伸縮性の布を使って軟らかい質感のオブジェや それらに包まれるような空間をつくり出すインスタレーションで知られる ブラジル (Brazil) の作家 Ernesto Neto が、 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館3F展示室をフルに使ったインスタレーションを制作した。 この作品は展示室に合わせて制作されており、展覧会は巡回はしない。
綿のタイツのような生地を使った有機的な形状の天蓋を吊るし、床には軟らかいマットを敷き、 低反発クッション素材や蕎麦殻、軟らかいプラッチックボールなどを詰物に使った 様々な形状のクッションや衣装のようなオブジェを床に配している。 天井からはところどころチューブのようなものがぶら下がっていたりもする。 そのオブジェと戯れつつその空間を体感するようなインスタレーションだ。 その作風は今までに観たもの (関連レビュー) から大きく外れるものではないが 縦横数十メートルずつあろう大規模なものを観たのは初めて。 お馴染みコクーンのような空間も作ってあったが、 小さな子供ならかるく走り回れるような広さが新鮮だった。
そして、実際、インスタレーションのたくさんの子供たちがはしゃぎ回っていた。 ギャラリーや美術館で子供たちがこれほど楽しんでいるのを観たのも初めてだ。 瞑想的なコクーンというより、大きなベビープレイスペースだ。 Neto の作品には遊びの余地が感じられることが多いが (関連レビュー)、 この作品でもそれが大いに発揮されていた。 裾がプラスチックボールでひろがったワンピースを着たり、 太麺状のクッションを体にまきつけたり、 大きなクッションの窪みに体を沈めてプラスチックボールで埋められたり。 無茶な遊びかたをする子供は見当たらず、自然に作品に合ったように接しているようだった。 展覧会ではめったに許可されない写真撮影を このインスタレーション作品では許可していたというのも英断だろう。 子供たちは楽しそうに作品に戯れながら親のカメラの前でポーズを取っていたが、 作品の中ではとても可愛らしく、そういう子供たちも作品の一部と言えるほどになっていた。 維持管理が大変とは思うが、 このまま常設の子供の遊び場として保存できればいいのに、と思ってしまった。
子供たちにつられて、 作品のコンセプトのことなどすっかり忘れてインスタレーションの中で童心にかえって遊んでしまったが、 その後に大人に戻ってインスタレーションを外側から観ながら、 作品タイトルと作品を上面から見た図を見て、 その天蓋の形状がキスをする男女ふたりの上半身を象っていたことに気づかされた。 そして、その作品のタイトルは、 "There are two people kissing, while they love each other, they dream with better world, with their kids that didn't come yet and the future... of human beings, the earth and the life" (「キスをするふたり。愛し合い、ともに夢見る。より良い世界を、まだ見ぬ我が子を、そして人生と人類とこの星の未来を。」)。 そして、愛し合う二人を象った作品の中で無邪気に遊ぶ子供たちが —— そして、もちろん自分が —— まさに作品タイトルで夢見るとされるものを演じさせられていたことに気付いた。 確かに、その夢はいささかナイーブなものかもしれない。 けれども、作家に指示されるまでもなく作品の中で無邪気に遊ぶ子供たちを実際に観ていると —— そして、自分も童心にかえってひとしきり遊んだということを思い返すと —— その作品を体感することを通しての説得力は認めざるを得ない。
また、天蓋はたくさんのロープを使って吊るされているのだが、天蓋を吊り上げる重しとして、 大量の香料 (クローブとターメリック) を詰めた伸縮性の布袋が使われていた。 天蓋からロープを伝わる振動によって、香料は袋の布目から漏れ出すようになっている。 これによってインスタレーション内での観客の活動の累積を視覚化しているのも、面白かった。
コンセプトのことを知らずにいても —— 子供でも —— 十分に楽しめるし、 そのコンセプトにもなるほどと思わせるだけの説得力があり、 コンセプトを知ればそれだけより興味深く感じる、とても良く出来た作品だ。
入場したのは朝の開館直後で並ばずに入れたのだが、
一時間ほど遊んだ観賞した後には
インスタレーション観賞待ちの長い行列ができていた。
それも、子供連れの客が多く、現代美術マニアが日本各地から集まっているのではなく、
近くに住む小さな子供を持つ家族が遊びに来ているようだった。
地元のメディアか口コミで客が集まっているようで、
そういう現代美術の受容が成功しているというのもとても興味深かった。
ただ、休日なのに父親の姿が少なく母子連れが多かったように見えた。
それは、少々残念だった。