いまもつづく日本のエリートの弱点


辻泰明、NHK取材班

幻の大戦果・大本営発表の真相

NHK出版(日本放送出版協会)、2002年


台湾沖航空戦とは?

 太平洋戦争に「台湾沖航空戦」という戦いがあったことをいまどれだけの人が知っているだろうか。ある程度、軍事史や太平洋戦史に詳しい人だけではないかと思う。それだけに、NHKという「公共」性の高い媒体でこの台湾沖航空戦がとり上げられたことに私はまず驚いた。なお、この本は平成14(2002)年8月に放送されたNHKスペシャルをもとにしたものらしい。

 台湾沖航空戦とは、日本の敗色がすでに濃くなっていた1944(昭和19)年10月の12〜16日にかけて、太平洋を西進してくるアメリカ合衆国海軍の空母機動部隊を日本の航空部隊(海軍を主体とする陸海軍混成。当時の日本に空軍はなく、陸海軍がそれぞれ航空部隊を持っていた)が台湾沖で全力を挙げて迎え撃った戦いである。このときすでに「絶対国防圏」とされていたサイパンは陥落し、フィリピンが米軍の攻勢の危機にさらされていた。

 しかし、この台湾沖航空戦での日本航空部隊の最大の戦果はアメリカ軍の巡洋艦2隻を大破させたことだった。沈めた艦は一隻もなかった。ほかにも被害を受けた艦はあったが、大部分は「かすり傷」程度である。

 一方で日本の航空部隊はこの航空戦で大打撃を受け、このあと立ち直ることができなかった。この航空戦で日本軍の航空部隊が消耗し尽くしてしまったために、この台湾沖航空戦につづいて10月22日から展開されたフィリピン沖海戦(レイテ沖海戦)では、日本海軍は十分な航空機の援護を得られず、主力戦艦「武蔵」や歴戦の空母「瑞鶴(ずいかく)」・「瑞鳳」・「千歳」・「千代田」、重巡洋艦「鳥海」・「鈴谷(すずや)」・「筑摩」などを空襲で失って惨敗した。また、このフィリピン沖海戦で、航空攻撃力の弱体を補うための最後の手段として、体当たり攻撃、つまり「特攻」が組織的に採用された。いわゆる「神風特攻隊」の始まりである。もし台湾沖航空戦で航空兵力が壊滅せず、そのぶんの航空兵力をフィリピン沖海戦に投入できていれば、勝てなかったにしてももう少しましな戦いができていたはずだ。その意味で台湾沖航空戦は帝国陸海軍の命運を決した戦いだったといえる。

 しかしこの台湾沖航空戦は日本国内では大戦果を挙げたと報道された。この本によると一時は敵アメリカの空母を11隻撃沈、8隻撃破したと報道されたようだ。巡洋艦2隻撃破という実際の戦果とあまりに開きがありすぎる。

 この誇大戦果の件は台湾沖航空戦にまつわるエピソードとして有名だから私も知っていた。ただ、その誇大戦果を海軍がほんとうに信じていたのか、信じていないのに威勢を張ってそう公表したのか、もしその戦果が過大だと知っていたとしたらどこまでそれを知っていたのか、だれが、なぜそれに気づいたのかということは詳しくは知らなかった。それをできるかぎり解明したのがこの本である。


「大本営発表」とは?

 「大本営発表」というと今日では「主催者側に都合のいい一方的な発表」であり「うかつに信じてはいけないもの」という語感で使われる。たとえば、コミックマーケット65で私が主宰するサークルアトリエそねっとは新刊100部を完売しましたなどというのが「大本営発表」で、ほんとうは……まあいいじゃないですか。でも、たしかに本が出た数は多くなかったけど、買ってくださった方のなかには、夏に出した本のことを覚えていてくださったり、とりあげた作品(『パタパタ飛行船の冒険』)についていろいろ話してくださったりする方が多かった。熱心な読者の方や、作品のファンの方に多く読んでいただいたようで、幸いだったと感じている。これは「大本営発表」ではない。

