースなのだったら、「イスラム教はテロリストの宗教だ」という「誤解」が世論に共有されてしまってもしかたのない面がある。

 「イスラーム」を取り巻く世論の状況は厳しい。そんな状況に対して「イスラム教はイスラームと言わなければまちがいです」というお説教から始めるのは、私にはあまりに迂遠(うえん)に思えるのである。

 この「イスラム原理主義」という表現もマスコミ用語で、「イスラーム」専門家が強い反発を示すことばでもある。「原理主義」というのはもともとアメリカ合衆国のキリスト教の一派を指すことばであり、しかもそのアメリカのキリスト教原理主義者にとっても自称ではない。もちろん「イスラーム」の集団がキリスト教の一派を呼ぶ呼びかたを自分で名のるはずもない。それなのに、マスコミは勝手に「イスラーム」にまで「原理主義」ということばを当てはめ、ことさらにキケンな印象を作ろうとしているというのが「イスラーム」専門家の反発の理由である。専門家はそれにかわって「イスラーム復興(運動)」や「イスラーム主義」という概念を使うべきだと主張する。だが、マスコミで「イスラム原理主義」と呼ばれているものと、一般的な「復興運動」や「イスラーム主義」ということばで表現されるニュアンスとのあいだには落差があるように私には感じられる。また、「原理主義」ということばに相当する英語に相手を軽視するようなニュアンスがあるとしても、日本語で「原理主義」といったばあい、「原理原則に基づいて行動する」ことが必ずしも軽視・軽蔑の対象になるとはかぎらないように私は思う。いま「イスラム原理主義」ということばを「イスラーム復興」や「イスラーム主義」に置き換えたところで、こんどは「イスラーム復興」や「イスラーム主義」が「テロリストを含む過激派の思想や行動」のニュアンスを帯びてしまうだろう。


 また、「イスラーム」について「正しい」認識を広めたとしても、こんどはそれが私たちの価値観と食い違う部分は出てくる。

 たとえば、「イスラーム」が、女性に対して、近代的価値観から見て差別的な扱いをしているのは確かだと思う。それに対して、「女性を低く見ている部分もあるが、それだけ女性に配慮することも決めており、一面だけ見てはいけない」という反論があるだろう。それはそれで一つの考えかただ。しかし「べつに特別に配慮してくれなくていいから、差別待遇はしないでほしい」という女性も現在の日本社会には多いのではないだろうか?

 私たちは、現代日本の社会とか国家とかのなかで、近代的な価値観にしたがって生きるように期待されている。また、そういう近代的な価値観に従うのが正しいとして教育を受けてきたはずである。それはまあ、「近代的な価値観」と一口に言っても、突きつめれば「近代的な価値観」内部で矛盾したり対立したりするところも出てくる。でも、とりあえず、「政治と宗教の分離」とか「ひとは信じている宗教によって差別されない」とか「両性の平等」とかの近代的な考えかたを基準にして社会は成り立つべきだという信念を私たちは身につけてきた。自分で実践しているかどうかは別だ。たぶんその近代的な考えかたを完全に実践していないひとは多いだろう。けれども、それにもかかわらず、私たちは社会にはそういう価値観が共有されているということを前提に行動するのが普通ではないかと思う。

 その近代的価値観の一部分と「イスラーム」は相容れない。


 たとえば、「イスラーム」では、ほんらいは「政治と宗教の分離」などというのはとんでもない話で、政治は神にしたがったものでなければならない。

 近代的価値観と「イスラーム」をすり合わせる方法がないわけではない。「イスラーム」によれば、神のことばを直接に伝えられる人間は、7世紀の教祖ムハンマドを最後に人間世界には現れないことになっている。だから、神に従う政治といっても、だれも具体的に神のことばはきけないわけで、具体的には「イスラーム」の法に従った政治ということになる(シーア派のばあいは「イマーム」という概念が出てくるので複雑だけれど、根本的なところは変わらないはずだ)。ところで、「近代」の政治でだって「法の支配」は大原則だ。だから、「イスラーム」の「イスラーム法に従う支配」だって似たようなものだと言えば言えなくもない。

