『1924 Berlin-Tokyo』 (京都国立近代美術館, 2011) [レビュー]、 『1924 海戦』 (神奈川芸術劇場, 2011) [レビュー] に続く やなぎみわ の演劇プロジェクト による『1924』三部作の第三部。 第一部、第二部が少々小劇場演劇っぽい所があったので、あまり期待していなかったのだけれど、 最後はそれまでとは異なる演出がされた。三部作中、最も楽しめた作品だった。
村山 知義 の1922年のベルリン滞在中の Niddy Impekoven への傾倒、 帰国直後1923年の3回の「意識的構成主義展」、1924年の「三科」の結成と1925年の「演劇の三科」 といったあたりのエピソードを元に、虚実を入り混ぜてたもの。 前二作のような人間ドラマ的な展開はかなり排されていた。 登場人物といえるものは、村上 知義 と 人間機械=案内嬢 だけなのだが、 村上 にしても男優2人、升田 と あごう で演じられた。 人間機械=案内嬢は面を付けて人格を感じさせないように演じられ、女優4人だけでなく、 男優2人も時として 人間機械=案内嬢 を演じていた。 音楽の 柳下 も案内状姿で、舞台後方の半透明の白スクリーンの裏でピアノ生演奏していた。
芸術宣言をスローガン的に繰り返したりとセリフ多用されていたという点では演劇的だったが、 踊る村山が鍵となっていたこともあり身体表現的な要素も大きかった。 村山に酷使される人間機械=案内嬢が村山に反逆して「革命」する、 当時の Russia Avant-Garde の映画や Fritz Lang: Metropolis (1927) あたりを意識したかのような劇中サイレント映画を使ったり。 そういう演出も、今回の人間ドラマ的な面の薄い展開に合っていた。
美術館という会場とはいえ、ロビーから上演が始まったものの、 すぐに講堂へ移動し、通常の劇場的な空間での上演。 しかし、最後には美術館のバックヤードに移動して、 選挙運動車に村山のスローガンを言わせながら美術館外に走り去らせたり。 踊る村山を美術館収蔵庫に収蔵するというエンディングも、 美術館での上演ということを活かしていて、良かった。
村山のアーティストとして神格化をするようなドラマとは違う、 むしろ、劇中サイレント映画やエンディングの「踊る村山の収蔵」シーンに 皮肉すら感じられた所が楽しめた作品だった。