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シュレディンガーの猫
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第三十二回

いまさらながら参議院通常選挙の結果について

― 2004年7月 ―

 昨年の衆議院総選挙のときに「総選挙結果の速報的批評」という文章をここの欄に載せた。今回はその参議院版である。参議院の選挙は「総入れ替え」にならないので「総選挙」とはいわず「通常選挙」というらしい。最初は「速報的批評」として書きはじめたのだが、まぁいろんなことがあって、掲載がいまになってしまった。


 振り返ってみれば、「今回の選挙にはどうも関心が持てなかったな〜」と思う。仕事が立てこんだり、仕事を遅らせたツケが回ってきたり、長引くと思っていなかった仕事がこんがらがって長引いたり、コミックマーケットの準備にかからなければならなかったりして、忙しくて選挙のことなんか考えていられなかったのである。ただし、投票所が閉まる30分前ぐらいに投票には行ったので、最低限の義務は果たした。

 だから、投票時間が延びたのはいいことだと思う。私もそのおかげで投票できた。でも、選管(選挙管理委員会)のひととか立会人のひととかそれだけご苦労が増えちゃったんじゃないのかなぁ?

 でも、振り返ってみれば、街中で選挙カーと出会ったり、駅頭で候補者が演説しているところに出会ったりということも、今回の選挙ではどうも少なかったように感じる。

 私の住んでいるところは東京選挙区だ。選挙区の候補者は10人以上立っていたと思うのだけれど、そのなかで街頭演説に出会ったのは2人の候補者だけだった。比例区の候補者には出会わなかった。私の行動範囲は一部の候補を除いてほとんど重視していなかった場所なのかも知れないから一般化はできない。もしかすると、別の地域に住んでいたり務めていたりすれば「こんどの選挙は熱が入ってるな〜」と感じたのかも知れない。でも、少なくとも、私の印象は全面的に控えめな選挙だったということだ。

 何が争点なのか、わかったようでわからない選挙でもあった。

 争点は「年金とイラク」だったという。それはわかる。与党・野党の主張もなんとなくはわかった。でも、私の印象では、与野党とも、それぞれの「年金とイラク」についての主張が何か通り一遍だったような気がする。「それってもう選挙が始まるずっと前からテレビで言っていたことじゃない?」という感じだ。選挙になったからといって、争点になる論点が掘り下げられたり、整理されたりしたようには感じなかった。

 まあ、こう感じたのは、コミケの原稿のことしか考えていなかったせいかもしれないけど。それはそうだな。投票した候補者の当落より次のコミケの当落のほうがよっぽど重大な関心事だもんね。


 私が今回の選挙でよくわからなかったのは、まず自民党が「逆風」だということだった。

 マスコミが選挙を報道するネタがないので誇大に言っているだけじゃないかと思っていた。関心を持って見ていたわけではないからはっきりしないが、自民党が「目標議席」の51議席を割るという報道は選挙公示前から流れていたように思う。でも私は本気にしていなかった。自民党が支持者の危機感を煽って引き締めを図るためにわざと流している情報じゃないかと思ったくらいだ。

 今回の目標だった「51議席」の根拠になったのは6年前の参議院通常選挙で獲得した議席数だ。このときは自民党が敗北し、当時の橋本(龍太郎)首相が退陣している。今回はこの「敗北」時の議席数を基準にし、あえて前回の「小泉ブーム」で圧勝した2001年選挙の議席数を基準にしなかった。小泉首相の支持率に(かげ)りが出てきたと言っても40パーセント台である。内閣を支持していなくても自民党候補者に入れる有権者や、「内閣も支持できないが野党はもっと支持できない」と思って自民党に投票する有権者もいるわけだから、そんなに厳しい数字ではないはずだ。

 それに「逆風」といっても今回は避けられたはずである。参議院には解散がないから、衆議院と違って選挙の時期を完全に予測できる。それを前にして与党は年金問題で「強行採決」を行い、イラク「多国籍軍」への派兵を決めている。それが選挙に及ぼす影響は十分に読めたはずだ。それをやっても「逆風」にならない、または、「逆風」になっても乗り切れるという根拠があって行ったのだと私は考えていた。

 でもそうではなかったようだ。

 今回の選挙の際の自民党は何か調子がおかしかった。機械にたとえればどこかが壊れているのではないかという感じがする。


 今回の選挙に自民党は竹中平蔵金融・経済財政担当大臣を候補に立てた。

 テレビのニュースを見ると、その竹中候補が、日本の景気は回復しているのに、野党は「どのツラさげて」選挙に出てくるのかなどと批判していた。

 学者出身で「どのツラさげて」などという品のないことばを使う感性には驚いた。大学の教授様だったころには学生をそんなことばで罵っていたのだろうか? でも竹中大臣は「学者大臣」はやめるつもりらしいからそれはいい。自分で自分を「学者大臣」と表現するのもどうかと思う。自分で自分を「研究者」と呼ぶ「学者」は何人か知っているが、自分で「学者」と呼ぶひとは珍しいと思う。でもそれも取るに足りぬ感じかたの違いだろう。

