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Review: 佐藤 時啓 『光―呼吸 そこにいる、そこにいない』 @ 東京都写真美術館 (写真展)
嶋田 丈裕 (Takehiro Shimada; aka TFJ)
2014/06/29
Sato Tokihiro: Presence or Absence
東京都写真美術館
2014/05/13-07/13 (月休), 10:00-18:00 (木金-20:00).

人けの無い風景の中にライトペンで光の点や線を置いた長時間露光の白黒写真シリーズ『光―記憶』に 1980年代後半から取り組んでいる 佐藤 時啓 の個展。 展覧会タイトルは『光―呼吸』だけれども、そのシリーズは半分。 後半は2000年代以降に取り組んでいるカメラ・オブスクラを使った作品だった。

通して観て、『光―呼吸』シリーズの良さを再確認。 Becher Schule や 柴田 敏雄、畠山 直哉 のような パンフォーカスで幾何抽象画のよう風景を撮った写真が自分の好みで、 光のみで人の気配が消え抽象的に撮られた 佐藤 の作品に共通する魅力を感じるというのはある。 波が消え霧がかかったような磯や、光を点を置くための足跡が消えた雪面など、 長時間露光ならではのトリッキーな効果も画面の抽象性を増して良い。

しかし、雪の林の中や白神山地原生林のブナの写真、もしくは、ひたちの磯の写真を観ていると、 Andy Goldsworthy のランドアート作品も連想させられる。 石を並べたり枯葉を岩に貼り付けたりする代わりに光の点や線を置いているかのよう。 人工的な構造物に光を纏わせた写真からも、 Christo や Daniel Buren のようなパブリック・インスタレーションの記録写真を想起させられる。 長時間露光写真によってしか可視化されないのだが、光を配置したインスタレーションがメインで、写真はその記録のようにすら見える時もある。 そこが、他の幾何抽象的な風景写真と違う魅力だ。 特に、この展覧会で初めて観た4×5のポラロイド写真で撮られた『光―呼吸』で、写真の記録という面を強く意識させられた。 といっても、はやりパンフォーカスできっちり撮られて大判にプリントされたもの方が良かったのも確かだが。

それらに比べて、後半のカメラ・オブスクラを使った作品はあまりピンとこなかった。 しかし、その中では、テント式の移動型カメラ・オブスキュラを使った Wandering Camera 2 シリーズが良かった。 埋め尽くした枯葉、砂浜の砂、舗装などの作り出すテクスチャの上に、暗く淡く映し出された風景が、幻想的な画面を作り出していた。 落ちている貝殻やマンホールのようなテクスチャにならない異物も、風景との緩やかな関連性があるため、地面から象徴的に風景の中へ浮かび上がってきているようだった。