『パタパタ飛行船の冒険』とジュール・ヴェルヌの世界

清瀬 六朗


飛行船と飛行機(下)

『征服者ロビュール』のアルバトロス号

 しかし、ヴェルヌは、空気よりも軽い気球や飛行船よりも、空気より重い飛行機械のほうがいろいろな面で優位に立つという見通しを持っていた。

 『征服者ロビュール』(『空飛ぶ戦艦』)に出てくるアルバトロス号は空気よりも重い飛行機械である。ただし、飛行機ではなく、ヘリコプターと同じように回転翼で浮き上がるしくみであった。 ヴェルヌは飛行機のような固定翼で飛ぶ原理をあまりよく理解していなかったのかも知れない。ヴェルヌは、SFの祖とされるけれど、ヴェルヌの科学的知識はどちらかというと博物学の知識で、物理学的な知識はあまり精確ではなかったようだ。

 回転翼ならば、船のスクリューや飛行船のプロペラを知っていれば、なぜ浮くかという細かい原理はともかく、浮力を得られることは容易にわかる。しかし、翼によって空気より重い機械が浮かび上がる原理は、ライト兄弟が初飛行に成功した段階でも詳細な数値にはまだ不正確な部分が残っていたぐらいで、かんたんに理解できる原理ではなかった。

 というより、現在でも、どうだろうか?

 飛行機のような固定翼で飛べるという原理が受け入れられているのは、現実に飛行機が飛んでいるという事実があるからではないかと思う。正直に言って、私には固定翼で飛行機が浮かび上がる仕組みがいまでも気もちとしては納得できていない。翼の上面の空気の流れが速くなり、下の面よりも上の面のほうが空気の圧力が小さくなるので、翼が吸い上げられるのだというのがいちおうの説明なのだが、そんなので吸い上げられるぐらいの力でほんとうにボーイングの巨大ジェット旅客機みたいな巨大なものが浮くのか?

 もちろん「浮く」というのが正しい答えで、巨大ジェット旅客機は巨大なわりには軽く作られているし、翼もそれだけ大きいし、浮くのに必要な圧力の差が翼で十分に発生するだけの速度を出す強力なエンジンを持っている。それにしても、やっぱり感覚的には受け入れられない気もちが残るのだ。

 ヘリコプターのような回転翼はこの『征服者ロビュール』が発表された時点(一八八六年)ではまだ実現できなかった。詳しいことは知らないが、まず、回転翼を回して浮力を得るだけの動力がなかったことと、浮力を得るぐらいまで回転させても壊れない素材が見つからなかったのが大きい要素だろうと思う(『パタパタ飛行船の冒険』ではジェーンが回転翼機でともかくも浮上するところまでは実験に成功していますけど……)。ところが、ヴェルヌは、まず軽くて丈夫な素材として丈夫なパルプを考えて、素材の問題を解決した。また、動力のほうは、ノーチラス号などと同じように超強力電池を考えて解決した。

 『征服者ロビュール』は、アメリカ合衆国で、巨大飛行船を建造しながら、プロペラを前につけるか後ろにつけるかで内部分裂が起こり、実用化できないでいる飛行家グループがあったというところから話が始まる(『八十日間世界一周』などにも見られるアメリカ民主主義への皮肉である)。孤高の発明家ロビュールは、そのグループの指導者二人を誘拐し、自ら建造したアルバトロス号に乗せ、空気より重い航空機の優位を見せつける。ところが、そのアメリカ人たちはアルバトロス号を破壊して脱出に成功したうえで、「プロペラは前と後ろの両方につける」という画期的な(これもアメリカ民主主義への皮肉だなぁ)アイデアで論争に決着をつけ、飛行船を飛ばす。ロビュールはアルバトロス号を修復してその場に駆けつけ、物見高く気分の変わりやすいアメリカ人群衆の前で「空気より重い航空機」の優位を見せつけて去って行く。その後、ロビュールとその飛行機械は、晩年の作品『世界の支配者』に、さらにグレードアップして登場するらしい(私はまだ読んだことがない)