 だが、景気が回復すればそれでいいのか? (このことについては、以前、「こんな景気回復でいいのか?」で論じた)

 たしかに景気は回復している。けれども、それは、アメリカ合衆国の景気がイラク戦争の時期のどん底状態から回復し、アジア経済も好調で、その恩恵をこうむって回復しているにすぎない。加えて液晶テレビ・プラズマテレビとDVD録画機の売れ行きが好調なことが日本経済を引っぱっている。清瀬もDVD録画機を購入して景気回復に一役買った……がまだテレビにつないでいない。そんなことはどうでもいいとして、その売れ行きが一段落したあと、日本経済を引っぱれる商品があるのかどうか?

 不良債権も減ったのだろう。しかし、不良債権処理の何が評価されたかというと、「大きいところはつぶさない(too big to fail)」の原則を守ったからだ。なかなか上昇に転じなかった株価が現在の水準まで上がったきっかけの一つは、りそな銀行を救済するという政府の決断だった。いまになってようやく大銀行の一つが fail しかかっているが、それだってたとえば足利銀行のような致命的な潰れかたではない。Fail しても合併してさらに big になるだけの話である。

 大きいところは守る、中小以下は潰れるに任せる――だから市場は安定する。それが「構造改革」だ。

 それでいいのか?

 問題は景気の回復のしかたである。私の住んでいる町からも勤め先周辺の町からもいろんな店が消えた。「今年はボーナスが増えた」という話も聞くが、ここ数年で給料が下がったとか仕事がきつくなったとかいう話も複数のひとから聞いている。とくに「給料がたいして変わらないのに仕事は確実にきつくなった」という話が多いように感じる。定期昇給ストップ、成果主義の導入などという話もあちこちから聞こえてくる。足利銀行が潰れたおかげで栃木県の地元経営者たちは大きな打撃を受け、栃木県の人たちは将来に不安を感じているという(栃木県に行ってないからよく知らないけど)。男性の自殺者が増えて平均寿命の伸びが鈍り、そのおかげでアイスランドに男性の「長寿世界一」を奪われたともいう。

 アメリカ合衆国の景気回復は「雇用を伴わない回復(ジョブレス・リカバリー)」を通り越して「雇用喪失を伴う回復(ジョブロス・リカバリー)」といわれている。同じ傾向が日本でも起こりつつある。若年層はなかなか就職ができない(そんなことは大学教授をしていたのなら知っているだろう?)。中高年で失業すると「希望の職種」にこだわらずに職探しをしても職が見つからない。犯罪と自殺が増える。

 そういう社会に住む人たちが選挙民なのである。そういう人たちを前に「自分のおかげで景気が回復した」と朗々と演説する大臣の感性に私は非常な不安を感じた。ほんと「どのツラさげて」そんな演説をしたのだろうと思う。

 「たたかれてもたたかれても構造改革」というのが竹中候補のキャッチフレーズだったようだ。でも「たたかれる」にはそれだけの理由がある。自分がたたかれても信念を曲げないことをアピールする前に、自分の政策で苦痛を感じている人たちに訴えかけるのが選挙演説というものではないか。

 「構造改革」を継続することを主張するならばそれでいい。竹中氏の持論は、いくら苦痛を与えるものであっても、小泉‐竹中「構造改革」以外に日本経済を救う道はない(いまこの痛みを避ければ先にもっと激しい痛みが待っている)というものだ。それは知っているし、その点をごまかすよりは正面から「自分は構造改革を推進しているから偉い」と言うほうがよほど正直だということも認める。

 けれども、ともかくその政策の「恩恵」を受けていない人たちがいる。「構造改革」の「痛み」に耐えかねている人たちもいる。失礼ながら、報道されていた竹中候補の選挙運動からは、自分が「たたかれても改革をする立派な人間である」というナルシシズムは感じても、選挙民や国民や日本に住む人びとの「痛み」に共感しているということは少しも感じられなかった。

 その候補者を「看板候補」に擁立し、全力で応援するなんて、自民党はいったいどうしちゃったのだろう?

 いままで自民党が他の政党にくらべて圧倒的に支持を集められていたのは、大企業や大経営者団体とともに、中小企業の人たちとか中小小売業の人たちとか、また中規模以下の農家の人びとの支持を集められていたからではないか。実際に自民党政権の政策がその人たちの利益を十分に実現してきたかというと、それはまさに議論になるところだろう。けれども、これまでの自民党の選挙では、この人たちに訴えかけることを重視してきたのではなかったか?


