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Review: Pipilotti Rist, Karakara (美術展)
嶋田 丈裕 (Takehiro Shimada; aka TFJ)
2007/12/2
Karakara
原美術館
2007/11/17-2008/02/11 (月休;月祝開翌火休;12/25-1/4,1/15休), 11:00-17:00 (水11:00-20:00)
"À La Belle Étoile (Under The Sky)" (2007), "Healing" (2004), "Selbstlos Im Lavabad" (1994), "Das Zimmer" (1994/2007), "Apple Tree Innocent On Diamond Hill" (2003), "Laplamp" (2006), "Gina's Mobile" (2007), "Daine Raumkapsel" (2006), "I Couldn't Agree With You More" (1999), "Ever Is Over All" (1997), "Closet Circuit" (2000).

1980年代後半から活動を始めたスイス (Switzerland) 出身のアーティスト Pipilotti Rist の、 美術館1館を使った個展だ。 音楽とビデオを使ったインスタレーション作品を得意とするアーティストで、 今回の作品の多くもそういう作品だった。 全体的な印象としては、2000年代の作品を集めた1階のインスタレーションより、 1990年代の作品もあった2階の方が楽しめたように思う。 楽しめた展覧会だったが、旧作の方が楽しめたという意味では少々微妙だ。

青いドレスを着た若い女性が手に持つ花で駐車中の自動車の窓ガラスを叩き割っていく "Ever Is Over All" は、 「女性的」とすら感じる可愛らしさと不穏で殺伐とした雰囲気の衝突が面白い作品だ。 音だけ取ってみても、Rist 自身と Anders Guggisberg の2人による 女性の口づさむハミングを元にしたかのような柔らかく明るい音楽も良いし、 そこにガラスの割れる音が割り込むところも面白い。

"I Couldn't Agree With You More" ではハンディカメラで自分撮りしつつ、 自宅とおぼしき一室からスーパーマーケットに行きそこを彷徨うかのような 不安定なカメラワークの映像を投影している作品だ。 もう一台のプロジェクタを使い、 その画面上方に小さく裸でくさむらの中をうごめく人々が まるで妖精のように投影されている。 ふと、The Clash, "Lost In The Supermarket" や The Raincoats, "Fairytale In The Supermarket" のような歌を 思い出させられるところがあったが、 題名からしても直截的な消費社会批判というより、 もう少しアンビバレンツな印象を受ける作品だ。

"I Couldn't Agree With You More" でも Guggisberg による音楽が使われてるのだが、 この頃の Rist の作品が良く感じるのは、 Rist と Guggisberg による音楽によるところも大きいように思う。 "I'm A Victim Of This Song" (1995) や "Sip My Ocean" (1996) で使われている Chris Isaak, "Wicked Game" のカバーもこの2人によるものだ。 強く主張するような音楽ではないが、 ドイツの indie pop + electronica の指向を持つ女性ミュージシャン (例えば Barbara Morgenstern) とも共通するような ささやかなキャッチの良さと不安定さ・不穏さを併せ持つような所が気にいっている。

1階の展示の多くは、音楽付きのビデオをスクリーンや壁面に直接投影するのではなく、 それをオブジェに組み込んだり、オブジェに投影したりする作品だ。 そういった作品で少々面白いと思ったのは、 1階身障者用トイレに設置された、 トイレの洋便器にカメラを仕込んだ "Closet Circuit"。 実際に体験してみたが排泄の瞬間が見えるというわけではなさそうだ。 といっても、残念ながら大便を催さなかったので、 比較的無難な映像しか観られなかったが。 2階の廊下に設置された "Gina's Mobile" (2007) で投影される映像も、 皮膚というか粘膜のクロースアップで少々グロテスクなものだが。

1階の "Das Zimmer" (1994/2007) は通常サイズのテレビモニタの前に 大きなソファとテレビリモコンが置かれたもので、 そこに座ってリモコンを操作しながら、 Rist の過去のビデオ作品12作を観ることができる。 ただし、全て観ようとすると2時間近くかかる上、 他の客とチャンネルの取り合いになったり、ザッピングの状態になったりもするので、 全てを観るのは難しい。 もちろん、そういう状態を含めて作品なのだろうが、 それとは別に過去のビデオ作品をじっくり観てみたい。 別途上映会するなりDVDを発売するなりして欲しい。

[sources]

以下は、展覧会前後の Pipilotti Rist 関連の談話室への発言の抜粋です。

[2054] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Wed Nov 28 0:29:01 2007

