TFJ's Sidewalk Cafe > 談話室 (Conversation Room) > 抜粋アーカイヴ >

ポストパンク・ラブ・ソング (postpunk love song) について

2006年9月以降のポストパンク・ラブ・ソング (postpunk love songs)に関する 一連の発言の抜粋です。 古い発言ほど上になっています。 リンク先のURLの維持更新は行っていませんので、 リンク先が失われている場合もありますが、ご了承ください。 コメントは談話室へお願いします。

[1752] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Mon Sep 25 23:52:06 2006

先日金曜の晩は Postpunk ML な友人と呑んでいたのですが、そこで The Smiths on Charlie's Bus with Sandie Shaw (April 1984) という YouTube ネタを教えてもらいました。 1984年4月に放送された子供向けのテレビ番組の一部のようで、 The Smiths の4人が子供達と一緒に "Charlie's bus" に乗って ロンドン (London, UK) 郊外にある Kew Garden へ行き、 そこで待っていた Sandie Show が Johnny Marr のギター伴奏で "Jeane" を子供たちへ歌ってきかせる、という内容です。 The Smiths で最も好きな歌は "Still Ill" か "Jeane" か、というくらい好きな歌ですが、 こんな歌を子供に歌って聴かせるか〜、と観ていて思ってしまいました。 (というか、The Smiths の歌詞って子供向けと言い難いものばかりですが。)

以前に "Still Ill" の歌詞の話をしたときにも軽く触れましたが、 "Jeane" は貧困ゆえうまくいかなくなってしまった同棲(結婚)生活を歌った歌です。 その歌詞 (Word: Morrissey。歌詞聴取と対訳は引用者) はこのようなものです。

Jeane / The low life has lost its appeal / And I'm tired of walking this street / To a room with its copboard bare / Jeane / I'm not sure what happiness means / But looking into your eyes / And I know it isn't there
We tried, we failed / We tried and we failed / We tried and we failed / We tried and we failed / We tried
Jeane / There's ice on the sink where we bathe / So how can you call this a home / When you know it's grave / But yet you still hold really grace / As you tidy the place / But it will never be clean, Jeane
We tried, we failed / We tried and we failed / We tried and we failed / We tried and we failed / We tried
Cash on the nail / It's just a fairytale / And I don't believe in magic any more, Jeane / But I think you know / I really think you know / I think you know the truth, Jeane
No, heavenly choirs are not for me / And not for you / But I think you know / I really think you know / I think you know the truth, Jeane
We tried, we failed / We tried and we failed / We tried and we failed / We tried and we failed / We tried
ジーン / どん底の生活にはもうその魅力はない / 戸棚も空っぽの部屋に向かって / この通りを歩くのも僕はうんざりだ / ジーン / 僕は幸せってどういうものかよくわからない / けど君の目を見つめると / そこに幸せはないと僕にはわかる
僕達はなんとかやってみようとした / そして僕達は失敗した / 僕達はなんとかやってみようとした / そして僕達は失敗した / 僕達はなんとかやってみようとした
ジーン / 風呂には氷が張っている / ここが墓場だって解ってるのに / どうしてここが家庭だなんて呼べるんだ / けどまだ君は上品さがある / 君はこんな場所を整頓しようとするけど / 決して奇麗になることはないよ、ジーン
僕達はなんとかやってみようとした / そして僕達は失敗した / 僕達はなんとかやってみようとした / そして僕達は失敗した / 僕達はなんとかやってみようとした
すぐに手にはいるお金なんて / ほんのおとぎ話さ / 僕はもう魔法なんて信じないさ、ジーン / けど君もわかってるだろう / ほんとに君もわかってるだろう / 何が本当なのか君もわかってるだろう、ジーン
そう、僕には天使の声なんて届かない / そして君にも / けど君もわかってるだろう / ほんとに君もわかってるだろう / 何が本当なのか君もわかってるだろう、ジーン
僕達はなんとかやってみようとした / そして僕達は失敗した / 僕達はなんとかやってみようとした / そして僕達は失敗した / 僕達はなんとかやってみようとした

僕がこの歌詞が好きな所の1つは、 「戸棚も空っぽな部屋」や「風呂には氷が張っている」といった光景描写と 「この通りを歩くのも僕はうんざりだ」や 「ここが墓場だって解ってるのに / どうしてここが家庭だなんて呼べるんだ」 といった主観描写の絡め方です。 リアリスティックというか映像的な歌詞だと感じます。 "Still Ill" の歌詞にしてもそうなのですが、 聴いていて映画の1シーンのようなものが想起される所があります。

しかし、この歌詞が良いと僕が思うのは、 ラブ・ソングのクリシェを逆手に取っている所です。 例えば、"looking into your eyes" とくれば、そこに愛なり幸せを見出すところを、 "I know it isn't there" と言うような所です。 そして、なんといっても、"I don't believe in magic any more"。 このフレーズから連想させられるのは、例えば、Lovin' Spoolful の "Do you believe in magic" のようなもの ("Yeah, believe in the magic of a young girl's soul / Believe in the magic of rock and roll") です。 実際、"Jeane" は "the magic of a young girl's soul" のようなものはもう信じられない ― 経済的要因であっけなく破綻しまう ― とでもいった内容の歌なわけですが、 こういうクリシェを逆手に取った表現を織り込むことにより、 恋愛のマジックを歌うロックを皮肉るような歌にもなっています。 Gang Of Four, "Anthrax" (Entertainment, 1979) の中で読み上げられる小論文を受けているかのようで、 いかにもポストパンクなラブ・ソング、というか。 ポストパンク・ラブ・ソングについては 以前の関連する発言もどうぞ。