 「自民党はどうしちゃったんだ?」という疑問は選挙結果が出た後にも感じた。

 参議院通常選挙で敗北したにもかかわらず、青木参議院幹事長の続投を決めた過程である。参議院の選挙で敗北したにもかかわらず、参議院幹事長の参議院議員会長への昇格が決まった。

 私は別に青木氏が参議院の要職を続けるのはよくないと言っているわけではない。責任を取って辞めるか、それとも職にとどまって責任を果たすかは、それぞれの政治家や政党がまさに責任を持って行う選択だ。もしかすると自民党では参議院議員会長よりも参議院幹事長のほうが実権があって、したがって実質的には昇格人事にはならないのかも知れない。それに、どんなばあいでも「敗北したから辞任しなければならない」と考えるのは機械的すぎる。

 だが割り切れなさを感じるのはその決定過程である。

 私がNHKテレビのニュースで見たところでは、これは党員や議員の会合などで決まったものではなく、小泉総裁(首相)と森前首相と、ほかにもだれかいたかも知れないけれど、ともかく一部の幹部だけで決めたことのようだ。

 この経緯から私はほかならぬ森前首相が総裁に決まったときのことを思い出した。小渕首相の逝去を受けて、一部の自民党幹部だけが集まって森氏を総裁に選出した。その森氏は、失言を繰り返し、またえひめ丸事件のときには対応のまずさを批判されて、低支持率に耐えられなくなり、自民党総裁と首相を辞任した。

 もちろんそのときと今回とでは違いがある。森氏のばあいは、自民党総裁に決まれば首相になることがほぼ確定していたわけだから、「総理大臣を与党幹部だけで密室で決めていいのか」という批判を受けた。青木氏は自民党の参議院の幹事長である。自民党の議員や党員にとっては参議院幹事長や議員会長がだれになるかは重要事なのだろうが、べつに一般国民に直接の影響があるわけではない。

 しかし、参議院通常選挙で敗北しながら、その参議院幹事長の去就を一部の幹部の話し合いだけで決めて自民党員は納得するのだろうか?

 また、それで納得するとしたら、そういう党を選挙民は信頼していいのだろうか? 私は今回の選挙では自民党には投票しなかったからどうでもいいけど。


 今回の選挙の敗因について、友党であるはずの公明党の神崎代表までが、自民党は国民への説明不足を反省すべきだと苦言を呈していた。この選挙前の「年金・イラク」問題についての「説明不足」から、竹中候補の選挙運動、そして青木参議院幹事長の留任問題へというひと続きの流れを見ると、自民党は国民とか世論とかいうものの動きが見えなくなっているのではないかという疑問を感じるのだ。

 国民や世論はどう思おうと、あえていえば選挙で敗北しようと、自民党は自民党のやり方をこれまでどおり続けるだけだ。人事も選挙の結果などに左右されるのではなく、自民党内部の論理で決める。自民党内部でそれでいいということになったのだから、外からの「雑音」に惑わされず、「構造改革」をとやらを進めていけばいい。今回の選挙は「審判」でも何でもない。「構造改革」の過程の谷間で起こった一エピソードに過ぎない。

 今回の選挙前後の自民党の姿勢からは、自民党はそんなふうに考えているのではないかと強く感じる。

 いや、この表現は適当でないのかも知れない。

 「自民党は」ではない。

 自民党でも、今回の選挙で苦戦した候補者はもちろん、地方で選挙民にじかに接している党員は選挙民の不満を強く感じているだろう。

 どうも、自民党執行部と一般国民のあいだ、また、自民党執行部と一般党員のあいだに大きな溝があるんじゃないかと私は感じるのだ。


 小泉首相・安倍幹事長の続投についても、青木氏の続投と同じような疑問がある。

 私は、先に書いたとおり、「敗北したらいつでも辞任しなければならない」という考えかたには賛成ではない。だから「続投」を決めたのも一つの選択だろうと思う。

 だが、今回の結果を、国民の信任を得たと解釈するのはどういう考えからなのだろうか?

