韓国の現代美術というと、1990年代に「アジア現代美術」のような文脈で 民主化以降 (1987-) のコンセプチャルな作風のものを観る機会がよくあった。 自分が観た覚えがあるものだけでも、 『亜細亜散歩』 (資生堂ギャラリー, 1994)、 『幸福幻想 —— 10人の亜細亜現代美術作家』 (国際交流フォーラム, 1995)、 国際交流フォーラム 『火の起源と神話 —— 日中韓のニューアート』 (埼玉県立近代美術館, 1996)、 『90年代の韓国美術から —— 等身大の物語』 (東京国立近代美術館, 1996)、 『亜細亜散歩 二』 (資生堂ギャラリー, 1997)、 『日韓現代美術展 —— 自己と他者の間』 (目黒区美術館, 1998) といった展覧会があった。 そんな1990年代に観たものとは少々異なる 軍政下 (-1987) のリアリズム/民衆芸術 の文脈の作品に焦点を当てた展覧会 ということに興味を惹かれて、足を伸ばしてみた。
軍政の抑圧 (拷問等) や労働問題、南北分断問題等を主題とした作品が中心で、 韓国現代史の勉強になったというか、 年表などでは判らないようなイメージが掴めたような気分にはなれた。 一方、1990年代以降の作品は、 リアリズムというよりも社会的な主題を扱ったコンセプチャルな作品もあった。 そして、結局、そのような作品の方が自分には楽しめたように思う。
最も気に入ったのは、 盧 順澤 による白黒写真のシリーズ 『不思議な球体』 (2006)。 風景写真なのだが、画面のどこかにかならず、同じ球状の建築物が写っている。 この球状の建築物は米軍基地のレーダードームであり、 撮られているのは周囲の農民の生活や警備する機動隊といったものを暗示させるもの。 暗く沈んだ画面に白く浮き上がる球状の建築物というのも、 不思議さというよりも不隠さを感じさせるものになっている。 構図を一定にさせずさりげなく写り込ませている所など Wolfgang Tillmans の Concorde (1997) も連想させられたが、 社会との関わり方が逆になっているように感じられたのが、 とても興味深かった。
この展覧会の内容とは直接関係無いが、この展覧会で 1990年代の「アジア現代美術ブーム」を思い出したので、 あれは何だったのだろうと検索してみたところ、 藤川 哲 「90年代日本現代美術におけるアジア・ブームをめぐって」 (平成15年度科学研究費補助金共同研究「アジアの藝術思想の解明—比較美学的観点からの研究」第1回研究発表会, 2003) が見付かった。 年表やアートフェアや国際展の出展国別統計なども興味深いが、 図録収録論考の抜粋が時代を感じさせて感慨深い。 「古い欧米」対「新しいアジア」という図式は 「旧来の美術先進国」対「それ以外の全ての国々」となって ブームが解消したという結論は、なるほど、と。
1990年代というとジェンダー・セクシャリティをテーマとした現代美術展のブーム というのもあったように思うのだが、同様の分析をしてる文献は無いのだろうか。