 しかし、近代社会では、「法の支配」で支配する「法」とは、人間がみんなで寄り集まって決めた「法」か、もともと「人間はこうあらねばならない」という「自然の法」(「自然法」)かである。「神」という要素は、そりゃまあヨーロッパで「自然法」思想が生まれたときには入っていたのだろうけれども、少なくとも現在では「自然法」には宗教的要素は含めないのが普通だろう。しかし「イスラーム法」(「シャリーア」というらしい)は神という要素から切り離せない。「イスラーム法」の根本は何よりも聖典コーラン(これも正しくは「クルアーン」といわなければならないそうだ)である。憲法とかイギリスの不文憲法とかいうのとはずいぶん違う。「近代」社会の原則とすり合わせはできるけれども、根本的な発想自体が違うのだ。

 もちろんそんなわけだから議会政治だって「イスラーム」では正当化するのに骨が折れる。政治は神に従うべきものであるから、人間の代表が集まってあれこれ議論して法や政治方針を決めるなどというのはもってのほかな話だ。現に、イスラム原理主義の一部には「議会政治は(イスラームが厳しく禁じている)偶像崇拝だ」という議論もあるらしい(藤原和彦『イスラム過激原理主義』中公新書)

 「イスラーム」には、教祖ムハンマドが亡くなったあと、その後継者をだれにするかをムハンマドと親しかった宗教上の仲間(教友)が話し合って決めたというような「宗教上の話し合い」の伝統があって、それに合わせて議会政治を正当化しようという試みがあるようだ。「多くの人が話し合って決めた結論に神仏の意志が宿る」という考えかたは日本の中世にもあったらしく(勝俣鎮夫『一揆』岩波新書)、そういう考えが中世日本と「イスラーム」とで重なり合うのは、それはそれで興味深い。しかし、その日本のばあいを考えてもわかるように、一方でそういう「中世的話し合い」がそのまま「議会政治」に直結するわけではない。やはり考えかたの根本が大きく違っている。


 何より、近代的な「合理主義」の考えかたからすると、7世紀にムハンマドという一人の人間が神から与えられたことばとして語り出したことが、どうして生活や社会や国家のあり方をすべて支配するのかが説明できない。

 もちろん「イスラーム」を信じる人たちにとってはそれは当然のことなのだろう。というより、ムハンマドが唯一の神アッラーの使徒であると信じることがイスラム教徒(ムスリムやムスリマトン)の最初の条件である。

 ということは、世界には「イスラム教徒(ムスリムとムスリマトン)」というサークルがあって、そのサークルには「ムハンマドは神の使徒である」と信じなければならないという「規約」があると解釈してもいい。それを信じたくないひとはそのサークルに入らなければいいのだ。そのかわり、そのサークルに入ったひとはそれを信じ、すべてのことをそれを基本に解釈しなければならない。そういうものだと解釈しても、それはそれでかまわない。げんに近代社会は宗教をそういうものとして解釈してきた。

 だが、この解釈によると、近代的価値観が共有されている世界があって、その共有部分の上にイスラム教徒とかユダヤ教徒とかキリスト教徒とかがいるということになる。近代的価値観は世界のひとは全部が受け入れるべきで、それを受け入れた上に、キリスト教の「規約」に従いたいひとは従えばよいし、ユダヤ教の「規約」に従いたいひともそれに従えばよいし、「イスラーム」の「規約」に従いたいひとはそれに従えばよい。そういう解釈になる。

 ところが当の「イスラーム」の解釈はそうではないのだ。「イスラーム」に従うのが完全無欠の生きかたであって、そちらが基本だ。ただそうでない生きかたもばあいによっては許されるというだけだ。他の宗教の生きかた認めるというのは、たしかに、近代に入ってキリスト教が近代的価値観を受け入れるまでは、ユダヤ教やキリスト教よりも寛容な立場ではあった。しかも、その「許される」範囲は、最初はユダヤ教徒とキリスト教徒にかぎられていたのだが、そのうちどんどん拡大していった。だが、それにしても、「イスラーム」のほうが基本であって、「他の価値観」や「他の宗教」も許容するというのだから、やっぱり近代的価値観から見た宗教観とはずいぶん違っていることになる。