 小泉首相は、公明党を合わせた全議席数で見れば安定多数を保持したから国民の信任を得たのだと説明する。敗北の弁ではない。選挙に勝ったときのような表現である。

 だが、安定多数を保持したのは前回の「小泉ブーム」で圧勝したときの「貯金」のおかげだ。今回は目標として掲げた議席数を下回った。小泉首相は「期待だけのときと、3年の実績が出てからとでは異なる」と今回の苦戦の理由を説明した。でも、それって、つまり今回の選挙では「実績」が評価されませんでしたってことじゃないですか? ただの議席数減ではなくて、与党第一党と野党第一党を見れば、与党第一党が野党第一党に抜かれているんですよ? 野党第二党が大敗北したおかげで、与党全体と野党全体では拮抗しているように見えるけど。

 げんに、今回の選挙の獲得議席の「基準」にした前々回には橋本自民党総裁・首相が辞任しているのである。今回はその議席数に届いていない。それでも辞任しないならばそれには相応の説明が必要と考えるのが普通じゃないだろうか?

 マスコミでは、小泉総裁と安倍幹事長の続投の理由として「ほかに人材がいない」ということが挙げられているようだ。

 それが事実としたら、これもどういうことなんだろうと思う。

 あれだけの巨大政党なのだ。しかもかつては国の指導者になりうる人材がひしめいていた。1980年代には、自民党員としても閣僚としてもかなり実績を積んだ政治家がいまだに「ニューリーダー」と呼ばれ、出番を待ち続ける状態がつづいていた。安倍幹事長の御父君の安倍晋太郎氏はそれで総理・総裁の座を(つか)み損ねた。

 その党で、小泉氏に取ってかわることのできる人材がいない?

 これって自民党にとっては相当な危機なのではないだろうか?

 ほんと、どうしちゃったんだ、自民党?


 小泉首相に取ってかわることのできるリーダーが出ないのは、ひとつは自民党内の派閥構造の変化のためだろう。

 1970年代には、田中(角栄)派、福田(赳夫)派、大平(正芳)派の三大派閥と、三木(武夫)派・中曾根(康弘)派の中規模の派閥があった。それぞれの派閥のリーダー(「領袖」などという)が総裁の地位をめぐって争った。激烈な派閥抗争も起きたかわりに、リーダーが退いてもすぐにその地位を継ぐことのできる有力な政治家がいたわけだ。1980年代には、田中派が竹下(登)派に、福田派が安倍(晋太郎)派に、大平派が鈴木(善幸)派から宮沢(喜一)派にというふうに受け継がれていくが、この派閥構造自体は変わっていない。

 ところが現在ではこの派閥の分立状況が大きく変わってしまった。

 田中派を受け継いでいるのは橋本(龍太郎)派だが、橋本派には小泉内閣が倒れたら橋本元首相を擁立するような動きは見えない。橋本派のまとめ役が青木氏だけれど、青木氏は小泉‐安倍執行部と協調関係にあるようだ。一度は目標議席に届かなければ執行部退陣もあり得ると取れるような発言をしていた青木氏は、「目標割れ」が現実味を帯びるにつれて退陣しなくてもいいと強調し始め、けっきょく小泉‐安倍両氏ともに「続投」ということで話が落ち着いた。それに対して橋本派の他のリーダーも是が非でも小泉退陣・橋本擁立を求めるという強い動きを示してはいない。

 大平派・鈴木派・宮沢派と受け継がれた名門派閥は加藤派と堀内派に分かれて、影響力を落としている。

 いま勢いがいいのは、森前首相、小泉首相と安倍幹事長を(しばらく前まで福田官房長官も)出している森派だけである。

 べつに一つの派閥が党のなかで突出するというのは自民党の過去を見ればとくに異例の事態ではない。他の派閥のリーダーがその主要派閥に挑戦してこないというのが変なのだ。あるいは、挑戦しているのかも知れないが、それが少しも小泉‐安倍執行部を動かしていない。なぜなんだろう?


 1980年代には1970年代後半の福田派と大平派が激烈な派閥争いを繰り広げた。それが党勢の衰退の原因になったということへの反省から、すべての派閥が閣僚を出す人事が行われるようになった。このやり方は現在まで引き継がれている。しかしそれでも派閥のあいだにはライバルとしての緊張関係があった。

 この激烈な派閥闘争の末に、1980年6月、当時の大平首相が急死し、大平派を継いだ鈴木善幸(ぜんこう)氏が自民党総裁・首相に就任した。鈴木首相は「和の政治」を掲げ、派閥闘争を封じるためにすべての派閥から閣僚を出す「挙党体制」を実現した。この原稿を執筆している途中にその鈴木善幸氏の訃報に接した。ご冥福をお祈りする。

 また、この時代には、どれか一つの派閥のリーダーが自民党総裁に就任するものだった。

 派閥のリーダーが総裁に就任しなくなったのは1989年の宇野(宗佑)執行部とそれにつづく海部俊樹執行部からだ。これは、当時の有力派閥のリーダーだった竹下・安倍・宮沢三氏がリクルート・スキャンダルに関係し、総裁・首相を担当できなくなったためだった。しかしこれは当時の自民党にとっては一時的な「緊急避難」ではなかっただろうか。げんに、その「謹慎」期間を過ぎたあとには、派閥リーダーの宮沢氏が総裁に選ばれている。宮沢氏に対抗する立場にあった渡辺美智雄氏も派閥のリーダーだった。

 しかし、1993年政変で自民党が政権を失ってからはどうだっただろう?