といっても、この歌で最も染みるのは "We tried and we failed" のリフレインだったりしますが。 これに従えば、男女の間に起きることとは "magic" ではなく "trial and failure"、というか。

ちなみに、僕の最も好きな "Jeane" は、The Smiths によるオリジナル (This Charming Man, Rough Trade, RT136, 1983, 7″) でも、 Sandie Show を歌手にフィーチャーしたヴァージョン (Hand In Glove, Rough Trade, RTT130, 1984, 12″) でもなく、 Billy Bragg が歌ったもの、それも、 Greeting To The New Brunette (Go! Discs, GODX15, 1986, 12″) に収録されたものではなく、 BBC Sessions (Strange Fruit, SFRCD117, 1991, CD) に収録されたヴァージョンが、特に好きだったりします。

と、書いていたら勢い長くなってしまいましたが、いったい誰が読むのかという……。

[1780] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Fri Nov 10 0:27:32 2006

1ヶ月余り前になりますが、 1980s UK indie の rock グループ The Smiths の歌 "Jeane" (1983) の歌詞のをしました。 その時に、この歌を「いかにもポストパンクなラブ・ソング」と言ったわけですが、 それについての話を。

ポストパンク・ラブ・ソング (postpunk love songs) というのは、 僕が作り出した言葉ではなく、アメリカ (US) の評論家 Greil Marcus が イギリス・リーズ (Leeds, UK) 出身の post-punk グループ Delta 5 についてのエッセー "Suspicious Minds" (1980; Ranters & Crowd Pleasers, 1993) の中で使った言葉です。 もちろんそれを意識したわけですが、Marcus のそれよりも広い意味で僕は使いました。 (Marcus の使った意味では "Jeane" はポストパンク・ラブ・ソングではないと考えます。その理由は後述。)

"Suspicious Minds" で Marcus はポストパンク・ラブ・ソングについて こう書いています (引用者訳)。

Delta 5 play love songs —— though songs about the situations love creates might be a more accurate way of putting it. They are postpunk love songs: the singers accept the inevitability of love but maintain ther suspicions. The music could almost be derived from the little dissertation on The Love Songs as a Staple of Pop Language that Andy Gill read out of the murk of the Gang of Four's "Anthrax" ("You occationally wonder why all these groups do sing about it all the time..."). Delta 5 continue questioning the love song without abandoning its form —— but they fool with it.
Delta 5 はラブ・ソングを演奏する ―― 恋愛が引き起こす状況についての歌と言った方が正確かもしれないが。 その歌はポストパンク・ラブ・ソングだ:歌い手は恋愛が避け難いものと受け入れているが、疑いは抱き続けている。 その音楽は、Gang Of Four の歌 "Anthrax" の陰鬱な演奏の中から Andy Gill が読み上げるポップの言葉の定番としてのラブ・ソングについてのちょっとした論述 (「どうしてそういったグループはいつも恋愛について歌っているのだろうと、時々不思議に思う……」) から派生したものと言えるだろう。 Delta 5 はラブ・ソングの形式を捨てることなく、ラブ・ソングに疑問を呈し続ける ―― 彼らはラブ・ソングを弄んでいるのだ。

そして、このエッセーで Marcus が言及している Gang Of Four (Delta 5 と同郷同世代の post-punk グループ) の歌 "Anthrax" (Entertainment!, EMI, 1979) で読み上げられる論述というのは、以下のような内容です (引用者訳)。

Love crops up quite a lot as something to sing about, most groups make most of their songs about falling in love or how happy they are to be in love. You occationally wonder why these groups do sing about it all the time –&ndash it's because these groups think there's sonething very special about it either that or else it's because everybody else sings about it and always has. You know to burst into song you have to be inspired and nothing inspires quite like love. These groups and singers think they appeal to everyone by singing about love because apparently everyone has or can love or so they would have you believe anyway but these groups go along with the belief that love is deep in everyone's personality and I don't think we're saying there's anything wrong with love just don't think that what goes on between two people should be shrouded in mystery.
恋愛はそれについて歌うべきものとして現れることが多い。ほとんどのグループが、恋に落ちることについて、もしくは、恋していることの幸せについて多くの歌を作っている。 どうしてそういったグループはいつも恋愛について歌っているのだろうと、人は時々不思議に思う。 それは、恋愛には何か特別なことがあるとそれらのグループが思っているからか、 あるいは、他の皆が恋愛について歌っており恋愛についていつも歌ってきたからだ。 わっと歌い出すには心を動かされる必要があるが、恋愛ほど心を動かされるものはない、と人は知っている。 そのようなグループや歌手は、誰もが明らかに恋愛をしているか恋愛することができるから恋愛について歌うことによって皆にアピールする、と思っている。 もしくは、彼らはとにかくそう信じさせようとするだろう。 そして、恋愛は全ての人の人格に深く根付いているという信念に、そのようなグループは従っている。 僕たちは恋愛に何かまちがったことがあると言おうとしているわけではないと思う。 二人の間で起きることは神秘に覆い隠されるべきだとは思わないだけだ。

