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「永遠のアレグレット」にのせて



朝比奈隆,東条碩夫(ひろお)

朝比奈隆 ベートーヴェンの交響曲を語る

音楽之友社


 新日本フィルハーモニー交響楽団が3月の定期演奏会(トリフォニー・シリーズ)で朝比奈隆追悼演奏会をやるというので、行ってきた。

 指揮はドイツのハレ国立フィルハーモニー音楽監督のヴォルフ‐ディーター・ハウシルト氏である。曲目はブルックナーの交響曲第五番で、当初の予定では朝比奈隆さんが指揮するはずだったらしい。


 演奏は、派手さを狙わない、堅実・着実なものだった。もともと演奏効果の上がりにくい(平たく言えば「眠い」)、しかも複雑なつくりの曲である。ハウシルト氏は、その曲を、演奏効果を上げることを狙わず、複雑な対位法の絡まり合う最終楽章へと着実に進めていったのである。

 ブルックナーとはこういう朴訥な人だったのかも知れない。息をのむような派手さはなかったが、聴いて終わったときには心のなかにずっしりとこたえる充実した印象が残った。


 で、ここで採り上げるのは、この演奏会ではなく、その演奏会で買った本である。

 ハウシルトさん、新日フィルのみなさん、ごめんなさい。


 この演奏会では、ロビーで朝比奈隆さんのCDと本を売っていた。その日の曲目や、その日に出演する指揮者・独奏者・楽団のCDを売っているのは普通のことだけれども、著書まで売っているのはあまり例がない(だいいち、当日の指揮者ハウシルト氏のディスクはなかったような気がするが……)。

 さらにこの日は朝比奈隆さんの回顧写真展もロビーで開かれていた。開演前から会場は熱気にあふれていた。クラシックの演奏会でこれほどの開演前の熱気を感じたのは初めてである。

 売っていた本のなかから、私は『指揮者の仕事』(実業之日本社)、『楽は堂に満ちて』(音楽之友社、旧版は日本経済新聞社・中公文庫)、『朝比奈隆 ベートーヴェンの交響曲を語る』(音楽之友社)を買った。

 他の二冊もおもしろかったけれども、私は、音楽評論家の東条碩夫(ひろお)さんのインタビューに答える形式で書かれたこの『ベートーヴェンの交響曲を語る』がいちばんおもしろいと感じた。


 最初に断っておく。私は楽譜はほとんど読めない。中学校までの音楽の授業で習う程度の基礎知識は知っているけれども、漢字とひらがなを知っていれば日本語の文章が読めるというわけではないのと同様、それだけでは楽譜は読めない。とくに交響曲の全体の楽譜(「総譜」または「スコア」という)などとなるとお手上げであり、ほとんど歯が立たない。

 それでもこの本がおもしろかったのは、「原典に忠実」ということの意味を考えさせてくれる文章だったからだ。


 「原典に忠実」とか「楽譜に忠実」と言ったところで、ベートーヴェンならベートーヴェンの音楽を演奏するとき、楽譜に書かれたとおりを演奏するのが正しい演奏なのだろうか。


 現在では、作曲家が書いたとおりに演奏するのが正しいというのが主流の考えかたである。アーノンクールやガーディナーやインマゼールなどの演奏家は、作曲家が書いたとおりに、作曲家が書いた時代の楽器で、作曲家が書いた時代の奏法で演奏するものだと主張していて、その主張に沿った「古楽器」(または「時代(ピリオド)楽器」)による演奏を精力的に発表している。なお、アーノンクールというのは、小澤征爾の一年前の2001年にウィーンフィルのニューイヤーコンサートを指揮した、現在ではもう古参の指揮者である。

 けれども、20世紀前半までは、作曲家の書いたとおりに演奏しなければならないとは考えられていなかった。いくら作曲家の書いたとおりに演奏しても、演奏が盛り上がらなければ意味がない。作曲者の書いたものを変えてでも演奏会の場で観客に強い印象を残さなければならない。そのような演奏が理想とされたのだ。

 このような考えかたは当時のヨーロッパを覆っていたロマン主義の風潮によるものだ。

 また、20世紀初頭当時、レコードがそれほど普及していなかったことを考えると、当然でもある。どんな「名曲」でも、観客の多くはその曲をはじめて聴く。しかも二度と聴かないかも知れない。レコード(CDも含む)を繰り返し聴いて「正しい」演奏とはどういうものかを考える余裕のある20世紀半ば以降の聴衆とはまったくちがうのである。演奏は常に「一発勝負」なのだ。だから、その場で聴衆に訴えかける演奏でなければ、その曲の価値自体も軽く見られてしまうことになる。