 自民党の派閥のリーダーで総裁になったのは小渕(恵三)氏と森氏、派閥のリーダー以外で総裁になったのは河野(洋平)(現在の衆議院議長)と橋本氏(当時はまだ小渕派で、総裁退任後に派閥を受け継いだ)、現在の小泉氏である。派閥のリーダー以外が総裁になる例が多くなっている。派閥のリーダーが総裁にならなくて普通になってしまったのだ。しかも総裁になるのはどこかの派閥に属している幹部党員である。つまり、派閥では総裁の上に派閥リーダーがいるのだ。

 奇妙な構図である。派閥リーダーは自民党員としては総裁の下におり、しかし派閥では総裁より上にいる。

 しかも、小渕氏が総裁に就任したのは、当時の橋本首相が参議院通常選挙で敗北して辞意を表明したからだ。緊急事態というほどではないけれど、変則的事態だということはできるだろう。派閥の有力幹部の執行部が退任した後を派閥のリーダーが責任を取って受け継ぐという事態収拾策だった。森氏の総裁就任は、先に書いたように、その小渕総裁の死去によるものだ。

 他方で、派閥リーダー以外が選ばれたときには、だれが当選しそうかは事前にわかっていても、普通に複数候補が選挙運動を行って総裁選挙を行っている。

 つまり、変則的な事態を収拾するばあいには派閥リーダーが総裁に就任し、そうでないばあいには派閥リーダー以外の派閥有力幹部が総裁に就任している。敷衍すれば、何か変則的な事態が起こらないかぎり、自民党の総裁には、派閥のリーダーではなく、どれかの派閥の有力幹部が就任するというしきたりができているように感じる。

 宇野総裁・海部総裁の就任は、有力派閥リーダーが軒並みスキャンダルにかかわって総裁に就任できないための「緊急避難」だった。ところが、いまでは派閥リーダーが総裁に就任することのほうが「変則的事態の収拾策」になっている。

 では、変則的でないばあいの派閥リーダーの仕事とは何だろうか?

 今回の小泉‐安倍執行部の「続投」を決めるにあたって活発な動きを見せたのは森前総裁・前首相である。つまり小泉総裁と安倍幹事長が属する派閥のリーダーだ。

 橋本執行部の時代でも同じだった。橋本総裁・首相を派閥リーダーの小渕氏が外務大臣となって支えた。ロシアとの外交が重要だと考えられていた時代で、外務大臣の役割は内閣にとって重要だと見られていた。

 総裁はいわば派閥の「働き盛り」の幹部党員がやるもので、総裁派閥のリーダーはその権威とか威厳とかを活かしつつ「世話役」業に徹し、総裁を背後から支えるものだという構造が自民党にはできているのではないだろうか?

 しかし、自ら総裁を目指さない「派閥領袖」っていったい何なのだろう? また、その「領袖」の保護下に総裁を目指す政治家って、ほんとうに「リーダーシップ」を期待していい政治家なのだろうか?

 たとえば、小泉総裁は自民党が変わらなければ自民党をぶっ潰すとまで言ったが、派閥リーダーの森氏が「抵抗勢力」になったばあいに、その森氏の反対を押し切って自分の信念を貫くことができるだろうか? また、かりにそうなったばあいに、現在、森前総裁・首相が務めている小泉総裁・首相を背後で支える「世話役」業の中心はだれが務めることになるのだろう?


 今回の選挙で自民党「苦戦」の背景としてジャーナリズムで指摘されるのは、自民党を支える「支持団体」の弱体化または業界団体からの支持の弱体化だ。

 鈴木宗男氏の「反乱」がそれを端的に表している。鈴木氏は、自分が議員を辞めたために地元に公共事業の予算が回らなくなったことを有権者に訴え、地元に利益誘導をして何が悪いと熱っぽく演説していた。

 その鈴木氏の姿は、目の前に並んでいる有権者が「景気回復」を実感していようが実感していまいがお構いなしに「自分のおかげで景気は回復した」と自信たっぷりに演説した竹中大臣の姿とまさに好対照だった。

