ひとつ前のそねっと通信

押井守でギャラクシーエンジェル?!

― 2003年4月 ―

  ※ G.A.アニメ版最終回についてのネタバレがあります。ご注意を!!

 いや〜『ギャラクシーエンジェル』(G.A.)のアニメが終わってしまいましたねぇ。

 こないだゲーマーズの「萌えきゃら祭り」に行ってきいた話だと、G.A.は今後の展開はゲーム中心になるようで、アニメの第四期シリーズっていうのはとうぶんなさそうだしなぁ。私はゲームも買ったし(→はまるのが怖くてまだプレイしていないらしい)、コミックスも単行本は買い続けているけれども、私は「『カードキャプターさくら』→浅香監督・藤田まり子キャラクターデザイン」という入りかたをしているので、やっぱりアニメがいちばん親近感がありました。企画自体は最初に発表されたころから知ってはいたけど...。

 でも、ゲームを先にプレイしてアニメに入ると、すごい違和感あるという話をきいたことがあるけど……そうだろうなぁ。とくに第三期シリーズ(『ギャラクシーエンジェルA』)は基本設定も何も無視してしまっていたからねぇ。

 だいたい、最終回にしても、基本設定だと500年前にはまだトランスバール皇国は存在してないでしょうがっ!! しかも脚本を書いたのは第一期シリーズからかかわっている人たちだから、その基本設定は知っているはずである。シリーズ構成が率先して設定ぶちこわしてるなぁこりゃ。

 ところで、私は最近、2万円もする『押井守シネマトリロジー』を買ってきて、オーディオコメンタリーをつけたり消したりして、繰り返し観ている。で、そんな頭でG.A.を観ると、どうも、G.A.のスタッフのなかには押井守の影響を受けた人がいるんじゃないかと妄想していたりするんだが、ほんとのところ、どうなんだろう? フォルテとかミントとかがむかし『うる星やつら』でメガネがよくやっていたような衒学的なセリフを交えた長広舌をぶつこともあったし。だいたい、世界がぶっ壊れても次のエピソードではもとに戻ってるのが『うる星』に似ているという話は、私も感じていたし、ほかでもあちこちできいたしね。

 いまでは、押井守というと、「デジタルアニメの旗手」と持ち上げられるいっぽうで、典型的一般的オタク的アニメファンの好みとは対極にあるような作品を作る監督だし、あえていえば「萌え」的女の子キャラの描けない人である。どこかで本質的に女の子らしさをはずしてしまうか、そうでなければまったく物語に関わらないかでなければ少女をキャラとして使うことがない。その「はずし方」は、ミルフィーユやランファやミントやフォルテやヴァニラの「ふつうの女の子からのはずれ方」とはまったく違う。だから、押井作品とG.A.というのは対極にあるようなものだけど、キャラを取っ払ってしまって世界とか世界観とかを見ればなんか意外と共通しているところがあるんじゃないかと思うわけです。少なくともなんで私がその作品が好きかってところを考えると、その気もちには共通するところがあるんじゃないかと思ったりもするわけです。

 こないだ『ミニパト』のDVDを観ていて、私がG.A.にはまった理由の一端がわかったように感じたんですね。私は、むかし、ずっと『機動警察パトレイバー』(アニメ版)を観ていて、『パトレイバー』のビデオ版とかTV版(の一部のエピソード)っていうのは、主人公たちが、治安を守るべき警察機構に属しつつ、最新のテクノロジーを駆使した機体を与えられながら、首都の雑用処理みたいなのを押しつけられて、大騒ぎして愚劇を演じつつ結果的に首都を破壊してしまうって話だったわけですね。押井守が絡むととくにそうなる傾向があったわけで、私はそういう話が大好きだったわけです。で、アニメ版のエンジェル隊もまさに「最先端技術を委ねられた雑用隊」で、おんなじことをやっているわけだから。いや〜アニメ版のエンジェル隊(とくに第二期以後)よりはまだコミックス版・ゲーム版のエオニア皇子のクーデター軍のほうが凶悪度がずっとましなんじゃないかなぁ?

 もちろん、G.A.に惹かれた最大の理由は、「萌え」という点も含めて、また配役も含めてキャラクターがよかったからですけどね。合宿を重ねてキャラクターを練り上げただけのことはありますよねぇ。だからアニメであれだけムチャしてもキャラクターが壊れずにすんだわけだし……いや壊れてることは壊れてるけど。ミントなんか最初はギャグ顔なしのはずだったのに。第一期シリーズ第一話の取り澄ましたお嬢様ミントはいったいどこへ行ってしまったのだろうか?! だいいち、アニメのミントは「人の心が読める」にしては愚かな失敗を繰り返してるような気が……。まあこのへんの話は始めると す っ ご く 長くなるような予感がするのでまたどっかで展開することにしませう。

 そんなわけで、だったら、『パトレイバー』で劇場版(とくに第二作)みたいなシリアスな話ができたんだから、アニメ版のG.A.でもシリアスな話ができるはずだと思っていました。でも、ここまでこの調子でやってきたんだから、最後も絶対にギャグで来ると思っていたわけですね。そしたら最終回がこのエピソードで、ほんとに喫驚しました。物知りゆえに迫害されるノーマッドとか、リストラ寸前でしようがなくエンジェル隊を引率しているウォルコットとか、ツインスター隊との不毛なライバル関係とかいうギャグ色をぜんぶ払拭して、よくここまでシリアスに徹したと思います(いやもうOPの違和感のあること……)。作監も藤田さんだったし。

 いや、ほんとに。今日のG.A.を観てから、一日ずっとG.A.のほかのCDを聴く気がしなかったですからね。あまりにのうてんきすぎて受け入れられなかったんですよ。……ということは昨日までは毎日聴いていたのかということになるんだけど……まぁいいじゃないですかはっはっは。

 私はさっき書いたような予断を持って観ているわけだから、レベッカというのは押井の好きな「名のみ語られながら実在しないキャラクター」という方向に行くんじゃないかという期待はじつは最初からありました。まあ、結果的には、そっちのほうに行くと見せかけながら、「残留思念の実体化」というような道具立てを使ったわけで、テイストとしては松本零士作品に近い方向に行ったような気もしますけど。

 でも、世のなかのイメージが勝手に作り上げてしまったもう一人の「自分」の憎しみを抱きしめながらまた眠りに戻っていくという物語は、なかなか今日的で心を打つものだったと思います。

 考えてみれば劇場版『パトレイバー』(第一作)の帆場暎一も似たような存在だったのかも知れないですね。劇場版『パトレイバー』の帆場だって、帆場が死んでしまった以上、ほんとに帆場という人物がやったことなのかどうかは最終的には確認できないわけだから。

 ミントが最後に言っていたように、いや、1500年と言わず、10年でも5年でも先の世界がいまよりもっとすてきになっていたらいいと思いますよね。

 ともかく、いま世界はとても不幸な時期だけれど、私は何の遠慮もなく『ギャラクシーエンジェル』をすなおに楽しませていただきました。ありがとうございました!

 〈追伸〉『デ・ジ・キャラットにょ』はキャラの感じはそれぞれTBS期のでじこから少しずつ変わってるみたいだけど、うさだがいちばん変わってないのかな?

― おわり ―