昨年プレ展が開催された [レビュー] 所沢ビエンナーレの第1回が無事に開催された。 鉄道車両工場内の空きスペースを使用した、作家の自主企画によるグループ展だ。 ブレ展の16名と比べ倍以上の36名が参加し、 スペースもプレ展の高さ10m弱で20m×40m程度のスペース2面 (第1、2会場) に加え、 長さ100m近くはあろう細長いスペース (第3会場) が追加されていた。
展示全体の印象はプレ展と大きく変わらず。 写真や平面の作品を中心に、ホワイトキューブに近いギャラリーで観たら映えるかもしれないだろうけど、 工場の雑然としてノイジーな空間に埋もれてしまっていると感じた作品も少なくなかった。 第1会場など方形に近い空間に作品が散らされているような印象を受けた。 一方、細長い第3会場では、観る方も視線や足取りが安定するせいか、作品を追いやすかった。 そのせいもあるのか、印象に残った作品の多くが第3会場のものになってしまった。
利部 志穂 の作品は 第3会場の窓際を細長く使った廃物を使ったインスタレーションなのだが、 マッシッブに存在感を主張するような作品ではない。 細い紐で視線を誘導されつつ追って行くと、 その途中途中に工場の空間に半ばとけこむように置かれた廃品と出会っていくような作品だ。 作品を読む手がかりとなるストーリーのようなものが会場で配布されていたが、 それ抜きの方がシュールな出会いを楽しめるようにも感じた。 そんな作品に誘導されて第3会場の奥まで行くと、 抽象画のマチエールが立体的に大きく波打つかのような 水谷 一 の「壁画」が 奥の壁を大きく覆うのに出会った。 プレ展ではノイジーな会場に埋もれてしまったと感じていたが、 今回の細長い空間の奥の一面というのは、むしろ作品にぴったり合っていた。 で、振り返ると 手塚 愛子 の解いた織物と刺繍を使った大型の作品だ。 横糸をほとんど抜いた2本の幅1mはあろう織物2本の間に、刺繍を施した同じサイズの白い布を1本、 両端を天井に固定して弧を描くように垂らされていた。 解かれながらも形を保っているぼわっとした質感とシャープな白い布の対比が良い。 けれども、白い布に刺繍されていた言葉については、少々微妙に感じられた。 「落ちる絵」[レビュー] のような解いた織物と関連が読めなかったからかもしれない。
第1, 2会場の作品で印象に残ったのは、 立ち木をそのままチェーンソー彫刻したかのような高さ12mの 戸谷 成雄 の作品や、 工事現場の仮構築物のような鉄骨や鉄板で角柱状の構造を汲み上げた 遠藤 利克 の作品。 その空間ではこのくらいのことをしないと埋もれてしまうのかな、とも感じた。
観に行ったのは5日の夕方。 第2会場で行われた 田中 泯 のパフォーマンス『場踊り』を観ることができた。 去年7月に『場踊り』を谷中墓地で観たときは、田中に迫る 荒木 経惟 もフォトセッションのようだったが、 今回の撮影の 石原 志保 はそこまで絡むことはなかった。 凄いパフォーマンスというより展覧会の賑やかしかな、とは思ったけれども、 遠藤 利克 の作品によじ登る様子もシリアスっぽさの中にユーモアを感じられて悪くなかった。
会場、運営、ディレクションなど、作家の手作り感たっぷりの緩いアートイベントだとは思う。 しかし、大手のアート・プラニング会社などが仕掛けるアート・ツーリズム的な色気たっぷりの アート・イベントが増えている中、 その緩さも含めてそれらに対するオルタナティブにはなっているだろう。 多くのアート・イベントではもやはテーマなど判りやすいキャッチコピーでしかないことを考えれば、 所沢ビエンナーレではテーマをあえて設けないことにも、意味を感じる。 受付をはじめ会場のあちこちに作家の姿があったこともあるかもしれないが、 この規模の展覧会にしては珍しく、作家の顔が見える展覧会に感じられた。 もちろん、このような雰囲気はアート・フェアや、そこに出るような企画画廊にも無いものだ。 ふと、自分が画廊巡りをよくしていた1990年代半ば、当時はまだそれなりに残っていた 貸画廊を中心とした現代アートの展覧会の雰囲気を思い出したりもした。 貸画廊に問題点が無かったわけではないけれど、そこでの展覧会は作家が主導していたなあ、と。