 近代的合理主義は、疑えるものはなんでも疑って、それでも疑えないものを基準とする発想法である。それは「疑っている自分」だという解釈から神の存在を証明しようとしたのがデカルトの『方法序説』だ。20世紀になって、近代的合理主義はヨーロッパと北アメリカの人たちだけのものではなくなり、それと同時に「神の存在」を問題にしない発想法に切り替わっていった。さらに「疑っている自分ってほんとうに疑えない?」とかいう疑いが生じて、「近代」はもうダメでこれからは「ポストモダン」だなんて話になってくる。

 それに対して、「イスラーム」のほうでは、たとえば「コーランが神のことばでないとしたら、どうしてコーランの章句はこんなに美しいのだ? これほど美しい章句はどんなにすぐれた人間でも作れるものではない、だからコーランは真に神のことばである」という証明のしかたをする。それに対して、近代的合理主義の立場からは、何をもってコーランの章句を「美しい」とするのか、それがたとえ美しいとしてもそれがどうして人間には作れないと証明できるのか、だいたいなんで神のことばがアラビア語なんだ、といちいち無粋な疑問をぶつけていくことになるだろう。発想がぜんぜん違うのである。

 やっかいなのは、ヨーロッパでも中世には神の存在をはじめから前提にするような宗教的な発想が普通に行われていて、近代的合理主義という発想法がその中世の発想法に対抗するかたちで成長していったという事情である。ヨーロッパでは、「近代」に入る時期には、キリスト教の神の存在をはじめから前提にする中世的な説明のしかたが破綻してきていた。少なくともホッブズやデカルトなど一部の思想家にはそれが破綻していると感じられるようになっていた。国王が「神から支配権を与えられた」などと言って好き勝手な支配を行うのはおかしい、神に仕えている教会や修道院が広大な領地を持っているのはおかしい、だいたい惑星が太陽を中心に回っているのもキリスト教会の説明とちがっていておかしい――そこから、当時の教会とは違う方法で神の存在を立証しようとして生まれたのが近代的な合理主義だった。

 その過程を経ていない「イスラーム」の考えかたと近代的合理主義とが出会っても、近代的合理主義のほうからは「そんな考えは自分たちがいまの思想の出発点から否定してきた考えなんだよ」ということになるだろう。

 しかも、「イスラーム」圏の側でも、そういう近代的合理主義を受け入れる動きは19世紀以来進んでいた。たとえば、19世紀にイスタンブル(イスタンブール)に首都を置いてトルコとアラブ地域を支配していたオスマン帝国は、イスラム世界の中心国家という自負を持っていた。ヨーロッパの領土を大幅に失った19世紀後期にはイスラムの旗印を掲げてヨーロッパ諸国に対する勢力挽回を図ろうという動きが強かった。しかし、そのオスマン帝国でも、イスラム教を近代的価値観に合わせて解釈し、「近代化」していくという動きが一般的だった。イスラム教が生まれた時代に戻ろうという「原理主義」的方向は、アラビア半島ではともかく、オスマン帝国中心地域では力を持っていなかったようだ(新井政美『トルコ近現代史』みすず書房)

 20世紀になればその動きは加速する。オスマン帝国では革命が起こって現在のトルコ共和国ができた。その指導者であったケマル・アタチュルクは徹底した「政治と宗教の分離」を推進し、政治や公的な活動の領域にイスラム教が影響を与えないようにしてイスラム教を個人の信仰の領域に封じこめた。それは今日に至るまでトルコの国是(こくぜ)になっている。第二次大戦後のアラブ世界のリーダーたちも、近代的組織である軍に基盤を置き、イスラム教よりは社会主義やナショナリズムといった近代的な目標を掲げて国造りを進めた。イスラム教的な概念を掲げることはあったけれども、それはアラブ人の団結を実現するための手段としてであった。これらのアラブの近代的政権は少なくとも「イスラム原理主義」的な運動には厳しい弾圧姿勢で臨んだものである。