The Smiths の "Jeane" (歌詞とその対訳) が 「いかにもポストパンクなラブ・ソング」と僕が言う理由は、 この歌が失恋 (というか貧困による恋の終焉) の歌という ラブ・ソングに準じた形式を採りながら、 ラブ・ソングのクリシェを逆手に取ったような表現を使っているからです ―― Gang Of Four や Delta 5 に比べたら、形式の弄びや辛辣さは控えめですが。 それでも、"I don't believe in magic any more" は、 ラブ・ソングのクリシェを逆手に取っているだけでなく、 Gang Of Four, "Anthrax" ので主張 「二人の間で起きることは神秘に覆い隠されるべきだとは思わない」 の変奏とも言えるものになっています。 "Jeane" では歌の主人公は相手 (Jeane) に「君も何が真実なのか判っているよね」と 二人の間に起きたことというのはこうだと相手に呼びかけるわけですが、 それは例えば失恋の歌にありがちな「かつては僕達は互いを愛していた」といったもの ―― つまり、魔法を信じること ―― ではなく、その代わりにこう歌います: 「僕達はなんとかやってみようとした / そして僕達は失敗した」 ("We tried and we failed") と。 そして、歌の終りに向かって "I think you know" と "We tried and we failed" と 繰り返し畳み掛ける毎に、それは歌の主人公が相手 Jeane に呼びかけているというより、 歌い手が聴き手にこう呼びかけているかのようになってきます: 「なんとかやってみようとした / そして失敗した / それが二人の間で起きる本当のことだって、君も判っているよね」と。

"Jeane" の歌詞を書いた Morrissey がこういったことを意識していたかは判りません。 しかし、"Jeane" に限らず、1980年代前半の UK indie シーンやその近傍では、 Gang Of Four, "Anthrax" での主張から派生したような歌 (Marcus 的な意味より広い意味での「ポストパンク・ラブ・ソング」) がそれなりに作られ歌われていました。 そして、"Jeane" はそんな歌の一つだったと言えると思います。

しかし、Marcus 的な意味では "Jeane" は ポストパンク・ラブ・ソングではないと考えます。 それは、Marcus はポストパンクの歌の特徴としてもう一点、 以下のようなことを挙げているからです (Greil Marcus, "Ideal Home Noise", 1981; Ranters & Crowd Pleasers, 1993)。

They are not, as would Joni Mitchell and John Lennon, singing to refine an individual sensibility or to project a personality or a persona onto the world. Rather, they are singing as factors in the situations they are trying to construct.
彼ら (引用者注:Gang Of Four、Au Pairs、Liliput のようなポストパンク・グループの歌手) は、 Joni Mitchell や John Lennon のように個々の感受性に磨きをかけたり、個性なり仮の人格なりを世界に投影するために歌ってるわけではない。 むしろ、彼らは、自身が構築しようとしている状況における要素として歌っている。

これを Simon Frith の言葉で言い替えれば、ポストパンクのグループは 主観主義・現実主義に基づくロックの音楽言語の「自然性」を疑った (『サウンドの力』, 晶文社, 1991; Sound Effects, 1978/1983) わけです。 しかし、The Smiths の音楽言語の多くはむしろ主観主義・現実主義寄りのもので、 その点ではポストパンク的とは言い難いです。 むしろ、1980年代半ばの The Smiths や Everything But The Girl の音楽というのは、 1980年前後の Gang Of Four や Au Pairs のようなグループに典型的な 「政治、経済そしてセクシャリティに関する常識的な概念を構成する仮定や受け入れられた考え方」を問い直すような歌詞主題を引き継ぎつつ (関連発言)、 その音楽言語を主観主義・現実主義へと回帰させていったものだったと、 僕は考えています。

さて、いきなりどうしてこんな事を書き出したのだろうと思う読者もいると思うので、 ポストパンク・ラブ・ソングについて書き出した理由について補足 、というか言い訳。 理由の一つは、もちろん、去年の Simon Reynolds, Rip It Up And Start Again: Post-Punk 1978-1984 (Faber & Faber, ISBN0-571-21569-6, 2005) (関連発言) に続いて Rob Young, Rough Trade: Labels Unlimited (Black Dog Publishing, ISBN978-1-904772-47-7, 2006) (関連発言) を読み、ここ1〜2年、当時のこの界隈の音楽を聴き返していることが多いということです。 自分が十代から二十代前半にかけて最もよく聴いていた音楽だけに、非常に思入れ深いですし (遠い目)。 また、普段はそんなレビューをなかなか書くこともないわけですが、 たまには一つの歌の歌詞を噛みしめるように語りたい、と思っているということもあります。 しかし、キッカケとしては、?B経由で、偶然、 「「非モテ論議」についての個人的且つ暫定的まとめ」 (大野 左紀子, 『Ohno blog』, 2006/11/05) というブログのエントリを目にしたことがあります。 正直、「非モテ論議」は全くフォローしていないのですが、 このエントリの「恋愛という幻想」パラグラフを読んでいて、 約10年前に書いていた 『万事快調 ―― 新しいラブ・ソングのために』 というエッセーのことを思いだしました。 それは、今ここに書いた広義のポストパンク・ラブ・ソングについてのエッセーでした。 そして、ネタとてはこの使いまわしになるけれども、 今一度この広義のポストパンク・ラブ・ソングについて、もっと丁寧に語り直すのも悪くないかなと思ったのでした。

[1782] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Tue Nov 14 0:17:48 2006

さて、The Smiths, "Jeane" だけ紹介して 「1980年代前半の UK indie シーンやその近傍では、 Gang Of Four, "Anthrax" での主張から派生したような歌 (Marcus 的な意味より広い意味での「ポストパンク・ラブ・ソング」) がそれなりに作られ歌われていました」 と書いてもイマイチ説得力に欠けるので、 少しずつ他の歌も紹介していこうかと思います。

