『生誕110年・没後50年 記念 映画監督 小津 安二郎』 という、現存する全作品を上演する特集上映が、2013年11月23日から神保町シアターで開催されている。 年末年始となる後期はサイレント作品となり、それも、全てピアノ生伴奏&活弁付きで上映されている。 神保町シアターはお正月やゴールデンウィークの特別興行として、 『巨匠たちのサイレント映画時代』 (1, 2, 3) [関連レビュー 1, 2] というピアノ生伴奏&活弁付きサイレント映画上映の特集上映を行ってきており、 この年末年始はその 小津 安二郎 特集、という感もある内容だ。
そのうち、12月29日、1月4日、1月12日の3日にそれぞれ3回ずつ、全10本を観ることができた。
東京の保険会社勤めのサラリーマンが同僚を理不尽に解雇した社長にたてついて自分も解雇されたものの、 不況下でなかなか再就職もできず、子供の病気もあって金策にも苦労する。 結局、引退後に食堂を開いた旧制高校時代の恩師の厄介になり、栃木の女学校の英語教師の口を見付けるという物語。 サラリーマンといっても当時はエリート的な存在なわけだけれども、 失業して金策に困るうちに自尊心を損なわれ卑屈になっていく、その様を淡々とせつなく描いている映画だ。 そんな様をモダンな東京の描写を通して描いていて、サイレント期の小津の映画の中でも最も好きな映画だ。 今回、ピアノ生伴奏で観直して、その印象が大きく変わったということは無かったけれども、 失業にうちひしがれるまだ若い夫婦のせつなさが、より強く感じられた。
子供に対して威厳のある父親として接していたが、 ある日、職場の重役宅での活動写真上映で、重役に卑屈に媚を売る所を子供に見られ、一旦は子供に反発される。 しかし、その親子の和解を通して、貧富の差などの社会の不合理に折り合いを付けて生きていくことを子供達も学ぶという映画。 正直に言えば、子供達の学校でのいじめなどを描いた前半は単調に感じられるが、 重役宅での活動映画上映会の場面以降、ぐっと、 社会の不合理に折り合いを付けて生きていかざるを得ないせつなさが浮かび上がる。 そんな映画をピアノ生演奏で観ると、その感傷もひとしおだった。 東京郊外のちょっぴりモダンな (特に庭)、 しかし、まだまだ間取りも和風な木造住宅での生活の様子が伺えるのも、興味深い映画だ。
世界恐慌の始まった1929年の作品。 70分の一部のみのため、就職できたと親についた嘘の顛末の描きも薄く、 就職もあっさり決まってしまったようにも感じられてしまう。 完全版で観ることができたら、とつくづく思う。
要領のいい高橋はカンニングで試験を乗り切ろうするも失敗し 同じ下宿で一人だけ落第生となったが、卒業した下宿仲間も就職難。 一人だけ落第するという切なさの描きは流石に小津と思うけれども、 全体としては、物語はさておき、学生生活を舞台としたギャグ映画。 カンニングのシーンのあの手この手のバリエーションも良いし、 コミカルなダンスやマイムといった身体表現も面白い。 このようなコミカルでリズミカルな場面のある作品は、生きた伴奏が付くと、楽かった。
社長御曹司である堀野は、父親の急死に伴い、大学を中退して社長職を継ぐ事に。 学生時代の友人を社員として雇うものの、ぎくしゃくとした関係になってしまう様を、 学生時代の共通の憧れの女性だった お繁 との関係も交えて描いたもの。 田中 絹代 が憧れの女性役だったりと俳優に共通点があり、 カンニング等の学生生活のエピソードをユーモラスに描く前半は、 『落第はしたけれど』からのシリーズ物の学園コメディのよう。 一方、貧富の差や雇い雇われの関係に引き裂かれる様を描く後半は、 『東京の合唱 (コーラス)』や『大人の見る繪本 生まれてはみたけれど』を思わせる切なさ。 その感傷はさすが小津と思わせるが、今回観ていて、 この映画での 斉木 や『大人の見る繪本 生まれてはみたけれど』での父親など、 こういう卑屈にならざるを得ない役に 斎藤 達雄 がはまり役だということに気付かされた。
ところで、この映画や『落第はしたけれど』では、田中 絹代 が 大学近くにある食堂・カフェで働く学生達に人気の女給の役を演じている。 令嬢 (例えば 牛原 虚彦 『進軍』) やモダンな女性 (例えば 小津 安二郎 『非常線の女』) を演じた作品もあるけれど、 サイレント期の 田中 絹代 は、むしろ、人気のかわいい女給のような役の方が似合っている。 正統派美人というより親しみ易い女性という所は、 「合いに行けるアイドル」にも近いかもしれない、などと思ってしまった。
日本のサイレント映画の好きな女優に 香取 千代子 (主演はたぶん無くて、有名な所では、成瀬 巳喜男 『限りなき舗道』 の袈裟子役) がいるのですが、 この映画に女性事務員役でちょっとだけ出演していることに気付いたことが、今回観た際の密かな収穫。