 19世紀から20世紀にかけて、イスラム教は、イスラム教徒が多数を占める国ぐにでも近代的価値観の下に組みこまれ、世界の他の宗教と同じように「個人の内面の問題」として政治や社会から切り離されつつあったのだ。

 したがって、イスラム圏諸国・諸地域でも、近代的価値観に従ってイスラム教を「個人の内面の問題」として片づけ、「イスラーム」専門家が言うようなほんらいの「イスラーム」を時代遅れと考えるひとがかなりいると考えたほうがいいと私は思う。そして、そういう世界でいま「イスラーム復興」が起こりつつあるのだ。


 こういう状況のなかで、イスラム教なり「イスラーム」なりをどう考えればいいのだろう? この文章では、二つのことについて考えを述べておきたいと思う。


 一つは、「イスラム圏のできごと」(あるいは「イスラーム圏のできごと」)と「イスラム教」(あるいは「イスラーム」)をはっきり区別して議論することだ。

 たとえば中東の人びとはすべてイスラム教徒であるという認識があるかも知れない。事実はそうではない。ヨーロッパからやってきたユダヤ教徒の作ったイスラエルは別としても(ところで「イスラエル人はすべてユダヤ教徒」という認識も、「イスラエル人」を「イスラエル国民」と解釈するかぎりではまちがいである)、他の国にもキリスト教徒もいればユダヤ教徒もいる。4世紀にローマ帝国で異端とされてヨーロッパで布教できなくなったネストリウス派キリスト教などは、現在ではむしろイスラム圏のほうで多く信じられているのではないだろうか。また、イスラム教の一派でありながらイスラム教徒には異教視されているアレヴィー教徒もシリアからトルコに広く住んでいて、政治上も文化上も大きな役割を果たしてきた。エジプトは「アラブの中心」を自任してきた国であり、イスラム教が主要な宗教だけれど、やはりコプト教と呼ばれるヨーロッパでは正統とされていない「単性説」のキリスト教の信者がかなりいる。

 ところで、「中東」ということばも西ヨーロッパの植民地主義者が植民地支配の都合で作ったことばだから使ってはいけないという主張もある。言いたいことはわからないではない。また、20世紀の歴史のなかで、「中東」ということばは紛争とか戦争とかいうことばとあまりにセットで使われすぎ、独特の雰囲気が染みついてしまった。中東のすべてが沙漠ではないのだけれど、「中東‐沙漠‐戦争」でセットになり、「物騒な人びとが住んでいる沙漠地帯」みたいなイメージができてしまった。たぶん「中東」に住んでいる人たちにとっては「中東」はあまり愉快なことばではないのだろう。しかし、「中東」というと西アジアと北アフリカを含む地域概念で、他のことばで代替がききにくい性格がある。また、問題のことばを使わないことよりも、その問題のことばを使ってでも、そのことばを使って語られることのどこが問題かを明らかにしていったほうが有効なばあいがあると私は思っている。

 また、先に書いたように、中東のイスラム教徒の人たちがみんな「イスラーム」の教えを尊重しているともかぎらない。礼拝や断食はするだろうけれど、それ以外の生活では近代的に発想し近代的に行動するという人も多いだろう。平気で酒を飲む人たちだっている。日本の商社などで、中東でビジネスをするならばイスラム教は理解しなければならないと、中東に行く会社員がけんめいにイスラム教について学ぶ。中東の企業家にあってイスラム教についていろいろと話す。ところが、当の中東の企業家たちには、そういう日本人会社員について「イスラムの話はいいから、もっとビジネスの話がしたい」と不満を持つ。そんなことがあるそうだ(脇祐三『中東』日本経済新聞社)

 だから、中東が概ねイスラム世界だからといっても、そこで起こることをすべてイスラム教に結びつけて理解するのは無理である。結びつくこともたぶん多いのだろうけど、直接には結びつかないこともまた多い。少なくとも、「これはイスラムの問題か、それともイスラムの問題ではないのか」という判断を飛ばして「中東→イスラム」と思考を直結させるのは適切な思考法とは言えない。もちろん、中東にかぎらず、南アジアや東南アジアでもアフリカでも同じである。