1970年代末に活動を始め、 1980年に独立系レーベル Postcard レーベルからデビューした グラスゴー (Glasgow, Scotland) のグループ Orange Juice に、 "Louise Louise" (Words: Edwyn Collins) という歌があります。 Postcard からリリースされる予定で結局リリースされなかった 幻のデビュー・アルバム Ostrich Churchyard に収録されるはずだった曲 (Ostrich Churchyard は1992年にCD化 (Postcard, DUBH922, 1992, CD)。 現在、このヴァージョンは The Glasgow School (Domino, REWIG19, 2005, CD) で聴くことができます) で、 2nd アルバム Rip It Up (Polydor, POLS1076, 1982, LP) に収録されています。 この "Louise Louise" も、 広義の「ポストパンク・ラブ・ソング」として僕がまず思い浮かべる歌の一つです。

ちなみに、"Louise Louise" は Orange Juice の歌の中で最も好きなものです。 "Tenter Hook" も捨て難いかな。 "Dying Day" や "Felicity" のような疾走感のある曲や "Rip It Up" のような曲ももちろん好きですが。

"Louise Louise" の歌詞は以下のような内容です (引用者対訳)。

That's a trifle obvious, girl / Telling me you don't belong in this world / Telling me as I fall flat on my face / In any case that's your fall from grace / I know these melodramatics don't make things all right / Nor will they make you see things in a different light
You're a very pretty girl, Louise / But are the things you say just meant to tense? / I'm doubled up on bended knees / Tell me precious, tell me please / I know these melodramatics don't make things all right / Nor will they make you see things in a different light
And you could bite your lip / Tell the blood raw red / But they're still such crazy things to have said /
Have a beautiful birthday, dear / Such a wonderful birthday, dear / It only comes but once a year / I'll spoil your party with my punky sneer / I know these melodramatics don't make things all right / Nor will they make you see things in a different light
そんなのあたりまえじゃないか、きみ / きみはこの世界に属していないって僕に言っているんだよ / 僕を卒倒させるようなことを言ってるんだよ / とにかくそれは不興を買うようなことだよ / こんなメロドラマチックなことが世界をまともにすることも / ものの見方を変えてくれることもないんだ
君はとてもかわいいよ、ルイーズ / けど、君の言っていることは緊張感のかけらもない / 僕は腹をかかえて笑っちゃうよ / もっと大切な話をしよう、お願いだから / こんなメロドラマチックなことが世界をまともにすることも / ものの見方を変えてくれることもないんだ
君は唇を噛みしめ / 赤い血をみせている / それでも、それが言うも馬鹿げたことであるのは変わらないよ
誕生日おめでとう / 誕生日おめでとう / それは一年に一回来くるだけだ / 僕はこのパンク流儀の嘲笑で君のパーティをめちゃくちゃにするつもりさ / こんなメロドラマチックなことが世界をまともにすることも / ものの見方を変えてくれることもないんだ

この歌の歌詞は、誕生日を一緒に過ごしている女友達 Louise へ向けた言葉となっています。 誕生日の祝いの言葉を通して彼女への愛を歌うラブ・ソングであるかのような穏やかな曲調 (⇒ Amazon.co.jp で30秒分試聴可能) に乗せて、彼女の誕生日を祝う言葉としてはこの左に出るものはないであろう歌詞を歌っているところが、 この歌の面白さです。

この歌詞には、Louise がこの歌の主人公に向けて言ったとされる「言うも馬鹿げたこと」は 具体的に出てきません ―― 「そんなメロドラマチックなこと」というところから、 だいだいどんな言葉を想定しているのかは伺えるようになっていますが。 つまり、恋人もしくはそれに近い親しい仲の男女が誕生日を共に過ごすにあたって 具体的にどういう会話を交わすことが適切なのかは、この歌では問題にされていません。 むしろ、この歌が問題にしているのは、 誕生日を共に過ごすことそのものです。歌の最後でそれが明らかにされます: 「僕はこのパンク流儀の嘲笑で君のパーティをめちゃくちゃにするつもりさ」と。

この歌、特に ♪I know these melodramatics don't make things all right / Nor will they make you see things in a different light というリフレインは、巷に溢れる恋愛ハウツー本・雑誌記事 ―― その中には、恋人・親しい異性と誕生日を過ごすことに関する記述もあるでしょう ―― に対するちょっとした皮肉になっています。 といっても、Gang Of Four、Delta 5 や Au Pairs の歌ほどの辛辣さはないですし、 The Smiths, "Jeane" に感じる切実さも感じられないですし、 少々物足りなく感じるときは確かにあります。

むしろ、僕が「ポストパンク・ラブ・ソング」として "Louise Louise" を連想する一番の理由は、 その歌詞主題ゆえというより、 「ポストパンク・ラブ・ソング」の彼らなりの定義とでもいうもの ―― 恋愛に関するメロドラマチックスに向けたパンク流儀の嘲笑 ―― が歌詞に織り込まれているからかもしれません。

ちなみに、「ポストパンク・ラブ・ソング」を歌うと Greil Marcus が挙げたグループ Delta 5 は1981年に Adam Kidron のプロデュースで デビュー・アルバム See The Whirl... (Pre, PREX6, 1981, LP) をリリースしています。その翌年、1982年の頭に、 Orange Juice がデビュー・アルバム You Can't Hide Love Forever (Polydor, POLS1057, 1982, LP) をリリースしました。 そして、その You Can't Hide Love Forever のプロデュースを手掛けたのは Adam Kidron ―― つまり、Delta 5 のデビュー・アルバムを手掛けたプロデューサでした。

