ドイツ・ニーダーザクセン州ハンブルグを拠点とする劇団 Thalia Theater による Goethe の長編戯曲 Faust (1908/1933) に基づく2011年作。 元々二部構成で8時間以上で上演されたものだが、 『ふじのくに⇄せかい演劇祭 2014』では第一部のみ上演された。 それでも、途中で一回休憩を入れて3時間半という長い舞台だった。
冒頭は机や椅子くらいしかないがらんとした舞台で Hochmair の一人舞台。 それも Faust が Mephistopheles に会うまでの場面をゆっくりと。 この時点ではこんな調子で3時間以上なのか、と不安になりながら観ていた。 しかし、Rudolph も登場して Hochmair のやっていることを茶化/異化するようになってから、 なるほど、台詞というか戯曲のテクストと演技を切り離すような舞台なのだな、と。 扉や机、鉢植の緑などが、一見雑然としているが計算された構成で配置される舞台は Pierre Huygue あたりの現代美術のインスタレーションのよう。 そんな中でロック歌手のスタンドマイクを手に台詞を言ったりする所も含め、 去年観た Forced Entertainmnet: The Coming Storm [レビュー] などを連想させられた。
Gretchen も出揃ったあたりで舞台上の時間が加速していく。 Hochmair が主に Faust を、Rudolph が主に Mephistopheles を、Schöne が Gretchen を主に演じていたが、 会話の所でも複数人で演技しつつ、一人が全ての台詞を言う。 このような俳優と役を固定せずに台詞と演技を分離するやり方は、 Simon McBurney / Complicité: Shun-kin [レビュー] など連想させられたが、 Complicité ほどフィジカルな表現ではない。 そして、後半になるほど、原作の戯曲から飛ばされる場面が増えていく。 いつのまにか、Gretchen の母が死んで、子供が生まれ、兄が決闘で死んでいる、というように。 そんなこともあって、登場人物に感情移入しつつ物語に没入していくというより、 場面場面で台詞のテクストに触発されたインスタレーション的な舞台でのパフォーマンスを見ているようだった。
前半の Gretchen が登場するあたりから、 舞台の上は次第に片付けられ、演出が次第にスタイリッシュになっていく。 暗い舞台に青みがかった映像を背景にスポットで浮かび上がる Schöne が踊る場面など、 いつのまにか違う舞台なってしまったようにも感じた。 そして、休憩中に舞台上が片付けられ後半はがらんとした舞台の上、 天井から下りてくる3本の光るロープや疎に配置された十字架を象徴的に使ったものに。 そして、最後の Faust が獄中の Gretchen を救いに来る場面では、 Hochmair と Schöne がぞれぞれの役を演じ、会話をやりとりするようになった。 舞台上の時間が加速しつつスローファイなポストドラマの中からスタイリッシュなドラマが沸き上がってくるよう。 そんな所も面白かった。
しかし、戯曲を予習せずに粗筋程度しか知らなかったうえ、ドイツ語の台詞がほとんど聴き取れなかったので、 テキスト使いの面白みまで掴めなかったのも確か。 確かに、台詞のテクストに触発されたインスタレーション的な舞台でのパフォーマンスとして、 ビジュアルや動き、ドイツ演劇らしい奥行きのある空間使いも楽しめた。 しかし、物語の展開に乗れず、場面場面ばらばらに観るよう。 そのため、全体としての印象が弱くなってしまった。