マイムをバックグラウンドに持つ 小野寺 修二 (ex-水と油) による フィジカルシアター (身体表現を中心とした演劇) の新作。 バレーダンサー 首藤 康之 とのコラボレーションは 『空白に落ちた男』 (2008/2010) に続いてだが、それは観ていない。 今回は映画・テレビで主に活動する女優 原田 知世 をフィーチャーしたもの。
タイトルにあるように「沈黙・静寂」をテーマとした短いスケッチを連ねていくような作品だった。 全体をまとめるような物語らしきものも、 裏テーマとなるようなキーとなる視覚的に特徴的な形 (オブジェ) とか動きは、感じられず。 そのためか、良いと思う場面もあったものの、全体として漠然とした印象となった作品だった。
一番の興味は、原田 知世 をどう使うのかという所。 結局、すっと立っているか、静かに楚々と歩いている場面がほとんど。 確かに、その立ち姿、歩き姿は美しいし、これが動きのキーの一つだったのかもしれない。 しかし、歩くラインくらいしかヴァリエーションがないので、通してみると単調だった。
確かに、水と油 以来お馴染み、 小野寺がレストランで食事しているうちに向かいに見知らぬ女性が座り勝手にされる不条理コメディのスケッチにおいて 見知らぬ女性役をいつもの 藤田 桃子 ではなく 原田 知世 がやった場面は、 女性の雰囲気の違いにより不条理のニュアンスがこうも違うか、と。 藤田 の場合は内面を感じさせない怖さと笑いだが、原田 が演じるとうっすら内面を感じミステリアスになっていた。 数少ない声を使った場面、テーブルを挟んで座った男女3組がシンクロしながら異なる感情状態を描く所も、 時おり生じる3組の間の相互作用が物語的時空を歪めるような面白さがあった。
最も印象に残ったのは、6人のうち一人が死んだように倒れており、 その一人が起き上がるたびに一人が崩折れて倒れていくシーケンス。 その倒れる身の動きも美しくバリエーションがあったし、 倒れる人が入れ替わるたびに犯人役と目撃者役も入れ替わることでサスペンス的緊張感が更新されるよう。 思わず見入ってしまうような場面だった。
首藤 康之 については、前半そのバレエ的身体生かすような場面も無かったが、 後半、テーブルをいくつか挟んで静かに座る 原田 に向かいテーブル上をアプローチする動きや、 終わり近くのソロの踊りなど、に鍛えられた身体ならではの動きを見た。 首藤のダンスは生で観たのは初めてだが、全体として動きの少ない舞台だっただけに、強さを感じた。
このように印象に残る場面もそれなりにあっただけに、 淡々と場面を重ねるばかりで全体としてまとまりがあまり感じられず漠然としてしまったのが、 惜しく感じられた作品だった。
俳優を使った 小野寺 の舞台というと、南 果歩 を使ったものは残念ながら観ていないが、 片桐 はいり を使った 『異邦人』 を観たことがある [レビュー]。 海外の同様の試みの舞台では、 Juliette Binoche をフィーチャーした Akram Khan の in-i を思い出す [レビュー]。 『シレンシオ』を観ながら、Juliette Binoche は動ける女優だったのだなあ、と改めて感心したりもした。 また、いずれもセリフを封印していなかったという違いもあるが、 資質的にダンスやマイムのような多様な動きが期待できない俳優を使う場合、 それらの作品のように物語的な枠組があった方が舞台がまとまるのかもしれないとも思った。 もちろん、タイトルからして、『シレンシオ』では、あえて台詞無しで物語性の低い舞台に挑戦した面もあると思われ、 安易に物語に逃げなかったという点は良いかもしれないが、結果としては微妙なものになってしまったように思う。