[1793] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Thu Dec 7 22:25:46 2006

こちらも一ヶ月近く間が空きましたが、 ポストパンク・ラブ・ソングの続き。 前回紹介した Orange Juice, "Louise Louise" (Rip It Up, 1982) は、 誕生日を祝う席で女が男に向けて言ったメロドラマチックな言葉にパンク流儀の嘲笑を浴びせる、 という設定の歌詞でした。 そして、その逆、男が女に向けた言葉に嘲笑を浴びせるという設定の歌詞を歌っているのが、 Everything But The Girl, "Each And Every One" (1984, Lyrics: Tracey Thorn) です。

1980年代初頭、イギリス (UK) の Univ. of Hull の学生だった Ben Watt は、 1982年に独立系レーベル Cherry Red からソロの男性シンガーソングライター (SSW) としてデビューします。 一方、Tracey Thorn は女性3人組 Marine Girls として 1981年に Whaam! レーベルからデビューアルバムをリリース、 その後 Univ. of Hull の学生となり1982年に Cherry Red レーベルから ソロの女性シンガーソングライター (SSW) としてデビューします。 その2人が Cherry Red の紹介で結成したデュオが Everything But The Girl です。 シングル Night And Day (Cherry Red, CHERRY, 1982, 7″) でデビュー後、 Rough Trade レーベルの Geoff Travis 等が 1983年にメジャー Warner Bros. 傘下に設立したレーベル Blanco Y Negro へ移籍します。 そんな彼らの Blanco Y Negro 第一弾シングル (Each And Every One, Blanco Y Negro, NEG1T, 1984, 12″) の曲にして、 1st アルバム Eden (Blanco Y Negro, BYN1, 1984, LP) のオープニングを飾る曲が、"Each And Every One" (Lyrics: Tracey Thorn) です。

ちなみに、"Each And Every One" は Everything But The Girl の歌の中で最も好きなものです。 次点はゲスト参加した The Smiths の Johnny Marr の軽快な harmonica で始まる曲 "Native Land" かしらん。 というか、Blanco Y Negro レーベルからの最初期のシングル曲5曲 ("Each And Every One"、"Mine"、"Native Land"、"When All's Well"、"Angel") は、どれも大好きです。

horns のアンサンブルで始まる落ち着いたテンポの jazzy な演奏を背景に Tracey Thorn は少々強めの低い声でこう歌います (⇒YouTube)。

If you ever feel the time / to drop me a loving line / Maybe you should just think twice / I don't wait around your advice / You tell me I can go this far but no more / Try to show me heaven and then slam the door / You offer shelter at a price much too dear / And your kind of love is the kind that soon disappears
So don't brag how you have changed / And everything has been rearranged / I thought all that was over and done / But I still get the same from each and every one / Being kind is just a way to keep me under your thumb / And I can cry because that's something we've always done / You tell me I'm free of the past now and all those lies / then offer me the same thing in a different guise
私へラブレターを書こうなんて / もしあなたが思っているなら / 考え直したほうがいいんじゃない / 私はあなたの助言なんて待っていない / こんなにうまくいくことなんてもう無いかもしれないって言うけど / いい所を見せようとするけどその中に入れてもくれず / 私を庇うけれどもあまりに高過ぎる代償を求める / そんなあなたの愛はすぐになくなってしまう類のもの
自分がどんだけ変わったかなんて自慢しないで / あらゆるものは変わっていく / 私はそんなことはすっかり終わってしまったと思っていた / けど、どいつもこいつも同じようなことばかり私にしてくれる / 優しさなんて私を思い通りにするための手段なだけ / そして私は非難することもできる、だってそれっていままでしてきたことじゃない / 以前のようなことは無いというけど、そんなの嘘ばかり / 違うふりして同じこと私にしようとしている

この「どいつもこいつも男は……」というニュアンスの題を持つこの歌の主人公の女は、 ラブレターを書きよこそうとする男へ 「考え直したほうがいいんじゃない」と言い返します。 それは、Orange Juice, "Louise Louise" の男の主人公が メロドラマチックなことを言う女へ「もっと大切な話をしよう」と言い返すのに似ています。 この男からの優しい言葉というメロドラマティックスにパンク流儀の嘲笑を浴びせるような歌詞が、 "Each And Every One" を広義の「ポストパンク・ラブ・ソング」と僕が考える理由です。

しかし、この歌の決めのフレーズは、なんといっても "Being kind is just a way to keep me under your thumb" (優しさなんて私を思い通りにするための手段なだけ) でしょう。 "Louise Louise" では女から男へのメロドラマチックな言葉は 「世界をまともにすることも/ものの見方を変えてくれることもない」という程度でしたが、 "Each And Every One" では男から女への優しい言葉を 「思い通りにするための手段」だと非難します。 この点において、"Each And Every One" は 単に "Louise Louise" の男女を位置を逆転させた以上の歌詞になっています。

"Louise Louise" において「言うも馬鹿げたこと」の中身が具体的に出てこないように、 "Each And Every One" においても「優しさ」の中身は具体的に出てきません。 つまり、女に対する男の優しさとして何が不適切なのかは、 この歌では問題にされていません ―― 適切な優しさとは何か、というのが良い問題設定とは僕も思いませんが。 この歌が問い直している ―― "Maybe you should just think twice" と歌いかけている ―― のは、男女関係における優しさという前提そのものです。

