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Review: 小野寺 修二 / カンパニーデラシネラ 『異邦人』 @ シアタートラム (ダンス)
嶋田 丈裕 (Takehiro Shimada; aka TFJ)
2010/10/12
世田谷パブリックシアター シアタートラム
2010/10/11. 19:30-21:00.
原作:アルベール・カミュ [Albert Camus], 窪田 啓作 (訳) 『異邦人』 (L'Étranger, 1942)
演出:小野寺 修二
出演:片桐 はいり, 田村 一行, 藤田 桃子, 森川 弘和, 菅 彩夏, 手代木 花野, 小野寺 修二.
初演: 2010年9月11日 @ 高知県立美術館

ex-水と油 の 小野寺 修二 (おのでらん) のカンパニーデラシネラによる新作公演は、 不条理文学の作品として知られる『異邦人』に基づくもの。 コンテンポラリーなマイムやダンスに基づくフィジカルシアターではあるものの、 『異邦人』のプロットがあったせいか、予想以上に演劇的に感じた。 いや、演劇的というよりも映像的、それも、フォトジェニックに美しいという意味ではなく、 巧みにモンタージュ技巧を凝らした映画のように感じられた舞台だった。

主人公のムルソー [Meursault] 役はほぼ 森川 弘和 に固定されていたりと、 それぞれが主に演じる登場人物が割り当ている場合もあったが、 一人が複数の役を演じるだけでなく、時には役割を入れ替えていく時もあった。 水と油 での抽象的な登場人物でこれが行われてもあまり違和感が無いのだが、 具体的な登場人物でこれをやられると、ちょっとした違和感が残る。 このような手法は、例えば Simon McBurney (Complicite): Shun-kin [レビュー] でも観られたもの。空間を自らの動きで変容させつつ演じる所も合わせて、 連想させられた他の舞台作品は Shun-kin だった。 そういう点が演劇的に感じられた所かもしれない。

演劇的という意味では、セリフもあるのだが、 この舞台では心を込めて語られるというより、むしろ平坦。 ダンスやマイムの動きとも同期・一致していないことが多く、宙ぶらりんな形で投げ出されるよう。 途中で演じる物が入れ替わることと併せて、 登場人物の内面の一貫性の欠如を表現しているようでもあり、それが面白かった。

しかし、『異邦人』は Shun-kin と比べてもダイナミックだ。 ダンスやマイムのバックグラウンドを持つパフォーマーが、 踊るような動き、テーブル等を駆使した上下のある動きを、使うこともある。 オブジェクトの移動や役の切り替えも、スピーディでテンポの良いもの。 例えば裁判のシーンの演出など、 複数の登場人物をバストアップした画面を細かくモンタージュして やりとりの緊迫感を表現するような映画的な映像表現を、 フィジカルシアター的な表現として実現しているかのように見えた。 水と油 でも、鞄やコーヒーカップのような小道具、 キレの良いパフォーマーの動きによって、空間を繋げたり切ったりしていた。 そのような技法を駆使して、映画的なモンタージュ技法をフィジカルシアター的な表現として解決しているよう。 そこが、とても面白かった。 そして、抽象的な登場人物や場面設定ではなく、『異邦人』というプロットを使ったことにより、 このような技法が生きたようにも思った。

パフォーマーに着目すると、 何を考えているか判らないようなムルソーの役に 森川 がぴったりハマっていた。 マイム・ダンスのバックグラウンドを持たない 片桐 はいり をどう使うのかが興味あったが、 ナレーションをメインとした狂言回し的な進行役にハマっていた。 動きにも大きなギャップが感じられなかったし、 ナレーションに徹するのではなく、女性にしては大柄なことによる存在感を生かして、 どんどん役に介入していく (入れ替わっていく) 所も良かった。

水と油 が活動停止する前の話ですが、水と油 に原作のある作品を演じてみて欲しいと思っていました。 そんなことを書いた [関連発言] 時に 挙げたのは Georg Büchner: Woyzeck で、 それとはちょっと異なりましたが、 その時に期待していたのはこの『異邦人』のようなものだったんだ、と。 そんなことを思い出したりもしました。