当時、モダンなライフスタイルを取入れつつあった大学生や大卒サラリーマンといった新興の中産階級の人々を描いた『東京の合唱 (コーラス)』 (1931) や、 都会的なギャング映画に着想して当時のモダンな風俗を先鋭的に描いた『非常線の女』 (1933) などとうってかわって、 長屋暮らしの都市下層の労働者の生活をコミカルに描いた人情噺映画。 坂本 武 演じる 喜八 を主人公とした、いわゆる、「喜八もの」の第一作にあたる。 今回は弁士の説明付きで観た。 映像だけで淡々と語るところが良い小津の映画に弁士はどうだろうと思っていたのだが、 「喜八もの」に弁士は合っているように感じた。(弁士が巧かったこともあるかもしれないが。) 下町の長屋が舞台とはいえ、ポスターや子供の学校などを通してモダンなものも断片的に流れ込んでいるのだが、 まるで落語の人情噺が描く江戸時代の町人長屋のようにも感じられた。
夜の街の不良というか与太者の謙二が堅気の女性であるやす江に恋し、 更生してまともな生き方をし始めるという物語。 モダンな風俗込みで描くところなども含めて、『非常線の女』 (1933) ととても似た映画だ。 出所して新たな生活を始める所まで描く楽天的な雰囲気はあるが、 緊張感のある犯罪シーンや捕物シーンもなければ人情の描き方もそれほどではなく、 『非常線の女』の習作という感すらある。 ただ、弁士付きで観ると以前に観たときとだいぶ印象が変わり、 モダンな舞台で撮っていても微かに匂う人情味がぐっと表に出てくるように感じられた。
『出来ごころ』と『朗かに歩め』と弁士付きで続けて観たのだが、 弁士の 片岡 一郎 が『出来ごころ』のときの和装から『朗かに歩め』のときはちゃんと洋装に着替えていたのが、良かった。 こういう雰囲気作りも重要だ。
いわゆる「喜八もの」の第二作。 旅芸人一座の親方 喜八 と、かつて関係があった小料理屋の女将 おつね、そして喜八が生ませた子 信吉、 旅芸人一座での看板女優で 喜八 のつれあい おたか と、一座の若い女芸人 おとき の間の、 旅芸人の身がゆえのままならない関係と男女、親子の情を、美しい映像と寡黙な演出・セリフで感傷的に描いた作品。 東京ではなく旅芸人が立ち寄った (おそらく) 信州の山深い町を舞台にしており、 薄汚れた芝居小屋や小料理屋での陰のある画面が作り出す哀愁だけでなく、 あまり小津らしくもなく山野の風景も生かしている。 特に、線路脇での 信吉 と おとき の逢い引きの場面での身分違いの恋に煩悶する2人のやりとりを、 心情の揺らぎを映像化するかのように時に煽るようなアングルで時にフラットに、 美しい山野や空を背景に写し込んでいたのが、とても印象的だった。
山野も美しかったけれども、おとき を演じる 坪内 美子 も奇麗だったなあ、と。 信吉 を誘惑すべく木の下で待つ場面も美しかった。
柳下 恵美 のピアノ生伴奏付き、弁士無しで観たのだけれども、 この淡々と余韻で語る映画には、ますます感傷的だった。
去年5月に、やはり旅芸人を主人公として、女旅芸人と苦学生の間の悲恋を描いた 溝口 健二 (dir.) 『瀧の白糸』 (1933) を観たばかりなせいか、 画面作りの美学等が大きく異なるものの、意外と似たような世界を描いているようにも感じられた。 まだ、この時代はこのような旅芸人の世界にも現実味があったのだろうか、と。
『浮草物語』の有名な場面の一つ、土砂降りの軒下での喜八とおたかの痴話喧嘩の場面で、 高崎の御難のときに旦那衆に泣き事言って回ったことを、おたかは持ち出ちます。 このセリフの瞬間に頭をよぎったのが『瀧の白糸』でした。 八方塞がりになって愛する欣弥のために旦那のもとで屈辱的な思いまでして手に入れた三百円……という瀧の白糸と、 御難の高崎で愛する喜八のために金策で回った旦那のもとで屈辱的な思いをしたであろうおたかが重なって見えました。 そう思うと、おたかも単に気の強い嫉妬深い女とは見れなくなってしまいました。 彼女が喜八にぶつける口惜しさには、嫉妬というよりも、 高崎のとき旦那を誑して金策しなければなからなった屈辱が含まれているんだろう、と。 喜八の倅を誑すという仕返しも、その趣意返し。だから、世間は回り持ち、なのかと。