"Each And Every One" に続くシングル曲 "Mine" (Lyrics: Tracey Thorn. Mine, Blanco Y Negro, NEG3T, 1984, 12″) も、 ラブ・ソングではないものの、 世間的な男女関係の約束事を問い直すような歌詞でした (⇒Lyrics2search; YouTube )。 この「私の名前」という意の題の歌で、 子供のためにも結婚した方がいいと周囲から圧力を受けながらも シングルマザーとして自立することを決意するといった背景を歌の中で伺わせるこの歌の主人公は、 その決意をこう歌います: 「私は大丈夫 / 彼の名前なんて私には結構よ / 私の名前は私にぴったりだし、これからもそう」 ("I'm okay / And I don't need his name, thank you / Mine fits me nicely and mine will do")。 この歌が問い直しているのは、女が結婚して相手の男の名前を名乗るということです。

これだけではありません。1st アルバム Eden から2nd アルバム Love Not Money (Blanco Y Negro, BYN3, 1985, LP) にかけての Everything But The Girl は、 "Each And Every One" や "Mine" のような歌詞を多く ―― 彼女らのメインテーマと言っていい程 ―― 歌っていました。 その最たるものが、Love Not Money の中でも最も激しく歌われる歌、 女性の人生は「妻」か「困難と闘い」かだと歌う "Trouble And Strife" (Lyrics: Tracey Thorn) でしょう (⇒Lyrisc2search): 「誰がこの男の、男の、男の世界に生まれてきたいと思うというの? (中略) おてんば娘に開かれた世界 / それが人生の中で最善 / 邪魔のない子供時代に始まり / ここで終ってしまう / 困難と闘いの中で (妻となることによって)」 ("Who would be born into a man's man's man's world? (snip) The open world of a tomboy girl / Is the best of life / From a childhood clear / You end up here / In trouble and strife") と。 "trouble and strife" は文字どおりの意味と、Cockney Rhyming Slang での意味 "wife" (⇒The Phrase Finder) のダブルミーニングです。

他にも、「女優 Frances Farmer に捧げた、聡明な女性に対する男性の態度 (というか仕打ち) について歌った」 (by Wikipedia) "Ugly Little Dreams" (Love Not Money 所収) (⇒Lyrisc2search) も味わい深いものがありますが……。 ポストパンク・ラブ・ソングの話から逸れるので、やめておきます。

Everything But The Girl 結成前に Ben Watt と Tracey Thorn が Cherry Red レーベルに残した音源を集めたアンソロジー 『幼馴染』 (Old Playfellows; トリオ, AW-25042, 1983, LP) が、当時日本盤でリリースされていました。 そのアンソロジーの 赤岩 和美 によるライナーノーツによると、 New Musical Express (NME) 紙のインタビュー記事で Tracey Thorn は Orange Juice ―― まさに "Louise Louise" を歌ったグループ ―― が好きと語っているそうです。 さらに、このライナーノーツによると、別の NME 紙の 「消費者としてのアーティストのポートレート」というコラム記事で Thorn は自分のヒロイン (Heroines) として Billie Holiday、Siouxsie Sioux、Nico、Astrud Gilberto と並んで Au Pairs の Lesley Woods を挙げていたのでした。

[1957] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Wed Jul 4 2:03:22 2007

去年の後半に少し話した ポストパンク・ラブ・ソングの話 は、なんとも中途半端な所でペンディングになってしまっていました。 Rob Young, Rough Trade: Labels Unlimited の話 も完結したことですし、ちょっと続きを書こうかなと思います。 去年は、The Smiths、Orange Juice、Everything But The Girl の歌を 取り上げたわけですが、これらの歌は Greil Marcus の言う元の意味では ポストパンク・ラブ・ソングとは言い難いものですし (関連発言)。

というわけで、原点に戻って、 Gang Of Four の歌を取り上げます。 Gang Of Four は1977年にイングランドのリーズ (Leeds, England) から出てきた 男性4人組 (後に bass 奏者が女性に置き換わる) で、 その金属的な guitar のカッティングと、ギクシャクした funk のビート、 「政治的」と言われた歌詞により、 post-punk の典型の一つと見做されることの多いグループです。 1984年に解散した後、1990年代に2回再結成、2004年に再結成し、その後来日もしました。 彼らの歌詞は「政治的」と言われることが多いのですが、 "Anthrax" (関連発言) をはじめ、 実際には「男女二人の間で起きること」を取り上げた、 ポストパンク・ラブ・ソングと言えるような歌も多いのです。 そこで、そんな彼らの歌の中から、 "Anthrax" をB面に収録したデビューシングルのタイトル曲 "Damaged Goods" (Damaged Goods, Fast Product, FAST5, 1978, 7″ / Entertainment!, EMI, EMC3313, 1979, LP) を今回は取り上げます。 この「不良品」という意味の題を持つ歌の歌詞は、 次のようなものです。

