Kolozsvári Állami Magyar Színház [Hungarian Theatre of Cluj] はルーマニアのトランシルバニア地方 (ハンガリー系の住民が多い) の中心都市 Cluj-Napoka にある ハンガリー語による戯曲を主に上演する最も歴史のある劇団。 その劇団によるハンガリー語版 Hedda Gabler が 『第3回東京ミドルシアター・フェスティバル 国際演劇祭 イプセンの現在』 のプログラムの1つとして上演されたので、観てきました。 もちろん、この劇団も、この演出家が演出した作品を観るのも初めてです。 実は Hedda Gabler はあらすじ程度しか知らなかったのですが、 この舞台を観るまでこんなにメロドラマ的な要素があるとは思いませんでした。
1890年に出版された原作では舞台は19世紀後半のノルウェーですが、 衣装や音楽で作られるイメージはミッドセンチュリー (第二次大戦後、カウンターカルチャー前) のアメリカに置き換えられていました。 しかし、最初のうちはそんな置き換えの意味も感じられない脚本に沿ってセリフ主導で進む演出。 このような演劇は苦手なので、前半で帰ろうかと思うほどでした。 後から思えばこの段階は登場人物の設定紹介みたいなものなので、仕方ないでしょうか。 しかし、Lövborg が登場した所でぐっとメロドラマ的になって、これはソープオペラかと。 このあたりからユーモアも冴えてきて、特に陰気な女中 Berte が「家政婦は見た」的な役回りとなる所もツボにはまりました。 ということで、メロドラマ映画を観るかのように、最後までぐいぐい引き込まれて楽しんで観ることができました。
ソープオペラを意識した演出なんだろうとは思いつつ、ソープオペラには疎いので、むしろ、 戦前松竹メロドラマ映画 [関連する鑑賞メモ] に ありがちな登場人物設定や展開だなと思いつつ観ていました。 戦前松竹が映画化していたとしたら、 Gabler が桑野 通子、Elvsted が田中 絹代、Tesman が上原 謙、Lövborg が佐分利 信、Brack は 河村 黎吉 か 奈良 真養、Berte は 飯田 蝶子 かな、とか。 しかし、ブルジョワの家庭を舞台として、スキャンダルを気にして、とかそういう展開は、 トーキーとなって小市民的な色が濃くなる1930年代後半ではなく、 1930年代前半サイレント期のメロドラマ [関連する鑑賞メモ] かな、とも。 なら、Hedda Gabler は八雲 美恵子、Elvsted は川崎 弘子、Tesman は鈴木 傳明、Lövborg は岡田 時彦でしょうか。 島津 保次郎や鈴木 傳明は小山内 薫 門下ですし、 Hedda Gabler などは当然踏まえたうえであのようなメロドラマ映画を作っていたのだろうなあ、と、今更ながら思ったりしました。