La Biennale di Venezia 2015 - 56th International Art Exhibition の日本代表作家として日本館に展示した 塩田 千春 の帰国記念展だが、 その際の作品の再制作ではなく、この展覧会のための新作の展示。 小さなギャラリーでの個展よりも、 『沈黙から』展 (神奈川県民ホールギャラリー, 2007) [レビュー] のような大規模なインスタレーションが見応えある作家ということで、 それを楽しみに足を運んできた。
壁、天井、床の黒い25m × 15m × 5m 程度のプレーンな長方形のスペースに、 赤い糸を大量に使ったインスタレーションを施していた。 不規則に糸を張り絡めて部屋の中央に少々不完全で閉じていない直径5m程度の繭状の空間を作りだし、 そこへの出入りのためのような5つの扉 – 古い家から取り外してきたかのような薄汚れた白の木の扉 — が配置されている。 その繭を部屋に固定し支えるかのような膜状の構造が部屋の三面に作られ、 一番奥の一面の壁は鏡張り – おそらくスタジオ据付のもの – で、 その前に大量の古い鍵が不規則に吊り下げられていた。 糸を張り絡み上げて作り出された迷路のような空間の中を巡りながら、 もしくは、壁と赤い膜の間に開いた空間に座って、観客は作品を鑑賞することになる。
黒い空間に大量に張られた赤い糸は禍々しく、それだけでもインパクトは充分。 床には糸は張られていないが、照明が作る糸の影がその代わりのようになっていた。 床が黒いため、置かれた扉は宙に浮かび上がっているように遠目に見える。 黒い背景に赤くまだらに濃い靄が広がり、それを透かして照明が点々と光る様は、 宇宙空間に浮かぶガス星雲とその中で煌めく新星のよう。 使い古された扉や鍵の醸し出す過去の記憶の気配も控えめ。 一部屋のみの、それも、ホワイトキューブならぬブラックキューブというニュートラルな空間でのインスタレーションで、 その点を物足りなく感じたが、 視覚的に強烈な空間を楽しむことができた。
劇場のスタジオという会場からもわかるように、 インスタレーションの中で何らかのパフォーマンスすることを前提とした展覧会。 約1ヶ月の会期中『塩田千春展×ダンス・音楽』と題した4プログラムが行われている。 そのうち、酒井 幸菜 のダンス『I'm here, still or yet.』を観てきた。 酒井のダンスはオムニバス的な公演で一度観たことがある程度 [レビュー] の予備知識しかなかったが。
会場は、鏡張りの壁は黒カーテンで隠し、残りの三面の壁沿いに観客を座らせ、壁沿いの照明を落とした状態。 モダンダンスのバックグラウンドを持つとのことだが、いわゆるダンス的な技巧はほとんど使わなかった。 電子音がピキピキ鳴る中、塩田 のインスタレーションにさらに赤い糸を張り加えるパフォーマンスから始まり、 「どこにいるの?」という言葉を口走りつつ繭のような空間の中を誰かを探すように歩き周り、小走りに走り回ったり。 後半は、マイクを手に強くなった電子音がハウリングする場所を探すように。 本人のセリフや録音されたナレーションを用いていたこともあって、ダンスというより演劇に近く感じられたパフォーマンスだった。 このような強烈なインスタレーションの中でのパフォーマンスは、あるレベル以上であれば様になるのも確か。 しかし、空間が強烈過ぎてパフォーマンスがそれに従属しているようにも感じてしまった。