 自民党は業界団体などの組織や地元の有力者に強力に働きかけて票を集めてきた。その見返りにその業界や地元に予算を使って公共事業を割り当てる。業界団体や地元有力者はまた業界の人や地元の人に強力に働きかけて自民党候補に投票させる。そのかわり回ってきた公共事業で業界や地元の一般の人びとも潤う。あるいは、たとえば(こめ)の自由化などがもたらす危機的状況から一時的にであれ救われる。この業界団体や地方有力者を通じた業界人・地元民とのつながりが自民党政権を支えてきた。

 それが通用しなくなったということだ。

 その理由の一つはやはり社会の都市化と市場の自由化だろう。

 農山漁村の「封建」的社会では有力者の言うことに逆らうとそこの町や村では暮らせなくなってしまう可能性があった。業界団体も同じだ。業界の世話役的な人の意向に逆らえば仕事を回してもらえなくなるかも知れない。そうなれば従業員もその家族も路頭に迷うことになる。

 だが、社会が都市化すれば、地元の有力者の言うことを聞かなくても暮らしていくことはできる。だいいち、「封建」的な社会ならば、だれが依頼されたとおりに投票しなかったかを突き止めるのは比較的にたやすい。少しでも社会が都市的になって何を考えているかがわからない有権者が増えるととたんに「裏切り者」探しは難しくなる。また、市場が自由化すれば、業界ボスから仕事を回してもらえなくなっても、自分で仕事を取ってくればいい。この「IT」時代に、意欲のある経営者は、わずらわしい業界の人間関係を通じて仕事を取るよりも、インターネットで広告を打って仕事を受注しようとするかも知れない。

 しかも、1990年代以来の不況で、有力者や業界ボスの言うことを聞いていても家族もろとも路頭に迷う可能性が出てきた。さらに、同じ1990年代以来の不況で、下手に利益誘導してもらって公共事業で地方に大ホールやテーマパークや工業団地なんかを作っても、できたあとにそれを維持するための費用が地方社会に重い負担としてのしかかるようになった。工業団地を開発しても工場が来ないので開発費用が回収できない。負担に耐えかねて施設を投げ出したらこんどは失業者があふれ出す。投げ売りしたら大赤字が出る。利益誘導で地方社会は一時的には得をしてもけっきょくは負担を抱えこむことになる。利益誘導はかつての魔力を失う。

 ここで自民党にとって重要なのは、「構造改革」政策がまさにその利益誘導の魔力を失わせる役割を果たしていることだ。補助金の削減や公共事業の見直しで、地方や業界に回る利益は減っている。


 日本社会が発展していく過程で、その最先端についていかない人びとやついていけなくなった人びとを組織し、その人びとから組織的に支持を集め、そのかわり組織的にその生活の資を保障するのが自民党政権が圧倒的な支持を集められた理由だった。その仕組みを自ら捨て去りつつあるのだ。というより、もうそれがつづけられなくなったのだ。

 こんな状況では、業界団体の世話役が「自民党候補に投票を」と呼びかけても、「どうして自分に仕事をくれもしない自民党に投票しなければならないのか」という反応が返ってくるのが当然だろう。

 私は業界団体や地元有力者を通した支持獲得がいいとは思わない。それは想像するのも息苦しい悪い意味での「ムラ社会」だ。そういうことをやっていては社会は変化しない。変化しない社会というのもそれはそれでいいと思う。けれどもそうすれば世界の動きから日本全体が取り残されてしまうことになる。また、そういう悪い意味での「ムラ社会」的なやり方は、自民党が「構造改革」を推進しようがしまいが、いずれは社会の都市化と市場の自由化の流れのなかで効力を失っていく。

 小泉「構造改革」は社会の都市化と市場の自由化の流れに対応しようとする自民党の運動なのだろう。

 自民党は、これまでも、社会の発展の最先端で経済的にも社会的にも成功した人たちの利益を擁護する政党ではあった。発展の最先端で成功した人たちの利益を代表しつつ、その発展の最先端についていかない人たちやついていけない人たちの利益も代表して、その両方の利益の均衡を図ることで自民党は権力を守りつづけてきた。つまり、発展の最先端で成功した人たちが挙げる利潤を、そうでない人たちに公共事業などを通じて配分していったのだ。そのためにも、自民党は国家機構を動かせる立場にあることが必要だった。

 1990年代の不況と「グローバル化」でそれをやっている余裕がなくなってしまった。もっと具体的に言うと中国が資本主義化して日本の手強い競争相手になってきた。発展の最先端を行く人たちもいまや厳しい国際競争にさらされている。それでその利益を「後進」の部門に振り分ける余裕を失ってしまったのだ。その産業構造の変化に合わせるために自民党は「構造改革」を決断した。

