ケベックのモントリオール (Montreal, Quebec, CA) を拠点に活動する演出家 Robert Lepage と、 コンテンポラリー・ダンスに積極的に取り組むバレエ・ダンサー Sylvie Guillem のコラボレーションとしての話題作。 去年観た The Blue Dragon がイマイチだったので、 Lepage 演出ではなく、むしろ踊る Guillem を期待して観に行ったのだが、 良い意味で期待が裏切られた舞台だった。
Guillem の高い足上げなどはあったけれどバレエ的な動きはほとんど使わず、 むしろ、マーシャル・アーツの動きや机を絡めたダンスなどに見所が多かった。 セリフも多めで、むしろ、フィジカル・シアター的な面の強い作品だった。 ストーリーは、18世紀、ロシアやイギリスでも活動した王政末期のフランスの軍人/外交官/スパイ、 Chevalier d’Eon の生涯。 d'Eon は時として女性として時として男性として生きた性別が不詳の人物だったのだが、 その人物を描くとこにより性のアイデンテティの問題を俎上に上げるのではなく、 Guillem に主に女性としての d'Eon を、Maliphant に主に男性としての d'Eon を体現させ、 男性と女性の入れ替わりや混在を Lepage の照明を効果的に使ったトリッキーな演出でみせる、 そんな作品だった。
The Blue Dragon であったような大きなセットは無く、 剣やテーブルや棒など道具は最小限。 そういう最低限の道具の見立てと3人の動き、 後ろを隠す黒いスクリーンやライティングでトリッキーに場面場面を表現していく。 それも、誰が何の役を演じるかは固定的ではなく、3人の動きで場面や人物像を作り出して行くよう。 そんな表現のクライマックスは、終盤近く、 落ちぶれた老女となった d'Eon が若く華やかかりし頃を回想するかのような場面。 老女を演じる Lepage が上面が鏡となったテーブルを倒しながら女性を演じる Guillem と入れ替わり、 鏡面を客席側に向けて起こしてその写り込みも使いつつ男性を演じる Maliphant と入れ替わる。 d'Eon の老女、若い女性、若い男性の3面が交錯していく様を、セリフ無しで、 机と鏡、そしてそれに絡む3人の静な動きで描いた所だ。
ダンスという意味では、マーシャルな動きの多用は Maliphant の特徴だろうか。 そして大柄な Guillem の動きのキレのいい動きも見応えがあった。 しかし、Guillem のダンスを堪能するというのであれば、こういう作品よりも、 先日観た Hope Japan ツアーでの William Forsythe: Rearray や Mats Ek: Adieu の方が良いだろう。 むしろ、ダンサーではなく体型的も少々太った Lepage が彼らに混じって踊った所が、 一つの見所だったかもしれない。 確かにマーシャルな動きでは Lepage は若干腰が引けているように見えたが、 机を絡めたダンスなどではかなりよく体が動いていた。よく踊ったな、と、感心してしまった。
The Blue Dragon では そのオリエンタリズムが作品を大きく損なっていた。 Eonnagata でもジャポニズムが見られたけれども、 ストーリーと絡まなかったせいか、あまり気にならなかった。 それを使う必然もあまり感じられなかったけれども。
The Blue Dragon で Lepage への期待のレベルが大きく下がったということもあるかもしれないが、 かなり楽しめた作品だった。 今回は Guillem 目当てで観に行ったのだが、 光と最小限の仕掛けでトリッキーに見せる演出、こういう Lepage ならまた観たいと思う。