 ……という話はそねっとのコミケットレポートのページでやるとして……。

 この「大本営発表」の嘘の例としてよくとり上げられるのは1942(昭和17)年6月のミッドウェー海戦の例だというのが私の認識だった。この海戦では、日本は劣勢のアメリカ艦隊に対して空母「ヨークタウン」を撃沈する戦果を挙げただけだったうえに、「赤城」・「加賀」・「蒼龍(そうりゅう)」・「飛龍」の4空母を失っている。当時の日本の主力空母はこの4隻に「翔鶴」・「瑞鶴」を加えた6隻だけだったから、日本の空母兵力は回復できない大打撃を受けたことになる。ところが「大本営発表」では味方の空母は1隻沈没、1隻大破としか発表されなかった。海戦に参加した将兵は、このごまかしがばれないように、せっかく日本に帰還してもなかなか上陸を許されなかったというエピソードも読んだことがある。つづくガダルカナル島攻防戦では、日本軍の撤退を「転進」と報じ、敗退の事実を覆い隠そうとした。だから、大本営発表をとり上げるのに、どうしてミッドウェーやガダルカナルではなく台湾沖航空戦なのだという疑問はあった。

 なお、ミッドウェー海戦のアメリカ空母の被害に関しては、大本営発表では2隻撃沈となっているが、これは実際に2隻を撃沈したと考えていた可能性がある。アメリカ空母「ヨークタウン」には「飛龍」の爆撃隊がまず攻撃して爆弾を命中させ、その損害を急いで修復したところへ同じく「飛龍」の雷撃(魚雷攻撃)隊が魚雷攻撃を仕掛けて大損害を与え、その後に潜水艦の魚雷攻撃で撃沈している。「飛龍」側では、最初に爆撃した空母と次に雷撃した空母を別の空母と認識していた可能性がある。本書は、「ヨークタウン」1隻を沈めるのに沈めるのにたいへん手間がかかったから、ほんとうは1隻と知っていて2隻に誇張したという解釈を取っているが、戦果のほうについてはこの段階ではまだ故意に誇張していなかった可能性がある。

 台湾沖航空戦の大本営発表は、そのミッドウェーやガダルカナルの例と較べてどこが問題だったのか。本書によると、それは、この台湾沖航空戦から大本営発表は自分をも欺くための単なる数字の羅列になってしまったということだ。ミッドウェーやガダルカナルではまだ国民に真相を知らせていなかっただけで、軍の指導部はそのほんとうの戦果と被害を把握していた。国民に嘘をつくのはよいことではないが、戦略上の判断から国民に広く実際の状況を知らせないという情報戦略自体はあり得る。ミッドウェーやガダルカナルでの実際がそういう情報戦略の正しい適用例だったかどうかは別にしてではあるが。

 ところが、本書によれば、台湾沖航空戦で、軍の指導部自身が真相を知ることを拒絶するようになった。それは、一面では軍の最高指導部で正確な戦果がまったく把握できなくなったからでもあり、また、一面では敗北の現実を認めまいとする心情が戦争遂行に必要な情報の把握より優先したということでもある。戦争に負けているときにはとくに戦線を離れれば楽観主義が現実に取ってかわる(『機動警察パトレイバー2 The Movie』)ということの典型的な例証である。その結果、国民に嘘をつくつかないという以前に、軍の指導部自身が正確な情報を持たなくなってしまった。国民をだます以前に軍の指導部自身が自分自身をだますような状況が生まれてしまった。それはこの台湾沖航空戦から始まったのだというのが本書の主張である。


なぜ戦果は誇張されたのか?