 しかも、ややこしいのは、本質的な部分はイスラムの問題ではないはずなのに、関係している本人たちが「イスラム」を強くアピールしているばあいがあることだ。

 注目を集める事件のなかから典型を探すとすると、それはやはり数々の過激原理主義者や過激原理主義組織によるテロリズムだろう。たとえば、パレスチナやその周辺での原理主義的組織の活動の本質は、イスラムの問題というよりは、イスラエルに対する抵抗運動として見るべきだと思う。イラクでテロを起こす組織にも「イスラム」を掲げているものが多いようだけれども、ほんとうにどの程度までほんとうにイスラム的組織なのか、疑問である。その運動はアメリカ合衆国中心の占領行政やアメリカの「反テロ」に対する抵抗運動というところに基本があるのかも知れないし、もしかするとただの暴徒の集団や犯罪組織が「イスラム」の名を(かた)っているだけかも知れない。

 国民の大多数がイスラム教徒という地域で、しかもそこに住んでいる人の大多数が貧しいようなばあいには、「イスラム」を掲げておけばそこに住んでいる人の共感や支持を得やすい。暴力組織のばあい、そうやって人びとのあいだに支持を広げていれば捜査や逮捕されにくいという期待もあるだろうし、「イスラム」を掲げることで「この組織は自分たちイスラム教徒は狙わないんだ」という期待を人びとに持たせることもできる。

 もちろん、ほんとうにイスラム教を信じ、殉教者精神をもってテロを実行する「原理主義者」もいるだろう。しかし、その人を「原理主義テロリズム」に駆り立てた背景を見れば、やはり非イスラム大国による圧迫だったり、急速な資本主義化の下での社会の貧困の進行だったりするだろう。

 こういう暴力的な人や組織の運動をイスラム教を通じて理解しようとしても、それは本質的な理解には到達できないと私は考えている。まして、イスラムを掲げた暴力運動に対抗するためにイスラム教を敵視する政策をとったりしては問題はかえってこじれる(たとえばテロリズムの被害者が個人的にイスラム嫌いになったとしたら、それはそれでしかたないと思うけれども)。というより、「非イスラム大国によるイスラム教徒への圧迫」というその暴力運動家の期待しているとおりの結果に陥ってしまう。


 6月12日のNHKの『ETV特集』で、「イスラーム」研究専門家の小杉泰さんが、いま「イスラーム」が広く支持されている理由を二つ挙げておられた。一つは、アメリカ合衆国を中心とする経済のグローバル化で「負け組」となった人たちが、経済的な平等の実現をその教えの基本とする「イスラーム」に広く共感しているからだという。もうひとつは、「イスラーム」が国境を越えた助け合いや共感を生み出す契機になっているからだという。つまり、アメリカ合衆国を中心とする資本主義的「グローバリズム」に対抗する「もうひとつのグローバリズム」・「貧者のグローバリズム」の基盤として世界的にイスラムが支持されているというわけだ。

 資本主義の「グローバリズム」に対抗する「貧者のグローバリズム」というのは、いまはじめて出現したものではない。イスラムが注目される前には、その役割はまちがいなく社会主義が果たしていた。社会主義がその役割を果たしていたころには「グローバリズム」のかわりに「インターナショナリズム」ということばのほうが広く使われていたけれども。

 その社会主義は、ソ連を本家とするソ連型社会主義(お好みなら「スターリン主義」という昔懐かしい呼びかたで読んでいただいてもかまわない)が主流を占め、その結果、硬直した効率の悪い官僚政治と秘密警察を利用した強権支配が社会主義だということになってしまって、全世界で信望を失った。さすがにそのレーニンやスターリンの社会主義に抵抗しつづけた伝統のある西ヨーロッパの社会主義は1990年代にも威勢がよかったけれども、ドイツ社会民主党もイギリス労働党も最近では旗色が悪い(スペインの社会労働党は選挙に勝ったけれども、これも必ずしも社会主義が支持されただけの結果ではなさそうだ)。中国共産党政府は社会主義政権でありながら市場経済への道をひた走っている。中東についてみれば、イラクの政権党だったバース党はもともと社会主義系の政党だったし、アフガニスタンで戦争が始まったそもそもの原因は社会主義のソ連軍の侵攻だった。これでは中東で社会主義の信望が落ちていてもあたりまえだ。