 だから、20世紀初頭の音楽家たちは、曲をよりドラマチックに大幅に編曲して演奏するのが常だったという。ベートーヴェンの作品は大幅に手を入れられたようだ。20世紀初頭のドイツのスター指揮者だったマーラーによる編曲版もあるし、やはり20世紀半ばまで活躍した日本人指揮者の近衛秀麿による編曲版もある。その当時としては同時代の作品に近いチャイコフスキーの協奏曲も、作曲者以外の演奏家が勝手に改訂の手を入れた改訂版で演奏されることが多かった。ブルックナーの交響曲も弟子や指揮者などが手を入れた版で演奏されていた。

 20世紀も半ばに達し、レコードが普及するにつれて、次第に「勝手な編曲」は少なくなっていく。それでも、フルトヴェングラーなどは、楽譜にない表情をつけ加えたり、部分的に楽器を追加したりして、その演奏会場で聴衆に最大の感銘を与えるように演奏していた。フルトヴェングラーにとっては、演奏会場の聴衆を置き去りにした「正しい音楽」など無意味なものだったのだろう。

 いっぽう、このような流れに抗して「楽譜に忠実な演奏」を確立したのがトスカニーニで、20世紀後半にはトスカニーニの方法が主流を占めることになった。

 フルトヴェングラーは、演奏会場にいない客に音楽を聴かせる「録音」というやり方の位置づけに最後までとまどいつづけたらしい(機械的な仕組みがよくわからなかったらしいという話もあるが)。これに対して、トスカニーニの方法を受け継いだカラヤンは、第二次世界大戦後、録音メディアを積極的に活用し、録音と演奏様式を結びつけて楽界の覇者となったのである。


 朝比奈隆はフルトヴェングラー的な演奏の影響から脱しようと挌闘しつづけた人である。

 フルトヴェングラーは尊敬している。朝比奈の著書や対談にも、フルトヴェングラーと近衛秀麿とはよく出てくる。しかしトスカニーニはほとんど出てこない。同じ1908年生まれのカラヤンは、当然のことながら同世代扱いであるし、ムーティになると、これも当然ながら後輩扱いである。だから、朝比奈がフルトヴェングラーと近衛秀麿とを尊敬し、その音楽をいつも意識していたのは確かだろう。

 しかし、むしろそれだけに、フルトヴェングラーの演奏をまねしてはいけないというのが朝比奈隆の強い意志だった。

 そうはいっても、フルトヴェングラーはベートーヴェンの演奏様式を確立した音楽家である。しかも、フルトヴェングラー自身は録音をあまり好まなかったのに、皮肉なことにその演奏は録音によっていまだに世界じゅうで広く聴かれている。その影響を脱するのは軽く想像するよりもずっと難しいことだったに違いない。

 そこで、朝比奈隆は、ベートーヴェンの書いた楽譜に立ち戻る。そこから、フルトヴェングラーとは違う演奏を導き出そうとしたのである。フルトヴェングラーを尊敬しつつ、方法としてはトスカニーニ流を徹底させたというべきなのだろうか。


 ただし、朝比奈隆のばあい、ベートーヴェンの楽譜といっても、いわゆる「自筆譜(ベートーヴェン自身が書いた原稿そのもの)」にまで立ち返ることを主張するのではない。自筆譜までさかのぼって細部を検討するのは学者の仕事であり、演奏家は学者が校訂して作った楽譜によって演奏するのが仕事だというのがその持論であった。だから、朝比奈は、現在ではかなり古い版の楽譜になってしまったブライトコプフ版を一貫してよりどころにしつづけた。


 ベートーヴェンの交響曲の演奏には別の問題もある。

 それは、当時の楽器、とくにトランペットとホルンの性能から来る問題である。

 当時のトランペットやホルンは出せる音の範囲が限られていた。それも、たとえば「ド」と「ミ」と「ソ」が出て、あいだの「レ」と「ファ」が出ないというような、非常に制約の大きな限られかただった。つまり、「ド‐ミ‐ソ」は出せても「ド‐レ‐ミ」は出せないというような制約がついて回ったのだ。

