1990年代半ばからイギリスで活動する映像作家 John Wood & Paul Harrison。 不条理にすら感じるミニマルで即物的なアイデアを、やはりミニマルなセットで撮った意外性とユーモアに富んだビデオ作品は、 今までもグループ展示や小規模な展覧会で観る機会があった。 今回は最初期の1993年から今年の作品まで20作品を集めた個展。 後に予定を入れていたこともあり、じっくり作品に向き合うことはできなかったが、 作家の全体像、作風の変遷を知ることができ、とても興味深く観ることができた。
初期1990年代の6作品は「A パフォーマンス」のセクションにまとまっていた。 セクションのタイトルにあるように、自身のパフォーマンスを収録した作品だ。 といっても、ミニマルなアイデアとセットはこの頃から。 展示中最も古い作品 “Board” (「板」, 1993) では、真っ白な壁床を背景に白い板を2人で淡々と取り回す様子を捉えている。 背中合わせで板を挟んで立てたり、一人が板の上に寝た状態でもう一人が端を持って板ごと立てたり。 目的の感じられない単純なマニピュレーションの組み合わせ故に先が読み難く、展開に意外性もあり、無表情に淡々と行う所にユーモアも感じられた。 訓練された身体能力は使っていないものの、空間や時間の構成から、コンテンポラリーなダンスかサーカスのパフォーマンスを見るようだった。
初期の作品の中では、様々な不条理な装置を作ってそれを操作する様子を淡々と繋げた “Device” (「装置」, 1996) が、見覚えがある作品だった。 (バリエーション的な別作品かもしれないが。) 以前に見た時は装置の不条理さを強く感じたが、 こうしてみるとミニマルな操作で不条理さを発現させるパフォーマンスあってのことだと気付かされた。 狭い壁の前で二人三脚状態となってテニス練習機から発射されるテニスボールを避ける様子を固定カメラで撮った “3 Legged” (「二人三脚」, 1997) も、 不条理な状況設定とぎこちない動きが面白い作品だった。 この「A パフォーマンス」のセクションの作品が最も楽しめたように思う。
「B アニメーション」は、実験的というか習作的な作品が多く並んでいたが、 そんな中では彼ららしい短編映像が楽しめるのが “Note” (「ノート」, 2004)。 ミニマルなセッティングのオブジェを使って、意外だったり、突然の出来事だったり、 当たり前過ぎて逆に意表を突かれるような、そんな動きをひたすら (4面のスクリーンを使い合計約50分) 繰り出してくるというものだ。 一つ一つは大笑いするものではなく、ちょっと外してるかもと思うようなものがあるが、 様々なアイデアの映像がひたすら繰り出されてくる中から、じわじわとユーモアが染み出してくるよう。 そんなところも楽しめた作品だった。
これに類似した作品では、“1km” (2004) や “Hundredweight” (2003) といった、 ある単位の量をミニマルで即物的なセッティングで見せる一連の作品群もあるのだが [レビュー]、今回の展覧会には出ていなかった。
「C 物語 [Narrarive]」では、一貫したテーマや状況設定を持たせた複数の映像を繋げた作品を集めていた。 物語というほどはっきりしたストーリー性は無かったけれども。 “Tall Buildings” (「高層ビル」, 2011) は 『オープン・スペース2012』で展示されていた “10 × 10” (2011) [レビュー] とほぼ同じセッッティングの作品。 (前に観た記憶が曖昧なので、同じ作品かもしれない。) それらに先立つ “The Only Other Point” (「他にはこれしかないポイント」, 2005) は、 カメラが横にスライドして不条理かつ奇妙な出来事が起きている部屋を写していく作品で、 縦の動きはそこから発展したものだったのだな、と。
「C 物語 [Narrarive]」の後半から「D 映画 [Film]」にかけての作品は、 2010年代に入ってからの作品。 短い意外な動きの映像の反復という意味では相変わらずなものの、 ミニマルなセッティングというと所はだいぶ薄れてきており、 新しい展開を試行錯誤しているようにも感じられた。前半の展示の方が好みだったけれども。
ほぼ全て映像の作品で、展示20作品の合計上映時間は約4時間という内容。 チケットは入場一回限りではなく、はもう一度だけ別の日にも入場できるというシステムになっている。 今回は十分に観られなかったので、時間に余裕を持って、また観に行ければとも思う。