 そんな状況のなかで、昔ならば社会主義に共感したであろう人たちが、いまではイスラムに共感している。昔ならば社会主義を支持したであろう人たちが、いまではイスラムを支持している。そう解釈するのが妥当なのではないかと思う。

 そう考えれば、富者になる自由よりも貧者の平等な連帯を高く(うた)う考えかたに対して、アメリカ合衆国はいつも異様な敵意を示すらしいということもわかってくる。アメリカ的な「富者になる自由」を高く評価してくれない相手への敵意を、アメリカは「文明の衝突」などという言いかたでごまかし、正当化しているだけなのだろう。そんなふうにも思えてくる。

 だから、本質はそのアメリカ的な「富者になる自由」第一主義への反発のほうにあって、世界的なイスラム教への関心や支持の拡大はその表れなのだと解釈したほうがいいと思う。


 資本主義グローバリズムに対抗する反グローバリズム(「対抗グローバリズム」というべきか)にしてもテロリズムにしても、本人たちが「イスラム」(あるいは「イスラーム」)を掲げ、もしかすると本人たちが明らかにまじめに「イスラム」を原理にして行動していたとしても、現在の状況では、それに向き合う私たちはそれをまず「イスラム」以外の原理で説明できないかということを考えてみるほうがいい。たぶんそのほうが事態をよく説明できるというのが私の見通しだ。

 また、イスラム教を信じていない者が「イスラム」を通じて事態を理解しようとしても限界がある。宗教風土を知らないでいきなり「聖典」を読んでみても理解できるものではない。宗教を通じた理解はとりあえず「イスラーム」の専門家の方がたに任せておいて、もっと私たちに理解しやすい視点からイスラム圏のできごとをまず考えてみるほうが有効ではないかと思う。


 もうひとつ、「イスラーム」を理解しようとすることは、私たち自身が拠って立つ近代的合理主義の発想を疑い、相対化することにつながる。「イスラーム」を理解しようとするならばその覚悟を固めておいたほうがいい。

 一方では近代的価値観が日本社会で十分に活かされていないことを嘆き、一方では「イスラーム」的価値観を手放しで賞賛するというような態度をとるとしたら、それは何か変じゃないかな、ということだ。近代的価値観を何より重視する姿勢をとるのなら、「イスラーム」に対してもその近代的でない部分には(理解したうえで)批判的に言及するという姿勢をとらないと態度が一貫しない。「イスラーム」のすばらしさを説くのならば、近代的価値観にその「イスラーム」と衝突する部分があるのなら、たとえそれがどんな好ましいものでも「これはイスラームから見ればおかしい」と言わなければ一貫しない。いちばんやってはいけないのは「ニホンジンは近代的価値観も身についていないし、イスラームについてもよく知らないようですネ。だから専門家であるワタシがその両方を教えてあげましょう」という態度だと思う。

 ところで、「近代」を超えようとしているはずの「ポストモダン」関連の文章を読んでいても、「イスラーム」についてつっこんで理解しようとする文章にはあまり出会ったことがないように思う。「イスラーム」に言及されていても、「ポストモダン」でない人たちが言っている概略的な内容を繰り返しているばあいがほとんどではないか? 「近代」を超えようとしている人たちは、その「近代」の思想と近い距離にあるフーコーとかデリダとかラカンとかのヨーロッパの哲学や精神分析学のなかにけんめいに手がかりを求めようとしている。ところが、「近代」思想からは遠く、そのぶん「近代」思想を相対化しやすいはずの「イスラーム」の認識とか考えかたとかに深く踏みこんでいかない。いったいどうしたわけなんだろう? それは、けっきょく「ポストモダン」は近代思想の一変種に過ぎないということを意味しているのではないか? もちろん私は「ポストモダン」関連の文章をそれほど手広く読んではないから、そのせいで生じた誤解である可能性もなくはないけれども。

