恭仁(くに)京を訪れる

清瀬 六朗



2.

関西線レールバス(27KB)
 ジェイアール関西本線(加茂〜亀山)間を走るレールバス。2両連結で走る場合と、1両だけで走る場合とがあるようだ。車輌にもボックスシートのある車輌とロングシートのみの車輌がある。

 ところで、私がここまでの文で書いてこなかったことがある。

 平城京は現在の奈良市にあたる。難波(なにわ)京は大阪市だし、紫香楽(しがらき)京は現在の信楽(しがらき)だと書いた。私は平城京跡にも難波京跡――現在はNHK大阪放送局が建っているらしい――の近くにも紫香楽京跡にも行ったことがある。紫香楽京跡に行ったときに乗った鉄道は、まだ「信楽高原鉄道」ではなく「信楽線」だった。

 だが――。

 ずっと疑問に思っていたことがあって。

 「恭仁」ってどこ?

 恭仁の場所を知らないのだから、もちろん恭仁京の跡にも行ったことがなかった。


 さて、今回、関西のほうに行く用事があって、帰りに関西線に乗ってみようと思った。

 関西本線は大阪のジェイアール難波(なんば)(昔は湊町といった)から奈良と木津を通り、柘植(つげ)・亀山を通って名古屋までつながっている線である。亀山から先は三重県につながる紀勢本線とも合わさって名古屋に向かう。大阪〜奈良〜名古屋を結ぶ幹線である。

 ……はずなのだが。

 たしかに難波〜奈良間は快速電車が頻繁に走っている近郊区間であり(「大和路線」というらしい)、大都市大阪とそのベッドタウンをつなぐ幹線である。その快速電車の一部は、奈良‐京都線(ジェイアール奈良線)との分岐点の木津から名古屋方面に向かう次の駅の加茂まで行く。

 けれども、加茂から先、亀山までは、一時間に一本、車輌一輌だけのワンマン運転のディーゼル車が走っているだけだ。たいへんなローカル線だ。亀山から先はいちおう名古屋の近郊区間ということになるのだろうが、紀勢本線はともかく、少なくとも関西線のほうはあまりぱっとしない。

 なぜ関西線の奈良‐名古屋間が実質的にローカル線になり、とくにそのなかの加茂‐亀山間がそのなかでも()級のローカル線になるかというと――。

 まず、ジェイアール側では、大阪から名古屋に行くならば大阪‐京都‐名古屋という東海道線ルートのほうが大幹線である。新幹線もこっちを走っている。なんでも、もう100年近くも前、主要な鉄道が国有化されたとき、関西線を持っていた会社と東海道線を持っていた会社が違ったとかで、国有化後には東海道線を握った会社の系統が優勢になり、旧ライバル線だった関西線のほうを冷遇したと聞いたことがある。だから、東海道線は発展し、関西線は沿線ともども発展から取り残されたらしいのだ。

 もう一つの要素は並行する私鉄としての近鉄の存在である。最近、バファローズ球団の命名権を売り出そうとして反発を受け、撤回したあの近鉄だ。正式名称は近畿日本鉄道である。昔は「鉄」の字が「金を失う」になるのを嫌ってわざと右側を「矢」と書いていたらしいが、お子さまの教育上よろしくないのでやめたという話をきいたことがある。

 近鉄は、奈良と難波(なんば)を、それもジェイアール線と違って直線に近いルートで結ぶ線を持っている。また、その難波と名古屋を結ぶ線も持っている。近鉄の難波‐名古屋線は奈良県の南のほうを回るので、距離は近鉄線より関西線のほうが近いはずだが、近鉄は複線電化しているし、特急も走っている。近鉄は奈良と京都も結んでいて、ジェイアールの奈良‐京都線(奈良線)が基本的に単線なのに対して複線である。

 そこで、難波あたりに住んでいる人が名古屋に行こうとすれば、新大阪に出て新幹線を使うか、近鉄特急を使う。近鉄特急「アーバンライナー」なら2時間ちょっとで名古屋に着く。料金は難波‐名古屋間の近鉄特急のほうが新大阪‐名古屋間の新幹線より2000円程度安い。奈良に住んでいる人はどうするかというと、南のほうならばやっぱり近鉄特急に乗るだろうし、北の奈良市のあたりならば近鉄電車で京都に行って新幹線で名古屋に向かう。

 「鉄」な人かマニア以外、まちがってもジェイアール関西線で名古屋に行こうなんてまず考えないと思う。

 関西線だと時間がかかりすぎるからだ。列車に乗っている時間を単純に合計しても奈良から名古屋まで2時間50分ぐらいだし、実際には途中で乗り換えのために列車を待たなければならないのでもっと時間がかかる。