原美術館で スイス (Switzerland) 出身のアーティスト Pipilotti Rist の個展 Karakara が始まったわけですが、 そんなきっかけで検索してみたら、 YouTube 等で彼女のビデオ作品がいろいろ観られますね。そういう時代なんだなぁ (感慨)。 こうして見直してると、やっぱり、彼女のビデオ作品って面白いなぁ。 というわけで、Karakara 展を観る前の予習ということで、 彼女のビデオ作品のどこが面白いのか、について、 特に自分が好きな rock ネタの作品に焦点を当てて。 展覧会場で観た後しばらくして残ったぼやけた印象に基づいて書くのと違い、 観ながら書くと話を具体的にできていいです。

まず、自分の最も好きな作品 "I'm A Victim Of This Song" (1995; ⇒YouTube)。 「私はこの歌の犠牲者」と題されたこの作品は、 アメリカ (US) の rock のシンガーソングライター Chris Isaak の 一番のヒット曲 "Wicked Game" (1990) をカヴァーしたミュージックビデオという形を取っています。 Rist の作品の題名の「この歌」というのは "Wicked Game" を指しているとも言えます。 また、Chris Isaak, "Wicked Game" には、ファッション写真で有名な写真家 Herb Ritts が監督し当時のスーパーモデル Helena Christensen が出演したミュージックビデオがあります (⇒YouTube)。 そして、Rist のビデオ作品は、このミュージックビデオを承けたような作品にもなっています。

余談ですが、"Wicked Game" は David Lynch の映画 Wild At Heart (1990) で使われたこともあり、 その映画のシーンを使った Lynch によるミュージックビデオもあります (⇒YouTube)。

"Wicked Game" は「僕をこんな気持ちにさせるなんて / なんて邪悪なゲームなんだ」 ("What a wicked game to play / To make me feel this way") と、そして、 「ああ、僕は恋に落ちたくはない (この世はお前の心を打ち砕くだけだ) / 君とは」 ("No, I don't want to fall in love (This world is only gonna break your heart) / With you") と歌う、失恋を恐れて自分に降りかかろうとしている恋愛を避けようする心情を歌った歌です (Hank Williams, "Please Don't Let Me Love You" (1955) と似たような主題の歌詞です)。 Herb Ritts はこの歌に対して、リゾートの浜や庭で「邪悪なゲーム」に興じる男女 (Helena Christensen と Chris Isaak 自身) の少々エロティックな映像と、 そういう俗世から遠く離れているかのように雲海に佇んで (メタな立ち位置で) 詠唱する Isaak の映像を付けています。

Rist の "I'm A Victim Of This Song" でも、 Ritts の "Wicked Game" のビデオと同じく、 メタな立ち位置の表現に流れる雲のイメージが使われています。 しかし、そこに佇む人はいません。 さらに、リゾートで「邪悪なゲーム」に興じる男女のような映像は現れません。 その代わりにヨーロッパの普通のカフェのありふれた日常のような光景が映し出されます。 不安定なカメラの視線は共通するのですが、 Ritts の映像では異性の相手を追い求めるかのようですが、 Rist の映像では実際には無いものを求めて虚しく宙をさまようかのよう。 そして、この落差が "I'm A Victim Of This Song" の面白さの一つです。

さらに、"I'm A Victim Of This Song" の前半では "Wicked Game" が少々拙い不安定な女性の歌声で歌われるのですが、 それが後半には叫び声になっていきます。 この「いや! 私は恋に落ちたくない!」という絶叫が Ritts のビデオとの落差と「私はこの歌の犠牲者」という題と合わさったとき、 それは恋を恐れる気持ちを歌った歌というより、 Ritts が映像化したようなヒット曲などを通して社会的に提供される恋愛のイメージの犠牲者の悲鳴か、 その恋愛イメージに対する拒絶の叫びかのようになっていきます。 それが、この作品がとても面白く感じる所です。

こういう所は、The Smiths の歌 "Jeane" における "I don't believe in magic any more" (関連発言) ととても共通するところがあります。 そこが、"I'm A Victim Of This Song" が自分のツボにはまるポイントかも。

Pipilotti Rist の初期の代表作 "I'm Not The Girl Who Misses Much" (1986; ⇒YouTube) も、とても面白い、というか、とてもカッコいい作品です。 この作品の冒頭から3分過ぎまで、 「私は (流行/時流に) とても乗り遅れ (misses much) た女の子なんかじゃない」 ("I'm not the girl who misses much") と繰り返し歌いながら踊る女性を写します*1。 その踊りは無造作で、その声は様々なビッチで歪められ、 画面もぼやけており、さらに画面を割くかのような処理も加えられもします。 そのように「私はオクレた女の子なんかじゃない」と執拗に繰り返されるその様子は、 流行に乗り遅れまいとするあがきを描いているようでもあり、 そのように踊らされている様子の諷刺のようでもあり、 思わず苦笑させられる所があります。