 この楽器の制約に悩まされたのは、ベートーヴェンより前のハイドンやモーツァルトでも同じであったはずだ。けれども、ハイドンやモーツァルトは、すぐに演奏することを前提に曲を作っていたので、楽器の性能の限界まで楽器を使うことは最初から断念していたようだ。ハイドンは侯爵家の宮廷音楽の責任者だったから、楽器の性能の限界まで使った曲を書いて宮廷楽団が演奏に失敗したりすれば、侯爵の怒りに触れて宮廷からたたき出されるかも知れないという立場にいた。


 ところが、ベートーヴェンは、当時の楽器の性能の限界まで楽器を駆使し、その限界を突破してしまったらしようがなく妥協策を探るという書きかたをしたらしい。と言っても、このへんは私自身には判断する能力はない。佐藤眞・宇野功芳「対談・大作曲家のスコアを読む」(『宇野功芳編集長の本――音から音楽へ』音楽之友社)での両氏の発言、とくに佐藤氏の発言をもとにして書いている。

 そういう部分はたしかにちょっとへんな感じもする。

 たとえば、ホルンやトランペットがメロディーを吹いたあとから、弦楽器が同じ旋律を弾いてついてくるような部分がある。そんなとき、あとから同じ旋律でついてくるはずの弦楽器の演奏と、先に進んでいるホルンやトランペットの旋律とが部分的に違うということがあるのだ。弦楽器ではメロディー(旋律)が弾けるのに、ホルンやトランペットでは音が出なくてその同じメロディーが吹けないからである。たとえば、ベートーヴェンの交響曲第七番の最終楽章(第四楽章)には、弦楽器が勢いのある派手で流麗なメロディーを弾くのに、同じメロディーを吹くはずのホルンが途中からそのメロディーからはずれ、同じ音を吹き鳴らしつづける部分がある。

 ところが、現在の楽器ならば、ベートーヴェンが断念した旋律もトランペットやホルンで吹くことができる。弦楽器や木管楽器でも奏法が発達して、ベートーヴェンの時代には難しかった奏法も使える。そこをどう演奏するのかが問題となるのだ。

 ベートーヴェンが「楽器が発達してこんなふうに演奏できるのであればこう演奏せよ」と書き残しているなら問題はないが、そんなことは書いていない。だから、その曲のなかの似たような旋律の扱いや、他の楽器の旋律などから「ベートーヴェンはこういうふうに演奏したかったのだ」ということを推測して演奏するしかない。

 しかし、もしベートーヴェンの考えと違っていたら、それはベートーヴェンの音楽に忠実に演奏しているとは言えない。さらに、その種のことをやると、20世紀前半にロマン主義の影響のもとで行われた編曲版と同じようなものになってしまう可能性がある。

 楽器が発達しても、それはそれとしてベートーヴェンの書いたとおりに演奏するのか。それとも、恣意的な編曲にならない範囲を見定めて、「ベートーヴェンが演奏させたかった音楽」を推定し、それに従うのか。そこの判断は、いまも指揮者に残されている。


 この『朝比奈隆 ベートーヴェンの交響曲を語る』は、1988〜89年に朝比奈隆が開いた新日フィルとのベートーヴェン交響曲全曲演奏会に合わせて行われた企画である。演奏会を聴いた評論家・音楽番組プロデューサーの東条碩夫が、朝比奈を訪問し、その回の演奏曲目について語り合うというかたちで行われた対談の記録だ。

 この対談では、ベートーヴェンの交響曲の演奏に関するいま書いたような問題点が微細にわたって採りあげられている。


 先に述べたような問題でも、朝比奈が非常に細かい部分にまで配慮を行き届かせていることがわかる。


 朝比奈は、ともかくベートーヴェンの楽譜をそのまま演奏することを基本にしている。

 たとえば、当時のティンパニの制約から、和音と合わない音でティンパニを打ち鳴らすよう指示がある場面では、現在のティンパニなら和音と合う音にすぐに調整できるにもかかわらず、楽譜どおりの音でどんと鳴らすことを求めている。