 奈良から名古屋まで直通の急行「かすが」号はあり、名古屋と奈良のあいだを2時間ちょっとで結んでいるが、近鉄の「アーバンライナー」なら同じ時間でもっと遠い難波と名古屋とを結んでしまう。何より「かすが」は一日一往復しかない。「かすが」を一時間に一本ぐらいの頻度で頻発して2時間で奈良‐名古屋間を結べば、3670円で近鉄の大和八木‐名古屋間が1時間30分〜2時間で3520円だから……やっぱりあんまり勝ち目はないか。でも、「かすが」を快速にして急行料金がかからないようにすれば2000円ちょっとの値段になり、近鉄特急よりはずっと安くなるわけで、まだ競争できると思うのだけれど。鉄道会社にあんまりやる気がないのかな。

 奈良‐亀山がジェイアール西日本、亀山‐名古屋がジェイアール東海と会社が分かれているのが関西線の「活性化」を妨げているという話をきいたこともある。だとしたら、この線は、100年前の鉄道国有化で割を食い、1987年にはこんどは国鉄民営化でまた割を食った不運な線だということができる。もしかすると、沿線に自民党の有力政治家がいなかったとか、そういう事情でもあるのだろうか。

 これでは関西線には京都経由新幹線ルートにも近鉄にも勝ち目はない。

 ところが、私はある程度の「鉄」気があることもあり、だいたい平均すると5年に一度ぐらいの頻度でこの関西線(奈良〜名古屋間)に乗っている。

 関西線の沿線、とくに弩級ローカル線である加茂‐亀山間の車窓から見る景色が私は大好きなのだ。奈良側から行くと、まず車窓からは木津川が流れて行くのが見下ろせる。木津川はけっこう大河で、水量も多いのだが、それが狭まった谷あいのごつごつした岩のあいだを渦巻いたり淀んだりしながら流れ抜けていく。オランダ人に「日本には川はない、あれはぜんぶ滝だ」と言われた「日本の川」らしい壮観さだ。

 木津川と分かれると鉄道はしばらく山あいを抜ける。こんどはときどきトンネルを抜けながら山あいをゆく山の鉄道の風情がある。そこを抜けるとこんどは意外と広い伊賀盆地が広がる。伊賀忍者の里でもあるし、また、俳人松尾芭蕉を生んだ土地だ。江戸時代には東海道の拠点だった地域である。川から山あいへ、そして稲田の広がる盆地へと大きく景色が移り変わるのだ。こういう景色の移り変わりは新幹線で名古屋へ出たのでは感じることができない。だから、私は、関西に行ったときに時間が許せばこの関西線で名古屋に出ることにしている。問題はなかなか時間が許さないということだったりするのだけど。


 この日、私は関西から早めに東京に戻る計画だった。午後に東京でやらなければならない仕事があったからだ。ところがその仕事が思いもかけず携帯電話一本でさっさと片づいてしまった。携帯電話を持っているとどこにいても仕事に呼び出されかねないという困った点もあるが、こういうときには便利である。それで急いで東京に戻る理由がなくなってしまい、だったら、しばらく乗っていなかった関西線に乗ってみようと思い立ったわけである。

 木津の駅まで行き、そこで奈良方面から来た「大和路快速」を待つ。木津は、名古屋方面に行く関西線、京都に行く奈良線、大阪市を通って宝塚まで行く片町線(ジェイアール東西線、福知山線とつづく)の分岐駅である。京都、奈良、大阪、名古屋という地方のわりと大きい都市に鉄道が通じているのだ。そのわりにはひなびた駅という印象を受ける。活用のしかたによってはもっと駅も街も栄えるんじゃないだろうかと思うのだが……何かもったいないように感じる。

 さて、「大和路快速」の終点の加茂まで行ったのだけれど、その先に行く亀山行きが40分以上先にならないと出ない。駅のホームで40分待つのも退屈なので途中下車してみることにした。

 加茂は関西線に乗るたびに通っているけれど、木津‐加茂間が電化される前は加茂はただの通過駅だった。それ以後も、たまたま加茂での乗り換えにあまり時間がない接続だったので、加茂はただの乗換駅だった。だから加茂で下りるのはこれがはじめての体験だ。

 で、加茂駅で途中下車して駅周辺の案内看板を見ると、恭仁京跡というのが載っていた。「ああ恭仁京というのはこんなところだったのか」とはじめて知ったのである。

 加茂駅は木津川の南側にあるけれども、その対岸の北側が「恭仁」というところらしい。木津川を渡る橋も「恭仁大橋」と名まえがついている。

 けれども恭仁京跡は加茂駅から見て木津川の対岸である。40分の待ち時間で行って帰るのはちょっときつい。だから、最初は恭仁京跡に行くのはまたの機会にするつもりだった。とりあえず木津川縁まで行って、時間までに加茂駅に戻れればいいかと思っていた。