 「イスラーム」に入信するのでも、「イスラーム」に完全に肩入れするのでもなく、「イスラーム」の立場に立って近代社会のしくみや近代的価値観を見るとおそらくこんな疑問が出てくるだろうというシミュレーションをやってみるのもいいと思う。私たちの社会自体を見つめ直すきっかけになると思うからだ(もちろん入信したくなったら入信すればいいと思うけど)

 「イスラーム」の立場から見て、私たちの社会についていちばん理解できないことは、たぶん、どうして私たちの社会では「神」なしにやっていけるのかということではないだろうか。

 これに対して、もちろん、近代社会の日「イスラーム」信者の側からは、「7世紀のメッカの商人貴族の男が神からの啓示として言い出したことをなんでそんなに無邪気に信じられるのだ」という疑問を出し返すこともできる。「神」なんて存在は、「イスラーム」にかぎらずどんな宗教のものであっても非合理的でとても信じられないと言い返すこともできるかも知れない。でも、一度ぐらいは、この問いをあほらしいとか古くさいとか思わずにいちど考えてみてはどうだろうか。

 たとえば、私たちはどうして同じ人間が決めた法に従っていて平気なのだろうか? 人間の見通すことのできないようなものごともすべてお見通しの神様と違って、人間の知っていることにはかぎりがある。人間の考えの及ぶ範囲にもかぎりがある。いくら選挙ですぐれた人間を選ぶからといっても、それほど他の人間と知っていることや熟慮できる能力に違いがあるはずもない。しかも選挙は現実には必ずしも「すぐれた人間」が当選するしくみにはなっていない。そういう人間たちが、しかも「党利党略」によって賛成したり反対したりする場で決める法なのである。そんな法の「正しさ」を保障するものは何もない。神から与えられた法ならば納得できるとしても、そんな人間たちが党派の力関係で作ったような法によって不利益を受けたばあい、私たちはほんとうに心から納得できるのだろうか?

 また、私たちはどうして神なしに立場や思想や生まれの違いを超えて連帯できるのだろうか? 「イスラーム」の神の存在を信じるならば、すべての人はその神によって造られた人間なのだし、同じように神の恵みを受けている人間なのだから、ほかのどこが違ってもその点では同じであり、だから人類全体で連帯できるのだという理屈が成り立つ(異教徒だって、神についてよく知らないだけで、神によって造られ、神の恵みを受けて生きていることに違いはないという論理で、連帯する相手に取りこむことができる)。そういう神を信じず、立場も思想も生まれもバラバラな人間が、どうして「同じ人間」として連帯することができるのか? ことばを換えていえばどうして「同じ人間」だと言えるのか? 神を信じていない人間どうしがほんとうに全人類の「平和」について語ることができるのか? そういう人間が語る全人類の「平和」とは、じつは自分たちにとって都合のいいことをしか意味しないのではないか?

 もちろん、こういう疑問に対して、近代的価値観の立場からいちいち答えを示すことは可能だ。

 だが、さまざまな近代的なしくみが、世界の多くの人を豊かにも幸せにもできておらず、その近代的価値観への疑いが広がりつつあるのもたしかなのだ。かつてはそれは同じ近代的価値観に基づいた社会主義によって「近代的なしくみにも資本主義というのと社会主義というのがあって、資本主義がダメなのだ」と説明されていた。しかし社会主義の凋落でそういう説得は通用しなくなった。社会主義の防波堤がなくなり、「近代的なしくみはすべて資本主義のものであり、資本主義に都合よく組み立てられているものだ」という非難が近代的価値観や近代的社会制度を含む近代的なしくみ全体へと向けられるようになっている。「イスラーム復興」の世界的な盛り上がりはそのことをよく示している。

 近代的制度や近代的価値観を信じつづけていたいならば、その疑問に対して適切な回答を近代的価値観の側でも模索していく必要がある。そして、それは「イスラーム」に対する答えとしてしか意味のないものにはならないだろう。「イスラーム」以外の宗教の原理主義や復興運動はもちろん、たとえば犯罪の増加とか自殺者の急増とかいう事態からも、同じ模索が求められていると考えたほうがいい。

 その模索が実を結んだとき、私たちの近代的社会は現在よりも少しでも住みやすいものになっているのではないかと思う。


―― おわり ――