今年で5回目となる映像を使った現代美術作品や 現代美術の文脈に近い映画や写真などを集めたフェスティバル。 例年、年度末で余裕が無い時期なうえ、 国際舞台芸術ミーティング in 横浜 (TPAM) と日程が被るため、なかなか行かれないのですが、久しぶり (おそらく第2回 [レビューから3年ぶり) に観てきた。「日記」というテーマにはさほどピンとくるものは無かったけれども、 印象に残ったものについてコメント。
最も印象に残ったのはユーゴ紛争を扱った2作。 Hito Steyerl: The Kiss (2012) ボスニア紛争中に起きた武装勢力による列車乗客の集団誘拐殺人事件、 後の証言に基づいてフォレンジック3Dで再現したというもの。 その映像化された場面が3Dで検証しなくてはならない状況なかという問題もあるし、 その時の状況が生々しく再現されているというわけではなく、 むしろ、断片的なワイヤーフレームの粗い映像がその状況の掴めなさのメタファーになっているような所が良かった。
もう一つは Šejla Kamerić: Glück (2010)。 ボスニア紛争中雪の中で水の配給を受ける若い女性、しかし服装はむしろ平和なヨーロッパな街、 そして、秋の静かなベルリンの街並、部屋でまつ車椅子の老いた女性、といったものが交錯する映像。 そんなボスニア紛争の作品も、ホットな主題というよりも、 このような距離をおいているような作品にできるくらいに時間が経ったのかな、と。
紛争に関わる状況を静謐に描いた作品といえば、 Walid Raad / The Atlas Group: I Only Wish That I Could Weep (Operater #17)。 内戦が断続的に続くレバノンでテロリスト等を監視するためベイルートの浜辺の道を 監視のためにビデオで撮り続けた諜報員が、日没の時だけ夕陽が沈む様子にカメラを向けていたという。 その諜報員が解雇されたときにその日没の所だけは所持することを許され、 それが、The Atlas Group に渡ったという。 そういう話はフィクションなのかもしれないけれども、 そんな合間に夕陽を見つてしまうその気持ちを凝縮したかのような感傷を感じた作品だった。 「ただ泣くことができたなら」というタイトルのセンスも Rabih Mroué [関連レビュー] と共通するものを感じた。
もっと形式的な作品では、Jeremy Deller: Exodus (2012)。 洞窟から飛び立つコウモリの大群を3D映像化しただけといえばそれだけなのだが、 3Dで迫力が出る素材をよく持ってというところか。