 駅前の商店街が木津川のほうに向いてついているので、その道をたどってみた。「地方の商店街」らしくぜんぶシャッターが下りている「シャッター通り」になっているかと思ったが、そうでもない。

 アーケードも何もない、ごくふつうの道の両側に店が並んでいるだけの商店街だ。店先で近所の人らしいお客さんと店員さんとが大きい声で話をしているのが道の反対側まで聞こえてくる。でも、「店」って、ものを売るだけではなくて、またたんに「情報」を交換する場所というだけではなくて、買うものがなくてもお客さんが来て店の人と駄弁を交わしていくような場所なのがほんとうのあり方なのかも知れないと思う。

 商店街から横道を抜けて木津川の堤防に出る。木津川の堤防は高い。その高い堤防の向こう側に薮が広がり、場所によっては畑が開かれていたりして、その向こうに川が流れている。堤防がやたらと高いのは上流にダムがあるかららしく、「ダム放流時の増水に注意」という看板が出ていた。

 木津川からすぐに引き返してもよかったのだけど、それだと少し時間が余りそうだったので、少し先の岡田鴨神社というところまで行ってみることにした。地図だとすぐ近くらしかったし、いま行かなければたぶん永久に行かないだろうとも思ったので訪ねてみることにしたのだ。

 商店街のあたりの駅前の町並みが少し途絶えた向こうに家のかたまっているところがある。家が軒を連ねている。土地はいっぱいあるのだから道沿いにこんなにかたまって住まなくても……と思うのだが、日本の「集落」というのはこんなふうにできているものなのだろうか。

岡田鴨神社(45KB)
岡田鴨神社

 神社まですぐ近くだろうと思ってその町のなかに入ったのだけれど、なかなか行き当たらない。けっきょく岡田鴨神社は町を抜けた先にあった。

 こぢんまりとした神社である。薄日になったり(かげ)ったりだったが、お昼の日が弱く照っている。寒くはない。寒いことは寒いけれど、厳しい寒さというわけでもない。季節は少しずつ明るさを取り戻しているのが感じられる。よそから来たものの感想とか感傷に類するのはわかっているが、やっぱりここでは時間がゆっくり流れているという感じがする。

 神社にはだれもいなかった。でも、拝殿には大きな絵馬がかけてあって、地元の人たちがよくお祭りしているのがわかる。

 奥に社が並んでいて、手前に小さな祠がいくつか並んでいる。社もそんなに大きくない。妻の側に入り口のある、春日大社の本殿などと同じ造りで、朱塗りが鮮やかだ。

 あまり時間がないことはわかっていたので、それぞれのお社と祠の前で急ぎ気味に柏手(かしわで)を打ち、急いで駅に戻ろうとした。

 ところが、来た道を戻って神社のある町を抜けたところで発車3分前になってしまった。駅まですぐ近くだと思っていたのだがけっこう遠かったのである。ここからさらに商店街を端から端まで抜けないと駅前まで行かない。駅に着いてからも、跨線橋を上ってそこからホームに下りなければならないので、また1分近くかかると見ておいたほうが安全だ。

 商店街を2分で抜けるのはどう考えても無理だ。

 住んでいるところの近くならば、わりと大ざっぱに時間を見積もっても、ぎりぎりにはなっても電車の時間に間に合わせることはできる。私は超越的方向音痴ではあるのだけれど、はじめて訪れた土地でも距離感覚を大幅にはずしたことはあまりない。「あまりない」というのはたまにはあるので、吉祥寺駅からジブリ美術館の前を通って三鷹市役所まで歩いたときなど、いつまで経っても目的地に着かないのでけっこうあせったものだ。途中で「おおこれが由乃さんが令ちゃんと田沼ちさとが歩いているのを見ていた歩道橋か!」などと慨嘆しながら歩いていたので、これはほかのことを考えすぎて失敗した例だろう。なぜか、今回は、ほかのことも考えていないのにその感覚が大きくはずれてしまった(じつは考えていたのか?)

 そんなわけで次の列車を一時間待たなければならなくなってしまった。

 観光案内板を見れば恭仁京跡は少し遠そうだが、一時間あれば行って帰れるだろう。それで私は恭仁京跡まで歩いて往復することにした。時間があれば、恭仁京と並んで看板に出ていた海住山寺にも行って帰って来ようと思った。


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