 けれども「構造改革」を進めれば自民党は社会の発展の最先端で成功した人たちを擁護する政党に純化してしまう。発展の最先端についていかない人たちやついていけなくなった人たちには冷たい政党になる。その「冷たさ」への動きを見抜かれて今回の自民党は得票を減らしたと言っていい。けれども、従来どおりの利益の配分を期待して自民党に投票する人たちもまだいる。

 自民党執行部と一般の党員や一部の候補者とのあいだに見られた「断絶」感もたぶんこのことと関係がある。

 「構造改革」を進める以上は従来の支持層に大盤振る舞いは約束できない。しかし、利益誘導に期待して自民党に投票する有権者がいるかぎり、その人たちを見放すような態度を取ることもできない。だから、今回の選挙で執行部から有権者にあてて明確で強力なメッセージを発することができなかった。そんなことなのかも知れない。

 小泉総裁の「期待だけのときと成果が出てからとでは違う」という表現は、その自民党執行部の苦衷を表現しているのかも知れない。成果は出た。だが、それに対する自民党執行部の対応が決まらない。社会の最先端を行く部分に絞って支持を求めるか? これまでのように社会の最先端以外の人たちにも手厚く支持を求めつづけるか?

 「構造改革」の趣旨に忠実に進むなら、社会の最先端を行く人たちに支持を求めるべきだろう。自ら道を切り開いて先頭に立って進む人たちを支援する。賃金は成果主義で、会社や社会に目に見える貢献をした人たちに思いきり手厚くする。そのかわり社会の最先端についていけない人たちやついていく気のない人たちには最低限の保障をするにとどめる。定期昇給などもってのほかだ。急進的自由主義政党の道である。この方向に突き進めば、自民党をこれまで支持してきた中小企業者や農山漁村の人びとは離れてしまう。

 他方で、これまでどおり、社会の最先端を行くのでない人たちにも手厚く支持を求めるならば、財政状況の厳しいなかでその利益もできるだけ保障していかなければならない。だが、保障するにしても現在の財政事情では切りつめざるを得ないから、がんばってみてもそのがんばった分だけ得票につながるとはかぎらない。しかもより急進自由主義的な政策を求める人たちは苛立ちを強めるだろう。「構造改革はかけ声だけ、自民党は何も変わっていない」ということがはっきりしたら、すくなくともいまの小泉執行部には致命的な打撃になる。いまさら「古い構造を温存して少しずつ改革を進めていくことにする」なんて言えるはずがないからだ。

 どちらの道を選んでも、自民党は支持を減らさざるを得ない。

 しかも、現在の自民党にはさらに困る点がある。社会の最先端を行き、急進自由主義的な政策を求める人たちも、より弱者に優しい政治を求める人たちも、自民党に投票しなかったときには民主党に投票するだろうということだ。どちらを切り捨てても、切り捨てられた人びとが民主党支持に回ってしまう。

 自民党は大企業から中小企業者や農山漁村の人びとまでの幅広い層を代表する政党である。だが民主党はもっと幅が広い。旧社会党の党員やその系譜を引く社会民主主義者から、急進自由主義的な信念を持つ、つい先ごろまで自由党員だった党員までをその党のなかに抱えている。民主党は労働組合からも支持を得ている。さらに前回の衆議院総選挙の前後から民主党は農山漁村での運動も強化した。自民党に切り捨てられた人たちがどんなひとたちであっても、その「受け皿」にはすぐになれる。

 こういう状況で、自民党が下手に一部の支持層の利益を犠牲にするようなそぶりを見せれば、その支持層を失うだけではなく、それが民主党支持層に移ってしまう可能性があるのだ。

 だから、自民党執行部としては、社会の最先端を行く人たちの層からも、そうでない人たちの層からも期待を繋いでいなければならない。小泉総裁・首相や安倍幹事長の人気に頼り、具体的に「こうすれば日本はもっとよくなる」という積極的で鮮やかな展望をなかなか打ち出すことができずに防衛的な選挙を戦うしかなかった。

 自民党はこれからいったいどうするのだろう? 急進的自由主義を追求する社会の最先端で成功した人たちの党になるのか、それとも社会の最先端について行かない・行けない人たちの党になるのか、それともどちらとも取れるような態度をつづけて両方から支持してもらうことを期待しつづけるのか?

