中国出身で、1980年代から1993年までニューヨークにいて、 それ以降は北京を拠点とするという 現代美術作家 の個展だ。 北京オリンピックのメイン・スタジアムで Herzog & de Muron とコラボレーションした ことでも知られ、建築・都市開発プロジェクトにも多く関わっているという。 1979年、1981年の 星星画会 に参加していたそうだが、 1990年代に頻繁に日本で開催された「アジア現代美術」関連の展覧会 [関連レビュー 1, 2] で紹介されるようなことはなく、2000年代も後半に入って急速に脚光を浴びるようになった作家だ。
1990年代の作品があまり無かったこともあると思うが、 2000年代の作品は、ミニマルでコンセプチャルな作風ながら、コンセプトの鋭さというよりは、 高級な素材や骨董を使っていることの方が目立ってしまっているように感じられた。 かつてのミニマル・アートといえば工業製品を使うことが多かったし、 コンセプチャルアートにしても身近な物を使って 日常を異化したりコンセプトそのものを浮かび上がらせる妙があったと思うのだが。 一方、コンセプトについては、例えば骨董などを使った作品での歴史の参照についても、 その粒度が粗過ぎて深く読み込みようが無いという感じで物足りなかった。 自分の読みが甘いのかもしれないが、 例えば、漢代の壺を割った作品から漢代の故事と現代の事件を結ぶような契機が感じられる、 とかそういったことは無かった。
そんなこともあって、2000年代のアートバブル以降のコレクター向けの作品という印象を受けた。 1990年代は北京東村にも関わっており、 2000年にキュレーションした 『不合作方式 Fuck Off』 は過激だった、という伝説もあるので、 もっとそういう面も伺われるような展覧会であればまた違ったのでは、と思うのだが。
しかし、それでも、香しい普洱茶を使った作品や、木を素材とした工芸的な作品は、 それなりに楽しむことは出来た。 骨董の木製の机を壁も床面になるかのように組み替えた作品は骨董脱構築の妙があったと思うし、 古い建築木材を組み替えて数メートルの中国の形の穴を通した作品もその精度に感嘆する所があった。 しかし、こういう作品を実現する工芸の技巧は 艾 自身のものではなく中国の職人に外注されている。 そこに、 「ジェフ・クーンズのインタビューに考えさせられる。」 (藤高 晃右 『Once in dark rooms』 2009-08-07) で触れられていた、制作の中国へのアウトソーシングの話なども思い出された。
そういう意味で、非常に2000年代以降らしい展覧会なのかな、と、興味深くはあった。 そして1990年代の「アジア現代美術」から遠くに来てしまったのだな、と。
ちなみに、この展覧会から、森美術館は展覧会会場での写真撮影を許可する試みを始めている。 実際に許可されてみると、自分にとっては気に入った作品のメモとして使えるかな、という感じ。 自分の技もあると思うが、展覧会カタログに代わる写真を自分で撮ろうという感じではなかった。 自分の知る限り、東京国立近代美術館でも常設展示室では写真撮影可能になっている。 インスタレーション等が多い現代美術では、写真は作品の代わりになるようなものではない。 もっと、写真撮影が許可されればと思う。