 台湾沖航空戦の戦果が果てしなく拡大して報告されたのは、本書によれば、現場での誤認が基地での戦果確認の段階で大きく増幅され、上層部がその水増しを抑制できずに発表し、さらに数字がおかしいことに気づいてからも修正しなかったからだという。

 この航空戦では日本軍側が立てていた攻撃計画がまったく通用せず、アメリカ軍側の圧倒的な優位の下で戦いが進んだ。日本軍側の攻撃隊は実戦経験がまだ乏しい隊員を中心に構成されていた。太平洋戦争開戦当初は搭乗員個人の技倆では日本側が圧倒的に優っていたが、このころになるとその差がなくなっていたのである。

 そのうえ、アメリカ軍は、戦闘機についても高角砲弾・機銃弾(高角砲は陸軍でいう高射砲、同じく機銃は機関銃)についても圧倒的な物量を誇っていた。そのうえ、高角砲弾にはレーダー内蔵の「VT信管」(可変式時限信管。ただし実際は「時限信管」ではない)を使用していて、レーダーが至近距離に日本軍機を感知すれば自動的に爆発する仕組みになっていた。命中させなくても撃墜できるのである。

 そのような防壁のなかに飛びこんでいくことのすさまじさは、本書で何度も体験者によって語られている。撃墜されてあたりまえと感じられるような凄絶(せいぜつ)な戦場だったのだ。

 このような戦闘であるから、まずゆっくりと戦果を確認している余裕がない。爆弾や魚雷を投下してすぐに逃げなければ撃墜されてしまう。苛酷な戦闘で未帰還機が多く、とくに経験ある各隊長機がすべて未帰還だった攻撃もあり、あとで数をつき合わせて確認するための情報も少ない。しかも、未熟な戦闘員だから、撃沈したのかどうかという判断がつかない。それで、敵の対空砲火や自爆した味方機の炎上している炎を、敵艦に爆弾や魚雷が命中した炎だと誤認したのだという。これがこの過大な数字を生んだ可能性は以前から指摘されていた。

 本書によると、しかし、戦果の果てしない過大化はその後に起こった。その経験の浅い搭乗員が帰還したあと、基地で戦果を聴取する際に、「もっと沈めたはずだ」という方向で「誘導尋問」が行われたというのである。その動機としては、まず、自分では戦果の判断のつかない経験の浅い搭乗員を相手にしなければならなかったので、聴き取る側が判断してやらなければならなかったという事情がある。もう一つは、未帰還機が多く、未帰還者に対する心情的思い入れや「思いやり」が働いたということがあるようだ。これだけ死者・行方不明者が出ているのは、その搭乗員たちが勇猛果敢に戦い、敵と差し違えて死んだからであって欲しい、いやそうに違いない、ならば大きな戦果が挙がっているに違いないという思いこみである。部下に犬死にはさせたくない、部下が犬死にしたとは認めたくないという心情が、戦果をまとめる段階で過大にする方向に働いたと本書はいう。

 基地の司令部が部隊の能力を過大に評価していたことも影響しているのかも知れない。台湾沖航空戦に投入された主力部隊は精鋭部隊として集められ訓練された「T攻撃部隊」と呼ばれる部隊だった。精鋭といってもやはり緒戦の1941〜42(昭和16〜17)年の搭乗員のレベルには及ばないし、アメリカ軍の防禦(ぼうぎょ)も進歩しているのだから、そうかんたんに大きな戦果を挙げられるわけはない。だが、上層部はどうしても過大な期待を持つ。それで出撃して一方的に敗退したとは上層部は信じないだろう。帰還した隊員だって「ぜんぜん成果が挙がっていません」とは言えない。

 また、最初の攻撃は夜間攻撃であった。夜間なので炎は目立つし、しかしその炎が何のどの程度の損害を意味しているのかがわかりにくい。味方機が撃墜された炎を敵艦に爆弾が命中した炎と誤認すれば現実にはなかった「戦果」が作り出される。それが積み重なって現実離れした「戦果」が生まれた。そして、この最初の攻撃の「戦果」が基準になり、次の攻撃でも、そのまた次の攻撃でも同じぐらいの「戦果」が挙がっているはずだという臆断が積み重なって、気がつけば日本軍が1941(昭和16)年開戦時に持っていたのを上回る空母をたった3日で沈めたという「大戦果」が生まれてしまったという動きがあるのではないだろうか。