 どれが自民党にとっていい選択かは私にはわからない。自民党の人たちが決めるべきことだろう。


 今回の選挙では民主党が善戦した。これも私の予想の範囲をはずれていた。

 現在の岡田代表が就任して間もないころ、マスコミのインタビューに対して「民主党は50議席前後は取らなければならない」と断言したとき、私は「あ、このひとすぐに辞めるつもりだな」と感じた。民主党に50議席を取る実力はないだろう。そうなると、50議席を取ると言った岡田代表の発言は実現しなかったことになる。何ごとにも潔さを重んじる民主党の党風から言って、岡田代表には辞任を求める圧力がかかるだろう。それで岡田氏は退陣し、代表の地位はだれか実力者に譲る。岡田氏は「選挙管理執行部」のつもりだな、と私は思った。そうでなければ、岡田氏がまじめすぎて(そういう評判はあちこちできいた)、後に自分の地位を失わせるかも知れない発言もあえてしてしまったのかと思った。

 どうやら私のまちがいだったらしい。

 私は、昨年の衆議院総選挙で民主党が「日本型二大政党制」などと言い出したとき、いったい何を浮かれているのだと思った。昨年の衆議院総選挙程度の獲得議席では、「常に野党第一党だが、けっして与党にはなれない」という1993年より前の社会党とたいして変わらない。これではとても「二大政党制」と言える状況ではないと思った。かつての社会党のように、意欲だけ空回りして獲得議席数を伸ばすことができず、政党としての生命力をすり減らしてしまわなければよいがと危惧した。

 ところが今回は民主党が得票と獲得議席を伸ばした。しかも、マスコミの報道によれば、民主党は今回は農山漁村部の票を積極的に取りに行っていた。農山漁村部の割合が高いと思えるような選挙区でも民主党候補が当選したところもあるし、負けても「惜敗」のところもあった。岡田民主党は私が考えていたよりずっとまじめに票取りに取り組んだらしい。

 また、岡田代表のまじめすぎるほどまじめな印象も、今回の有権者には強くアピールしたのではないかと思う。もしかすると、前回の選挙で自民党の小泉総裁の「まじめさ」に期待した人たちが、小泉総裁に裏切られたと思って、よりまじめそうな岡田氏に期待したのかも知れない。「調整役」型の無個性で温和なだけのリーダーシップでも、「清濁(せいだく)(あわ)せのむ」タイプの豪放なリーダーシップでもなく、ひたすらまじめなリーダーシップが求められている時代なのだろう。


 ただし、今度こそ民主党は浮かれてはいけないと思う。

 民主党はがんばった。でも、それ以上に民主党に「追い風」となる要素があり、それで民主党の得票が伸びたのも確かだ。

 まず、今回は年金問題が自民党にとって逆風になった。中高年層は年金問題には敏感である。普通なら自民党に投票する中高年層が、今回は自民党に対する「罰」や「お灸」の意味をこめて民主党に投票した可能性がある。

 また、参議院通常選挙と衆議院総選挙では票の集まり方が違う。「米、消費税、リクルート」で自民党に強い逆風が吹いた1989年の参議院選挙では自民党は惨敗した。しかし翌1990年の衆議院総選挙では自民党が安定多数を確保した。今回程度の勝ちかたでは、民主党はもしかすると衆議院総選挙では自民党に勝てないかも知れない。

 もうひとつ、今回の民主党の議席増は、6年前の総選挙で政権への批判票を吸収した共産党から批判票が移ったためでもあろう。いわゆる「無党派」の票である。この票は次の選挙のときにはもしかすると自民党に流れてしまうかも知れない。少なくとも、次回も今回のように爆発的に獲得議席数を伸ばすのは難しい。次回も爆発的に票を伸ばすとしたら、自民党支持層を切り崩し、「無党派」に変えてそれを民主党支持に持っていくか、それとも民主党支持層に組織してしまうか、どちらかをするしかない。どちらにしても今回の運動よりもずっと難しい。

 それでも、民主党が次の総選挙に向けて地道な支持拡大の運動を進めて行けば、民主党が自称する「二大政党制」はもしかするとそれほど遠くない時期に実現するかも知れない。


 社会主義政党二党については、その惨敗ぶりまたは「低空」での現状維持ぶりに何を言えばいいのだろう?

 たしかに、ヨーロッパでも1990年代後半に勢いのよかった社会民主主義政党や「元共産党」系政党は、21世紀に入ってから苦戦している。それでも、ドイツではなんとか政権を維持しているし、スペインでは政権を奪還した。イギリス労働党は確かに統一地方選挙で歴史的・地滑り的大敗北を喫したが、フランスでもイタリアでも社会主義政党は確実な勢力を保ちつづけている。

 それとくらべて、日本の社会主義政党はどうしてここまで衰退したんだろう? 「二大政党化の流れを阻止できなかった」などと外部に主原因を求める前に(それは外部に原因があるのもわかるけど……)、もういちどここ数年の党の活動について再検討してみるべきではないのだろうか?

 まあ、今回の更新でこの文章を載せられて「シュレディンガーの猫」が隔月連載にならなくてよかったと安心しているような志の低い私に言われるようなことじゃないかも知れないけど。


―― おわり ――