 なお、この『征服者ロビュール』を書いたころから、ヴェルヌは身辺に不幸で憂鬱なできごとが重なり、「ペシミズム」に傾斜したと言われている。たしかに、この作品のアルバトロス号の船長ロビュールは『海底二万里』のノーチラス号のネモ船長に相当するのだが、ロビュールにはネモ船長のような「人間味」はあまり感じられず、もっとドライなキャラクターになっている。ただ、それをヴェルヌの個人的な体験などと結びつけて論じるのには慎重でいたほうがいいとは思う。

 ところで、このアルバトロス号は、実際に「空気より重い航空機」を予言しただけでなく、直接にか間接にかは知らないけれど、日本のアニメのメカニックのデザインにも大きな影響を与えているように思う。

 巨大な気嚢も持たず、大きな翼もつけないで、空に「船」を浮かべて飛ばしたいという願望を日本のアニメは絵にしてきた。『空飛ぶゆうれい船』あたりから始まり、『天空の城ラピュタ』のタイガーモス号とかゴリアテとか(これは気嚢を持った飛行船のようだが)につながる(『宇宙戦艦ヤマト』だってたぶんこの系譜に連なるのだろう。ヴェルヌ原案ということになっている『ふしぎの海のナディア』のノーチラス号は当然として……)。『LASTEXILE』の戦列艦もそうだし、『パタパタ飛行船の冒険』のイカルスやプロミネンスももちろんそうだ。このアルバトロス号のデザインはそれを先取りしているように思う。

 それだけではなく、『空飛ぶゆうれい船』・『天空の城ラピュタ』・『LASTEXILE』・『パタパタ飛行船の冒険』と並べてみると、工業社会に対する何かペシミスティックな雰囲気が共通していることがわかる。ヴェルヌのペシミスティックな世界観も、日本のアニメの一つの「執拗低音(バッソ・オスティナート)」になっているのかも知れない。


『サハラ砂漠の秘密』の垂直離着陸機

 ヴェルヌが死去したのは一九〇五年で、ライト兄弟の初飛行成功から一年あまり経った後のことである。

 なお、『パタパタ飛行船の冒険』の原作となった『サハラ砂漠の秘密』を実際に書いたのは息子のミシェルなので、ジュール・ヴェルヌの着想ではないが、この『サハラ砂漠の秘密』にも飛行機械が登場する(『パタパタ飛行船』のイカルスに相当する)

 『サハラ砂漠の秘密』が発表されたのは実際にライト兄弟が飛行に成功し、それどころか、第一次大戦で飛行機が兵器として実用された後である。しかし、この作品の飛行機はプロペラ動力の垂直離着陸機であり、当時の飛行機の水準を超えていた。離着陸時には翼をたたみ、プロペラの軸を垂直にしてヘリコプターのローターとして使う。高度が上がると、翼を開き、プロペラの軸を水平にして前進するという仕組みである。この飛行機は自動的に飛行を安定させるフィードバック機構も備えている。動力が超圧搾空気で、実現不可能なのだが、第一次大戦終結当時として見ればかなり進んだデザインである。


空気より重い飛行機械の時代

 今日では飛行機と飛行船の「勝負」はついた。人間を運ぶ機関としての地位は空気より重い飛行機が獲得した。飛行機は滑走路が必要だという欠点があったが、現在では長い滑走路を作る余裕がない地域でもヘリコプターが実用化されて使われている。軍事的にも、第一次大戦までは飛行船が実用されたが、第二次大戦ではもう飛行船は出る幕がなかった。わずかに、気球が爆撃機の侵入を防ぐ空のバリアを張るために使われただけだった(阻塞気球という)。現在では、飛行船は広告用に、気球は、気象などの観測のために無人の気球(風船と言ったほうがいいかも知れない)やアドバルーンが使われるほかは、スポーツ用に実用されているにすぎない。