 あえて言っておけば、1942(昭和17)年前半までの状況下では、一日の航空攻撃で空母3隻を撃沈するというのはあり得ないことではなかった。現にミッドウェーでは日本海軍の空母が一挙に3隻撃沈されている(「飛龍」が沈められたのは他の3隻より後である)。日本側でも、ミッドウェーでは先に述べたように「飛龍」一隻ぶんの航空隊で2隻の敵空母を撃沈または撃沈寸前にまで追いこんだと考えていたし、その後の南太平洋海戦でも「ホーネット」を二回攻撃していながら「ホーネット」と「エンタープライズ」の2隻を撃沈したと信じていた。緒戦のマレー沖海戦では、空母よりもずっと防禦が分厚いはずの戦艦を2隻同時に撃沈している(有名な真珠湾攻撃では相手の戦艦は動いていない状態だったので、海戦の引き合いに出すのは不適当である)。その後、攻撃側の技倆の低下と、戦力格差の開きと、航空母艦を中心に配置した防禦陣形の発達などから、このような大戦果はなかなか挙げられなくなった。だが、状況の変化に目をふさいでしまえば、一日の航空攻撃で空母を2〜3隻撃沈し、他に何隻かに損害を与えているというのは、けっして不自然な数ではないと感じられたはずだ。それが3日間つづいただけである。そして、当時の上層部は、日本軍の搭乗員の技術水準が低下したことには気づいていたけれども、状況の劇的な変化にはついて行っていなかった。


上層部の問題点

 さらに、本書は、上層部がその「幻の大戦果」をチェックしきれなかった理由も分析している。

 一つは上層部の「現場」へのコンプレックスである。上層部で「これはおかしい、いくらなんでもこんなはずは……」と気づいても、現場に近い報告者の側が「何を根拠におかしいと言うのか、戦果が挙がっていないと言うならば挙がっていない証拠を見せろ」と言えば退いてしまう。現場のほうは、部下を死なせているわけだから、「戦果が挙がっていない」と断定されることはその部下が戦果を挙げずに死んだと言われているのと同じであり、それに強く抵抗する。自分が腹を切るとまで言い出す。上層部は、おそらくそのたいへんな第一線に自分たちがいないという引け目もあって、強いて「おかしいはずだ」という判断を通すことができない。そういう弱腰が上層部の判定者にあったらしいのである。

 こうなれば、台湾沖航空戦の大戦果を疑ったりしないほうが楽である。疑えば、現場からは激しく抵抗されるし、陸軍との関係でも陸軍に先を越されてしまう。しかも大戦果を疑う決定的な証拠があるわけでもない。そこで身命を賭して「いやそんなはずはない」という気概を持つエリートなんかいるわけがない。それが台湾沖航空戦の大戦果の発表につながっていったのだ。

 さらに上層部には別の事情もあった。「縦割り」のシステムである。この苦しい戦況の下で、陸軍と海軍は乏しい予算や物資を奪い合う関係にあった。海軍が大攻撃を仕掛けてじつは戦果が挙がりませんでしたとは言えない。そんなことをすれば海軍は何をやってるんだという話になって陸軍に予算や物資を取られてしまう。折しも10月で来年度予算編成の時期でもある。それだけではない。海軍内部では作戦課がエリート集団で、エリートを集めたわけではない情報課はその作戦課に軽視されていた。情報課が台湾沖航空戦の戦果は過大だと気づいても、エリート集団の作戦課はその情報課の判断を無視した。


作戦部のエリート意識

 この作戦課のエリート意識についてはこの本ではじめて知った。そして、太平洋戦争末期に同じような失敗と現実離れした作戦とが繰り返された原因が理解できたように私は感じた。

 日本海軍はこの台湾沖航空戦のひと月ほど前にダバオ誤報事件という大失態を演じている。第一航空艦隊の司令部が置かれていたフィリピンのダバオにとつぜん敵が上陸したという報告が舞いこみ、現地の守備隊が大騒ぎになった。不自然だと思いつつも第一航空艦隊はこの事態を連合艦隊(海軍の主要部隊)司令部に連絡した。連合艦隊はアメリカ軍のフィリピン上陸を受けてフィリピン方面での決戦に備えるよう命令を下した。こうして全軍が動き出した段階でダバオへの敵上陸という報告が事実無根だったことが明らかになり、決戦指令は取り消された。しかし、この誤報のおかげで、決戦に備えてセブ島に集中していた戦闘機の主力部隊が空襲で壊滅し、第一航空艦隊の航空兵力は大打撃をこうむったのである。決戦指令が出なければ航空機が敵の空襲を受ける危険の大きい基地に集中しているなどという事態にはならなかったわけで、誤報がなければこれほどの壊滅は起こらなかったはずだった。