The change will do good / I always knew it would / Sometimes I'm thinking that I love you / But I know it's only lust / Your kiss so sweet / Your kiss so sour / Your kiss so sweet / Your kiss so sour / The sweat's running down your back / The sweat's running down your neck / The sins of the flesh are simply sins of lust / Sometimes I'm thinking that I love you / But I know it's only lust / Heated coupling in the sun / (Or is that untrue?) / Cooler coupling in the night / (Never saw your body) / Your kiss so sweet / Your kiss so sour / Sometimes I'm thinking that I love you / But I know it's only lust / Your kiss so sweet / Your kiss so sweet
Damaged goods / Send them back / I can't work / I can't achieve Send me back / Open the till / Gime me the change / You said you would do me good / Refund the cost / You said you're cheap but you're too much
The change will do good / I always knew it would / You know the change will do you good / You know the change will do you good / I'm kissing you goodbye / Goodbye, goodbye, goodbye / Goodbye, goodbye, goodbye
変化は良い結果をもたらすだろう / そうだろうといつも思っていたよ / 僕は君のことを好きだと思ってるときもある / けどそれは肉欲に過ぎないとも判ってる / 君のキスは甘い / 君の汗はすっぱい / 君のキスは甘い / 君の汗はすっぱい / 汗が君の背中を流れる / 汗が君の首筋を流れる / 肉体の罪は単に肉欲の罪 / 僕は君のことを好きだと思ってるときもある / けどそれは肉欲に過ぎないとも判ってる / 昼間の熱いセックス / (もしくは事実に反してない?) / 夜中の冷めたセックス / (君の身体を見なかった) / 君のキスは甘い / 君の汗はすっぱい / 僕は君のことを好きだと思ってるときもある / けどそれは肉欲に過ぎないとも判ってる / 君のキスは甘い / 君のキスは甘い
不良品 / それは返品される / 僕は機能できない / 僕は基準を達成できない / 僕は返品される / レジを開けて / お釣をくれる / 君は僕の役に立とうとしたと言った / 代金を払い戻す / 自分は安上がりだと君は言うけど、僕には高すぎるんだ
変化は良い結果をもたらすだろう / そうだろうといつも思っていたよ / 変化は良い結果をもたらすだろうと君もわかってるだろ / 変化は良い結果をもたらすだろうと君もわかってるだろ / 別れのキスをしよう / さようなら……

ちなみに、Dan Graham (関連レビュー)はエッセー "New Wave Rock and the Feminine" (1981; Rock My Religion, The MIT Press, ISBN0-262-07147-9, 1993) の中で "Feminism: Male Marxists: The Gang Of Four" という節を立てて、 この "Damaged Goods" の主題について以下のように論じています (引用者訳)。 (ちなみに、エッセー "New Wave Rock and the Feminine" は、 1980年前後の post-punk 期に出てきた女性/男女混成グループの意義について論じた 重要なエッセーの一つと言えるでしょう。 関連発言)

歌 "Damaged Goods" は、男性の実践上現実的な立場で構成されている。 しかし、マルクス主義的リアリズムの一つとしてのメタテクストは、 恋愛と肉欲を、資本主義的な交換価値、 もしくは、ある交換価値を持っている市場における性的な商品として見ている。 不満足、もしくは、パートナーをこれ以上満足させられないということは、 他のパートナーもしくは他の付加価値と交換されるべき「不良品」ということである。

この歌の主題についての Graham の説明に僕が付け加えられることはほとんどありませんが、 この歌の面白さは、市場における性的な商品としての恋愛と肉欲について歌っているということだけでなく、 その歌詞の形式にもあると思っています。 (Graham のエッセーはそれについてほとんど触れていませんが。)

"Damaged Goods" の歌詞は、大きく2つの部分に分けることができます。 一つは地の部分とでもいう部分で、 恋愛は肉欲に過ぎないとでも言わんばかりにステロタイプながら少々エロチックな描写を交えつつ、 「変化はお互いのためだ、別れよう」と歌う部分です。 そして、そこでは、Andy Gill のザクザク切り刻むような guitar に煽られるよう、 Jon King が取り乱したように単語をはき捨てるように歌います。 もう一つは、Graham のいうメタテクストの部分、 "Damaged goods / Send them back" から "You said you're cheap but you're too much" までです。 ここでは、「君のキスはとても甘い」のような描写からうってかわって、 通販の返品に関する注意書きや商店のレジでのやりとりを描くような言葉が使われます。 この部分では言葉使いだけでなくその歌い方も変わります。 King ではなく Andy Gill が歌うのですが、 淡々とまるで取引に関する注意書きを詠唱しているかのようになります。 そして、その歌い方か少しずつヒートアップし、 再び、はき捨てるような歌い方となる地の部分に戻ります。 この Jon King と Andy Gill のステージのアクションは、 当時のライヴ・ビデオ (関連発言) で観ると、歌詞と同様に非常に対称的で、とても面白いです。

Greil Marcus はこのような Gang Of Four のやり方を 「ギャング・オヴ・フォーがここで行っていることは —— 『エンタテインメント!』全体を通じて砕け壊れたイメージとひび割れたサウンドでもって行っていることは —— 何よりもジャン=リュック・ゴダールのヌーヴェル・ヴァーグと密接な関係があると言えるかもしれない」 (「ギャング・オヴ・フォー」, 『ロックの「新しい波」』, 晶文社, 1984; ちなみに英語版 "Gang Of Four", 1979, in Ranters & Crowd Pleasers, 1993 には相当部分が無い) と言います。 それに従えば、いわゆる地の部分は肉欲と別れの決断の間で煩悶する様子を演じる俳優をとらえた映像であり、 メタテクストの部分はその映像をぶつ切りにするよう差し込まれる 「不良品の返品」「代金の払い戻し」といった字幕といった感じかもしれません。 しかし、僕はこの歌を聴いていると、舞台中央で俳優が失恋の煩悶を演じている最中に、 袖からもう一人の俳優が登場してまるでアナウンサーのように冷静に 「恋愛市場においては、失恋とは不良品の返品なのです」と語り出すような、 典型的な異化 (by Bertolt Brecht) の効果を狙った舞台演出を連想します。 そして、"Damaged Good" の面白さの一つは、こういった歌詞の作りと歌い方です。 こう例えると、"Damaged Goods" の歌の面白さがわかってもらえるでしょうか……。