 また、古典派や前期ロマン派の交響曲を演奏するときについて回る問題に「提示部の反復」の問題がある。


 交響曲の主要な楽章(とくに第一楽章)では、楽章の最初に主要なメロディー(「主題」)をひととおり演奏する部分が置かれている。これが「提示部」という部分である。ベートーヴェンやモーツァルト、ハイドンなどの曲では、この「提示部」は、最初に二回繰り返して演奏するよう、楽譜で指定されていることが多い。いちいち楽譜を検討していないけれども、19世紀後半のロマン派時代の曲にもけっこうあるはずだ。これが「提示部の反復」である。曲によっては、提示部を反復(繰り返して演奏)したあと、残りの部分も繰り返して二回演奏するようになっているものもある。

 しかし、現在のようにレコード(CDも含む)で曲を繰り返し聴いて知っている時代になると、このみんなが知っている部分を繰り返すのはどうにもしつこい感じがする。そこで、20世紀半ばごろまでの指揮者はこの反復記号を無視することが多かった。

 早い時期から朝比奈支持者だった宇野功芳氏も、この点については断乎たる反復無用論である。反復すると長くなってダレるからという理由だ。

 たしかに、モーツァルトの交響曲など、反復を無視すると30分以内ですっきり終わるのに、反復すると30分以上かかって、演奏のしようによってはベートーヴェンやブラームスに近い時間がかかってしまったりする。このへんは指揮者によってもいろいろ異なるようで、同じ指揮者でも、反復しているところとしていないところがあったりする。


 しかし、朝比奈は、反復記号がある部分は断乎として反復すべきだという主張である。なぜかというと、そうでないとベートーヴェンの書いた音楽の一部分が永久に演奏されないことになってしまうからだ。つまり、反復する直前に演奏するよう指定された部分(「1番カッコ」の部分)が無視されてしまう。これでは曲をきちんと演奏したことにならない。

 また、朝比奈は、交響曲のような音楽形式は、反復指示のある部分を反復することによってはじめて完成するのであり、それを抜かしては「形」が崩れてしまうと主張している。


 朝比奈は、また、「第九」(交響曲第九番「合唱」)では合唱団員を最初から席に着かせておくべきだと主張している。

 この曲は、歳末などに聴きに行った人は(歌いに行った人はまして)経験しているとおり、ベートーヴェンの交響曲としては飛び抜けて長く、一時間以上かかる。合唱があるのは第四楽章の後半という最後の部分だけなので、最初から演奏すると合唱が始まるまで40分以上待たなければならない。それだけの時間、最初から独唱者や合唱団員を座らせておくのも酷なので、曲の途中で入場させることも多いようだ。

 しかし朝比奈は最初から入場させておくべきだという。合唱団員も、合唱のない部分を含めて、最初からこの交響曲に参加しているべきだというのである。


 ただし、朝比奈の立場は、絶対に楽譜に書かれているとおりに演奏するということではない。

 たとえば、交響曲第三番「英雄」の第一楽章の後半で、主要なメロディー(「主題」という)を吹いているトランペットが、楽譜どおりに吹くととつぜんそのメロディーから離れてしまう部分がある(宇野功芳氏のいう「主題が行方不明になる」部分)。例によって作曲当時のトランペットでは出ない音だったのだ。

 そのまま吹くと、主要なメロディーがとつぜんぶち切られてしまうことになる。朝比奈は、ここはトランペットが主要メロディーを最後まで吹くように改訂して演奏させているという。

 古楽器派の演奏者は、この部分も楽譜どおりとつぜんぶち切るらしい。私はベートーヴェンの交響曲の古楽器版は持っていないので検証できないけれども、東条は本書でこまかく数々のレコード(CD)を検証してそれを楽譜に再現している。

 朝比奈のばあいはそこまでベートーヴェンの楽譜を絶対視するわけではない。というより、楽譜に表れているものをただ無批判になぞるのではなく、ほんとうにベートーヴェンが求めていた音楽に肉薄しようとしているのだ。ただ、やはり、ベートーヴェンの楽譜から離れてしまう部分については、朝比奈自身が、楽譜に忠実にと言っているわりには「看板に偽りあり」だと言っていて、100パーセント納得しているわけでもなさそうである。


 そういう態度は、楽譜に書いてしまうと同じ表現になるものの背後に隠された作曲者の意図を読み解くというところに表れている。


 たとえば、「ピウ・フォルテ」という表現がある。「もっと力強く」という意味だ。ところが、これをどう解釈するか。「しだいにもっと力強く」していくのか、それとも「単なる「力強く」(フォルテ)という指示よりも強い音で」と解釈して、最初から強めの音で出るのか。

