3.11東日本大震災をうけて Hope Japan と銘打たれた バレエ・ダンサー Sylvie Guillem の日本ツアーのBプログラムを観てきた。 バレエというよりコンテンポラリー・ダンス作品を中心としたプログラムだ。 今年7月のロンドンの Sadler's Wells での公演 6000 Miles Away で初演した2作品 (Rearray と Adieu) に、 東京バレエ団による2作品を併せたプログラムだ。
先に踊った William Forsythe の作品は男性ダンサーとのデュオ。 装置の全く無い黒い舞台に暗めの照明、衣装も暗色のTシャツにグレーのパンツ。 piano や violin の曲というより疎な響きの連なりに合わせて、 アラベスクやジャンプなどバレエ的なシャープな動きを決めていく。 Forsythe らしいバレエ的な動きの反転とかはあまり目立たなかったように感じた。 暗転が多用され区切られていくため、ストーリー的な流れというものが感じられず、 そのシャープな動きの瞬間瞬間を見せ付けられるよう。 その暗い色の衣装や照明もシャープさを引き立てていた。 大柄ながら軽く動く Guillem のシャープさに焦点を絞った、 ミニマリズムの美を感じさせる20分程の作品だった。
一方、Guillem がソロで踊った Mats Ek の作品は、 Rearray とは対称的な、 物語性の強いコミカルでちょっと感傷的ですらある作品だった。 Guillem は黄色いスカートに柄のブラウスにカーディガンというあか抜けない服装に身を包み、 コミカルに少し可愛らしく平凡な中流階級の女性 —— 中年女性のようでもあり少女のようでもあり —— の 家庭における日常を演じるかのように踊った。 といっても、振り上げる足の高さなど動きは全く平凡ではないのだが、 そのシャープさを見せるというよりも、デフォルメによる感情表現のよう。 Guillem もこういう女性を演じるんだ、と、その意外さを含めて楽しんだ作品だった。
舞台やや後方には扉大の白いスクリーンが立てられており、 時々、さらに奥に通路が続くかのような映像が投影される。 オープニングではそこから Guillem が中を覗くかのような映像が投影され、 まるでその映像の中からのように Guillem が登場する。 途中、父 (もしくは夫) の役と思われる男性や、飼い犬らしきものも投影される。 最後、祖母 (もしくは老いた母) をはじめとする家族と思われる一団が投影され、 それに促されて Guillem もその映像中の通路を去って行き、作品は終る。
正直、見終わった直後はこの映像による演出が何を意味するのかピンとこなかった。 タイトルの別れの言葉 (adieu) が、誰/何に向けられたものなのかも判らなかった。 しかし、一晩経ってみて、主人公の女性 (少女なのか既婚の中年女性かは判断しかねるが) 転居で住み慣れた部屋に別れを告げるその様子を演じたかのような作品だったな、と腑に落ちた。 片付けが終ったがらんとした部屋の中に戻り、「ここではこんなことをしていた」と思い出している。 そんな様子を見守る家族。そして最後に「もう行くよ」と呼ばれて立ち去って行く、という。 そんなちょっとしたひと時を、その女性の主観的な誇張された時間とイメージとして演じていたかのよう。 そんな物語を想起させるような、ちょっと感傷的で可愛らしくもある作品だった。
B Programme のオープニングは、東京バレエ団による『春の祭典』。 群舞による、プログラム中、最も判り易い作品だった。 少々力技に感じるのは、Le sacre du printemps 自体なのか、Bejart のせいなのかはわからないが。
Rearray と Adieu の 間に上演されたのは、Kylian によるシュールな作品。 逆さまに吊るされた大きな枯れ木、回転しながら降りてくるスポット照明、 四角い座布団のような脱着可能なチュチュ様のスカートなど、 大道具小道具の使い方も面白く、 シュールなユーモアのセンスも Kylian らしく、楽しめた舞台だった。