1980年代から活動するフランスのコンテンポラリー・ダンス・カンパニー Cie Maguy Marin の2010年の作品 Salves は、 点滅する薄暗がりの中で断片的なイメージを積み上げていくよう。 時間的空間的な流れが捉え難く、動きを形式的に扱うダンスというより、セリフの無い演劇を観るようだった。
舞台幅と同じくらい奥行きを使った舞台は、何箇所かの出入り口のある倉庫のような黒い壁に囲まれている。 その舞台全体を照明が明るく照らしたのは、最初と最後の場面の他は中間の数場面程度。 スポットライトやハンドライトが暗闇の一部を数秒〜数十秒程度薄明るく照らし出す中で、 映画のワンシーンのような、もしくは不条理な作業を繰り広げるパフォーマンスの断片が演じられる。 そんな相互の関係もはっきりとしない断片的なシーンが何十となく1時間近く積み重ねられた後、 晩餐会のテーブルの周囲で給仕たちが大立ち回りの喧嘩をするような場面で、舞台は終わった。
薄暗闇の中で繰り広げられる断片的場面は、ものが壊れたり倒れたり、慌てたり急かされたりする動きが多く、不穏。 薄暗闇で色彩感にも乏しく、白黒の犯罪映画のよう。 一方、明るい照明の下でカラフルなペンキも使った大立ち回りのエンディングは、それまでのイメージと対称的。 そのコントラストは面白かった。 しかし、暗闇の中でも晩餐会を準備するかのような動きはあったが、 どうして晩餐会なのかとかそういう所が釈然としないまま、舞台が終わってしまった。
音楽は用いられず、その代わりに、舞台に置かれた4台のオープンリールデッキから演説などの歴史的録音が断続的に流されていた。 終演後のトークによると、これは歴史を参照しているとのことだったが、 内容が聞き取れなかったので、漠然とした雰囲気以上のものではなかった。
上演後のトークによると、Walter Benjamin の「ペシミズムの組織化」が作品のコンセプトにあったようだが、 その点についてはピンとこなかった。 むしろ、上演中にチョークで壁に大きく書かれた “Quand on est dans la merde jusqu'au cou, il ne reste plus qu'à chanter.” 「糞の中に深くハマっている時は、歌うしかない。」という Samuel Beckett の言葉の方が、作品の主題 (特に最後のドタバタ) を暗示しているように感じられた。
今回の作品は、場面が断片的だったため、身体の動きというよりイメージを見せられるようだった。 強く物語るようなものではなかったけれども、サスペンスを感じるイメージの連続は、 ダンスというよりフィジカルな無声の演劇を観ているかのよう。 今までに観た Maguy Marin の作品、 Les Applaudissements ne se Mangent pas [レビュー] や Groosland [レビュー] は、 ある社会的文脈下の特徴的な身体的な動きに着目してそれを形式的に構成するような作品だったので、 今回の作品は少々意外だった。これが、最近の Maguy Marin の作風なのだろうか。