ちなみに、ここまで説明のし易さから、 メタテクストという Graham の言葉をそのまま使いましたが、 「不良品の返品としての失恋」という部分が残りの部分に対しメタというか上位にあるかというと、 そうではないようにも僕は思っています。 煩悶するような失恋を「不良品の返品」と突き放すように歌う一方、 Andy Gill のザクザク guitar と Jon King の切羽詰まったような歌い方は、 人には肉欲もあり失恋を不良品の返品と割り切り受け入れられるようなものではないと 切り返しているかのようでもあり、 それが、この歌を失恋を不良品の返品と皮肉っぽく歌う以上のものにしていると思います。

Greil Marcus は John Lennon 等を例に「個々の感受性に磨きをかけたり、 個性なり仮の人格なりを世界に投影するために歌ってる」と言うわけですが (関連発言)、 それは、例えば、歌手が歌詞中の主人公になりきってその人物の主観に沿ってリアルに歌い —— 例えば、失恋した男の煩悶とか、 「失恋なんて不良品の返品みたいなものさ」という皮肉入った見方とかを ——、 そして聞き手も歌の主人公の主観が歌い手のメッセージであるかとように聴くというものです。 The Smiths の "Jeane" (関連発言) や "Still Ill" (関連発言) のような歌も、それを前提としたような歌詞になっています。 しかし、"Damaged Goods" の歌詞は —— Gang Of Four の他の歌詞の多くも —— そういう作りになっていません。 むしろ、互いを異化し批判するかのように —— その自然性を疑うように —— 歌詞の2つの部分がぶつけられています。 そして、こういう歌詞の作りと歌い方を、Simon Frith は 「ポストパンクのグループは主観主義・現実主義に基づくロックの音楽言語の「自然性」を疑った」 (『サウンドの力』, 晶文社, 1991; Sound Effects, 1978/1983) と言ったのだと、僕は考えています。

しかし、この "Damaged Goods" のシングルB面に 「僕たちは恋愛に何かまちがったことがあると言おうとしているわけではないと思う。 二人の間で起きることは神秘に覆い隠されるべきだとは思わないだけだ。」 と詠唱する "Anthrax" が入っているというのは、 かなり絶妙のセンスだと思います。 ちなみに、このシングルはレコードジャケットも秀逸です (これについては以前に書いたのでそちらをどうぞ⇒ 関連発言)。 そういう面も含めてよくコンセプトが練られたシングルだったと思います。

"Damaged Goods" は Gang Of Four の歌の中でも好きな方ですし、 その面白みを説明しやすい歌でもあるのですが、 Gang Of Four のポストパンク・ラブ・ソングの中でもベスト というか、全ポストパンク・ラブ・ソングの中でもベストだと僕が考えるのは、"Contract" (Entertainment!, EMI, EMC3313, 1979, LP)。 というわけで、次は "Contract" を取り上げようかと思っています (って、次はあるのか?)。

以下余談ですが、この "Damaged Goods" の話は、 もともと11月10日の話で "Anthrax" の歌詞の話と併せてしようかと思っていた話でした。 というのも、その話を書くきっかけが、 「「非モテ論議」についての個人的且つ暫定的まとめ」 (大野 左紀子, 『Ohno blog』, 2006/11/05) というブログのエントリだったからです。 このブログのエントリにおける「恋愛という幻想」のくだりを読んで頂ければ、 恋愛市場主義に関する歌 "Damaged Goods" のB面に 「僕たちは恋愛に何かまちがったことがあると言おうとしているわけではないと思う。 二人の間で起きることは神秘に覆い隠されるべきだとは思わないだけだ」 と詠唱する "Anthrax" を持ってくるセンスの良さが、 判ってもらえるのではないかと思います (これに僕が付け加えられるようなことはありません)。 結局書く時間も気力も無く、流してしまいましたが。 ま、『Ohno blog』やはてなの非モテ論壇(?)から読みに来たと思われる アクセスもほとんどありませんでしたし、そちらのペースに合わせる必要も無いかな、と。

結局、そうせずに先に Orange Juice や Everything But The Girl の歌詞の話をしたのは、 そういった主観主義・現実主義に沿った歌詞の方が判り易いと考えたからです。 Gang Of Four は中学高校時代からそれなりに好きでしたが、 ここに書いたような面白さに自分が気付いたのは、1986年に大学に進学してから。 むしろ、高校時代に歌詞を一句一句噛みしめるように聴いていたのは The Smiths や Everything But The Girl の歌でした。 彼らの歌は、ある程度英語が判れば、素直に意を読み取ることができるような歌詞ですし。 それに比べ、Gang Of Four の歌詞は、一句一句の意味はそれなりに判っても、 全体として何を歌っているのかよく判ってませんでした。 そして、1986年の夏、Greil Marcus の本を読んで、 なるほどそういう形式的な面白さのある歌だったんだ、と気付いたという (関連発言)。 そして、その時に、高校時代から好きだった The Smiths や Everything But The Girl (あと、特に Billy Bragg) の歌詞が、 意外と、Gang Of Four や Au Pairs の歌詞の理解の助けになったのです。 実は主題をはじめ共通する所も多いな、と。 そういった自分の音楽趣味履歴もこの話の流れに反映されていたりします。