しかし、この作品の最も強烈な瞬間は、3分過ぎくらいに突然画面のトーンが変わり、 The Beatles, "Happiness Is A Warm Gun" (The Beatles aka White Album, 1968) のカヴァーを歌い出すところ冒頭の部分がかかるところです *2。 これによって、前半で執拗に繰り返された "I'm not the girl who misses much" というのは "Happiness Is A Warm Gun" の冒頭のフレーズ "She's not a girl who misses much" の "She's" (彼女は〜) を "I'm" (私は〜) に 置き換えたもの (さらに不定冠詞を定冠詞に置き換えたもの) だと明らかにします。 そして、アメリカの銃専門誌の記事から題を採ったこの歌の歌詞は、 銃の所有や射撃に関わる欲望のイメージと男性が女性に向ける性的な欲望のイメージを サイケデリックなイメージ連想で繋げたものなのです。 この歌が歌い出される瞬間、前半で執拗に繰り返されたフレーズの意味は、 「私は ("Happiness Is A Warm Gun" の前半で歌われるような) 男性の欲望の対象として見られるまさにその女の子」 だと突き付けられるようです。 そして、再び頭からビデオを見るとき、ぼやかされピッチを変えられた執拗に歌い踊る映像は、 むしろ、そのような女性への眼差しに対するはぐらかしや抵抗のようにも見えます。

このような "I'm Not The Girl Who Misses Much" (1986) や "I'm A Victim Of This Song" (1995) での Pipilotti Rist のラブソングに対する戯れは、 1980年前後の "postpunk love song" (関連発言) とも共通します。 postpunk の女性グループや男女混成グループ (関連発言) や、 彼女らが開いた「ロックが性差別主義に反対する可能性」を継いだ Riot Grrrl、 ベルリン (Berlin, DE) の Monika Enterprise の 周辺に集まる女性ミュージシャン (関連発言) の文脈の中に、 Pipilotti Rist を置くこともできると思います。 Monika Enterprise を主宰しているのは postpunk の女性グループ Malaria! のメンバーだった Gudrun Gut ですが、 実際、Pipilotti Rist は1990年代後半から Gut と継続的にコラボレーションしてます。 Gudrun Gut の最新作 I Put A Record On (Monika Enterprise, MONIKA55, 2007, CD) にも、extra のデータとして、 Pipilotti Rist とのコラボレーションによるビデオ作品 "Celle" (2006) が収録されています。 これがまた、electric guitar を抱えた Riot Grrrl っぽい女性が登場するビデオで、らしいなぁ、と。

ここではあえてある程度分析的に書きましたが、 実際、自分が Pipilotti Rist の作品を観てるときは、もっと直感的なレベルで、 音楽やビデオ、主題の選び方のセンスがツボにハマることがほとんどです。 Monika Enterprise 界隈のミュージシャンの音楽も好きですし、 もともとそれなりに親しんできている音楽とセンスがかなり近いというのが、 Rist の作品がツボにハマりやすい一番の理由かもしれない、と思うところもあります。

しかし、Greil Marcus ("postpunk love song" という言葉を使った音楽評論家) って いかにも Pipilotti Rist とか好きそう、と思って検索してみたら、 "Real Life Rock Top 10" (Salon, 1999/11/16) で、まさに、 Pipilotti Rist, "I'm A Victim Of This Song" を取り上げてたことに気付きました。 やっぱり。

(追記 *1) "miss much" はどう日本語にするか悩ましいです。 「失敗が多い」「ぼんやりしてる」あたりがよく使われる訳ですが、 "Happiness Is A Warm Gun" の出だしは "She's not a girl who misses much Do do do do do do- oh yeah! She's well acquainted with the touch of the velvet hand Like a lizard on a window pane" 「彼女ってオクレてる女の子じゃないじゃない / ドゥドゥドゥドゥドゥーイエィ / 窓ガラスのトカゲのように / すべすべした手での触りかたをよく知ってる」 という感じなので、do not miss much = be well acquainted with 〜 と解釈して 「オクレてない」としました。

(追記 *2) 最初に書きながらPCで聴いたときはちょっとピッチが高く 女性の声に聞こえたような気がしましたし、 特にクレジットも無かったので、「カヴァー」と書きましたが、 どうやらオリジナルをそのままサンプリングしたようです。