 けれども、飛行機やヘリコプターにも問題点はある。

 飛行機やヘリコプターなどの「空気より重い飛行機械」の問題点は、機体を浮かせるために動力を動かしつづけなければならないということだ。

 空気より重い飛行機械でも上昇気流さえうまくつかまえることができれば飛びつづけることはできる。グライダーがその原理を応用したものだ。

 しかし、そのかわり、グライダーの飛行は気象条件の制約を受ける。上昇気流がないと高度を維持することができないし、だからといって、機体を軽く作らなければならないので上昇気流が強すぎると危険である。また、自分で動力を持たないグライダーは、積める重さも限られたもので、大量の人や物資を運ぶこともできないし、高速力も期待できない。だから、グライダーは、現在では気球と同じように主としてスポーツとして使われるだけになっている。

 グライダーが上昇気流さえあれば飛べるのは、重さに比べて翼が大きく、空中に浮いていられる性能(滞空性能という)が高いからだ。リリエンタールやライト兄弟の時代には、素材面の問題から、十分な強度を持った軽くて大きな翼を作ることができず、グライダーの開発は困難をきわめた。木材に布を張るという方法では、大きくして強度を保つためには頑丈にしなければならず、そうすると重くなって飛べなくなってしまうのである。しかし、今日ではこの素材面の問題は解決している。

 問題は、翼を大きくして滞空性能を高めることと、よりたくさんの人や荷物をより速く運ぶという目的とが矛盾することである。滞空性能を高めることを優先すれば、よくたくさんの人や荷物を運ぶためにそれに応じて翼を大きくしなければならない。しかし、翼が大きいと、空港や格納庫の施設も大きくしなければならず、不経済である。

 そのうえ、翼が大きいことは、速度を上げるためにはかえってじゃまになる。高速で飛ぶためには、低速での滞空性能を犠牲にして翼を小さくしたほうが有利なのだ。また、高速で飛べば、小さい翼でも高い滞空性能を得ることができる。飛行機はその方向に進歩してきた。

 ただ、滞空性能を犠牲にすれば、ぎりぎりの浮力で機体を安定させなければならない。速度を上げれば滞空性能が上がるといっても、その高速に達するまでは滞空性能の低いまま操縦しなければならない。また、高速で飛行しているときに下手に舵を切ると、失速したり機体に大きな負担がかかって機体が損傷したりする可能性がある。だから、高速で飛ぶことを前提にした翼の小さい飛行機はそれだけ操縦が難しい。現在の飛行機では、高空を飛行しているときよりも離着陸のほうが難しく、事故も起こりやすい。それは、地上附近は気流が乱れやすく、またちょっとしたミスで大事故につながるという要素もあるけれども、速度が十分に上がっていなくて操縦が難しいこともその大きな原因の一つである。

 この操縦の難しさの問題は、現在ではセンサーとコンピューターで機体を自動制御することで解決されつつある。

 けれども、小さい翼で高速で飛ぶために莫大なエネルギーを消費するということは変わらない。機体のかたちや素材を工夫することでエネルギーの消費量は減らすことができるが、それにしても限界はある。

 また、現在のエンジンは軽質油を使用しているので、二酸化炭素を大量に排出する。しかも、その軽質油を多く含む原油を産出する油田は限られている(ちなみにその油田が多く分布するのがイラクからイランにかけての一帯である)。だから、将来、いつまでも現在の軽質油エンジンを使いつづけることはできない。

 将来のエネルギー源としては、海底にシャーベット状になって蓄積されているメタンガスや水素が考えられる。生ゴミを生物的に分解して大量のメタンガスを発生させるという方法もある。水素が燃えても水になるだけなので地球温暖化にはあまり影響を及ぼさない。また、メタンガスは、炭素を含んでいるので燃焼させれば二酸化炭素を発生するが、石油よりも炭素の比率は低い。