 朝比奈は、ベートーヴェンの交響曲には、その両方があると見て、それぞれの例について詳しく検討して結論を出している。

 楽譜というのは記号の集積で、しかも、作曲家が音楽に対して持っている想像力からするとあまりに表現できることが少ない(アニメで言えば、交響曲の楽譜はちょうど「絵コンテ」の段階にあたると考えればよい)。だから、同じことが書いてあっても、つねに機械的に同じ演奏をすればいいわけではない。しかし、具体的にどう演奏すればいいのかを、その種類の少ない記号から洞察することは、曲を総合的に知りつくしていないとできないことであろう。


 朝比奈の知識人ぶらない職人意識も印象的である。

 先にも書いたとおり、朝比奈は楽譜の校訂には無関心という態度をとりつづけている。それは学者のやることであって、演奏家は、自分で校訂について意見を言うよりもまえに、出版された楽譜をていねいに演奏することが先だという。少なくとも、指揮者用の楽譜(総譜、スコアなどという)と、オーケストラが使う楽器別の楽譜(「パート譜」という)とのあいだに食い違いがあるのを正すのが先だというのである。同じ出版社で印刷したものでも、そういう食い違いがけっこうあるらしいのだ。

 朝比奈は、派手に自説をうち立てることよりも、まず指揮者の見ているのと同じ楽譜をオーケストラにも見せることから始めるという地味な作業から入るのである。

 それは、たぶん、指揮者は学者のように厳格に原典に迫らなくていいといういいかげんな態度ではない。楽譜の校訂という、本来の専門分野以外のことに首をつっこむよりは、いまある楽譜に基づいてよりよい演奏を実現することで、作曲者の表現したかったものを実現しようとしているのである。指揮者が目指すところへと進むためには、学者の方法にまでかまけている余裕はないというのが朝比奈の立場なのだろう。もちろんそれが「唯一の解」であるわけでもなく、古楽器指揮者のように積極的に学者の方法を取り入れる方法もあるのだろうが、朝比奈はそうは考えなかった。


 朝比奈が、楽団員の立場に立って演奏を指揮できる指揮者であったこともうかがえる。

 朝比奈隆はヴァイオリンが弾ける。指揮者を目指していた若いころに、師メッテルに正式に修得するよう指導されたのである。

 そのことが、ベートーヴェンの交響曲を指揮する上でも役立っているのがよくわかる。どういうフレーズをどのぐらいのテンポで弾くのが理想的なのか、また、どれぐらいのテンポで弾くのが限界なのか、そのフレーズを不注意に弾くとどういうふうに崩れやすいのか、そういったことを朝比奈は熟知している。同じフレーズを「上げ弓」(下から上へ)で弾くのか「下げ弓」(上から下へ)で弾くのかということにも常に神経を使っている。また、弦楽器だけではなく、その他の楽器についても、自分で弦楽器が弾けることで、奏者の立場に立った発想ができるようだ。

 自分で「弾ける」ことによって、朝比奈は、作曲者の個性や技倆も察している。

 たとえば、ベートーヴェンは、楽譜から見て、上手だったかどうかはわからないが、弦楽器のことは熟知していたと朝比奈はいう。ベートーヴェンはもともとピアニストだったからといって、ピアノの発想で音楽を書いたなどということはないらしい。

 他方で、ブルックナーについては、やはり楽譜から見て、弦楽器の性能はよく知らずに書いているらしいと朝比奈は見ている。

 そのような見解は、たとえば、ブルックナーの弦楽奏法の指示は必ずしも守らず、ブルックナーのねらった効果が出るように改訂して弾くのに対して、ベートーヴェンの奏法の指示は、多少、無理や不自然があっても守るというようなところに表れるわけだ。


 この本を読んだあと、私は、楽譜屋に行ってベートーヴェンの交響曲の楽譜を買ってきた。私には楽譜は読めない。でも、主要なメロディーを弾いたり吹いたりしている楽器の音を追いながら楽譜を読むところから始めてみようなどと考えたのだ。

 朝比奈さんのこの本は、そして、もちろんそれにもましてレコード(CD)で聴く朝比奈さんの演奏は、楽譜の読めない者に楽譜を買わせるほどの熱気を伝えてくれたのである。


 そんな朝比奈隆には、やっぱり、いま率直に「ありがとう」と告げておきたいと思う。

―― おわり ――




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