Ballet de l'Opéra de Paris の Etoile だった José Martinez の芸術監督就任後初の Compañía Nacional de Danza de España (スペイン国立ダンスカンパニー) の来日。 Nacho Duarto 芸術監督時の来日を見逃していて、今回初めて観ました。 公演は休憩を2回挟んでの3部構成。第一部はミニマルな音楽で男性と女性の群舞をそれぞれ。 第二部はバレエのモダニズムの極北と物語バレエ (の抜粋) という両極。 最後は観客を巻き込んでの祝祭的なダンス、と、 あるコンセプトに沿って作品を見せるというよりも、幅広いレパートリーを揃えた顔見せ公演のような内容でした。
第一部の2作品、Sub と Falling Angels は、 いずれも、ミニマルな音楽とライティングのみによる演出による群舞。 男性ダンサーの Sub は暗めの舞台で催眠的でしたが、 女性ダンサーの Falling Angel は、 ソロやデュオをみせる場面よりも、シンクロした動きの中、一人が動きに細かく素早く変化をつけるようなところが、面白かった。 バレエ的というより少々エキゾチックでシンクロを多用した動きもユーモラス。このユーモアも Kyrian らしいかもしれません。 ワンピースの水着のような衣装もあって、シンクロナイズド・スイミングみたいと感じるときもありました。
第二部前半 Forsythe の Herman Schmerman は前半5人のダンスと後半デュオ。 舞台後方に膝程の高さの仕切りがある程度で何もない舞台で、electronica な音楽に合わせて、抽象的なダンス。 反転したり裏返したりしているものの、要所で ballet 的と感じたのは、New York City Ballet のための作品だからでしょうか。 昔は Forsythe の作品を観てもバレエっぽく感じなかったのですが、 先日観た Benjamin Millepied L. A. Dance Project [レビュー] でもそう感じたので、 バレエ的な動きへの感度が上がったのかもしれません。 続くは、映画 Les Enfants du Paradis (Marcel Carné, 1945) のバレエ化から、パ・ド・ドゥ (男女ペア) と男性ソロの抜粋。 コンテンポラリー中心の演目の中では異質でしたが、怪我で代役を立てたものの、 元々は José Martinez 自身が踊る予定だったもので、ファン向けという面もあったのかもしれません。
ラストは観客参加型作品の Minus 16。この作品は 2002年彩の国さいたま芸術劇場での Nederlands Dans Theater (NDT) ガラ公演でも体験してますが [レビュー]、やはり、こういう作品は観客も盛り上がります。 幕間からラテン曲 “Quizás, quizás, quizás” でコミカルな男性ソロを見せ、 ユダヤの数え歌 “Echad Me Yodea” で半円状に椅子を並べてバタバタと服を脱ぎながらのダンス。 後半の観客参加のパートは前に観たときは舞台に上げられてしまってどう見えていたのか判らなかったので、 なるほどこう見えていたのか、と、感慨深いものがありました。 思っていたより祝祭的な雰囲気だったということに気付かされました。 舞台に上げられた観客のうち一人が最後まで残されるのですが、今回は全員が伏せた中一人立たされていました。 2002年に観たとき、というか舞台に上げられた時はこの一人残される役になってしまったのですが、 そのときはそこで女性ダンサーに飛びつかれて「お姫さまだっこ」のようなリフトをされられたという……。 なんてことを思い出しつつ、その時は夢中だったので状況がよく判ってませんでしたが、 これは全観客に注目されていたのか、と、今更ながら冷や汗をかきつつ観ていました。
Kyrian が芸術監督だった頃の NDT が好きだったのですが、その舞台の雰囲気を少し思い出しました。 コンセプチャルなコンテンポラリー・ダンスの舞台も良いのですが、 踊りの楽しさを感じさせるコンテンポラリー・ダンスの舞台を、久しぶりに観たような気がしました。