 ただ、ガスを燃焼させて急速に膨張させ、そのガスを噴射することで進むという現在のジェットエンジンにメタンや水素がどれだけ応用できるかはまだわからない。水素には爆発しやすくて管理が難しいという例の欠点もある。ボンベや丈夫なタンクに詰めれば、気球や飛行船のように、酸素と交じりやすい条件で気嚢にたくさん詰めているよりはずっと安全だ。それでも温度が上がれば内部の圧力に耐えられなくなってボンベそのものが爆発してしまう可能性があるし、離着陸のときに事故を起こして水素が爆発すれば現在のガソリンエンジンのばあいに劣らない大惨事になることも予想される(液体が地面に飛び散って燃え広がる危険はないけれど)。メタンや水素の飛行機械の動力への応用は、少なくとも自動車に較べればずっと困難そうだ。


将来の飛行機械は多様化する?

 私は、将来の飛行機械は状況次第で多様化していくのではないかと思っている。「状況しだいで」というのは、現在と同じように石油が安い価格で供給されつづけていれば、大型のジェット航空機を高速輸送の主力にする状況はなかなか変わらないと考えているからだ。しかし、石油事情が大きく変化して石油を手に入れるコストが高くなったり、メタンや水素などの代替エネルギーが石油と同じように安価で供給されるようになったりすれば、状況は変わるだろう。

 石油の値段が上がって、軽質油が貴重物質になれば、現在のジェット機の航空運賃は跳ね上がり、大衆的な輸送機関ではなくなる。もしそうなれば、石油を使うジェット機はほんとうに高速を要するばあいだけに使われるようになるだろうと思う。

 そうなったとき、ひとつ考えられるのはプロペラ動力の復活である。ほんとうに高速を必要とするときだけ石油のジェットエンジンの飛行機を使い、あまり速くなくてもいいときには安い値段で利用できる代替エネルギーのプロペラ機を利用することになるだろう。

 プロペラ動力ならば、噴射させる必要がないので、メタンや水素を使う機関として燃料電池が有力な機関として考えられる。この燃料電池の効率が上がれば、燃料電池を動力にしてプロペラを回して飛ぶ飛行機を作ることもできるだろう。そうすれば、石油に頼らず、しかも大量の人や物資を運べる「電気飛行機」が実現するかも知れない。電気でも駆動できる。ヴェルヌの描いた『征服者ロビュール』のアルバトロス号はプロペラで飛ぶ電気飛行機だったから、ヴェルヌの夢はそれによって実現することになる。初期の飛行機のエンジンには自動車会社が作ったものがある。同じように、代替エネルギーを利用したエンジンの開発に成功した自動車会社が航空機のプロペラエンジンを作ることにもなるかも知れない。

 もっとも、そのうちメタンや水素を使ったジェットエンジンやロケットエンジンが低いコストで安全に運用されるようになれば、またプロペラ動力による飛行機は衰退してしまうかも知れない。

 どちらにしても、飛行船の大量輸送機関としての復活の可能性はありそうにない。けれども、飛行船には、浮いているだけならばべつにエネルギーを使わなくてもいいという利点がある。空気抵抗が大きいので、動かそうとすればかえってエネルギーを消費する。しかし、決まった場所に浮いたままで、ときおり位置を修正するだけのためにエンジンを動かすだけというものとしてならば、飛行船は十分に利用の価値がある。もっとも、人工衛星がこれだけ実用化されている時代に、そういうものにどれだけ独自の価値があるか、疑問なところもあるが。

 20世紀は、人が空を飛んで移動することがあたりまえになった人類史上最初の時代だった。人間や人間が使う物資を空を飛んで運ばせる技術はいまでは成熟したものになり、草創期のように技術そのものが持つおもしろさはかえって少なくなってしまった。

 21世紀には、「人間が空を飛ぶこと」はどう変化していくことだろう? それは、私たちが21世紀にどんな世界を創るかということによって、大きく左右されることだろうと思う。

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