 このダバオ誤報事件は、現場の勘違いが増幅され、ついには全海軍に誤報が流れて海軍全体が動き、航空兵力の大損失を招いたという事件である。台湾沖航空戦のばあいと似た面がある。この誤報事件を機に、誤った情報をチェックするような何かの対策をとっておけば、台湾沖の失敗は防げたかも知れない。ところがそれをやっていなかったのであろう。

 また、太平洋戦争での日本海軍の作戦には、現実離れした複雑でロマンチックな作戦が目立つ。それが1944(昭和19)年以後の追いつめられた敗勢の下でも繰り返されている。

 台湾沖航空戦の10日ほど後に起こったフィリピン沖海戦がその典型だ。この作戦は、海軍の艦隊が、航空機の援護を十分に得られないまま、長距離にわたって二手に分かれて進撃し、アメリカ軍の上陸地点にほぼ同時に突入するという作戦であった。途中で進撃のペースが狂ったら二つの部隊の連携を取り直すのは困難になる。実際、その進撃ペースの狂いから、旧式戦艦2隻を主力とする西村(祥治)艦隊が集中攻撃を受け、駆逐艦一隻を残して全滅している。一方で、航空兵力を持たない空母機動部隊をフィリピン北方に出動させ、アメリカの機動部隊をそちらに引きつけるという「おとり」作戦も展開している。この「おとり」作戦は成功した。しかし、もしアメリカ艦隊を率いていたハルゼーがもう少し用心深く、いくつかあった部下の部隊のうち一部隊でも主力艦隊の進撃ルートに残していれば、主力の栗田(健男)艦隊の進撃は困難になっていただろう。しかも、そういう複雑な作戦を立てたわりには、作戦目的が最後まではっきり絞れていなかった。アメリカ軍の輸送船団が攻撃目標なのか、それともアメリカ艦隊が攻撃目標なのかという問題である。これが「栗田艦隊の謎の反転」を生む原因となる。この作戦は何もかも自分たちの思ったとおりに進むと考えたときに始めて効果を発揮する作戦だった。「戦場では何が起こるかわからない」ということを軽視しすぎているように思うし、しかも、自分たちが主導権を握っているならともかく、相手に主導権を握られている段階でこのような作戦を立てるのは無謀に思える。

 1945(昭和20)年の有名な戦艦「大和」の水上特攻に関しても同じである。航空機による特攻、いわゆる「神風特攻」には、人命軽視という問題点はもちろんあるが、作戦としてはある程度の合理性はあった。普通に爆撃しても爆弾を命中させられないまま撃墜されてしまう可能性が高く、それよりは最初から爆弾を抱えて突入したほうが確実に損害を与えられるという判断があったからだ。しかし、いかに防禦力の強い戦艦「大和」でも、水雷戦隊(軽巡洋艦1隻+駆逐艦部隊)1個を率いただけで戦闘機の援護も得られないままに沖縄まで到達できる可能性は低かった。たとえ沈まなかったとしても、軍艦というのは浸水して傾斜が大きくなれば機関が止まってしまうし、機関が止まれば主砲も撃てないのである。主砲が撃てなければ水上特攻の意味がない。それでもそういう作戦が強行された。もちろん「大和」と水雷戦隊は九州沖で航空攻撃を受け、大和は沈没、水雷戦隊も壊滅的損害を受けた。