おときについても、おたかに信吉をひっかけるよう言われて、 おときは結局は受け入れるものの「わたしにできるかしら」と初心なことを言うわけですが、 高崎でそんなおたかの姿を見ていて自分の稼業はそんなもの、 いずれやることだと諦観しつつも、まだ経験は無かったので「わたしにできるかしら」なのかと。 4年前はまだ「そらまめみたい」だったということですし、高崎の御難のときから 「そろそろあんたも男をひっかけて金を得るくらいできるようになってなくてはねえ」のようなことを、 おたかに言われるようになっていたかのもしれません。 (流石にこれは、勝手に想像し過ぎかなと、我ながら思ってますが。) そういう流れで観ていたので、おときが信吉との逢引から帰った所を喜八に見咎められて 「金が欲しかったのか!?」と責められたとき、 それまで打たれた頬を押さえていた手を、頬を打たれたことも忘れたかのように下ろすしぐさに、 彼女がその言葉に深く傷つく様を見るよう。 その直前が、旅芸人稼業とはそういうものだと判っているがゆえに 愛する信吉から身を引こうかとおときが逡巡する場面なだけに、なおさらせつない場面でした。
こういったことも深読みし過ぎで、誤解している所もあるかもしません。 しかし、前に観た時は作品中で度々言及される「高崎の御難」が全然判らなかったのですが、 実は重要な伏線かもしれないな、と。 今回観ていて、後半の展開が腑に落ちることばかり、話が繋がって、映画の世界に引き込まれました。 『浮草物語』というと、喜八、おつね(かあやん)、信吉の間の 親子の情を中心に語られがちのように思うのですが、 そんなわけで、今回は、特に、おたかとおときのせつなさを強く感じながら観たのでした。
今回は、特におたかと瀧の白糸が被って見えてしまいましたが、 おときと信吉が恋仲になるところに瀧の白糸と欣弥の恋仲が、 旅回り先で貧乏しながら学費を送る喜八に欣弥へ学費を送る瀧の白糸が、 そして、信吉さえ偉くなってくれればというかあやんの姿に欣弥が偉くなるところを見させてもらうよという瀧の白糸が、 被って見えるようでもあります。 そういう意味では、個々のエピソードはそれなりに類型的なものを使っているのでしょう。 『瀧の白糸』はこういった世間のやるせなさを一身に被って破滅する様をメロドラマチックな悲劇仕立てにしたものだとすると、 『浮草物語』は同様のやるせなさを複数の登場人物に少しずつ抱えさせ、 悲劇とすることなく、各々になんとかやるせなさに折り合いを付けさせ淡々と生きさせる物語なのだな、と。 そして、複数の登場人物に抱えさせることにより、思いのすれ違いのパターンも増え、 より複雑で味わい深い作品になったのかもしれません。 そんなことを、今回『浮草物語』を観て思ったのでした。
いわゆる「喜八もの」の第三作。 現在の江東区から江戸川区の辺りの東京湾岸の工業地帯を職を求めて浮浪する子連れの失業者2組 の間の人情を描いた作品。 工業地帯の荒廃した風景と職を求めて彷徨う先の見えなさが、なんとも重苦しい映画だ。 同じような所を舞台にし、最後には金策のために喜八が己を犠牲にする所など共通するのだが、 楽天的で軽妙なユーモアが基調となっていた『出來ごころ』とは対称的。 『浮草物語』のような感傷の入り込む余地もない程だ。
今回の特集上映で、現存するサイレント時代の「喜八もの」3作を観ることができた。 実は10年前に 小津 のサイレント映画をまとめて観たとき、「喜八もの」はあまり好きになれず、 むしろ『東京の合唱 (コーラス)』や『非常線の女』のようなモダンな東京を描いた映画が良いと思っていた。 今回「喜八もの」がこれだけ楽しめたのは、自分の心境の変化なのか、 観た環境の良し悪し (10年前は主に家のTVで観た) のせいなのだろうか。 今回の観た中でも『東京の合唱 (コーラス)』や『青春の夢いまいづこ』のせつなさに感じ入ったけれども、 「喜八もの」の良さ、特に『浮草物語』の美しさと感傷に気付くことができたのが、収穫だった。
ブルジョワ家庭の没落と異母兄弟の確執と親との不和と和解を主題としているという点で、 島津 保次郎 『愛よ人類と共にあれ』 (1931) を連想させられる映画だが、 『愛よ人類と共ににあれ』がアクの強い父を軸に壮大なドラマとして描いているのに対し、 『母を恋はずや』は父は不在 (というか父の死が没落の契機) で母を軸に小さな世界で繊細に情を描いている。 そういう所に 小津 の資質が出ているようでもあるが、時代の雰囲気の変化というのもあるのかもしれない。
今回、小津のサイレント映画を10本まとめて観て、 1930年頃まではモダンな軽妙さも楽しいが (特に、『朗かに歩め』や『落第はしたけれど』)、 1931年の『東京の合唱 (コーラス)』の以降の作品は美しい映像と寡黙な演出で描かれる細やかな情が ぐっと表に出てくるという事に気付かされた。 そして、そんな映画のせつなさに思わず涙することも少なくなかった (特に、『東京の合唱 (コーラス)』、『青春の夢いまいづこ』、『浮草物語』)。 この頃に 小津 のスタイルが完成したという面もあるのだろうが、 就職難、失業や貧困を扱っているという面もあり、1930年に始まる昭和恐慌が影を落としているようにも感じられた。