 どうしてこういう現実離れした作戦を立てて失敗を繰り返したのか。その一つの理由が、作戦課のエリート意識だったのである。失敗しても、どう失敗したかの情報を重視しない。情報を上げてくる情報課を信頼していない上に、エリート的な心情として自分の立てた計画が失敗した状況を見るのは苦痛である。全体に余裕があれば失敗の検討もするのだろうけれど、負けがこんでいるときには「どう負けたか」を検討している心理的余裕がない。それで「こうやれば勝てるはずだ」という複雑な計画を立てたり、実現可能性を無視した心情的な計画を立てたりして艦隊を動かしていたのである。

 台湾沖航空戦の戦果が誇張された原因として、本書の指摘していない可能性を一つ述べておきたい。当時の内閣は小磯‐米内(よない)連立内閣(首相は小磯国昭(くにあき)である。この内閣はサイパン陥落を受けて当時の東条英機内閣が総辞職したのを受けて組織された。倒閣運動には陸海軍の一部もかかわっており、この内閣の交替で陸海軍の主導部も入れ替わっている。東条内閣を総辞職に追いこんだ以上、東条内閣を上回る画期的な成果が必要だったはずだ。東条内閣の下で、日本海軍の航空部隊はマリアナ沖海戦を戦い、空母3隻を沈められて惨敗している。その結果サイパンは陥落した。その失点を新内閣下で取り返したとすれば、倒閣が正しかったことが証明できる。そのことが台湾沖航空戦の大戦果を創出する一つの要因になった可能性もあると思う。

 この大戦果は大々的に発表されて国民を熱狂させた。菊池寛が喜んだというのはまだわかるが、サトウハチローと古関裕而(こせきゆうじ)が「台湾沖の凱歌」という歌まで作っていたとはちょっと驚いた。しかし、この戦果は「幻」であり、その少し後に始まったフィリピンの戦いで日本軍は圧倒的劣勢に追いこまれていくことになる。


日本のエリート集団の脆弱さ

 この台湾沖航空戦の経緯から読みとることができるのは日本のエリート集団の脆弱さである。基本的に優等生である日本のエリート集団は、自分の認識や判断を誤っていると認めることに強い抵抗感を示し、自分よりも学業成績の点で劣っている者たちをやたらと軽蔑する。それなのに「現場」がどうなっているかという実態を知らず、知ろうともせず、そのために「現場」から強い態度を示されるとそれを押し切ることができなくなる。縦割り意識が強く、他のエリート集団には強い競争意識を示し、自分の弱味を見せまいと懸命に我を張りつづける。他集団にはいやに厳格で、自分たちの仲間内にはめちゃくちゃに甘い。そのことが、この台湾沖航空戦で、情報課の判断を軽視し、陸軍との関係を配慮して陸軍にすら真相を示さず、「現場」に「どうして戦果を疑うのか」とねじこまれたら抵抗することができず、当時の軍の最高司令官(「大元帥」)であった天皇を欺き、国民を欺いたのである。

 この番組は、小泉「構造改革」政権が成立して一周年の時期に放送された。当然、台湾沖航空戦の「大戦果」に、「成果」ばかりが強調されて思うように経済が回復していない当時の「構造改革」の実態が重ね合わされていたはずである。

 だが、このエリート集団の問題は、台湾沖航空戦や「構造改革」だけの問題ではない。いまの日本でも同じエリートシステムが温存されている。そのエリートシステムを変えていかないかぎり、日本は同じ「幻の大戦果」的な大失敗を繰り返すだろう。

 このエリートシステムの困った点は、勝っているときには問題が表面化せず、負けているときに一挙に弊害が噴出してくることにある。だから真珠湾やマレー沖海戦では問題化せず、マリアナ沖海戦や台湾沖航空戦やフィリピン沖海戦になって問題が一挙に表面化したのである。つまり自分たちが負けないと自分たちの組織がその欠点を持っていることに気づかない仕組みなのだ。

 その弊害をどう克服すればいいのだろう。エラそうにこんな書評を書いている私だってけっして無縁の問題ではないはずだ。いつも意識していなければいけない問題だと思う。


―― おわり ――


 ※ なお、この書評の執筆に際しては、佐藤和正『レイテ沖海戦――日米海軍最後の大激突』(光人社NF文庫)を参照した。